ゼロの視点
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2003年07月29日(火) 値段

 久しぶりに昼間から近所のスーパーで買い物。ただ、昼飯がなかったからゆえなのだが。

 さて、夕方と昼間のこのスーパーでは違う。それに昼間は人が少ない。レジにもほとんど人が並んでない。ああ、楽勝っ!!、と思い、とある男性の後に並んだ。

ところが・・・・・・・。


 この男性の選んだ商品を、レジの女性が会計し終わったところで、問題が起こった。レジの女性は、いつものようにただ商品のバーコードを機械に読み込ませ会計していたのだが、その合計額と、この男性客があらかじめ計算していた額が違う、というのだ。

 ああ、やめてくれよ、そんなのどうだっていいじゃねーかよっ!!、と心の中で叫びつつ、耳はダンボになっているただのババアな私。男性は見る限り、自分の暗算には確かな自信があるようだ。驚くべきことに、この男性は、買おうとしていた10品すべての値段を覚えている。その値段とは、商品棚に書き込まれていた値段、である。

 さて、難題を吹っかけられたレジの女性は、とりあえずこの場を治めるために、他の店員に、値段をチェックさせに行かせた。するとどうだろう、彼が主張していた値段が正しかった。

 要するに、商品棚には書いてある値段は、時により、バーコードには反映されていず、表示価格より高くなっていることが発覚。レジの女性はいちおう、「あーら、あなたが正しかったのね」などと言い、さっさとレジを打ち直したが、そこからこの男性の講義が始まった。

 この男性曰く、あらゆるスーパーで同じことが起こっているとのこと。本当に注意しないと、知らぬまにとんでもなく割高に金を客は払わされているのだそうだ。最初のうちは、うるせえオヤジは、ゴタゴタ言わず金払って、さっさと私の番にしろっ!!、と思っていた私だが、ついつい面白くなってしまい、彼の講釈に聞き入る。

 と同時に、多めに払うのは嫌だが、ここまで計算する意欲があるか?、と自問自答・・・・・・。答えは、めんどくせえ。とはいえ、一度自分でも試したくなってきた私。いつか暇になったら、電卓持参でスーパーに行ってみようと思った。

 いつか日本のどこかのスーパーで、レジのアルバイトがすべての商品の値段を読み上げて確認するところがあった。その時、一緒にいた夫が値段を読み上げるアルバイトが言う値段を、そのままずうっとオウムのように真似して、とうとうレジの人が笑い出してしまい、レジを打ち間違える、ということがあった。でも、こうやってレジで値段の確認をしていくという方法は、もしかすると、先の男性が訴える問題を少しは軽減するのかもしれない?!?!、などと思うゼロでした。


2003年07月28日(月) 弱点

 最近、真面目に仕事しまくっている私。夏だというのに・・・(涙)。

 さて、私にとって校正者兼、一番の読者として意見を頂戴しているのは夫。本当は感謝したいところだが、そうはいかない。すぐに喧嘩腰になってしまうわしらであり・・・・・。

 最近、ずうっと原稿を書いていてあらためて思ったことだが、どうも私はフランス語の冠詞の使い方がまだよくわかっていないようだ。夫はここではかけないとんでもない趣味をもっているが、その一方、特定の言語の文法解析が趣味だったりする(笑)。ゆえに、色々とフランス語の冠詞についての議論がはじまり、気がつくと、犬も食わぬ夫婦喧嘩になっていたりするから、体力を消耗する。

 原稿を書くにあたり、冠詞なぞ全然気にならず、どんどん書く日もあれば、突然、あらゆることが疑問になって、一行たりとも進まぬ日もある。これが本当にやっかいだ。たったちょっとのテーマでそれぞれの原稿を書くにあたり、膨大な資料を読むのだが、読むことに関しては問題はあまりない。逆に、著者によっては、素晴らしい文体で表現しているのにぶつかると、うっとりとしてしまい、ああ、こうやって書けたらどんなにいいことか・・・・・、と逆に焦ったりもする。

 それにしても、面倒くさいフランス語の冠詞。土曜日には、特殊な例を踏まえた冠詞テストを夫に出題してもらったのだが、テストだと思うと、全問正解しまったりもする。とはいえ、何故?、と問われれば、それに対して明確に答えられない。ゆえに、文章を書き出すと激しい混乱をきたす・・・・・、というのが私の“みじめったらしい、おフランス語のレベル”だ。

 朝と称して起床するのがだいたい昼ちょっと前。そして私にとっては、夫との夕食の時間がランチタイム、という感じになっている。ランチタイムゆえ、ちょっとは友人などとも楽しみたい・・・・が、恒例のようにフランス式ディナーで長々と友人らと一緒に時を過ごす余裕はない。そんなわけで、最近は本当にひきこもり状態だ(笑)。

 色々と招かれたりしても、すべて夫に一人ででかけて行ってもらっている。逆にいえば、夫だけ招かれれば、夕食の準備もせずに済むし、私には一石二鳥なのだ。

 とはいえ、ここまでしても、定期的に私を襲う、冠詞恐怖症っ!!。わからんっ!!!!!!!!。日本語でいえば、“てにをは”がぎこちないレベルって感じなのだろうか?!?!?!。


2003年07月22日(火) セックスについてのタブー

 先週、とあるドキュメンタリー&討論番組で、それぞれの立場から基づいたセックス観についてのことを報告していた。たまたま、夕食が終わって暇つぶしにリモコンを押しているうちに、私はこの番組にぶつかったのだ。

