ゼロの視点
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2007年11月30日(金) メランコリー

 パリの家に戻ってきて、日本から運んできたスーツケースを開けると、中からプゥーンと実家の香り・・・・・・。その香りで、ふとまだ自分が実家に、そして日本にいる錯覚に陥るのだが、窓から外をみると、確かにパリ。

 一方、日本にやってきた時は、スーツケースを開けると、中からプゥーンとパリの家の香りがして、それはそれで妙な錯覚が発生するのが常。特に、忘れ物などをしたときは、各家にいながら、もう簡単には戻れない各家の残り香を嗅ぎながら、もどかしい思いをすることになる。

 これらの香りに包まれながら、私はこれから先どのくらい、この近くて遠い、悩ましいまでに恋しく、数時間前までは私自身と一緒に確かに存在した、今いるところではない所の香りを嗅ぎ続ける生活を送るようになるのだろうか?、と自問。ま、もちろん・・・・、自分で選んだ生活とはいえ・・・、だ(汗)。

 香りだけでも混乱することが全てを象徴するように、ひとつの国の世界にドップリ浸かって生活したあと、またもう一つ別の国で、ドップリ浸かり直す生活。一度リズムにのってしまえば、そりゃ大変楽しいのだが、生活を切り替えるたびに、それなりの代償・・・・つまりは、かなりのエネルギーを消耗することになる。

 今、この瞬間を燃焼し続ける・・・、という生き方が理想だとすれば、両国を行き来する度に、私は、今、この瞬間にいられないジレンマに陥ってしまう・・・、というわけ、だ。いずれにせよ、徐々に通常運転に戻っていくのだが、それにしても、年々キツクなってくる。

 以前は、自然の移り変わり等にも全く興味がなかった私。そんな私が、紅葉がキレイだなんだと、すっかり変わってしまったことでもわかるように、ヤバくなっているのだ(笑)。これが老いというものなのか ぁ?!?!?!

 若さと勢いで、いとも簡単に割り切ってきたものも、少しずつ割り切りにくくなり、紅葉を見ながらそれに人間の人生をなぞらえ、母はもう枝から落ちる寸前の葉なのだな・・・、と想像してはため息をつく。

 また父方の従姉ES嬢と一緒に河口湖で紅葉を見たときは、《私、今、紅葉してんのねぇ・・》という彼女の発言を耳にしてしまうと、ふたまわりも年上の彼女が、順番でいけば私よりも先に逝ってしまうのだ・・・、と想像し、またまたため息。

 嫌い嫌いと宣言し続けている姑も、いつかいなくなってしまうのか?、と思うとなんともいえなくなってくるし、ここ数ヶ月、身近な人が立て続けに癌になって生死を彷徨っていたりするのも、また私を切なくさせる。

 そんな時、ラジオからとってつけたようなタイミングで、イヴ・モンタンの枯葉が流れてくる・・・・(笑)。やめてくれぇぇえっ。で、その後に、レオ・フェレの《Avec le temps》が追い討ちをかけてくる・・・。

 おいおいおいっ、一体なんなんだ、このラジオォ?!?!?!、私に喧嘩売ってるのかぁぁあっ?!?!?!?!、と怒ってみたら、身体中にエネルギーが沸いてきて、さっきまでのメランコリーが嘘のように、すっかり元気になってしまっていたゼロでした。




2007年11月27日(火) 昭和一桁

 朝は、友人MT嬢にリムジンバス乗り場までクルマで送ってもらい、バスの中では恒例の爆睡、あっという間に成田空港に到着。


 さて今回は、フランス西部在住の日仏夫婦の、日本人妻M嬢の両親のお供をすることになっている私。M嬢曰く、『成田に到着しただけで、外国に来た』と勘違いしかねない、昭和一桁の彼女の両親。そんな彼らの少しでも役にたてれば・・・、と思って、今回“同伴”を申し出てみた。

 私も昭和一桁の母のことで、友人らは本当に感謝してもしきれないほど、色々ヘルプしてもらっているが、今度は私が誰かのヘルプをする番・・、というわけ。

 きっとあの人達だ・・・、と、遠くから目星をつけた夫婦の行動を観察してみる。すると、女性のほうが男性に荷物番をさせて、何処かへいってしまった。で、全然帰ってこないのだが、いったいどこへ??!?!?!、と思いつつ、取り残された男性のほうに徐々に近づいていって、ようやく声をかけてみる。

 と、やっぱり、彼らがM嬢の両親だった。で、M嬢の父君と挨拶を交わしているうちに、母君が戻ってきた。娘に頼まれたという干物を探して、母君は長いこと空港内を彷徨っていたことが判明。

 彼らはすでにチェックインは済ませていた模様で、手元には機内に持ち込む予定の旅行カバンを各自ひとつづつ。キャスター付のカバンでないが、なんだか結構重そうだ・・・。何が入っているのか?!?!?!、と、顔にこそ出さないが、興味津々だった私。

 そしてその重そうな旅行カバン2つを、日本男児として抱えて歩いているM嬢の父君。そんな彼の前を、私はM嬢の母君とお喋りしながら、荷物検査のところまで歩いていく。そして、荷物を預けて、いつもようにチェックを受けて、さて、M嬢の両親の様子は?、と後ろをふりむくと・・・・・・・・。


  あの“重そうな旅行カバン”の秘密が、今、明かされる・・・・・


 という感じで、検査員の要請をうけてしまったM嬢の母君は、テーブルの上で、カバンを御開帳させられることになってしまった。

 すると、だ・・・・・。テロの一件で、液体関連の持込がダメになって久しいというのに、M嬢の母君、大胆にも手荷物の中に、《娘が大酒呑みだから・・・》と、日本酒数本に、自分が作ったという佃煮の瓶などがゴロゴロ・・・・・。

 あちゃーーーーーーー、と思いつつ、同時に《大酒のみのM嬢》の姿を思い浮かべてみる・・・・。貴女の日本酒が成田まで運ばれてきた・・・、というのに、貴女の口に入ることなく没収されたと知ったら、どんなに悔しがることだろう・・・・、と想像みたが・・・・・。

 いやあ、だめだ!、なんとかして日本酒を大西洋まで運ばなくては!!!!、と、妙に使命感に燃えてしまって、色々と粘ってみた。M嬢の母君も最初のうちは、没収されるがままだったのに、やる気になってきたのか、検査員の人にさりげなく交渉しはじめた。

 おまけに、どこからどうみてもテロリストのわけがないM嬢の両親、検査員の人も哀れに思ってか、もう一度チェックインカウンターへ行って、この酒瓶を箱詰めにして機内預かりとして海を越える案を教えてくれた。

 そして、M嬢の母君は係員と一緒にカウンターまで戻り、無事手続き完了。こうして、近いうちにこの日本酒がM嬢の喉を潤すことが可能になった。

 母君としては、色々と荷造りしてみたのだが、瓶などをホイホイスーツケースに入れると、あっというまに20㎏を越えてしまうので、《ま、いっか》という感じで、今回の手荷物になった・・・、ということなのだが・・・。日本酒にもビックリしたが、自家製佃煮の瓶詰めには、なかなか感動させられたぁ!。

 そういえば、母君が検査員と一緒にカウンターに戻る時、《パスポートは各自お持ちください》と注意を受けた、夫の分と一緒にパスポートを握っていた母君・・・・。

 一瞬、その言葉に従って、パスポートを夫に預けようと思ったが、我にかえった様に、渡すか否か逡巡する母君の姿をみて、《預かってましょうか?》と私が申し出ると、《あ、お願いしますっ !!!》とホッとした表情をした彼女・・・・。


         もしかして・・・・・

         お父さん・・・・・・

         信用されてないんだね・・・・ ?!?!?!



 さて、もうひとつのカバンのほうも厳重にチェックされていたが、瓶などはなく没収されることはなかった。が、いずれにせよ、あの父君が抱えてきたカバンの両方には、すべて《娘のため》の品で埋め尽くされている・・・、ということだけはわかった。

 その後、出国検査を終え、マイルアップグレードでビジネスの私は、《パリに到着したらまた会いましょう!》と、M嬢の両親と別れてラウンジへ。飛行機にのったあとは、シャンパン数杯飲んで気持ちよくなった、フルフラットにして爆睡。そして快適なまま、あっという間にパリっ!!。

 飛行機から降りた後は、またM嬢の両親と合流。荷物をゲットした後は、M嬢との待ち合わせ場所である第2ターミナルのTGV駅まで、第1ターミナルから3人で移動。

 無事にM嬢に両親を引き渡し、御役御免。今度はM嬢にタクシー乗り場まで見送ってもらった後、2ヵ月ぶりで我が家に到着。晩御飯は、実家近所のスーパーで購入しておいたメンチカツとカニクリームコロッケ三昧。夫が、嬉しそうにムシャムシャ食べていた・・・・・・・。

 10月に一緒に日本国内旅行した77歳のMGも、よく考えてみれば昭和一桁(笑)。彼がフランス人だから、なかなかそんなこと思いつかなかったが、我が母、そしてM嬢の両親と、今回は昭和一桁に、妙に縁があったゼロでした。


2007年11月26日(月) 最後の一日

 週末の現実逃避モードとうってかわって、事実上、日本滞在最後の日となる今日は、朝から晩まで予定が詰めこまれている。慌てだしたら、自分でも用事を忘れそうなので、あらかじめ本日の時間割り予定表を綿密に作ってから出かける。

