葉月 凛太郎の日記

2003年04月25日(金) はてさてぽっぽー。

さて意味不明な題名から始めてみましたがいかがなものでしょうか。
ところで題名、「はてさて」なのか「さてはて」なのか、ちょっと記憶が曖昧なのですがそれもいかがでしょうか。
まぁ、そんな疑問はさておき。

無事、23日に退院いたしました。
本当は退院した日に報告日記書こうと思っていたのですが。
すいません体が自由に動くのと痛みが無いのと好きなこと出来るのが嬉しくて日記書かなくてはと思いつつもまぁ、後から書き込みできるしー♪なんぞと呑気に構えて余裕ぶっこいてたらいつのまにやらこんなに日にちが過ぎていてこれはもうこうなったら何事も無かったかのように流してしまって無かった事にしようなんぞと考えるに至りつまりは逃げに走ったわけです。
まぁそんなワケですのでお許し願いたく。
ていうか一体誰に許しを願っているんでしょうね俺。

あー、腰が痛くなーいvv心臓の辺り(おそらく胸骨)も痛くなーいv
歩いても別に痛みは来ないし眠りが浅くて寝返りうった瞬間に腰にきた痛みの所為で目が覚めることも無いし。
ネコと戯れられるし。
めちゃくちゃ今幸せです。
明日、明後日と友人とお遊びの約束してるし♪
つーかもう、入院中、
「この腰痛はもうこれから先ずっと付き合っていかねばならんのか・・・」
と思わず暗い思考に入ることもありません。
健康って素晴らしい。
ビバ健康!
注射と採血はまぁ、なんとか我慢できるんですが。
腰の痛みはもうねー・・・。
体験したくないです、アレ。
ひでー人間だと思われてもいいです。
赤の他人のためにまたあの入院してくれ、と言われたら即行「嫌」と答えますよ。
とりあえず、そですねー・・・。
母と兄と父と、叔母(母方)と中学からの友人3人、高校での友人6人、大学での友人2人。
以上の方々のため、だったら痛いけどまぁ、仕方ないねと思えます。
うん、失いたくないからね。
15人ですか、多いのか少ないのか悩むところですね。
まぁでも、本当に。
今カウントした方々だったら失いたくないからかなり「う・・・;」とか思いながらも(失いたくないんだから、仕方ないね)と思えるかと。
まぁ実際そんな状況になってみなきゃ判りませんがね。
そんな状況には出来れば、というか絶対になって欲しくは無いんですが。
私のためとしても相手のためとしても。



2003年04月22日(火) 疲れた・・・。

幹細胞の採取を本日行いました。
3時位から始めて7時前くらいに終わりました。
かるく4時間・・・。
4時間も両腕固定で横たわったままってのはかなり辛かったです。
しかも血を体外循環させるので微妙に温度が下がるらしく。
つまりは体温も低下して寒くなるし。
血が固まらないようにする溶液のおかげで膝から下が強張るし。
そのせいか今も膝から下に力が入りづらいです。
強張りとるための溶液(カルシウムらしいです)のおかげで
今は逆に暑いし(笑)でもそん時は寒かった・・・。

私の血液は二回転したらしいです。
つまり体から出て、機械を通りまた体に戻って、そしてまた体から出て機械に。
そして最終的には体へ戻る、と。
そら時間かかるわな。

しかし素敵なのは、もし必要量の幹細胞が取れていなかったら
明日、はては明後日まで採取が続くということです。
あれが、また・・・。
考えるだに恐ろしい・・・(泣)




あ、昨日の日記の後半ちょっと削除しました。



2003年04月21日(月) 四日目。

入院四日目です。さすがに日に二回注射されてるのが効いているのか
昨日の夜は痛みでなかなか寝れず、12時近くに鎮痛剤もらいました。
なんつーんですかねぇ、痛みが脈拍にあわせてくるのですが、
腰と背骨の付け根が痛んで、一瞬遅れてそれが背骨の内側を通って
心臓に来るのです。結構苦しいです。
ただでさえ腰の痛みもくるたび「う。」とか思うのにそれに
あわせて心臓までずき、と痛むんですから。なかなか素敵な二段コンボです。
脈拍、って擬音にすると「ド、クン」て感じですが。まぁ滑らかですが。
この「ド」の時に背骨の付け根が、「クン」の時に心臓に来る、ってカンジです。
痛みが上がってくるのがまたなんとも。
つーか心臓の辺りが痛いのって結構怖いですな。
今夜はどうでしょう。また鎮痛剤のお世話になるのでしょうか。
とりあえず母上が様子見に来る時は痛みは治まっているときなのがありがたいです。
私から移植になったのを申し訳なく思っているみたいなので。
なので先生が「若いし反応いいし、打ってる量多いので痛みはお母さんより強く出るかも」
なんぞと言われた時に顔色曇りました。なので母上には鎮痛剤のことは言ってません。
だって今まで23年間も手間も金も愛情もかけて育てられてきてるんですから。
この程度の事は恩返しの範疇でしょう。少なくとも私はそう思います。