 “タブーのないセックス”というタイトルとはいえ、ドキュメンタリーのはじめは、熱心なカトリック教徒で、一ヵ月後に控えた結婚式までは、お互いに貞節を守るカップルの実態だった。そこでピンときた私は、さっそく夫を呼んでテレビを見るように誘った。

 というのも、夫の母、つまり私の姑(久々の日記登場)の価値観は、教会で結婚式を挙げるまでは、何年つきあおうが絶対にセックスなんてしてはいけないっ!!、という考え方だから、だ。

 数年前に夫に先立たれ、あとちょっとで80歳になる姑。ひとりで退屈した夜を過ごしていると思った私は、まさしく姑世代のセックス観を持った若いカップルのドキュメンタリーは、彼女を喜ばせると確信して夫にこの番組を見るように、姑に電話させてみた・・・・・・・・・・。

 そして夫も、“これはママンが喜ぶっ!!”と同意して、彼女にすぐさま電話する。しかし、番組の説明したりとその電話はすぐに終わらなかった。そしてそれがすべての悲劇の始まりだった(ちょっとおおげさ)。夫と姑が話し終わって、恐らく姑がテレビをつけた瞬間には、もうすでに違うタイプのセックス観についてのドキュメンタリーに切り替わっていたのだ・・・・・。

 きっと姑がテレビをつけたときには、セックスについてもなんでも語り合う母と娘のドキュメンタリーになっていた。50代になるか否かの母が、娘が生理を迎え、どうやってタンポンをつけるか、また、タンポンがうまくアソコに入れられるようになれば、その後、ボーイフレンドのモノを受け入れるにも簡単になる、なんつー話をしているルポだった。

 そしてなお番組の過激さは増していく。次には、大人のオモチャを訪問販売する女性の話、そして、スワッピング(フランスではエシャンジスムという)について・・・・。そして、最後は年老いても、まだ新しいパートナーを得て性的快感をえようと努力している老年カップルについて。

 姑にこの番組を見るように言いたしたのが私だとすれ、話題がどんどん彼女にとってハードになっていくのがわかり、思わず“やべぇ”という方向に進んでいき、思わず夫と顔を見合わせて何度も笑ってしまった。そして二人で、現在、姑が一人でテレビをみながら、独り言をいいながら、カンカンに怒り狂っていることも容易く想像できた。

 さて、本日のこと・・・。夫がママン(姑)に電話した。ある意味、姑が強烈に怒っていることは想像できていたが、どうもそれ以上だったらしい・・・・。姑の妄想では、すでにワシら夫婦がスワッピングを楽しんでいるものだと、確定していた・・・・・(汗)。電話口の姑の口調は、興奮している。前代未聞の状況だ。おまけに、わしら夫婦が、姑の理解を超えた番組を見るようにすすめて、それを密かに楽しんでいたっ!!、とののしる。

姑「私をバカにしてるんでしょっ!!」という具合。

 それからというもの、姑の暴走は続いていく・・・・。先日の日曜日に姑の家に立ち寄った夫の弟夫妻にも、もしかしたらわしらがスワッピングしているかもしれないっ!!、などと語っていたらしい。そしてその話を聞いた夫の弟が、本日血相を変えて夫に電話してきた、とのこと。それを聞いて、夫はブチ切れ、ママンに電話して大喧嘩したそうだ。

 さて、8月7日は姑の80歳の誕生日。それを祝うためにわしらは彼女が住むブルターニュはレンヌへ行く。本来ならそこで数日留まって、姑とまったりするはずだったが、まず私は仕事が忙しいので、今年はそこまでのんびりしていられない。そして、この姑の妄想。今年は、私だけが早めにパリに戻って、夫は姑とゆっくり過ごすというプランだったが、さすがに夫も嫌気がさして、私が早めにパリに戻るなら、自分も一緒に帰ってしまいたいと言ってくる・・・・・・。

 夫にとっては、一対一で自分の母親と残ったら、どこまでわけのわからぬ彼女の妄想から責められるかわからないので、そのように想定される状況から逃げ出したいのだ。確かに姑の追及というのは、中世の異端尋問のような恐ろしさ。もちろん、私も夫の気持ちはわかる・・・・。が、しかし・・・・、だ。

 私としては、早めにひとりでパリに戻り、独りっきりで何日かを過ごし、仕事に思いっきり集中したい・・・・。そんなところに、夫が一緒に戻ってきたら、落ち着かないという本音がある(汗)。

 どーーーーーーーーしよーーーーーーーーーーーっ?!?!?!?!。

 そんなわけで、私がたまたま姑に電話してみたら?、と夫に提案したばかりに、この夏の過ごし方(自分のいいように進めるパターン)が暗礁に乗り上げてしまった。墓穴を掘る・・・、という言葉そのもの。ああ、参った。

 この分だと、姑の家に行ったら、わけもわからぬ嫌疑で尋問を受け、それで私Jもブチ切れして、夫もブチ切れするのは火を見るより明らかっ!!。例え、私が姑の家に1泊しただけでも、だ・・・。そして、ブチ切れしたら、なかなか平静に戻れない。そしてなかなか仕事もモードに復帰できない私・・・・、というのが、悲しいかな、あまりにも想像できる。

 もう、夫の実家に戻ること自体、完全キャンセルしてしおまうか?!?!?!??!?!。


2003年07月21日(月) ばいばい、そして、またいつか!!

