ゼロの視点
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2004年01月28日(水) ダンス

 夫婦というのは、一緒にいる限り、ずうっと二人でダンスを踊っているようなものだと思う。

 ダンスを踊るというと、優雅に聞こえるかもしれないが、ダンスをいかに美うまく踊れるようになるか?、というのが目的であり、その日常はダンスの練習ともいえよう。

 姿勢からはじまり、ステップの踏み方、踊る際の息の合わせ方など等、やることはたくさんある。

 パートナーが自分勝手だったり、ダンスのセンスがなかったりすると、やっかいな問題になってくる。右方向へ進んだほうがいいのに、相手は左へ行こうとしたりする。または、立ち止まったり。すると途端に相手の足を踏んでしまったり、または、自分がつまずいてひっくり返る、なんてこともあるだろう。

 ま、相手が思うように動かなくても、そこで、ゆっくりと相手が立ち上がるのを待っていてくれるようなパートナーだったら、それはそれでいい。が、そこで逆ギレしたり、舌打ちするようなパートナーだと、雲行きが怪しくなってくる。

 ダンスをいかにうまく踊るか?、というのが目的であるのに対し、上記のようなことになると、ダンス以前にそれは格闘技になってしまう。

 我が家は、これだ・・・・・(汗)。ダンスの練習しているつもりが、柔道になっている。お互い、柔道着をつかみ合って、相手をひっくり返すことが目的になる、というわけだ・・・・。体力勝負。人によっては、もうやってられないと思って、パートナーチェンジをすることもあるだろう(つまりは、離婚ってわけですね)。

 いかに相手のクセやテンポを知って、じっくりと息を合わせる練習をしないと一曲さえ踊れない・・・、そんなものだ。それも各自、きちんと責任を持って練習することも大切。相手任せにしては、踊ることもできない。

 夫は、もしダンスの先生というのがいるのなら、彼らが説明している間、全然違うところをみて、まったく話を聞いていないタイプ。そして突然踊り出したりするタイプともいえる。勝手にテンポを変えるし、わけがわからん。なので、彼とダンスを踊るのは、ひじょーーーーーーーーに、難しい。

 簡単なステップが踏めないということもある。そんなところで、私がついつい『あんた、ちょっとアタマたりないんじゃないの?。』などというと、たちまち柔道になってしまう。夫に言わせると、私は言葉の格闘技というものがあるのなら、間違いなく黒帯、もしくは師範らしい。

 先日、一緒に食事した夫婦、妻Y41歳、夫F38歳は、今年一緒になって20周年という。ものすごく仲のいい夫婦だ。夫婦でうまくダンスの踊り方をステップアップさせてきているのが、同じテーブルにいるだけでもよくわかる。素晴らしすぎるし、羨ましすぎる。

 そんなわけで、徐々に会話をこういった話にチェンジさせていく私。夫にとったら、あまりおもしろい話題じゃなかったろうが。Fの妻に対する理解というのが非常に深く、それを信用しきれるYという妻。この秘訣などを、色々と夫の前で語ってもらった。小さくなっていく我が夫。私的には、これはなかなか絵になる(笑)。

 我が夫は、まるで私のせいで自分がうまく踊れないような、どうしようもない言いがかりをつけるにかけてはプロだったが、この夫婦とのディナーで、夫のアホさ加減が露呈され、ついには、自ら夫が自分の愚行を認め出した。おおっ、スゴイ効果だっ!!。さすがに、うまく会話を運んでいった甲斐があったというもの。

 ヤロウが自分の非を認めるというのは非常に少ない。なので、こっちもどうやって認めさせるか?、というのにアタマを使う。なので、今回のヤロウの懺悔は、非常に画期的なものとなった。ついついいい気になりそうになった私だが、ここでいい気になると、逆に、ヤロウの逆ギレを誘発するので、ぐっと我慢。人のことばかり言わずに、まず自分も大人にならなければ・・・・、と言い聞かせる日々なゼロでした。


2004年01月26日(月) タクシードライバー

 日曜日の夜、だーらだーらしながら、リモコン持ってテレビにチャンネルをバシバシ変えていた。すると、ちょうど始まったばかりの映画『タクシードライバー』に遭遇。そしてその瞬間から魅入ってしまった。

 うーーーん、実に久々に見る『タクシードライバー』。デ・ニーロの神経質そうで、時にはいいとこの坊ちゃんのようにも見える外見と、ひとり拳銃を大量購入して、鏡の前でひたすら鍛える日々・・・・。

 どうみても、実際にはつきあいたくないタイプの男性だとしても、ぐんぐんと惹きつけられるなにかがそこにある。デートの場所はポルノ映画館だし(笑)。ま、私は個人的には、こういったチョイスでも平気なんだが・・・・。とはいえ、何故彼女が機嫌が悪くなったか?、という点には思いをめぐらせることなく、自分を拒絶したものとして怒りを募らせていくトラヴィスは、なんともいえん。

 ギャングの一人として、ハーベイ・カイテルが出てくるが、ちょっとの出番にしても、なかなかインパクトが強い。私にとって、ハーベイ・カイテルの凄さを知ったのは、別の映画で『マッド・フィンガーズ(原題Fingers・米・1978・ジェイムズ・トバック監督)』のおかげ。これは、今でも私のお気に入り映画の一つだ。

 ピアニスト志望の暴力的な若者を演じるハーベイカイテルの性格がスゴイ分裂して、たまらん作品。バッハのトッカータ2番のフーガがテーマ曲にもなっているのだが、あまりにもこの映画を何度も何度も繰り返して見すぎてしまった私は、映画中にハーベイ・カイテル演じる若者が間違える個所で、同じように間違えるようになってしまったのには、自分でも笑える。今でも、油断すると同じように間違えるのだ・・・・。

 ラストシーンは、『タクシードライバー』の花火が炸裂するような一瞬の銃撃戦というほどのインパクトまではいかないまでも、かなり衝撃的。うーーん、もう一度観たいっ。

 そんなわけで、若き頃、焦燥感や、多大なるフラストレーション、そしてわけのわからぬ野望等を抱え、こういった映画にのめり込んでいた自分を思い出し、妙に懐かしくなった。ま、今でも色々とフラストレーションはあるとはいえ・・・・・(笑)。


2004年01月25日(日) トイレ

 昨日のパーティーに、レンヌから来てくれたS嬢は、我が家に一泊。昼近くに3人で一緒にのんびりと朝食。午後3時すぎのTGVをすでに予約してあったS嬢だったが、それを午後6時に変更して、またまた3人でレストランでカレーを食らう。

 その後、S嬢を見送りにモンパルナス駅へ。TGVに乗ったS嬢を後に、なんだか妙にはや歩きな夫。???、と思い夫に尋ねると、トイレに行きたいとのこと。そして、堪えきれなくなったのか、夫はTGVに乗り込んで、その中のトイレで用を足そうとたくらみはじめた。

 1等のトイレに入ろうとしたものの、鍵がかかっていてアウト。そのあと長い食堂車などがあり、やっとみつけた2等のトイレ。夫がTGVに飛び乗り、少したつと、発車直前の合図が鳴り出した。

