アパートの老番犬「ダボ」の雄姿です。いつも殆ど横になっているのですが、今日久しぶりに歩いているところに遭遇したので写真をとりました。犬は大きくなるのも早いですが老いるのも早くて老化が進んでいます。のんびり長生きして欲しいです。
さていよいよ11月。ニューデリー移転です。といっても当面月の半分・半分をムンバイ・ニューデリーで過ごすという試みです。そのために、ニューデリーに比較的安い「ボーディングハウス」を借りました。この時期ホテルは観光シーズンでとても高くて費用が嵩みすぎるのです。ムンバイのアパートの契約が来年1月まであるので、ムンバイにも月半分帰る予定。しかしどの程度の荷物をニューデリーに持っていくか、これが問題。不便な生活も嫌だし。 と考えている矢先にニューデリーで爆発事件です。デワリ買い物客で賑わうニューデリーの下町が狙われました。全く卑劣です。庶民それもそれ程裕福でない人達が集まるマーケットを狙うなんて。少し前アメリカ人の集まる施設に対するテロ警報がでました。今度の事件はそれとは全く関係ないのかしら。
大分遅れましたが写真掲載。上は、前回日本からの帰り便でいっしょになった「三つ子ちゃん」です。シンガポールからムンバイまで一回も泣き声を聞きませでした。しっかりした3人兄弟です。両親がとても幸せそうでした。
木曜日の午後から金曜日の朝にかけて、お客様の通信回線故障で大変な苦労をしました。大切な通信回線なので、メイン回線故障に備えてバックアップ回線もあるのですが、メイン回線に続いて、バックアップ回線もダウンしてしまったのでした。つまり、お客様はデータ送受信に関して孤立状態。
木曜日午後2時頃からいろいろな業者を呼んで修理にあたりました。というのも、メイン回線は我が社提供でバックアップ回線は日本のK社提供。ルータの保守はムンバイのD社(インド企業)が修理可能なのですが、日本から指示がない限り動かないというもの。
我が社の東京の監視センターは最初から故障は知っていましたが、東京のお客様指示で、木曜日の業務終了までは、現地にコンタクト禁止の要請を受け、私には連絡せず。お客様東京本社はバックアップ回線が生きているとでも思ったのでしょうか。現地お客様情報で故障を知り私がお客様オフィスに向かったの午後4時頃でしょうか。
実は私のオフィスとお客様オフィスは約200m程度の近距離。それから復旧作業に参加しました。私は技術者ではないけれでも日本語が話せる。技術者でない分全体の状況を把握できるし業者間の調整が主な役割を考えました。案の定、各事業者は、自分の責任範囲内をチェックし始めます(それはそれでいいのですが)。原因が特定できないので何回も試験することになります。
東京のオペレーションセンタ(我が社、K社、お客様)を巻き込んでの試験作業の繰り返しです。お客様東京本社の要請でルータ保守業者が現地に到着したのは夜10時過ぎだったと思います。自宅に帰っていた技術社を私の車を向かえに送り急遽駆けつけさせたというもの。
この技術者も参加しましたが彼によるとルータにも異常がないという。そうこうしている中に深夜12時です。明日の営業開始まで後9時間です。私はこのままメイン回線復旧に没頭していては、もう一日影響が出かねないと判断し、メイン回線復旧を一旦あきらめ、バックアップ回線(K社)の復旧作業に集中することにしました。
お客様側の技術者(インド人)は非常に優秀なのですが東京のK社監視センターと衝突していたのです。バックアップ回線の故障は東京のK社設備の不具合によるものだったのですが、言葉の問題とK社センタの監視員のインドと状況に対する理解不足があり修理できない状況でした。私が代わってK社監視センタと直接日本語で対応することとしました。