 1998年から断続的にフランスに留学していたY嬢とランチ。また、いつものように夏の間だけ日本へ戻って、フランスへ戻ってくるものとばかり思っていたら、フランス完全撤退して日本へ帰国、ということを知りビックリ。そんなわけで、急遽時間を作り、一緒にランチして色々と語り合ってみた。

 3歳年上のY嬢と私は、育った環境も違うし、性格も全然違う。恐らく日本に住んでいたら知り合いになることなどなかなかなかっただろうと思う。が、おもしろいことに、フランスでその機会を得て、たまに会ったり(1年に一度)していた。

 おまけにY嬢は、パリが嫌いで、フランスの地方で暮らしていたので、本当に会う機会というのが限られていた。自腹で
留学してまでフランス語の勉強を頑張るY嬢に対して、ただフランス人に知り合っちゃったからテキトーにこっちに住んじゃったという私とは、もうここでかなりの違いがある。

 義務教育時代のすごし方も全然違う。Y嬢はバリバリに運動部で活躍し、苦しい練習に耐え、大会に出場し、勝ち進んだりしているタイプ。それに比べ、私は・・・・・・・、以下自粛(汗)。

 奇妙な縁で彼女と知り合った時、彼女の“頑張り”というものに戸惑いを感じたほどだ。こういう人が実際にいるのか?!?!?!、というような・・・。協調性もあるし、優しすぎるほど優しいし、“輪”を大切にする彼女だった。それに対し、私は・・・・・・・・、以下自粛。

 “永遠のモラトリアム人間”(要するにグータラでエゴイスト)みたいな友人が多かった私(類は友を呼ぶ)にとっては、かなり強烈な出会いでもあった。だからきっと彼女のことが気になったのかもしれない。

 そんなY嬢は一時期酷く恋愛問題で傷ついたりしていた。要するにアイデンティティクライシス。当時付き合っていた相手が、そりゃ一筋縄でいかないタイプだったのは、私もその彼を知っているのでよくわかっていた。そして、彼女が精神的にどん底だった時、私は手紙を送ってみた。ある意味では、彼女がそれまでの人生で“よしとしてやってきたこと”を根底から覆す内容だったと思う。また、その手紙を読んで、彼女は“ああ、ゼロのやろう、キツすぎる・・・”と思ったことだろう。

 そして、Y嬢の帰国直前に今回久しぶりに一緒に色々と語り合ってみた、というわけ、だ。彼女は今では流暢にフランス語を話し、言いたいこともなんでもフランス語でどんどん表現している。頑張って真面目に勉強した成果だ。わたしゃ、こんなこと出来ないので、本当にスゴイと思った。そして、ツライ時期を越えて知り合った彼の待つ日本へ戻っていく。本当に、強い女性だと思った。またそんなY嬢を見ていて、もっともっと幸せになってほしいと思った。

 試験も終え、Y嬢はもうちょっとフランスの各地でブラブラしたあと、自分の誕生日である7月31日の飛行機で日本へ戻っていく。度重なる局面を乗り越えてきた彼女の顔は本当に清々しかった。また、そんな彼女の顔をみているうちに、私も自分の局面(仕事)を乗り越えてみせよう!!と、思った。

 Y嬢は日本へ戻るとはいえ、私の実家からは遥か彼方。また、彼女は彼の都合により、もしかしたらもっともっと遠い国へ行く可能性があるゆえ、次回会うことが可能なのかさへわからない。一期一会とはよくいったモノだ。また、予想外の人との出会いというものの、醍醐味とありがたさというのをしみじみと感じたゼロでした。


2003年07月19日(土) 100円

 先月の日本里帰り中の旅行先、出雲の古本屋で100円で購入した『パリ日本館だより---小林善彦著・中公新書』を読んでみた。1979年に出版され、著者自信が1976〜1977年にパリに滞在していた時の話をまとめたもの。

 ま、もしかしたら資料にでもなるかな?、それに100円だし、という軽いノリで購入した本だったが、読んでみたら面白かった。著者がパリ滞在をしていた時は、私はまだ9か10歳ぐらい。

 それなのに、彼が書いているパリに対しての印象や、パリで暮らしながら日本を観察した感覚が同じなのには、呆然。この当時にフランスにやってきた留学生は、すでにフランスを後進国と見下し、日本のハイテク生活に激しい郷愁を感じながら生活していたらしい(笑)。

 その一方、たまに耳にする日本での凶悪犯罪ニュースにより、「ああ、日本はどうなってしまうのだろう?!?!?!」などと憂いていた在仏日本人が多かったとのことだ。著者によると、すでに1977年には、朝日新聞で“不満爆発型犯罪が激増。親族殺人、発砲など続出”などと見出しで騒がれていたらしい。要するに、不満爆発型=キレる、と言葉が変わっただけで、ああ、なーーんだ変わってないのねぇ、等と笑ってしまった。そして、お決まりの“日本のチアンは底辺で大きく変化している”等という締めくくり。

 笑えた。今、この本が店頭に並んでいるのか否かは知らないが、きっと在仏日本人が読んだら、共感できると同時に、日本もフランスも意外に変化してないことに軽い脳震盪を食らうことだろう。

 ただ、この当時の西欧諸国からの日本という国に対する理解度は少しはあがったのかもしれない。フランスではないにしても、とある国は“日本は遅れているから伝書鳩で連絡を取り合っている”ということを新聞で語らせていたらしい。もう、爆笑。さっそく、ネタにしようと心に決めた。

 