 ドアが閉まる寸前に、夫は出てきたが、あと数秒遅れてたら、S嬢よ、きっと車内で、再び夫とおしゃべりをしていたと思うっす。


2004年01月24日(土) あかずの間

遅い朝食を取ってから、ひたすら片付けモノ。というのも、本日の午後6時から我が家で中国新年を理由に、パーティーを開催するからだ。最初は午後4時スタートと思っていたものの、急遽午後6時に変更。予想どうり、午後4時になぞ、まったく片付け終わらず・・・・。

 片付け終わった瞬間に、インターフォンが鳴る。一番乗りの招待客だ。時計を見ると午後6時20分。ギリギリセーフ・・・・・。

 東洋人や東洋に色々な想いを寄せる西洋人が混ざり合う、年に一度のこのパーティー、今回は、34人の招待客となった。これでも、数人が急な用事で来られなくなったので、全員が来ていたら40人ぐらいだったのかもしれない。ま、こういうことも考えた上で、オーガナイゼーションとなるわけだ。

 前回までは、我が家には必ず“あかずの間”というのがあった。というのも、時間までに片付けきれず、とりあえずしまい切れなかったもの、一切合財を一つの部屋に“ぶち込む”ために、こういう部屋が出来上がる。が、今回は、はじめて全部の部屋を開放。そんなわけで、一年ぶりにやってきた人の中から、“オーーッ、この部屋を見るのははじめてだっ!!”という声があがる。


 フッフッフッ。この開かずの間を人目に晒せるようにするために、昨年の11月などほとんど日記が更新されてなかったのだよ、キミ達。


 直前まで、ずうーっとあかずの間だった寝室にとって変わるかのように、書斎が第二のあかずの間になりかけていたが、夫にガミガミ言って、彼のガラクタを極力排除。完璧じゃないが、とりあえず、床が全部見えるような状態にまでなった・・・・ホッ。

 日本人女性は、私を含めて7人。そのうちの一人であるS嬢は、ブルターニュ地方はレンヌからのご出席。ありがたいことだ。


 入口に置いてある、昨年の6月に山口県の俵山温泉で購入した“麻羅”のオブジェで、色々な人が遊んでいた。特に、今年で一緒になって34年というゲイカップルのJM&Cは、これを見るなり目を輝かせたのを、私は見逃さなかった。ついには、これを持って記念撮影が始まったほど。こういうものがあると、会話が弾むのねぇ・・・・、と妙に納得。

 それにしても、ホステスとして色々と動いて、ふとホッとした時に、夫がいつものように、ピアノを弾けとせっついてくる。こんな状態で、何を弾けというのか?!?!?!。非常に腹が立つが、しょうがないので弾いた。でも、やっぱり最悪。ヤロウも一度は楽器の演奏を覚えてみるべきだ。それじゃないと、一曲を気分よく弾くのは、そんな簡単なことじゃない・・・・、ということが痛いほどわかるはず。くそっ。

 みんなが帰っていった後の我が家を見て、うーーん、ずいぶんと片付いているのに驚く。やっぱり、無理やりでもパーティーをやると、スペースができるので、これからもやろうと思った(笑)。

 


2004年01月22日(木) 突然蘇った悲しい記憶

 夕方、小雨の降る中歩いていると、散歩中のロットワイラーの姿が目に入ってきた。黒く毛艶のいい身体が、防水機能のように水を弾いている。

 ああ、このワンコ、元気なんだな・・・・・。

 等としばしその姿を見送っていたら、ふと2002年のサン・マロでの悲劇を思い出してしまった。


 それは暑い夏の、とある昼下がりのことだった。城壁への入口に一台のクルマがハザードをつけたまま放置されていた。中を見ると運転手はいない。きっと事件だっ!!、ということで、いつものようにヤジウマのわしらは、人垣を縫うように前へ進む。

 夫は夫がわで、私は私でそれぞれ周りの人にそれとなく何が起こったのか?などと聞いて歩く。どうやら、運転手が警官につかまって連行されたらしいとのこと。またそれが突然の逮捕だったゆえ、クルマがそこに放置されたまま、すでに数時間が経過している、ということまでわかった。

 そして、あらためて放置されたクルマの中を見ると、ロットワイラーが2匹・・・・・・・。完全に締め切られた車内の窓カラスは曇っている。



 それを見た途端、心臓がバクバクしてきた。


 クルマの周りに、なすすべもなくたたずむ警官達。窓ガラスを割るでもなく、ただ苦しむロットワイラーたちを見ている。そして、沿道のわしらのようなヤジウマも、それを見つめる。

 車内のロットワイラーはどんどん弱ってきている。朦朧とする意識の中、視力を尽くして窓ガラスを割ろうと、ロットワイラーたちは全身を叩きつける。しかし、全然割れない。割ろうとする動きの回数もどんどん減ってきている。

 2匹のうちの一匹は、最後に身体を窓に叩きつけてから、そのまま崩れ落ちすっかり姿が見えなくなってしまった・・・・・。

 沿道からは、“窓を割ってやれ”“鍵屋を呼んですぐ彼らを解放してやれ”“かろうじて開いているサンルーフをこじあけてそこから水をいれてやれ”等との叫び声が止まない。

 さすがの非難にいたたまれなくなった警官らが、こじあけたサンルーフから、ペットボトルに入れた水を流し込む。瀕死のロットワイラーは一滴の水さへも逃さないようかのように、滴り落ちる水に口を近づける。

 が・・・・、そんなに簡単に飲めない・・・・・。

 そんな時、事情に詳しい人がわしらの近くにやってきた。そして知った衝撃の事実・・・・・。実はもう一匹、ロットワイラーが車内にいるとのこと・・・・。それも、なんとトランクの中・・・・・。

 あまりの惨劇に眩暈がしてきた・・・・・・。


 警察につかまってもいいから、私が窓を割ろうと思って前へ進むと、数人の警官に取り押さえられる・・・・。無念だ。それと時を同じにするように、最後の最後まで脱出しようと試みていたもう一匹のロットワイラーまで、倒れこんでしまい、私達の視界から完全に消えてしまった・・・・・。

 ガラス窓は曇りに曇って、もうほとんど見えない。そして、さっきまでロットワイラーが脱出しようとして、身体をたたきつけていた音も消えてしまい、ただ、それを見守るだけになってしまった、警官とヤジウマたち・・・・。

 
 何度も、色々な警官に詰問したが、答えは一緒。



(1)連行された犯人がいない現在、そのクルマを触ることは法的にできない。

(2)ましてや、その不在期間に窓を壊すとなると後々ヤバイので、上司の判断を仰がないと駄目。

(3)ロットワイラーは獰猛な犬のカテゴリーにあるので、専門家である獣医師が来ない限り、警官らは触ってはならない、ということになっている。

 彼らの答えがどこまで法的に正しいのかわからないが、とにかくすべての回答がこうだった。“じゃ、いつになったら、その専門家という獣医師が現場に来るんだ?!?!?!”とついつい、激しい怒りに任せて彼らに質問すると、彼らは“今、現場に向かっている最中です”とのこと。

