KENの日記
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2006年02月28日(火) 民主党謝罪

メール問題でついに民主党が謝罪しました。一応ケリをつけた形ですが自分の進退を他人に預けるという姿勢は中途半端です。国会は討論の場です。喧嘩の場でもないし多数決だけの場でもありません。討論(ディベート)によってできるだけ良い判断に導いて行く場です。もし事前に結論が決まっているのであれば議論する必要もないし、議席の多少で決めてしまうのが時間の節約になります。そうではなく討論を通じて問題を深堀ができるし、討論を通じて政党の枠を超えた政治家個人の判断で結論が変わってくるはずです。


そうすると討論の方法は非常に大切になります。キチンと議論できる根拠を揃えて討論するのは最低の義務です。その点で今回の民主党の永田議員・前原議員の態度は失格です。国会議員の職場である国会で討論(質問)は最も大切な仕事のはず。その大切な仕事で間違いを起こしたとしたら責任は重大です。謝罪して済む問題ではないと思います。
まあ政府の回答も建設的な討論手法ではないので困りますが。



2006年02月26日(日) 黒糖焼酎「朝日」

黒糖焼酎の朝日(30度 1.8L)を見つけました。今日灯油を買おうとガソリンスタンド併設の酒屋さん(戸田市のさいたま市境界)へ行きました。そこは日本酒の品揃えでは定評がありこれまで美味しい日本酒を紹介してもらいました。今日行って見るとなんと黒糖焼酎の「朝日」が1本あるではありませんか。信じられないので売り物であるかどうか確認し最後の1本で売り物だというので買ってきました。随分昔パーティで出された「朝日」の水割りの味が忘れられず探していたのですが近辺の酒屋で見つけたのは今回が初めてです。
今日は「運」が非常に良いです。でも栓を開けるとあっという間に終わってしまうのですよ。まだ開けていません。



2006年02月25日(土) スリランカ情勢が少し安心

今週、スイスでスリランカ民族紛争解決に向けた和平会議が始まりました。昨年暮れから休戦協定があるにもかかわらず小競り合いが頻発し、全面的な内戦再開が危惧されていたのでした。津波被害に対する諸外国の援助金も殆ど凍結されたままで、国の復興に向けた活動は本格化していないのです。

今回のスイスでの会議で、政府側・反政府側とも休戦協定を遵守する合意ができ、一応事態の悪化は避けられた格好です。でも休戦しただけでは事態の改善にはならないのです。スリランカの多数民族のシンハラ人と、少数民族のタミール人の折り合いをどうするのか、タミール人にある程度の自治権を認めるのか、そこのところで合意しない限り、状況は改善しないのです。休戦だけではまた直ぐにでも小競り合いが始まることは目に見えています。

シンハラ人とタミール人の関係の他に、新たにイスラム教徒の問題も持ち上がっています。宗教的に言うとスリランカの国民は仏教徒のシンハラ人・ヒンズー教徒のタミール人そしてイスラム教徒が多いのですが、シンハラ人とタミール人の紛争でモスリムの人が被害を受けているのです。
タミール人の中も今二つに割れているのです。タミール人の一派は政府側に接近している格好なのです。反政府組織のLTTEは、分派行動をとるタミール人グループを裏切り者として攻撃しました。事態は非常に複雑になっています。予断を許しません。



2006年02月22日(水) ブログが遅い

それにしても、MSNのブログは遅くなってしまいましたね。写真のサービスが重いようだしメッセンジャーが立ち上がるのは困ります。こういうのは進化とは言えないですね。日本のブロードバンド環境でもこんなに遅いのだから、
外国のナローバンド環境では殆ど使えないでしょうね。



2006年02月12日(日) インドからの引越し荷物到着

インドのムンバイから引越し荷物が漸く到着しました。実際には1月の第一週のムンバイを出発しているので一ヶ月あまりで到着したことになります。思いのほか早い到着でした。衣類だとか、本、CD・チェロも無事に到着しました。引越し荷物を見るとムンバイの引越し業者を思い出します。


今思い出しても、ムンバイの引越業者は素晴らしかったです。「インテリム」というムンバイの業者は私が日本で出会ったどの引越し業者より上手でした。私は結婚してからでも9回の引越しをしているので引越しのことは少し詳しいのです。人口の多いインドなので色々な商売があるのです。例えば「足の魚の目取り」とか「耳掻き屋」などを街で見かけました。そうした中でサービス業の質は高いようです。


しかし狭いマンションで色々インド土産があって収納が大変です。本の収納場所が限られているので、我が家の要らない本を少し処分しました。受験の終わった娘も処分できる本をかなり持っています。さらに、卒業の決まった息子の部屋からは、どれくらいの本が出てくるやら。差し当たり、私と妻とで、自分達関連の本をチェックし少し処分しました。でもハードカバーの本は一冊10円。娘の比較的新しい漫画本は、一冊100円で引き取ってくれました。昨日の売却高は1680円でした。因みに売却先は「古本市場」(与野店)



2006年02月07日(火) いずみコーラスコンサートのお知らせ

いずみコーラスコンサートのお知らせ

2006年3月25日(土曜日) 午後1時30分から

場所:中目黒GTプラザホール(中目黒駅前)

入場無料

演奏曲目:アメージング・グレイス他世界各地の歌

       早春賦他の日本の歌

       指揮者(声楽家)の演奏、ピアニストの演奏


妻の所属している目黒区のコーラスグループのコンサートです。平均年齢は少し(?)高いですが、今回のコンサートのためにブラウスを新調し、毎週水曜日に練習してきた成果を発表するものです。「さいたま市」から通っている妻は練習用CDを作ったりして苦労していたみたいです。お近くの方の来場を期待しています。これから、コンサートの日まで追い込みです。