 午前中に外での用事を終わらせ、一度家にもどり、最後の昼飯を作る。そのあと、キッチンを皮切りに大掃除スタートさせる。

 ついでに、近所のガソリンスタンドに愛車を置いてきて、洗車してもらう。なんといっても、これからはMT嬢に愛車を運転してもらうのだから、せめてものお礼に、ピカピカでガソリン満タンな状態を用意。これがプレッシャーになって、もう絶対MT嬢は運転しなくてはならなくなってしまうだろう、という罠。

 そしてピカピカになったクルマで、母のホームへ。ついつい彼女の部屋でのんびりしてしまい、ホームの人が今晩も一緒に食事してったら?、と誘ってくれたので、ちゃっかりその申し出を受け入れ、入居者のみなさんと最後の晩餐。

 どっちにしろ、ピカピカにしたキッチンをもう使用したくなかったので、今晩は外食か弁当?、と思っていたのだが、ナイスタイミングで、ホームの美味しい晩御飯にありつけたっ!。メルシー。が、かなりここでのんびりしてしまい、時間的にやばくなってきたので、しぶしぶここを立ち去ることにする。

 介護者の方々に丁寧に挨拶したあと、母には敢えて別れは言わずにクルマに乗り込む。ま、どうせバイバイっていったところで、母はすぐに忘れるだろうし、また時には、こういった言葉が不穏症状を引き起こすこともあるゆえ、いつも《ちょっと買い物いってくるね~》的な言葉を母に残して立ち去るのが常。

 そして、大慌てで買い物したあと、家に戻り、MT嬢と晩酌しながら、実家を不在にしている間に彼女にお願いすることの説明。それとクルマの車検証等の保管方法、保険の種類などについても説明。そしてMT嬢は23時頃帰っていった。

 その後、また連絡事項で友人らに電話したあと、午前零時からラストスパート。はやり、母のホームに長時間滞在したのが今になって響いてきている・・・(汗)。しかし、例外的に昨日のうちに荷造りを完了させておいて、正解だった。





         それにしても、明日の晩からは、

         もうここで寝起きができないのだ・・

         と思うと、なんとも切ないゼロでした 











2007年11月24日(土) 餃子

日本滞在最後の週末・・・・・・・・・・(涙)。


 先週の土曜日に夫がフランスへ帰っていったと思ったら、あっという間に自分の番が迫ってきている・・・。やっぱり、もっと滞在期間を長く確保しておけばよかった、と、マジで後悔するものの、変更できない予定が何点かあり、ドタキャンするわけにもいかず。おとなしく、予定通り帰らないとダメな展開に、非常にガックリ。

 それにしても、実家をベースにした日々がもっと欲しかったところ。近年、実家がどんどん好きになってきており、特に空き家になってからは、実家を自分仕様にかえつつあり、余計、実家大好きに拍車がかかってきている昨今。今回は、あっちこっちへ出かけることが多く、家でのんびりすることが少なかったのが、本当に寂しい。



なので、最後の週末も、どこにもでかけず、いつもように我が家で晩餐。これに限るっ!。



 やらなければならないことはたくさんある。が、それらを後回しにして、夕方になって突如、私は餃子作りに燃え出した。フードプロセッサーなどという便利はモノがない実家。なので、ひたすら野菜を切るべし、切るべし、切るべし。現実逃避度がかなり高いので、今日の餃子の味は期待できそうだ(笑)。

 具を皮で包んでいる作業中、ためしに数個、焼いてみたら、自分でいうのもなんだが、ものすごく美味しい♪。友人らが到着する前に、全部食べてしまいそうな勢いだったが、ここはぐっと我慢。しかし、近年で最高の出来?、というほど、これはいける。

 どうせ気心知れた女だけでの宴会、ということでニンニクもたっぷりな、ゼロ特製餃子♪。これで、皆でくさぁーく臭って、話して、呑んで、馬鹿笑いして、倒れるようにして寝るだけだっ。 もちろん、いつ倒れこんでもいいように、友人らは我が実家に到着するや否や、すぐにフリースに着替えるのが鉄則。

 そして、今晩もキンキンに冷えたシャンパンで宴会スタート。そして、この現実逃避の魂が盛り込められた、ゼロ特製餃子を口にした友人らは、その稀にみる美味しさに無言で食べ続け、あっという間に餃子が無くなってしまった・・・・・。



ということで、友人らを唸らせることに成功して、わたしゃ大満足。

もう近々また日本を離れるけれど、これからも色々とよろしく頼むっす♪。






2007年11月22日(木) 愛車の行方

 空き家管理と同時に、これから冬を迎える今、どうやって愛車をキープするか?、というのが私のきがかり・・・・。今年の春までは、親友MF嬢の夫に使ってもらっていたのだが、彼が会社のクルマを優先して使用しなければならなくなり、春以降、愛車はガレージにポツンと置かれたままだった。

 1997年末に、母が購入したこのクルマ。母は、私がメインで運転するだろうと思い、四駆なこのクルマを購入したのだが、翌年から私がパリで暮らし始めてしまったこともアリ、年数だけは経ったものの、走行距離はたったの28.000㎞。母は本当に近所の買い物くらいにだけクルマを使用していた模様。

 買い換える必要もないし、とはいえ、クルマがないのもやっぱり不便・・・・。が、維持費はばかにならないのだが、長期でレンタカーを使用した場合などを計算してみると、このままキープしたほうが無難?、ということにもなり、今まではなんとか持ちこたえてきた。

 おまけに、私はこのクルマに非常に愛着を持っており、手離すことを考えるとどうも気分が悪くなってくるから困る・・・・・・。

 5月中旬から9月下旬まで、誰にも運転されずにガレージにいた愛車は、何の問題もなく動いた。ま、夏の間だったので、クルマへの支障が少なかったのかもしれないが、今度は冬だ・・・、ううーん、頭が痛い。誰か時々運転してくれないかな・・・、と考えているうちに、とある人に白羽の矢がたった♪。

 近所に住むおさななじみのMT嬢。ふふふ、これでよし、とばかりに、大阪ロケを終えて昨日の晩からこっちに戻ってきている彼女に、さっそく話を持ちかけてみると、オッケーしてくれた、やった!。

 正直、こんなに簡単にオッケーが出ると思っていなかったので、またまた嬉しい誤算。というのも、彼女はついこの間までペーパードライバーで、どこへ行くにも彼女の愛車と称する、自転車を利用。クルマの運転は興味ないとすら言っていたからだ。

 が、夏くらいから運転する機会が増えてきたとのことで、この勢いでならなんとか運転を楽しめそうっ、ということで、MT嬢私の申し出を引き受けてくれた。そして善は急げとばかりに、本日の午後、私が助手席にのって、MT嬢が私の愛車の試運転をすることになった。

 さりげなく運転しているようでいて、なかなか緊張してそうなMT嬢。が、それに言及したらもっと緊張するだろうから、この時とばかりに携帯から色々な人にメールを打つ。忙しくてなかなか返信できないでいたのだが、こうやって人に運転してもらうと、目的地に行くまでにメールでアポなどを簡単に取れたりするから便利っ♪。

 MT嬢の運転で、とりあえず目指すは母のいるホーム。途中、道が狭くすれ違うのがやっとの道などでは、MT嬢、なかなか左側によれず苦しんでいたが、それでも無事到着♪。そして、家を片付けているうちに発見したぬいぐるみを数点、母に差し入れ。

 しばし母の部屋で3人でのんびりしたあと、またMT嬢の路上教習スタート。徐々に慣れてきたらしいMT嬢、ううーん、よかったよかった。あっちこっち走っているうちにすっかり暗くなってしまったので、本日は我が実家ガレージへの車庫入れ教習は、また後日・・・、ということにした。

 それにしても・・・、だ。MT嬢を選んだという時に、《白羽の矢が立った》という表現を使ったが、今、あらためて、それを辞書で調べてみると・・・・・。




白羽の矢が立つ 

①犠牲にされる (人身御供の俗伝による)
②多くの中から特に選び出される (悪い場合に使われる)

講談社・国語辞典より




ということだが・・・・・、
MT嬢は、人身御供なのかぁ?。





2007年11月20日(火) 空き家事情

 無理して母をホームから連れ出すこともない・・・、ということだったが、あまりにも天気がよかったので、昼過ぎにホームへ行き、母をピックアップ、クルマに乗せてちょっとドライブ。銀行での振り込みなどの用事も母と一緒に行ってみる。

 私が一人で近所を歩いていても、すぐ近くに住んでいる人を除いて、ほとんどの人が私が誰かわからない。が、母と一緒にいると、“あ、あれが○○さんとことの娘さんなのね・・・”という感じで、正体がバレてしまうことが多々ある(笑)。以前だったら、母だけじゃなく、故愛犬マルチンも近所で有名だったので、犬の散歩中にも正体がバレることが多かった。

 ま、別に正体がバレたところで支障があるわけじゃないが、昔は、そういうのが面倒くさかったのは確か。が、今は事情はかわり、なるべく私と母が親子であることを、色々な人に知っておいてもらったほうが、なにかと都合がいいので、面が割れる度に、挨拶したり立ち話をしてみたりと、できるだけ地域に参加するようにしている。

 特に、母がホームで暮らすようになってからは、実家は空き家。が、その空き家にたまに電気がついてたり、まったくついてなかったり、クルマがあったりなかったり、人がいた?、と思ったらもういなかったり、と、徐々に不思議な家になりつつあるので、近所の人も“????”と思っている人が多いのでは、と想像する。

 友人数人と従姉H嬢には合鍵を渡してあるので、たまに家に来てもらって空気の入れ替えなどをしてもらっている。しかし近所の人からすると、このメンバーが皆同い年くらいの女性ということもあり、誰が誰なのかわからなくて、またもや“????”と思っている人が多いと想像する。