 一体、どこから獣医師を呼んだのだ?。ロットワイラー達は車内に閉じ込められてすでに数時間。未だに到着しない獣医師。愛犬家と思われる野次馬の人たちの目には涙が浮かんでいる。私もしかり・・・・。こんな地獄を、ただ見つめるしかないという無力・・・・・。

 果たして、わしらはどのくらい現場にいたのだろう?!?!?!。足が麻痺してくるまで立ち尽くしていたことだけは覚えている(あまりのショックに動けなかったというほうが正しい)。そして、日が暮れる頃、ようやく獣医師が到着。

 彼は、サンルーフからおもむろに麻酔注射がついた長い棒を差し込み、意識を失ってすでに数時間のロットワイラーたちに、それを打った・・・・。トランクの中の最後の一匹に対しても、獣医師は厳重な注意を払いながら、なんとか麻酔注射を打ち、“死んだように”動かなくなったロットワイラーをワゴン車へ運んでいった・・・・・。

 個人的に警官を責める気はない。彼らも動くに動けず、見守るしかなかったのだろうと考えたい。とはいえ、これが人間の子供だったら、もっと早く吸湿されていたことは確かなのでは?、と思えてならない。

 しかし、ひとつの命にはかわりない。死力を振り絞って、窓ガラスに体当たりしているロットワイラーの姿は、あまりにも悲劇だった。彼らが麻酔銃を撃たれた時、すでに死んでいたのでは?、と思えてならない。

 よく、日本でパチンコの駐車場で、車内で置き去りにされた赤ちゃんが死んでしまった、というニュースがあるが、こんなに簡単に死んでしまうのだから、犬もしかり・・・・。



 翌日の新聞で、このことについての短い記事を発見。連行されたというロットワイラーの飼い主は、前日に親と喧嘩して、その復讐に色々と武器をクルマに積み込んで出かけていったところを、警察に発見されたとのこと。ただ、ロットワイラーの生死については、何も書かれていなかった。

 その日は、満潮と干潮を激しく繰り返す、サン・マロの海を、ただボーっと眺めて過ごした私だった・・・・・。
 


2004年01月20日(火) 女性心理

 午後8時過ぎ、アイリッシュ・パブで一杯呑んでから、映画『Nathalie (2003/Anne Fontaine監督)』を観る。

 ファニー・アルダン演じる中年ブルジョワ主婦とその夫、ドパルデュー。彼が出張先から戻ってくる日は、彼の誕生日でもあった。それにあわせて、夫をびっくりさせようと、妻は盛大な誕生パーティーを開いて、その帰りを待つのだが、結局夫は、飛行機に乗り遅れ戻ってこない・・・・・。

 翌日、妻は夫が家に置いていった携帯を目にする。聞かずにはいられず、留守電のメッセージを聞くと、昨日の夜、夫が他の女と過ごしていたことが発覚する。

 意を決した彼女は、売春バーへ行き、そこで働くエマニュエル・ベアールに自分の夫を誘惑することを頼む。そして、その詳細ないきさつをベアールがアルダンに語っていく・・・・・。

 ま、大雑把なあらすじではあるが、こんな感じの映画。セックスシーンはほとんどなく、ほとんどすべての“エロティック”なシーンは、エマニュエル・ベアールの口によって語られるだけ。だが、妙にすけべでいいのだ。ファニー・アルダンの声も非常によい(私は彼女のファン)。

 日常生活、仕事など、すべてに恵まれているように思われるアルダンと、若くてセクシー、プラス美しいとはいえ、社会的には決して恵まれているとはいえないベアールの間に、生まれていく奇妙な共犯意識・・・・、そしてそれが徐々に友情に変化するか?、という微妙なライン・・・。



 最後にどんでん返しがあるのだが、私はこの映画を観はじめてちょっとしたら、だいたいこうやって終わると気がついていたのだが、一緒に観ていた夫は見事に気付かず・・・・(笑)。

 ここに男と女の究極の差を見たような気がした。この映画の監督についても、どんな人が作ったか?、等ということはひとつも調べもしないで観に行ったのだが、観ているうちに、こりゃ、女がメガホンとったな・・・・、とすぐ気付いたものだ。

 夫の反応を書くと、ネタばれになるので今回は書けないが、爆笑してしまった。やはり、あいつは単純すぎる・・・・。

 映画『ラスト・サムライ』と比べたら、遥かに少ない予算で作られたであろうこの映画、とはいえ105分の間、まったく飽きることなく楽しむことができた。

 それにしても、もうすぐ55歳になるというファニー・アルダン。なんともいい女だ・・・・・・。


2004年01月18日(日) 復讐

 友人の家でアペリティフを終えた後、なんとなく映画館に立ち寄る。時計を見ると、私達の都合よくはじまる映画がない。それでも、あと40分ほどではじまる映画があったので、チケットを購入し、とりあえず近所のアイリッシュ・パブにてビールでも飲むことにした。

 久しぶりの生ギネス。咽が唸る。


 パブはたくさんの人でカウンターに注文しにいくのもやっと。そんな人ごみの中に、見知った顔を発見。昨年の11月13日の日記でタイトルが“母と息子”というのに書いた、息子Bだ。

 Bは、その美貌にも関わらず、いつもヤロウ仲間とつるんでバーにいるのが好きなことは知っていたが、今回も同じで、友人というミュージシャン仲間と飲んでいる最中だった。

 Bは、午後に映画『ザ・ラスト・サムライ』と観たあと、このパブに来たらしい。それを知ると、夫がBとこの映画について熱心に語ってあい始めた。

 時に、私の前には、なみなみと注がれた美味しそうなギネスのグラスが二人分。そう・・・、それは私と夫の分だ。脇にいる夫を見ると、本当に熱心に話している。

 復讐のチャンスっ!!。

 というころで、彼が話し込んでいる間に、二人分のギネスを全部飲み干し、昨日の“干物の恨み”を果たして、すっかり気持ちよくなったゼロでした。


 その後、二人で映画『ロスト・イン・トランスレーション』と観る。すべての状況において、ロスト、つまり途方に暮れた50代半ばのアメリカ人男優と、同じように、精神的な居場所が定まらない若い女性が、東京のホテルにてだんだんと仲良くなっていくというストーリーなのだが・・・・。

 きっとこの映画は、コメディなのだ・・・、と思っていたのが間違いであって、かなり見方によればハードなものだった。もちろん、笑えるシーンもたくさんあったが。

 絶対的な孤独、コミュニケーションの難しさ(これは日本人とだと難しいというのではなく、たとえ家族でも、自分自身でも)等が、描かれている。主人公は、日本語がまったくわからないゆえ、仕事上でも日本人に色々と日本語で指図されても、そこで相槌を調子よく打っているだけ。

 でも、彼はアメリカに残っている妻との会話でも、ほとんど相槌をうっているだけ。

 激しく彼が怒り狂うシーンがあるわけでもなく、その逆に、彼が歓喜するシーンがあるわけでもない。そう、淡々としているのだ。ま、そのくらいすべてにおいて諦めちゃっている、50代半ばの男性の話。

