長渕剛 桜島ライブに行こう!
2004年11月19日(金)
『いつまでも剛のライブで会えますか?』(最終回) text 桜島”オール”内藤
とうとう僕のアパートにやってきた。 4枚組CD「ALL NIGHT LIVE IN 桜島 04.8.21」だ!
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長渕剛 桜島ライブに行こう! 最終回
桜島から帰ってきた僕は、 何事もなかったかのように、 日常の生活に戻っていきました。
桜島での日々とは異次元に位置する、淡々とした生活。 それが日常です。
そんな日常の真っ只中に身を置きながらも、 僕の胸の奥では、桜島ライブが残した、 えぐるような痕跡がひりひりとうずいていました。
一方、剛はというと、 燃え尽き症候群にならないだろうか・・・ との、僕の心配をよそに疾走していました。
ラジオ出演、 雑誌インタビュー、 ライブCDの製作、 ライブDVDの製作、 新曲『金色のライオン』の発表、 初めてのテレビCM撮影、 サンキューライブ開催・・・
剛のライブはしばらくおあずけでしたが、 僕は吉田拓郎のツアーファイナル公演を観るために、 山梨に出かけました。 電車で1時間半ほどで行ける山梨は、 帰りの電車がないことを除けば、それほど遠い場所ではありません。
桜島ライブを経て、拓郎を観る。 それは、僕にとって、意味のある行為でした。
再来年、還暦を迎える拓郎のファンは、 ほぼ全員が、四十代、五十代の大人たちだ。 だから、誰もがイスに深く腰掛けて、 ゆったりとライブに参加しています。
彼ら、彼女らは、年齢と共に、 こうしておとなしくライブを見るようになったのだと思います。 昔の拓郎のライブビデオを観ると、 彼ら、彼女らも、立ち上がり、腕を振るい、 涙を流し、叫んでいたからです。
僕はそんな年上の観客たちに混じって、 桜島の異様な熱狂の感触を胸に抱きつつ、 拓郎の姿に、10年後の剛の姿を重ねていました。 そして、おとなしく拓郎を見守る観客たちに、 10年後の自分自身の姿を重ねていました。
拓郎は饒舌でした。 拓郎がしゃべっているとき、観客のひとりが、
「拓郎、朝までやろうぜ!」
と叫びました。 拓郎のライブに行くと、 誰かが必ずこのフレーズを叫ぶのです。
つま恋でしょうか、それとも、篠島でしょうか。 彼は拓郎のオールナイトライブに行ったのでしょう。 きっと、その感動が今でも忘れられないのでしょう。 何十年経っても、いい大人になっても、 忘れられないのだと思います。
思えば、この日のライブの一曲目は、 『ああ青春』でした。 この曲は、拓郎の最初のオールナイトライブで、 一曲目に歌われた曲でした。 そのことも「朝までやろうぜ!」を、 誘発していたのかもしれません。
いつもはこの手の掛け声を無視する拓郎が、 珍しく、反応しました。
「いまどきね、朝までやるバカはいないの。 もう、そういうの、ほんとうにバカ! 朝って、すっごく大変なことなんだから。 朝まで起きているだけで大変なのに(笑)。 それよりなにより、 年齢的に朝まで起きてられねえの、 おまえたちだろ!(笑) 朝までなんてことはなくて、3時間ですよ。 3時間やることだって、 すっごく大変なことなんだから!」
拓郎が、剛の桜島ライブのことを知らないはずがない。 しかしどのマスコミも、桜島ライブについての、 拓郎のコメントは取っていませんでした。
僕は拓郎のコメントが聞きたかった。 オールナイトライブの王者、拓郎のコメントが。 だからこのMCが聞けただけで、 山梨まで来てよかった・・・と思ったのです。
拓郎の言う「今時朝までやるバカ」。 それは間違いなく、剛のことです。 もちろん、「バカ」は、拓郎流の賛辞。 拓郎が誰よりも知っているのです。 オールナイトライブのしんどさを・・・。 それを知っているからこその、 拓郎らしい、剛へのエールでした。
そんなMCのあとも、 歌が届けられ、拍手が送られ、また歌が届く。 そんなやり取りが続いていました。 そして、ライブが中盤にさしかかろうとしたころ、 拓郎の代表曲『落陽』のイントロが流れました。
それまでの乾いた拍手ではなく、 ワーッと目の覚めるような歓声が上がり、 客席は一斉に総立ちになりました。 あれほどおとなしく、 微動だにせずじっとしていた観客たちが・・・
多くの観客が、拓郎といっしょに歌っていました。 曲が終わっても、声援は止みません。 突如沸き起こった、その熱気の真っ只中で僕は、 二ヶ月前の桜島の熱狂を思い出していました。
「たくろーーーーっ!」
いいオッサン、いいオバサンたちの表情に、 青春のエネルギーが戻ってきていました。 僕は、素直に素晴らしいと思いました。 拓郎という象徴と共に、青春を過ごしてきたこと。 たとえ、それが一瞬のきらめきだとしても、 まさしく、かけがえのない、人生の宝物だと思いました。 そしてそれは、今まさに、剛ファンである僕らが、 リアルタイムで経験していることでもありました。
「大変なことになっちゃったね・・・」
当の拓郎本人は、総立ちになり騒然となる客席をながめて、 事も無げにつぶやいていました。
山梨県民文化ホールから、ホテルへの帰り道、 僕は想像していました。 10年後、おじさん、おばさんになった僕らは、 どんなライブを剛と作るのだろうかと。
10年か・・・ まだまだ一曲目から拳を上げていそうだな。
15年はどうだろう。 その頃には、剛は還暦を過ぎている。 さすがに僕らもおとなしくなっているだろう。 イスに座って歌を聴くようになっているだろう。
15年後の剛が、一曲目に、 『勇気の花』を歌うときがあるだろうか。 そのとき、僕らは懐かしさに目を潤ませ、 あの夏の日を思い出すだろうか・・・
15年後の剛が『桜島』を歌うときがあるだろうか。 そのとき、僕らはイスから立ち上がり、 あの夏の日のように、 拳を振り上げ、歌い、叫ぶだろうか・・・
山梨の夜は、東京より冷んやりとした夜でした。 僕はGジャンの襟を立て、ポケットに手を突っ込んで、 足早にホテルへの道を進みました。
慣れない街で、曲がり角のたびに辺りを見回しながら、 僕は考え続けていました。
15年後の僕らも・・・ きっと、拳を振り上げるだろう。
きっと、歌うだろう。
きっと、叫ぶだろう。
あの桜島の夜明けから、僕はずっと探しています。 桜島に75,000人が集まった、あの奇跡を思いながら、 僕は、あの日の僕を探しています。
あの日の胸の高鳴り・・・
あの日、抱いた期待・・・
あの日、沸きあがってきた力・・・
あの日、押し寄せた感動・・・
あの日、こみ上げてきた涙・・・
僕が探している、僕の姿は、 確かにあの日、桜島にあったのです。
あれは間違いなく、僕自身。 僕自身だけれど、今の僕とは明らかに違う。 どうしたら、もう一度、 あのときの自分になれるのだろう。 その答えを探し続ける限り、 僕の心から桜島ライブが消えることはないでしょう。
だから、これであの日の桜島を振り返る日記を、 終えたいと思います。
顔も知らない僕の日記を読んでくれた、 顔も知らない剛ファンの人たち・・・
この先も、いろいろとあるでしょう、人生には。 何があっても、どうにか乗り越えて、 剛がギターを持ち続けるかぎり、いつまでも、 剛のライブに出かけましょうよ。
どうか、いつまでも、会場で、 元気な歓声を聞かせてください。 僕も、元気な歓声を叫びます。
だから、どんなことがあっても、 どうにか、なんとか、乗り切って、 笑顔も、涙も、持ち寄って、 剛のライブで会いましょうよ。
どこにいるかわからなくても、 きっと、僕はそこにいるし、 きっと、あなたもそこにいるはず。
ねえ、そうでしょう?
