ゼロの視点
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2007年10月31日(水) 太もも

 昨晩は、MGとPDが今回の旅のお礼にと、私と夫をレストランに招待したい・・・、という。それも、定食屋とかいうのではなく、それなりのしきたりのあるところへ・・・・、というのだが、彼らはどのレストランに行っていいかわからないから、私にソレを選んで欲しい、とのことだった。

 で、また、ここでちょっとだけカチンときた私。こんなことでカチンと来るので、自分でもあきれるのだが、でも、本当にカチンとくるのだからしょうがないっ(笑)。なぜなら、場所を選んだり、模索したり、調べたりという、すべてにおいてイニシアティブをとり続けることにほとほと疲れ始めてきた私ゆえ、レストランまで探せ・・・、というのなら金くれっ、と言い出しそうな雰囲気になってきていた。

 レストランを探したら、そこまでいくルートを考え・・・、なんて、鞍馬山登ったあとで疲れてるからやりたくないんだよ、オッサン・・・・、というのが正直なところ。

 それを夫がさりげなくMGとPDに伝えたようで、とにかく私は何もしなくていい・・・、ということになった。約束の時間にホテルのロビーに下りていくと、道中とは見違えるようにキチンとスーツを着こんで、女性をエスコートする紳士に変身したMGとPDが、私を待ち構えていてくれた。

 いやあ、確かにこの2人、こんな格好するとカッコいいのだが・・・・。で、PDが『今晩は、僕達がなんでもするから、安心していていいよっ !!!!』と言うではないかっ。私は《へえっ、ちゃんと気づいたのね、私が怒っているポイントにっ !!!!》と一瞬嬉しくなったが、それもタクシーをホテルに呼ぶところまで。

 そこまでは、スマートにやってくれた彼らだったが、タクシーに乗ったら、PDが申し訳なさそうな顔して《僕達ができるのはここまでなんだよね、だから適当に先斗町ででも降りて、ブラついたあと、めぼしい店があったら入るってどお?》と、私に尋ねてきた。

 が・・・・、外は大雨。日中鞍馬山参詣ができたのは不思議なほど天候は変わり、どしゃぶりだ・・・。で、そんな中をあてもなく歩くなんぞしたくないのが本音。なので、もうしょうがないので、私がタクシーの運転手に《予算は考えなくていいから、雰囲気がよくて美味しい店があったらそこに横付けしてくださいっ !!!!!》と、太っ腹に伝える。

 何を私が運転手を話しているかわからない、MGとPD、および夫だったが、“もう好きなようにしてやるっ♪”というモードになっていた私は、運転手おまかせで祇園へGO。お店についてみると、運転手のチョイスは素晴らしかったのを実感。おかげで旅行の締めくくりには最適な晩餐になった。

 そして本日、ホテルをチェックアウトして東京へ。午後2時過ぎに品川駅に到着したので、フランス♂3名を引き連れてアンナ○ラーズにてランチすることにした。ここのウエイトレスは、ミニスカートが売りなので、長旅でヨレヨレになっていた♂3名が蘇生するんではないか?、と想像してのチョイスだったが、思った通りだった(笑)。

 胸元を強調したデコルテなトップに、ボトムはパンタロンというのが基本はフランスに比べて、胸元こそみえないが、強烈なミニスカートや、ロングブーツに太もも露出させたショートパンツといういでたちが流行している日本・・・・。そんな若い日本女性の姿をみては、《おお、太ももだ、太ももだっ♪♪》と、目をキラキラさせていた3名。

 メイドカフェも悪くないが、彼らがそこまで日本語がわかるわけじゃないし、手っ取り早く食事するだけでミニスカートに、おっぱいが強調されたコスチュームのかわいい女の子にサービスが受けられるアンナ○ラーズは、素晴らしい(爆)。夫は、ウエイトレス数名を激写していた。

 太もも鑑賞が終わったとは、宿泊予定先のホテルがある麻布十番へ。それにしても、本物のフランス人が声をそろえて『アザブジュバン』と言っているのを耳にすると、妙に笑えるのはなぜ?。

 夕方、日本在住27年というツワモノ・フランス人PVと東京タワーのふもとで待ち合わせ。ついでなので、皆で東京タワーにのぼって夜景を楽しむ。PVは、27年も日本に住んでいるというのに、今回がはじめての東京タワーということだから、笑える。ま、そんなものか、生活というものは・・・。

 その後、飯倉片町の料理屋で5人で食事。これがPDにとって、日本で最後の晩餐。明日の朝早く、ホテルからタクシーにて品川駅へ行き、そこから成田エキスプレスで空港へ行くことになっているからだ。私は彼に品川駅まで同行しないので、先に京都から品川駅に到着した時点で、駅の説明をしておいたので、多分大丈夫だろう。

 10月19日にパリを出発、翌20日に日本に到着して以来、数え切れないほどの神社仏閣をはじめ、日本文化にどっぷり嵌っていた彼の旅も終わり、いやいやこれまた、お疲れ様でした~♪。


2007年10月30日(火) 鞍馬山

 私達の旅のハイライト、鞍馬山参詣の日がやってきた。8時にホテルのロビーに全員集合、タクシー2台に分乗して出町柳駅へGO。そこから叡山電鉄パノラマ列車に乗り込んで、一路、鞍馬まで。そこで、本日の参詣ガイド役を買って出てくれたMT氏と合流。

 鞍馬駅まえにある、おおきな天狗の前で、お決まりの記念撮影したあと、皆でボチボチ歩き出す。MGとPDにとっては、そりゃ、ハイライトという安っぽい言葉では言い表せないほどの意味と持つ日。なぜなら、臼井甕男氏がこの山で修行をした後に、悟りを開いてレイキを発見したことになっているからだ。

 レイキをはじめたことで人生が180度プラスに変化したと自負してやまないMGとPD。また、私達夫婦もMGをレイキの師匠としているとはいえ、ハッキリいって彼らのように自負することはないのが違い。というか、あまりにも自負しないので、皆から不思議がられているのが常。

 何事にも、どっぷりはまり込んだりすることを極力嫌う性格(特に私)ゆえに、こういった差が生じるのだろうが、MGなどは、フランスから持ってきた日本のガイドブックの鞍馬山のところに、臼井甕男の説明が書いてないという理由で、『きちんとしたガイドブックじゃない!』と決め付け、ソレをゴミ箱に捨ててしまった。後で、なんでも捨てるのがもったいない男である夫が、ちゃっかりゴミ箱からとりだして、今、ソレを自分のガイドブックとして使っている。

 というか・・・、臼井甕男の名前が載ってるわけねーじゃん、おいっ!!、という感じでしかないのだが、それほどまでに鞍馬山=レイキだと思い込んでいる2名を引き連れての参詣になるので、色々な意味で彼らの動向から目が離せない(笑)。

 しかし、レイキをやることで鞍馬山を知った世界中の人間がゾクゾクとここにやってきているという噂を耳にしていたが、MGらしかり、そして昨晩、千載一遇の確率でたまたま京都で一緒になった、ヨーロッパで精力的に活躍しているレイキマスターNM(特定の人にはある主のスター)にバッタリ出会ったほど。彼も、本日鞍馬山に行くとのことだった。

いやいや、一体どうなっているのか(笑)?。

 ケーブルカーを利用したので、鞍馬寺まではあっという間に到着。お参りした後、一休みして、いざ奥の院めざしてGO。上り口には、木の杖が用意されていたので、皆でそれを借り、それぞれのリズムで無理なく登りはじめる。

 私は、一定のリズムでサッサと登っていくのが好きなので、知らないうちに先頭になっていたのだが、ふと後ろを振り向くと、フランス人3人が杖ついてゆっくりのぼってくる・・・・・。銀髪の77歳MGを真ん中に、その両脇にPDと夫がMGに寄り添っている・・・・。


ううん?!?!?、こりゃどっかで見たことがある風景?、銀髪の老人の脇に、若造2人のおつきが杖ついて・・・・・、って?!?!?!。


水戸黄門・・・・・、だ。


 そうかぁ、水戸黄門かぁ・・、と思うと妙に感慨深くなって音楽までアタマに流れ始めてきた。そして、また自分のリズムで、いざ目的地である、臼井甕男が悟りを開いたといわれている地へ向かう。信じるも信じないも、ここに彼らを連れてくることが、私の一つの仕事だったのだから・・・・・。

 本日のガイドであるMT氏によると、案内された場所は、いちおう噂ではここで臼井が修行したという場所でしかなく、必ずそうだ・・・、というわけではないということだった。が、そこに到着するや否や、ますます神聖な顔してエネルギーを感じよう、そして瞑想しようとしているMGとPDを発見。

 そんな後ろで、気分悪そうに座っているH嬢・・・・・・。あ、もしかして、またはじまっちゃった?、と思ったけれど、やっぱりそうで、どうも曰くつきの木から“悪いエネルギー”が出ているとのことで、それにヤラれて気分が悪い彼女は座り込んでいる・・・・。

 神聖な場所に、はるばるフランスからやってきてうっとりするMGとPD、その一方、樹木にやられてゲッソリするH嬢・・・・・・。なんつー人間を私は相手にしているのか?、と、一瞬思ったけれど、とにかく、その場を退散しようと、私達までも退散させるかの勢いだったH嬢にはとりあえず先にいってもらうことにした。

 H嬢の都合で、MGとPDがここでウットリしていられないのはさすがにかわいそうなので、彼らには思う存分ここにいてもらい、あとでどこかで待ち合わせ、ということで折り合いをつける。私も、彼らほどここでウットリしたいとは思わないけれど、さっさと立ち去る必要性もないので、あくまでもそれぞれのリズムを尊重するのがベストと思った。で、H嬢を痛めつけるという樹木の前で、夫婦の記念撮影をMT氏にしてもらうっ♪。 

 MGとPDを残し、ようやく曰くつきの場所を離れることができたH嬢の顔に血の気が戻り始め (←よかったよかった)、順調に歩き出したらすぐにT字路につきあたってしまった。もちろん、そこには日本語で行き先が書いてあったが、今、例の場所でウットリしている最中の仏人2名には、それが読めるはずもなく・・・・・。

 目的地は奥の院だが、さてどうやって彼らに道しるべを残すことができるか?、と4人で相談。なんだかんだいってウットリしている仏人2名もすけべなオッサンなのだから、裸の写真でもおいておけばすぐに気がつくのでは?、というアイデアも出てきたが、いかんせん、今、ここで、裸のねーちゃんの写真がない・・・(汗)。

 とにかく、彼らがふと、私達が残すサインに気がつかなければ意味がないので、色々と試行錯誤した挙句、彼ら宛てにフランス語で書いた紙を、枝で挟めるように簡単に工作して、立て札ならぬ立て紙を設置することになんとか成功。私達が立ち去った後に、突風でもふいてこれらが飛ばされないことだけを祈りながら、そこを後にした。

 そこから少し下った不動堂にて、私達4人は休憩&仏人2名を待つこと45分。無事に私達が残した道標をみつけて、MGとPDが満足そうな顔してやってきた。そのくらい、彼らにとっては貴重で至福の時を、例の場所で過ごすことができたとのことで、めでたしめでたし。

 あとは奥の院魔王殿経由で、貴船のほうへひたすら下山。こうして鞍馬山参詣は無事に終了。オプションとして、貴船神社と奥の院までも徒歩で参詣し、77歳のMGだけじゃなく、彼よりも若いはずな皆も、それなりにぐったりする一日となった。

 帰りの叡山電鉄の中では、余りの疲れに口をあけて熟睡するPDを、HF氏がパパラッチしていた(爆)。そして、この晩、休むことなく、H嬢とHF氏カップルは、新幹線で東京へ戻っていった・・・・。お疲れ様でした~♪♪♪。


2007年10月29日(月) 別行動

 私の鬱憤も溜まってきたこともあり、本日は別行動♪。MG(77)とPD(35)がペアになって、はじめてのお使いじゃないが、はじめての観光、というわけ、だ。朝食こそ一緒に食べたものの、食後からは完全別行動。ちなみに、朝食用のレストランへ出向いた時には、従姉H嬢カップルはすでに一路、奈良へ向けてホテルを出た後だった。

 別行動と決めた今、私が一番やりたかったことといえば、ホテルの部屋に戻ってダラダラすること。寝たり起きたり、夫は持参した自分のPCつなげてメールチェックしたりと、本当に京都に来てまでする必要がないことを延々と2人で満喫。私は、ドラマ『タイガー&ドラゴン』の再放送なんかも、マジマジと見てしまった(笑)。

 それでも、いい加減ダラダラしすぎたので、13時半頃にホテルのロビーに下りる。しかし、この時点でもどこに行くかいまだピンとこなかったので、先日高野山の金剛峰寺でみた、日本最大といわれる枯山水庭園が素晴らしかったこともあり、それじゃあ、いちおう、枯山水であまりにも有名になってしまった龍安寺にでも行ってみるか?、ということになった。

 そして、MGじゃないが、本日はバス路線をいちいち調べるのが面倒くさくなったので、タクシーで龍安寺へGO。寺についてタクシーを降りると、ここはどこ?、というくらい外国人観光客しかいないっ(爆)。それも、ほとんどが西洋人観光客で、短パンにジョギングシューズ、そしてベースボールキャップのご一行がうじゃうじゃ。

 これを見ただけでも、いかにこの寺が《ZEN》として世界中に有名か?、ということがうかがえる。あまりの外国人観光客の数に圧倒された私達は、とりあえず小腹を満たすために蕎麦屋に入る。観光地にあるみやげや類の蕎麦屋などに期待はしてなかったが、それがかえってよかったのか?、美味しく感じた。

 蕎麦のどんぶりの底まで透けてみえる蕎麦つゆをみて、ああ、今、確かに私は関西にいるんだな、と実感。とはいえ、きっと関西の人だったら、蕎麦じゃなくてうどんが主なんだろうけれど(笑)。ちなみに後で聞いたのだが、夫は関東の濃い蕎麦ツユのほうが好きらしい・・・(汗)。私は、関西のうすくちが美味しいと思うのだが・・・。