 この映画、見る人が見たら(特に主人公の年代の男性)、シャレにならないくらい、鬱を悪化させる可能性もなきにあらず、と思った。

 


2004年01月17日(土) 干物パート2

 さて、本日は昨日作っておいた干物を食べる日。

 嬉しぃぃぃーーーーーーーーーーーっ!!。


 干物を食べることを考えるだけで、ヨダレが出そうな勢いだ。生まれてはじめて作った干物が、もし美味く出来ていたら、そりゃ、素晴らしいランチになることだろう。


 とりあえず、手元には3枚の干物があった。でも、試しに一番大きな干物一枚をランチに焼いてみた。夫が好きかどうかわからないし、第一、本当に美味しくできているともわからないゆえ。

 さて、テーブルに焼きあがって、見た目はヨダレジュルジュルなほど美味しそうに見える干物に醤油をサラッとかけ、他のおかずと一緒に並べる。以前、仕事で干物についての説明をフランス語で書いている時、特にアジの干物のフランス語訳が非常にフランス人でも発音しにくいことが判明して、夫が大爆笑したことがあったが、そのイキサツもかねて、ほうら、これが本物の干物なのよっ!!、と自慢気に彼に見せてみる。

 で、とりあえず、私が最初に味見・・・・・。

 う、う、うまーーーーーーーーーーーいっ!!。

 どうして、こんなに美味しいのォーーーーーーーーーっ?!?!?!。


 という結果でした。我ながら非常に大満足。昨日みた映画『ザ・ラスト・サムライ』の食卓風景に干物はなかったとは思うが、ご飯茶碗、焼き魚、そして味噌汁というシーンはしっかりと覚えていた夫が、“日本の食卓の再現だね”なんと調子のいい質問をしてくるので、ついついこっちも調子にのって説明しているあいだに悲劇が起こった。



 ほんの2,3分だけ、私が話している間に、鬼畜夫がほとんどの干物を食べてしまったのだっ!!!!!。


 美味そうな身が、ほとんど残っていない・・・・・。

 一瞬、あまりのショックに、声すら失ってしまった私・・・・・。


 もちろん、その後は喧嘩になった・・・・・・。なんで食ったのか?、という私の言葉に対して、夫はほとんど骨だけになった干物を、すまなかったと言って私に差し出してくる。

 打ち砕かれた私の夢という感じで、干物の残骸を見ていると、悔し涙が出てきそうな勢いだ。

 夫曰く、“まだ身が残っているから、平気だよ”とのことだが・・・。その“平気だよ”って態度やめてくれねーか?、オヤジっ!!!!!!!!。

 以前、いわしの竜田揚げを一挙に夫に食われた記憶まで蘇ってきて(トラウマ)、もう少しで“離婚じゃーーーーー”と腹の底から唸りたい欲求に駆られてきた。

 でも、私は最近、少しは大人になろうと決めたばかりなので、グッと抑えてイヤミを夫に言ってみた。

私「あんたがさぁ、もし中国とかに住んでいて、どうしても昔食べていた美味しいチーズの味が忘れられずに、ある日、それが手に入らぬなら、自分で作ってみようとトライして、それが物凄く美味しかったとするよね・・・・」

夫「う・・・・、うん。(話の行方がすでにわかってきているのと、あらためて自分がやったことにたいする罪の大きさに気付きはじめたのか、うろたえはじめ、ことによると逆ギレする気配までみせてくるフトドキもの)」

私「で、苦労して自分で再現したチーズを、妻にほとんど食われ、チーズの周りの硬い部分だけ、まだ食べられるよ等と言う、どうしようもない理由で、妻があんたにチーズの残骸を渡してきたら、あんたどーーーー思う?。」

夫「ごめん、って謝ったじゃないかぁっ!!」」


 ほうら、逆ギレね、オヤジ。
 
 謝ったからすべてOKとは思うなよ。

 それだったら、警察はいらないのだよ、オヤジ。


 復讐してやる・・・・・、ニヤリ。


2004年01月16日(金) 干物と映画

 昨日、フラッと立ち寄った近所の魚屋でみつけたアジ。アジをこの店で見かけるのは、本当に珍しい。何度かアジの前を行ったり来たりしているうちに、どうしても“干物”を食べたいという激しい欲求にかられてきて、とうとう買ってしまった。

 しかし、だ。干物を食べたいと思ったとはいえ、作り方なんぞ知らん・・・。

 ゆえに、ネットで色々と作り方を検索して、本日の早朝から干物作り。意外と簡単でだった。我が家にはテラスがないので、窓のところに仕掛けをして、アジをヒラヒラと干してみた。きっと向かいの住人などが、奇妙に思ったことだろう。

 洗濯モノは外に干してはいけない、というフランスとはいえ、魚を外に干してはいけない、とは聞いてないので、ま、いいか。風が少し強い日だったので、アジが窓辺でヒラヒラ舞っている。なかなか風情がある。

 ヒラヒラと舞うアジを見ているうちに、アジの南蛮漬けも食べたくなってきたので、いそいで魚屋へ飛んでいってみたが、すでにアジは売れきれ。それでも南蛮漬けと一度頭にインプットされてしまっている私は、諦めきれずイワシを大量購入して、これで南蛮漬けを作ることにした。

 これで週末は、嬉しい魚づくしになりそうだっ!!

 アジを干したまま、夕方レ・アールに映画『ザ・ラスト・サムライ』を夫と一緒に観に行く。14日から封切りとは全く知らずに行ってしまったおかげで、物凄い人。特に、パリ郊外のアラブ人や黒人のちょっとワルぶってみたい盛りの少年らがたくさん。

 ゆえに、当然、会場はワイワイと賑やか(言葉を変えればウルセー)。時間ギリギリに映画館に到着したわしらは、ほぼ満席状態に近く、すでに二人一緒に並んで座れる席はなし。

 この映画は、以前別の映画を観に行った時に見た宣伝で、思わず真田広之の剣さばきに惚れ惚れして、ただそれだけで観たいっ!!、と思ったものだ。あとは、トム・クルーズだし、たいしたことないのだろうと思っていたら・・・・・、予想を裏切って楽しめた。

 確かに、色々と突込みどころは満載なので、それを言い出すときりがないのだが、でも、3時間飽きることはなかった。

 とにかく、私の第一の目的は前述したように、真田の殺陣。うーーん、美しかったぁ・・・・。

 日本映画業界で働く、幼なじみM嬢。以前から彼女とは、どの俳優が一番熱心に役に入れ込んで、素晴らしいか?、等という話をしているのだが、彼女がいつも挙げる人間は同じ。それは、真田広之と佐藤浩一だったりする。とにかく、撮影前の準備、撮影後の編集までをすべて考慮した上で、演技にいどむ彼らのプロフェッショナルな姿には、M嬢感動しまくり。