ちょうどインドに出張に来られていたお客様東京本社の「Nさん」もK社との対応に参加してくれました。K社の多摩にある装置の交換が実現したのでが深夜2時回っていたらかしら。そしてバックアップのISDN回線が復旧しました。このISDN回線を使って金曜日の営業を運転することにしし、メイン回線の復旧は持ち越して、一旦撤収することにしました。お客様宅をでたのは深夜3時過ぎです。 朝お客様システムの運転(バックアップによる)を確認し続きのメイン回線復旧作業にはいりました。冷静になって考えて、整然とチェックていくと、故障箇所の特定もできるものです。結局、回線のモデムのルータの接続箇所に問題があることが判明し、モデム交換の手配をしました。モデムはムンバイの電話会社提供のものです。
この交換によりメイン回線復旧の目処が立ちました(これが午後2時頃)。私はこれまでの故障の状況と関係者の対応状況、現在でもメイン回線復旧が可能であることを説明しました。最終的には東京も巻き込んで当日金曜日の処理は全てISDNバックアップで行い、(危険回避)当日終了後にメイン回線への切り替えを行うこととなりました。
その日の午後6時半、金曜日の業務をすべて終了してISDN回線からメイン回線に切り替え作業着手しました。念のため、昨日のルータ保守業者(朝4時頃帰宅)にも、立会いをお願いして最悪の事態に備えました。切り替えは無事終了し、午後7時には、メイン回線が運転再開しました。昨日は目が血走っていた技術者達も、この瞬間はなんともいえない素晴らしい笑顔でした。ルータ保守会社の技術者も、自分の保守領域云々は超えてお客様システム全体の復旧のために参加してくれました。疲れましたが、大変貴重な経験でした。
今日の土曜日は行きそびれていた床屋にいってきました。アパートの前からバスにのって(Rs4)、ケンプスコーナーの行きつけの床屋にいきました。ケンプスコーナーは、ムンバイでもお洒落な交差点です。東京でいうと六本木交差点かしら。
今日担当してくれた理容師さんはとても丁寧な方でしっかり鏡を見ながらバランスをとってカットしてくれました。インド人も丁寧な人は丁寧なのです。久しぶりに「髭剃り」、「洗髪」「ヘッドマッサージ」までしました。ところで私よりも遅くに「シーク教徒」の方が入ってきて、床屋の椅子に案内されてきました。
「シーク教徒」の方は「ターバン巻き」なのです。私はひょっとしてぐるぐる巻きのターバンを解いてカットを始めるのかと内心すごく期待しました。しかし彼は髭剃りだけのために「床屋」に来たようです。理容師の人はひときわ丁寧に準備をして髭剃り取り掛かりました。彼の髭は「のど」の部分まで生えた立派なもので、結構時間かけていました。
彼等(シークの男性)は人前では決して頭髪を見せません。カットもしないということは中はどうなっているのかしら。ひょっとして「禿げているのか」と疑ってしまいます。どうせターバンをするのなら髪の毛があろうと無かろうとあまり関係ないのではないでしょうか。 ところでニューデリーはムンバイとは比べ物にならないにくらいシーク教徒の方がいます。この前の出張で見かけたのがおもしろい「シーク教徒」のオートバイ運転。今年4月からインド全国でオートバイ運転手のヘルメット着用が義務化されたのでした。そうターバンを巻いているシーク教徒はどうするのか。シーク教徒はターバンを巻いていて安全なのでヘルメット着用義務は免除されるのです。しかしヘルメットは風防の役割もするのです。
ニューデリーで見かけたのはターバンに装着されるゴーグルのようなもの。特別性のようで、カッコ良かったです。でもターバンは転倒したとき安全なのかどうか保障はありません。来週月曜日からまたニューデリーの出張します。
先週末まで忙しいニューデリー出張でしたが、土曜日のアパート探しがキャンセルされてしまったので少しニューデリーの街中を見物しました。今回止まったホテルは「メイドゥンホテル」といって大変伝統のある(古い)ホテルで、デリーの北部にあります。
整備されたニューデリーとは全く別で要はオールドデリーにあるといっても良いのでしょう。このホテルからだとレッドフォートとか、デリーの繁華街(混雑ていると言う意味)のチャンドニー通りも近いのです。まず最初にホテルから歩いていける「チベットマーケット」「ラダック寺(仏教)」にいってみました。
