2006年07月29日(土) |
ガリーナさん、金婚式、80歳。 |
先週日曜日に久しぶりにCD店に行ったときうれしいCDを見つけました。旧ソ連の名ソプラノの「ガリーナ・ヴィシネフスカヤ」80歳記念CD。昔グラモフォンからでていた「ラフマニノフ・グリンカ歌曲集」がCD化されたものです。ピアノ伴奏はロストロポーヴィッチ。この伴奏も非常に心がこもっていて素敵です。
自分のホームページの「ガリーナ」年譜で確認するとガリーナの誕生は1926年。そしてチェリストのロストロポーヴィッチとの結婚は1955年。つまり2005年が彼らの金婚式で今年でガリーナは80歳を迎えます。
昨年インドのムンバイに住んでいた時、メータ・ロストロポーヴィッチのコンサートがありました。インドでは珍しい本格的なクラシックコンサートだったので勇んで聞きにいきましたが、ロストロポーヴィッチに連れ添って奥様のガリーナが来ているのではないかとも期待していたのでした。演奏会の後にホールの楽屋口にいってチェックしましたが、残念ながらロストロポーヴィッチはメータと二人で車で消えていきました。ガリーナのことをインターネットで調べてみると最近の活躍を知ることができました。
http://www.rostropovich.org/founders.html
ガリーナとロストロポービッチは、ロシア周辺国への医療援助のために基金を立ち上げて積極的に活動しています。このページにはふたりの写真も豊富に掲載されています。
http://www.opera-centre.ru/en
ガリーナはロシアにオペラ学校を設立しました。ドイツの「レニングラード封鎖」に遭遇したガリーナ。そしてロシアから追放されたガリーナは80歳の誕生日を迎えるのです。すごい人生です。生きている「世界遺産」みたいなものですね。
北朝鮮のミサイル発射実験に日本・アメリカが過剰反応しました。そして結局中国・ロシアの反対にあって穏当な国連決議に。しかし、もっと変な話はその直後にインドが同じようにミサイル発射実験をやったのに、何の反応もないこと。日本政府は何か措置をとったのかしら。
そもそもインドは核兵器の拡散防止条約に入っていない。それでも米国は親切にも核の平和利用に協力しているのです。結局近いところの信用できない国が心配なだけなのですね。世界全体がどうなろうとそれほど関心がないのです。
北朝鮮、イランの核開発問題に気をとられている中にイスラエルがレバノンをひどく攻撃しています。発端は、イスラエル兵二人がヒズボラに拘束されたことに対する反撃なのです。それがレバノンの主要都市の機能を破壊に繋がっているのです。こんな暴挙が許されるのでしょうか。国連の安保理は何をしているのでしょうか。日本政府はなにか声明を発したのでしょうか。最近の国際政治(国際政治の力関係)は異常だと思います。
昨日マンションの「網戸」の掃除をしました。昨年までは私がいなかったので妻が頑張って一人で掃除していましたが、今回は久しぶりの共同作業ができるようになりました。網戸は大きくてベランダでは洗えないのでバスルームまで大きな網戸を運ぶことになります。特に南側の網戸は「天井」までの背の高い網戸なので苦労するのです。網戸の水洗いは妻に任せて私は網戸をはずした後の窓ガラスを洗いました。ついでのベランダの床も洗ったのでベランダが綺麗になりました。
7月から独身寮に入った息子の部屋は綺麗になって私の物置と化しています。 午前中は久しぶりに「プール」。沼影市民プールは夏仕様(屋外プールオープン)なので大変混んでいました。屋内25mプールは一応レーンは作っているものの小さい子供やら小学生が沢山。特に子供に水泳を教えようとしている若いお父さん・お母さんが沢山いました。屋内で1000m位泳いだ後、外の50mプールで500mほど泳ぎました。外のプールは気持ちが良いです。飛び込み用に深いプールではスキューバの講習をしていました。日本で免許を取ろうと考える人は、たぶん何回ももぐりに行くのだと思います。私は幸運にもスリランカでライセンスを取ることができたのですが、潜るために旅行するような根性はありません。まったくペーパダイバーです。
梅雨末期の鬱陶しい日々が続いています。他の人に同じでしょうけど、ほんとうに不快な気候です。私は、久しぶりの日本の梅雨、夏なのですが、これほど不快に感ずるとは思わなかった。昨年・一昨年住んでいた「ムンバイ」のモンスーンと暑さは日本の比ではないけれど、「気温」と「湿度」の関係でいうと、日本の気候は不快度が高いと思います。私の推測は以下のとおり。
乾燥した「暑さ」になれて暑いときに「汗」がたっぷり出るように身体が順応していた。たぶん汗腺が大きく開いてしまって、どんどん水分が出て行くようになっている。日本でもそこそこ暑いので、毛穴が開いてどんどん汗がでる。 しかし、インドほど乾燥していないので汗が蒸発しない。蒸発しない汗が服とべた付く。これがものすごく不快なのでしょう。乾燥した夏が懐かしいです。
