ゼロの視点
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2004年09月24日(金) 鍋とぼったくり

 先日の火曜日の深夜、ブルターニュからパリの自宅に戻り、留守番電話をチェックすると、奇妙なメッセージが数件残されていたのを発見。

 どれも同じ、女性の声で日本人と推測される。おまけに、夫のフランス語での留守電メッセージを聞いて、“ゴニョゴニョ言ってて、全然わかんないわーーーっ”と捨て台詞まで入っている。

 が、自分が誰だとは名乗っていない。

 次の留守電では、“パリにいます”とだけのメッセージ。

 名のらない、捨て台詞、そして声の調子から、これが叔母F嬢(私の母の妹)だと即判断(笑)。そうかっ、フランスにいるのか、おぬしーーーーっ、という感じだった。

 5月から6月にかけて日本にいた時、確かに叔母F嬢は9月にフランスに行くかもしれないと聞いていたが、それ以降旅行についての連絡がなかったので、ちょっと忘れていた。

 そして、翌日、ようやく本人と連絡が取れたので、本日、オペラ座の前で待ち合わせすることになった。

 叔母F嬢のツアーは、9月18日土曜日にパリに到着してから、ノルマンディ、そしてブルターニュは、サン・マロ、モンサンミッシェル、ロワール川の古城巡り等をしたあと、昨晩からパリに戻ってきていたのだった。

 
 昼下がりにオペラ座の前に出向いた私。オペラ座前の階段にはたくさんの人が座っている。その顔を1人づつ遠くからチェックしながら歩いていると、視界に“派手な”日本人女性3人の姿が飛び込んできた。叔母F嬢と愉快な仲間たち発見っ。

 彼女らに近寄っていって、挨拶をしようとすると、彼女らは、怪しい日本人オヤジと話している。ひいっ、誰だ、この気持ち悪い男は?!?!?!。叔母たちがナンパでもしたのか?!?!、と思ったほど。

 で、私が到着すると、この気持ち悪い日本男児が、“また、ひとり、ひどく派手なのがきたねーーーっ”等といって、私に話し掛けてくるので、久々にカチンと来た私は、コイツを睨みつけたうえに、無視。

 そのうち、さすがに私から発せられる“あっちいけ光線”にあてられたのか、気持ちの悪い日本男児は立ち去っていった。

 ここに来るまでに、早朝からショッピングをしていたと推測される叔母F嬢とその仲間たちの腕には、有名店の紙袋がブラブラと下がっている。F嬢の友人の1人である、T嬢は、全身ブランド品で固めてあるのに、どうしてもチンドン屋のように見えてしまう悲喜劇に、心臓バクバク。

 が、気を取り直して、お買い物のフランス語ガイドとして、大和撫子3人を引き連れて、ギャラリー・ラファイエットへ。

 叔母F嬢は、以前からル・クルーゼの鍋と、ゲランドの塩が欲しかったらしく、私に何度もこのことを話していた。だから、彼女がこれらを、ここで購入しようとするのも、あらかじめわかっていたことだった。

 が、不思議なことに、ギャラリー・ラファイエットに到着する頃から、F嬢の友人2人も、口を開けば“鍋”と“塩”の二言しか発しないようになっいるので、頭クラクラ。

 叔母様3人衆の、“鍋塩攻撃”に背中を押されるようにして、家庭用品売り場へ直行。入口では、テレビの撮影などをしているが、大和撫子軍団は、そんなの気にもせず、相変わらず“鍋”と“塩”を連発している(笑)。

 ようやく、ル・クルーゼの売り場に到着。大和撫子軍団は、お目あての鍋を発見して、満面の笑み。色とりどり&形はよりどりみどり、の鍋を前にして、今度は、どれを購入するか?、で、またご検討。

 片手鍋は、鍋つかみを利用しなくても持てるからと思いきや、片手だけでは支えきれないのが、ル・クルーゼの鍋。

 また、F嬢曰く、慌てて台所を動いて、もし間違って長く延びた片手鍋の取ってに、腹が引っかかって、料理もろともひっくり返って火傷したら困る、という理由にて、F嬢が両手鍋に一足早く決定。

 すると、もうT嬢が、さっきまであれほどまでに片手鍋にこだわっていたのにもかかわらず、F嬢を真似するように、同じ商品を選ぶ。

 皆が同時に、それでいて勝手に私に通訳して欲しいことを話し掛けてくるので、それを整理して、店員に尋ねるだけでも、意外にエネルギーを消費する。そして、ある程度店員の話を聞き終わって、大和撫子軍団のほうを振り返ると、叔母F嬢とその友人T嬢が、オレンジの鍋を抱えて、立っている。

 オレンジ色のポロシャツの叔母F嬢と、レオナールの派手なTシャツ(もちろんオレンジ色も入っている)を着たT嬢の腕には、エルメスのオレンジ色の紙袋、そして、オレンジ色のル・クルーゼの鍋・・・・・。


 ああっ、オレンジ色の憎いヤツ・・・・・・、


と、頭の中で何度も唱えないではいられなくなる私。強烈なパワーというか、オーラというか、もう、形容もできないほどのオレンジ色攻撃に、精気を抜き取られそうになる私。

 

