ゼロの視点
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2009年09月08日(火) 日活ピンク映画

 Les Halles にある« Forum des images »にて開催されていた 《L'Étrange festival》。変わった映画特集の中で、日本の日活ピンク映画などが数本、フランスにて初公開された。そのうちの一本、『性と愛のコリーダ(小沼勝監督/1977年/仏題Dans l'arène du vice)』を観に行ってみた。

 会場につくと、さっそくチケット売り場で問題発生。フランスによくある、運営の悪さの問題だ。たくさんの人が並んでいるというのに、チケットを買う人もモタモタ、売る人もモタモタ、というわけで、映画が本来始まる時間は大幅に遅れる・・・・・・。

 ようやく館内に入り、それなりにいい座席をゲットして、やれやれ・・・と、ホッと一息ついたあと、どんな人が会場にきているのかじっくりと見渡してみた。

 男性客の数は、90%以上♪。単独男性の嵐という中、単独女性客がポチポチ。この回には、カップルはほとんどいなかった。

 この単独男性客の雰囲気がまたなんともいえず、ちょっと薄汚いような、垢抜けないようなオッサン&オッサン予備軍がうじゃうじゃ、って感じで、妙に微笑ましい感じ。フランスアニメオタクとは、明らかに一線を描く、なんともいえない客層だ。

 個人的には、アニメやゲームに詳しいフランス人たちとは、幸か不幸かあまり知り合うチャンスがなく、どちらかといえば、日本文化などの、いわゆるフランスでいう《ZEN》などを、ききかじったり研究しつくしちゃってる人などに知り合いが多い私。

 ま、端的にいえば、知り合いに若い人が少ないってだけなのかもしれないが・・・・(汗)、この会場には、どっちかというと、なんちゃって《ZEN》系の人が多かったように思われる。

 今回公開される数本のピンク映画に、フランス語字幕をつけたフランス人本人が舞台挨拶をしたのだが、また、この人が日活について、ものすごく詳しい。あまりにも詳しくて、聞いているうちに笑いが止まらなくなってしまったほど。

 女優や俳優や監督の流れから、日活がどうしてすたれていったか?、ということまで、あまりにもコアすぎる話で、途中からついていけない人があくびをしはじめる始末。夫も、コアすぎる話に飽き始めたうちの一人で、ガサガサ、バリバリと騒がしくカバンの中の整理をしはじめたほど。

 さて、本編のほうは、くっだらねー映画で、そのくっだらなさを敢えて楽しむ作品、って感じのモノだった。ま、これが小沼監督らしさなのだろうが、この感覚は、時に笑うに笑えない痛さを伴うこともあるわけで、この痛さが続くと、腹立たしさに変わっていくのか、結構な人が映画途中に席をたって帰っていった。

 私の隣にいた、まだ30代にもいってなさそうな青年は、終始爆笑していたので、きっと小沼作品フリークなのだと思われる。個人的には、まだ売れてない頃の俳優・本田博太郎が、職もなく、今で言うプータローのどうしようもない青年役で熱演しているのが、なかなか笑えて楽しめた。



2009年09月05日(土) 事故目撃

 昼下がりに、マルセイユから数日間の予定で、パリに上京中の友人STと、マレ地区のカフェでどうでもいい話にハナを咲かせていた時のことだった。突然、激しいクラクションの音がしたと思ったら、そのお次はすごいブレーキ音。

 なんだ、なんだ?、と音のするほうをみると、ブレーキを踏み込んでいるものの余力で進んでしまうスクーターの姿が・・・・。そして、そのスクーターは交差点に進入してきたクルマの右脇に一直線に突入していった。そして、スクーターがクルマの激突した瞬間、スクーターの運転手が、体操の技のムーンサルト状態で、スクーターから吹っ飛び、あっという間にクルマのむこう側に消えていった・・・・・・・・・・・・。

 あまりにも突然のことだったので、スクーターとクルマのどちらが悪いのか?、などということはまったくわからず。とにかく、目の前でスクーターの運転手がふっとんでいったこと事態の衝撃が強すぎた。私や友人STをはじめ、カフェにいた人たちは、皆、ただボー然と事故車両の方向をみつめていた。

 しばらくしてから、それでも吹っ飛んでいったスクーターの運転手がどうなったのかが気になったので、友人STと交代で(荷物番)、野次馬をしてみると、派手な事故だったわりにスクーターの運転手は、無事でちゃんと立ち上がって、警官と一緒に実況見分していた。ああ、よかった・・・・。