 そのような背景もあり、この映画で真田広之(別にファンじゃないが)の演技をみながら、出番が少ないとはいえ、確実に存在感を感じさせるところに魅入ってしまった。

 彼の役どころは、非日本人にはちょっとわかりにくかったのではないだろうか?!?!?!。

 さて、夫のほうは、もちろん渡辺謙に注目してたらしい(ま、注目せざるをえないが)。また、昔たった一人で、西洋人もいないような中国の田舎で太極拳を覚えたという人間だけあって、映画を見ているうちに、彼はトム・クルーズに激しく感情移入していた模様。そう、もう気分はすっかりトムな夫・・・・(汗)。

 夫曰く、この映画ではトムは、何度も何度も日本人にやられても、どんどん武士道のよさに魅入られていき、自分の傲慢などを捨て去っていくところが、素晴らしい、とのこと。だからこそ、渡辺謙に役者として完全に食われてしまっていても、それはそれでこの映画のネライなのだ、ということらしい。

 ふーーーーーん、そうなの?!?!?!。

 悪ぶった少年達が埋め尽くしている映画館は、各場面で笑いが起こったり、拍手が起こったり、それはそれで別な意味で楽しめた(ま、楽しめたと言い聞かせてないと、イライラするほど)。明治天皇の英語に、もんどりうって笑う彼ら。おまけでラストは、爆笑のうちに終わってしまい、個人的には物足りないが、ま、彼らの考え方というのもわかったので、よしとする。

 また小雪がトムの着物を脱がせているところで、となりのカップルが“俺だったら、こんな風に脱がされたら、絶対アソコが勃っちゃって、なかなか鎧をつけられないだろうな・・・”など、リアルなご感想を述べている。

 会場を出ながら、つくづく思ったのだが、反乱武士側について戦いつづけた外国人って、実はフランス人じゃなかったっけ?、ということ。そう、ブリュネ氏じゃないかっ?!?!?!。

 そんなこともあり、すっかりトムになりきっている夫に、本来ならこの映画はフランスが作るべきだったんじゃ、と延べてみたが、じゃ、誰がトムの役をやるか?、ということで意味不明に盛り上がった。

 もし、トムのように小さい俳優である、クリスチャン・クラヴィエがやったら、合戦の最中にギャグやってコメディになってしまうことだろう。
 


2004年01月15日(木) 斡旋

 2002年の5月、夫の出張中に、家財道具と一緒に永遠の家出を図った友人J。その後彼女は、離婚手続きをしながら、夫とはまったく違ったタイプの男性を洋服でも取り替えるように、色々と渡り歩いている。離婚のほうは、昨年の夏に成立。

 Jは、離婚が成立したことに対しては、おおいに満足。とはいえ、現在の彼がなかなか定まらないことに対してはおおいに不満足、という状態が続いている。

 彼女が探している理想の男性は、ズバリ、“自分のことを心底愛してくれて、甘やかしてくれる人”である。“じゃあ、自分は相手に対しての愛がなくてもいいの?”と問い返すと、“愛があったって夫婦生活がうまくいくわけじゃないから、そんなものは必要ない”とのお答え。

 なるほど・・・・、一理ある(笑)。

 が、しかし、Jってそこまで割り切れる人間だったっけ?、と自問自答しているうちに、ついつい実際にそれを質問すると、

「でも、もう生活に疲れたから、一生養ってくれる人がいればいいのよ。で、私のことだけを見てくれる人」とのお答え。これって、脇見厳禁の府中刑務所みたいだな・・・と思いつつ・・・・。


 うーーーーーん・・・・・・・。


 ただ今、付き合っている10歳年下のJの彼とうまくいかなくなってきたので、水面下で別の男探しをはじめようとしているJ。そんな彼女に、先日知り合いになった彼女の家の近くで、大きなブラッスリーを経営している男性のことを話してみる。

私「(写真を見せながら)彼のことどう思う?」

J「全然私のタイプじゃないし、だいいち彼、既婚者じゃないよっ」

私「そうだけれど、この人と友達になっておけば、彼のブラッスリーに出入りするいい男を紹介してもらえるチャンスが増えるかもよ」

J「(ころっと態度を変えて)・・・、あ、そういう可能性もあるのねっ!!」

私「そうだよ、それにあんたの家からも近いんだから、フラッと立ち寄って彼と友達になって、色々な相談にのってもらったりしながら、カフェをただでご馳走になったり、男を紹介してもらったり、こんなにおいしい話はないと思うんだけれど。」

J「彼って、そんなことしてくれるの?。」

私「絶対してくれると思うよ」

J「でも、一人でそのブラッスリーに行くには勇気がいるので、最初だけでもいいから、ゼロ、一緒に来てよ・・・・」


 というわけで、来週にでも彼女と一緒に出向くことになりそうな予感の私・・・・。ああ、早く、落ち着いて、幸せになってちょーだい、Jよ。


2004年01月14日(水) 告白

夜は、16区在住の友人夫妻宅にてディナー。16区といえば、高級住宅街としても知られており、個人的には決して住みたいと思えない所とはいえ、そこに住んでいる友人らの家に上がりこむのは好きな私。つまりは、“お宅訪問”ってわけ。

 今回のディナーは早めの設定で、午後7時〜7時半の間に来てくれと言われていたが、ついついダラダラしていたら、遅れてしまった。ま、いずれにせよ、時間より前に到着することが“必ずしもよくない”とされているフランスゆえ、ま、いいか・・・・。

 到着すると、すでに夫や、もう一組の夫婦などがアペリティフを始めていた。ホストであるPの妻Fの帰りを待つばかり。テーブルセッティングもすべて完璧・・・・。ってことは、少なくとも夫のPが一人でやったのだろう。スゴイ。わが夫はこんなことしてくれるか?!?!?!、などという考えが頭をよぎる。

 もう数年前からP&F夫妻とは付き合いがあるのだが、色々時間があわず、今回はじめて、彼らの家にいったわけだが、彼らのスタイルからして、絶対に恐ろしいほどブルジョワスタイルで、塵ひとつも落ちてないようなきれいなアパルトマンなのだろうと予想していたが、その通りだった。我が家とはあまりにも違うので、笑いが出てきてしまう。

 さて、Pの身のこなしは妙にかっこいい。というか、私にとって、気になるしぐさであったりする。決して彼は背が高いわけでもないのだが(身長が171cmあり、ハイヒール大好きな私にとって、大きいと感じさせていただける男性は意外と少ない)、時に退廃的、時にセクシー、それでいてキビキビと動く彼の仕草に、なぜか惹かれる私。

 そして彼の妻であるFの笑顔がすごく綺麗なことも付け加えておく。品があり、彼女がニコッとするだけで、その場がもっと明るくなるような感じ。おまけにかわいい声とその話し方が、またまたオリジナルだ。

 ゆえに、いつもこの夫婦と時を過ごすと、なにか非現実的な世界にいるような気がしてならない私。なんで、ここまで格好よく存在していられるんだろう、彼らは?!?!?!、と思わざるをえない。

 が、本日はFの笑顔があまり見られなかった。疲れてるのかな?、等と簡単に考えていた私だったが、実際はそうではなかった。ディナーの席上、私はPの隣に座り、私の前に座った、初対面のもう一人の女性などと話しまくっていたゆえ、あまり彼女と話す機会がなかったこともあったのだが・・・・・。