 お目当ての鍋をゲットして、きちんと免税手続きも終えたあとは、私と叔母F嬢で別行動。モノプリで、食品類のみやげ(塩も含む)を購入して、ようやく目的を終えたF嬢と一緒に、カフェに入り休憩。ビールが旨いっ。

 カフェでは、今後の私の母についてのことを、真面目に話し合う。

 これを想定して、今朝、母のヘルパー、ケアマネージャー、デイサービスセンターの関係者などにそれぞれ電話して、母の最新情報を得たあと、母本人にも電話して、ボケ具合のチェックをしておいた。

 また、近々日本へまた戻るので、それについての日程および、滞在期間などについても叔母F嬢と話し合う。

 ある程度話し終わった後、カフェに仕事帰りの夫がやってきて、私たちに合流、そのまま焼肉屋へ行き、久しぶりに美味しい食事にありついた。叔母F嬢、ごちそうさまっ。

 まだまだ、楽しみたいところだったが、F嬢が明日の早朝に日本へ戻ることもあり、デファンスの彼女のホテルまで、タクシーで同行。オペラ界隈から、彼女のホテルまで、14,30ユーロ。チップも含めて、15ユーロを渡して、タクシーを降りた私たち。

 F嬢のホテルまで付き添って、一息ついたところで、F嬢の大和撫子軍団の2人がホテルに戻ってきた。どうやら、彼女らもオペラ界隈で夕食を済ませた後、私たちと同じようにタクシーでここのホテルに戻ってきた模様。


 が、そのタクシーの値段は、法外だった・・・・、なんと、60ユーロっ!!!!!!。ひいぃーーーーーーーーーーーーーーーっ。


 彼女らの話をきくと、こうだった。

 タクシーでホテルに到着した時には、メーターには47ユーロと表記されていたそうだ。そこで、財布を出して金を払おうとしてみたが、あいにく20ユーロ紙幣しかないので、それを3枚、つまり60ユーロを支払って、運転手がお釣りを返してくれるのを待っていたらしい。

 ところが、運転手は、おつりなんて返さない。そこで、彼女らが文句を言うと、“金曜日だから、高いんだっ!!”と答えてくるタクシー運転手。

 それでも、“さっき60ユーロ渡したんだから、よく手元を見てみろっ”、とジェスチャーつきで、なんとかぼったくり運転手に食い下がっていった彼女達。

 するとどうだろう、運転手は、20ユーロ紙幣のかわりに、10ユーロ紙幣を彼女らに見せ、自分の正当性を主張。なんども、粘ってみたが、ここまで居直られてしまった今、どうしようもないと思い、とうとうあきらめてタクシーを後にした、とのことだった・・・・。

 それにしても、だ・・・。ホテルに到着した時点で47ユーロってのは、遠回りされたか、メーターをインチキされたかの二つの可能性しかない。なぜなら、私たちは14.30ユーロでしかなかったのだから。

 運転手としたら、47ユーロでも儲けものなのに、まだホイホイと60ユーロも何の疑いもなく出す日本人観光客を見て、“もっといける”と思ったのに違いない。

 恐らく、彼女たちがブランドのブティックの袋を何袋もかかえ、タクシーにのり、その行き先が、また高級ホテル。それプラス、いざ金を払うときには、財布から何枚も紙幣を出してから、それを数え、その後で支払うという、やり方・・・・。

 運転手としたら、“ほほうっ、こいつらは、本当に金持ってるなっ”と思ったに違いない。

 ま、そのくらい、非日本人はあまりキャッシュを持ち歩かないし、高級ブランドの紙袋なども“今買ってきましたーーーっ”という感じで持ち歩かない。また、金を払うときでも、財布の中身をご開帳することも少ない。

 逆に、日本人にとったら、そこまで運転手を疑うことなどに慣れてない。つり銭なども、ごまかされるとは、想像だにしてない。おまけに、財布の中に数万円入ってることも、しごく普通な国、それが日本だったりする。

 叔母F嬢の2人の友人らには、申し訳ない気分でいっぱいだが、こうやって、日本人観光客というのがボラている、という事実を非常に身近に感じた出来事だった・・・。


 また、母より6歳下の叔母F嬢が、非常に元気だったのは、何よりも嬉しい。と同時に、こんな感じで、自分の母が叔母と一緒にフランスに来られることを夢見ていたのに・・・・、と妙な寂しさが残った。

 叔母F嬢よ、ますます元気でいておくんなせえ。


2004年09月19日(日) ハードコア

 昼過ぎに起きると、本日のLa Bauleはまれにみる晴天だということに気づく。まるで夏が戻ってきたかのように、気持ちのよい天気だ。

 昨晩は、午後からわしらに合流してきたレンヌ在住のS嬢と、T氏とわしの3人で日本語オンリーで午前5時まで話しまくっていたため、思いっきり寝坊。

 思い起こせば、この別荘に日本人の友人らを連れてきたこと自体がはじめてこと、と気づく。なかなか楽しい。

 庭で、ランチを4人で済ませた後、夫の友人Nも合流して、5人でLe Croisicまでドライブ。そこでNが参加しているブックフェアーを一巡りしたあと、カフェでまったり。

 その後再び、La Bauleに戻り、Nとは別れ、夫と私を含める日本人3人で近所のヌーディストビーチへ行くことになった。

 真っ裸になっても、充分なほどの陽気なので、これを利用しない手はないっ、というわけだ。

 S嬢はまだ真っ裸になる勇気はない、という。で、T氏もしかり。そんな人を前にして、夫は“申し訳ないけれど、僕はビーチについたら真っ裸になっちゃうからねーーー”とあらかじめ宣戦布告。