怒涛の剛コールが渦巻く中、 きっと、僕はそこにいるのです。 きっと、あなたもそこにいるのです。
あの日、あの桜島に、 確かに、僕がいたように。 確かに、あなたがいたように。
剛はこれから先もずっと、 僕らのために歌ってくれるから。
長いあいだ、ありがとう。 ほんとうに、ありがとう。
感謝を込めて・・・・ 桜島"オール"内藤より
2004桜島オールナイトライブ 祭のあと
完
※桜島ライブの模様は、DVDでも追体験できます。
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海乃屋ラーメンを食べましたか? (桜島ライブ65) |
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2004年11月17日(水)
『海乃屋ラーメンを食べましたか?』−桜島ライブ(65) text 桜島”オール”内藤
海乃屋ラーメンにかけてあった、剛の詩画。 「俺のふるさと鹿児島に 忘れられない味がある・・・」 それは、ほんとうに忘れられない味でした。
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さようならの唄 鹿児島編
桜島フェリーはあっという間に僕らを乗せて、 鹿児島本土側の乗り場に滑り込みました。
時間は12時を回ったところ。 朝ゴハンも食べていなかったなと、 途中、コンビニでおにぎりを買って食べました。 そして、僕はまた足をひきずりながら、 友人はひたすら無口で、 ホテルへとたどり着きました。
シャワーを浴び・・・爆睡。
目が覚めて、カーテンを開けると、 鹿児島は日が落ちていました。
ふと見ると、友人のベッドはもぬけのから。 なんだ?僕を残してなにか食べにでも行ったのか? 不信に思いながらも部屋でぼーっとテレビを見ていると、 友人がビニールの袋を下げて戻ってきました。
「着るものがないから買ってきた」
友人はジーンズを一着だけしか持って来てませんでした。 さすがに、桜島帰りのジーンズは洗わないと着れないということで、 替えのものを買いに行っていたとのこと。
それから僕らは、もそもそとホテルを抜け出し、 天文館に出て行きました。 街の中には、剛のTシャツを着た人がたくさん出ていました。
一晩眠って起きると、なんだか、 桜島ライブが幻のような気がしたのですが、 やはり、桜島ライブは始まり、そして終わったのです。 いたるところですれ違った剛Tシャツの人々と、 痛む脚が、それを証明していました。
僕らは天文館で、 どちらかの一曲目予想が当たったら、 負けた方のおごりで食べに行こうと話していた、 品のいい、しゃぶしゃぶ屋さんに行きました。 どちらの予想も外れたので、 それぞれお金を出し合って食べることにしました。
しゃぶしゃぶ・・・おいしかった。
僕らは、食べ放題のコースで、 しこたま肉を腹に詰め込みました。 食べながら、僕らは桜島ライブを語りまくりました。 眠ったことで、しゃべるパワーが戻ってきていました。 頭の中の記憶も整理されたのかもしれません。
耳をすませてみると、周りでも、 ライブの話をしている人ばかりでした。 いたるところに剛ファンがひそんでいる、 ライブ終了日の夜の天文館でした。
経済効果50億円・・・ そう試算された莫大な金額が、 おいしい食事、交通の足、泊まる宿と引き換えに、 鹿児島にドンドンと落ちて行っていました。
しゃぶしゃぶ屋さんを出て、 僕らはモスバーガーに入り、 アイスティーを飲みながら、 またひとしきり、ライブの話をしました。 一度火がついたら、いくらでも、いくらでも、 桜島ライブの話ができました。
ほんとうに、涌き出るように、 ライブであったことや、 剛があのときこうした、こう言ったと、 僕らは憑かれたかのようにしゃべりまくり、 僕はそんな話を、日記のためにメモに書きなぐりました。 数時間もそんな時間を過ごして、ようやく僕らは店を出て、 ふくれた腹をかかえてホテルに戻り、 また、ライブを語ったのです。
しゃべり明かしたこともあって、 翌日、僕らは9時に起き、10時にホテルを出ました。 僕が前の日にお願いしておいた、 22日の南日本新聞をフロントの人がくれました。 桜島ライブが大きく取り上げられていた新聞でした。
僕らは朝食を取らずに、 路面電車を乗り継ぎ、あるラーメン屋さんに向かいました。 それは、海乃屋ラーメンというお店でした。 最寄駅から降りて、交差点できょろきょろしていると、 剛のTシャツを着た人たちに、ここでもやっぱり会いました。 僕らは彼らの後について、海乃屋ラーメンにたどり着きました。 思ったより、駅のすぐ近くにありました。
お昼前だというのに、海乃屋ラーメンの前には、 長い行列ができていました。 もちろん、全員が、桜島ライブ帰りの人たちでした。 僕らは、列の一番うしろに並び、 順番がやってくるのを待ちました。 誰もが、剛の話、ライブの話をしていました。 貸し切ったタクシーで、これから、剛の母校など、 ゆかりの地を回るのだという人たちもいました。
タクシー運転手さんが駐車場で待っていました。 その運転手さんは、 僕らも一緒にゆかりの地を回ったらどうだと誘ってくれました。 足が痛かったこともあって、丁重にお断りしましたが、 その親切な心遣いに感謝していました。
1時間は待ちませんでしたが、 それに近い時間、僕らは列に並びながら、 またしてもライブの話をしていました。 周りの観客も、やはり話題はひとつでした。
ようやく入ることができた店内には、 剛のポスター、カレンダー、記念写真、 そして、色紙や詩画が飾られていました。 ラーメンができあがるまでのあいだ、 僕らはそれらを眺めたり、 写真を撮らせてもらったりしていました。
ラーメンを作っている親父さんたちと、 剛が一緒に写っている写真、 それから、ラーメンが描かれた、剛の詩画が印象的でした。
高校時代の剛が、しょっちゅう食べたというラーメン。 それは、僕らの期待を遥かに上回る、甘口の、 おいしい、おいしい、ラーメンでした。
東京でいろんなラーメンを食べている僕でしたが、 それらとは、やはり違った味でした。 もう一杯食べたいと思ったほどでした。
海乃屋を出ると、激しい雨が降ってきていました。 僕らはガレージのところで雨宿りをしました。 お店の人は、傘を持って来てくれました。 大丈夫、すぐやみますからと、 僕らはここでも丁重に断りながら、 暖かい気遣いに感謝していました。
「どうして、こんなに暖かいんかね・・・」
「・・・鹿児島だからじゃないの」
鹿児島は、東京暮らしが長い僕らには、 暖かすぎる場所でした。 東京では、親切を装ったワナがそこらじゅうに仕掛けてあるので、 優しい言葉で近づいてくる見知らぬ人には、 最大限の警戒をしなければなりません。 そんな街に暮らしている悲しい癖で、 僕らは純朴な親切を素直に受け入れることが できなかったのかもしれません。
「こっちに何ヶ月か住まないと、うまく応対できん。」
僕がそう言うと、友人が言いました。
「人間、腐っとるから、オレたち。」
僕らは、雨の中で、苦笑いしました。 それからしばらくして、雨はカラリと止み、 強い日差しの太陽が戻ってきました。
会場と別れ、桜島と別れ、そして、 とうとう鹿児島との別れのときが近づいていました。
僕は、雨上がりの道路を歩きながら、 「ガンジス」の替え歌を歌いました。
バイバイ 鹿児島 もっと生きようと バイバイ 鹿児島 オレの命が叫ぶ
さよなら 名も知らぬ 鹿児島の人よ あなたのように 強く優しく生きようと あなたのように 強く優しく生きようと
鹿児島の空で、夏がキラキラしていました。 さらば、鹿児島の夏の日よ。 2004年、夏の日。 忘れられない夏の日。
そしてこれから 東京へ帰る そしてこれから 東京へ帰る・・・
それから4時間後に鹿児島空港を発ち、 僕らは東京に戻ってきました。
桜島での人ごみとは明らかに何かが違う、 都会の人ごみにうんざりしながら、 鹿児島はよかったなあ・・・と、 言っても仕方のない愚痴を何度もこぼしながら、 山の手線に揺られる僕らでした。
続く
<次回予告> 長いあいだ、ありがとう。 次回で桜島ライブのレポート日記、全66話。 いよいよ、完結です。
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閑散としたライブ会場を見ましたか? (桜島ライブ63) |
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2004年11月14日(日)
『青春を卒業しましたか?』−桜島ライブ(62) text 桜島”オール”内藤
終演後のA−4ブロックあたり。 みんな、何を思い、何を持ち返ったのだろう。
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M-43 ふるさと (Instrumental) −アルバム『SAMURAI』(1993)−
ステージ脇の巨大なスピーカの音が止み、 僕らの歓声だけがステージに向ってそそがれていました。
そうです。 とうとう、終わってしまいました。 桜島ライブが終わってしまったのです。 BGMのインストルメンタルが流れる中、 ステージ前方で、 バンドメンバーと一列に並び、 つないだ両手を高だかと差し上げる剛。
「気をつけて帰れよ! また会おう!」
おざなりな拍手じゃなく、 心から、心から、心の心底から、 ありがとう。 お疲れさま。 また、必ず、会いましょう。 その日まで、どうか元気でと、 願いを込めて拍手を送りました。
ステージから去っていく剛。 ステージ脇で、いつものように、 剛の肩にバスタオルがかけられました。 真っ赤な、桜島ライブのバスタオルが・・・。
「ツヨシーーーーっ! ありがとうーーーーっ!」
僕は、最後の一声を、叫びました。 剛の姿は、消え、桜島ライブは消滅しました。
うたかたの夢のよう。 魔法の宴のよう。
僕は呆然と、主のいなくなった、 ステージを呆然と見つめていました。 朝日がこうこうと僕らを照らしていました。 暖かな、というよりは、容赦なく熱い、日差しでした。
僕は土を払い、靴を履き、 ビニールシートを持ち上げ、土とほこりを落としました。 そして、それをもう一度広げ、 僕たちは腰を降ろしました。
BGMの音色が優しくほほをなでていました。 歌のない、インストルメンタルの音色。 その曲は、『ふるさと』でした。 僕は静かに、『ふるさと』の歌詞をつぶやいていました。
いつの日からだろう 心を語るのに こんなに気をつけなきゃ ならなくなった 悲しみが どんな生き物よりわかるから 一心不乱に 勇気と希望を 探し当てるんだろう
僕のつぶやく『ふるさと』が聞こえているのか、いないのか、 友人はただ黙って後ろを向いて、 会場を去っていく、 遥か彼方の後方ブロックの観衆を眺めていました。
規制退場を待ち切れず、Aブロック、Bブロックの観客が、 動かない列に並んでいました。
しあわせが河の流れなら なぜ知らない人たちが せきとめるのか 壊れてゆこうとも 生きてゆきたいのさ 踏みにじられたら 腹から怒ればいいんだ
僕は、ブロック内の観客たちを眺めていました。 彼ら、彼女らは、今、どんな気持ちなんだろう。 誰もが、剛に関係のあるTシャツを着ていました。 桜島ライブのTシャツ、 ZEPP前夜祭のTシャツ、 詩画展のTシャツ、 昔のツアーのTシャツ・・・