 選びに選び抜かれた、ワインをどんどんと開けてくれるPに対して、ついつい調子にのって、クイクイとグラスを空ける私。久々に飲みまくっているような気がする・・・・・。昨日まで体調不良で寝込んでいただけあって、病み上がりの酒はまわりが早い・・・・・。

 夫のほうは妻Fの隣に座っていたゆえ、色々と彼女と話した様子だった。食後、皆でソファーのあるサロンに移動して、今度はシャンパンのみながらデザートの時間になったわけだが、深々とソファーに座ると、一気に酔いが回ってくる私・・・・・“ああ、ギブアップ、帰りてえーーーー”という感じだ。

 ま、それでも“それじゃ、失礼”とそそくさと帰るわけにもいかないので、グルグルまわる頭ながら、色々と会話に参加する。この時点でも、妻Fの顔が暗いのを感じて、こんなに彼女が疲れているのだし、やっぱりそろそろ帰ったほうがいいのだろう、と解釈。そして、やっとのことで区切りを見つけて、彼らの家を後にする。

 すると、夫がエレベーターの中で「ボクたちも彼らのようにならないといいねぇ・・・」等と私に話し掛けてくる。

私「??????、何ソレ?」

夫「気がつかなかったの?、彼ら離婚寸前なんだよ・・・・。」

私「ゲッ、でも全然そんな話聞いてないよ?」

夫「あ、そうか、そういえばゼロは遅れてきたんだよな・・・」

 彼らの家に一番で到着してしまった夫は、ホストのPと一対一で、色々と話をする機会があったそうである。で、Pの衝撃的な告白“ボクたち夫婦はもうもとに戻れないところまできてしまった”、というのを聞いてしまったらしい。

 そして、ディナーの時に今度はPの妻Fの隣に座っていた夫は、Fからも「恐らく本日のディナーが、私達夫婦揃って友人を招くという最後の機会になるんだと思う」という告白を聞いたとのこと。

 私にとって、大好きな夫婦だったゆえ、ショックだった。彼らが一緒であってはじめて、あの形容もつかない優雅さを醸し出しているわけであり、もうあの雰囲気を味わせてもらえないとすると・・・・・。

 Pが昨年の初夏から6ヶ月間、外国で任務を果たしている間に、完全に夫婦間がおかしくなってしまったらしい。6ヵ月後にPがフランスに戻った頃には修復不可能、そして現在に至るとのこと。すでに家財や財産の分け方まで話しあっている段階らしい・・・・。

 

 信じられん・・・・・・。



 そんなわけで、さっきまでグルグル回っていた頭が、シャキッとしてしまったゼロでした。


2004年01月09日(金) 府中刑務所

 ふと夜遅くテレビをつけたら、フランス人元受刑者の証言をもとに、府中刑務所についてのドキュメンタリーが放映されていた。

 集団行動の練習の一貫での、軍隊式行進。この訓練が非常に厳しい。そして、前へ習え、休め、直れ、などのおなじみの訓練がある。また、日常生活の細かい規則に従い、工場での作業中は脇見厳禁、仕事前と終わりには、きちんと整列。ランチ後の8分だけ、自由な時間があり、それがすぎると合図がなされ、今までの楽しみを瞬時に捨て去り、小走りに仕事場へ戻っていく光景等。

 再犯者が多い刑務所だけあって、社会復帰後のことを考え、やたらに厳しいのが府中らしいが、ここまで重箱の隅をつつくような細かさってのもねえ・・・、等と思いながら番組を食い入るように見る。

 また、外国人犯罪者で日本語が話せる人は大阪へ行き、そうじゃない外国人は府中へ送られるとらしいが、本当?!?!?!。色々調べてみると、本当かどうかわからないにしても、日本語がわからない外国人が府中にぶち込まれ、そこで日本語だけで命令されて、日本人のように即座に反応できず、その態度を“反抗的”とみなされ、独房へ送り込まれたりもしているようだ・・・・・。

 さて、規律という規律を全力で逃げ切って数十年という夫。でも、ここでいう彼にとっての規律はあくまでフランスのもので、それでもそれが嫌で、嫌でたまらないという彼にとって、日本の規律社会をもっと激しくさせた府中刑務所の中の映像は、私の想像を越える、遥かに激しいショックを彼に与えたようだ。

 また、厳しい訓練が成されている廊下などが、異常にピカピカ光っているのも、彼の精神的恐怖に拍車をかけたようである。

夫「うちの床より、ピカピカ光ってるよ・・・・・」

 厳しい訓練を見ながら、

夫「サディックだっ!!!」とか「恐ろしすぎる」等、毎分ごとにひとりでブツブツ呟いている。

 これらの厳しい訓練について、フランス人元受刑者らは、“軍隊”という形容を何度も口にする。それに対して、府中の責任者たちは、「とんでもない、軍隊などとはまったく関係ない、ただ日本の会社、学校でも行われている基本的なマナーと他者を尊重するという訓練でしかない」と反論。

 もう爆笑してしまった。確かにここには、“軍隊”という形容を計るモノサシが平均的日本人とフランス人の間では、まったく違うというのがある。言われてみれば、学校にしても、会社にしても、整列する習慣はいまだにあるし、朝礼なんかもあったりするところもある。そして、朝礼の後、体操したり・・・・。

 そして、規則をやぶったモノは、村社会から追い出される。

 上記の、府中の責任者の言葉は、夫をもっと怖がらせた(笑)。厳しい集団行動の練習を徹底的に繰り返し、繰り返し、個を完全に放棄させていくように彼には見える、マインドコントロールの一貫が、非常に怖いらしい・・・・。ま、私でも怖いと思うが・・・・夫のようにまで反応ができん。

私「噂では15分おきに見張りがくるから、自殺も15分以内にしないと死に切れないんだってよ」

とすでに番組を見てすでに相当怖がっている夫に、追い討ちをかけるように耳元で囁いてみる。

私「で、おまけに厳しい持ち物検査があるから、簡単に死ねるような道具を入手することも難しいしねぇ・・・・・。」

夫「ってことは、どうやったら死ねるんだよっ?!?!?!」

私「人によっては、靴下を口の中に突っ込んだりしてるらしいよ。でも、見張りに見つからないようにしないといけないから、自殺を図る時も時間厳守ってわけだね・・・」

夫「・・・・・・・(うつむきながら、ショックで無言)」


 この番組を見終わった夫は、しみじみと、日本の刑務所にだけは入りたくないと何度も何度も繰り返して言っていた。例え、発展途上国の衛生状態がよくない刑務所でも、または、囚人同士で平気で殺し合いができてしまうような刑務所でも、彼にとっては、規律地獄よりたいそうマシらしい。

 どうやら、彼はすでに囚人の気持ちになっているようだ。わかりやすいとはいえ、まず刑務所に入らないでいい状況を考えたほうがいいと思うんだけれどねぇ(笑)。

 怖い、怖いと未だに言いつづけている夫、そんな夫を見ていると、私のほうが怖くなってくる。それと同時に、すごい国に住んでたんだなぁ・・・、とも。さすがに、日本のSMが、世界中の愛好家から評価されるのがよくわかったような気がした。