 そうして、しばらくクルマを走らせた後、ヒッソリと隠れた場所にあるヌーディストビーチに到着。

 ここには、以前から夫とふたりでよくやって来ていたので、状況はよくわかっている。夫としたら、こんなに天気もいいのに、かわいいねーちゃんが真っ裸でウヨウヨいるようなことを想像していたのだと思うが、現実は厳しい。本日は、オトコ5人に、カップル一組。T氏もなんだか、ガックリきてうなだれている。

 それだけ・・・・。

 それでも、めげずにさっさと素っ裸になり、砂浜を元気一杯に、まるで森田健作のように走り、海にむかっていく夫。そして、そのまま海に飛び込んでいく。

 海に入ったきり、前世はコンブだったんじゃないか?、と思われるほど、荒波にもまれつつ、フーワフワ海面で漂流している夫を見ているうちに、今度はS嬢は水着のまま海に飛び込んでいった。

 これを見ているうちに、私も足だけでも海水に突っ込みたくなってきたので、トップレスで海に向かって走り出す。が、やっぱり冷たいので、泳ぐのを断念。

 S嬢もわしも、ビーチに戻り、一度も泳ごうとさえしなかったT氏と3人で、砂浜にゴロンと横たわる。

 と、そういえば、まわりにいた人間の数が減っているような?!?!?!。

 とはいえ、それも気にせず、ボーっとしているところに、海からようやくあがった夫が、妙にニヤニヤ笑いながら私のほうへ向かって走ってくる。

 何事か?、と思うと、夫曰く、岩場の影でゲイがフェラチオやっている、ということだった。夫は、泳ぎながら、それを眺めていたらしい。で、面白いから、是非私にも見に行って来い、という。

 “よし、ガッテンだ”ということで、さりげないフリしながら岩場に近寄ってみると、私の存在(女性)に気がつき、そのゲイがフェラチオを止めてしまった。

 ちぇっ、と思ったが、実はそう思っていたのは、このゲイたちだと思う(笑)。だって、私に邪魔されたわけだから。

 さきほど、人数が減ったな・・・、と思ったのは、このゲイたちが岩場に消えていったからだと理解した。


 が、途中で行為を止めてしまったフラストレーションが、彼らをより積極的にさせたらしい。最初のうちこそ、おとなしくビーチにお互いはなれて座っていたものの、そのうち、2人一緒になって寝転がりはじめた。

 そして、ちょっと私がよそ見している間に、カップルのうちの1人の頭が、寝ている相手の股間付近で、激しい上下運動を始め出す。

 おおっ、とうとう、彼らは開き直って、公衆の面前ではじめだしたっ!!。

 このゲイカップルと私たちの距離、およそ3メートル。私たちのほかには、ノーマルのカップルもいる。みな、見てみぬふりしながら、さりげなく彼らのことを観察している(笑)。

 そのうち、このゲイカップルは騎乗位でもことをやりはじめ、一大スペクタクルな感を呈してきた。

 そんな時、メガネをはずしていたS嬢が、下の人はオンナだよね?、などと質問してくる。

 確かに下になっている人間は長髪を後ろで一つに縛っている、が、れっきとしたオトコ。

 S嬢は、どうして女性が横たわっているのに、もう1人の男が頭をあそこまで上下運動させるのか、よくわからなかった、と言ってくる。

 このトボケタ発言に、吹き出して笑いそうになったが、あまり笑ってもよくないように思われたので、必死に笑いをこらえる。

 一方、T氏の表情も非常におもしろい。完全にヘテロな彼としては、こういったものは、たまらないらしく、“ひえーーー”と書いてあるかのよう。

 夫と私は、カメラで隠し撮り。


 それにしても、長いこと続くこの“ゲイ・ショー”。みんなで、そんな簡単にイケナイみたいだね、だの、イカセテあげるのも大変だね、だの、とコメントしながら、観察。

 そうして、ようやくゲイカップルの双方が、めでたく“イッタ”ところで、ショー終了。

 と同時に、太陽もすっかり雲に隠れ、寒くなったのでわしらも引き上げることにした。

 別荘に戻る途中、しきりにこの恐怖体験の感想を語るT氏。

“オトコふたりのセックスなんか、暑苦しいだけ。でも、暑苦しいモノを見ているのに寒くなってくるのが、たまらん!!”