パソコンの電源修理が完了しました。富士通の修理センターでは予想外に早く修理を終えました。パソコンの送付・配達も含めて18000円ですのでインドでの2回の修理の約5倍の値段です。今回は純正部品を使った修理なので長持ちするものと期待しています。
電源修理が完了したのでその後妻の助けを借りてOSを変えました。2年前にOSを入れ替えた時に、きれいな状態でコピーをとっておいたので、それを復元しました。大事なファイルは「D」に入っているので「C」ドライブだけ綺麗にしました。
そしてウイルスソフトの変更。ウイルス○スターは非常に重いし期限が切れていて支払いの督促が来ていました。今回は妻が使っている「eTrust」を入れることにしました。このソフトは軽くていいですね。今回の電源修理、OS入れ替えでパソコンの「立ち上がり」が非常に早くなりました。今のところものすごく軽快です。
2006年07月12日(水) |
ムンバイで列車爆破事件 |
インドのムンバイで連続列車爆破事件があり200人程の犠牲者がでたとのこと。ニュースでは「イスラム過激派」の犯行と報道されています。でも、ムンバイはそれほどヒンズー教徒が強いというわけではなく大らかな土地なのです。
「イスラム過激派」が狙うとすればもっと相応しい(表現は不適切ですが)場所があるはず。単に人の多い場所を狙ったとしか思えません。爆破された列車は「ウエスタン鉄道」の列車で7つの列車がほぼ同時刻に狙われました。
ムンバイには「ウエスタン鉄道」と「セントラル鉄道」が乗り入れています。 ウエスタン鉄道の終点がチャーチゲイト、セントラルは「ビクトリアターミナス」です。チャーチゲイト駅には、ウエスタン鉄道を利用して北部から人々がやってきます。かつての私の同僚もこの鉄道を使っていました。今日電話してみたのですが無事だというので安心しました。こういう事件があると「領事館」は大変なのです。ムンバイ領事館には知り合いがたくさんいますがさぞや忙しいことでしょう。
ムンバイ室内オーケストラの世話人の「ビリモーリア」さんからメールが来ました。ニューデリーの国際交流基金に支援をお願いしていて、受理されてお金が交付されたとのこと。日本人ピアニストの「モリマイコ」さんとの共演は8月だそうです。演奏会が成功することを期待しています。
スリランカ・コロンボで知ったのですが、今、しこしこ翻訳中の小説の作者「スリヤクマラン」さんが亡くなられたのでした。スリランカのタミール人作家で経済学者でもある「スリヤクマラン」さんは、スリランカ内戦をひとつのテーマとした「キラリ・クロッシング」という小説を発表しました。
内戦に巻き込まれる若いカップルの話で非常に感動的な小説です。コロンボ在勤時代に、ご本人にお会いし日本語へ翻訳する許可を得ました。現在一回目の粗い訳はできて現在さらに推敲中です。今回2年半振りのスリランカ訪問なので「スリヤクマラン」さんを尋ね、正式なお手紙でも頂こうと考えていたのですが、非常に残念なニュースを知ったということです。
スリラクマランさんの友人で、スリランカでお世話になった「シーバラトナム」さんが、「大丈夫だから翻訳は進めなさい」といってくれました。急いで翻訳を進めようと思います。
2006年07月02日(日) |
スリランカから帰ってきました。 |
スリランカの会社の役員会に出席するためにスリランカに行ってきました。やはり電話会議で参加するより実際に参加するほうが10倍くらい有効であったと思います。内戦の重い課題を抱える発展途上国の「通信インフラ」の整備は非常に難しいですね。
少し町をあるいてみると嘗てと同じ光景に出会います。
街を歩いていると声をかけられ、「お前が目指している店は閉まっているので別の店を案内してやろう」と親切そうにアドバイスをする。(実際はその店は営業中で全く関係ない店に連れて行くつもりなのです)
「私は貴方の泊まっているホテルのコックで今日は非番。有名の寺が「財宝」を展示しているのでいってみて損はない。私が案内しよう」(ホテルから出てくるところを見ていて近づいてくる)
こういう雰囲気には慣れていたのですが、暫くスリランカを離れてみるとやはり「いや」な感じがします。インドの方がもう少し正直な感じがします。インドの方が正直で貧乏なのです。
スターアライアンスの航空会社が成田空港の南ウイングに集結しました。今回シンガポール航空を使ったので成田南ウイングから出発しました。チェックインした後の待合スペースに多くの免税品店がありました。スターアライアンス関連だと成田で乗り継ぎのチャンスが多いので、こういう配置はとても便利だと思います。今日の帰りの飛行着はシンガポール発の成田・ロス行きでした。明日以降スリランカのことをボチボチ書いていきます。
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