2003年07月17日(木) 私にとっての外国語

自宅最寄のメトロ駅でのこと。

 私は会社員じゃないが、メトロの一年パスをいつも購入している。で、先日パスのカードケース(ビニール製)が裂けてしまったので、新しいパスケースをもらおうと、窓口にいる公務員に尋ねてみた。公務員は恐らく40代後半と思われる巨漢デブ白人女性。

私「現在使っている私のパスケースはこういうものなんですが(現物を見せる)、このように壊れてしまいました」と言うや否や、
デブ公務員「ない」
私「?????」

あまりにも公務員が小声で答えたのと、まるで探しもせず答えたので、現実が把握できず、もう一度食い下がって彼女に同じ質問をしてみた。でも、あいかわらず、

公務員「ないものは、ないのよ、何回同じことを言えばいいのっ!!」と開き直ってくるではありませんかっ!!。

 その瞬間、私はマジでキレてしまった。今年5月から続く連日の公務員のスト騒ぎで相当ムカムカしていたし、自分の仕事がなかなかはかどらず同じくムカムカしていたのだと思う(笑)。

私「そうですか、わかりました。そこまでグロテスクに肥大したあなたのオシリを微動ダニ動かして探そうともせず、ですね。指折り数えて、スト繰り返してなんとか獲得した素晴らしい退職生活があなたの将来には待っていることでしょうが、退職生活に突入した瞬間、太りすぎであなたが心臓麻痺で昇天することを心から願っていますっ!!」

 私は、キレていたので、腹式呼吸の素晴らしい発声法で話していたと思う。ゆえに、チラホラと人だかりができていた(汗)。窓口の女性公務員は、言い返すこともなく蒼白くなり固まっていた。なので、そのまま改札を通って、彼女を放置してとりあえず自分の乗る方向のメトロに乗った。

 正直、私がキレ過ぎたのか否かはわからない。個人的にはキレても、絶対にオ下劣な言葉を使わないようにするのが私のモットーで、それだけは回避できたことに妙な自信が湧いてきてしまった(泣笑)。

 夫曰く、議論で盛り上がれば盛り上がるほど(ある意味私が攻撃的になってくると、という意味)、私のフランス語は流暢になるらしい。おまけに文法的にもほとんどミスがなくなるとのこと。

 確かに、日本でも同じことを言われていた。矛盾などを突く時の私は妙に活き活きしていて、語彙と例えが豊富らしい。いずれにせよ、こういったシチュエーションにおいて、かなり脳が活性化されるらしく、そうなると自分でもイタコ状態になっていることがわかる時があるから不思議だ。

 特に、フランス語において、自分でもハッキリと理解してない言葉とか、全然知らない言葉まで飛び出してくることがあるから不思議だ。恐らく、今までの生活の中で見聞してきた語彙や言い回しなのだろうが、普段はうまく使えなかったりすることがほとんど。なのに、攻撃的モードにチェンジすると、本当にどこまででも(これは大げさだが)語彙が出てくる。

 とはいえ攻撃しながらも、自分が意図してない語彙が、自分の口から飛び出してくるのはちゃんとわかる。議論は進めながらも、自分の新しい語彙を、アタマのスミで、“ああ、ちゃんとメモしておかなくちゃ!!”なんて、マジで焦っているのだ。

 なので、時にああいって、こうやって誰々を論破した、という話を日本人同士で話していて、“どういうふうにフランス語でいうの?”と質問されることがあるが、完全に答えられないことがたまにある。

 また夫から、日本語についての講義を求められることがあるが、突然“この言葉を日本語でなんというの?”等と質問されると、答えられないことが多い。

 ということで、結局、私にとって言語とは、他者があってはじめて成り立つものであって、自分ひとりだけでは、語彙に限りがあるということが奇しくも判明してしまったわけである。他者という刺激、それがなくしては良くも悪くもコミュニケーションもへったくれもないわけだな、と。

 なので、ひたすらコツコツ外国語を自国で学ぶ・・・・、というようなことは間違っても私には出来なかったわけだっ!!、とあらためて実感した次第(これは仏文専攻でありながら、まったくフランス語を話すことに全く興味がなかった長年の私のコンプレックスに起因する)。

 最近、たまーにだが、語学を教えてみないか?、なんつー恐ろしいオファーがあるのだが、どう考えても、私にはできない。特に、語学習得だけということには、今現在でも全く興味を覚えられない自分がいるからだ。そのかわり、もしかすると、コミュニケーション術というものをメインにしたものなら、なもう少し自分のモチベーションが上がるかもしれないとあらためて感じた。

 とにかく、ああ、哀しいかな、私にとっては、外国語というのはコミュニケーションのツールでしかないのだな・・・・、ということ。言語学者などの気持ちがまるでわからんっ(笑)。


2003年07月15日(火) 奇妙な人々

 私が夕食の買い物と称して、近所の商店街をウロツクのがだいたい午後の6時半頃。この界隈に引っ越してきてすでに3年以上、気がつくと同じ時間帯で過ごしている。そして、だいたい見かける顔も決まってきてる。

 フランプリというスーパーが近所にある。週に3回は絶対に同じ野菜売り場で見かける、女装オカマ。実際に彼がオカマかどうかは知らない。ヘテロだけれど女装が趣味だけなのか否かは、今のところわかりようがない(笑)。ただ、彼はお世辞でも綺麗とは言い難い。長髪のカツラをかぶり、いつもミニスカートに身を包み、化粧はかなり濃いほうだと思う。