“あんなゴッツイオトコに、がばっと襲われたら、たまらん”

“ゲイじゃなくて、レズだったら楽しかったのに”

と語り、しきりに“あーー怖っ”ばかりを繰り返すT氏に、笑いが止まらなくなってしまったゼロでした。



 いずれにせよ、ここには何度も足を運んでるが、ここまで大胆に公衆の面前での行為を見たのは始めてっす。ま、見るだけ見て、あとで警察に通報してもよかったのだけれど、ね(笑)。


2004年09月18日(土) 金縛り

 昨日の晩から、La Bauleの別荘にきている。

 レンヌ経由で、姑の家に立ち寄り、そこでランチをしてから、姑のクルマを奪って、昨日の夕暮れ時にLa Bauleに到着。今回は、T氏も同行、我が姑殿と初対面。

 噂には常々聞いていた我が姑どのの“神々しいお姿”を目の当たりにしたT氏は、“これが81歳とは思えない・・・”と、うわごとのように呟いていた。ま、想像を絶するほど、エネルギッシュな(いい意味でも悪い意味でも)彼女に、T氏は本当に驚いていたようである。

 姑宅に、今は亡き舅の写真があった。その姿は、わしの夫と瓜二つ。これにも激しく驚いていたT氏。

 遠くからみると、夫は自分の父親とソックリだが、よーーーく見ると、目が母、つまりは姑似なんだよ、おまけに、性格もーーーーっ、等と、T氏に説明。



 そんなことがあったからかどうかはしらないが、本日の朝、T氏がとあることを朝食中にわしらに尋ねてきた。

T氏「〇〇(夫の名)と、お父さんの声って似てたの?」

夫「うん、すごく似ていたよ。たまに、昔のヴィデオなどを見ていると、自分でもビックリするし、今でも、自分の声を留守電で聞くと、“あれ、とーちゃんか?!?!?!”って思うこともよくあるよ。」

ということだった。

 でも、なんでこのようなことをT氏はわしらに尋ねてくるのだろうか?!?!?!。ひとしきり、声のことについて3人で談笑したあとに、しばしの沈黙。

そして、突然、T氏が低い声で話し始めた。

T氏「昨日の夜12時過ぎ、〇〇は廊下を歩いていた?。」

夫「歩いてないよ。」

T氏「・・・・・、昨日、実は金縛りにあってんねん・・・」

私「金縛りーーーーっ?!?!?!、この家で?!?!?!」

T氏「うん、そうなん。で、嫌やなーーー、っと思ってたら、耳元で〇〇の声が長いこと、それも大きく聞こえてんねん。」

私「・・・・、(鳥肌立ちながら)、それで、それで?!?!」

T氏「普段金縛りにあうと、怖いって思うねんけど、とはいえ声があまりにも〇〇にソックリだったから、声が聞こえ出した瞬間から怖くはなくなった・・」

私「・・・・」

T氏「で、そのうち、その声と話し出して、気がついたら、フランス語でアンシャンテ(はじめまして)、なんて自分で喋ってんねん・・・。でも、相手がどんどんフランス語で話し掛けてくるから、最後には、日本語で“いつもお世話になってます”とか、お礼まで言っててん・・・。で、そのあとしばらくしたら、階段を誰かが下りていく音が、確かにしてんねん・・・」

 ということだった・・・・・・・。



 私は、ここで堪えきれなくなって、噴き出すように大爆笑。これは怖い話なのか?!?!?!。金縛りにあってまでも、丁寧に挨拶をするT氏。さて、その相手とは?。

 T氏曰く、それは今思えば夫の父だったのでは?、ということだ。

 ちなみに、T氏が寝ていた部屋は、日本でいう2階。夫の両親が利用していた部屋は1階ゆえ、舅がT氏の寝起きを襲って、挨拶したあとに、自分の部屋に戻っていったと考えることもできるわけだ。

 確かに、T氏は日本語でいう“霊感の強いタイプ”であり、墓場などにいくと、何かにとりつかれて、後になって体調が悪くなる、ということが度々あるらしい。

 が、今回は、これが本当に亡き舅との出会いだったかどうかは別としても、金縛りにあったことを除けば、T氏にとって全然怖いことでもなく、あとになって気分が悪くなる云々、という症状もないそうである。

 で、この話を全部訳して夫に伝えると、夫も大爆笑。夫は、“大丈夫だよ、たとえ幽霊が出たとしても、うちの一家の人間だから、みんなお人よしなんだし、さ・・・”、ということだった。

 それに加えて、夫は“ママンはまだ生きているけれど、彼女が幽霊になったら、耳元でまた愚痴だのいうだろうから、それがある意味で怖いだろうけど、ね”ということだった。

 うーーん、確かに、これはちょっと手強そうだな・・・、と思ったゼロでした。


2004年09月13日(月) サスペンス

 友人宅に宿泊させてもらっている、というのに、相変わらずの朝寝坊のわしら。起床したらもうすぐ正午、という頃だった。

 慌てて階下に下りていくと、T氏はクールに読書。Bは仕事場へ、そして3人の子供たちはすでに学校へ出かけた後だった。

 Yも用事ができたらしく、少し前に出かけたあと。


 しょうがないので、わしら夫婦とT氏で、キッチンでコーンフレークを、寝ぼけたまま食べる。


 そこにYが戻ってきて、ちょっと話しはじめると、もう止まらない。Yは自宅が仕事場ゆえ、邪魔しちゃ悪いと思いつつ、Yもベラベラ話すし、こっちもツイツイそれに乗って、ベラベラ・・・・。

 気がつくと時計はすでに午後2時をまわっている・・・・。せっかくT氏を連れてきたので、ロワール川ほとりの城めぐりでもしようと思っていたので、この時間じゃ、城ひとつみるだけでもヤバイ。

 なんせ、T氏には、わしらが大阪・京都に行った時には、寺巡りのガイドをやってもらっているため、その恩返しがしたいわしら。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。

 で、どうにか出発して、とある城へ。入場料6.10ユーロなり。ガイドに伴われて、城の中を見学したあと、Y&Bがすすめてやまなかったこの城脇にある、庭園見学へ。入場料、8.50ユーロなり。