 有名な枯山水庭園に行くと、修学旅行生、外国人団体旅行客などが押し合いへし合いの状態で鑑賞中。あまりにもおもしろい風景だったので、彼らの後姿をカメラに収める。その後、いい場所をゲットして、庭園をながめながら座ってみたが、どうも何もピンとこない。感動すらしない(笑)。

 けっ、つまんねぇ、と思い、ざっと寺を歩いてみたあと、場所をかえることにした。龍安寺からも徒歩でいける仁和寺。ここは龍安寺で得た印象とうってかわって、私達に妙にヒットした。なぜか足を踏み入れた時から、興奮できる・・・、というか。

 ここも世界遺産として登録されているだけあって、有名で、たくさんの観光客がくるという点では龍安寺と同じなのだろうが、なぜか、私達はここが大いに気に入ってしまった。なので日没までここで過ごし、最後は警備員に門が閉まるので、急いで出ろと追い出された(汗)。

 さて、いつも神社仏閣を訪れる度に、御朱印を頼みまくる夫だったが、もちろんここ、仁和寺でも例外なくソレをお願いした夫。お願いされた係りの人が書き上げた御朱印を見て、いつものように日本語でお礼が言いたかった夫。

 何が言いたいのかわからないが、夫が大きな瞳で、御朱印を書いてくれたおじさんに訴えかけるように、じいっと見つめ続けている・・・・。で、ここまで見つめられて、全然動けなくなってしまったおじさん。そして、そんな2人は、いつまでたっても見つめ続け、妙に緊迫した時間が流れていった・・・・・・。

 これ・・っ、という言葉を言いたいらしい夫、が、それが思い出せない・・・・、ああ、どうしようっ、おじさんわかる?、ってな感じで、相変わらず、おじさんを見つめ続ける夫。

 この奇妙なシーンを夫がどうやって切り抜けるのか徐々に興味が出てきたので、靴を履いているフリしながら好奇心のアンテナを最大限にしていた私。そして、ついに夫が口火を切ったっ!。夫よ、やっと思い出したか?!?!。


そして、夫の口から出てきた言葉は、

『・・・イノキ・・・』


 長く引っ張られた上に、こうも予想もつかない言葉を耳にした私。《うげぇっ、猪木ィ、一体、あんた何が言いたいのぉっ ?!?!!》と、大きな声&日本語でそんな状況を突っ込んでしまったほど。でも、本当にうちのオッサンが何を言いたいのか、まったくわからないのだからしょうがない。

 で、もちろん、そんな言葉を聞いてしまった私の頭の中には、アントニオ猪木の顔しか出てこない。また、長時間見つめられた上に、突然、変な外人に『・・・イノキ・・・』といわれてしまったおじさんは、また別の意味で固まったまま、だ・・・。

 ますます奇妙なシーンに加速がかかるなか、それでも自分の言いたかった言葉を探し続ける夫が、私に色々と尋ねてくる。が、もう、アントニオ猪木だから、おかしくてしょうがないので、笑いがとまらない私。で、そんな猪木に似ても似つかない顔した、夫に見つめられたおじさんの顔をみると、また噴き出してしまう私。御朱印書いただけで、猪木って言われたねぇなあ・・・、と思いつつ。


そして、やっと夫が何を言いたかったのかが判明した。

それは、『おおきに』だった・・・・・。


 関西に来てからは、こっちでは『ありがとう』じゃなくて、『おおきに』って言うんだよ、と、何度も色々な人に言われていたこともあり、知ったかぶって今回こそ、『おおきに』と言ってみたかった夫だったが、今度も失敗。

 それにしても、イノキという言葉と、オオキニには、“キ”という共通語しかないのに、なんでまたイノキ?、で、アントニオ猪木なんていう人間が存在するのも知らないのに、これまたどうして?!。

 夫がイノキと言った時、誰かが調子にのって『ボンバイエっ!』と言ったら、おそらく笑い死にしていたと思われるゼロでした。


2007年10月28日(日) 蓄積された鬱憤

 予定通り、今朝の勤行は夫と共にパス。MGとPD、そしてH嬢カップルはもちろんやる気満々で勤行へ出陣していったな・・・、と想像させる足音がかすかに聞こえたが、そんなのスルーして、2人して爆睡続行。学校とか、会社を休むと決めてから布団に戻った時の快感に似たものを覚える。

 本日は、これからチェックアウトした後、皆で一路京都へ向かうことになっている。が、昨日の午後3時ごろ、これから私達が乗車する予定の南海高野線の、堺市堺区の線路上に、小型ヘリコプターが墜落、炎上した、ということ・・・。

 今、私達がいるE宿坊では、大広間に襖で仕切る形で、私達の部屋、H嬢カップルの部屋、MG、とPDのそれぞれの部屋として与えられていた。が、さすが襖一枚、皆が寝静まった?、ぐらいになると、絹連れの音、もしくは呼吸の音まで、そりゃあよく聞こえてしまうほど。

 そんなわけで、電話などもなかなかしにくい雰囲気だったところに、明日から私達に合流してくる予定のMT氏からの電話。で、なぜか、どんなことをしてもマナーモードにできない私の携帯が、こんな状況の宿坊で鳴り響く・・・・。

 げげげげげっ、と、慌てて電話に出ると、MT氏。おまけに、ものすごく受信状況が悪いため、会話が双方でよく聞こえないため、大きい声で話さないといけない・・・・。で、なんとか話せるなと思った時に、MT氏が『南海高野線、現時点でも不通やて・・・、で、明日も見込み薄いみたいやで・・』ということで、で、私がビックリして『えーーーーっ ?!?!!?』と言おうとしたら、電波が悪すぎて電話が切れてしまった・・・・・・。

 で、もう一度MT氏に電話しようとしても、もう繋がらず・・・・・。こんな不安な情報を寝る前に聞いて、どうやって寝ろというんじゃ?!?!??!、おーーーい、なんとかしてくれ、MT氏よ・・・(涙)。ありがたいのか、いやがらせなのか?!?!??!。ま、これ以上電話かけなおしたり、電気つけて動き回ったりしても、襖一枚向こうに寝ている同行人らを起こすだけなので、オトナシク布団に入ったままでいたものの、ああ、どうすんだ明日?と杞憂しながら就寝。

 一夜明けてみると、さすが日本人、夜通しで工事したのかどうかはわからないけれど、とにかく南海高野線はすでに復旧、問題なく京都へ向かうことが出来ることを知り、皆でホッとする。

 本当は、京都に行かずに奈良で観光したあと、夜、京都へ向かう・・・、という予定を組んでいた私。が、MGが高齢なのに、人一倍大きなスーツケースと、それプラスもうひとつスーツケースを持ってきており、これが完全に彼だけじゃなく、私達の足枷にもなり、自由がまったくきかなくなってしまったため、京都のホテルへ直行・・・・、というコースになってしまったのだった・・・。

 今回私は、旅行代理店以上の細かさでコースを作っていたのだが、とはいえ、本来の私の性格だと、全部計画通りに動くというが嫌でしようがないのだ。計画を立てるのは、あえて目処をたてるためであり、それを考慮にいれながらも、即興でどこかに行ったり、楽しんだりということが出来ないと、私にとっては旅行とはいえない。

 ゆえに、ここまで来るまででも、かなりMGのために、私のやりたいことが犠牲になっているのは確か・・・・。移動が面倒くさいから、すぐにでもタクシーに乗りたがるMG。これも、私は、好きじゃない。その場その場の雰囲気を味わうには、路線バス、電車、もしくは待合室とか、そういったところにたくさんの面白さがあるわけだし、また、見ず知らずの人と会話するのだって楽しいはずだ。

 が、そういったことを全部はしょった上で、日本のキレイなところだけを見ようとする、MGに対して私のフラストレーションは日に日に高まるばかり。私だって旅行者なんだよっ、好き勝手に動きまわりたいんじゃーーーー、ボケっ!、といった感じ。

 一方、私は、必ず目的地に向かう前に、皆に“どこへ向かうのに対して、どのくらい歩いて、どのくらい電車にのって”という目処をきちんと説明したうえで、現時点での体調を考慮してもらった上で、続行可能かどうかを必ず確認とっているにも関わらず、私を発狂させるようなことをするのがMG。

 昼飯はちゃんと食べておいたほうがいいと言ったのに、“今はお腹すいてないから・・・”と、刺身だけしか食べない。そんなのを横目にあとで、腹が減って歩けないなどと行ったら絞め殺す・・・、とか思っていると案の定、しゃりバテのご様子っ(怒)。

 “これからかなり歩くけれど、キツかったら途中からタクシーのってホテルに帰ることも可能だからいつでもいってくれ”と、何度もMGに向かって言っているのに、『大丈夫』の一点張り。でも、実際は、全然大丈夫じゃないのは火を見るより明らか。

 晩飯を食べ終わった後でも、寄り道をしたりぶらぶら町を歩いたりすることもせず、さっさとホテルに帰ろうとするMG。別にMGがさっさとホテルに帰ろうと、自分ひとりでできるのなら何も問題はないのだ。が、いちいちこの爺さんのやりたいようになんてあわせたくないし、そんなつまんねー旅行の仕方なんか、本当にしたくない人間がいることなぞ、この爺さんはわかっているのだろうか?!??!。

 人に気をつかわせ、自分は黙して察しろという態度に、マジ切れ寸前なゼロ・・・。果たしてどうやることやら?!?!?!?!?。


2007年10月27日(土) 勤行

 朝6時半より、J宿坊の本堂へ赴き勤行に参加。フランス人3人組は、ちゃっかりと椅子席を陣取った模様。私は、用事でちょっと遅れて参加したため、本堂の隅で正座。薄暗い本堂の中に、お坊さんが唱える般若心経が低く響く。

 MGとPDは、この時とばかりに真面目な顔して瞑想状態にはいっている。きっと、この瞬間が大切なのだろうし、こういう経験をしたくて日本に来ているのだから・・・、と、思うものの、どうも彼らを見ながら、笑いが出てきてしまう自分がいる・・・・。

 じゃあ、私は朝の勤行に参加してどお思ったか?、といえば、早朝の法事に引っ張り出されたような感覚・・・、といったらご理解いただけるだろうか?。特に、ふとふりむけば、従姉H嬢の姿がある・・。人生の、ほとんどの法事の席には、H嬢も一緒だったのだ。

 焼香のやりかたなどは、いつもよくわからないまま適当にやっている・・・、というのが正直なところ、それが私のレベル。それでも、ま、一応キチンとやろうと思った時は、無造作にH嬢の姿を探したりする自分がいるから面白い。きっと、幼い頃からやっていたのだと思う。特に、H嬢は、こういう作法についてはキチンとやるタイプゆえ、困った時のH嬢・・・、ってな感じで、お手本にさせてもらっているというわけ。

 ということで、H嬢のマネして、焼香まであげちゃったからには、もう、私には法事にしか感じられず・・・・。勤行が終わった後に、坊さんの話があるのだが、これも、法事で馴染みの風景。MGやPDのように、そんなに手離しで感動できんぜ、まったく・・・・・。

 と思いながら、ま、フランスの教会に観光でやってきて、そこでやっているミサなどをみて《素敵っ !!!》と思う、非カトリック観光客もたくさんいるのだから、それと一緒か?、と思ったら、ニヤニヤしてしまった。ミサの様子などは、夫などにとっては、素敵でもなんでもなく、私における《法事》感覚でしかないのだろうし(笑)。なので、明日の勤行にはでないと、この時点で決めた私だった。

 やたらに美味しい精進料理の朝食をたらふく食べた後は、J宿坊をチェックアウトして、E宿坊へ徒歩で引越し。宿坊の坊さん全員が英語を話すというJKR宿坊は、あいにく満室だったため、それでも英語が通じるということでこの宿坊をチョイス。私は通訳するけれど、でも、朝から晩まで通訳したくないし、私を介さず、他の人から英語ないしフランス語で情報を得る体験をオッサン連中にしてもらいたかったので、なんとしても英語が話せる人間がいる宿坊がよかったのだった。

 まだ午前中だったので、E宿坊に荷物を置かせてもらい、私達はそのまま観光に突入。仏人3人組には、音声ガイド機を借りてもらい(MGとPDはフランス語、夫は英語)、6人で、一の橋からひたすら徒歩で奥の院をめざす。

 奥の院を参詣したあとは、一休みかねてランチ。そして、またバスで金剛峰寺まで行き、あとはひたすら歩いて観光。77歳のMG、かなり疲れているだろうに、鑑賞するものがてんこ盛りで引くに引けないといった感じ・・・・。個人的には、金剛峰寺と壇上伽藍は、旅行中私が一番気に入ったところとなった。

 そして今晩も早めの夕飯で、もちろん精進料理。仏人3人衆は、どこかから椅子を調達してきたもようで、椅子に座りながら、畳にきれいに並べられたお膳の料理を食べていた。その様子は、まことに奇妙だったので、またビデオ撮影。

 食事の後は、阿字観瞑想と写経に挑戦。ただし、写経については、MGとPDは参加放棄。仏人3人衆の中では、夫だけがトライすることになった。漢字大好き仏人だけあって、かなりのスピードであっという間に写経を終えていたのには、ちょっとだけビックリ。

 それにしても、阿字観瞑想でもなんでも、なぜ瞑中にいつも夫と目が合ってしまうのだろうか?、と不思議でならないゼロでした。


2007年10月26日(金) 味、いろいろ

 紀伊勝浦といえば、海の幸、とくに《まぐろ》の町として有名・・・・。ならば、それらを堪能しなくては・・・、ということで、いざ出陣。昨晩の夜は、あらかじめ下調べしておいた店へGO。が、残念なことに、椅子席はカウンターのみ。が、カウンターではどうも夕食を皆で楽しむ・・・、という雰囲気になれぬと、フランス人側からの拒絶にあい、結局は、カウンター向かいの畳席となった。