 で、たまーにフランス人がウロウロしているし、H嬢の婚約者HF氏が黙々と庭で作業していたりすることもあるし、私が戻ってきていれば、夜な夜な人がやってきては、宴会の声が家の中から漏れてもくる・・・・。母と愛犬マルチンだけで暮らしていた時の家の様子とは、かなり変わってしまったことだけは確かだ。

 変化した・・・、というだけならまだしも、変わり者の家と皆に認識されたあげく、近所との交流もない・・・・、となってしまったら、基本が空き家を状況としてはよくないので、近所づきあいは欠かせないものになった。昔は、こんなことを自分がするとは考えもしなかったのだが・・・・。

 母とドライブのあとは、オープンカフェみたいなところで2人でカフェオレを飲んで、しばしボーっとする。そして、だんだんと寒くなってきたので、母をまたクルマにのせて、そのままホームへ送り届ける。

 ホームの玄関に入ると、ここで毎月1度発行されている《園内ニュース》が目に入ってきた。よくこの《園内ニュース》の表紙に、母がカバーガールのように登場する。傍目から見るとほとんどボケてみえない、元気そうな母の姿が、きっと《園内ニュース》の表紙には都合がいいらしい。

 が、今月の《園内ニュース》の表紙を飾っているのは、恒例のカバーガールである母と、なんと私の夫(爆)!!!!。カバーボーイか、カバージジイなのかはわからないが、とにかく、私の身内が表紙を飾ってしまってビックリ。先日の品川の水族館での写真なのだが、とうとう本格的に夫が準入居者扱いになってきた、と思うのは私だけか・・・?。


2007年11月19日(月) 嬉しい誤算

 午前中、昨日電話で依頼した《便利屋》の人が、雨戸の見積もりにやってきた。どのくらい吹っかけられるのか?、というツモリでいたのだが、またこの修理屋が人のいいオジサン。雨戸をみるなり、

《これ、完璧に治らなくても、ちゃんと使えるように直すだけでいいんでしょ?。大丈夫、なんとか直せると思うから、ね♪。全部取り替えるなんてことになると、費用もバカにならないからねぇ。とにかく、そんなことはやめましょうっ !!!!!》

と、素晴らしいお言葉っ!!!!!!!。いまどき、こんなにいい人というか、こんな商売でいいのか?、というくらい親切でビックリ。でも、まだ値段は聞いてないので恐る恐る尋ねてみると、このオジサンは、


《ううーん、出張費も入れて全部で、12.000円かな・・》


ええええええっ?
たったの12.000円?
それとも私の聞き間違い?


 が、それは聞き間違えじゃなくて、本当だった。スゴイお得っ。で、ついでに、と、突然ひらめいた私は、はずれかけた網戸や、調子の悪い呼び鈴の修理なども、全部このオジサンにお願いしてしまった(笑)。そして、オジサンはこれらをすべてワゴン車にのせて帰っていった。数日後までに直して持ってきてくれるとのことだった。

いやあ、それにして素晴らしい。世の中捨てたもんではないなぁ・・、と、ウキウキしてしまった。そして、近所のおさななじみMT嬢に電話して、この便利屋の存在を紹介すると、彼女も色々と壊れているものがあるので近いうちに依頼すると興奮していた(笑)。

 また、てっきり莫大な修理費を想像していた私は、雨戸を2回飛ばして破損させた友人YK嬢にも、“修理費があまりにも高額になった場合”に、ちょっとだけカンパよろしく・・、と思い連絡してた。が、この値段を聞いて、嬉しい誤算と、大変喜んでくれた♪。

 午後は、この件ですっかり気分がよくなった私は、銀行、郵便局などの用事を軽やかに済ませた後、母のホームへGO。今回はビデオカメラ持参でホームに行き、母の日常を色々と撮影。そんなことをやっているうちに日もすっかり暮れ、夕食の時間。

 今晩は母たちと一緒に夕食を食べさせてもらうことになっていたので、これまたビデオ撮影。決して格安なホーム・・・、というわけではないのだが、それでもこうして数時間過ごしてみるだけでも、ここがアットホームで暖かいところだな・・・、というのがよくわかる。

 おまけに、わたしはよくコソっと侵入するカタチでホームに来るのだが、それでも介護者の態度に変化もないし、いつもいつも感じがいい。第一、母が毎日満面の笑みで暮らしていられること、そしてそんな生活基盤を提供してくれていること自体がスゴイ。

 昼食な何度かこのホームでとったことがあったが、夕食は今回がはじめて。入居者は皆、入浴も終えパジャマで決められた席に座って、食事が運ばれてくるのを待つ。私は、母の隣に座り、皆と一緒にテーブルを囲む。介護者と入居者のやり取りなどがとても面白いので、どんどん撮影させてもらう。

 美味しかった晩御飯の後は、各自できる範囲の仕事をはじめる。洗濯物を干す人、食器を拭く人、車椅子の人はテーブルの上で洗濯物を畳むなど、それぞれが働く。この晩は、母は洗濯物を干す係だった。こういうのをちょっと遠くから見ていると、授業参観みたいだなぁ・・、と思った。

 親と子の立場は逆転してしまったのはなんとも因果なことだが、とはいえ、こうやって母の暮らしを観察するのもなかなか悪くないなと思ったゼロでした。


2007年11月18日(日) 木枯らし1番

 昨晩から泊りがけで来ている MF嬢が階下で動き出した音で、目が覚める。そして、時計をみると・・・・・、なんと、昼過ぎ・・・・・。いやあ、しかしよく寝た。が、なんとなく半日損をした気分で、慌てて下におりていき、ご飯の支度。

 いい天気なので、家中の窓をあけて網戸にして換気。ところが、だんだん風がつよくなってきて、いつの間にかとんでもないことになってきた。そう、木枯らし1番が吹き始めたのだ・・・。実家の目の前は、某学校なのだが、校庭の枯葉が宙に激しく舞っている。

 そんな模様を、窓からじっくりみてみようと顔を外へ出した瞬間、右上方からポスターのようなものが、“ヒラリっ”とはがれ落ちていく様子が視界に入ってきた。それにしても、大型のポスター?、どこから?、等と思ったのもつかの間、それがポスターじゃなくて、我が実家の2階の雨戸だということに気がついて、大慌てで外にソレを拾いに行く・・。


 わが実家の雨戸の多くはストッパーが壊れたままになっていた。が、皆それに慣れていたので、ストッパーがなくても不自由なく生活していた。が、昨年の冬に、たまたま泊りがけで遊びに来ていた、友人YK嬢が、気を利かせて朝、1階の雨戸を開けてくれたのだが、彼女はこんな我が実家の事情は知らないから、思いっきり雨戸を外して、落としてしまったのだった。

 それも2回・・・・・。ま、そんなこともあるよ、わはは♪、と軽い気持ちでいたのだが、どうも雨戸が落ちた箇所が固く歪んでしまったらしく、その夜に雨戸を閉めようとしたら全然閉まらなくなっているのを発見、パニックになったものだった。

 というのも、その時、私は翌々日の早朝にはパリに戻ることになっていたから・・・。長期間不在にする家の雨戸が壊れたまま・・・、というのはどうにも耐えられない。が、修理するにも時間がない・・・、どうする?、と、YK嬢とない知恵を絞りだした結果、1階と2階の雨戸がほぼ同じ大きさなので、それを取り替えて、とりあえず1階部分の雨戸だけでもキチンと閉められるようにしよう、ということになった。

 結局、それでも時間切れで、私は雨戸の入れ替えすらできないままパリに戻ってしまい、私のかわりに近所のおさななじみMT嬢が、後日私の実家に入って、雨戸を交換しておいてくれた。

 そして、その応急処置のまま、本日に至っていたのだ。1階から2階へ移った雨戸は、少しだけ小さいので、ヘタな開け方をすると、雨戸ごとスッポリと外れやすいことは百も承知だったので、そうならないように注意していたのだが、今回の木枯らし1番で雨戸がずれ、吹っ飛んでしまったのだった・・・・・・。

 
それにしても、ふと私が顔を出した瞬間に雨戸が落ちるとは・・・・!。



 幸い雨戸が落ちたのは、庭の中・・・・。これが道路側に落ちて、なおかつ、人間の上だったりしたら・・・、とMF嬢と想像してゾォっとする。それにしても、さすがに2階から落ちたので、雨戸が完全にねじれ、歪んでしまった・・・・・・。

 今回は帰国までにまだ1週間以上あるから、余裕。でも、金銭的には打撃・・・・。板金に出すのか?、それとも古い雨戸だから、この際全部取り替えろとか業者に言われて、泣く泣く大金を払うようなことになるのか?、と、資金繰りを考えはじめ、どんどんどんよりしてきた私。

 さっそくネットで雨戸の値段とかを調べてみるが、よくわからん・・・(涙)。そのうえ、どんなところに修理を依頼していいのかも、よくわからん・・・・(号泣)。わからんづくしで、しばしボーっとしていたが、それでも人の上に落ちて慰謝料とか払うようなことを考えれば、安いものだ・・、という結論に至り、どんな出費になろうとも、なんとかして捻出しようと決めた。

 そして、ふとそんな時、以前に某ホームセンターがはじめた《便利屋部門》が出来た、というチラシを見たことを思い出し、さっそく電話。腹をきめると、こうもアタマがさえてくるのか?、という感じだったが、思ったとおりここの《便利屋部門》で、雨戸修理をやってもらえることになった。やったぁ!!!!!!。あっという間に解決っ♪。