 高いっ、と思いつつ、Y&Bがあそこまで薦めたのだから・・・・、と園内を歩き出すも、どこまで歩いてもつまらない。つまらーーーーーーーーーーーーん。これで8.50ユーロかと思うと、イライラさえしてくる。

 敷地だけは馬鹿でかく、かなり歩かされるうえに、空の雲いきがどんどん怪しくなってくる。T氏が“ヤバイで、あとちょっとで雨が降ってくるで・・・”と言い始める。

 えっ、まさか、と思いつつ、8.50ユーロの元をせこくとろうと、まだ庭園鑑賞をやめずに進むわしら。ついに雨が降ってきた・・・・・(涙)。

 苔の庭、なんてものがあったが、美しい苔の日本庭園を見慣れている日本人にとっては、信じられないお粗末な庭もあった。焼け跡に残った木に、数年後ちょっと苔が生えただけのようなシロモノに、思わず絶句。

 城見学は充実していたが、それよりも入場料も高く、インチキな庭園観光で思わぬ時間を浪費したわしらは、駐車場のクルマに戻ったのが午後7時。

 それに対して、パリ某所のレンタカー会社にクルマを午後10時までに戻さなくてはいけないわしら。

 城から、Bloisまで30分ほどかけて戻り、Blois駅にて、今週末に利用するTGVのチケットを購入などしていたら、すでに午後8時ちょっと前。

 どしゃぶりの雨のなか、夫の運転でパリに向けて高速道路にのる。酷く水はけの悪い道路で、視界が非常に悪い。レンタカーを午後10時返すためだけに急いで事故るのはたまらん、と思いつつ、夫はアクセルを全開にする。

 後部座席からT氏が、“昔、中国道を走ってたら、ハイドロになって、死ぬそうになったで・・・・”とのお言葉。私も、その危険性をちょうど考えていたところ。

 さて、このことを夫に話そうかどうか迷ったが、妙に暗示にかかりやすい夫に、わざわざ危険な可能性を話すと、余計ヤバくなって、本当にハイドロを起こすかもしれないので、言わないでおくことにした。

 道中、パリまで何キロとの表示と、スピードメーターを見比べては、パリ予定到着時刻を計算。今、何キロ地点だから、あと10キロスピードをあげろ云々などを、助手席で鬱陶しくも、夫に指示を続ける。

 刻々と近づくタイムリミットと、パリの街並み。果たしてわしらは本当に、午後10時までにクルマを無事に返却することができるのだろうか?!?!?!。

 パリのはじっこまでに、9時10分すぎに到着することができた。あとは、ペリフをうまく利用して、目的地に到着するだけ、と一安心するも、まだ私たちにはやることがあった。

 返却寸前に、ガソリンを満タンにしなければならないのだ。色々思い巡らせて見ると、某所のレンタカー会社の周りに、安いスタンドがあることを思い出し、問題がひとつクリアーされてホッとする。

 すると、だんだんとクルマが増えてきて、速度が落ち始める。事故などもあり、なかなか前へ進めない・・・・。夫が焦り出す・・・・。

 ペリフをおりたところで、クルマを停めやすいガソリンスタンドを発見したので、急遽そこに突入してエンジンを止めて、ホッとしたのも束の間、このスタンドがすでに閉店していることを知り、夫の焦りに拍車がかかる。

 夫は怒り狂って、クルマを急発進させて、再びレンタカー会社へ猛スピードで向かい出す。この時点で午後9時35分。

 ふと、不安になったので、私が夫に“ところで、どこにクルマを止めるて、返却するか、本当によくわかってる?”と聞くと、夫は“よく覚えてない”と答える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 やっぱり、だから、そうだと思った、と言うとやぶ蛇なので、穏やかになんで覚えてないのかを聞いてみる。と夫は、先日クルマを借りた時、クルマに乗ってエンジンをかけた瞬間、無意識にその場所から出てきてしまって、家にもどってきたからだ、ということが発覚。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 日本とは違って、“返却時のこと”についての案内および地図なんてものは、ないのがフランス。

 唯一夫が覚えていることは、巨大パーキングの中で、地下6階ということだった。わしらのレンタカー会社の事務所近くには、少なくとも巨大パーキングが3つある。

 とりあえず、夫がここだっ!!、と自信をもって言い張った巨大パーキングにクルマを突っ込み、地下1階、2階、3階、4階、とクルクルまわりながら降りていく。そして、地下5階になったところで、もう一度クルクルして地下6階におりようとすると、そこは壁・・・・・(涙)。

 ここには、地下6階はなかった・・・・・。

 ということで、振り出しにもどり、夫は怒り狂いながらクルクルと回って、今度は上がっていく。その間、助手席の私と、後部座席のT氏は息を殺しながら、目が回っていた。

 間違えて入ってしまったパーキングの兄ちゃんに、もうひとつのパーキングの行き方を尋ねると、丁寧に教えてくれる。そして、勢い良くパーキングを飛び出した時点で午後9時50分。

 が、兄ちゃんが教えてくれた方向はまったく逆だということに気づいて、木が触れてしまったように怒りまくる夫が、ものすごい勢いでクルマをバックさせて、走り出す。この時点で午後9時53分。