 ま、フランス人らは、雰囲気を優先したばかりに、結局は自分で自分の首を絞めた結果にない、そりゃあ、小さな空間と小さなテーブルの下に、なんとかして足を伸ばして座り、なおかつ長時間安定していられそうなスタイルをみつけるのに、四苦八苦していた。

 そんなあまりにも滑稽な彼らの姿をただ見過ごしているわけにはいかないので、さっそくビデオ撮影。これまたフランス人連中から激しいブーイングが飛んでくるが、そんなことかまってられるか!!!、とばかりに、延々と撮影みる。その店で、それまで静かに食事していた人には、さぞかし“うるせー連中がやってきた”と思わせてしまったことだろう・・・、申し訳ない。

 ようやく、皆が落ち着いたポジションをみつけたのか、次のステップへ勧めそうな気配になってきたので、一応適当にオッサンらの確認をとりながら、ほぼ私の一存で注文を開始。まぐろづくしにはじまり、旬の魚の刺身づくし、数種類の魚の煮付け料理など、値段も見ずにどんどん注文。

 太っ腹だなぁ・・私・・・、と自分で自分につっこみながら(のちの勘定がちと怖いのだが・・・)、でも、メニューを見ていると頼まないではいられない。こんなもの、フランスじゃ食べられないのだからっ!。

 魚によっては、わさび醤油、生姜醤油と色々とソースが違うので、そのたびに小皿に人数分用意された醤油がテーブルに並ぶのだが、何度いっても、オッサンらは醤油の違いが判らない模様。これぞ生姜醤油だ・・・、という刺身に、わさび醤油だったり、もう滅茶苦茶なので、そういうのは視界に入れないようにした。とにかく、自分が美味しいと感じられればいいのだから、と・・・・(汗)。

 私も、モリモリと刺身を食べたが、オッサン連中も私以上にモリモリ刺身を食べている。あれっ、刺身って、モリモリ食べるものだったっけ?、と、一瞬そんな疑問がよぎったが、スルー。あっという間に注文したものを4人で食べつくしてしまった。

 そして、食べつくしてしまったフランスおやじ3人に、とあることを発表。彼らがモリモリたべた刺身の中には、《クジラの刺身》があったことを伝えてみる。うええええっ、っと驚いている彼らに追い討ちをかけるように、《おめでとうございま~すっ。これで、あなた達も日本人っ♪。これからは日本人が野蛮とか、イチガイには避難できなくなりました~♪♪♪》と、祝ってみた。

 こんな私の手口にはそれでも慣れている夫とは違い、MGとPDは“してやられた・・・”という顔をしたものの、それでも、意外にクジラが美味しかったので、苦笑いしていた。が、彼らはやっぱりマグロのほうが美味しいとのことだった。ま、ひとそれぞれだからねぇ、わはは。

 さて、本日からは、そんな禁断の味の世界とはうってかわって、肉と魚を一切使わず、植物を主とした、仏教の修行食の精進料理三昧。紀伊勝浦から紀伊田辺まで特急で移動したあと、バスにて一路、高野山奥の院まで。

 紀伊田辺駅のバスターミナルでバスを待っている途中で、突如豪雨に見舞われ、バスに乗るだけで全身びしょ濡れ。バスに乗った後も、まるで川の中をバスが走ってるのか?、というぐらい強烈な雨のなか、ほぼ貸切状態で私達しか乗客のいないバスが高野山めざして進んでいく。

 護摩壇山で違うバスに乗り換えて、いよいよ高野山奥の院に向かう。雨足もだいぶ落ち着いてきたようで、雨上がりで靄がかかった山々の景観が、あまりにも幽玄で、しばし見入る。

 日も完全に暮れ真っ暗になった頃、宿泊予定のJ宿坊に到着。ずいぶん前からそこに到着して、すっかり入浴まで済ませた従姉H嬢とその婚約者F氏が、寺の人に代わって宿坊を案内してくれる。J宿坊の人らは、どうもわしら一行に、いい部屋を用意してくれたみたいで、予想をはるかに上回るゴージャスな場所に、旅の疲れも吹っ飛んだ。

 そして精進料理が用意された部屋へ、皆で浴衣で参上。畳の上に、キレイに用意されたお膳をみて、わーーっ、美味しそうと素直に喜ぶのが、私と従姉達カップルの日本人3人組。一方、フランス人3人組みのほうは、《また、畳のうえに座っての食事か・・・・》と、戦々恐々なのが笑える。

 お膳は、テーブルよりさらに低い。ということは、さらに畳に近いというわけで・・・・・。一瞬、日本人のように一枚の座布団の上に正座をしてみたMGとPDだったが、あっという間にその体制に耐えられなくなり、座布団を5枚くらい重ね、それに跨るようにして座る・・・、という暴挙にでた。

 もちろん、何度も色々な方法で座りなおしていた彼らだったので、浴衣の前はどんどん肌蹴てきているので、ニョキっと、彼らの“なまっ白い大腿部”が付け根スレスレくらいまでお目見え・・・・。

 そんな彼らの向かいには、私達日本人3人組。ストリップしてんのぉ?、というくらい太もも出している彼らと違って、キチッとした姿勢でサクっと、一枚の座布団の上に穏やかに正座している日本男児F氏。その姿が、妙に美しくさへ見えるのは、フランス親父3人衆効果なんだろうか?。

 そして、H嬢がメイン、私がその補佐といった感じで、お櫃からご飯をよそったり、お茶をそれぞれに入れたり、お酒のお酌をしたりと、一時ばかりの出血大サービス。そんな姿をみて、ボキャブラリーの少ないフランス人衆は“芸者だ、芸者っ !!!!”と言って喜んでいたが、どうみてもわしらの姿は仲居でしかなく・・・・(汗)。

 日本に来る以前から、仏人3人組みには、精進料理だけだとお腹いっぱいにならないだろうけれど、そのつもりでいるように申し伝えてあったのだが、昨今の宿坊料理は味だけでなく、ボリュームもかなりあって、皆、満足した様子で、めでたし、めでたし。高野山名物、護摩豆腐もうまかったぁ♪。


2007年10月25日(木) にゃんこ先生

 本日は観光バスで楽々観光♪。天気はあまりよくないものの、昼に新宮駅前から出る定期観光バスによる3時間おまかせコースに申し込みをしてあるので、鮭3匹のこともあまり気にせずゆっくり私も観光できるはずっ♪♪♪。で、コースは、以下の通り。

新宮駅~熊野速玉大社~熊野古道大門坂~那智の滝~熊野那智大社~青岸渡寺~紀伊勝浦駅

 バスに乗り込もうとすると、運転手が《あれえ、日本語わかるかなぁ・・・》と私達を見ながら、不安そうな独り言をもらしたのを聞き逃さなかった私。《あ・・・、そっか・・・、私も日本語わからない人だと思われてんのね、運転手さんに・・・・》と、ちょっとガックリしながら、《大丈夫ですよ、運転手さん、私、日本人ですからっ♪》と、胸を張って伝えると、運転手の顔もみるみるうちに明るくなっていく。

 バスに乗ってあっという間に、熊野速玉大社に到着。到着と共に、運転手が《○時までにバスに戻ってください》というのを耳にして、しまった・・・・・、と思った私。すっかり忘れていたのだ、こういうモノを・・・・・(涙)。

 日本人仕様の観光バスなので、観光時間も短いのが常。でも、規律正しい日本人は、ちゃんと言われたとおりの時間にさっさと観光を終えて戻ってくる。それも5分前に戻ってきたりする人種・・・、それが日本人・・・・・。

 が、私が引き連れてるのは、非日本人3名で、その中でも徹底的に時間にルーズなのが我が夫なのだから、マジでヤバイ。楽々観光が、地獄の観光になる悪寒・・・・・(号泣)。でも、気がつくのが遅すぎた・・・・、ゼロ、大失敗、うえーーん。

 MGとPDはそれでも、かなり時間感覚が日本人に近いから安心できるのだが、案の定うちのオッサンは、全然バスに戻る時間を気にせず、のびのびと御朱印頼んだり、写真とったり、その辺の日本人と片言の日本語で交流したり、本当に好き勝手にやっている・・・・・。

 で、結局、このオッサンにいちいち集合時間のことを伝えながら監視する役目で、私はほとんど観光できない・・・・・・。《早くしろ》《気をつけろ》など、常に言ってないといけないツアーになってしまうとは・・・・。それでも、あくまでマイペースで集合時間をまったく気にしないおっさんに、那智の滝の前で、とうとう私がキレた !。

 で、那智の滝の前で夫婦喧嘩に突入。でも、喧嘩を続行する時間もないので、私は夫に《これからは、バスに乗り遅れようとなにをしようと、わしは知らん!。自分で注意して、何時に戻るのか、そういった情報をゲットしろ!!!!。》と申し伝えた後、観光中は一切口を利かない、面倒みない、夫を視界にもいれない、と、私は誓ったのだった。そのくらい、腸が煮えくり返っていた私だった。

 そして、観光のハイライト、熊野那智大社までの参道を延々と登り、隣の青岸渡寺から、再び那智の滝を私が眺めていた時のことだった。私が仏人3名の引率責任者だと推察したらしい、おみやげ売り場のおばさんが、親切にも、那智の滝が一番きれいに見える場所を教えてくれたので、さっそく、皆に伝えようと思った私。

 ちょうど私のすぐ傍にいたMGには、すぐにその場所を案内。続いて、PDに伝えようとその姿を探してみると、まだ、彼が青岸渡寺の中にいることがわかった。で、夫も隣にいる様子。が、夫には直接伝えたくないし、おまけに、また階段を登って青岸渡寺内にいくのも面倒くさかった私は、寺の下から大声で、

《PDっ!、あとでこっちに降りてきたら、あっち側に滝の絶景ポイントがあるらしいから、行って見てね~♪》と叫んでみると、寺の中からPDが《わかったよ~♪》と答えてきた。で、その隣で、妙に焦った顔した夫が見え隠れしたが、軽く無視。

 伝えることは伝えたし、さーてと・・・、ちょっとホッとして絶景ポイントに私自身が向かおうとした時、背後でスゴイ音がした・・・・・・・・。

正確にいえば、誰かが寺の階段から落ちた音・・・・・・。

で、もっと正確にいえば、絶対にそれは、夫・・・・・・・・の、はず・・・・・。


 恐る恐る、振り返ると、皆、今起こったことにビックリして静止状態。すべてを目撃したPDも静止状態だったが、ハッとして夫に駆け寄って《大丈夫?》と、怪我がないかどうかなど夫をいたわり始めた。介抱されている夫自身は、じいっと私を見ている。だから、私もじいっと彼を見る。でも、その視線は決していたわりのものではなく、呆れ返った視線といったほうが正しい。

 夫にゆっくりと近寄っていきながら、ただ夫を見つめ続けると、夫が《寺の下で、自分の妻が騒いでいるから急いで降りようと思ったんだっ !!!!》と、わけのわからんことをほざいてくる。なので、即座に《早く来いとも、なんとも、わたしゃ言ってない!。おまけに、階段から落ちろなんて、頼んだ覚えもないっ !!!!》と、夫に言い放つ。

 幸いにも、会話はフランス語、公衆の面前で夫がこれ以上に恥をかくことはないのだから、せめて言いたいことは言わせてもらおうっ、と思った次第。が、それにしても、だ、かなりの音だったので、目撃者PDに事のいきさつを尋ねてみた・・・・・。

 なぜか、私がPDにかけた言葉に異常に反応して、勝手に焦った夫が、要は階段から足を踏み外したものの、首からは一眼レフデジカメをさげていたため、柔道の転がる技のようにカメラを守りながら、くるくると回りながら夫は階段を落ちていき、最後は、パッと着地成功したという・・・・・(汗)。

 実は、ここ数年、ずうっと夫のことを、とある理由で《にゃんこ先生》と呼んでいる私。そんな私につられて、夫のことをにゃんこ先生と呼ぶ人は年々増えてきているのだが、とうとう、このにゃんこ先生は、青岸渡寺にてあの必殺技『キャット空中3回転』をやってしまった模様・・・・・・・・・・・。

 そっか・・・・・、本当に、あなた、にゃんこ先生だったのね・・・・、と、妙に納得したと同時に、どこまでも想像を越えたことをやらかす夫、で、そんな夫を選んだ自分は一体なんなのか?、と、那智の滝をみながら黄昏れたゼロでした。


2007年10月24日(水) 温泉

 宿泊したホテルは、朝食サービスがなかったため、各自、昨晩コンビニで購入しておいたモノを朝食とした後、ロビーに集合。10時チェックアウトのホテル自体に、あまり慣れていないフランス人達だったが、10時までにロビーに降りてきた後は、そこで列車時間間近までダラダラさせてもらう。

 そして、伊勢市駅、11時05分発の電車に皆で乗り込む。多気駅までの数駅だから、あまりくつろがないように・・、と、連れのフランス人連中にキツク言いつけておく。そして、多気駅からは、目的地である紀伊勝浦駅までノンストップの特急♪。ジャパンレールパスで楽々&得々なコースだ。

 乗った特急の指定席部分はガラガラだった。でも、座席指定の都合で、私たちの隣には、強烈におしゃべりであまり品のいいと思えないおばさん連中が3人、完全にくつろいで座っていた・・・・・。それも、本来なら私達の座席に・・・、だ・・・・・。出たよ・・・、ばばあ・・・、と内心思いつつ、一応、イヤミでこのばあさんらに《あのぉ、この席、どう確認してみても、私達のモノらしいんですけれど、どうしたらいいでしょうかねぇ ?!?!?!》と、尋ねてみた。そう、私は、こういった人に敢えてゲーム感覚で挑んでみるのが好きなのだ、わはは。