2003年04月20日(日) 入院三日目。

という訳で入院三日目です。
本当は毎日書き込むつもりだっただなんて口が裂けても言えなく。
いやまあその。色々と都合がねv
げふり。

今日は友達が見舞いに来てくれました。
とても楽しかったですv
あいかわらずバカな会話ばっかしてましたが。
まぁだからこそ楽しいってモンよね。
2人で来てくれたのですが、そのうちの一人とは1年以上は
会っていなかった上に連絡すらしていなかったので。
まさか来て下さるとは思わなかったので感激です。
しかしそんなに長い間音信不通だったのに、何事もないかのように
会話できるのはいいものです。
一応、入院患者なのでジュースとクッキーを奢っていただきました。
ありがとう友よ。大切に食べるよv

話は変わりますがさすがに三日目ともなると体調に変化が。
言われていたとおり、腰になんつーか痛みというか衝撃が。
脈拍にあわせてずん、ずん、と何かが腰にきます。
つーか背骨?腰と背骨の付け根の辺りなのですが。
初めはそんなでもなかったんですが時間とともに威力が強く。
痛い、とは言い切れない感覚なのですが・・・。
痛いような重いような・・・。なんとも言えません。
なんでしょう、成長痛のちょい重めバージョン?
ちょっと違う気もしますが。

んで、食欲がなんか減退してます。
昨日までは食事がくる前にお腹が空いていたのですが。
今日は何かあんまし食欲が・・・。
睡眠はおとといの夜よりは取れましたが。
でもやっぱ昨夜も夜中に2,3回は目が覚めました。

今日の昼前に採血したのですが、白血球は順調に増えているようです。
現在2万6千あるのだとか。前にも書きましたが通常の平均値は4000〜50000位です。5,000と考えても約5倍です。
私は特にそうは思っていなかったんですが、兄にそういった所。
「病人やん」
と言われました。確かに。
何もしてなくてこうなっていたらそれは異常なんだしねぇ。
入院も仕方ないですかね。

んでは報告終わりです。



2003年04月18日(金) 現在入院中v

と言う訳で(どんなだ)
ただ今入院中ですv
先程今日のお昼ご飯が届きました。
焼きそばです。まぁまずまずのが来たかな。
しかし一緒に付いてきたのが飲むヨーグルトと桜餅。
げふう。
俺はあんこが苦手じゃーーーーーーっ(泣)
食べれない事はないんですが出来ればご遠慮いたしたく。
ヨーグルトもどっちかと言うと苦手。
自ら進んで食そうとは思いませぬ。
ふふふなのに・・・。
・・・まぁよしとしましょう・・・。

ああ、なんで入院中なのに日記に書き込んでいるかですが、
これはノートパソコンを借りたからです。
母に。
・・・まぁ母上は入院長いからね、暇つぶしの道具とか
色々と持ってます。
一応ヤカンも借りようかな・・・病室の中あったかいけど。
インスタント食品とかのために。
ちなみに母は個室の上そのうちお部屋に缶詰なので湯沸しポッドが
あるのです。だから私がヤカン借りても大丈夫なのです。

それはともかく。お腹が空いたのでお昼を食してきます。
でわ。



2003年04月15日(火) お疲れ

なんだか昨日今日と大変です。
いやいや、大変と言うほどでは無いのですが。
世間一般的には。
しかし俺的には大変でした。
ぷふう。
昨日は健康診断です。
おいおい、そんなに取るのかよ!と言いたくなるほど血を取られた気がします。
大き目の入れ物2つと小さ目の3つ。
計5つ分も取られました。血。
しかも太目の針だったのか、今までの採血で見た事の無い速度で
血が吹き出るのが見えました。げふう。
うっかりとそれを5つ分も見てしまったがゆえに、
「気分は悪くありませんか?」
と採血後に言われたときに反射的に「大丈夫です」と答えながら
心の中で、「でも気が遠くなりそうです」と思っていました。
今までに無い体験でした。そんな事を思うなど。
でも本当に気が遠くなりそうでした。
しかもその後押さえるのが足りなかった所為か、夜12時過ぎても血が滲んでました。
どうよそれ。
いくらなんでも長すぎだろう。もっとがんばれ俺の白血球。
昼の12時にはすべての検査が終わったのに、それから12時間後まで血が止まりきってなかったってどうよ。
まぁ、押さえのガーゼをどけたら滲んでくるぐらいで、そのままにしてたら大丈夫だったんですが。