僕は自分のTシャツに目をやりました。 前日買ったばかりの、友人とお揃いの白地のTシャツ。 桜島Tシャツの中で一番地味なTシャツでした。 まだ、汗で胸のあたりが湿っていました。 ところどころ、土で黒くなり、 まくり上げたりしていた袖はよれよれでした。
かわいそう・・・ たった一日で、新品のシャツが、こんなに汚れて。
アジアの中の 日本という小さな島国は 私の少年より もっと貧しくなったみたいだ そして強いられるものは とてつもない窮屈さと 当たりさわりなき 意味のない自由というもの
別れを惜しみ、抱き合っている人たちがいました。 桜島で出会い、特別な夜を共に過ごし、 思い出を共有した人たちなのでしょう。
子供を抱きかかえ、ステージをバックに写真を撮る家族。 友人一同で、集団写真の一団。 桜島を何度もカメラに収める人たち。 中には、桜島の土を袋に入れている人もいました。
僕は立ちあがり、背伸びをしました。 すっかり空いたスペースで、 頭から、残ったペットボトルの水を注ぎました。 マフラータオルで頭からしたたる水を拭いました。 しずくに混じった汗が目にしみました。
カメラを取り出し、ステージを、桜島を、 去って行く観客席を写真に収めました。 ほんの10分前まで、キャプテンで揺れ動いていたステージが、 まるで廃墟の巨大な鉄骨のように感じられました。
まるで卒業式のあとの校舎のように思えました。 去り難い気持ちが沸き起こっていました。 規制退場、我が意を得たり。
やがて、BGMの音も消え、 僕らも荷物をまとめました。
それから、ずいぶん長いあいだ、 退場の順番がAブロックに回ってくるまでのあいだ、 僕らは雑談をしましたが、 ライブについてのことはほとんど話しませんでした。 僕らは、まだ、ライブの話ができるほど、 あの巨大な記憶の整理がついていませんでした。 とりあえず僕は、 メモにいろんなことを書き足していました。 思いつくままに・・・ 覚えていることが、消えないうちに・・・
そして、Aブロックの退場をアナウンスが告げました。 僕らは、ただただ、無言でゴミをまとめ、 それぞれに、ちょっと軽くなった荷物をかつぎました。
残していいのは足跡だけ。 取っていいのは写真だけ。
昔、読んだ、グランドキャニオンのガイドブックに、 そんなことが書いてあったのを思い出しました。 せめて僕らのいた辺りだけでもと、 僕らは小さなゴミまで拾って袋に入れました。
僕は、もう一度、ステージを左から右まで、 焼き付けるように、視線でなぞりました。
さようなら、ステージセット。 さようなら、一晩を過ごした、僕らの居場所。 さようなら、名も知らぬA−5ブロックの観客たち。
「さあ、行くか」
「ああ、行こう」
終わったんだ。 今もまだ、整理のつかない記憶と思いを残して、 僕らの桜島ライブは、青い空に吸い込まれて行きました。
青春の卒業式。 不意にそんな言葉が、頭をよぎりました。
私の中に今 沸きあがってきた感情 そうだ これがまさしく 私のふるさとなんだな
誰よりも強かった父よ 言葉を忘れ歩けなくなった母よ はらはらと はらはらと 最期のさくらが・・・
散っています
続く
<次回予告> 桜島ライブは、帰宅するまでが、ライブなのか。 最後の最後まで、あまりにも過酷。 炎天下、救急車、道端に寝転ぶ人たち・・・。 笑顔なき、75000人の帰り道。
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2004年11月11日(木)
『あの声が聞こえてきますか?』−桜島ライブ(61) text 桜島”オール”内藤
剛が去った桜島に、太陽が顔をのぞかせる。 剛は故郷で太陽になったのか・・・
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M-42 Captain of the Ship (5) −アルバム『Captain of the Ship』(1993)−
洗えないタオル。
部屋の壁のフックに、 二ヶ月以上、ずっと引っかかっているタオル。
黄色地に、青く、 SAKURAJIMA 2004.8.21 と染められたマフラータオル。
そのタオルを手に取り、 首にかけてみると、 あの日、あの場所の匂いが立ち昇ってきます。
いったいどれだけの汗が、染み込んでいるのか。 人生で一番汗をかいた日なのかもしれません。 夕方から、真夜中、朝、さらに昼まで・・・ 丸一日、このタオルは僕の汗を拭い続けました。
あるときは胴体に巻きつけ、 あるときは、頭に巻いた。 そしてあるときは、思いっきり振りまわしました。 剛と一緒に叫びながら・・・。
生きて! 生きて! 生きて! 生きて! 生きて! 生きて! 生きまくれ!
歌うべき歌詞をすべて歌った剛は、 ステージを左へ、右へと、走っていました。 左のサブステージ、右のサブステージへと、 剛は走り、拳をあげ、吠えていました。
僕にはひとつだけ、心残りがありました。 僕は、倒れるまで、叫びたかったのです。 声が出なくなるまで、歌いたかったのです。 腕が動かなくなるまで、拳を上げたかったのです。
棒のような足。 重い、もうだめだ、と思ったのもつかの間、 そこからが長い。いつまでも腰が落ちない。
肩も、首も、ニの腕も、カッチカチに固い。 でも、それでもまだ上がった、拳が。 何千回も、ほとばしるような勢いで上げたのに。
生きて! 生きて! 生きて! 生きて! 生きて! 生きて! 生きまくれ!
それはきっと、剛も同じだったのだと思います。 まだ2ステージはやれた、って言ったとの話も聞きました。 剛もついに倒すことができなかったのです・・・ 強靭な肉体と精神力を身につけた自分を。
それにしても、あの日の僕は、 どうしてあんなにタフだったんでしょう? 普段は、カラオケで2曲も歌うと、喉が痛くなるのに。 呆然と立ち尽くし聴いていた数曲を除いて、 僕は夜を徹して歌いつづけたのです。 それなのに! ヨー!ソロー! ヨー!ソロー! とめどなく、いくらでも叫べました。
生きて!生きて!生きまくれ!
叫ぶほどに、ますます底力が沸いてきました。
桜島ライブは終ったけれど、 それぞれのライブは、それぞれの日々の中で続いていきます。 桜島ライブに第4部があるとしたら、 それは、僕らが自分の力で歌っていくのでしょう。
いつの日か、 心が折れ、 挫折が立ちふさがり、 死んじまいたいと思ったとき、
僕は思い出したいのです。 あのときの、剛の声を。 あのときの、タフな自分を。
マフラータオルを首にかけて、 命の音に耳を傾けると、 聞こえてくるような気がします。 あのときの剛の声が。
「まだ、声は出るかーーーーっ!」
剛はいつまでも、いつまでも、 もっとこい、もっとこいと、 僕たちに呼びかけて拳を上げていました。
「もっと、声を出せーーーっ!」
いつまでも、いつまでも、 このときが続けばいいのにと願いながら、 夢中で跳びはね、叫び続けました。
とうとう、とうとう、 本当のゴールが近づいてきていました。 うつろな僕の耳に、剛の叱咤の叫びが、 何度も反響し、鳴り響いていました。
続く
<次回予告> とうとう終った。桜島ライブが。 人波を吐き出し、ただの空き地へと戻って行く、桜島の特設会場。
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2004年11月10日(水)
『本物の祭りを体験しましたか?』−桜島ライブ(60) text 桜島”オール”内藤
桜島で使った僕のメモです。 やはりこれにメモったことが、日記の背骨になっています。 非常に生々しい言葉たちが、あのときの感動を物語っています。 どうしても読めない字も、多数収録・・・(^_^;)
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M-42 Captain of the Ship (4) −アルバム『Captain of the Ship』(1993)−
テレビのニュースで祭りの映像が流れることがあります。 すごく、盛り上がって見えるものです。 テレビは、ほんの一瞬だけ、 一番、盛り上がって見えるところだけを切り取って見せるから。
僕の故郷の祭りも、テレビに映ることがあります。 東京のアパートの部屋で、 そのほんの10秒の派手派手しいシーンを、 僕は少しむなしい思いで見つめています。
いつのころからか、 かつては楽しみにしていた故郷の祭りから、 僕は遠ざかっていきました。 いつからか、つまらなくなってきて、 いつからか、めんどくさくなってきたのです。
楽しみにしていたときだって、 その祭りをほんとうに楽しんでいたかというと、 そうでもなかったように憶えています。
祭りは、行くまでが祭り。 その場に身を置いた瞬間から、 祭りはどんどん色を失って、 人ごみの中を、ただ、あてもなく、 さまようだけでした。
いつだって ひとつの時代は たった一夜にしてすべてが ひっくり返るものだ たとえ不安という高波に さらわれても 俺たちは生きるために 生まれてきた
上でもなく下でもなく 右でも左でもなく ただただひたすら前へ 突き進め バカバカしい幻に惑わされることなく たただた前へ 進めばいい
何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 それがよくわからなくなったころから、 僕は祭りに出かけることがなくなりました。
それは地域の祭りだけではなく、 学校の文化祭にも言えることでした。 中学のとき、クラス全体で文化祭に夢中になった記憶があります。 とにかく、みんなでなにかをやれた気がした。 それだけのことで、なにか意義あることのような気がしました。
しかし、高校に入学するころになると、 何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 僕はわからなくなりました。
それはある意味、 僕という人間の成長、ということなのかもしれません。
模擬店、軽音楽クラブのコンサート、 文化部の研究発表会や展示会、オバケ屋敷、 どろんこになって校庭を走り回るフィナーレ・・・
何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 僕はわからなくなっていたのです。
あらゆる挫折を片っ端から 蹴散らし 高鳴る鼓動で血液が 噴き出してきた 俺たちの魂が希望の扉を叩く時 太陽よ! お前は俺たちに明日を約束しろ
そうさ 明日からお前がキャプテンシップ! お前には立ち向かう 若さがある 遥かなる水平線の向こう 俺たちは今 寒風吹きすさぶ嵐の真っ只中
世の中の祭りが、僕の心を解放する力を失ったころから、 僕はミュージシャンに興味を持ち始めたような気がします。 僕は祭りを欲していました。 僕も僕を解き放つ、非日常の時間を欲していたのです。
僕が足を運んだコンサート会場、ライブ会場のいくつかで、 僕は自分が解き放たれる瞬間を、フッと感じることがありました。 僕は、その瞬間が忘れられず、 その瞬間を求めて、 そんな瞬間を与えてくれるアーチストに、 心を奪われるようになったのです。
Captain Ship! ウォオオオ! 孤独などガリガリ 食い散らかしてやれ! Captain Ship! ウォオオオ! 吠える海の力を 命に変えろーーっ!
ヨー!ソロー! 進路は東へ! ヨー!ソロー! 夕陽が西に沈む前に! ヨー!ソロー! 確かな道を! ヨー!ソロー! 俺たちの船を出す!