 もう一人、決して列に並ばずにノウノウと割り込みしていく50代くらいの、奇天烈ファッションのおば様ともよく遭遇する。フランプリ近くにある郵便局では、彼女はなんと20人の列に、ブッチギリの横入りをしてみせ、即座に沸き起こるブーイング“今まで並んでなかっただろっ!!”に対して、“私いたわよーーー”とさらりと返答して、全員を虚脱感に陥れさせた。

 彼女は、横入りした挙句に、窓口を占領したらそこで持参してきた封筒10枚に、手紙を入れ出し、ゆっくりと一枚一枚の封をしていく・・・・・。当然、その作業ゆえ、ただでも空いている窓口が少ないひとつを、こんなことで占領された人間のイライラが募っていく。

 彼女は、スーパーでも奇妙なことをよくやっている。なんでもかんでも、自分の近くを通りかかった“男性”に、「あそこのモノを取ってチョーだい」と頼むのだ。今まで見た限り、彼女が女性にモノを頼んでいることはみたことない(笑)。

 そして、よくわからないが、前日の女装男性と、奇天烈おば様と、最近買い物の時間帯がほとんど一緒になってきていて、自分でもちょっと怖くなってきている。例えば、本日はアヴォガドを取ろうとふと私が手を伸ばすと、同時に手を伸ばしてきたのが、上記の二人だったのだ・・・・・。

 奇人とマークしてきた人達と、同じモノを取り合う風景・・・・。おまけに、3人ともロングヘアー。他の人には、私も奇人に写っているかも知れない?!?!?!、などと思ってしまう。

 気を取り直して肉売り場に行き、店員に注文をしようとすると、同時に違う人の声が・・・・・・・。さすがに自分の声が予想だにせず“はもった”ので、あたりを見渡すと、やっぱり前述の方々・・・・・・。

 想像するに、彼女らは夜の仕事をしているのだと思う。スーパーが閉まる前に買い物に来て、その後出勤という感じだろう。私も、ある意味で“夜の仕事”だから、彼女らと一緒になる確率が高のだろう、きっと(笑)。

 とはいえ、彼女らのことを“奇妙”と思っていたが、もしかしたら私のことも“奇妙”と思って観察している人がいてもおかしくないな・・・・、と思えてきて、もうちょっとマシな格好で買い物にこれからは出かけようと思った。ただせさえ、でかい(態度も)アジア人で目立っていると思うので・・・・・。


2003年07月14日(月) 夏休みの思い出と青空

最近暑い・・・・・。
夏だ・・・・・・。
海へ行きたいが、それは叶わぬ夢。
イライラする・・・・・。
で、休日で夫が家にいて、ついついつられてダラダラする。
ああ、仕事どうすんの?!?!?!。 



 テレビにて革命記念日の軍事パレードを見る。普段は列も作らずに、横は入りし放題の人種が、整然と足並み揃えて歩いている姿に妙な違和感・・・・。フランス人でも、年に一度はきちんとするのだから、私も一生に一度くらいは真面目に仕事せねば・・・・、と焦る。

 そして高まる焦燥感に圧迫されながら、ついつい我アパルトマンの敷地内にあるプールへ行ってしまった(汗)。ご丁寧にも、夫と自分用のマットまで自分の肺活量を使って膨らまして・・・・。

 マットは頑張って膨らませた甲斐あって、プールでは快適だった。突き抜ける青い空、まぶしい太陽、そしてプカプカと浮かぶ私。浮かんでいるうちに、ふと小学生の時の夏休みを思い出した。夏休みといえば、宿題だ。

 今思えば、私はすでに小学生の頃から、期限までに与えられた課題をきちんとやるということが出来なかったのだなぁ、と気付く。30年近く自分の人生を遡っても、今と同じことしか見出せなくなり、軽い眩暈と同時に、結局“ま、なんとかなるか”と、鷹揚に構えなおす。

 だいたい夏休みの宿題など、期限に出したことがないし、出さずに誤魔化したことも多々あった。8月31日になって、ようやく宿題の項目をチェックし始めるというのが、常だった。そんな娘を見て、極度の不安に毎回襲われる母親からは、“宿題はいいのっ?!?!?!”としょっちゅう突っ込まれる不快な日々。ストレスだけが溜まっていく。

 そのストレスをぶつけるかのように、毎日プールで一心不乱に泳ぎに泳ぎまくって、学年で一番泳ぎが速くなってしまったこともある。皮肉なものだ(笑)。

 中学3年の時は、もっと酷い。夏になるまで、自分はなにもしなくても高校に進めるものだと思っていた。今思えば、親は随分前から高校受験の話をしていたと思うのだが、如何せん、自分の興味のない話はまったく耳に入らないタイプなので、ずうっとそんな話、無視していた(今思うと、この性格、少々背筋が寒くなる)。が、周りが嫌がおうにも受験体制になっていき、現実逃避ができなくなったのが、中3の夏休みというわけだ。

 ということで、中3の時の夏休みも、ジワジワと高まる焦燥感に押しつぶされそうになりつつ、何もせず、ただ暑い、暑いと現実逃避をそれでも続け、受験2ヶ月前から猛勉強して、なんとか志望校に入った。