 絶望的になって、直進したらやっと別のパーキングの入口を発見。タイヤをキーキーいわせて、そこへ飛び込み、パーキングチケットをゲット。そのチケットに刻印されていた時刻は、なんと午後9時59分だった・・・・・。

 ギリギリセーフっ。


 あとは、ゆっくりクルマを止めて、レンタカー会社のカウンターへ行き、パーキングチケットに刻印された時刻を見せて、確かに午後10時前に到着したことを主張して、超過料金の支払いを免れたわしらでした。

 ああ、サスペンス。


2004年09月12日(日) フレンチコネクション

 夫はかつて、10年ほど中国に住んでいた。そして、そこで知り合った、フランス人仲間のことを、私は“フレンチコネクション”と呼んでいる。

 そして、本日はそのフレンチコネクションのうちの、夫婦Y&Bに招かれてロワール川近くのBloisまで、レンタカーで出かける。

 実はこのY&B夫婦(7月21日の日記参照)は、つい先日日本・関西・中国旅行を終えて、フランスに戻ってきたばかり。彼らが、日本に行く前に、私にアドヴァイスを聞いてきたので、色々と世話をしてあげたのだった。

 以前も書いたが、Yは、神戸の須磨海岸をトロピカルリゾートだとばかり思っていたほど、日本へ対する認識が甘かった。Yは、それまで東京しかしらず、妻のBは、10年前に京都だけ観光しただけ。

 とはいえ、Bにとって京都は忘れ難かったらしく、今回もここをはずす気はなかった。彼らの予定は2週間。1週間京都で過ごしたとしても、これだけじゃつまらん、と私が主張して、わしらが昨年の5月〜6月にかけて巡った、わしのお気に入りコースを勧めてみた。

 とはいえ、コースは山陰がメイン。電車の本数が少なく、新幹線も通ってない山陰・・・・。きちんと時刻表をしらべて、観光時間を予測しないと、電車を逃し、足止めをくらってしまうのが山陰。

 おまけに、ジャパンレールパスを利用したとしても、期限は7日間ゆえ、一日でも無駄にすると、あとでツケが大きくなる。

 彼らがどこまで実行できるか?、それは私にとって非常に興味があった。

 本来なら、私がタイムテーブルを詳細に作成してもよかったのだが、わしらのバカンスも重なってしまい、それもできず・・・。しかし、我が夫が、いかに山陰地方が素晴らしかったか・・・・、と語りすぎてしまい、なにがなんでもそこへ行きたいY&B夫妻とその子供たち。

 そして、彼らはわしらと綿密な打ち合わせをすることもなく、日本・関空へ飛び立っていった。



 さて、わしらもバカンスを終え、そろそろ予定ならY&Bがフランスに戻ってきてる頃かな?、と思い始めた頃、彼らから電話がかかってきた。

 “どうだった?”と彼らに日本でのことを尋ねるや否や、矢継ぎ早に興奮して土産話に熱中するB(笑)。

 関空→京都→奈良→城崎→鳥取砂丘→松江→萩→俵山温泉→広島→大阪、と見事に彼らが目的を遂げたことを知ったっ!!!!。でかしたぞ、Y&B。

 非日本人顔の一家が、乗り換えでモタモタしていると、つたない英語をつかって、いろいろな日本人が助けてくれたそうだ。それでも、一度電車を乗り過ごしてしまった彼ら。でも、あきらめない。

 そこで今度はレンタカーを借りて、再び目的コースを巡り始める。このコースで日本語を解さない人間にとって、一番アクセスが難しそうだと思われた俵山温泉にも、彼はレンタカーで無事到着。念願の麻羅観音を一家で拝むことができた、大満足だったとのこと(笑)。

 これから当分の間は、夫のフレンチコネクションで、麻羅観音が密かなブームになることは必死。ここで、妙な非日本人、厳密にいえば、フランス語訛りの英語を使って、現地日本人とコミュニケーションを取っている人間をみたら、まず、わしらの友人・知人である確率は高くなることだろう。

 Y&Bは、日本語を話せない。が、実は中国語がペラペラ。おまけに夫の漢字レベルとは比べ物にならないほど、様々な漢字を読み書きできる。台湾にも住んでいたことがあり、旧漢字まで書くことができるので、旅行中困った時には、筆談で日本人とコミュニケーションができていたのだ。

 で、おまけにBはイギリス人。子供たちは仏・英バイリンガル。夫のYも英語ペラペラゆえ、漢字+英語という最強手段で旅行を乗り切った。

 
 ということで、彼らにとったら、戦利品でもある写真などをワシに見せたいらしく、是非やってきてくれーーーー、ということになり、出かけていったわけである。

 城崎温泉で一家5人が浴衣着て、記念写真を撮っているのには、思わず爆笑。温泉スタンプラリーもちゃっかりしている。


 さて、今回はY&B夫妻と面識のあるT氏も同行。レンタカーで我が家を予定より1時間送れで出発したものの、思った通り夫が道を間違えて、予定2時間で到着するところが、5時間もかかった。

 パリからAutoroute 10 (以下A10)にのるはずだったのに、なぜかA6を選ぶ夫。6じゃなくて、10なんだっ、と私が主張するも彼の耳に全く入らず・・・・。