 するとばばあ連中は、《あら、おかしいわねぇ・・・。》といいつつ、なかなか自分達のチケットすら確認しようとしない。で、私は内心《出たっ!!!!、強烈に図々しいばばあ攻撃っ !!!!!》と思いつつ、ここでばばあを攻撃すると傍から見れば高齢者虐待になるので、あくまでも哀れな旅行者を装って、アホみたいに《どこに座ったらいいんでしょうかねぇ・・・・》と、一芝居うってみる。

 ガラガラのようにみえた車内とはいえ、巻き込まれるのは嫌だけれど、暇つぶしに他人の問題に興味津々な波動が、あちこちから感じられる(爆)。皆、きっと耳をすませて、事のなり行きに関心を寄せているのだな、と感じると、ますます私は面白くなってきた。

 一方、日本語がまったくわからぬフランス人3名は、彼らのボスである私が、何かやっているのだけはわかるので、その後ろで純朴な顔して、列車の通路に整列しているっ(笑)。そして、相変わらず、ばばあは知らん振りを決め込み、靴を脱いでシートの上に座ったままの姿勢を崩そうとすらしてない。

 そんなやり取りを察知したのか、車掌が私達のあいだに割って出てきてくれた。それも穏やかに♪。その直前に、すでに私がわざと恩着せがましく《どうぞ、動かないでこちらで座っていてくださいませ♪。私達は、今のところ空いていると思われる座席に、“ちんまり”と座りますからっ !!!》と、ばあさんらに宣言しておいたところだった。

 で、ばあさんがが《あら、そう?!?!?!、いやあ、ごめんなさいね~》等と、まったくすまないなんて気持ちもないまま、向こうも一芝居うってきているところに登場の車掌さんっ!!!!!。そんな車掌さんに、ガイジンみたいなウインクをして、《このばあさん達、たまりませんなぁ・・・》みたいな、ジェスチャーをしてみる私。そして、そんな私を見て、ニッコリしてくれた車掌さんっ。

 結果、このやりとりの効果は、20分後くらいにさりげなく現れてきた。車掌は、さりげなく空いている座席を、向かい合わせにして4人座席にしていく。そんな彼の作業をみながら、私は《きっと、これから人が乗って来るんだ・・・》と思っていたのだが、実は、暗黙のうちに私達に《ボクが作った4人座席×4を、君達4人で好きに使ってくれたまえ!》というサインだったらしいことに気がついた。

 ここまで車掌が敢えて日本語を使わず、アクションで私達にモノを伝えてくるタイプだったこともあったゆえ、私じゃなくて夫にジェスチャーで、《この各4人スペースに、僕達一人一人で座っていいですか?》というやり取りをやってもらう。すると、夫のジェスチャーは、車掌にダイレクトに伝わったらしく、彼が即座に満面の笑みで、《どうぞっ♪》という仕草を示して答えてくれた。

 いやあ、それにしても、この車掌のさりげなく美しいアクションに、私を含める総勢4名で感動。こんなことはSNCFではあり得ないっ、と(爆)。この日本独特の《察する》文化、そして、お客様すべてに満足してもらうという姿勢に慣れてない、彼らは痛く感動していた。

 日本に住んでいればそこまで感動しなかったのかもしれないが、しょっちゅう日本に戻っているとはいえ、こういったサービスを目の当たりにすると、私も、本当に嬉しいっ!!!!。時とすれば、うざくもなる《察する文化》だが、やっぱり、このさりげない見守り行為は、他者のあたたかさを感じる瞬間でもあると、ひしひしと思った。

 以後、車掌きってのススメで、各自4人シートでのびのびさせてもらった後、JR紀伊勝浦駅に到着。午後2時ちょっと前だったこともあり、ホテルに行く前に、駅前の寂れかけた商店街の一角にあった食堂で皆でランチ。

 ここでも、皆私任せなので、勝手に《さんま寿司》を注文。フランス人3名はそれを美味しいと思ったかどうかはわからないが、とにかく私はそれを“すんげぇうめぇっ !!!!”と思い、あっと間に食べ尽くしてしまった(汗)。秋といえば、秋刀魚っ!!!!。私の大好物なのだから・・・・・・・・・・・・。

 腹を満たした後は、私を先頭に、皆で、ひたすら港に向かって歩き、ホテル宿泊客専用の船に乗って向かいは、ホテル○島。夫のたっての願いで、温泉施設の充実しているホテルを・・・、ということで、私が選んだのがこのホテル・・・・・。

 このホテルの隣にあるホテル○之島とかもあったが、コストパフォーマンスとアミューズメントパーク的要素を考慮したあげく、私が選んだのはホテル○島だった。ちなみに、以後の私達の行程には、温泉は含まれていない・・・・。それだけに、日本旅行が始めての彼らに、温泉を体験させるために選ばれたホテルに、私達はようやく到着。

 各自部屋に入り、一息ついたあと浴衣に着替え、ロビーで集合。あのダンディーなはずのMGが、間違えて女性ものの浴衣をまとい、それがあまりにも“つんつるてん”で丁稚奉公のガキになっているのがご愛嬌(笑)。とにかく、MGとPDに我が夫3名が、思うままに着込んだ浴衣で現れた瞬間に、ポーズをとってもらい、私はただただ激写っ!!!!!。

 ちなみにこのホテルには、7つの温泉風呂があるので有名。宿泊客は、チェックインと共にホテル内のイラスト温泉マップをもらい、各温泉に幾たびにスタンプを押す、いわゆる《スタンプラリー》を楽しめるようになっている。また、このホテルは巨大ゆえ、各温泉を巡るには、かなり歩かなければいけず、これまた“オリエンテーリング”を楽しんでいるかような醍醐味を味あわせてもらえる。

 ゆえに、温泉初体験&探検気分となれば、同行のフランス人らも楽しめるわけであり・・・・。とはいえ、残念ながら混浴じゃなかったので、温泉スタンプラリーのリーダーは、私ではなく、私の夫。以後は、♂3名での禁断の快楽温泉ツアーになった模様だった・・・・・(笑)。


2007年10月23日(火) 鮭3匹

 新幹線に乗る品川駅に行くまでの、朝の通勤ラッシュ・・・・・・・・。

 毎日、クルマ通勤のPD(45)と、現役の頃はクルマ通勤、今や幸せな定年退職者として、通勤というものからも解放されて久しいMG(77)。某駅で待ち合わせをした私たちは、いざ改札に入り、ホームへ降りようとするのだが、その時に到着した電車から、たくさんの人が降りてきて、改札付近は大変な混雑。

 まさに人の波に、私の後方で、フランス人3名があっという間に飲み込まれていく気配がしたので、振り向くと、そりゃあパ二クった顔して、人の波に逆らうようにして、私のほうへ来ようとしている彼らを発見。鮭の遡上か?。品川に到着する以前の問題で、電車にのる前でこの調子・・・・。

 特に、動きやすいようにリュックを背負えと何度も言ったのにも関わらず、リュックなんぞ格好悪いと私の忠告を無視した、なんちゃってダンディーなMGは、もうここで散々痛い目にあっている。この人ごみの中で、巨大なスーツケースを右手、小さいスーツケースを左手にそれぞれ持ち、それらをスムーズに押して歩くなんてことは、絶対無理。おまけに、エレベーターがあるところまで行き着けないので、手っ取り早くわしら3人は階段を下りることができても、MGは無理。

 足手まといっ!!!!!。

 もう、本当にこれ一言に尽きるっ!!!!!!。

 PDと夫が交互に、MGの大きいスーツケースを運ぶことで、なんとかその場を凌いだものの、本当に先が思いやられる。さて、こうしてすでにヨロヨロになって乗り込んだ電車も、通勤ラッシュゆえ、座れるはずもなく・・・・。とはいえ、すぐに降りそうで、それでいて座席に座っているメンツをすばやく私がチェックして、その前にMGなどを立たせてる。

 すると数駅もすると、その目処をつけた人間が降りていったので、MGはめでたく座れた。それを目の当たりにして、PDが、《ゼロは霊能者か ?!?!?》等と、フランス語で言ってくるので、思わず爆笑。いやいや、そんなことはないんだよ、オッサンら・・・・。誰でも、わかるんだよこんなこと・・・、と言っても、彼らはどうもピンとこない模様・・・。ま、いっか?。

 それにしても、優先座席には若いモノが平然と座っているのが、日本のスゴイところ。この店では、優先席があろうとなかろうと、ちょっとでも年配そうな人をみたら、サッと席を譲るのが普通になのだが、どうも日本はそうでないらしい。ミッシェルなどは、ダンディーとはいえ、シルバーグレイの髪といえばかっこいいが、要するに髪の毛真っ白なのだから、席を譲られて当然ないでたちなわけだ。が、みんな無視。これは、スゴイっ!!!!。

 しばらくして、新宿駅で山手線に乗り換えとなる。が、これまたすごいラッシュにて、完全に鮭3匹は、思うように遡上もできず、みるからに消耗しているように見える。それでも、夫とPDはなんとかなったが、完全にMGの様子がヤバイ・・・・・。とはいえ、そんなMGをかわるがわる自発的に気にかけ、MGのプライドを傷つけることなく、常にフォローに入る、夫とPDのチームプレイは、なかなか見事だったりするから面白い。これが、男同士の美しい師弟愛なのか?!?!?!?。

 山手線のホームにおりると発車間近な電車を発見、それをみて自動スイッチが入ったかのように、私はスウーッとその中に乗り込もうとしていると、背後から夫のどなり声が・・・・。《ゼロっ!!!!、みんなはゼロみたいに電車にのれないんだぞっ !!!!!》とのこと。

 おおおおおっと、こりゃまた、失敬。朝に山手線などを見ると、昔の記憶が蘇ってきて、アグレッシブにも中に乗り込んでいこうとする細胞が騒ぎ出す結果、こうやって自分が鮭3匹引き連れていることも瞬時に忘れてしまうらしい・・・・。そんな自分にちょっとだけビックリ。

 外国人には絶対乗り込むことなんて不可能と見える車両にも、実はコツさえあれば乗り込むことなんていくらでもできるのさ~♪、等と説明してみたが、とにかく、あそこまで人がはみ出そうなまでの車両に、あえて乗りたくないっ!!!、と私は、鮭3匹にハッキリ釘をさされてしまった・・・(汗)。

 その後、なんとか山手線に4人揃って乗ることが出来、ようやく品川駅に到着。新幹線のホームまで来ると、さっきまでのストレスいっぱいのラッシュの東京とは違って、ゆったりとした空間が・・・。ようやく、のんびり旅ができそうな気分になってきて、MGも少しホッとしたのか、彼の笑顔も復活した♪。

 あとは、乗り換えの名古屋まで、新幹線の中でMGと私はひたすら爆睡。PDと夫は、車窓からの富士山のシャッターチャンスを逃さぬために、ほとんどの時間を通路で過ごしていた・・・(汗)。

 名古屋からはローカル線で、一路、伊勢市駅まで。車内で、名古屋駅であらかじめ購入しておいた駅弁にて各自で昼食。ここでお茶じゃなくて、ビール等、日本人の友人同士での旅だったら飲んだりするのだろうけれど、いかんせんこのメンツじゃなかなか気が抜けないので、冷たい緑茶。ううーん、でも、これがまた好きなんだよなぁ・・・・。

 伊勢市駅に到着すると、その見事なサビレっぷりに、ある意味感動。地方都市によくある現象とはいえ、これはなかなかスゴイ。ドーナツ化現象で、駅前の通りはシャッター通り化している。おまけに、あらゆる電信柱には、巷で色々とお騒がせな《赤福》の広告っ!。

 ホテルは駅から歩いてすぐなはずなのに、駅に到着した途端に、MGが《タクシーを拾おうっ !!!》と騒ぎ出す。あんまりうるさいので、タクシーの運転手に行き先を述べると、運転手に鼻で笑われてしまったが、あらかじめこのやり取りをMGに見せておいたので、彼もこれ以上《タクシー、タクシー》と騒ぐことができずに、私を先頭にして、皆でホテルに向かって歩く。

 そして、あっという間にホテル到着。これじゃ、運転手が笑うはずだよ、というほど駅からすぐ(笑)。荷物を置いて、少し休んだ後、日没が怖い私たちはすぐに伊勢神宮の観光へGO。

 ここでまたまたMGが《タクシー、タクシー》と騒ぎ出したので、先ほどと同じく、MGにタクシーの運転手とのやりとりを見せながら交渉。が、運転手自ら、《ここから外宮まではほんのちょっとなので、歩いていったほうがいいよ》との、お言葉。ゆえに、この時点でかなり疲れきっていたと思われるMGは、またまた頑張って歩かねばならなかった・・・・。

 そして、なんとか私たちは、その日のうちに伊勢神宮の外宮と内宮の両方を参拝することができた。めでたし、めでたし。ちなみに、内宮を参拝し終わった時点で、MGが倒れかけていたのは言うまでもない・・・・・・。


2007年10月22日(月) 観光手始め

 明日からの長期旅行を控えている私達。なので、あまり歩き回って疲れる観光は避けたほうが懸命ゆえに、本日は私が運転手となって、愛車にオッサン3名乗せて、お気楽な《ドライブスルー》観光をすることになった。

 朝、ホテルのロビーで待ち合わせ、車に乗り込む前に、明日の待ち合わせ場所となる某駅構内の説明のため、オッサン3名を引き連れてGO。素晴らしい秋晴れで、こんな日はオッサンの世話より、ただただ家でのんびりしてたいと思いつつ・・・・(涙)。

 さて、彼らを引き連れて歩いているうちに、すでに判ったことは、こういう説明をちゃんと聞いているのは、PD(45)だけだ・・・、ということ。他の2名、MG(77)と私の夫は、全然アテにならないことがあらためて判明。PDは、方向感覚も抜群によく、日本語はわからないにしても、私が述べる注意事項もすべてメモしているし、本当に頼もしいっ!!!!!。