 さて、高校3年生。元来何も努力というものをしたくない私ゆえ、大学受験なんぞ全く考えていなかった。もちろん、受験勉強などしていない。これだけは胸を張って言える(汗)。青空を見つめながら、この先どうしよう・・・、と焦ってみたものの、結局“なんとかなるさ”と、いつものこと。結局、なんとかなる以前に、自分がどんなことしたいのかもわからなくなり、親に高3の夏休みの時点で、“とりあえず浪人させてくれ”と、早々ととんでもない申し出をして、大喧嘩。

 浪人の夏休み。努力もする前に早々と浪人宣言をしてしまった手前、親には予備校へ行かずに、宅浪で志望校へ受かってみせると、大胆な発言をしていた私。お金をかけなかったら、親の文句と自分へのプレッシャーも少ないと、考えた結果だ。私にも意地があったので、結局、本当に予備校へは行かなかった。でも、家にいるだけで、たいして何もやっていない娘に対して、アタマが狂いそうな程不安を感じた母親に、某予備校の夏期講習に送り込まれてしまった。

 奇しくも、私につられるようにして、宅浪していた友人M嬢と、一緒に夏期講習へ行くことになった。気がつくと、夏期講習の帰りに後楽園へ行き、一日乗り放題県を購入し、狂ったようにジェットコースターに乗っていた私たち。M嬢は炎天下、何度もジェットコースターに乗ってしまったため、吐き気を催し、後楽園の医務室へ運ばれていく。彼女が回復するまでの時間、私は懲りずに何度も何度もジェットコースターに乗り続けた。ちなみに、この日も、本当にいい天気で、強烈な空の“青色”が目に焼き付いている。

 当時の現実逃避手段には、読書もあった。ま、これが縁でフランス文学専攻になってしまったのだが・・・・・・。

 大学4年の夏。また恒例の何を自分がやりたいのかわからない病にかかり、ここでも母親に留年宣言。学費は自分で稼ぐ!!、と空威張りし、好きだったクルマの運転を活かし、配送(つまりは運転手)のバイトで荒稼ぎ。大学5年のの夏は、卒論と就職活動(真面目にやってないゆえ)の不安から、ついに池袋駅で具合が悪くなり、医務室で休ませてもらったこともあり。さすがに、医務室からは青空は見えなかったが・・・・。

 就職活動もやらず、とりあえず卒論だけはと思いつつ、結局提出期限の五日前から驚異的な集中力で仕上げ、幸い高い(?)評価を得られたが、残るは就職問題だった。それでも、なんとか自分の趣向に沿った会社から大学の卒業式3日前に内定をもらい、晴れて4月1日には社会人・・・・。

 

 うーーーん、ココまで書いてきて、自分が自分でなんだか情けない(涙)。とりあえず、宣言したことは守っているが、どうもだらしがないな、私。この分だと、本当に締め切り前が地獄になることは必至だ。

 とりあえず、夏は私にとって、あまりいい季節じゃないらしいことだけは、この日記を書きながらわかっただけでもよしとするか・・・・。さて、仕事に戻ろ・・・・。


2003年07月11日(金) 気がついたら・・・・・

 気がついたら、このサイトの訪問者数が3万を超えていたので、ビックリ。最近、あまり更新してなかったもので・・・・。皆様、こんなつたないサイトへの御訪問、誠にありがとうございます。



 仕事にはボチボチ復帰しているものの、まだエンジン全開じゃない。ゆえに焦燥感に駆られているわけで、それが例の現実逃避に拍車をかける。ま、こうかくとちょっと大げさだが、要するにいつものこと・・・・。

 おとといの晩のことだ・・・・。夜中にふと、気晴らしに“2ちゃん”を覗いたのが運の尽き。現実逃避の手段を潜在的に探していたと思われる私は、“2ちゃん”が一番ホットになる事件と同時に、この掲示板にたどり着いてしまったようだ・・・・。

 長崎の幼児誘拐殺人事件の犯人が、中学一年生で、まだ12歳だったというのだ。12歳では、刑事責任は問えないというということ。ゆえに“2ちゃん”では犯人特定ゲーム(実名&写真晒し)が激しくなっている時だったのだ。

 “ちょっと覗いたら、仕事に復帰しよう・・・”と自分に言い聞かせながらも、嫌な予感・・・。結局膨大な時間を、2ちゃんで消費してしまった。

 1997年にあった、例の神戸サカキバラの事件の時は、2ちゃんもなかっただろうし、もちろん私はパソコンさへ持っていなかった。ただ、その時も私は、日本でつまらぬ原稿の締め切りに追われていて、昼夜逆転した生活を送っていて、気晴らしに近くのコンビニへ朝5時頃足を運んで、偶然、サカキバラの本名&顔写真が晒された写真週刊誌を購入した。で、この時も結局、気晴らし、気晴らしと自分に言い聞かせながら、テレビを見続けてしまったのを、昨日のように思い出した。

 現在、2ちゃんでは色々な写真が飛び交っている。全部どうやらガセのようだが、それに群がる人々(自分を含む)を見ているうちに、とうとう飽きてしまった。幸いなことだ、私にとっては・・・・ホッ。

 いずれにせよ、私はうちのパソコンから2ちゃんに、とうの昔から書き込みができないので、ロム専門。なので、必然的に、匿名で交わされる議論、抽象などを傍観しているだけ。2ちゃんにはアクセスが集中しすぎて、スレッドがぶっ飛んできたり、もう大変。

 また2ちゃんビギナーを狙ってのイタズラで、アクセスした人のIPを巧みに晒す罠に嵌っている人も続出している。“裏2ちゃん”に本名と顔写真などの詳細があるといううたい文句に、これらの人はどんどん挑戦していき、終いには自分のIP、時にはメアドまで晒してしまう、というわけだ。