そこはチベットの人達の集まっている場所です。マーケットの売り子さんたちは日本人みたいな顔をしている人が多いです。日本語が通じるのではないかと錯覚するほどです。チベット仏教はスリランカなどと同じで、日本とは違う小乗(この言葉は最近使わないのかしら)なのでスリランカ寺院と雰囲気は似ています。懐かしい雰囲気でした。
その後チベットマーケットの外のリングロード(東京の環七みたいなもの)で三輪車を拾ってレッドフォートに行きました。運ちゃんは「30ルピー」だというのですが、「20ルピー」に値切り、結局チップ込みで「30ルピー」払いました。「10ルピー」余計に渡すと運ちゃんは素晴らしい笑顔を返してくれました。レッドフォートの中は、様々なイスラム建築があるのですがもう少し整備すれば良い観光スポットになるのに残念です。 レッドフォート内のはずれに独立記念館があります。様々な写真に加えて「自由インド軍」を裁いた裁判の様子を実物大人形で展示しています。自由インド軍は「チャンドラ・ボース」に率いられ日本のインバール作戦に参加したのでした。結局圧倒的なイギリス軍に敗れて、終戦を迎え(インド独立前)レッドフォートで裁判が行われたのでした。
しかしこの裁判でインド独立のために戦った自由インド軍将校は無罪となり、さらにその勢いでインドは独立を勝ち取ることになったのでした。勿論、チャンドラ・ボースの写真も沢山展示されています。終戦から60年。チャンドラ・ボースの死から60年です。日本にある「ボースの遺骨」をインドに返し、きちんとした「チャンドラ・ボース」記念館が出来たらいいなと思いました。まだ時間がかかるかもしれません。
タイミング良く、良く日曜日にムンバイ領事館で来印されたある国会議員の方に会うチャンスがあったので、さっそくこのチャンドラ・ボースの話をしておきました。政治的な解決をして欲しいです。 最後にチャンドニ通りの「マクドナルド」で昼飯をとりました。最近の定番は「マハラジャセット」。二段ハンバーガー、コーク、ポテトで99ルピー(ノンベジ)ここなら生のレタスも大丈夫だろうと信じて食べています。インドでは絶対無理なのが吉野家の牛丼。誰か美味しい「ベジドン」を開発してくないでしょうか。
ニューデリーから更新しています。今回の出張はニューデリーで新しい住いを探すことだったのですが良い成果は得られませんでした。家族同伴の赴任ならば、ニューデリー市内にアパートを借りてローカルの人を雇えば、炊事・洗濯・掃除・買い物などこなす事が出来ますが、単身だと、アパートを借りても不便なことが多いのです。従ってサービスアパートメントを探すことになるのですが、外国人用の中・長期滞在用のサービスアパートメントはニューデリーにはまだ殆どないのです。暫くホテルに滞在するのが良いかも知れません。しかし、この時期のホテル代はバカ高いので、まだ悩んでいます。 ほんとうは、今日はムンバイに帰っている予定だったのですが金曜日の夜もニューデリーに泊まり今日(土曜日)に帰る事にしています。というのも、偶然にも「スリランカテレコム」の人達がニューデリーに来ていて、昨日の夜彼等のディナーに参加させてもらったからです。スリランカテレコムはインドの電話会社(BSNL社)と共同で、インド・スリランカ海底ケーブル敷設プロジェクトを推進中なのです。インドとスリランカの間は、一番狭い海峡で「300Km」だそうです。
今インドは「ダセラ・デワリ」のお祭りシーズンですが、ダセラの「悪魔退治」祭りでは、ランカの悪魔の王様「ラーバナ」が出てきます。ラーマ王が、さらわれた妻のシータを救いに、ランカに攻めていくのですが、その時に渡った海峡が「ラムスエラン・マナー(スリランカ側)」です。インドとスリランカはそこが一番近いのです。その海峡に今度は海底通信ケーブルが引かれます。無事の工事が終わる事を祈っています。