 なぜ、そこまで彼はA6に誘われてしまうか?、というと、昨晩の土曜日にフォンテーヌブロー近くのパーティーに、わしらがA6を利用して出席していたからだった・・・・。

 きっと、彼にはなにかそこで“遣り残したことがあったのだろうか?!?!?!”。それはわからないが、昨晩と同じ道を走り、パーティー会場付近までご丁寧に戻ったところで、自分の間違いに気づく夫・・・・(汗)。

 やっとチャンスが巡ってきたので、夫に地図を見せて、どんどん目的地から遠のいていることを悟ってもらった。

 夫の前頭葉には、ちょっと問題があるのかな?、と思ったゼロでした。


2004年09月08日(水) 社用車

 午後3時過ぎに、空港へ友人T氏をRERにて迎えに行く。彼は、7月下旬から日本に戻っており、色々と今後の生活の準備を終えて、パリに戻ってくる。

 暑さが天敵というT氏は、悲しいかな、猛暑の日本へ戻り、そのおかげでヘロヘロになりながら準備をし、出発間際には、台風で風に飛ばされそうになり、地震で激しく揺られたそうだ。

 そんな彼を空港の到着ゲートで見つけた瞬間、彼の顔に激しい疲労の痕跡を発見し、“大丈夫?!?!?”という言葉をかけると同時に、ついいじわるにも笑ってしまった・・・。

 ま、そのぐらい彼は憔悴していたわけだ、彼は・・・・。


 さて、タクシーにすぐ乗っても、絶対渋滞になると思ったので、とりあえず到着ゲートまえのカフェに腰を落ち着ける。T氏の日本での日々の報告を聞きながら、コーヒーをすする。

 そして、何気なく自分の携帯をチェックすると、着信履歴。夫からだ。

 どうやら、本日は社用車を使って動いている様子。そんなわけで、うまくいったら、空港に迎えに来てくれるかな?!?!?!、という淡い期待を抱きつつ、夫に電話する。

 社用車を使って動き出したのはいいが、つい道を間違えてしまって用事を終えられなかった夫は、その憂さ晴らしに空港へ来てくれるという。ラッキーーーーーーーーーっ。

 なので、慎重に自分達の居場所を夫に伝える(←じゃないと、おっちょこちょいな夫は全然違う場所に行ってしまうので・・・)。夫曰く、30分弱で空港に到着すると言うが、夫の30分、ってことは、3時間か?!?!?!、とT氏と苦笑い。

 が、思ったより夫は早く空港に到着した。が、到着ゲートじゃなく、出発ゲート・・・。でも、たいしたものだ、我が夫にしたらっ!!。感謝、感謝。

 到着した瞬間、夫が私の携帯に電話してくる。どうやら、停めちゃいけないところに無理矢理クルマを停めたらしく、急いでやってこいと騒いでいる。が、彼の言っている場所がよくわからん。

 で、お互いに場所確認の話を携帯でやり取りしているうちに、夫が“あ、ゼロたちの姿が見えたっ!!”と言うので、前方を見ると夫がこちらに向かって歩いてきた。

 なんだ、クルマを降りているんだったら、早くいえよ・・・・、と思ったが、何しろ迎えに来てくれているので、ここは彼を誉め殺し。

 そんな私の誉め殺し作戦に、ますます気をよくして、哀れな難民を助けに来たスーパーマンのようになっている夫。そして彼が、無理矢理クルマを停めた場所に3人で急ぐ。

 おりしも、本日は晴天。タクシーに割り込むようにして停められた夫の社用車は、彼の会社のロゴマークを太陽が燦燦と照らしている。プジョー206。

 やれやれ、これで楽チンでパリへ戻れると思った瞬間、T氏が

『あっ、これ座席が二つしかないやんっ!!!』と叫ぶ。

 ?!?!?!??!、と思って社用車の中を覗くと、確かに座席は2人分だけ・・・・・(汗)。

 しかし、この会話は日本語でなされているわけで、わしらの母国語を理解しない夫は、まだスーパーマン気取り。“ボクのおかげなんだよーーーっ”と非常に自己満足で嬉しそうな顔をし続けている。

 そして、私が夫に、“申し訳ないんだけれど、さ・・・。ちょっとクルマの中みてみて・・・・。座席がどうも2人分しかないように、私には見えるんだけれど、あなたには4人分に見える?。”と、あくまでも慎重に伝えてみる。

 その瞬間、スーパーマンは、しまった・・・・・、という顔をして、激しくショックを受けている。で、私は私で、その顔をみた瞬間、もう、どうにもこうにも笑いが止まらなくなってしまった。もちろんT氏も大爆笑・・・・。もう、こうなったら、泣き笑い・・・・。

 本当に、この瞬間まで、夫は自分の社用車が2人用だということを完全に忘れていたようだった・・・・・。そして、この瞬間は、まさしくスーパーマンが、バスター・キートンになった瞬間ともいえる。