 いずれにせよ、明日の朝はPDがMGを引き連れて某駅まで来るのだから、本日からPDをMG係として任命、他の事に関しても、PDに色々とMGの面倒をみてもらうことにした。私のほうは、いつ突拍子もないことをしかねない夫の監視で精一杯なのだから・・・・。

 3名をクルマにのせて、とりあえず私のお気に入りスポット兼、彼らが見たくてしょうがない仏閣などを観光。天気と時間(気を抜くとあっという間に日没になるので・・・)、そして到着して間もない仏人2名の体力を推し量りながらの行程になるので、運転&観光しながらも、私は前倒しで色々と考えないといけないのが面倒。

 というか、人の面倒みるのってこんなに大変なのかぁっ?!?!?!、と、はじめて認識・・・・・。ということで、2児の子育てで毎日が追われている親友MF嬢に、《なんか、ほんのちょっとだけあなたの気持ちがわかったような気がする・・・・》と、メール。とにかく、自分が楽しむ時間がほとんどない・・・・。うそだろ?!?!?!?!、って感じ。

 ランチの時間に差し掛かったのだが、店に入ってイタズラに時間を消費して、観光地に到着したら、あっという間に日没というパターンだけは避けたかった私は、パン屋に向かう。あの、日本独特の、トレーを各自が持って、食べたいパンを選ぶ・・・、というタイプのパン屋。フランスにはこんなもの存在しないし、自分で勝手に選べるのだから、私がいちいち通訳しなくていいや・・、と思って入ったのだが・・・・・。

 実際には、あれなに?、これなに?、と、様々なパンを指差しては、オッサンらは無邪気に私に尋ねてくる・・・・。うううっ、またしても私の選択は失敗に終わったか・・?!?!?!。おまけに、トレーを持って通路の真ん中に立ちすくんでいたりするから、他の客が皆、通路を通り抜けられなくて困惑している・・・・。あーーあ・・・。

 面倒くさそうなもの、および、目新しいものなどは手にしないMGは、ピザパン無難なモノを購入、夫は、そんな彼らを前に、ちょっとだけ詳しいのをひけらかしたいのか、なかなか見かけだけでは判断できそうもないパンを数点購入、そんな2人の行動を見て、それなりのパンをPDが購入と、パンを選ぶだけでも3者3様なのが、なかなか面白い。

 そして、購入したパンと一緒に、わが実家に立ち寄り、そこで皆でパンを食べながら休憩。しかし、私の実家に、このオッサンら3名が揃っている様子は、奇妙でもある。火星人に占拠されてしまった、ウサギ小屋のようだ。

 夫は、まるで自分の家に彼らを招いたかのように、MGとPDをもてなすために、飲み物の用意にはじまり、お皿やコップのなどをセッティング。ううーーん?、私の友人らが来た時には、こんなことしないのに、なんで(笑)?。夫にとっては、父のような存在でもあるMGを前にして、どうもこういった行動に駆られてしまうらしいのだが・・・・。

 彼らがパンを食べ終わった頃、ふと、冷蔵庫のところに張っておいた《ゴミ分別について》のパンフレットが目に入ってきたので、それを彼らに見せて説明してみた。実に細かく分けることが強いられている私の実家のある地域。さぞかし、《地球にやさしくない》フランス人にはビックリな内容だと思って紹介すると、やっぱり判を押したようなリアクション(笑)。リサイクルするための、紙ゴミなどの折りたたみ方まで、イラスト入りでちゃんと説明されているところなどに、特に驚いている模様。

 夫は、信じられないと連発するのみだったが、それでも、そんな夫と比べて、なかなかマニアックで几帳面なMGとPDは、《フランスもそうすべきだと思うし、もし明日からヤレといわれても、僕達は喜んでやろうと思うよっ !!!!》と優等生的なご発言。それが、言葉だけじゃないことを祈っとるよ、わはは。

 この後、2箇所の仏閣を巡った後、彼らをホテルに送り届け、しばし休憩してもらったあと、予定されていたF神父との食事会場へ彼らを、再びクルマで送り届ける。1954年から日本にいる、フランス人宣教師F神父。私も一緒に彼と食事の予定だったが、明日からの準備と、明日までにもうちょっと一人でボーっとしたかったので、私は一足早く家に戻った。

 そして、4人のフランス人が飲み食いした後、F神父がMGとPDをホテルに送り届け、夫は一人で家に戻ってきた。

さて、明日からだが・・・・・、
一体どうなるんだろうか・・・・・・・・?!?!?!?!。


2007年10月21日(日) 仏人2名、日本到着

 昨日、予定通り、わしらの友人MG(77)とPD(45)が、A○A機の直行便にて日本に到着。私があらかじめ説明しておいたように、成田に降り立ち、二人だけで頑張って色々な手続きをして(携帯レンタル手続き+ジャパンレールパスの手続き)、わしの実家のある最寄り駅までリムジンバスにのってやってきたのだ。 

 MGのほうは、これらの手続きをちゃんとできるかどうか果てしなく不安になり、それだけで疲れきってしまっていた模様・・・(汗)。おまけに、彼らが出発した10月19日(金)のパリは、ストだったらしく、MGとPDは、空港までの足として、MGの娘のクルマで送ってもらうことになった。が、娘も子供の送り迎えなどがあるゆえに、夜20時の便にのる彼らは、空港には実に14時には到着していたらしく、そりゃあ、恐ろしいほど長い時間を彼らは空港で過ごしてやってきたとのことだった。

 なので、最寄り駅にわしと夫で迎えに行った時には、彼らはヨロヨロと、ちょうどリムジンバスから降りてくるところだった。いつもダンディーなMGも、全体的にヨレヨレ、できるビジネスマンのようなスーツを着たPDも、左遷寸前のサラリーマン?、って感じで覇気がない。しきりに彼らは、《日本は遠いっ !!!》と言っていたが、ま、空港に14時から詰めていれば、そりゃあ遠いよ、オッサンたち・・・、と心の中で返事。私などは、14時ごろから荷造りすることだってあるのだから・・・・。

 そして、彼らをホテルに案内する。私の実家に宿泊するとなると、布団になる。で、さすがに到着した直後から布団に彼らを寝かせ、余計疲れるようになってしまったら、数日後から始まる旅行自体がオジャンになるので、ホテルに宿泊してもらうことにしたのだ。

 彼らがホテルの宿帳に名前を書いている後姿をパパラッチしながら、ふと、MGの荷物が妙に大きいことに気がついてしまった・・・・・・。そりゃ、巨大なスーツケース・・・・。そして、その隣には、小型なスーツケースが・・・。これって、すべてMGのなのぉぉぉお?!?!?!?!。あれだけ言ったじゃないか、身軽で来い、と・・・・・・・・・・・・・(涙)。

 もう、これだけでムカムカしてきた私。出発前の勉強会の意味もねーじゃねーかよ、オッサンってか、爺さんよっ!!!!!。PDのほうは、キチンと私の忠告を聞いて、それなりに動ける=旅ができる荷物になっていたので問題ないのだが・・・・。で、夫は、私がほとんど荷造りしているので、必然的に旅行が可能な荷物仕様になっているが、ただでも高齢で気をつかわねばならぬMGが、自らこんな過ちをしてくるとは夢にも思ってなかったので、眩暈すらした。ああ、どうやることやら・・・・・・・・。

 ま、とにかく気分をとりなおし、彼らが各自部屋に入り、休憩&身支度をしたあと、再びホテルのロビーで落ち合ってから、散歩がてら外に出る。パリの気温と違って、まだまだ暖かい日本に彼らは驚きながらも、適当に歩いた後、海鮮料理の店に入る。

 メニューはすべて日本語なので、また私がツアーのガイドのようになって、オッサンらが食べられそうなもの、驚きそうなものを適当に注文。鯵の刺身は、テーブルに運ばれてくる直前にさばかれたらしく、私達の前で切り身になっても、まだピクピクしている。で、コレを観て、判を押したように驚くオッサン連中。あまりにも判りやすい反応をするので、彼らをまた私がパパラッチ。

 MGもPDも刺身類が大好きなので、できることなら日本では魚ばかりを堪能したい私達夫婦にとっても非常に、彼らの嗜好はありがたい。しかし、日本=刺身と思っているところが、まだまだ日本のことをよく知らないフランス人だな・・、と思ったりもする。刺身だけじゃない、おいしい魚の食べ方満載なのが日本だというのに・・・・。口をひらけば、《まぐろの刺身》というMGに、またちょっとだけコメカミがピクピクしそうなゼロでした。


2007年10月20日(土) 必殺・ガイジン返し

 本日は朝から忙しくなる・・・、っというのに、午前4時ごろ、外から妙な音がきこえてきて起こされる・・・。アタマにきて寝室のある2階の窓から、音のする道路をのぞいてみると、ヤンキーくさい♂のバイクのエンジンがかからなくなり、それをなんとかエンジンかけようとして、延々とアクセルをキックしていたのだ・・・・。

 閑静な住宅街でこんなことをするかぁ、クソガキ・・・・・・・。

 ゆえに、アホヤンキーもどき、死んでしまえっ!!!!、と思ったものの、本当にヤンキーなのか、で、いろんな面倒くさい人がこのアホの後ろにいるのかもわからないし、いかんせん、我が実家はほとんど空き家でもあるから、妙な面倒があっても・・・等と考えると、《あっちいえ、くそがきっ !!!!》などと吼えて、追っ払うことも難しい・・・。

 さて、どうするか?。

 なんて考えていると、ヤンキーのほうがわしが窓からみているのに気づいて、《見てんじゃねーよ !!!!》とすごんできた。うちの塀をのぼってはいってくる勢いで、家に近づいてまでして、空元気で啖呵をきってくるクソガキ殿。そりゃ、むこうとしてもこうやってみないと格好がつかないのだろう・・・、というのも、全然エンジンのかからなくなったバイクの横には、アテもなく待たされている同じくヤンキー仕様な女性の姿が・・・・・。

 うーーん、それにしても、かっこわるいぞ、このクソガキ・・・・と思ったらおかしくて笑い出しそうになったので、そこは抑えて、選手交代、私の代わりに夫に窓から顔をだしてもらうことにしてみた。

 夫にはただ顔をだしてもらうだけじゃなく、思いっきり満面の笑顔と能天気なガイジンを装ってもらい、英語で《Hello ! We want to sleep ,sorry 》とクソガキに向かって述べてもらった。するとどうだろう、脳天気にも笑顔で眠れないんだよ・・・・、と、困った感じで訴えられたクソガキは、さすがに啖呵切り続けることもできず、苦笑いしながら、あっという間に退散していってくれた。ちなみに、《あ・・・》といいながら、クソガキカップルが力なく笑った声を私もハッキリきいた・・・(笑)。

 笑顔なガイジン攻撃は、ヤンキー相手でも通じたので、これからも何かがあったら夫に活躍してもらおうと思ったゼロでした。


2007年10月19日(金) 現実逃避

 嵐の前の静けさ・・・・・・・。

 あと少しで、フランス人♂2名がやってくる・・・・・・。

 一体どうなることやら?!?!?!?!。

 正確にいえば、この2名は本日、日本に向けて飛行機に乗り込む予定になっているわけで・・・・。



 ということで、どうなるか見当もつかない日々に突入する前に、おさななじみMT嬢と、親友MF嬢を招いて、我が実家で恒例の宴会。バカ騒ぎでもしておかないと、やってられない気分になってきていた私には、彼女らと憂さ晴らしで食う&飲むのが一番♪。

 現実逃避したい時には、料理に一層力が入るゆえに、かなり美味しいものが出来てしまうのが常。夫は夫で、私が完全にひとりっこモードで、自分の世界に浸りきって料理しているのがわかるのか、キッチンに入ってこない(笑)。いつもだったら、空気が読めないことにかけてはナンバーワンなのに、不思議なものだ。とにかく、こういう時の私は、誰にも手伝ってほしくないし、話しかけてももらいたくないのだからしょうがない。

 さて、今晩のテーマは塩。なので塩料理のオンパレード。塩豚角煮、塩焼きそば、小松菜とえのきと鶏肉の塩炒め、ぶりの塩焼きに、あとは私の特製サラダとししゃも等。友人らが来るまでに、全部作り終えている手際のよさ。うーーん、強烈に現実逃避したいのだな、自分・・・、と、再認識(汗)。

 そして、フランスからわざわさ担いできたシャンパンで乾杯。たとえ日本で同じ銘柄を購入したとしても、何故か味が違うのだ。なので、こうしてわざわざボトルを運んでくるようになって久しい。キンキンに冷やしておいたシャンパンはやっぱり美味しく、皆で一口飲むたびにうなる。フランスで飲んでもこんなに美味しいと思わないのは何故なのか?、一瞬思ったが、そんなのお構い無しに、グビグビと・・・。

 本当は3人で日本語オンリーで盛り上がりたいものの、日本語を解さない夫がいるために、皆がそれぞれサービス体制にはいって、色々と夫に質問してあげる。が、その質問を訳すのは、誰?、といえば、私・・・・。食えねえんだよ、おめーら・・・・っ!!!!。と、思いつつ、サービス精神旺盛な私も、どんどんと訳していく。

 そして、気づいたら何故か夫がどうやって童貞を喪失したか?、という話なっていた(笑)。彼の童貞喪失物語は、泣き笑いのスゴイ話なので、本人のキャラもあって、それをなんとかダイレクトに友人に訳したい欲求にかられ、当人の夫以上に熱く、ワンフレーズごと、ほぼ同時通訳状態で訳していった。