そして今日はついさっき。祖母からのお電話で気力減退。
まったくもう。1時間くらい前に父上がちゃんとお電話して、私にも母にも
付き添いは要らないと言ったのにねぇ。
あなたは一人で大丈夫なのか、移植のときに私も行った方が良くはないか。
結構だって言ったろうが。聞いとけばーちゃんv
私の幹細胞採取はまぁ、時間はちょいかかるが2,3時間だし。
母上の移植だって10分で済むものなんだって、父はちゃんと説明したろう。
それなのにまた私に聞きますか。
て言うかホントに人の話を聞かないのな。
いい加減うんざりしてきました。
移殖自体は簡単で、注射して終わりなんだからと言ってるのにさ。
神様や仏様にお祈りするくらいしか出来ないだのなんだの。
10分の電話中に4回は聞きました。
だから、注射して終わりなんだっての。移殖に危険は無いってのに。
神様や仏様に・・・。
いい加減にしれ。
大変なのは移殖そのものではなくてその後だっての。まったくよう。
で、あなたから採取する時に行かなくてもいいのか一人で大丈夫か。
何度「献血みたいなものですから大した事はありません。」
と言わせれば気が済む。来たいと思うのはそちらの勝手だがな。
来られても気詰まりなだけだっての。
あーあまったく。



2003年04月10日(木) 入院決定。

来週末から、移殖準備のために入院することになりました。
私はずっと、移殖と聞いたときから骨髄移植だと思っていたのですが、
抹消血幹細胞移殖、という方法なのだそうです。

どんな移植法かと言うと、まずドナーに三日間、朝晩2回皮下注射で
白血球を作れ、という指令を出す物質を入れます。
その物質のために骨髄の中で白血球が増産されるのですが、作っても
作っても指令が出されつづけ、白血球に分化していく幹細胞も大量に
作られます。(分裂するんでしたかね?)
で、本来は血を作る場所である骨髄でしか幹細胞は取れないのですが、
白血球増量のために幹細胞も増え、骨髄からあふれる事になります。
四日目の朝までその注射をし、その日の昼から幹細胞を採取します。
とはいっても80ミリリットル分の幹細胞を取るのに血液が10リットル
要るそうなので、体外循環させて血液は戻されます。
そらそうだわな。つか10リットルも取るんじゃな。
貧血になるどころの騒ぎじゃねーわな。つかどうなんでしょう、そんだけ
取ったとしたらもしやぽっくりなんでしょうか。

まぁ、そんな事なんで来週末からワタクシは留守にします。

ていうか、医者の先生は大丈夫と軽くおっしゃるんですが。
白血球は通常の10倍以上になるらしいのですが本当にそれは大丈夫なんですか。
通常なら白血球数5000〜6000位みたいなんですが。
注射のおかげで最終的には5万〜6万位に増量するみたいなんですが。
単純に聞いてもそれ数、十倍になってんじゃね−か。
本当に大丈夫なのか。

医者の先生が大丈夫だと言うからまぁ信じられるが、一般の人がそう
言ったら間違いなく嘘をつくなと叫びそうですな。

とりあえず5泊6日で入院してきます。



2003年04月02日(水) 表現

今何を書いていいのか、何が書きたいのか判らない。
だけど、今書かなければ、という思いがある。
時折、こういう発作のような衝動がある。
書きたくて書きたくて仕方なくなる。
でも、書きたいことは判らない。
ただ書きたいと強く思う。
心の中では判っているのに。いや違うか、心じゃなくて魂のどこかで。
「私」の中の何かがそれを判っている。
私は何が言いたいのか。何を表現したいのか何を言葉にしたいのか。
確かに判っているのに判らない。
ここにあるのに。
ただひたすらに心がはやる。
書きたい、書きたいと思う。
私は何か伝えたくてでも言葉に出来ないで。
それは確かにここにあるのに。
どうすれば見えるのだろうどうすれば言葉に出来るのだろう
どうすれば伝わる
どうすればこの思いを伝えられる。
心がはやる書きたくて書きたくて仕方なくて。
でもそれはけして不快じゃない。
それはけして焦りじゃなくて。
ただひたすらにかきたてられる。
書きたいのだと、心がざわめく。





とても大切な君に、どうすれば伝えられるだろう
この感謝と心浮き立つ感覚を。
君がくれた言葉ときっかけとに感謝を。
そしてきっかけから生まれ出でたこの感覚。
随分長い間忘れていた書きたいというこの思い。
君がくれた言葉とそれとに、感謝する。
君がくれたモノは、今私の中を満たしてる。
そしてそこから何かが。

君が私の言葉に、何かを感じてくれたことが嬉しい。

願ってよいのならば、出来れば君の中で私の言葉がひとかけらでも
輝いていますように。
どうか、君にとって良いものでありますように。

心からの感謝を君に。

これが君からの贈り物より感じた思い。


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葉月 凛太郎