今日は、妻の誕生日であり、また私達の結婚記念日でもあります。誕生日おめでとうございます。随分長くお世話になっています。これからもよろしくお願いします(妻に) ホームページを開設したのが2000年。ADSL導入と同じタイミングだったと思います(違うかも)。従って25年間の中で、5〜6年は一応ブロードンド世界だけれど、20年間は単体パソコン、ダイヤルアップのパソコン通信程度のネット環境でした。ホームページ開設以降、掲示板機能とか、日記が流行り、今はブログです。
ついに音楽配信ができるようになりました。もっともクラシック音源はまだ少ないですが。デジカメを買ったのも、5年前くらいでしょうか(これも曖昧)。子供達の小さい頃の写真はすべてフィルムカメラです。実は、子供達のアルバムは小さい頃の写真でいっぱいなのです。というのも、清水、名古屋、東京、大阪、東京と引越しが多かったし、趣味の「お寺巡り」に家族を付き合せたからです。
当時デジカメがあってホームページがあったら非常に多くの記事が書けていたのです。残念ながら、今となっては当時の写真をみて懐かしむだけです。こうして日記をつけたり記事を書いたりしていると、写真だけでは味わえない「心持」を記録することができます。そして、コメントなどいただけたら、その時のネット人間関係の記録にもなります。そういう点で、個人の記録としてのインターネット環境は、非常に便利でありがたいものだと思います。
25年間に比べれば最近の5〜6年なんて非常に短いものですが、ネット環境の変化は大変なものでした。「PC−8001」の時代を考えると夢のような時代になっています。不安といえば、これからの変化に着いて行けるかどうかという事です。もっとも自分の中では肝心なのは「コンテンツ」だという気持ちはあるのですが。
朝、ヒンズー寺院が見たくなったのですが、家の近くでは思いあたるところはないのです。ふとエレファンタ島のことを思い出し、行ってみることにしました。昨年夏に行ったのですが今日はじっくり彫刻を見てくることにしました。
家からタージホテル近くのインド門の船着場まで30分。其処から渡し船で1時間です。上の写真はエレファンタの最も有名な「マヘサムルティ像」の右横の方にある彫刻です。シバ神とパルバティ神の仲むつまじいところを表しています。シバもパルバティも素晴らしい、「充実した彫刻」です。
ここの掘り出されている「パルバティ」は、少しはにかんだ様な「初々しい花嫁」姿です。悪魔を退治する凶暴なドルガー(カーリー)とは対象的です。女性の凶暴な面もキチンと認識する「ドルガー祭り」は非常に面白い祭りです。今は「ドルガ祭り」の最中だし、数日すると「我が家の結婚記念日」なのでこの彫刻を掲示することにしました。 インドでは、こうした予想外の発想に驚かされることがあります。「シバ神」が良い例ですが、「破壊の神」が創造に繋がる大切な役割を与えられています。「ラーマーヤナ」にでてくるランカの悪魔の大将の「ラーバナ」も悪魔退治の役割が与えられます。善が悪になったり悪が善になったり、そもそも何が善なのか判らなかったりします。ラーマがランカから助け出した「妻のシータ」は最後には身を投げて死んでしまいます。ハッピーエンドにはならないのです。
「マハーバーラタ」の物語もどちらの家族が幸せだったのか全く判らないのです。「勧善懲悪」などという単純な発想はなく正義が勝つこともない。という感じでしょうか。何千年続いているヒンズー社会の知恵でしょうか。 エレファンタ島ですが昨年はなかったのですが入島するときに「5ルピー」取られました。さらに例によって世界遺産共通で石窟入場には5ドルかかります。観光シーズンで、外国人観光客が沢山きていました。中国・シンガポールの旅行客が多いのですが、日本人らしき人は見かけませんでした。
先月はガナパティの祭りだったのですが今週は「ドルガ」祭りです。ガナパティ祭り同様に、市内各所に「ドルガ」の像が祀られています。ドルガ神はシバの奥様ですが、「怒った」「憤怒」「凶暴な」といキャラクターを表しています。「慈愛に満ちた」「やさしい」という性格のときは「アーマン」「パルヴァティ」と呼ばれます。
このドルガ神は東インドのベンガルで有名なのですが最近はインド全国で祭りが行われます。ムンバイでは同時にラーマーヤナに出てくる「ラーバナ」も祀られます。彼は「悪」の代表なのですが、ラーバナに世の中の全ての悪を押し付け、最後にラーバナを粉々に砕いてしまうのだそうです。身代わりですね。