 その晒されたIPによっては、2ちゃんへ会社からアクセスしていることがすぐわかる。うーん、こんなに会社からアクセスしている人がいるんだなぁ・・・、と妙な感覚。きっと、こんなことがバレたら、ヤバイ会社もあるだろうに。

 そして、ふと思った。フランスには2ちゃんみたいなものはない。チャットなどはそれなりにあるけれど、日本ほど掲示板文化は発達してない。なんで?!?!?!、と自分なりに考えてみた結果、フランスだと、掲示板に書き込むとか言う前に、道端で誰彼ともなく、まるで2ちゃんのように、井戸端会議が開かれているからかな?、とも思った。

 逆に、日本だと、道端で見ず知らずの人と今話題のニュースなどを井戸端会議することも少ないし、仮にそういった状況があったとしても、世間の眼を気にして、なかなかダイレクトには本音がいえないという状況があるのだろう。

 メトロの中、病院の待合室、パン屋で並んでいる最中、レジの人、郵便配達、タクシーの運転手、レストランの給仕や、たまたま隣席になった人、インタビュー相手、アパルトマンの管理人・・・等、書いたらきりがないほど、いろいろな人と、色々な話題(まったく意見が食い違ったとしても)喋る機会が身近に、鬱陶しいほどあるのがフランス。喋っている相手の、名前も職業も何も知らないなんてこともザラにある。ということで、ダイレクトなコミュニケーションでありながら、匿名だったりするわけだ(笑)。

 逆に、日本だと、極端にこういった機会が少ないと思ったのが、つい先日の里帰りの時。本音と建前ということで、数々の西洋人が日本人を理解しようとして、出来のいいものから悪いものまで、数え切れないほどの本を書いているが、あながち当たってるのか?、とも思えてきた。

 どちらがいいとかそういった問題ではない。ただ、私がこの表現方法のまったく違った二つの国に関係している、ということと、またなんとなくこの二つを今まで苦もなくやってきていること自体に、突然奇妙な感じがしてきたのだ。

 このまま、仮にずうっとフランスに住んでいくとなったら、いつかはこういった日本の社会(無意識のうちに感覚で学んだこと)の記憶が薄くなり、顔だけが日本人で、中身がフランス人化してしまうという事態に進化してしまうのだろうか?!?!?!?。

 うーーーーーん、予想がつかんっ!!。

 とりあえず、個人的には、ああすべき、こうすべきと、自分でも説明のつかないことを人に押し付けてくる人間、つまりはインチキ“世直し大明神”みたいな人は、古今東西を問わず、大嫌いなことは確かなことだろう。
 


2003年07月05日(土) Japan EXPO

デファンスで開催されている"Japan EXPO"に、昨日と、本日通った。仕事の件がなかったら、なかなか足を運ばなかっただろうと思う催物。簡単にいうならば、コミケとコスプレ大会が混ざったようなもの、だ。

 ゆえに、フランスの“アニオタ”がたくさん集結する、熱い催物でもあるのだ。せっかくの機会なので、二日連続、夫を引き連れていく。コミックの出店や、"fanzine"と呼ばれる同人誌のスタンド、ゲームコーナー、そしておまけの日本文化紹介コーナーなど、よりどりみどり。

 本日の土曜日は、個人のコスプレイ大会がある。これを一度見たくて、早めに行ったのだが、もうスゴイ人。ギリギリで入れたのだが、まともに座っている人に尋ねてみたところ、4時間も前から会場に入るために並んでいたそうだがから、ビックリ。

 出場者だけじゃなくとも、コスプレしている人がたくさん。これが、噂に聞いて久しい、フランスのアニオタの実態だったのかっ!!!!!、と、妙な感動を覚える。夫は、またまた林家ぺーになってしまい、デジカメであらゆるコスプレ人間を激写しまくり、おまけにインタビューまでしている。これは、私にとっても、楽だったりする(笑)。なぜなら、夫がどんどん取材してしまって、私は仕事しなくていいのだからっ。

 ゲイパレードもどきの仮装もあるが、人種が違うのか、シャイなひとも多いのが、また感動的。舞台に出てきて、長いこと準備をしてきた衣装で思いっきり表現できるはずの日なのに、すぐ引っ込んでしまう人が何人もいた。

 それにしても、西洋人が、日本のマンガのパーソナリティを真似るというのが、ツボにはまってしまって、終始笑いが止まらなかった。もともと日本の多くのマンガは、西洋人のような大きな眼、スタイルだったりするのに、それを西洋人がまたまた、なんとか日本人の想像する西洋人に一生懸命コスプレイするのだから。

 アニオタという人種が存在することは、ちょっとだけ耳にしたことがあるだけの夫だったが、今回、実物を見て、あらためて、彼も妙な感動を覚えていたようだ。とはいえ、マンガをこれから読んでみようとはあまり思わないらしいが。

 この催物に後ろ髪を思いっきり引かれながら、友人夫婦F&B宅でのディナーへ向かう。タイ人であるBの、手づくりタイ料理が美味しかった。だが、招待客がほとんどフランス人だったので、辛さ控えめでちょっとガッカリ。招待してくれた友人夫婦は、非常に寡黙で真面目な人達ゆえ、今回は、あまりバカ話などをしないように、私なりにちょっとだけ気を使ってみた。私も大人になったものだ(笑)。