 相変わらず値段については見当もつかないので、戦々恐々としていたものの、それでも目処がなんとかたったので、とりあえずホッとしたゼロでした。


2007年11月17日(土) 夫、帰国

 結局、昨日は午前2時過ぎまで荷造りしていた夫・・・・。その上、今朝は早朝から起こされて、夫はフラフラしている。が、私も、ちょっとフラフラ・・・・。朝食をとった後、2人ですごすごと夫の荷物をクルマに積んで、リムジンバスが来る、最寄り駅まで出発。

 最寄り駅に着くと、すでにバスは到着していて、夫はせっせと自分の荷物をクルマから取り出し、あっという間にバスに乗り込んでいった。その間、私はクルマから降りることなし(笑)。ちょっとでも降りたりしたら、駐車違反とかやられそうなので・・・・。

 ということで、あっという間に夫は成田へ向かっていった。これで、私も急いで家に戻って、二度寝できるっ!!!!、というわけで、猛スピードで帰る。以後、昼過ぎまで記憶なし。留守電マークが点滅しているので、メッセージを聞いてみたら夫からだった。無事に手続きも済ませ、後は飛行機にのるだけ・・、とのこと。で、時計をみたら、もうとっくに飛行機が出たあとだった・・・(笑)。

 午後は、母のいるホームへ出向いて、3時間くらい母と彼女の部屋でのんびりと時を過ごす。また、母のベッドを独り占めして昼寝しそうになったが、今回はやめておいた。その後、入居者の夕食の時間になったので、私はおいとまする。

 夜、親友MF嬢がフラッと泊りがけでやってきたので、つもる話をしながら、二人で酒盛り♪。ひっさしぶりに、通訳する必要もなく、日本語だけを思う存分話して、飲んで、楽しむひと時を満喫したゼロでした~。


2007年11月16日(金) 箱根神社

 8時前には起床できていたものの、結局すぐに出発できず、10時にチェックアウト・・・・。それにしても、なんでいつも、出発が10時になってしまうのだろうか・・・(汗)?!?!。荷造りもせず、教育テレビのアルゴリズム体操なんかを見てたからか?。

 本日は、きのうとうってかわって陰鬱な曇天・・・・。海岸線を走ってるというのに、海も空もグレーで昨日みたいにハイになれない(涙)。それでもめげずに、ひたすら進み、本日の目的地・箱根へ。パールロードから湯河原、そして箱根峠から芦ノ湖スカイラインを通り、まずは箱根の町を高台から見下ろしてみる。

 今日から急激に冷え込んできた模様で、箱根峠付近はとても寒い・・・・っ!。ガスがかかっていて、たいした景観ものぞめないので、すぐにクルマに戻って、桃源台のほうへ降りていく。そして、元箱根の箱根神社参拝。

 関東首都圏に住んでいる人間ならば、フラッと日帰り、または1泊2日くらいで箱根に足を運ぶことが多々ある。私もご多分に漏れず、何度もここに来ているのに、まともに箱根神社を参拝したことがなかったことに気がついた。芦ノ湖に浮かぶ大鳥居なども、遊覧船の中からとか、ドライブ中に目にしていたものの、その真下まで来たことがあったか?、と自問してみれば、それは定かではない。

 実際に箱根神社に足を踏み入れてみると、なんとまあ、ここも強力なパワースポット?、と、気がついた。(←そのくらい下調べしてこいよ、という感じだが・・・)。そもそも神社仏閣のあるところ自体、パワースポットなのだろうから、それ自体をとりたてて大騒ぎすることはないのだが・・。

 しかし、とても心地いいところだった。そして夫の御朱印帳の最後をかざったのが、箱根神社となった。そして、大鳥居を遠くから眺めるような位置にある蕎麦屋にて、遅いランチ。いつもだったら、ここから大鳥居と芦ノ湖、そしてその奥に富士山がどどーん、と見えるらしいのだが、曇天にてアウト。ま、昨日、堪能したからいいけれど、ね・・・・。

 ここで15時くらいまでのんびりした後、ゆっくりと帰路につく・・・・(涙)。国道1号を走っているときは、まだ景観がキレイで、日没前だからドライブを楽しめたが、以後高速に入ってからは、夫は助手席てひたすら爆睡。実家の近所にきて彼は目を覚まし、《意外に帰りは早かったね♪》とのたまった・・・・。

 夕飯の買い物や、明日の夫の成田までのリムジンバスチケット購入など、色々な用事を済ませた後、ようやく実家に帰宅。散らかり放題の自分の私物を前に、俄かにパニくりはじめた様子の夫。意味不明に家の中をウロウロしているが、ま、荷造りがんばってくれたまえ♪。

こうして、夫の日本滞在最後の夜が過ぎていった・・・・・・・・・・。


2007年11月15日(木) 西伊豆

 昨日のドライブが妙にツボにはまってしまった私達・・・・。でも、夫がフランスへ帰るのはあさっての早朝・・・・。で、どうするか??!?!?、と、ちょっとだけ迷ってみたものの、結局、旅行したい衝動は抑えることはできずに、朝10時にクルマで出発。

 目指すは御殿場・沼津経由で、西伊豆っ♪。巧妙に飛ばして運転していったので、昼過ぎには沼津市内を抜けて大瀬崎に向かう道へ入ることができた。それにしても、ものすごくいい天気で、富士山がすぐそこに見える素晴らしさといったら・・・・・・・っ!!!!!!。

 これだよ、これっ、と夫婦で興奮。夫は助手席から2台のカメラで交互に富士山の写真を激写。一体、何枚富士山の写真撮ってるの?、というぐらい、ずうっと写真を撮り続けている・・・・。しかし、来た甲斐があったというもの、そのくらい私ですら感動できる絶好な旅行日和。

 大瀬崎のパーキングに車を止め、ブラブラと散策。ビャクシンの樹林が生い茂った中にある、大瀬神社は私が大好きなスポット。もしかすると、この前の旅行で、みてまわったすべての神社仏閣をくらべても、ここが一番私にピンとくる・・、そんな何かがあるところ。

 それにしても、ここはパワースポットなのかしらないが、風一つない、真っ青な空の下、ボーっとしていると、ゾクゾクとなんともいえないエネルギーを感じる。これが、たまらなく好きで、定期的にここに戻ってきたくなるのだが・・・・(笑)。

 昨日の夜まで、まさか自分が本当にここに来るとは思ってなかったが、夫もここを大変気に入ったらしく、長いことここでボーっとしていたいらしい。《龍安寺より、こっちのほうがいい♪》等と夫がいうので、思わず爆笑してしまったのだが。ま、もし私が夫のように何かと敢えて比べるならば、《鞍馬山より、こっちのほうがいい♪》という感じだろうか?。

 ここにずうっといたかったものの、日没の時間が日に日に早くなっている昨今、もう少し移動しようということで、泣く泣く大瀬崎を離れ、車にのりこむ。大瀬崎から戸田までの、くねくねとした細い道。富士山が顔を出したり、いなくなってしまったり。木漏れ日がキラキラと美しく光ったり。

 これを宇宙と一体というのだろうか?、そのくらい、気が遠くなり自分がなくなってしまうほど、大きな安堵感と時間が止まったような感覚がずうっと続いていた。そして、大瀬崎とセットで私が大好きな、井田集落に到着。10年前に、とある用事で来た時とまったくかわっておらず、感激。

 井田集落をクルマでゆっくり回った後は、少し戸田側に進んだ高台にある展望台『煌きの丘』から、駿河湾と井田集落、そしてその向こうの富士山を眺めてみる・・・・。エクスタシーすら感じる景観に、しばし呆然。発作的に出発して、衝動に突き動かされるようにやってきて、こうした恍惚感に浸れたという満足感、ううーん、これこそ、この間の旅行には存在しなかったもの。

 日が相当傾いてきたので、またクルマに乗り込む。戸田から土肥を抜け、田子にて完全に火が沈み真っ暗になってしまった。ここにおいしい寿司屋があるのだが、まだ私達がお腹がすいてなかったため、残念ながら立ち寄らず。

 その後、堂ヶ島を通り、下田までひたすら真っ暗なクネクネ道を走り続け、自分たちにピンと来そうな宿を物色するもなかなか見つからず。結局、伊豆高原まで来て、妥協してもいいかな?、という宿があったのでチェックイン。いやあ、それにしても充実した一日だった♪。


2007年11月14日(水) 正座

 あまりにも天気がいいので、昼過ぎからドライブ兼ねて、父の墓参りへ出発。行き先は、東京都のはずれにある、某都営霊園。いつもは、母を一緒に連れてくるのだが、無理してホームから連れ出さなくてもいいということになったので、夫だけを同伴。

 霊園最寄りのスーパーへ立ち寄り、墓参りグッズの購入。花、線香、供え物など・・・・・・。私が買い物をしているあいだ中、いつもように夫は、店内の写真を様々な角度から撮影している。注意されることもあれば、全然OKなこともあり・・・・。

 墓前に到着してからは、私が墓石洗い係、夫が線香に火をつける係の分業制で、各自仕事にとりかかってみる。以前、ホームセンターで、従姉H嬢にすすめられるがままに購入した、ペットボトルの先に取り付けるブラシをどうしても使ってみたかったので、ここでトライしてみる。

 このブラシで、墓石に彫られた苗字などの凹みを、ひたすらゴシゴシしてみたのだが・・・・、いやあ、なかなかそう簡単に落ちるものでもなく・・・(涙)。ペットボトルからブラシに、思ったように水が送られてこないのが難点。それでも意地になって、無我夢中でこすっていたらだいぶマシになって、ホッとする。