ドルガも凶暴な性格なのですが、怒りとか恨みを飲み込んでくれるのです。そういう意味では慈愛に満ちた母親の性格をもっていて複雑なのです。今日8日の土曜日はドルガ祭りで「一日中踊りまくる」日なので「禁酒日」です。町のレストランではアルコールは出しませんし、酒屋さんはお休みです。 今日は一念発起して懸案の修理作業をしました。まず、海外旅行用のトランク。「取っ手」のところが壊れてしまったのです。車でサムソナイト直営店までいって修理に出しました。(自分で運転)上手く直ってくるといいのですが。
次に長野から持ってきたズボンの長さ調整をしました。亡くなった妻の父親のズボンをもらってきたのですが長すぎるのです。私は自分の父よりそして義理の父より足が短いみたい。近くの洋品店に行って直してもらいました。インドは、サリー・パンジャビ店がやたらに多く、ミシンで縫製する職人はいたるところに居ます。 残りはの懸案はパソコンの電源。(電源がコードの接続点が不安定なのです) 日本に一次帰国したときは、期間が短すぎて直せないし、インドで本格的に直せるかどうか不安です。もっとも、現在の電源の差込口も、旅行中のチェンナイで直したのですが。電源が入っている時間がまだ長いので、もう少し様子を見ます。
10月になりました。今年も後3ヶ月。随分早いような感じもしますが長かった感じも。10月からインドのホテルの値段が一斉に上がりました。10月から3月末まで、インドは観光シーズンです。海外からどっと観光客が訪れます。バックパッカーも含んで。昨年の今頃はホテルに泊まっていたのですが、インドに入国した9月からの契約をそのまま更新していたので安く泊まれていたのでした。 10月から新しいオフィスをニューデリーに開いたので出張が多いのです。しかしホテルが高くてしかも予約が取れないので苦労しています。これまで使っていたホテルの値段も倍近くになってしいました。同じ値段だと、かなりホテルのグレードを落とさなければならないのです。グレードを落として、問題になるのは、 ○朝食がインド料理しかない。(これは辛い) ○空調の調子がわるい(ない)・・・これはなんとかしのげる。 ○バスタブがない。インド式のバケツ行水になります。(これもOK) ○部屋に「蚊」が居て悩まされる。(これはつらい)
やはりインドはハードシップが高いですね。こういうホテルに住めない人は高い金を払って高級ホテルに泊まるしか方法がありません。
2005年10月01日(土) |
最近の出来事について |
日本に帰国などしていて慌しい日々でした。他の話題を記録しておきます。阪神がセリーグで優勝しました。いいチームになったと思います。投手陣と攻撃陣のバランスがいいです。後の話題といえば、巨人がこれからどうなるのかということ。星野監督なら面白かったのに。 帰国中に大相撲で「朝ショウリュウ」(探すのが面倒くさい)が優勝しました。琴欧州も強くなりました。これからが楽しみです。強ければ金になるので、他の発展途上国にも広げて欲しいものです。インドから関取がでることを期待しています。 シンガポール発ムンバイ行きの飛行機に、赤ちゃん3人を連れた夫婦が乗り合わせました。白人の家族です。赤ちゃんは1歳程度でなんと男の子の「三つ子」なのだそうです。とても大人しくてかわいらしい赤ちゃん達でした。シンガポール航空のアテンダントが、入れ替わりで世話をしていました。順番に子供を抱いて、機内散歩をしていました。夫婦もとても幸せそうな雰囲気なので、こちらまで幸せな気分になりました。今はとでも大変でしょうが、3人が大きくなったらお母さんはさぞ幸せだと思います。父親も十分ぬ子育てに参加している様子です。人口が増えるというのは、こういう状況にも敢然と楽しく向き合っていくことなんだなと思いました。
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