 ここは笑うところっ、というところで、間髪いれず私が訳すと、1、2秒くらいの差で、友人らが大爆笑するので、どうやら私の通訳もまんざらではなさそう。とにかく、《旬をお届けしたい》のだっ!!!!!。特に、シモネタとなってくると俄然やる気が出てきてしまうのは何故なんだろうか?。

 ま、ソレは置いといて、ようやく夫が難行苦行の果てに童貞を失うところまで来て、皆が爆笑しすぎてフラフラになったのを見て、ただただ、自己満足な世界に浸りつつ、通訳しすぎてすっかりぬるくなってしまったシャンパンを飲みながら、ご満悦な私。そして、ほどよい疲れ・・・・(汗)。

 さて、ホッとしたのもつかの間、今度は夫が友人らに質問をはじめた。おいおい、もうちょっと休ませろよ、おっさんよぉ・・・・・。で、どんなことを聞きたいのかと思ったら、オッサンは、友人らの処女喪失物語を聞きだそうとしている模様。なので、それを伝えると、友人らは《ふざけんな~、このすけべじじい♪》と、あくまでも明るく笑ってかわされ、夫はガックリ。もちろん、夫はすけべじじいという言葉を熟知しているので、これは私が訳すまでもなく、簡単に彼女らにかわされたことがわかった模様。ま、人生、そんなもんだよ、おっさん。

 こうしてシモネタで盛り上がった宴会は、明け方まで続き、ほどよく現実逃避ができた私は、これまたご満悦でしたとさ。


2007年10月17日(水) テレビ

 久しぶりに、何もすることなく真昼間からボーっとテレビを見ていたときのこと。こういう時間は、本当に幸せだなぁ・・等と、暇で暇でしょうがない状況を天に感謝しつつ、ずうっと狂ったように、リモコンもってザッピングしまくっていた私達。

 残念ながら、夫がわかるような二ヶ国語放送はあまりなく、ついつい、日本語でのワイドショーだの、その他の情報番組をみていた私。結局、夫のほうはテレビを観るのをあきらめて、自分の旅日記などをつけていたときのことだった・・・・。

 しかし、テレビを観ていてこうもイライラするのは何故だ?。と、ずうっと考えてみたが、やっとその理由がわかった。それは、コメンテーターや、司会者や、その番組にかかわる人たちの顔が、テレビ画面の脇の小さな小窓のようなところに、いつも映し出されるからだったっ!!!!!!。

 腹黒だろうに、いい人ぶった表情のコメンテーターのツラなどを、なんでいちいち情報と一緒にみないといけないのか、サッパリわからないが、本当にどこの番組でもこれが主流となっているようで、鬱陶このうえない。この連中の顔を常時晒すことに、何の意味があるのだろうか?。わかる人がいたら、その理由を私に教えてもらいたい・・・・・。そのぐらい、私には謎なのだ・・・・・。

 また、出演者同士の馴れ合いとかも、私にはどうでもいいので、こういうのがはじまるとさっさとザッピングするようにしている。あとは、どこのチャンネルでもやっている、新聞早読みのようなコーナーも、ま、どうでもいいとなってくると、見るものがなくなってくる・・・・・(汗)。

 ニュース番組にしても、どこもほとんど切り口が一緒なので、見ていてもおもしろくなく、そんなことなら、いつもパリでやっているようにネットでざっとニュースチェックしているだけで十分だなぁ・・、とつくづく思ってしまった。

 ただ、深夜にやっている暗いドキュメンタリーや、BSの世界のドキュメンタリーなど、そういったものは個人的に大好きなので、一方的に日本のテレビが嫌いというわけではない。ただ、過剰な情報番組と、もはや情報娯楽番組の一環でしかなくなってしまったかのようなニュース番組は、どうしても長時間見ていられない自分がいる。

とはいえ、たまたまワイドショーをみていたら、假屋崎省吾のお宅拝見コーナーがあって、これには夫と2人で大爆笑させてもらった。悪趣味とも成金趣味ともいえる、強烈な御殿には、恐れ入りました・・・・、という感じで、思わずテレビを見入ってしまった。

 結局その日は、イライラした挙句、結局テレビを消した私。うーーん、静寂が戻ってきて、とっても落ち着いた午後になった。なんだ、最初からテレビなんかつけなきゃよかったじゃん・・、と、自分に突っ込みを入れながらも、静かな午後を満喫するように、のんびりと読書をして日没を迎えた。


2007年10月15日(月) 水族館

 品川プリンスホテルで、母と待ち合わせ・・・・・、と書いたけれど、ま、別に母がここに一人でやってくるのではない。今日は、母が生活している グループホームの遠足で、品川プリンスホテル内にある EPSON AQUA STADIUM に、ホーム入居者&介護者がやってくることになっているのだ。

 ホームの遠足は、入居者家族の参加が大歓迎ということだったので、昨日の大相撲に引き続き、こんな機会じゃないと、自らなかなか足を運びそうにもない水族館という場所へ、夫と2人で参加してみることにした。

 昨年のホーム遠足へは、従姉H嬢の婚約者F氏が家族代表として参加してくれた。ちなみに行き先は、伊香保温泉。ところが、温泉は健常者には楽しい場所でも、認知症が入った人間には、たいした刺激になる場所でもなく、遠足の甲斐がそれほどない・・・、ということで、今回は、水族館になった。ま、たしかに、老人も子供のようになってくるわけで、となれば、必然的に水族館などのほうが刺激があり、飽きずに長時間楽しめる・・・、ということなのだろう。

 待ち合わせ場所に、母たち認知症軍団がやってくる。母は、そこに自分の娘を発見すると、《なんで、ゼロちゃんここにいるのぉ ?!?!?!》と無邪気に尋ねてくる。《だから、てめえに行くっていっただろ、ばばあ、何度言ったらわかるんだ、アホ》などと、心の中で怒りながらも、そういう突っ込みはするな!、と、介護軍団よりきつくしかられている私ゆえ、内心とは裏腹に笑顔で母に接してみる。これが、むずかしいのだが・・・・・(涙)。

 昼食のためにレストランに入ると、《ご家族で一緒に》ということで、私達親子&夫の3人で着席。夫が《ゼロは、バカです》等と、つたない日本語で母に向かって発言すると、母は大喜び。なので、調子に乗った夫が、ここぞとばかりに、続けていく・・・。

《ゼロはいぢわるです》
《ゼロは怖いです》
《ゼロはだらだらしてます》
《ゼロは鬼です》
《ゼロはなまけものです》

等、いっこうにやめる気配のない夫。そして、もう嬉しくてしょうがない母・・・・。

あんたたち、なんなの?。

で、いつどこでそんなに語彙をしこんできたんだ、夫よ?!?!?!。

 母もどんどん調子にのって、《こんなの、生意気なんだから、殴っちゃいなさいね~♪》と、夫に向かって満面の笑み。で、そんな母の言葉を夫が私に訳せというが、誰がじゃ、おい、どうして、私が私の悪口を丁寧に訳さにゃあかんのだ、おのれっ!!!!、ということで、通訳を軽く拒否してみたものの、別に彼らにはたいしたダメージがないようで、私をサカナに、2人で盛り上がっている。こっちとしても、とりあえずこれでこの人らが嬉しいんであれば、ま、いっか、ということで、放置。うーーん、大人だなあ、私(笑)。

 しかし、もしここへ、私と母と夫の三人“だけ”で繰り出してきているのであれば、ここまで余裕はかませないだろうと、介護者の方々につくづく感謝しながら、ランチ。

 日本語のわからん、それでいて鉄砲玉のように欲求のままに走り出す夫と、認知症な母を一人で連れて、水族館・・・・、なんていう恐ろしいことは、とてもじゃないが私はしたくない。もし、したとしても、道中ずうっと般若面になってしまうだろうし、そんな私を見て、夫も母も不穏になるに違いないのだから・・・・・。

 その点、プロの介護師の対応は、本当に素晴らしい。いやあ、お金を払って母を任せているけれど、ここまでやってくれるのだったら、もう、感覚的にはお釣りあって余りあるというか、なんというか・・・。

 ランチの後、いよいよ水族館めぐり。エイとサメ海中トンネルでは、ちょうどお食事タイムだったこともあり、エイとサメが餌として与えられた魚をしとめていくのを間近で鑑賞できた。で、これが非常に面白く、ついつい母のことも夫のことも忘れて、私が見入ってしまった(汗)。

 お次は、イルカショー。夫は、デジカメでイルカが海面から飛び出すたびに、シャッターを切っていたが、デジカメ特有の時差があって、シャッターが切れたときには、すでにイルカは水面下・・・、という写真ばかり。イルカショーじゃなくて、ただの水しぶきショー?、という出来栄えに、夫は不満気味。一方、母のほうはそれなりに、ショーに集中して鑑賞できていた模様で、ホッとする。

 引き続き、アシカショーなどを鑑賞したあと、母たちご一行は、帰宅時間となり、貸切観光バスに全員がのったところで、私と夫で手をふりながらバスを見送る。母は、私達にも一緒にバスに乗って来いと譲らなかったが、ま、そこは介護師さんらの機転のきいた台詞で交わしてもらい、なんとか一足先に母に帰ってもらうことに成功した。

 介護師付とはいえ、それでも母に対して結構神経を使っていたので、母が帰っていった後は、しばし放心状態だった私。なので、気分転換をかねて外をあてもなく歩きながら、八芳園まで行き着いたので、そこの庭園で休憩。見事に手入れの行き届いた庭園で、夫と2人でうたた寝(笑)。

 その後、従姉ES嬢とそのお供H嬢と、昔から私が大好きな白金台の中華レストラン・聚寶園にて待ち合わせ&夕食。通いなれた店の前に来ると、張り紙を発見。なぜか悪い予感がして、張り紙を読んでみると、なんと、聚寶園が今月一杯で閉店と書いてあるではないかっ!!!!!!!!。ショック・・・・・・・・という安直な言葉で言い表せないほど、ショック・・・・・。

 道路拡張工事で、聚寶園以外の店はすべて皆退去して久しかった。でも聚寶園は、そんなプレッシャーにめげずがんばって昔からの場所を死守してきたのだったが、それでもとうとう閉店になってしまうとは、なんとも悲しい。

 ということで、あまりにもショックなのと、恐らくコレが最後の聚寶園だと思ったら、無理やりにでもたくさん食べておきたくなった私は、たくさん注文したあげく、食べ切れなかったものは、ドギーバッグにしてもらい、ちゃっかりお持ち帰りにした。うーーん、自宅でも聚寶園が楽しめて一石二鳥。

 母もボケていき、思い出の聚寶園もなくなってしまうのかぁ・・・・、と思うと、一瞬だが、なんともやるせない思いが全身を駆け巡ったゼロでした。

ううーん、諸行無常の響きあり、かぁ・・・・・。


2007年10月14日(日) 升席

 本日は、昼前より両国国技館にて、大相撲最強決定戦の観戦。両国駅に到着すると、待ち合わせ予定の従姉カップルH嬢&F氏にバッタリ出会う。どうやら私達は、隣り合わせた車両にいた模様。巷をにぎわわせている、力士のリンチ殺人のこともあって、にわかに《妙な》脚光を浴びている大相撲だったが、相変わらず固定ファンはいるようで、国技館前はそれなりの賑わい。

 もともと、夫が大相撲を観たい・・、と言い出したので、今回の観戦となったわけだが、こんな申し出がない限り、わざわざ大相撲を観ることもなかっただろうから、私も、従姉H嬢らも、夫に便乗したカタチでの観戦となった。その上、今回の相撲は、一日だけのトーナメント形式のモノ。なので、試合の最後には、誰かが必ず優勝するようになっており、初心者には飽きずに展開を追い易く、それでいてわかりやすいシステムになっているゆえ、お気楽に大相撲を楽しむことができる。

 もともと、相撲は詳しくない私だったので、パンフレットを購入して、各力士のプロフィールなどを熟読してみたが、いやあ、外国人力士の多いことといったら・・・。モンゴル人はもとより、ロシア人、グルジア人、ブルガリア人等、よりどりみどり。立会いも、外国人同士ということも多々ある。

 そして、力士だけじゃなく、観客席にもたくさんの外国人の姿があった。私達は、2人用升席というところに陣取っていたわけだが、うちの外国人は、升席に苦しそうに納まっている。他の外国人は・・・?、と思って、きょろきょろしてみたが、かなり観戦なれしている外国人も多く、スマートに升席に収まっている人もいて、なんとも頼もしいっ♪。

 椅子席は安く、土俵から遠いのに大して、升席のほうが高い・・・、というシステムがどうしても夫には納得いかないらしい。夫からすれば、《なぜ、あんな苦しい体制を強いられる席が高額なのか?》と、いうわけだ・・・・。ま、確かに、今回、この席に座ってみたけれど、私ですら辛かったので、確かに夫の言い分もわからないではない。

 果たして、今どきの日本人で、ずうっと正座して観戦し続けられる人間がどれほどいるのだろう?、と・・・。おまけに、本来なら升席は4人で座るというではないか・・・・・っ!!!!!。4人であんな小さいところに収まって、長時間観戦となれば、こんなマゾヒスティックなものはない・・、と、想像するだけで恐ろしくなってくる。

 すると、私達の後ろに座っていた、強烈に下品でおしゃべりなおばちゃん連中が、大声で《こんなふうに座らされて、まったく足が痛いったらありゃしないっ !!!》等と、ブーブー文句たれているのが聞こえてきて、あ、なるほど、私達だけじゃなくて、日本のおばちゃんでもキツイのか・・、と、彼女らに親近感を持たざるをえなかった。

 トーナメントのほうは、予定調和で、モンゴル人横綱の白鵬が優勝。もう一人の横綱で、これまた巷で何かとお騒がせな朝青龍は、モンゴルにとんずら中なので、ま、こんなもんか?、という結果でオシマイ。