 さて、この日家に帰ると、夫もすごい事故を目撃してたことがわかった。それも我が家の前の通りにて・・・・・・。こちらの事故のほうは、徒歩の人間をクルマが吹っ飛ばしたようで、道路の真ん中で倒れていた被害者は、血まみれでピクリとも動かなかったそうだ・・・・・・・。

 奇しくも同じ日に夫婦揃って、それぞれ違う場所で事故を目撃するとは、なんとも不思議なこと。事故に注意せよ、というメッセージなのだとうけとめて、あらためて気をつけて生活しなくては・・・・、と思った次第である。



2009年09月02日(水) 代謝の減退

 小さい時は、まったく泳げなかった。小学校に上がっても、泳ぐことはできなかった。そんな夏休みのある日、母の妹の夫=Mおじさんとその二人の娘と一緒に、埼玉県飯能市にある名栗川というところに私は連れて行かれた。

 母は水に入るのさえ嫌いなタイプで、私をすっかりMおじさんにまかせっきりにして、川岸で私たちをみていた。私は、川の中で水遊びをする程度の気持ちで水に入っていったのだが、実は、これが違っていた・・・・・・。なんと、恐怖の水泳レッスンがこれからはじまろうとは、その時の私は思ってもいなかった・・・・。

 軍人あがりのMおじさんの教えは厳しい。軍隊式ってのはこれまでに経験したことのない私にとって、それだけでも恐怖なのに、怖いMおじさんは、私の頭を押さえて水に突っ込ませようとしてくる!。

 お、お、おにーーーーーーーーーーーーーーー鬼、鬼、鬼!!!!!!!。って感じで、アタマを押さえつけられるたびに、ブザマにもがき苦しむ私。そんな横で、Mおじさんの二人の娘は、それはそれは徹底的に調教された水族館のアシカのように、Mおじさんの指示に従って、潜ったり、泳いだり、飛び込んだりと、二人揃って見事にこなしていく・・・・・・・。

 『怖いことはない、簡単だからやってみろ!』と、鬼軍曹のようなMおじさんは言うが、水も怖いし、おじさんも怖いんだよ〜、助けてくれ〜っ!!!!!、というのが本音であり、やってられるか〜っ、という感じだった。

 川の名前は名栗川と書いて、なぐりがわ、と読むのだが、耳からしかこの川の名前を知らなかった私は、てっきり《殴り川》なんだと、信じて疑わなかった。そのくらい、この川での恐怖体験は、長いこと尾をひいたものだった。

 それでも、小学校3年にもなってくると、泳げない自分というのに嫌気がさしてきたこともあり、プール時間では、プールの角などでひっそりと顔を水につけたり、バタ足やったりして、徐々に水に慣れていくように自分なりに、努力するようになっていった。

 小学校4年にもなると、クラスで嫌いだった子が泳ぎが得意なことに気づいて、なんとかしてコイツを・・・・、みたいな意地が出てきて、必死に泳ぐまねをしているうちに、泳げるようになっていった私。この頃から、水泳が大好きになりはじめ、スイミングスクールにも通うようになりはじめた。

 自分で泳げるようになってからスイミングスクールに行く、というのが、なんとも自分らしいともいえるのだが(笑)。ま、それほどまでに、他人に無理強いされて教えこまれることがトラウマになっていたのだと思う。

 小学校高学年から中学校までは、水泳の時間はなんちゃってスター気分でいられるレベルになっていたのだが、たまたま入った高校にプールがなかったことをきかっけに、水泳とは離れた生活を送るようになっていった。そして、気がついたらヘビースモーカーになり、夜昼逆転の生活を送り、不摂生のかたまりのような人間になっていき、いつからか、水泳なんて言葉は、私の生活から跡形なく消え去っていった。

 そして、26年のブランクを経て現在、再び泳ぎだした私。タバコをやめて早4年ということもあり、呼吸もらくらく、昔ほどではないにしても、それなりに体力がついてきたように思う。だが、いい気になって昔のようにバタフライしようをしてみたら、一発で足がつってしまった・・・・・・(涙)。

 食事量をちょっとやそっと減らしたところで、代謝がどんどん悪くなってきているので、そんなに簡単に昔のように肉をおとせない42歳・・・・・・(汗)。昔は、スポーツジムとかに通う人たちをコバカにした目で見ていた自分がいるのだが、今になって、こうやって金を払ってでも身体を動かさないかぎり、脂肪がびくともしないヤバイ年代に、自分もとうとう突入してしまったのだ・・・、というのをひしひしと感じる昨今である。 あーーあ・・・・・・・。



                魅惑的なテーブルには、注意!    


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