 精神的ないたぶり、というのに日本人は非常に長けてるなぁ・・・・・・。


2004年01月08日(木) 義弟

 義弟と二人っきりで仲良く我が家でランチ。義弟は我が家から近いところで働いている。そんなわけで、たまにこうやってフラッと立ち寄るのだ。以前は、必ず夫がいる時間帯に来ていたが、最近は、私ひとりの時でもひょっこりやってくるようになった。

 義弟は、3歳違いの兄である私の夫とは性格が正反対。姑の異様に社交的なところや図々しいところは夫に遺伝し、姑のハイパーアクティブ(要するに働き者)なところは義弟に遺伝していると簡単に説明できる。 

 そして、故・舅のぼんやりとしているところや、浮世離れしたところは兄である夫に遺伝し、舅の無口なところや礼儀正しいところが義弟に遺伝している。

 良くぞ見事にここまで違ったふうに遺伝したなぁ・・・・、とつくづく思うこと多し。

 そんなわけで、姑の家でのクリスマスなどのとらえ方は、必然的に兄弟で大きく違ってくる。義弟は、せっせとワイン注いだり、食べ物を取り分けたりしている横で、エンターテナーのように働くことをそっちのけで、場を盛り上げることだけに徹している夫・・・・・、という感じだ。で、同じように姑も頑張っているのだが・・・・・。

 姑も夫もにぎやかで、確かにある意味ではおもしろい人間ともいえるが、生まれたときから、すでにこういったあくの強い(時には暑苦しい)人種の中で、義弟はつらかったんじゃないか?、と時々思うことがあったので、本日、思い切って義弟に尋ねてみた。

私「辛くなかった?」

義弟「(深いため息をついた後で)・・・・うん、そうだねぇ・・・」

と深く頷いた義弟・・・・。ああ、やっぱりそうか、なるほどっ!!。その後は、姑や夫のような人種とどうやってつきあっていけばいいか?、などについて二人で熱く語り合ってしまった(笑)。

 ここまでよく事情のわかっている人と、タブーなく話すということは、非常に楽しいもので、義弟が帰った後、なんか気分がすっきりした自分に気付いたゼロでした。あ、でも別に夫や姑のことを、義弟も私も嫌っているとかそういうのじゃないので、あしからず。


2004年01月07日(水) 皿洗い

 本日はひたすら、皿洗い・・・・・・・・・・、の予定。

 我が家には食器洗い機がない。キッチンにはちゃんと食器洗い機があるのだが、故障している・・・、というのが本当なのだが・・・。これが故障して早2年。なぜ、2年間も直そうとしないのか、自分でもよくわからない。

 基本生活は夫婦たった二人ゆえ、手洗いで充分なのだが、昨日のように人を招くと翌日には必ず、“ああ、食器洗い機直しておけばよかった”というようなことになる。

 特に、昨日はある意味、私達にとって重要な人々を招いたので、使用した皿やグラス、その他諸々の数は半端ではない。だんだんと自分が、姑のようになってきているようで、ちと怖いほどだ。

 姑については、何度もここで書いているが、テーブルセッティング命の人間。そして皿をたくさん重ねる。

 先月、母がパリにきている時、レストランに入って、皿が2枚重ねてあったのに対して、私が“ほうら、こうやってフランスでは皿を重ねるんだよ”なんて説明していた時のことだった。

 説明し終わって、夫に同意を求めるように“そうだよねっ”とやると、夫が
「うちのママンは、皿をたくさん重ねるよ。6枚、7枚、8枚・・・・・という感じで」と言ってきた。さすがに8枚も重ねないだろうがっ!!、と思い相変わらず大げさだな、こいつ・・・・、と思いついつい笑ってしまった私達。

 さてその後に、クリスマスで姑の家に行った時のこと。クリスマスディナー用のテーブルセッティングには、なんと皿が6枚も重ねてあった。それを見てもんどりうって笑ったのは自明のこと。

 そうか・・・・・、あながち夫の言っていることは大げさでもなかった・・・・、といこと?!?!?!。



 昨晩の招待客らは、姑が喜んでお付き合いしたいだろうタイプの人でもあったので、かなりテーブルセッティングなどに気を使わざるをえなかった。で、知らず知らずのうちに、姑のようなテーブルセッティングを模倣していたのだと思う・・・・・(汗)。とはいえ、皿を4,5枚重ねるまではしなかったとはいえ・・・・・。



 今日からはじまったバーゲン行きたい・・。
 でも、とにかく皿洗い・・・・・・・・・。
 
 バーゲンで、新しい食器買いたい・・・・。
 でも、とにかく皿洗い・・・・・・・・・。

 皿洗いしなきゃ・・・・・・・・・・・・。
 気がついたら、長電話・・・・・・・・・。

 皿洗いしなきゃ・・・・・・・・・・・・。
 気がついたら、日記更新・・・・・・・・。



2004年01月04日(日) 家庭環境

クリスマスだの、正月だのの過ごし方について、考えているうちに、自分の両親について考えざるを得なくなった。

 思えば、私は、自分の両親がこういったこと対して、準備している姿すら見たことない、ということをに気付いた。ゆえに、なにかが飾ってある家、というのも記憶にない。

 いずれにせよ、これはわが父の方針(というかただ、こういったことにまったく興味ないという性格)だったというのは明らかであるにせよ・・・・。行事に対して、非常に熱心な姑の姿などを見ていると、180度違うわが家庭環境に軽い眩暈すら感じることもある。

 人を招く時のテーブルセッティングに、その瞬間、瞬間のエネルギーをすべて注ぐようなタイプの姑に対して、わが父は、そんなことに小指一本動かすのさえエネルギーの無駄、というタイプ。

 そして、幸か不幸か、真似しようとしているわけでは決してないが、非常に父に似ている私。そんなところに、あらゆる行事に一生懸命やることが使命として叩き込まれた結果、それに心底ウンザリしてすでに数十年という夫は、基本的には私との生活は楽らしい(笑)。

 幼き頃から、我が家の食卓のテーブルの上は、食べることに必要なモノより、エンピツだの、本だの、それに対してすぐにメモが取れるように、たくさんのメモ用紙や、すでに何かが書き込まれたメモが散乱していた。そして、食事の時は、それをそうっと脇によけて、あまったスペースに食器を並べる。

 父は仕事の関係上、自分の研究に必要なことがふっと頭に浮かぶと、それをすぐメモしたい。そして、そのメモ書きを置いたところは、決して誰にも触られたくない、という同居するモノにはある意味鬱陶しい生活習慣があった。

 が、不思議なことに、こういう親しか見ていないと、何も疑うことなく、当たり前のようにそれをやっていく子供というのがいる。それが私なわけだが・・・(汗)。

 そんなわけで、私も仕事の関係上、そしてあくまで趣味であろうとなかろうと、本読んだり、テレビ観たり、ふと気がついたことがあると、すぐにでもメモしたくなるので、我が家の食卓テーブルの上は、住む国を変えようと、依然同じ状態である。