 夫のほうは、束になった線香を何故かバラバラにしてしまっていた・・・・・。なんでぇ?!?!?!、と思ったが、そこはクールに、《束のまま線香に火をつけるんだよ、日本は、さ・・・》と言い放ってみると、今度は夫の顔が、“なんでぇ ?!?!?”となみだ目になっていた。

 どうやったのか知らないが、夫も自分の仕事に意地になって、またうまく線香の束を作り上げ、線香台にどうにか絵になるように供えることに成功。よしっ、これで、あとは拝んで終わり♪。

 2年前に、H嬢と3人で墓参りに来た時、夫は墓前でうまくしゃがんで拝むポーズができなかった。その中途半端なしゃがみポーズは、なんとも滑稽で、半ケツになっていたので、それをH嬢とふたりで写真に撮って爆笑していたものだった。

 が、夫は、それを相当ねにもっていたようで、今回は墓前で正座していたっ!。芝生の上に正座っ!。これまた、たいへん妙だが、彼にとって半ケツをさらすよりはマシらしい(笑)。しかし・・・・、サングラスかけたままの外人が、墓の前で正座・・・ねぇ・・・・・。で、墓の下で、父は何を思っているのだろうか・・・・(笑)?。

 墓参りのあとは、東京都のはずれを日没まで思いっきりドライブ。夜は、隣町に住む日仏夫婦S&Mとファミレスで食事。こうしてあっという間に一日が終わってしまった・・・・・・・。


2007年11月12日(月) 取り扱い注意

 夕方、MT嬢がフラッとやってきて、3人でコーヒー。明日から、1週間ほどの予定で“大阪ロケ”にいくとのことで、MT嬢は夫に別れを告げにきたのだ。夫がフランスに発つのが今週末なので、残念ながら本日がMT嬢と過ごす最後になってしまう・・、というわけだ。

 MT嬢が2年間、文化庁から派遣されてロンドン留学していた時に、ちょくちょく私達は行ったり来たりしていたし、日本に来れば、私と彼女の実家は歩いて5分。なので、いつの間にか、夫にとってもMT嬢は家族の一員・・、って感じになっているのだと思う。おまけに、2人は英語でコミュニケーションとってくれるから、私は大変ラクチン♪。

 それにしても、もし彼女のロケが延びれば、私ですら今回が、MT嬢と最後・・・、になってしまうかもしれない。実際に、彼女のロケが延びるなんてことは日常茶飯事なので、そのくらいの覚悟はしておかないといけないのだが、とはいえ、なんとも寂しいものだ。

 と同時に、フランス帰国の日が、徐々に迫ってきているのが感じられ、ダブルで寂しい気持ちになる。あと最低、一ヶ月はここにいたいなぁ・・、と思われてならない。でも、きっと1ヵ月いたら、もっといたくなるし、そのままいくと、ずうっとここにいたくなるかもしれないので、結局、どうすればいいのかわからないのだが・・・。



お別れということで、


夫はMT嬢にビズして、ハグして、抱きかかえて、持ち上げて・・、


もしかして・・・・・、


振り回してる?。あれっ?。



 MT嬢は小さくて、ものすご~く細い・・・・・。本当に私と正反対(汗)。なので、夫は彼女を、小さな人形のようにして扱っているように見えてしょうがない・・・(滝汗)。というか、きっと私もMT嬢のことを同じように扱えるのかもしれない・・、と、密かに思っているのだが(笑)。


2007年11月11日(日) 神父

 おさななじみのMT嬢は、一家揃って敬虔なカトリック。夫が日本に到着してすぐに、MT家の夕食に招かれた際には、夫にスルタンを着てもらい、ニセ神父で登場してもらった。で、夫がラテン語のミサをやると、MT一族がそれにあわせて、お祈りして・・・、と、とことん偽ミサを楽しんだ。

 さて、このMT一族、日曜日にはちゃんと教会へ足を運ぶ。そしてその教会に、1954年から日本にいる、あのフランス人神父・CAFがいるのである。そして、なんどか日本に来ている間に、夫はすっかりこのCAF神父と仲良くなり、日本にいる間はすくなくとも1、2回は一緒に食事するような間柄になっている。

 一方、昨日からの宴で、我が実家には、私達夫婦、親友MF嬢、従姉H嬢が合宿状態で酔いつぶれて寝て、そのまま日曜日の昼前になった頃、電話が鳴った。おさななじみMT嬢だ。彼女は昨晩、確かに私達を飲んだくれていたようにも見えたが、ちゃんと教会に行く事も考えて、酒もセーブして、時間になったら自分の家に戻っていた模様。

 MT嬢は教会から電話をかけてきていて、『神父さんが、ゼロさんのダンナさん、まだ日本にいるの?』って寂しそうにしているよ・・・、ということだったので、皆で、午後に教会へ足を運ぶことにした。ということで、遅いブランチが終えたあと、皆でクルマに乗り込んで、教会へGO。

 しばらく、CAF神父を囲んで皆で談話しているところに、教会での用事を終えたMT嬢が私たちに合流してきた。彼女にしたら、普段だったら全然教会に関係ないわたしたちが、こうしてCAF神父を囲んで勢ぞろいしている姿を見るのが、奇妙で面白いらしく、やたらニヤニヤしている。

 そして、せっかくだからと、一緒に夕食を・・、ということになった。残念なことに、H嬢は家にかえって“もつ煮をつくる”という使命を、昨晩から自分に課していたので先に帰っていったが、残った5人でインドカレー屋へ出陣。

 CAF神父の隣に座って、妙に緊張気味なMT嬢だったが、それでも私の夫が彼女の家に、ニセ神父の格好してやってきたことをCAF神父に暴露。それに焦った夫が、神父を前に、マジで“やべぇ・・・”という顔をしていたが、寛大な神父はそんな夫をみて爆笑、“全然気にすることないぞぉ !!!”と、大いにご機嫌。そんな神父の対応をみて、救われた気分になったのか、夫もまた嬉しそうに笑ってた。

ま、神父に懺悔して、許してもらえた?、ってことかぁ?。


 神父らと食事のあとは、MT嬢をクルマにのせて家に戻るだけ。が、またより道したくなったので、そのままドンキ○―テへ。私が、店員にとある商品について説明をうけている間、MT嬢は夫につれられてすけべコーナーへ。で、そこで2人で記念撮影とかしていた模様。

 あとで、写真をみると、敬虔なカトリックMT嬢が、たくさんのバイ○の前で、夫に笑わされて爆笑している写真があった。笑わされているのだけれど、そんな背景をしらないで写真をみれば、MT嬢がバイ○が好きで、嬉しくてしょうがない・・・、という感じにも見える・・・・・(笑)。とにかくMT嬢、夫の相手していてくれてありがとね~♪♪。


2007年11月10日(土) 夫、ひとりだち?

 昨晩は、植木屋が本来2日かかる仕事を、頑張って1日で終えてくれたおかげで、私達は、夜遊び。で、電車に乗って帰るのも面倒くさくなったので、夜遊びした場所からすぐのところに宿泊。正午がチェックアウトと喜んでいたのもつかの間、気がついたら正午間近っ!!!!。

 慌ててチェックアウトの準備して、ホテルを出た後、フランス人2名と待ち合わせている神谷町へGO。そこで、仏人2名に合流して、ランチしたあと、私は夫を彼らに託し、一足早く実家に戻る。彼らをひと呼んで《ジジイシッター》。とにかく、彼らのおかげで、私もつかの間の一人の時間をエンジョイできた。

 わが実家は最寄り駅から少し遠いのだが、今晩は、友人らを招いて実家で宴会ゆえに、夫にはあらかじめ“クルマでの迎えはないと思えっ !!”と伝えてある。が、夫がどうやって帰ってくるのかはわからないが、ま、子供じゃないんだから、なんとかなるだろうと、あえて放り出してみる。

 おまけに、小遣いは3000円しか渡さずに・・・、だ。というのも、夫は、とある用事をこの仏人2名と終えた後、そのうちの一人で、この間東京タワーで一緒になったPVと、神保町の古本屋街を散策する予定だという。

 パリの我が家は、本で溢れかえっている。それも日々、本の数が増える一方で、ちょっと油断すると本につまずいてすっ転んだりする可能性すらあるほど。そんな家の主が、だ・・・・、異国に来てまで、また本を買おうとしているわけであり、それにさりげなく水をさしてみたくなるのが、妻の性分というもの。

 3000円だけ夫に渡し、そのうちの2000円を交通費にとっておけと、あえて意地悪してみる。実際には意地悪でもなく、夫のことだから、切符を間違えて買っているうちに、お金がなくなった・・・・、なんてことをしそうだったこともあり、こういった発言になっているのだが、とにかく、3000円死守っ、と何度も伝える。

 が、夫がバカじゃなければ、友人のPV使って、コンビニでもお金を引き出せるだろうし、なんでもできるだろう・・・。で、私としては、そんな私が敢えて教えもしないところを、自分なりに発見して、楽しんできてくれることを密かに期待していたりもするわけ、だ。

 おまけに、時代もかわり、神保町の多くの古本屋でもカード払いが可能になっている模様。いいことか悪いことかわからないが、とにかく、夫には好都合な条件が揃っているので、実際ならば問題はないはず・・・。

 巨大ターミナル駅から実家までの切符を購入するにも、ちょっとだけコツが必要だろうが、いかんせん夫は在日27年というフランス人と一緒。これまた問題なければ、とりあえず家に戻ってこられるはずであり・・・・。