『Captain of the Ship』を歌いながら、 瞬間というには、あまりにも長い時間、 僕は僕という生身の姿を、ありのままの姿を、 体全体から解放していました。
こんなに長い時間、叫ぶことがあっただろうか。 こんなに長い時間、歌うことがあっただろうか。 こんなに長い時間、燃えることがあっただろうか。
『Captain of the Ship』の30分近い演奏時間のあいだ、 僕の心も体も跳ねるように踊り、 僕は剛に向って一直線に感情をぶつけ続けました。
何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 そんなことを考える暇がない。
いかした音楽が心を躍らせる。 いかしたアーチストが感情をゆさぶる。 これこそが僕が求めていた祭りでした。 本当の情熱にあふれている祭り。 震えが来るほどの壮大な舞台。
神輿でも、仏像でも、大木でも、 車輪のついた大げさなハリボテでもない。 年に一度しか張り切らない近所のオッサンでもない。 学生の部活や同好会の活動の総決算でもない。 祭りの象徴は、長渕剛。
新幹線で、飛行機で、長距離バスで、 75000人が飛び乗って駆けつけた。 本物の熱気と、本物の情熱が波打っている、灼熱の祭り。 これだ。 こんな祭りの真っ只中に、身をゆだねてみたかったんだ。
ヨー!ソロー! 進路は東へ! ヨー!ソロー! お前が舵を取れ! ヨー!ソロー! こんな萎えた時代に! ヨー!ソロー! 噛みつく力が 欲しいーーっ!
剛の声がうなりを上げていました。
あの『Captain of the Ship』の、 狂ったように叩きつける言葉たちは、 ガラガラに磨り減った剛の喉を通り、 ところどころ聴き取れず、 正しい歌詞を歌っているのか、 アドリブで歌っているのかさえもわからず、 言葉ではなく、叫びでしかなく、 悲鳴のようでもあり、嗚咽のようでもあり、 しかし、 そういうことなど、もはやどうでもよく、 声にならない声を、 喉の血管を浮き立たせ、 必死にしぼり出そうと吠え続けるその姿を、 見守り、共に叫ぶことができたことが、 僕はたまりませんでした。
嬉しくてたまらなかったのです。
続く
<次回予告> あと、一回だけ、『Captain of the Ship』。 あの時間・・・あれは僕にとって何だったのか。
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2004年11月09日(火)
『純情を取り戻しましたか?』−桜島ライブ(59) text 桜島”オール”内藤
サンキューTシャツも、3枚通販で買いました。 1枚は僕の分。もう1枚は一緒に桜島に行った友人の分。 残りの1枚は・・・僕らのみやげ話を聞いて、 行っておけばよかったと、本気で後悔に打ちひしがれている、 別の友人の分でした(^o^)。後悔先に立たずだよ!
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M-42 Captain of the Ship (3) −アルバム『Captain of the Ship』(1993)−
剛が最後の力を振り絞る。 ヨー!ソロー!の声が渦を巻いてる。 茶色のタンクトップ。 薄汚れたジーンズ。 赤銅色の二の腕。 汗、汗、汗、汗まみれ。
こんな剛が見たかった。 こんな剛が歌う、 『Captain of the Ship』が聴きたかった!
じめじめと暗く腐った 憂鬱な人生を 俺は憎んで ばかりいた 叩かれて 突っ伏したまんま! ただ! 頭をひしゃげて 生きてきた
えげつなさを 引っかけられ 横殴りの雨が頬を 突き刺したとき 我慢ならねえ たったひとつの 俺の! 純情が激烈な情熱に 変わる
夢じゃない、夢じゃないぞ。 歌ってる。 『Captain of the Ship』だ。 僕は隣で拳を上げる友人の肩を抱きしめました。 友人は、僕の背中をバンバンと叩きました。
正義ヅラした どこかの舌足らずな 他人のたわごとなど 叩き潰してやれ! 眉をひそめられ 出しゃばりと罵られても いい人ねと言われるより よっぽどましだ
ガタガタ理屈など あとからついて来やがれ 街は自由という名の 留置場さ あんな大人になりたかねえと 誰もがあのころ 噛み締めていたくせに
いかしてる。 震えがくるほどいかしてる。 この9時間で、一番、いかしてる。 たたみかける、早口で。 めいっぱい、熱い言葉を詰め込んでる。
剛、10年前も、 こんな剛が見たかった。 あの、忌々しい10年前のツアー。 1994『Captain of the Ship』ツアー。 あのステージで見たかったのは、 理屈があとから付いて来るような、 その、荒海を疾走する、剛の姿だったんだ。
Captain Ship! ウォオオオ!! 明日からお前が 舵を取れ! Captain Ship! ウォオオオ!! 生きる意味を探しに 行こう!
ヨー!ソロー! 進路は東へ! ヨー!ソロー! 夕陽が西に沈む前に ヨー!ソロー! 確かな道を ヨー!ソロー! 俺たちの船を出す!
人目も気にせず、 まるで自分がステージに立っているかのように歌いながら僕は、 1994年のツアー、幕張メッセ公演のことを回想していました。
「キャプテンシップで燃え尽きたい」と、 確かに剛はそう言ったのに、 あの幕張メッセで見た『Captain of the Ship』は、 僕の期待をはるかに下回るテンションでした。
つま恋の、拓郎の『人間なんて』を想像したのに・・・ CDの音源の狂気のテンションが、 ライブのパフォーマンスでも見られると思ったのに・・・ 仏頂面で淡々と、延々と、歌う剛。 30分もの間、複雑な表情で手を上げ続ける観客。 その拳には力がこもっていたか? 違う! あれは、予定調和の、 どんなライブでもあるような拳上げでした。
こんな理不尽な 世の中じゃ 真実はいつも ねじ曲げられてきた だけど正直者が バカを見てきた時代は もうすでに遠い昔の たわごとさ
だから 差別も拾え 苦しみも悲しみも 拾え! ついでに神も仏も 拾ってしまえ! 根こそぎ拾ったら あの巨大な大海原へ すべてをお前の両手で 破り捨てろ!
幕張メッセで、何よりも納得が行かなかったのが、 『Captain of the Ship』の曲順でした。 それは、アンコール前の最後の曲だったのです。 燃え尽きる曲のあとに、曲が用意されている。 その矛盾にどうしても納得がいかなかった。
これが剛の言う、燃え尽きるライブなのか? これが、生きる意味を探しに行く歌なのか?
違う!!!
剛のライブはあんなもんじゃない。 『Captain of the Ship』はあんなもんじゃない。
ああ この潔さよ 明日からお前が Captain Ship! いいか! 羅針盤から眼を離すな! お前がしっかり 舵を取れ
白い帆を高く 上げ 立ちはだかる波のうねりに 突き進んで行け たとえ雷雨に 打ち砕かれても 意味ある道を求めて明日 船を出せ!
あのまま深い眠りについた曲。 ツアーが中止になった、呪われた曲。 10年間、セットリストに名を連ねることもなく、 葬り去られていた曲・・・
Captain Ship! ウォオオオ!! こんな萎えた 時代だからこそ Captain Ship! ウォオオオ!! 噛みつく力が 欲しいーっ!
ヨー!ソロー! 進路は東へ ヨー!ソロー! 夕陽が西に沈む前に ヨー!ソロー! 意味ある道を ヨー!ソロー! ただ生きて帰ってくればいい
あの、不完全燃焼に終った幕張メッセ公演。 あのとき、望んでいた、 生命力にあふれる『Captain of the Ship』が、 桜島でゴウゴウと吹き荒れていました。
最高だ。 もう何もない。 何もあるはずがない。
桜島オールナイトライブ、最終曲。 真っ白に燃え尽きる、この曲のあとには、 もう何もないのだから。
続く
<次回予告> 見つけた・・・ほんとうの祭りを。 生まれて初めて、自然体で、心の底から燃える祭りを。 もう二度と出会えない、生涯一度の、ほんとうの祭りだ・・・
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2004年11月08日(月)
『歌の価値ってなんですか?』−桜島ライブ(58) text 桜島”オール”内藤
ステージの骨組みにバッとかかった帆。 さあ、正真正銘、桜島ライブ最後の歌が始まる!
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M-42 Captain of the Ship (2) −アルバム『Captain of the Ship』(1993)−
あのときの自分の感情を、 今、こうして文章に綴りながら思い起こしていると、 なんとも不思議な気分に襲われます。
なぜ、あの前奏の間中、あれほどに、 胸がしめつけられ、 間違いなく、『Captain of the Ship』だとわかった瞬間、 涙があふれたのか。
強い思い入れがあるから、としか今はいいようがありません。 剛のファンなら、きっと、少なからず、 あの歌に対しては思い入れがあると思うのです。 桜島の前も、桜島を終えた今も、 あの曲のCDをプレイヤーに入れ、 9曲目を再生していると、 蘇ってきます・・・・ 桜島の強烈な思い出と共に、 1993年のセピア色の思い出が・・・
そう、アルバム『Captain of the Ship』がリリースされたのは、 ちょうど、今頃の季節でした。
ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー!