 さて、国技館といえば、私がここに来たのは今回で2回目。最初に来た時も升席だったが、その升席から鑑賞したものは、大相撲ではなく、クラシックコンサートだったことを思い出した。あの、1986年、スタニスラス・ブーニンの初来日ピアノコンサートだ(笑)。

 1985年、NHK特集でショパンコンクールの模様を放送していらい、ロックスター並みに人気の出たロシア人ピアニスト、スタニスラス・ブーニンを皆さん知ってますかぁ(笑)?!?!?!?。この時は、それこそ友人らと4人で、あの小さな升席にちんまりと収まり、ピアノコンサートにはまったくむかない音響環境な両国国技館にて、ショパンのマズルカなんつーのを鑑賞した苦い思い出が蘇ってくる・・・・・・うううっ(泣笑)。


2007年10月12日(金) 風呂

 実家にいる時は、普段よりも浴槽にお湯をはって、その中にはいってのんびりすることが多い私。湯船につかりながら、読書するのが大好きなのだ。風呂場にコードレス電話も持ち込んで、長電話しながら入浴なども、ちょくちょくやっている。

 さて、長旅でヨレヨレになって日本にやってきた夫だったので、彼に《私みたいに、入浴してみる?》と尋ねてみた。こんなふうに尋ねなければ、いつものようにただシャワーを浴びておしまいになるのがオチなので、あ・え・て、彼に問うてみた。

 夫もそれとなしに、入浴する気になってきたらしいので、浴槽にお湯をはることにする。私は、風呂場へ行って、ボタンを押すだけでOKだから、簡単なもの。温度設定も、湯の高さも全部調整済みなのだが、そんなのが、やっぱりちょっと未開な国・フランスからやってきた彼には不思議な模様・・・・・。

 居間に戻り、それぞれが好きなことをやっていると、音声ガイドで《お風呂が沸きました~♪》と、軽妙な音楽と共に、それを知らせてくれるのだが、これにも、非常に驚いている夫。で、こんなことでいちいち驚く夫に、あらためて驚く私。

 驚きながらも、風呂場に向かっていった彼は、どうやら入浴したもよう。だが、風呂からの気配が、やたら静かだったこともあり、どうしても好奇心をおさえきれずに、私は風呂場へのぞきにいってみた。そして、遠慮も何もなく風呂場のドアを開けると、そこには、日本標準サイズの浴槽のなかに、ちんまりと収まった夫の姿があった。

 何かが、変だ・・・・・。
 
 でも、何が・・・・・・???

 としばらく考えたゆえに、ふとわかったのだが、夫の身体が何気にデカイのだ・・・。ただデカイだけじゃなく、厚みもある・・・。なので、彼が浴槽に入っているというよりも、何か小さな箱に夫が詰め込まれているようにしかみえず・・・・・、そう・・・、それは、まるで《屈葬》か?、という感じでしかなかった。

 正座などができない典型的西洋人の関節を持つ夫ゆえ、日本人のようにちっちゃく身体を折りたたむことなどは所詮無理だった模様。で、また、こういうことができないと、なかなか日本標準サイズの風呂で、リラックスして入浴を楽しむことが難しいのかもしれない・・・、と、私なりに悟ってみた。

 あまりに苦しそうな入浴なので、その姿を写真に収めようとしたら(あとで、友人らにみせびらかすため)、夫が怒りだしたので、泣く泣く写真撮影をあきらめたが、今となっては惜しいことをしたと思っている。

 風呂から出てきた夫に、それでも執拗に《気持ちよかった?》と聞いてみると、夫は《いやあ、すっきりしたよ》と、まるでいっぱしの日本人になったかのように答えてきたが、その後、もう一度入浴したいと、一度も頼まれなかったことを鑑みても、夫は、それほど日本式入浴は好きじゃなかったんだな・・・、と思ったゼロでした。


2007年10月11日(木) 夫、日本到着・・・・

 夫、日本襲撃の日がやってきた・・・・・・・・。この日は、本当に天気がよく、朝から4度にわたって洗濯機を回し、それをお天道様の下に洗濯物を干しているうちに、自分自身までもゴシゴシ洗いたくなって、真昼間から長風呂したあと、十分に昼寝。贅沢をつくしたあとで、夕方、恒例の幼馴染のMT嬢がやってくる。

 MT嬢はちょっと前まで、2年間ほど文化庁から派遣されてロンドンにいたことあるうえに、英語も話すし、ロンドン&パリで往来したこともあり、我が夫とも深い友人。わしの実家の最寄駅に本日の夕方、成田からの直行リムバスでやってくる夫を一緒に迎えに行ってくれるとのこと。ラッキー♪。

 で、予定時間通り、MT嬢が我が家にやってきて、二人でクルマで、夫が到着する予定の最寄り駅へGO。とはいえ、この間私が成田からこの駅に来る時に、1時間以上渋滞に巻き込まれてバスが遅れたこともあったゆえ、少し遅れ気味でリムジンバス昇降場所へ行くと、ステッカーが両面一杯にはりつけられた夫独特のスーツケースのうえに、ドテっと座った西洋人を発見、どうやらこちらの予想を裏切り、すでに夫は到着していた模様。

 さて、今回は、夫が成田に到着したらやらなければいけないことが3つあった。

① ジャパンレースパスの手続き
② ANA国際便を利用者特典の、無料携帯電話貸し出しサービス
③ 我が実家最寄り駅までの、リムジンバスチケット購入

 これら3つを限られた時間内で、彼は一人でやり遂げなければならなかった夫。ちなみに4年前に夫が、今回と同じコンディションで日本にやってきた時は、一応、全部きちんと彼ひとりで出来たものの、リムジンバスチケットを何故か2回購入してしまった・・・・・・・・・・、という経緯があるので、夫婦喧嘩寸前になるまで、今回も必要以上に私が説明したものだったが、その甲斐もあってか、今回は何も失敗はなかったので、ある意味ビックリ。

 その後、3人で海鮮料理の店に入り、のんびりと夕食。秋の魚、秋刀魚料理を堪能しているうちに、MT嬢が夫に、なんの気なしに《ここに来るまではスムーズだった?》と、質問してしまった・・・・・・・・。これが運のつきで、待ってましたとばかりに、夫の不幸自慢が始まってしまったのだった・・・・・・・・・・・・・(滝汗)。

 夫は、基本的に時間にルーズな人間。本人としてはルーズなつもりはないのだろけれど、私からすると、時間の観念がぶっ壊れているというか、前倒しで色々と時間見積りをすることが出来ない人間なのだと認識せざるをえなのが実状。ゆえに、いつからか、夫の分まで、私が前倒しで時間を指定するようになっていた。

 そうなると、奇妙なことにこういったことだけは、私の意見を丸呑みするるようになった夫。自分の航空券を自分自身の目で確認することなく、妻が言い残したいい加減な時間配分をも丸呑みしていた模様。

 本来だったらパリの空港20時出発の飛行機だから、19時ちょっとすぎまでに最悪でもチェックインカウンターに到着すればOKなものの、私から18時までにチェックインカウンターに到着しなければ、航空券の払い戻しに始まり、私の旅行、それプラス、10月下旬にわしらに日本で合流してくる仏人2名の旅程までもオジャンになるから、絶対に時間厳守で行動しろっ!!!!!、という台詞だけは、覚えていたようで・・・・・・・・・。

 とはいえ、ここまで覚えているのなら、これのおかげで、前倒しでゆっくりと準備することも可能だったろうに、あくまでも夫の場合は逆で、こういった言葉におびえつつ、最後の最後まであたふたするのが彼の常・・・・・。

 おまけに、夫のスーツケースの鍵が壊れて久しいのだが、ソレを見越して、私は自分のスーツケースベルトを私の出発前に、一番わかるところに置いてきたのにも関わらず、日本に到着した夫のスーツケースには、それが巻かれた形跡はまったくなかった・・・・。

 そして、友人MT嬢にむかって英語で一気にぼやきだし始めた、夫の空港までの道のりストーリーは、なかなかアッパレなものだった・・・・・・(汗)。

 とにかく18時までには空港にいかなくては・・・・、と勝手に思い込んでいた夫は、その日17時過ぎてもまだ家にいた。で、家からの発信で、私のところにメールが届くので、とにかく私からは《急げ、この野郎 !!!》と返信していたのだが、これが余計夫を焦らせたのか、ほとんどパニック状態で家をでた夫は、家の前でタクシーをひろおうと必死になるが、まったくつかまらなかった模様。

 それでも、あらゆるタクシーにトライしてみたものの、実際にタクシーを掴まえられたのは、17時30分頃・・・・。で、ようやくホッとしてタクシーに乗り込んでみたものの、今度は強烈な渋滞に巻き込まれ、にっちもさっちも行かない状況に陥り、ますます夫はパニック状態。

 そんな状態で、痺れをきらせた夫は、タクシーの運転手に何時ごろ空港に到着できるか?、ということを尋ねると、運転手は《これじゃあ、飛行機に間に合うかどうかだねぇ・・・》と答えたとのこと・・・。その答えを聞いて、北駅まで行ってもらい、RERにて空港に向かうことを決心した夫。

 が、北駅までもなかなか渋滞で到着できない・・・、という状況に、パニックが2乗になった夫は、ようやく近づいてきた北駅をめがけてタクシーから飛び降りたらしい・・・・・・(汗)。で、飛び降りた拍子に、鍵が壊れたのに、私があらかじめ用意しておいたベルトをしめることすら忘れられていた彼のスーツケースが、道端ですべて開き、グッチャグチャに詰め込まれた、オッサンのガラクタがパキスタン人がたくさん溢れる界隈に散乱されたとのこと・・・・・・・・・。

 私はガラクタと書いたものの、オッサンにとっては宝物・・・・・・・・。そんなものが道端に散乱してしまったが挙句、四つんばいになってソレらを拾い集めている夫をみつめて、日に焼けた人種の方々が嘲笑の眼差しをダイレクトに夫に向けてきた模様(笑)。ま、当たり前といえば、当たり前なのだが、ね、ふふふ。

 でも、まったく余裕のない夫は、バカにされようがなんだろうが、自分が飛行機に間に合わなかったら、今後のすべての予定がオジャンになるという、妻からの魔法にかかったままだったので、ただひたすら無謀にパニクったまま、北駅に向かっていたそうだ。そして、どうにか飛び込んだRER(電車)は、空港直行便ではなくて、各駅停車・・・・・・・・・・・。

 もう、どうにもこうにも手の施しようになくなった夫は、今度は友人らに電話をしはじめ、空港会社に飛行機の出発を遅らせるように手続きしろっ、と頼み始めたとのこと。とはいえ、そんなことが通るはずもなく、それらの反応にアタマにきた夫は、今度はレイキをやっている人間にかたっぱしから電話をかけはじめ、レイキの力で飛行機をおくらせてくれ・・・、と頼み始めたらしい・・・・・・・・・・(汗)。

 もう、ここまで彼の話をきいているだけでも、私とMT嬢は食傷気味。

 で、レイキが効いたのかどうかはわからないが、とんでもない奇跡が起きたらしく、本来なら停車する駅を、運転手がボケていたため通過してしまい、5分も早く空港に到着することができたとのことだった(笑)。で、フランスの国鉄員らしく、たいした謝罪もなく《通過した駅の人は、次の駅で乗り換えてください》ということだけをアナウンスしたとのこと。ああ、これまたアッパレ。日本だったら、こうはいかないだろうに・・・、と、MT嬢と目配せ。

 そして、ようやく、心臓麻痺寸前状態でA○Aチェックインカウンターに到着した我が夫は、汗だくになってパスポートなどを提示しながら後ろをふりむくと、全然余裕であとからあとからやってくる日本人乗降客の姿をみて、ホッとしながらも自分がいかに意味不明に焦っていたかを目の当たりにして、またもや倒れそうになった模様。

 結局、日本人客よりも早く、定時にチェックインしてしまった夫は、そのまま飛行機に乗り、あまりの疲労で熟睡しているうちに日本に到着・・・・、ということで、めでたし、めでたし。また、この話を聞いただけでも、別行動でよかったぁ・・・・、と、しみじみ思ったゼロでした。

 と、当時に、数秒おくれただけで日勤教育とかいっていた、どこかの国の鉄道員と違って、《うっかり停車駅通過でも、あまりにもクールな対応が許されている鉄道員》が存在することを目の当たりにして、なんともいえない感慨を得たゼロでもありました。


2007年10月09日(火) 愉快な仲間達

 母がいた時ですら、いつも我が実家には、私が幼い頃から、私の友人・知人がいたものだったが、母がこの家に住まなくなり、私が帰るための日本にある別荘状態となって以来、ますますこの家が合宿所化していく昨今。おまけに、私が多くの人に実家の合鍵を渡していることもあり、友人各々が各々のやり方で、私の実家の扱い方を把握しているから興味深い。

 特に、親友MF嬢にいたっては、私以上に私の実家を知っている?、と、思うことが多々ある。おまけに、私の実家にやってきている時は、酔っ払っていることもあってか、《こうして実家に帰ってきているとさ・・・》と、MF嬢が私の実家にいながら、まるで自分の実家にいるように語っているのを耳にすると、思わずニヤニヤしてしまう。

 私が寝坊しても、誰かが朝ごはんを作っておいてくれるし、もし、私がすべての食事を作ったからといって、気づいたら誰かが皿洗いをしていてくれる、なんてことは日常茶飯事。おまけに、母のようにうるさいことを言う人はいないわけで、《これって、もしかして母がいなくなったあとの実家のほうが格段に住みやすい ?!?》なんて思ってしまう元凶だったりする。

 母は、酒を楽しんで飲むこと自体を否定していたが、わしと、わしの周りに集まってくる人間は、楽しんで酒飲む人が多い、それも大多数が♀っ(爆)。

 そして、みんなでそれなりに酔っ払って気持ちよくなると、それぞれが勝手に、わが実家の押入れから布団を出してきて、好きな場所で寝始める。私がこれらに関与する時もあれば、まったく関与もせず、来訪者の相手もせずに勝手に酔いつぶれていることも多々あったりする・・・・(汗)。

