ハニワ在ル...はにわーる

 

 

息を殺しながら考えてた - 2010年03月13日(土)

去年〜今年と、ひさしぶりに少女漫画をよく読んでいる。
少女ってもリアル少女じゃないな。

「坂道のアポロン」「雨無村役場産業課兼観光係」
「娚の一生」「大奥」「くいもの処 明楽」……

ああそうさ「このマン」系に踊らされる
サブカル志向の俗物さ、どうせ。
でも上に挙げたのはどれもオモシロイよ。うん。


さて。


ワシ自身は腐女子というほどじゃないんだが、
一番好きな漫画家、西炯子がBL寄り出身なのもあって
BLもモノによっては抵抗なく読めたりする。

で、「くいもの処〜」のヤマシタトモコの漫画とか
読んでて思ったのだけど。
そして映画「フィリップ、君を愛してる!」の前宣伝とか見て
またその思いを強くしたのだけど。



BLにハマる、いわゆる腐女子増殖の一因は、
「男女の恋愛を阻む障害がなくなった」せいなのかな、と。


身分とか政略とかなんとか、恋する2人を理不尽に阻む
ドラマ的に非常に盛り上がってしまうアレは
今や昼メロと韓流の世界にしか残っていないわけで。

そうなるともう男女の恋愛ドラマなんて
当事者の努力で如何様にもなるか、と。



でも、もともと「道ならぬ恋」にハマる女子なんて
恋がすんなりいかないのを自分以外のせいにしたいわけで、
その「理不尽に阻む要因」がないと困るんだよね。



そんなときに、究極の「理不尽に阻む要因」が
同性愛だ、と。


「つくもんついてるし、ついてないものついてないし」
そして社会的にもまだまだ抵抗あるし。




……それでも愛してる!




ってな展開にキュウウウーンなのかなぁ、なんて。





奇しくも西炯子がナタリーのインタビュー
(http://natalie.mu/comic/pp/nishikeiko)で

『BLって、私の場合は「本当に私が恋愛をどう思っているか」というのを描いている気がしますね。男女の恋愛を描くときは、地位や経済、年齢、子孫を残すことなどの社会的なファクターが多いと思うんです。そういう問題がたくさんあるから、物語は複雑に重層的になっていく。ところがBLの場合は社会的なことが何もない。家庭を築かないといけないわけでもないし、子孫を残さないといけないわけでもないし。そう考えると、一切余計なファクターが付いてこない純粋な恋愛が描けるわけですね。だからBLを描くと、自分が恋愛をどう捉えてるかっていうのがおのずと表れてくる。』

なんてことを言っていて。


ワシの主張とは真逆のようにも見えるんだけど、確かに


「男女の恋愛はすんなり関係に至れるけど、その後は制約だらけ」

「BLは恋愛関係に至るまでが大変だけど、その後は気持ち次第」


ってのはあるわなー。



で、リア充なら勝手知ったる「関係に至るまで」よりも
「関係に至った後」に興味があるだろうし、

腐女子になるような人種はきっと「関係に至るまで」にも
ものすごく憧れちゃうんじゃないのかなー、なんて。


まぁ、BLにもほとんど男女の恋愛と変わらないような
女子同然の男子が登場してくる作品も多いと聞きますから、
一概には言えないものなのでしょうけれども。



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