 と、一応夫のことを杞憂しながらも、親友MF嬢、幼馴染MT嬢、そして従姉H嬢が我が実家に集結し、女だけで飲み始めてしまった後は、夫のこともスッカリ忘れて、ただひたすら食べて、飲んで、笑って・・・、と過ごした。

 で、スッカリ盛り上がってしまった時に、夫から電話・・・・・。最寄り駅からタクシーに乗り込んだものの、行き先をハッキリ告げられないから、電話口でタクシーの運転手にキチンと伝えて欲しい・・、とのことだった。で、夫の希望通りソレを伝えた5分後に、リュックサック一杯に古本を詰め込んだ夫が、玄関先に満面の笑みでタクシーから降り立った。

 おおおお、やっぱり、こんなにあなたは本を購入することに成功してしまったのね・・・、と、自分の予感があたった嬉しさと、現実のむなしさに、ヘラヘラ笑いの私。おまけに夫の右手には、なんと、あの、PASMOがっ!!!!。私ですらまだ購入していなかったPASMOを、夫は購入してここまで戻ってきた模様・・・、ううーん、侮れないっ・・・。

 後は、夫が自分が購入してきた戦利品の品評会がはじまり、宴会の第2部がスタートしたのだった・・・・・。


2007年11月09日(金) 植木屋

 10月1日の朝から頑張って電話した甲斐あって、本日、ようやくシルバー人材派遣から植木屋さんが我が実家に送り込まれてきた。彼らは8時前には到着したのだが、いかんせん昨晩は、用事で午前4時過ぎまで根詰める必要があったため、残念ながら私は植木屋を実家に迎え入れることは難しい・・・・。

 そんな時、《あ、そうだ、夫がいるじゃないか !!!》ということで、昨晩のうちに植木屋向けの申し送りを、ホワイトボードに書いておき、それを夫が今朝、彼らを迎え入れながら見せる、ということにしておいた。ちなみにその文章は以下の通り。


 おはようございます、植木屋さん♪。
 本当に申し訳ないのですが、僕の妻は、今朝起きられません。
 昨晩、遅くまで仕事していたので、難しいのです。
 が、11時までには彼女は起床すると言っているので、
 質問・疑問などがあれば、その時のよろしくお願いします。
 そして、またまた申し訳ありませんが、
 ボクが日本語を理解できなくて、本当にすみません。
 今日一日、よろしくお願いしますっ♪。


というものだ(笑)。これが書かれたホワイトボードと、あの夫の性格だから、ま、職人気質の日本犬気質な高齢者でもなんとかなるか?、と思いきや、本当に大丈夫だった。

 そして、私が起床したあとは、お昼のお茶いれにはじまり、彼らが仕事を終えて帰路につくまで、そういったことに詳しい友人に逐一電話で指示をうけならがも、ゼロはなんとか乗り切りましたっ!。

 ランチの時には、うちの庭に青いビニールシート敷いて、3人の植木屋がのんびりと食事していたので、これはこれで神社仏閣以上に、日本独特な風景だと思った私は、夫をそこへ行かせてみる。すると、またしても国境を越えた、♂4人で、なんとかコミュニケーションが成り立っているみたいだった。

 夕方までには、私が9月末に実家に到着した時とは、見違えるほどの、整然とした庭になっていたっ!。植木屋さん、本当にどうもありがとうっ!!!!。


2007年11月08日(木)

 午後、母のいるホームのケアマネージャーとアポがあったので、夫を引き連れて出向く。今回のケアマネージャーは、新しく赴任してきた人らしかったのだが、9月末にホームとのやり取りの手紙で、私が自分の希望をわんさか書いたことによって、ケアマネージャーが、私のために大目に時間を割いてアポ・・・、ということになった。

私の希望といってもたいしたことではないのだが、おおまかにいえば以下の通り。

(1母の日常生活を、母に知られることなく覗き見してみたい 
(2)母の症状について、遠慮することなく事実を報告してもらいたい
(3)母は、他のホーム居住者とどのような関係をたもっているのか知りたい

等が主なのだが、これらにしても、介護者なりの専門的表現および、時には介護者ならではの、認知症患者を抱える家族に対する思いやりから生ずる、オブラートに包まれすぎた表現などにも、どこかわかり難い感触がぬぐいきれないでいたので、この際、具体例も細かくかいて提出してみた。

 私は、個人的には母のいるホームは理想だと思っているし、そこに勤務する人には感謝しかできないほどに、このホームが気に入っている。自分がいつかボケたら、ここに入りたいほど、だ(笑)。が、それでも、母をあずけている身として、また、人並みはずれた好奇心の塊でしかない私だからこそゆえ、もっともっと、色々なことが知りたくなってしまうのだ。

 また、私の希望が、ホームで勤務する人達に対して、間違って苦情とか、うるさいこととして伝わらないようにも、それなりに注意してきたつもりだし、時間もかけてきたつもりだったゆえ、だからこそ、今、それなりに、色々な希望というものをぶつけてみたわけだ。

 こんなことを面談室で1時間以上やっていたのだが、その間、夫は母を含む認知症入居者が9人が集う大広間の真ん中に陣取って、介護ヘルパーさながら、皆の注目を集め、楽しませ、世話をしていてくれたっ!!。旅行中は、“キャット空中3回転”をはじめとして、アホなことしかしない夫であったが、コミュニケーション大魔王だけあって、ここでも言語の壁を越えて皆の世話をしていてくれたことに感謝。

 とはいえ、感謝もできるが、見方をかえれば、夫こそ“新しい入園者”という感じで、皆に迎え入れられてたのかもしれないと思うと、内心大爆笑。でも、夫には感謝感謝という態度をとってこそ、私もいっぱしの裏表がある日本人♪。

 結論として、母はそれでも日々徐々に悪化しているということ。なので、無理に縁の外に連れ出す必要もなく、彼女が今、一番落ち着いていられるホームに、私が極力通い、極力長時間母と過ごすことが最善・・・、という結論にいたった。

 幸か不幸か、母は私の顔を見るたびに、昔のように《ゼロちゃんっ !!!》と、屈託ない笑顔で話しかけてくる・・・・。そして、そんな様子を、夫がたくさん写真に撮影していてくれたのだが、後で、母の姿をみると、なんとも切ない・・・・。




   なぜ、そこまで私のことを嬉しそうな顔して、あなたは見つめるの?。

   そして、それをみてホッとすると同時に、

   とてつもなく重く感じる私は、罪ですか?。




2007年11月07日(水) ささいな幸福 Part2

 本日も、昨日に引き続き選択デー。ふと思い立って、2槽式の洗濯機の構造について、夫に説明してみる。夫はこういったモノをみたことがなかったらしく、かなり面白がって観察していた。《水で洗って汚れが落ちるのか?》と問われもしたが、その真偽については、専門家じゃないのでキチンと答えられなかった・・・(汗)。

 そして、洗濯しながら、N○K・FMの『邦楽のひととき』にて、先日まで一緒だったES嬢の三味線を拝聴。とても迫力ある演奏を聴きながら、洗濯モノのしわ伸ばしをしている奇妙さを思いつつ、とても気分のいい午前中を過ごすことができた。

 夕方から、近くの河原にて太極拳。幼馴染MT嬢がわしらに参加。日がどっぷり暮れるまで、夫によるMT嬢への太極拳の特訓が続いた(笑)。あまりにも熱心に2人がやっているので、通り過ぎる人が立ち止まっていく・・・。そして、そんな様子をさりげなく、私がビデオ撮影。

 これまでの日々と異なり、ただただ実家近くで、さりげなく発生することに、いちいち感動し、いいようのない幸福感に包まれ続けているゼロでした。


2007年11月06日(火) ささいな幸福

 長旅が終わって、久々の実家・・・。素晴らしい晴天ということもあって、昼前からひたすら洗濯。それも母愛用だった二槽式洗濯機で・・・・・(汗)。1981年製のこの洗濯機は、すすぎの時にうっかりすると、水を流しっぱなしになってしまうから、油断できないから大変だ・・・・。

 とはいえ、天気のいい日にこうして洗濯だけに熱中できるという幸福も悪くない。何も特筆することもない、なんてことのない日中。が、旅行以上に、なぜか、この日、形容できない幸福感に襲われた。

 幸福感に襲われた・・・、というと、妙に矛盾した表現にもなるが、ここまで幸福と自分が感じられるとも思っていないほど、それはふと突然訪れてきたので、あえてこう表現してしまったわけなのだが・・・。そのくらい、ブーブー文句はいいつつも、難行・苦行な旅も終え、ES嬢らとの楽しい日々も終え、こうしてのんびりする家があること・・・・・、そんなささやかなことに、本当に幸せを感じてしまった。

 こんなことを書くと、実際の私を知る人間からは、“ゼロのキャラクターじゃないっ !!!!”とか、からかわれたり、突っ込まれるのだろうが、ま、しょうがない(爆)。


 母がいなくなってしまった実家だが、こうして住んでみると、母の家から、徐々に私の家になってきているんだな・・・・、と実感した一日でもあった。


2007年11月05日(月) 最終日

 おとといから、一緒に時を過ごしてみて、ES嬢なりに私達の生態がわかってきた模様(汗)。とにかく、あまり最初からどこに行くとか決めても意味がなく、その時々の雰囲気で流れることが可能なら、それでいいんじゃないの?、と、ES嬢に言われてたときには、あまりにも言い当てられすぎて、力なく笑ってしまったほど。

 それにしても、長いことサービス業をやっていただけあるES嬢。洞察力の凄さは一品と思った瞬間だった。いやあ、侮れないっ、こわい、こわいっ。といいつつ、そんな相手に、思う存分自分達丸出しな私達もある意味、マジで図々しいのだろうけれど・・・・(滝汗)。