僕は涙をぬぐいながら、 人間の沸き立つ様子を観ていました。 僕のブロック、Aブロックの前方では、 再び人間の波がうねっていました。 桜島の会場の、ほんの先頭の一部の集団でしたが、、 やはり筋金入りの剛ファンが多数いるブロックでした。 一斉に、ヨー!ソロー!の掛け声をふりしぼっていました。
僕はといえば、完全に我を失っていました。 あの循環するメロディが僕を狂わせました。 ヨー!ソロー!と叫ぶ剛が僕を狂わせました。 印象深いなんて言葉では言い表すことができない。 『Captain of the Ship』はとにかく強烈な曲。 初めて聴いたときから、ずっと強烈な曲でした。
あれは、1993年の11月、今頃の季節でした。 当時、僕には、CDショップで働いている仲のよい友人がいました。 ある用事で、彼に電話をしたとき、彼は僕に唐突に言いました。
「長渕、もう、ダメだね」
彼は、アルバム『Bye Bye』の頃までの剛はよく聴いていたそうですが、 だんだんと遠ざかり、もうファンではなくなっていて、 バリバリなファンである僕に向かって、 最近の長渕はよくない、といつも言っていました。 またか・・・と思いながらも僕は言い返しました。
「なんだよ、こんどは何がダメなんだよ」
「ニューアルバムのサンプルかけたの、今日。」
確か、剛のニューアルバム『Captain of the Ship』の、 発売日か、その前日、前々日あたりに、僕らは電話で話していました。 僕は、彼のお店でアルバムを予約していましたが、 まだ、受け取りには行けていませんでした。
CDショップには、注文枚数によっては、 店内で曲をかけるためのサンプルCDが発売元から配られるのです。 注目アルバムである剛のニューアルバムを、 彼のCDショップではかなりの枚数を注文していました。 そのため、サンプルCDが付いてきたという話でした。
「あ、じゃあ、聴いたんだ。どうだった?」
僕は気色ばんだ声で、せかすように聞きました。
「(サンプルには)3、4曲くらいしか入っていないんだけど、 一曲、スゴイのがあるの。」
「スゴイ? どうスゴイの?」
「もう・・・スゴイの。」
「それじゃわかんないって。いいの?悪いの?」
彼はなぜか、そこで笑いを挟んでから話を続けました。
「メチャクチャ、悪いよ(笑)」
「チェッ、そりゃあ一曲くらい、気に入らない曲もあるさ。」
また、いつもの悪口か・・・と思いました。
「そういうんじゃなくて・・・(笑) なんていうか・・・かけられないんだって。」
「かけられない?」
「店長が、止めたもん。CDを。」
「CDを・・・止めたあ?」
まったくもってわけがわかりませんでした。 何度聴いても、彼が言うのは、 とにかくスゴくてかけられない。 店の雰囲気もあって、かけられない。 ヤバすぎて、かけられない。 女性客や中学生とかも来店するから、かけられない。 歌詞がどうとか、覚えてないから詳しく教えられないのがもどかしい。 でも、聴けば、わかる。 聴けば、わかるから・・・と繰り返していました。
翌日、僕は彼が働くCDショップに、閉店間際にかけこみました。 そして、彼本人から、予約特典のポスターと一緒に、 アルバム『Captain of the Ship』を受け取りました。 店の一角には、アルバムのジャケットの写真のピンナップが、 何枚も並べて飾られていました。 その下の販売台にずらりと、 剛のニューアルバムが平積みになっていました。
しばらく彼が帰り支度を整えるのを待って、 一緒に僕の部屋に帰りました。 そして、僕の部屋で、さっそくアルバムを聴いたのです。
「ほら、もう、声がダメでしょ」
バラードを歌う剛のしわがれた声を聴きながら、 友人はそう言っていました。 この頃の剛の声、そして歌い方については、 ファンとして、心おだやかならぬものがありました。 それは、友人に言われるまでもなく、思っていたことでした。
僕は何も言わずに歌を聴いていました。 歌詞カードをパラパラとめくりながら・・・
『泣くな、泣くな、そんな事で』、 そして、『ガンジス』を聴いて、僕はいい曲だと思いました。 それから、同じくいい曲だと思ったのですが、 『12色のクレパス』を歌う剛の声に、 なんだか、無性に不安な気持ちになりました。
僕は『Captain of the Ship』のページを開きました。 なにやら、細かい字がぎっしりと詰まっていました。
(長い歌なんだなあ・・・)
歌詞のとなりに、何かにすがるような表情で祈りを捧げる、 真っ赤な剛の写真がありました。
そして、9曲目のその歌を聴きました。
イントロを聴き、勢いのある、いい感じの曲だと思いました。 続いて、激しい言葉を早口でまくしたてる剛のボーカル。
「ちょっと激しいけど、止めるほどでもないんじゃないの?」
そう言うと、友人はニヤニヤしながら黙っていました。
長い歌でした。 じっと聴いていました。 だんだんと、歌は激しさを増していきました。 矢継ぎ早に、繰り出される言葉に、僕は少しずつ痛みを感じていました。 休みなく飛び込んでくる、その、痛烈な言葉。 僕は、だんだんと、友人の言っていた意味を理解しつつありました。
痛い・・・痛すぎる・・・
3番の歌詞が終わってからは、もう・・・・聴いていられない。 僕は思わず、口を開きました。
「スゴイな・・・」
「だろ? スゴイだろ?」
そら見たことかと、得意そうな友人。
確かに、スゴイことになっていました。 こんなCDが、売られているのか、と今更ながら思いました。 なんだか僕は、打ちひしがれるような気分になっていました。 そんな気分の僕に容赦なく、延々と、延々と、 その歌は、痛い言葉を浴びせ続けました。
僕はこのとき、こう思わずにいられませんでした。
「剛、わかった! もう、わかったからやめてくれ!」
心から、僕はそう、思いました・・・ 思いましたが、歌はそれからも延々と続きました。
ようやく、長い、長い、あきれるほどに長い、 『Captain of the Ship』がフェイドアウトしていき、 僕のあのときの気持ちを見透かしたかのような、 『心配しないで』という曲が流れ出しました。
やってしまった・・・ 剛はやってしまった・・・ えらいものを作ってしまった・・・
僕はすっかり滅入った気持ちになっていました。 『心配しないで』と歌われても、たまらなく心配でした。
「かけらんないでしょ? 店では」
友人が、追い討ちをかけるように言い放ちました。 もはや反論することはできませんでした。
「かけらんないね・・・これは・・・」
剛は行き着くところまで行ってしまった。 どうなっちゃうんだろう、剛は。 僕は呆然と、しかしファンとしてけっこう真剣に、 剛の行く末を案じていたのです。
ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー!
今思うと、不思議な話です。 あの頃の、やや異常な雰囲気の漂う剛はどこに行ったのでしょう。 目の前のステージで叫びを上げているアスリートと、 あの頃の剛が同一人物だということが、 僕には信じられない。
そして、あの、第一聴で、あれほど打ちひしがれた曲で、 歌い叫び、拳を振るう僕が、桜島にいたのです。
歌ってなんだろう。
歌の価値ってなんだろう
歌が伝える感動ってなんだろう。
10年ものあいだ、演奏されなかったいわく因縁の歌。 罪を背負って封印されてきた歌。 きしみを上げながら、桜島で眠りから覚めようとしてる。 最後にこの歌が。 桜島ライブの最後の最後に、この歌が。
10年前の、あの、僕の部屋にいた自分。 あの自分からは想像ができないことだけど、 今、この桜島で、僕は震えが止まらない。 あの歌が待ちどおしくて、僕は震えが止まらないのだ。
ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー!
剛が、マイクをかざす。
『Captain of the Ship』が、始まる!
続く
<次回予告> 歌に殴られる。歌に蹴飛ばされる。 『Captain of the Ship』は僕を蹂躙する。 歌いながら、叫びながら、体験せよ! 自分との対話という航海を。
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2004年11月07日(日)
『願いは叶いましたか?』−桜島ライブ(57) text 桜島”オール”内藤
あの夜、骨組みだけしかなかったメインステージ。 夜を越え、あの骨組みは、希望の風を受けるマストへと変わったのです。
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M-42 Captain of the Ship (1) −アルバム『Captain of the Ship』(1993)−
桜島ライブという胸踊るイベントには、 僕らが舌なめずりするような、 誘惑が散りばめられていました。
オールナイトライブという、未知の体験。 剛の歌を一晩中聴けるという豪華さ。 そして、剛が命懸けと公言するほどの希少性。
桜島ライブの企画は、僕らの好奇心と想像を、 これでもかと直撃していました。
想像は想像を呼び、 妄想はふくらみ、 あんなことがあるんじゃないか、 こんなことがあるんじゃないか、 後にも先にも、 あれほどひとつのライブを巡って、 想像力を駆使したことはありません。
そんな想像の世界で練り上げられたストーリーに、 しばしば現実は負けてしまうものです。 特に、スポーツの世界では、そんなことの連続だ。 ライブではそれほどではないけれど、 期待以上のものに現実に出会うことは、 やはりそうそうあるものではありませんでした。
桜島ライブに限って言えば、 僕らの無数の期待の中でも、 真っ先に浮かび、 そして、繰り返し、繰り返し、話題に上がったのは、 あるひとつの歌の存在でした。
「これをやらなかったら、 桜島ライブをやる意味がない!」
僕はそこまで言っていました。友人に向かって。 友人も、ゼッタイに聴きたい歌だと言いました。 そして、そう思うのは、僕らだけではありませんでした。 それほどの、聖なる一回性の魅力を持つ曲でした。 それほど、二度とない大舞台にふさわしい曲でした。
しかし、僕らの期待を上回るような演奏が、 桜島ライブでは多数繰り広げられたことで、 僕らは、満足していました。
僕らは、間違いなく、満足していたのです。
『何の矛盾もない』が終わったとき、 すでに桜島ライブは、 僕らがこだわっていたあの曲を待つことなく、 僕らの期待を超えていたのです。
僕らはものわかりのいい観客でした。 すでに、十分に満足していたこと。 ツアーバスの時間を気にする多くの観客がいたこと。 そして、なによりも、多くの観客の消耗。
それらが会場に醸し出すムードを、僕らは感じとっていました。 もちろん、まだまだエネルギーが有り余っている観客は多い。 でも、総体として、桜島の観客は十分に消耗していました。
そんな、諸々の情報を、意識的に、無意識に、 頭の中で整理し、 「十分だ、素晴らしかった、ありがとう」と、 納得し、拍手を送っていました。 心の中で、桜島ライブに幕を降ろしていました。 そろそろ、このへんでいいだろうと・・・。
僕らは、ものわかりのいい観客だったのです。
(終わった・・・桜島ライブが・・・)
僕はマフラータオルを胴体から外し、 だらりと垂れ下がった手で力なく握っていました。 ステージでは、共に闘い抜いた仲間たちを、 剛が紹介していました。
笛吹 利明 / A.GUITAR 浜田 良美 / GUITAR & CHORUS 角田 順 / E.GUITAR 川嶋 一久 / E.BASS 岡本 郭男 / DRUMS 国吉 良一 / KEYBOARDS 昼田 洋二 / SAXOPHONE 和田 恵子 / CHORUS 中山 みさ / CHORUS ジャッキー / CHORUS
ありがとう、ありがとうと、 僕らは彼ら、彼女らに、 剛に送るのとまったく同じように、 声援と拍手を送りました。
そして、僕は待っていました。 剛からの別れの言葉を。
あの歌を叫びながら、 ステージでぶっ倒れる剛の姿。 あるいは、声がぶっ潰れ、 聴き取れない言葉を絶叫する剛の姿。 僕が夢想していた壮絶なシーンは、 昨晩、友人にホテルで笑い飛ばされていました。
そんな、自分の浅はかな想像力を笑いながら、 拍手を送るステージメンバーたちから、 剛へと視線を移したのです。
しかし−−−−−
そのとき、僕のうつろな目に映ったのは、 いまだ張り詰めた緊張感をたたえた、 剛の表情、鋭い眼光でした。
(えっ・・・そんな・・・)
そのときから、 5分ほどの時間だったでしょうか・・・
一度絶頂まで登り詰め、そして、 一気に脱力した僕の気持ちが、 またもやムクムクと再生していく、 あの感触。
あの、死んだ魚が飛び跳ねるかのような感触は、 ライブから2ヶ月が経った今も、 僕の胸から消えることはありません。
剛のメンバー紹介が終わっても、バンドメンバーたちは、 ステージの中央に集まるそぶりを一向に見せませんでした。
剛はメンバー紹介を終えたものの、 別れの言葉を探しているムードはみじんもない。
ステージセットの上に、何人かのスタッフが、 するすると登っていました。
どこをどう探しても、ライブを閉じようとの動きは、 僕には見つけられませんでした。
そして・・・・ セットに登ったスタッフがなにやらひもとくと、 ステージの上方に、三角の帆がかかったのです。
僕は鼓動が、ドクン、ドクン、と、 強く波打つのを感じていました。
ピンと三角に張った帆は、 桜島ライブがまだ生きている証でした。
(まだ、終わっちゃいない・・・)
指先がピリピリとしびれていました。 一瞬のうちに膨張し切った、 爆発しそうな期待感。 そして、剛のマイク。
「まだ、行くぞーーーっ!」
その瞬間、 剛は、僕らが勝手に下ろしたライブの幕を、 両手でまっぷたつに引き裂いたのです。
「おまえら、行くかーーーっ! 最後の力を振り絞って行くぞーーーっ! 倒れるまで行くぞーーーっ!」
全身から、怒涛のように、 エネルギーが沸き起こってきていました。 自分のものわかりのよさを恥じました。 僕は大切なことを忘れていたのです。
「いくぞーーーーっ!」
うぉおおおーーっ!