2006年02月06日(月) ブロムシュテットのブラームス交響曲第一番

昨日のN響アワーはブロムシュテットのブラームス交響曲第一番。先週来、音楽批評サイトで非常に評価の高かった演奏です。


指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
コンサートマスター:ペーター・ミリング(客演、ドレスデン州立歌劇場オケのコンマス)
演奏:NHK交響楽団


全体として大変な名演だったのではないでしょうか。批評サイトの評価はそのとおりでした。特に弦楽器の奮闘はテニスのヒンギスの準決勝のような。その日の試合は非常に意味深く従って、一球一球のボールを丁寧に丁寧で心がこもっている。そして、そうした場にいる自分また試合をしている自分にとても満足しているような。弦楽器群の演奏は時として聞きなれたブラームスでも多くの新発見を与えてくれました。


1楽章の導入部から提示部の緊張。感じの良い響きでした。3楽章での楽しさは第一交響曲というよりは第二交響曲の範疇のように聞こえました。この楽章がこんな歓喜に満ちた充実した楽章であったとは。始めての経験です。終楽章も3楽章の延長で非常に充実した演奏だったと思います。


ブラームスが20年かけて作った交響曲ですから、人生の色々な場面が詰まっているのですね。単なる勝利の音楽ではないのですね。しかし木管楽器が今回の演奏の中で果たしていた役割は何なのか?最後まで「?」でした。弦楽器があんなに気合を入れて音楽を創造しているのに。管楽器は、いつも通りの・決まりきった・過去何回もやったブラームスを自分流に無表情に再現していました。客演コンマスを連れて来るように、次は「客演オーボエ」・「客演クラリネット」・「客演フルート」が欲しいです。弦楽器のレベルがここまで来ているのですから、木管をあのままにしておくのは「罪」です。もったいないです。弦楽器の人はしっかり木管楽器に文句を言うべきだと思います。もし木管楽器が奮起していたら今回の演奏は「超名演」でした。



2006年02月05日(日) ヒンギス復活

土曜日ヒンギスとシャラポアのテニスの試合を見ました。ヒンギスの復活が本物か新進気鋭のシャラポアの実力が一流かどうか。今回が初顔合わせ。試合開始早々は互いに緊張しているようで、サーブゲームをキープする緊迫した展開でした。試合が動いたのはヒンギスが幸運なネットバウンドで、シャラポアのサーブを始めて破ってから。


はっきりしていたことはヒンギスの集中力が尋常ではなかったこと。ベースラインいっぱいに返ってくるヒンギスのボールにシャラポアのミスが出始めました。結局終わってみれば試合は「2−0」の一方的なものとなっていました。
ヒンギスの復活です。でも日曜日の決勝では簡単に負けてしまったみたいですけど。私は特別なヒンギスファンではないけれどこの復活はうれしいです。パワーテニス全盛の時代にヒンギスのオーソドックスなテニスが通用するのは痛快です。これから頑張って欲しいです。



2006年02月04日(土) 家の模様替え計画中

私がインドへ単身赴任中した間、狭いマンションの事情には二つの変化がありました。


1.信州から我が家に呼んでいた母親が小田原の弟の家に移ったこと。
2.長女が大学に入ったこと。


長女は入った大学は工学部・デザイン工学科で、大学は少し遠いのですが武蔵野線と総武線を乗り継いで家のある埼玉の武蔵浦和から千葉県の西千葉に通っています。通学は大変なのは別にして予想外であったのはデザイン関連の学科は、図面を作ったり、模型を作ったりで非常に「場所を」とることなのです。
娘は自分の部屋では、図面を書いたり模型を作ったり出来ないため母が使っていた部屋を作業場として使っているのです。


私が帰国したので、再び小田原の母を「さいたま」の我が家に迎えたいと思っているのですが、娘の作業場も確保しなくてはなりません。そこで検討の末、背の高い「ロフトベッド」を娘の部屋に導入することにしました。これまでの使っていたベッドのスペースを3次元で活用しようというものです。狭い部屋なので寸法が調節できるようなロフトベッドをインターネットで探し出し、通信販売で注文して既に届いています。後は娘が自分の部屋の掃除・整理した後、ロフトベッドを組み立てて部屋に入れること。この土曜・日曜に頑張るつもりです。学年末試験中の娘の作業が大変なので進むかどうかはそれにかかっています。
頑張れ!!!娘。



2006年02月02日(木) 上海料理

昨日大学時代のサークル仲間との懇親会がありました。私の卒業年次の数名と一つ下の卒業年次数名。卒業以来始めて会うという人もいて時間があっという間に過ぎてしまいました。
料理は上海料理で、店のは赤坂の「上海大飯店」。某新聞社の中国(北京)駐在をしていた幹事のお勧めです。北京にある上海料理レストラン「崑崙」からシェフを迎えているのだそうです。北京にある上海料理というのも面白いですが東京みたいに何でもあるのでしょう。非常に上品な味で洗練されている感じでした。その幹事氏は、タイのバンコク中国の北京に駐在していたのです。
どちらも料理が美味い。うらやましい限りです。

そこだけ比較するとスリランカのコロンボとインドのムンバイに駐在した私は、少なくとも「味」には恵まれていなかった。

食事をしている最中に地震がありました。長い揺れでした。私は地下鉄で赤坂見付から新橋に出ていつものJRで帰ってきました。北行きは混んでいるものの動いていて11時半頃には家に尽きました。横浜方面の南に帰った人達は大変だったことでしょう。




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