 昼前より、与友輝の常設展を鑑賞したあとで、一路、忍野八海。富士吉田市から、どどーんと雄大な富士山が見え、クルマの後部座席から興奮しまくった夫が、窓もあけることもわすれて激写・・・・。アムール峠を越えて、鯉料理専門店に到着してランチ。鯉こく&鯉のあらい、そして、天ぷら定食と、真昼間から至福のメニュー♪。

 店内の一角にガラス張りになっているところがあり、そこからは下の湧き水の中を泳ぐ鯉を眺めることができる。そして、今、こうして味わっている鯉も、ついさっきまでここで泳いでいたものと思われ、また感動ひとしお。とにかく美味しいっ。

 感動して食べまくっていると、店の一角にあるテレビで、水戸黄門の再放送がはじまった。なので、食事を中断してまでも、このときとばかりに、水戸黄門について夫に説明をはじめる(←詳しくは、10月31日の日記参照)。夫がどこまでわかったかしらないが、とにかく自分的には目的を果たせて満足。で、また自分の食事のフィニッシュにとりかかった。

 食後は、忍野八海観光を堪能。残念ながら、雲が多く、忍野からの絶景・富士山の姿は拝めなかった・・・。その後、ホテル鐘山苑に移動して、ホテルの庭園を散策。園内は、そりゃすばらしい紅葉で、ビックリするほど・・・。出入り自由な東屋も用意されており、これはすごい観光スポットか?、と・・・。

 日没を迎えた後は、ES嬢の知人が経営するカフェに立ち寄り、しばし歓談したあと、家に戻る。そして、荷造りして、都内へ戻る。新宿駅西口まで私が運転し、そこで彼女らと別れる。ひさしぶりの新宿駅西口・・・・。そのまま電車にのって実家に帰ってもよかったが、構内コンコースを歩いているうちに、なぜか小田急百貨店のレストラン街に行ってしまい・・・・・。で、そこで2人で夕食。



この私達の長い旅行もすでに終わろうとしている・・・・。

私達の旅行に関わった人すべてに無限の感謝・・・・。

本当にありがとうっ !!!!



 とにかく一言では語れないほど、多くのものが凝縮された日々だったゆえ、未だに何かよかったのか否かがわからないが、今後、また日常生活を送っていく上で、ふと、人生の道標となって色々な思い出が蘇ってくることは間違いないのだろう。

そして、2週間ぶりに戻ってきた実家。今晩は何も考えず、とにかくぐっすり眠ろうと思った・・・・。


2007年11月04日(日) 奈良井宿

 11時スタートで、一路、木曽の奈良井宿へ。漆器コレクターなES嬢は、ちょくちょくここに足を運んでいるそうで、彼女からこの場所の噂をよく聞いていた。で、いつか行ってみたいと思っていたところ、今回せっかくだから、河口湖から奈良井宿まで日帰りドライブかねて行ってみよ~っ、ということになった。

 昨日は、都内から河口湖まで運転してきてくれたKH嬢だったが、どうもあまり運転が好きでもなさそうな気がして、《運転しましょうか?》と、私が申し出ると、満面の笑みでKH嬢がクルマのキーを、速攻でくれたっ(爆)。そっか、本当にそんなに運転が好きじゃないのね・・・、ふふふ。

 ちょっと前に買い換えたばかりの新車というのを運転させてもらったのだが、ハンドルは軽いし、アクセルを踏んだ気もしないのに、スピードがアップしたり、“これで本当に運転しているのぉ ?!?!?!”という感じで、最初のうちはある意味でとっても不思議だったが、だんだん走ってくるうちに、それなりにこのクルマで遊べるようになってきて、わたしゃおおいに満足♪

 すぐ昔のクセで、新車インプレッションやりたくなってしまうのだが、ま、それはご愛嬌。とはいえ、限られた滞在日数で日本にいる身分、違反で捕まることだけは避けなければならないゆえに、スピード配分には十分注意せざるを得ない。

 違反で捕まったら、いつ警察に呼び出し食らうか検討もつかないし、その上、研修と称して再教育なんていうことになったら、帰りの航空券も変更割り増しになるし、それでも間に合わないことになりかねないのだ・・・。だからこそ、どんなにいいクルマを与えられようとも、単独でぶっ飛ばす・・・、ということはできないし、しない・・、というのが信条になってきている。

 それでも、ひたすらちんたら走っているのも嫌なので、ペースメーカーになりそうなクルマを物色する。そして、目星をつけたクルマに、適度な車間距離を保ったまま、どこまでもくっついていく《コバンザメ走法》をやる。そして、いざ、大幅にスピードをオーバーしても、捕まるのは前方のクルマで、私ではないから、そりゃもう、すごい安心♪。実際に、これをやっていて、何度も目の前のクルマが捕まっているのを目の当たりにしているし・・・・。

 私にしても、これが一種のクルマ見極めゲームになっていて、ロングドライブで退屈しないひとつの手段にもなっている。当たるも八卦、当たらぬも八卦といったところか・・・?!?!?。

 それにしても、意外に走ってようやく到着した奈良井宿。河口湖畔とはまた違った、天気はものすごくいいが、山奥特有の身体に染み入る寒さが、私達を待ち受けていた。が、それにもめげず、4人で散策。ES嬢らがおすすめの蕎麦屋でランチしたあと、漆器をみたり、寺を散策したり、日がな一日そこで過ごした。

 そして日没と共に、帰路につく。高速でまた、私が自分のゲームに熱中しながら運転していてたときのこと・・・。突如、車の中があまりの静寂につつまれているのに気がついて、何気にスピードを落とし、バックミラー越し&横目で3人の同乗者をチェックすると、皆それぞれが、思うままのスタイルで、深~い眠りについている最中だった(笑)。

 それでも、御坂トンネルあたりで渋滞に巻き込まれると、ぼちぼちと同乗者らが起きはじめてきた。そして、夫が、皆に《すみません、が、聞きたい・・っ !!!》と、またまた訳のわからない日本語を投げかけてきた・・・(汗)。
で、人のいい私達日本人は、一生懸命夫のつたない日本語に耳を傾けるが、よくわからない。

 すみません・・・、と、日本人のように言うのはいいが、じゃ、一体何を君は聞きたいのか?、というのが日本人側としての疑問。が、夫としては、何を・・という“目的語”をハッキリいったつもりのようで・・・、さっぱりこちらにはわからない。

 で、何度か夫にリピートさせているうちに、ふと気づいてしまった・・・・。夫はすみませんと、こっちに遠慮しているわけじゃなくて、『しゃみせんとすみません』を間違えているだけだ・・・、ということを・・・(汗)。夫としたら、《しゃみせん、が、聞きたい・・・っ》と、言っていたつもりらしかった。

 で、皆であきれながら、夫のリクエストに答え、小唄や様々な三味線のCDを聴きながら、渋滞を凌いだ。それにしても、こういった音楽を聴きながら運転したのは始めてなことに、気づく(笑)。いや、決して悪いもんじゃないし、クルマの中で聞くからこそ、小唄の歌詞がまたよく耳に入ってきて面白いっ。

 ようやく家に到着して、KH嬢の極上手料理を堪能させてもらった後、就寝。いやあ、やっぱり自分ですべてを決めなければいけなかったこの間までの旅行と違って、皆時には対等、時には甘やかしてもらえる旅は、なんと素晴らしいことか・・・・。感謝、感謝。


2007年11月03日(土) いたれりつくせり

 MGも無事にホテルをチェックアウトし、成田に向かい、私達の難行・苦行・珍道中は終わった。そんなすがすがしい朝を迎えて、11時のチェックアウトまでひたすらダラダラ。慌てて荷造りして、ホテルのある最寄り駅から地下鉄でちょっとのところにいる、父方の従姉ES嬢宅へ移動。

 さすがに10日以上も行脚してきた私達・・・。そんな私達を、自分の家の玄関で目の当たりして、絶句状態なES嬢・・・。あれ、そんなにわしらは汚らしかったかしら?!?!?、と思いつつも、もうどうしようもない(汗)。さっそく、荷物をおかせてもらい、ES嬢とその同居人であるKH嬢とわしら4人で、イタリア料理のバイキングへGO。

 私の夫が底なしに食べる・・・、という噂を耳にして、彼女らはここを選んでおいてくれたのだが、肝心は夫は食べ始めた瞬間に、親知らずが痛みだし、結局何も食べられない状況に陥ってしまった。いやあ、傍目から見るとかわいそうなんだが、どこか滑稽で・・・・・。夫には見えないように、ふふふ、っと笑ってしまう。

 ま、それでも、夫なりにこれまでの旅行に貢献してきただろうし、貢献云々を抜いても、かなりハードだったこともあり疲れていたのかもしれない。で、その疲れが親知らずに・・・、ということか?。そんな夫を尻目に、3人でガシガシと食べ続け、ES嬢宅へ戻る。

 皆で荷物をクルマに積んで、私達夫婦は後部座席に乗せてもらい、いざ、河口湖畔にあるES嬢の別荘へGO。昨日までが、人に奉仕する旅行だとすれば、本日からは、ES嬢&KH嬢が私達を甘やかしてくれる数日と形容すればわかっていただけるだろうか?。

 とにかく、クルマにのってから河口湖畔の彼女の家付近までの記憶がいっさいない・・・・・・。そのくらい何もかもお任せで、私は熟睡していた模様。とにかく、目が覚めたら、空気が美味しい河口湖♪、って感じだった。