「いくぞーーーーっ!」
うぉおおおーーっ!
「いくぞーーーーっ!」
うぉおおおーーっ!
剛は言っていたじゃないか。 命懸けの祭りだと。 勝つか、負けるか、 白か黒のどっちかだと・・・
まだ、命を賭けてないじゃないか。 まだ、勝っても、負けてもないじゃないか。 白も、黒も、ついてないじゃないか。
僕は、もう一度、向き合いました。 真っ向から、桜島ライブに向かって。
「最後の歌だあああーーっ!」
剛の絶叫は、僕の胸に突き刺さり、 そして、最後の歌のプロローグを桜島の空に放ちました。
初めて聴くようで、 どこかで聴いたような、 耳に馴染みのあるメロディが、 静かに流れていました。 キーボードが奏でるその旋律の中、 最後のエネルギーを一身にため込みながら、 僕らは固唾を飲んで剛を見つめていました。
「来いーーーーーーっ!」
たまらず、誰かが叫びました。
何に来て欲しい。 何を望んでいる。 何が欲しい!? 何が欲しい!?
僕は、75,000の観衆と共に、 ただひたすら、そのときを、 そのときを待ち望み、 祈るように、あの歌の旋律を待っていました。
間を十分に取りながらの、叩きつけるドラム。 眼を閉じ、大地に踏ん張り、 ゲンコツで、胸を叩く剛。
殴る、また殴る。 心臓を、心を、殴りつける剛。
熱くなるよ!
その姿を見つめながら、 収まりの効かない激情が、 僕の内臓を掻き回していました。
ドラムに続いて、ギターが重なり、 ドンドン輪郭をあらわにしていく、最後の曲。 かつて聴いたことのない、 長い、長い、ドラマチックなイントロに、 剛の絶叫が引導を渡す!
シャアアアアアアーーーっ!
そして、聞こえてきたコーラス!!!
ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー! ヨー! ソロー!
桜島オールナイトライブ、最終ラウンド! 『Captain of the Ship』!
現実となった。 夢も、妄想も、いま、ここで。 もう、あとはない、最後の曲。 白黒つける、勝負の曲。
うわぁあああああああーーっ!
声にならない、歓喜の叫びに、僕は声を震わせました。
続く
<次回予告> それは、30分に及ぶ航海の旅。自分との闘い、自分のライブ。 白黒つけろ、自分自身との闘いに。 変えろ、純情を! 激烈な情熱に!
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ほんとうのラブソングを聴きましたか? (桜島ライブ56) |
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2004年11月06日(土)
『ほんとうのラブソングを聴きましたか?』−桜島ライブ(56) text 桜島”オール”内藤
通信販売されたフォトアルバム。監修は長渕悦子さんです。
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M-41 何の矛盾もない −アルバム『LICENSE』(1987)−
『桜島』を乗り越えたことで、 誰もがライブの終わりを予感していました。
剛、やったぞ、との思い。 そして、まだまだ終わるな、との思い。
その思いが、万雷のツヨシコールに結集しました。
しばらく、呆然としていた僕も、 気を取り戻し、観客と共にコールを叫ぼうと、 息を吸い込んだ瞬間・・・ やさしく流れ出したピアノのメロディが、 僕の叫びの行方をはばんだのです。
そのメロディは、ZEPPの初日、 僕が見ることができなかったZEPP初日の、 最後を飾った曲でした。
剛のラブソングの中でも、 段違いの美しさと繊細さを誇るその曲は、 Never Changeツアー以降に剛のファンになった僕が、 15年ものあいだ、 ライブで出会うことができなかった曲でした。
ZEPPの初日で演奏されたと聞いて、 地団太を踏んだあの曲が、 ついに僕の前で歌われようとしていました。
感動という使い古された言葉で言い表すのが、 なんとももどかしい。
心が、みしみしと、動く。
年に何度もないような、そんな瞬間が、 桜島ライブでは何度もやってきていました。 そして『桜島』を乗り切った僕に、 再びその瞬間がやってきていたのです。
「見て!
桜島、見て!」
剛の声。 はっきりと、伝わる、剛の声。 その言葉にうながされ、 ほとんど全員が、振り返り、 桜島に目を向けました。
太陽はまだ顔を見せてはいませんでしたが、 桜島の背後の空を白々と照らしていました。
「2年間かけて、 この音楽の祭典を作るため、 汗水たらして、約束の地を作ってくれました。 この山と、この山に住む人たちに、 盛大な拍手を!」
僕らは、桜島に向かって拍手を贈りました。 桜島に向かいながら、姿の見えぬ人たちに、 僕らは拍手を送っていました。
既成の会場ではなく、 荒地を切り開いて作られた会場。 この場所を作ってくれた人たちに。
「青い空、青い海、 そして、きれいな心のみんなたちに、 心から、感謝します!
心から・・・感謝・・・しますっ!!」
剛の声が泣いている。 喜びに満たされ、鳴いている。 しわがれた声でした。 『桜島』は、確実に、剛の声帯に、 その激しさの痕跡を残していました。
「ここは、僕たちの約束の地。
生涯、忘れない!
遠くから集まってきてくれたみんなに、 心をこめて、この歌を・・・」
剛の言葉が一瞬、途切れました。 喉の奥底から沸きあがる感情を、 僕は奥歯を噛み締め、こらえました。
「贈ります・・・。」
言葉がない。 あの時間を言い表す言葉がない。
僕は友人の方を向いて、 親指を立てた拳を突き出しました。
友人は僕の顔を見て、 数回、うなずきました。
僕らは、このとき、思っていました。
これで終わりでいいよね。 これで、最後の曲でいいよね。
30分遅れて始まった桜島ライブは、 30分、終演時間を過ぎていました。 しかし、そんな、時間のことよりも、 このときのドラマチックな剛のMCを聞いて、 僕らは、僕らの心の中の納得を、確かめ合ったのです。 待ち望んでいた『Captain・・・』がなくても、満足だと思いました。 だって、こんなにも素晴らしいエンディングじゃないか。
焦熱の愛、『何の矛盾もない』!