 というわけで、ここに、我が実家は合宿所になった・・・、といわれる由縁がある・・・、というわけだ。

 確かに、母の一件があって以来、私が日本に戻ってくる大きな理由は、母のこと&実家管理についてゆえ、極力実家から離れたくない、および、離れられないという状況になるゆえ、できるかぎり友人&知人には実家にやってきてもらうようになったのが、すべての始まり。

 それでも、色々な理由がある人には、私のほうから時間を都合して会いにいくことはしているが、これをあまりにも優先させてしまうと、日本に戻ってきてまでやることなどができなくなるので、極力さけているのが実状。おまけに、私自身がいくらタフとはいえ、疲労の極限にいたるゆえ・・・。

 それにしても、スーパーに買い物にいって、私以上に友人らが冷蔵庫の中身等を覚えていて、ボーっとしたまますでにあるものを買おうとしている私を阻止してくれたりするのを目の当たりにすると、なんとも頼もしい仲間っ♪、と思えて仕方がない。こんなことは、我が夫とはありえないので、余計感激するのかどうかはわからないが、本当にありがたいっ。

 数日後に日本にやってくる我が夫だが、いつもこういった状況を見ていて、《ゼロと愉快な仲間達》と表現しているが、本当にそうかもなぁ・・・、と思った。意図的にやろうと思ってモノではないが、長い年月をかけて出来上がった、仲間ならではのリズムというものが確実に存在しているのだな・・・、と、しみじみ思ったゼロでした。

 で、みなさん、ありがとうっ♪♪♪。


2007年10月05日(金) 小唄

 父方の従姉ES嬢宅にて夕食に招かれたので、昼食をとらずにお腹を思いっきりすかせた状態で、彼女の家に参上っ♪。ES嬢の同居人であるH嬢の手料理が食べられるとなれば、ここまでしないではいられない、というのが本音。そのくらい今晩は期待していた私。

 実際にH嬢が用意してくれた料理は、どれもみな美味しく、その場で倒れそうになったほど。美食になれた父方のES一家だからこその味だなぁ・・・、と思いつつ、ひたすら食うべし、食うべし。和食の粋な味付けは、料亭もので、終始笑顔な私だった。

 さて、このES嬢のおかげで、近年《小唄》というものに触れるチャンスを得られた。日本へ里帰りするたびに、時間があれば、ES嬢が参加する小唄の発表会に足を運んでいる私。ま、自分でやろうとは思わないが、歌詞と照らし合わせながら、なんとも粋な小唄を生で聴く機会は、これからもできるかぎり大切にしていこうと思っている。

 そして、長年のクセかわからないが、この粋で艶っぽい小唄の台詞を聞きながら、フランス語でいかにこの感覚を伝えられるかを模索している自分がいるのに気づいて、思わず苦笑。職業病になりつつあるのか?、と。必ずしも直訳ではなく、とはいえ、瞬時にその感覚をいかにして伝えることが可能か?、というのが私が目指すところゆえ。

 こんなことを、たまたま酔っ払った上で、親友のMF嬢に話していた時のこと。私が《この感覚というのを、新鮮なままフランス語、もしくは日本語に訳して相手に伝えたいんだよねっ!!!!、そう、旬をそのままお伝えしたい、というか、さ・・・》と彼女に言ったところ、MF嬢が《あんたは、佐○急便か ?!?!》と、突っ込まれ、これまた苦笑い。

 それにしても、小唄の三味線の音などを聞いていると、妙に感動してくる自分を発見して、自分で自分に驚かざるをえない。昔は、こんなことがまったく琴線に触れなかったのに・・・、と。同じく、紅葉だとか、そういった自然の移り変わりにも、まったく興味がなかったのが以前の私なのだが、こんなことも当然熟知しているMF嬢は、私の変化をいちいち茶化してくる。ま、彼女の立場だったら、しょうがないか・・・・・。そのくらい、私が老けたのかなんだかしらないが、色々な感受性の変化が起こってしまったのだから。

 さて、先日あった従姉ES嬢の小唄の発表会は、日本橋三越劇場であったのだが、そこに出入りする人々を見ていても、普段はあまりお目にかかれないタイプの人が多いのに気づいて、これまた人間ウオッチングに燃える(笑)。

 どこの世界にも玄人がいるように、小唄の歌詞などに熟知した人がたまたま私の隣に座っていた。そして、各小唄を聴き終わるたびに、彼らの感想などを耳をダンボにしてスパイするのだが、これがまた非常に面白いからありがたい。プログラムを競馬新聞のほうに片手に持ち、それぞれの歌い手&三味線に赤鉛筆で採点しているほどの入れ込みよう。

 あとで、舞台にあがっていたES嬢にこのことを伝えると、《だから、困っちゃうのよ、こういう誤魔かせない人がいるから・・・》とのことだった。とはいえ、ES嬢の三味線はそれなりのレベルなので、N○K・FMで流れたりすることあるから侮れないのだが・・・・・。

 小唄を聴きながら、これから日本にやってくる夫、および友人のフランス人♂2名をつれてきたいと思ったが、果たしてこの《粋》なものを、彼らが理解できるのか?、と思うと、永遠に答えが出せないゼロでした。


2007年10月04日(木) 雑草との闘い・2

 シルバー人材派遣部門の植木屋さんの予約は済んだ。が、あくまでも植木の手入れであり、伸び放題になった松の手入れなどは彼らはやってくれるだろうけれど、伸び放題の草むしりはやってくれないだろうと想定して、私みずからがソレに手を下すことにした。というか、手を下さないと、誰がするのか?、というわけで、やるしかなかったのだが・・・・・・(涙)。

 今回、日本に到着した翌日に、近所のホームセンターで購入したのが、長靴・・・・・・・。食料でも、趣味のものでもなんでもない、長靴・・・・・。それも、一瞬、流行のロングブーツ?、って感じの、黒でぴっカピッカと光った、膝までの長靴だっ!。なんでこんなものを購入しなきゃいけないのか?、と思いつつ、これがないと足さえ踏み入れられない庭作業のために、レジに、黒エナメルロングブーツの、SMの女王仕様の長靴を持っていって、めでたく購入・・・・・・・。

 さて、長靴は購入したものの、いまひとつ雑草刈りに突入する気になれない私に、協力なヘルプが出現。なんと、おさななじみの友人MT嬢が、一緒に手伝ってくれるというのだ。で、こりゃ、渡りに船とばかりに、その申し出をありがたく受け入れ、本日の昼過ぎから仕事に取り掛かることになった。

 予定の時間になると、外から《ゼーロちゃんっ !!!》と、昔からのまったく同じ呼び声がするので出て行くと、MT嬢。が、玄関のドアをあけると、そこには、野良作業仕様ないでたちの彼女がいたので、思わず爆笑。普段は映画関係に従事する彼女、野外ロケに使うからという理由で、それなりに履きこなされたマイ長靴での登場だった。

 おまけに、草刈鎌、大型シャベル、熊手などを背中にかついでチャリンコでやってきてくれた彼女が開口一番《これじゃ、近所の人に、死体埋めに行くとか怪しまれてると思うよ・・・》とのこと。これで、近所にたまたま死体とかが発見された場合には、必ずわしらは警察から事情徴収されるのだろうなぁ、と、2人で爆笑。

 それにしても、本日は素晴らしい秋晴れ。野外作業するのはうってつけなので、黙々と作業をはじめてみる。強力な軍手を両手にはめ、ひたすら草をむしり続けているうちに、《草むしりハイ》になってきたのか、もう止まらなくなってきた。MT嬢の様子は?、と思って彼女のほうをチラッとみてみると、私以上に《ハイな状態》になっているようで、笑顔さへうかべてひたすら草をむしっている。その多くの草は、1m53㎝しかない彼女の背の高さを上回るモノであったりする。

 そして、2人で作業に没頭すること4時間、想像していた以上に視界が開け、以前の庭の状態に戻ってきた。そして、庭の奥にあった縁台に座れるようになったので、ひとまず休憩。虫除けスプレーを身体中に満遍なく塗ったわしらは、半そでに、ジャージ、そして、クビの周りには白いタオルという、いでたちで、縁台に座りながら、炭酸飲料をグビっと飲み干した。ここでビールでもよかったのだろうが、アルコールなしで、スッキリしたかったわたしたちは、あえて炭酸飲料のジュースを選んだ。

 ううーん、健康的(笑)。野良作業にノンアルコールっ!!!!!。あまりにも楽しんで仕事してしまったため、疲れ全く感じない。ただただ心地いい午後になった。そして、どっぷりと日が暮れるまで、MT嬢と2人で縁台に座り、まったりとおしゃべりを楽しんだ。

 それにしても、我が友MT嬢よ・・・・・、屋外ロケが大好きで、デスクワークがとことんまで苦手というのは以前から聞かされていたものの、一緒に野良作業してみて、ここまで彼女がイキイキとした表情をしているのを目の当たりにして、あらためて驚かされた・・・・。こんなに、素晴らしい表情を貴女がするとはっ♪。


2007年10月01日(月) 雑草との闘い・1

 9月28日に日本に到着した私。そして、夫は10月11日に到着予定・・・・。ということで、それまでに一人の時間を思う存分・・・、ということで、今回は、本当に日本に到着してから、時差ぼけもなく、翌日からはローカルタイムに沿った行動をとることができた。いつもだったら、1週間くらいダラダラしているというのに、1週間もダラダラしたら、あっという間に夫が到着してしまう・・・、というプレッシャーがここまで、私を規則正しい人間にさせるのか?、と、自分でもビックリ。

 とかく、日が短くなる一方の日本において、朝、ちゃんと起きないと、あっという間に日が暮れてしまうゆえに、これまたきちんとした生活を送らないと、色々な用事ができない、というのも、こうした生活に私を追いやるひとつの理由でもある。

 夏の間に、思う存分伸びた庭の雑草対策のために、シルバー人材派遣に電話して、なんとか植木屋さん部隊の予約ゲットとか、そうした細かくも必要に迫られた用事が多い。特に、この植木屋さんゲットには、チケットぴあに電話するぐらいに競争率が激しく、昨日から泊まりに来ていた友人YK嬢が寝ている部屋の隣で、ひたすらリダイアル機能を駆使して、早朝からシルバー人材に電話をかけ続けこと1時間半。

 ようやくかかったと思ったら、もう締め切りということで、あっという間に電話を切られそうになったところを、フランス仕込みの《システムD》にて、なんとか大げさな一芝居をうって、例外的に予約することに成功。《システムD》と書いたが、今回のソレは、日本語でいえば《浪花節》と表現することも可能だろうか?、とにかく、お涙頂戴な身の上話をして、係員の琴線にダイレクトに訴え続けた結果、OKになったわけ、だ。

 《システムD》とは、状況にあわせて臨機応変にその場を凌いでいく方法、とでもいったらいいだろうか?。だから、浪花節が必ずしも《システムD》であるわけではないが、《システムD》の一環として、浪花節な方法を選択することもある、というわけ。

 こうすべきとか、そういったハウツー本的な方法論にはメッポウ強い日本人だが、理論や規則が通じないところで、どうやって目的を遂行するか?、という方法は、ラテン人やアラブ人などのほうが勝っていると思わざると得ないことが多々あるのだが、ま、その辺のところは、知らない間に私にも身につきつつあるようだ。ま、それがいいことかどうかはわからないが、今回は、それが吉と出た模様。

 予約をゲットでき、ホッとして電話を切ると、隣の部屋で寝ていたと思っていたY嬢が、《よくやった、あそこまできちんと話せば、人はわかってくれるよっ !!!!》と、わしのことを誉めてくれた(笑)。今や、中間管理職となって星の数ほどの顧客と、大勢の部下との板ばさみになりながら、毎日サービス業に従事している友人からの、お褒め言葉、うーーん、なんとも感慨深い(爆)。ってゆーか、あなた、寝たふりしてたの?、それとも私が起こしちゃったのぉ?。

 それにしても、植木屋、水道屋、電気屋、リフォーム屋でもなんでもいいが、きちんと選ばないと、ただただぼられる心配がある。ま、フランスと比較したら、たいしたことがないのだろうけれど、母がすでに老人ホームで暮らしだして久しい現在、実家の管理費用は、まるでもうひとつ我が家(わしと夫)に、別荘が増え、それを管理するような感じになりつつあるのが現状。ゆえに、経費には、今まで以上に注意を払わざるをえないのだ。

 植木屋にしてもピンからキリまであるし、だいたい、わたしが植木屋の相場を知らない。そんなことは、すべて母がやっていたのだから・・・・・。おまけに、母がボケはじめてからというもの、かなりわけのわからん植木屋につけこまれて、信じられない額を彼らに支払っていたと思われる、領収証などが実家からボロボロ発見されると、なんとしても、確実で安いものを選んで、損失補填をしたいと考えてしまう私。ゆえに、シルバー人材派遣にお願いしようと思ったわけだ。

 日本帰国まで、私を多いに杞憂させた、我が実家の雑草問題だったが、実際に目の当たりにすると、そりゃあワイルドで、ビックリを通り越して爆笑してしまったほど。そのくらい、草は伸び放題だった。一番背の高い雑草で2メートル近くあった。で、こんな雑草に占拠されてしまった我が実家の庭の景観に、ただただ圧倒されるのみ・・・・。あの草むらの奥に、何か棲んでいるといわれても不思議じゃないイメージ。プチ樹海といった感じだっ!。

 空き家というイメージを極力近隣に与えたくなかった私だったが、ここまでくると、空き家云々じゃなくて、お化け屋敷か?、と・・・・・(滝汗)。幸い、家の中が痛んでないので、なんとかなるのだが・・・・。それにしても、空き家の管理というのは、なかなか大変だと思ったゼロでした。


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