 激しく動揺する夫を前に、T氏がなんとかハッチバックの整理を終え、1人分プラスのスペースを確保。

 すでに憔悴していたT氏自身が、荷物と一緒に難民のようにしてクルマに乗り込みパリへ向かった。

 最近、警察がうるさくなっているので、シートベルトもしてない人間を乗せているのが恐怖な夫は、T氏に、“シートベルトをしているようなフリをしろっ!!”と命令。

 そして、T氏は、自分のショルダーバッグの肩紐を、まるでシートベルトをしているような感じで肩にかけていた・・・・・。




 結局、タクシーを拾ったほうがよかったのかどうか、私にはよくわからない日だった・・・・・。


2004年09月06日(月) おなら

 今から一ヶ月前のことだったろうか・・・・、よく覚えていないのだが、我が家で友人の日仏カップル&日本人男性の友人T氏を招いてのディナーがあった。

 デザートまでキッチリと終え、コーヒーを飲みながら、皆でソファーに座ってフランス語と日本語それぞれで思いっきりリラックスを始めた時のことだった。

 わしの夫はリラックスし始めると、招いた人をの存在を忘れて、どんどん好き勝手に行動しはじめる傾向があるのだが、この日もそうだった・・・。

 フラーっとサロンを離れ、パソコンのある部屋に彼は消えていった。恐らく、彼はメールチェックでもしに行ったのだろうと思われる。で、彼はその部屋ではいつものように1人。思いっきりリラックスしてしまった彼は、そこで巨大なおならをした。

 その爆音は、サロンまで聞こえてきた・・・・・・・・・。

 その瞬間、サロンに残されていた私たちは、爆笑のうず。で、夫のおならをきっかけに、おなら議論に花が咲いてしまった。

 するとどうであろう、T氏も日本に残してきた彼女の前で、嫌がらせのように“わざと”おならをするのが好きだと告白。もちろん友人カップルS&Mの夫のほうも、とんでもないシチュエーションで“わざと”するのが好きだということが発覚。

 おまけにその妻のS嬢の父までが、その妻(つまりはS嬢の母)の前で“わざと”おならをして、妻の困った顔を見るのが好きだ・・・・、という話で盛り上がった。

 そして、本日の午後、ただ今日本に里帰り中のT氏から電話がきた。T氏とある程度話したあと、T氏の彼女である、もとは私の同僚であったY嬢と電話でさんざん長話。

 そして長話をしている最中に、一ヶ月前以上のできごと、つまりは、我が家でのディナーのあとの“おなら談義”のことを思い出したので、彼女とそれについて語った。

 “オトコの人って、あえて自分の彼女や妻に、嫌がらせするのが好きだよねーーーー、でも、嫌がらせした時、彼らが思ったような反応がないと、つまんなさーだよね。”“たいがいのことは慣れてしまっても、さすがにくさい屁をこかれると、顔をしかめてしまうから、きっと彼らは反応が得られて面白いのかもしれないねえーーーーっ”等と話していた。


 さて、その数時間後、我が家では数人の客をディナーに招いた。招待客の中に、フランス人とはいえ、一般的なフランス人からは変人と言われてもしょうがないレベルのRが混ざっていた。

 Rは、本当にいい意味でも悪い意味でも、強烈なキャラクターを持ち合わせている人間。

 とはいえ、アペリティフからデザートまでは、真面目な話をしていたのだが、なんの因果かわからぬが、気がつくとまた“おなら”談義になりはじめた(汗)。

 するとRは、突然思い出したかのように、自分のおならがもたらした信じられない逸話を話し出した。

 それは、今から10数年前のこと。当時Rが一緒に暮らしていた女性がネコをたくさん飼っていたとのこと。そして、彼女は愛猫家で有名だったらしい。

 が、ある日Rが突然おならをしたくなったそうだ。そして、興味半分でRの彼女の飼い猫のうちの一匹である鼻のまん前で、くっさーいおならをしたとのこと。

 その瞬間、ネコはその強烈な臭いに耐えられなくなったのか、猛烈な勢いで窓に向かって走っていき、たまたま開いていた窓から飛び出てしまった・・・・。が、そこは5階。ネコはまっさかさまに5階の窓から落ちてしまい、死んでしまったのだそうだ・・・・・・・・・。

 Rは、語る・・・・・。

 “興味半分でネコの鼻元でおならをしたら、ネコが自殺してしまった・・・・”、と・・・・・・・・。


 私は普段は、動物に対してだけは優しい人間ゆえ、普通なら怒るところなのだが、Rの語り口調と、そこまで臭いおならの功罪を考えた瞬間、笑いが止まらなくなってしまい、窒息しそうになってしまった。

 どんな思いで、その猫が窓際まで走っていったのだろうと思うと、哀れでたまらないのだが・・・・。

 その後、自分の愛猫の一匹を、つきあっているオトコの“屁”が原因で、失ってしまったRの彼女は、未だにこのことで傷ついているらしい。ま、そりゃそうだっ!!。

 腹筋が痛くなるほど笑った後で、Rに“なんでわざわざおならをしようと思ったの?”と質問してみた。

 すると彼は、“わざとじゃないんだよっ!!、でも自然に屁をこきたくなっただけ、で、そこにたまたま猫がいたから、面白半分でその鼻の前でしたら、猫に自殺されてしまったんだ・・・・”と、飄々と語る。

 “で、その一発の屁で、未だにその時の彼女からさんざん恨みを言われてツライんだ・・・・”、とのこと。

 ということで、Rの興味本位のおならは、本当に高くついてしまったようだった・・・・・・。

 とはいえ、もし自分の愛犬が、他人のたかが一発のおならで死んでしまったら、私もRの元彼女同様、恨んでたかもしれないから、なんとも言えず。とはいえ、笑いがとまらないのは何故・・・・・?!?!?!。


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