そして、静寂の中で、胸熱くたたずむ僕らに、 『何の矛盾もない』を届けるため、 剛はマイクを握り締めました。
例えば 今日という日が 何であるのかを 俺は お前の 子供になり 胸元に還る
お前の からだは丸く 俺を安めるよ つつましく つつましく 満ちていて 何の矛盾もない
なんていう歌詞だ・・・ どうしたら、こんな歌詞が書けるのだ。
どんなことを思い、 どんな毎日を送り、 どんな恋をすれば、 こんなメロディが心に流れるのか。
俺の 頬を 撫でる お前の手のひら とても 重く そう たやすく ひるがえらない 密やかな くちづけは 俺の血液に 溶け入って 脈拍は せせらぎへと
焼ける 焼ける 焼け焦げる 俺たちの熱情に 何の矛盾もない
一番の歌詞を歌い切った直後、 剛が息を吐き出す、 言葉にならない声を聞きました。 それを合図にするように、 歌に、剛に、僕らからの拍手が贈られました。
史上最高のラブソング。 僕はこのとき、何の迷いもなく、 そう信じることができました。
この歌は、ある女性のことを歌っているのだと、 僕はずっと聞いてきました。 長渕悦子さん。 言わずと知れた、剛の奥さんです。 剛も、どこかで、そのことを語っていたかもしれません。 僕はそれを読んだことはないのですが、 曲が作られたタイミングから考えても、 それは真実に思えました。
僕は、悦子さんと籍を入れた直後、 ワイドショーのレポーターたちを前に、 恥ずかしいほどにはしゃぐ、剛の映像を思い出していました。 それは、当時、テレビで何度も放送されていました。
例えば 今ここで 俺の 首をふさいでも 俺は お前の 潤んだ瞳 真っすぐ見つめられる
お前が 生きてる限り 俺はそばにいるよ 狂おしく 狂おしく 愛していて 何の矛盾もない
あの、剛を暴風雨のように襲った、 1995年の逮捕劇。 あのとき、剛が逮捕されてわずか5日後、 まだ剛の身柄が警察に拘束されているときに、 悦子さんは、自筆の手紙を、 世間に向けて、マスコミに向けて、したためました。
剛の逮捕に少なからず動揺していた僕は、 その手紙が載った新聞を読み、 軽い衝撃を感じたことを覚えています。 なぜならば、それは形式ばった謝罪の手紙などではなく、 強い意志に裏打ちされた決意表明だったからです。
悦子さんの手紙には、こんな言葉が並んでいました。
「妻として深く反省し、心よりお詫び申し上げます」 「一日も早い夫の帰りを待ち望んでおります」 「償いをさせていただき、共に歩んで行きたいと思います」
そして、ひときわ目立つ「長渕悦子」の署名。
なんて力強い支えなんだろう・・・ 一点の動揺も、恨みも、後悔も、 その手紙からは読み取れませんでした。 不謹慎な言い方かも知れませんが、 それは、まるで、ラブレターのようでした。
俺の髪を なでる お前の手のひら とても 重く そう たやすく ひるがえらない 密やかな くちづけは 俺の血液に 溶け入って 脈拍は せせらぎへと
焼ける 焼ける 焼け焦げる 俺たちの熱情に 何の矛盾もない
ほんとうの愛情が産んだ、 ほんとうのラブソング。
嬉しい。 やっと、出会えた。 この、最高の、ラブソングに。 この、桜島で・・・
Forever Forever Forever Forever ever シャイニン、イン、マイ、ラーーイフ!
ただ、ただ、 無心で、 僕は拍手を送りました。
桜島の空は青く、 桜島の雲は輝き、 僕らは汗と土の匂いに満ち・・・
なにもかもが終わった戦場に、 兵士のようにたたずむ、剛がいました。
続く
<次回予告> 何の矛盾もない、大河ドラマのエンディング。 様々な思いが走馬灯のように駆け巡り、 満足と納得の、別れの拍手を贈る中、 ステージの剛の目には、まだ炎が灯っていました。 そして、ステージセットに・・・白い帆がかかったのです。
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2004年11月05日(金)
『自分の殻を破りましたか?』−桜島ライブ(55) text 桜島”オール”内藤
神々しささえ感じる、あの朝の桜島。 はたして自分を歌った『桜島』を聴いた感想は? きっと、喜んでもらえたと思います。
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M-40 桜島 −アルバム『Keep on Fighting』(2003)−
一瞬、生命の危機すらも頭をよぎるほどの、 物凄い炎の圧力でした。
火炎に巻き込まれる瞬間というのは、 きっとあんな感覚なのでしょう。 ブワーーッと膨れ上がる、 その暴力的で、柔らかい圧力は、 容赦なく僕のからだを押しながらすり抜け、 広い広い桜島の会場を駆け抜けました。
顔に、首のまわりに、 そして、Tシャツをまくり上げた二の腕に、 炎の熱がほのかに残っていました。
桜島のマグマが噴き出したかのような、 この、絶妙な特効の演出。 やってくれやがる・・・・ 体には炎は燃え移ってはいないけど、 僕の気持ちには完全に火が付いた。 そして、きっと、75,000の心にも・・・
オーオオオオッ! オーオオオオッ! オーオオオオッオー!
まるで、あの炎が、 会場のあちこちに飛び火したかのような、 凄まじい盛り上がり。
わかってる。 僕らはわかってる。 この歌の意味を。 この歌こそが、ライブの象徴であることを。
この歌にたどり着くことこそが、 あの夜を越えることだということを。 この朝を迎えることだということを。
炎熱!灼熱!『桜島』!
待ったナシ!文字通りの正念場だ! 血管がぶち切れんばかりに、 雄叫びを上げる剛の勇姿。
躍動する筋肉、鬼気迫る表情、射るような眼光。 リミッター、完全に外れてる。
セイッ! ワー!ワー!ワーッ!
ここで燃えずに、どうすんだ!
自分を試すような気分でした。 自分を試すように、テンションを上げました。
金港湾に 陽が沈み 海が赤く血の色に 燃え始める 照り返す雲は 紫に染まり とんがったまんまで 黙々と 息をしてる
桜島で、剛が『桜島』を歌っている! 桜島で、剛と『桜島』を合唱している! この、シンプルで、これ以上ない、 最高のシチュエーション!
このしあわせがわかる? 桜島で歌うための作られた歌なんだから、 このライブで歌うのは当たり前、だって?
その、当たり前が、興奮するんだよ! その、当たり前が、二度とないんだよ!
俺は桟橋から 桜島フェリーに乗り 山よ 岩肌よ ゴツゴツのおまえ! きさまの 前に 立つ!
ウォッオオオ!
燃えて上がるは オハラハー SA・KU・RA・JI・MA! 丸に十字の 帆を立て 薩摩の 風が吹く!
それにしても・・・ どうだろう、このド迫力。 剛のラジオ番組で、初めてこの『桜島』を聴いたとき、 勇壮な歌だ、いい歌だとは思ったものの、 まさかここまで巨大になるとは予想しなかった。
アルバム『Keep on Fighting』が売り上げを伸ばす中、 『桜島』の存在感は日を追うごとに増して行き、 夏の野外ツアーのときには、 見事にライブのど真ん中に突っ立っていました。
桜島ライブのために生まれ、 桜島ライブが近づくにつれ、さらに大きくなっていった。 桜島ライブに向けての、ファンの期待を吸い込んで、 パンパンに膨れ上がって、このときを迎えた。 今や、誰もが認める、剛の代表曲だ。 あの『勇次』ですら、第一部に追いやったのだ。
シャーーーーッ! シャーーーーッ! シャーーーーッ! シャーーーーッ!
もう、これで声が出なくなってもいい。 そう言わんばかりの、剛の絶叫が、 『桜島』の長い長いエンディングをこれでもかと盛り上げる。
僕は、声が出なくなった剛の姿が見たいと思いました。 そして、声が出なくなった自分を見てみたいと思いました。
疑いの余地もなく、人生で一番声を出していたのに、 不思議と、僕の喉からは声が出続けていました。 あんなに喉が弱いと思っていた、僕なのに。
しかし、足はパンパン、軽くしびれて、鉄の棒のよう。 腕の疲労は臨界点をとっくに超えていました。 けして、おざなりに拳を上げることはありませんでした。 『勇気の花』以来、力を込めて、 天空を突き刺すように上げていたのです。 その代償に、首も肩もカッチカチ。 筋トレでも、ここまで筋肉が張り詰めることはありませんでした。
でも、大丈夫。まだまだ、大丈夫。 声も、足も、腕も、心も! アドレナリンがドクドクと流れているから。
「自分の殻」というものがあるのなら、 それはものの見事に、木っ端微塵、砕け散っていました。
シャーーーーッ! シャーーーーッ! シャーーーーッ! シャーーーーッ!
昨晩、21時半。 あの開戦のときから、実に8時間半。 剛、そして、75,000人の観客たちは、 とうとう、乗り切りました・・・ 桜島ライブ、最大の難所を。 胸突き八丁、鋭角の上り坂、難曲『桜島』を。
曲のあいだじゅう、歌いながら、叫びながら感じた、 ゴツゴツとした手応え・・・ 文句のつけようがない。 咆哮と熱気が渦を巻くような、 超ド級の凄まじい盛り上がりでした。
僕はマラソンのゴールを駆け抜けたあとのように、 動きを止めた体を泳がしながら、 視線を宙に泳がせていました。 動きは止まっても、心臓は強く脈打っていました。 思考はまだ、はっきりと戻ってきていませんでした。
(もう、6時だ・・・終わるのか・・・)
帰りのツアーバスの時間を気にしているのでしょうか。 斜め前の観客が携帯電話で時間を確かめていました。 休憩時間に彼は、6時には行かないと・・・ と連れに向かって話していたのです。
「まだまだあーーーっ!」
「ツヨシーーーっ!もっとだーっ!」
「まだまだやーーっ!もう一丁や!」
島を揺るがす轟音が止んだ会場からは、 くすぶる残り火の行き場を求めて、 悲痛な叫びが上がっていました。
続く
<次回予告> それは剛史上、最高のエンディングか・・・ 胸を震わせる剛のMCに導かれ、至高のラブソングが、 焼け焦げる僕らの熱情に降り注ぎました。
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2004年11月03日(水)
『楽しさを忘れていませんか?』−桜島ライブ(54) text 桜島”オール”内藤
通販で申し込んだTシャツ。 もったいなくて着れるかどうかが問題。 このデザインこそ、ほんとに長々と買うかどうか迷いました。 結局、桜島から帰ってきて、欲しいという気持ちを抑えられず・・・
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M-39 LANIKAI −アルバム『Keep on Fighting』(2003)−
桜島に朝がやってきました。 朝は必ずやってくるのに、 朝の実感が持てない僕でした。
朝の実感がない?