2003年07月02日(水) ニューハーフ

 日本里帰り中、母が父の膨大な書籍を処分していた。なかなか捨てられずにずうっと取ってあったのだが、とはいえ、あまりにも専門的なものばかりで、私も、母もチンプンカンプン。結局、父の死後、大切に保管されていたとはいえ、誰にも読まれることなく、とうとう廃棄処分、という運命をたどった父の本。

 専門的ということ以上に、この分野は研究が日々進化するので、さすがに30年以上も前の本は、古本屋もいらないと言う(汗)。廃品回収に出すにしても、表紙と中身を分離させておかないと持っていってくれないとのことだった。ゆえに、母は、父の蔵書の一冊一冊の表紙をもぎ取る、という作業をしていた。

 朝っぱらから、紙をヒキチギル音を耳にして庭に出ていった夫。わが母が本をビリビリ引き裂いている姿を発見して、大ショック。まるで自分の心臓を引き千切られているように感じたらしい。とはいえ、「どうして本をやぶっているの?」なんて言葉を気安く、わが母には語り掛けられない夫。なぜなら彼は日本語が話せないのだから・・・・。

 話し掛けることもできず、ずうっと母の行動を眺めるしかなかった夫は、ついにそこに山積みになっている本を手に取り出したらしい。日本語だけじゃなく、英語、ドイツ語の蔵書が多々あったので、夫なりにちょっと読んでみたらしいが、彼も、あまりにも専門的すぎてギブアップ。

 それでもめげずに捨てられる前に、一冊でも本に触れていたかった夫は、まだパラパラとページをめくり続け、本の間に挟まった、古い白黒写真のネガを発見した。それをそっとポケットにしまって、私のところに持ってくる夫。

 へーーえ、面白そうっ!!、と思って、そのネガを明るいとことで見てみると、どうやらわが両親の若かりし日々の姿だった。それをパリまで持ってきて、先日、やっと紙焼きになって手元にやってきた。

 1955年、父35歳、母23歳という時のもの。まだ、私の存在なんて、これっぽっちも彼らは考えていなかった頃のことだろう。そして、この写真を見つけたときの私は、まだ35歳だったので、ちょうど写真の父と同じ年齢になってしまったというわけだ。

 同時に、日本旅行中の写真も頼んでおいたので、それらを見ていると、35歳の父の顔と、旅行中35歳だった私の顔が、角度によっては薄気味悪いくらい似ているのを発見。おもしろくなったので、父の写真をカラーコピーして、それにちょっとサインペンでメイクして、髪の毛を付け足してみたら、あら、これって私?!?!?!。

 そのくらい、いつも鏡の中で見ている自分のツラと、基本的に同じ部品が同じような骨格に配置されている父の顔をメイクするには、なんの支障もなかったわけだ。

 しかし、だ・・・・。35歳の父と、今の自分の顔を見比べているというバーチャルな“にらめっこ”をしているうちに、気分的に負けてきた。なんでかわからぬが、負けた。ゆえに非常に悔しい。どうも、父のほうが、35歳の時点で自信があるように感じてならないのが、癪に障る(笑)。

 別に父を超えたいとは思わないが、36歳になった今、もっと真面目に人生を、フランスで再構築する方法を考えていきたいと、マジで思ってしまった。娘に化粧を施され、ニューハーフになってしまった35歳の父からの、無言の警告なのかな・・・、とも思った。
 


2003年07月01日(火) 鼻毛

 西洋人は日本人より鼻が高いことは誰でも知っている。で、鼻が高いと必然的に鼻の穴も大きかったりすることが多い。また角度もあるので、鼻毛が飛び出す確率も意外に多かったりする。

 こっちに住むようになって、色々な人の鼻毛を見たような気がしてならない。特に男性・・・・・。飛び出している人は、思いっきりボーボー、という感じ。どうしてここまで鼻毛を飛び出させて平気なんだろう?!?!?!、と思うことしきり。

 夫も例外ではない。夫の父は、そのリスクも考えて毎朝念入りに鼻毛のお手入れを欠かさなかったらしいが、夫はそんなことまで気が回らないタイプ。鬚も剃り残りがあること多々アリ。

 そんなわけで、夫としてはかなり念入りに身支度して、ビシッとスーツを決めたつもりでも、ふと鼻毛が出たまま・・・・、ということがあるのだ。先日も、二人でメトロの駅にいるとき、私がまざまざと夫の顔を眺めていると、鼻毛が出ていることに気付いた。ああ・・・・・、こんなにおしゃれしているのに、鼻毛が出ているよ・・・・・。

 で、すぐさま夫に「鼻毛が出ていてみっともないっ!!」と進言してみる。すると夫は「じゃ、急いで抜いて」と私に鼻の穴を預けてくる。そして私はオモムロに、そして躊躇するなく指を彼の鼻の穴に突っ込み、鼻毛を束でツマミ思いっきり引っこ抜いた。

 その瞬間、夫が「ぎゃあぁぁぁあっ!!」と叫ぶ。それにつられて周りの人がわしらに注目。でも、まだ出ている鼻毛・・・(汗)。こうなると、私も突然完璧主義に徹して、出ている鼻毛は全部抜いてしまいたい。ゆえに、何度もこの作業を繰り返す。そのたびに絶叫して、涙まで流している夫・・・・・。

 ある程度抜き終わって、ふと我に戻った私が反対方向のホームに止まっているメトロ車内の人を目が合った・・・・・。彼らは、わしらの行為を見ていたようで、もんどりうって笑っていた。


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