 夫に関しても、同じ。彼も、なんでもかんでも、その時に気付いたことがあったりすると、メモしたいタイプゆえ、この生活スタイルに対して、異を唱えるヒトというのが我が家には存在しない。

 
 ゆえに、我が家のテーブルは、一週間も誰もディナーに招かなかったりすると、本と紙と筆記用具の山になる。そして、二人でそれをそうっと脇によけて、余ったスペースに食器を並べて食う・・・・、というわけだ。わしら夫婦にとっては、見た目に反して、非常に心地いい空間でもあったりする(汗)。

 父に関していえば、それでも誰かに会わねばならない時は、自分の仕事場の応接室ですべてをすまし、ほとんど誰も自宅へは招かなかったのに対し、わしら夫婦は招かれたり、招いたりの応酬の日々。ゆえに、母に比べると、“人を招くこと”に対しては、かなり頑張っているのではないか?、等と自画自賛してしまうこともある。

 父にとっては、自宅は第二の研究室であり、それでももっと集中したいと考えた彼は、同じ敷地内に、別棟であらたな個室をオッタテテしまったほど。そういった自分の宇宙には、極力他人を招くたくないし、行事などにわずらわされたくない、という考え。

 ゆえに、今思うと、母はある意味楽だったんじゃないか?、等と思ってしまうこと多々あり。もともと、母自体も行事だのなんだのに対して、やる気のない人間だったゆえ、アル意味では、夫のせいにしながらも、彼女自身がそれを大いにエンジョイしていたとも言える。

 人によっては、私と夫との生活をみて、私がわざわざ父に似たような人間を選んで結婚した、とコメントすることがあるが、どう考えても、私にはそうは思えない。

 というのも、私自身のコンセプトとしては、まず私自身が父のようなところがあるゆえ、それを当たり前に共有できるような、生活習慣を尊重してくれる人じゃないと、とてもじゃないが一緒に暮らせない、ということ。

 それだけじゃなくとも、男と女の間には時に深ーーーい溝(要するに違い)があるのに、生活習慣からすでにあまりにも違っていたら、わたしにはそれ以上の溝を埋めていくエネルギーは残っていない。

 

 しかし、たまに、夢をみている自分がいたりするから妙に笑える。キレイ好きな男性で、行事などにさりげないスマートな演出をして妻をおどろかせ(いい意味であり、元旦の日記のように、ドアを間違えて、違った隣人がやってくるという意味ではない)等・・・・・。

 ああ、でも・・・・・・、こういう人と暮らしたら、一週間で自分の化けの皮がはげて、相手に放り出されるか、または自分が息苦しくなって家を飛び出して、というふうになってしまうのは、火を見るよりも明らかっ!!。

 相手に求めるよりも、まず自分を知り、自分を認め・・・・・、なんとも耳の痛い説教だが、なるほどねぇ・・・・、と納得するしかないゼロでした。


2004年01月01日(木) 年越し

 今までの大晦日は、必ずどこかのパーティーに出席していた私達。が、いいかげん、こういったことに飽きてきた私というのもあり・・・・・。これについては、長いこと夫婦で話し合ってきて、ようやく夫のほうも同意したのが、12月の初めのこと。

 私はもともと、やれ正月だ、クリスマスだ、とそういった世間の行事に一緒になって騒いだりするのが好きではなかったゆえ、同じようなことを一度でいいから、フランス生活の中でもやってみたかったのだ。

 夫にしてみれば、大晦日は友人らとのパーティーでハメをはずすというのが定番になっているみたいだったが、それはあくまでも夫の定番であり、必ずしも妻である私が、自分の定番を捨ててまで、彼の定番に合わせる必要があるのか?、という果てしない疑問。

夫「じゃ、ゼロは大晦日に何をしたいの?。」

私「何かしなくちゃいけないの?。」

夫「そういうわけじゃないけれど・・・・。」

私「大晦日だと意識することなしに過ごせばいいじゃない。」

夫「ってことは、本当に何もしないの?。」

私「うん。」


 そんなわけで、何もしないことにしていた私達だったが、30日ぐらいから、同じように何もする予定もない、という人達からメールなり、電話が入るようになり、じゃ、何もしないモノ同士で我が家に集まって、一緒にメシでも食おうっ!!、ということになった。

 友人A、同じ区に住む隣人ともいえるI&A夫妻、そして日仏カップルのS嬢&Mを招き、一緒に年越し。



ところで、 11月の下旬に、同じアパルトマンに引っ越してきたJ&Rという夫婦が、引越し記念パーティーをいうものをやった。その際、“ご近所の方もどうぞ”ということで、エレベーター内に貼ってあった彼らの招待状を目ざとく発見した私達は、そのパーティーへのこのこ出席してみた。

 すると、J&Rが非常にナイスなカップルであり、またその仲間というのが非常に愉快な人達ばかりで、すっかり意気投合。そして、今回そのお礼も兼ねて、友人らとの年越しディナーに、彼らを呼ぼうっ!!、と夫が提案。

 夫自ら招待状を作って、彼らの家のドアの下にその招待状を入れておいた。“もし来る場合は、事前に電話しておくれ”と書いておいたのだが、すでに我が家には友人らが集まってきているのに対し、未だに隣人からの返事はない・・・・。

 どうしたものか?。きっと、他に用事があって、来られないのだろう・・・・、等と考えているうちに、我が家の呼び鈴がなる。


 きっと隣人だ!!、と思って、とりあえず私がドアを開けに行く。すると、そこには見たことのないカップルが一組・・・・。一瞬目が点になる。が、気分を取り直し、男性の方が手にしている紙に目をやると、なんとそれは夫が昨晩一生懸命作っていた“隣人への招待状”・・・・・。



 夫は、見事に隣人のドアを間違えたようだ・・・・・・・。


 キレイだったRは、この一ヶ月でまったく別人のように巨漢になっており、髪の毛がふさふさだったはずのJは、同じようにこの一ヶ月の間に、見事な禿げになっている・・・・・。

 そんな別の隣人カップルを目の前にして、夫の強烈な間違いを思うと、もう笑いが止まらない。が、隣人の前では笑えない。苦しいっ!!。とりあえず、冷静に夫を呼び、その場をバトンタッチ。

 そのまま私はサロンに戻り、すでにいた友人らに手短かに現在起こっていることを説明すると、皆“静かに”笑い出す。

 夫は、この隣人に事情を話すと、彼らは非常に恐縮しだしたが、それに反するように“アペリティフでも・・・”ということになり、この隣人夫婦を家の中にあげ、みなで奇妙なアペリティフが始まった。

 その後、友人夫婦のI&Aがやってきたところで、この“奇妙な出会い”をした隣人夫婦は帰っていった。

 あとは、みんなで飲む、食う、話す、等をしているうちに、あっという間に2004年になっていた。その後も、ひたすら、飲む、食う、話す・・・・・。結局寝たのは、午前6時だった。

 今年は、どんな年になるのかな?!?!?!?!


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