 はじめて招いてもらったES嬢の別荘だったが、一番窓からの景色がいい部屋を私達のために用意してくれていて、感謝感激。また、こうした洒落たリゾートマンションというのに、日本にきてはじめて足を踏み入れた夫も、大いに興奮(笑)、歯痛すら一瞬忘れたようだった。

 夜は、河口湖畔で開催されている紅葉祭りに出向いてみたものの、まだまだ気温が暖かいせいか、葉が赤くなっておらず、色づいてさぞかしキレイであろう紅葉を想像しながら、皆で散策。そのあと、ES嬢おすすめのお好み焼き屋にてディナー。いたれりつくせりで、至福の一日だった♪。


2007年11月02日(金) 靖国神社

 どんどんやる気が落ちている私ゆえ、本日のスタートは昼過ぎにホテルのロビー集合。MGと私達夫婦に、昨晩お邪魔させてもらった家の主・MT氏の4人で、靖国神社へ。

 ここはパリ?、というぐらい曇天で、灰色の雲がアタマにもたれかかってきそうなほど暗く重い日に、あの靖国神社の34mもあるといわれる、あの陰鬱で重厚な鋼管製の鳥居の下を歩くという、マゾヒスティックな試み。あそこまで、なんともいえない波動を感じる鳥居もここだけじゃないか?、と感じてしまうほど、重苦しい・・・。が、またこういうのをあえてするのが好きなのだけれど、ふふふ。

 また、普段は、何も感じない鈍感のような夫でも、あの鳥居をくぐった時に、なんともいえない戦慄が走ったらしいから、これまた興味深い。

 しかし、ここに物心ついてから来たのはもしかして初めてでは?、と気がついた。靖国神社の前は、数え切れないほど通過しているが、実際に確固たる目的をもってやってきたのは、絶対にはじめてと断言できる。ま、小さい頃に親と一緒に来た・・、というような経験はカウントしないとして、の話。

 それにしても警備の仕方とか、ただの神社じゃないな・・、というのはバカでもわかる・・。やはり、想像もつかない重いものが、そこに祭ってあるのか?、なんて深読みしてしまいたくなるほど、他の神社と全然異なる。特に、私達のように、何かに憑依されたように10月20日から延々と神社仏閣めぐりを続けている身だけあって、その肌で感じる《差異》には、いやがおうにも敏感になる。

 本殿まで行き、賽銭箱の横からその中を望遠で撮影して警備の人に夫が厳しい注意を受けている・・・。が・・・・、ま、いつものことだし、つかみはOKってところか?。

 そして、いよいよ遊就館へ。いわゆる軍事博物館の類とはいえ、展示されているものがたくさんあるので、すべてを網羅するには長時間かかる。私達も、一つ一つあまりにもじっくりみたため、気がついたら閉館時間煮なっていたほど。それほど、中身は濃い・・・。

 きっと日本人だけで来たら気がつかなかったのだろうが、今回私はガイド&通訳をかねているので、英語表記されているか否かについては、ものすごく注意を払っている。そして、遊就館なのだが、私からすると肝心なところで、英語表記がなくなり、日本語だけの解説になっていたりすることが多々あり、ビックリ。

 こんな肝心なところを、非日本人に伝えずして、どうやってこれから外交をしていくつもりなんだろうか日本は?、と思ってしまったほど。いつも、諸外国を相手に、日本の政治家が国内向けに発したツモリの、ウッカリ発言が大きく取り上げられて、非難轟々になっているが、これは日本側にも責任あるんじゃないか?、と個人的にイライラすることが多々あった。

 でも、それと同じで、内と外の考え方も解らないではないが、ここ一番で敢えて相手に伝えてみる姿勢は取れないものか?、と真剣に思ってしまった。《黙して語らず》、それを良しとするのは日本国内だけであり、それがいつでも通じるわけでもなく・・・・・。

 理由があって、それぞれの心情があって、そういったことをキッチリ説明することができれば、また違うと思うのは私だけではないと思うのだが・・・・・。いやあ、それにしても非常にもどかしいし、残念だ。私は軍国主義でもないし、右翼でもないが、とはいえ母国日本が誤解されたままでいる・・・、というのもやるせないのだ・・・。

 フランスに住んで気づいたことだが、多くのフランス人はニュースで《kamikaze》という言葉を耳にすることに慣れている。この場合の《kamikaze》は、自爆テロの意味で、イスラム原理主義者がよくやる手段に今は、この《kamikaze》という言葉が使われているのが現状。

 で、この言葉になれたこともあって、フランス人の多くはますます、日本の神風特攻隊とイスラム原理主義者の自爆テロが一緒のものだと思い始めているのだ・・・・・。ということは、フランス人の多くは、神風特攻隊員が好きこのんでアメリカ軍に突っ込んでいったと思い込んでいるということになる。

 となると、これはものすごい誤解になる・・・・・・・・・・・。赤紙という国からの絶対命令が来て、それこそ涙涙で家族と別れ・・・・、という事実を知る人が本当に少ないということに、私は未だに慣れることができない。

 その昔日本で、トルコ風呂という言葉が使われていた時、トルコ政府が抗議したために、今ある《ソープランド》という言葉が誕生したわけだが、在仏日本大使館だって、この《kamikaze》という言葉の誤使用に抗議してもいいのではないか?、と思うことが多々ある。

 ま、こんなことを様々な展示物をみながら思ったものだった・・・・・。さて、夫やMGはどんなことを思ったのだろうか?。また、いつか別の機会に彼らに尋ねてみようと思った。

 靖国神社を出て、少し歩いたところにあった喫茶店で休憩。MGとわしら夫婦3人でしばし談笑。そして、店を出てタクシーをMG用に見つけ、そこでお別れ。明日、MGも一昨日のPDと同じ経路で成田空港に向かい、機上の人となる。

 時には、私の夫以上に手がかかり、殺意が沸くほど頭にきたこともあったけれど、MG,お疲れさま。今日は早めにホテルに戻って、荷造りしながら休んでおくんなまし。そして、またパリでっ♪。一仕事終えたような気分になった私達は、ネオンの中に消えていった。


2007年11月01日(木) やる気なし・・・

 PDが成田からパリ行きの飛行機に乗った頃、MGとホテルのロビーで待ち合わせ一路、鎌倉へ。

 6年前に17歳年下の妻を突然、癌で亡くしてしまったMG。そんな彼は、妻と一緒に昔仕事で日本に来たことがあるという。その時に、どこでどんなということはハッキリ覚えてないが、大きな大仏の前で妻と記念写真を撮って、彼女がいたく感動していた・・・、という話をしていたこともあって、じゃ、きっと鎌倉では?、と思い、そこへ皆で行くことになった。

 これまたジャパンレールパスで横須賀線に乗り、鎌倉駅まで。

 奇妙なことに、昨日まで続いていたハイテンションはもうない。PDが帰ってしまったからか?、とにかく、旅行は終わった・・・、という気分が強く、私としては敗戦処理をしている感じ(汗)。自分のテリトリーに戻ってきてしまったからというのもあるのだろうが、旅行気分にはどうもなれない(笑)。

 日本にいる間にやることなども、頭にたくさん浮かんできてしまうし、この駅で降りたら誰の家にいけるから、降りちゃいたいとか、そんな雑念ばっかりで、もはや誰を引率する気にもなれないのが不思議。

 電車で、私の向かいに座っているミッシェルをみていても、なんとなく彼が《しまった、昨日PDと一緒にフランスに戻るコースにしておけばよかったかな ?!?!?!》という、逡巡が聞こえてくるようで、なんともおかしい。夫は夫で、私のように都内まで戻ってきているから、もっと観光だけじゃないことしたい・・・、と思っている。

 そんな低いテンションの中、鎌倉大仏到着。2年前にも夫を引き連れてここに来ているので、私としては食傷気味だが、老人介護の精神ということで、ま、しょうがないか・・・?!?!?!。

 とはいえ、大仏パワーは俄然、フランス人勢には圧倒的なものがあるらしく、ミッシェルは感動して口もきかずに見入っているし、夫も2度目だというのに、嬉しそうに写真を撮っている。で、私はやることがないので、そんなオッサンらを皮肉な視点で撮影し続ける。

 その後は、長谷寺。これも2年前と同じコースだが、見落としていたものがあって、それで私も楽しむことができた。長谷寺でボーっとしていると、背後からいかにも日本人だとわかる、流暢なフランス語が聞こえ来たのでビックリして振り向くと、ベルギーからの団体客を引率する、日本女性ガイドだった。

 ま、彼女も大変だろうが、でも、仕事だからなぁ・・、と思いながら、自分のボランティアでアクの強いオッサンらを引き連れて回った昨日までの日々を、切なく思い返してみた・・・・。よくがんばった、ゼロっ!!!!。

 10日以上に渡る強行軍のせいもあって、MGのエネルギーが切れる時間が徐々に短くなってきている・・・・。以前は、日没後まで持ったのだが、どうも今日は日没前にはヤバイか・・?、といった感じ。なので、本日はここで切り上げて、都内に戻ることにした。

 そして、皆でホテルに戻ると、MGには今晩は別行動してもらい、ゆっくりと彼のペースで休んでもらうことをすすめた。そして、私達はしばらく部屋で休んだ後、鞍馬山にも動向してくれたMT氏の東京別宅で、MTの彼女YT嬢の家にてディナー。終電までダラダラさせてもらったあと、ホテルのある界隈をぶらつく。こういった、夜中にブラブラする生活が久しぶりに戻ってきて、ちょっと嬉しいゼロでした。


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