実感もなにも、朝は朝。 朝が来れば朝なのに。 すべてはオールナイトライブのせいでした。
夜更けから始まり、大騒ぎ。 そして、朝を迎える異常な祭り。 一晩中、大好きな剛の歌を聴き、 聴くだけではなく、歌い、叫び、 興奮し、発奮し、心配し、うろたえ、 驚き、胸を熱くした。 そして迎えた朝だから、 一睡もせず、迎えた朝だからこそ、 僕はその実感が持てませんでした。
何かが始まる予感がするのが朝なのに、 何かの真っ只中のまま、朝が来た。 こんな朝なんて、 人生で初めてのことでした。 ほんとうに、初めてのことだったのです。
『東京青春朝焼物語』から、 『明日へ向かって』の流れで、 僕の心はシリアスに大きく振れていました。
『桜島』の演奏がひたひたと迫っているのを感じ、 桜島ライブの終焉をその向こうに感じ、 追い討ちをかけるような、ボロボロになりたいとの破滅志向。 終わりよければすべてよし。 ライブの最後に目にものを見せて欲しい。 剛は目にものを見せてくれるだろうか。 ぐうの音も出ないような納得を、 最後の最後に感じることができるだろうか。
不安でした。 キンキンと、僕の心は金属音を奏でていました。 シリアスは剛のライブの大きな特徴ですが、 それだけではないことを、図らずも思い出させてくれたのが、 次に演奏された曲でした。
ハッとするような軽快なギターの音でした。 その弾むような音に体を預けながら、 こわばった表情が緩み、 眉間のしわが消えて行くのを僕は感じていました。
ウ〜 ワ・ワ・ワ!『LANIKAI』!
そうだ。そうだった。 このライブにはこんな楽しさもあったんだ。
キラキラ 照りつける 太陽と からっからに 乾いた 風 鹿児島の空は青く 高く 俺は 鳥になる
錦江湾が 金色に たそがれ 染まるころ 波間の体 横たえて 星を枕に 眠る
やんやの歓声がとんでいました。 ハワイのリゾート地の地名である『LANIKAI』は、 「鹿児島」「錦江湾」というフレーズを散りばめて、 ここ、桜島のための歌に生まれ変わっていました。
ZEPPのライブでも聴いた、この桜島バージョン。 あのとき、この『LANIKAI』のあとに、 轟音『桜島』が演奏されました。
間違いない。次にくる。『桜島』が。 そこで、ライブは絶頂を極めるだろう。 だからこそ、なおさら、『LANIKAI』が醸し出す幸福感が、 より一層、際立って感じられました。
鹿児島の海に 明日でっかい 波がくる 明日 でっかい 波が来れば ワタル おまえと 沖へ出よう
この朝を迎えるまでの、様々な出来事を思い出していました。 鹿児島に発つ前日の夜のワクワク感。 羽田でのほのかな緊張感。 飛行機の中での待ち遠しい感じ。 リムジンバスから見た鹿児島の景観。 初めて相対した桜島の大きさ。 グッズ売場でのおおはしゃぎ。 リハーサルに出くわした驚きと幸運。 深夜まで曲目を予想しあったホテルの夜。
どれも、これも、楽しい思い出となっていました。
それどころか、 絶望のどん底に叩き落された豪雨すらも、 フェリー乗り場の長蛇の列すらも、 そして、溶岩グラウンドの足止めすらも、 なんだかドラマを盛り上げる演出のようで、 その記憶の中に、ほのかな楽しさを確かめることができました。
そうだ、桜島ライブには、 苦しさやシリアスばかりじゃなく、 喜びと楽しさもあふれていたんだ。 笑顔と、笑い声もあふれていたんだ。
『LANIKAI』は、そのことを僕に思い出させてくれました。
Have a passion for my life Have a passion for your life 鹿児島に 照りつける 太陽よ 俺たちを 焦がしてゆけ
両腕を高く上げて、メロディに合わせて、 左右に大きく振りました。
なんていう、楽しさ。 なんていう、爽快さ。
僕はまわりに広々と空間があることをいいことに、 腕だけではなく、からだ全体を左右に揺らしました。 友人と一緒に、大きなアクションで、 右に左に、からだ全体を傾けて、 『LANIKAI』を歌いました。
こんなはしゃいだ姿、会社の仲間にはとても見せられない。 家族にも。桜島に来なかった友達たちにも。
でも、一緒に夜を乗り越えた友人と、 名前も知らない75,000人の仲間たちの前でならば、 まったく恥ずかしさは感じない。 みんな、同じように夜を越え、同じ朝を迎え、歌っているのだから。
どうしようもなく、笑顔があふれました。 僕は手を振りながら体を回し、すっかり明るくなって、 後ろのほうまで見渡すことができる観客の波をながめました。
深刻ぶった、説教臭いライブだと、 世間は剛のライブに間違ったイメージを持っている。
違う!
笑顔も、楽しさも、爽快さもあるのだ。 その中で、怒り、哀しみ、シリアスが背骨になっている。 だから、深いんだ。 だから、ヒット曲オンパレードの、 テレビの音楽番組みたいなライブとは違うんだ。
SA・KU・RA・JI・MA! Ride on the sunshine away
SA・KU・RA・JI・MA! Ride on the sunshine away
ステージの剛の笑顔のまぶしいこと! 僕も笑う。友人も笑う。他のみんなも。 ようやく、僕にも、朝の手応えが感じられてきた。 長く、暗い夜を乗り越えて、笑顔で迎える朝だ。 鹿児島、桜島の、二度とない朝だ。
そして、桜島ライブに、文字通りのクライマックスが訪れる。
『LANIKAI』が幕を降ろすやいなや、 せり上がるような、ドラミング!
ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ド・ドーン!
来た、来た! その予感に、いてもたってもいられず、 叫び声を上げる観客たち!
うぉおおおーっ!
その瞬間、 不意にステージから吹きあがった何本もの巨大な火柱の、 かつて感じたことのない炎圧で、 僕の体は大きく後方にのけぞりました。
続く
<次回予告> 桜島オールナイトライブ、問答無用のハイライト! この日のために生まれた曲。この日を象徴する歌。 今こそ、桜島の前に立ち、命の雫よ、燃えろ、金色に!
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明日に向かって突っ走りましたか? (桜島ライブ53) |
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2004年11月02日(火)
『明日に向かって突っ走りましたか?』−桜島ライブ(53) text 桜島”オール”内藤
ライブ当日、続々と集結する剛ファン。 その模様を刻々と伝える南日本新聞の紙面。 朝刊、夕刊、必ずライブ直前情報が載っていました。
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M-38 明日へ向かって −アルバム『HUNGRY』(1985)−
いくぞーーーっ!
うぉーーーっ!
いくぞーーーっ!
うぉーーーーっ!
久々に、剛が観客を煽っていました。 観客に言葉を発しているようで、 どこか、自分自身を鼓舞しているように見えました。
剛がライブで使うエネルギーは半端じゃない。 それが、3ステージ目となると、 そりゃあ、疲れないはずがない。 どこかのライブハウスやストリートで、 50曲、100曲と歌うのとはわけが違う。 そんなところでいいのなら、 剛は300曲は歌えることでしょう。
そういうライブじゃないんだ、 剛のライブは、桜島のライブは。 75,000人に届くようにと、蒸気機関車のように、 剛のライブは、歌い、演じ、発し、叫び、走るのだから。
勢いのあるイントロが届けられました。 この曲は、僕が曲目予想で一曲目にあげた曲でした。 予想で一曲目にあげたということは、 僕が一曲目で聴きたいと思うくらいの曲でした。 この、桜島ライブの一曲目にふさわしいと思っていた、 大好きな曲でした。
ようこそ、朝日よ!『明日へ向かって』!
一曲目どころか、こんな終盤になって、 ようやく会えた・・・。
さあて、飛ばすぞーーっ! 思いっきり歌える歌だから。 思いっきり歌いたい歌だから。
まだまだ 見捨てたもんじゃないぜ そんな自分に 気付く時がある 何か人と違ったことを やらかしたくて 突破口を探して ここまでやってきた
本気で笑えるやつが そばにいるから 本気で語る 夢もあるはずさ 目をつむれば いつもそこに誰がいる? 俺には かけがえのない いかした ナイス マイ フレンズ!
阿鼻叫喚の盛り上がり。 刻一刻と、明るくなっていく桜島。 時間は5時半くらいだろうか。 そう、終演が予定されていた時間。
まだまだ終われない。 まだまだ終わりたくない。
剛に元気なところを見せてやりたい! どうした、こんなもんか! ぶっ倒れるまでやるんじゃないのか! 剛に、そう、伝えたい! そうすれば、もっと、もっと、 桜島ライブが続くかもしれないから。
すべては時の 流れのせいかい 落ちてく影など 消して しまえ! ヒントはお前の足元に 転がってる ウォオオーーッ!
あ! したへ! 向かって! あ! したへ! 向かって! ずっとこのまま 突っ走っていけばーいい!
ほんとうに、これ以上は無理だというほどの声で、 僕は歌いました。 こんなふうに歌ったことが、これまでの人生であるだろうか? 頭がおかしくなったと思われるのがいやだから、 きっと歌ったことはなかったでしょう。
そんな、気が狂ったかのように、 一心不乱に歌っても、ぜんぜん変じゃない桜島。 気が狂ったように、拳を振りまわして歌っても、 ぜーんぜん、普通の桜島。
素晴らしい!
武道館でも、横浜アリーナでも、こんなことはなかった! どこを向いても、似たように、 一心不乱で歌い叫ぶやつらがいるんだから!
「オオオーッ!」
「シャアアーッツ!」
「ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!」
『明日へ向かって』の演奏中、 ありとあらゆる掛け声が、叫びが、 こだまのように飛び交っていました。 しかし、ここは、島。 こだまが返ってくるわけがない。
そう、それは、こだまじゃあなくて、 Cブロックからの声、 Eブロックからの声、 もっと遠くの、Gブロック? それとも、Hブロック?
いずれにしても、 明日へ向かって全力疾走する叫びだ。 その先頭を、剛が突っ走っている。 このスピード感、この加速感!
もっと、もっと、ボロボロになりたい! ライブが終わるその前に! 足も、腰も、立たなくなりたい! 腕も、頭も、上がらなくなりたい!
限界まで行きたい! 限界まで生きたい!
心から、そう、思いました。
すべては時の 流れのせいかい 落ちてく影など 消して しまえ! ヒントはお前の足元に 転がってる
ウォオオオオーーッ!
あ! したへ! 向かって! あ! したへ! 向かって! ずっとこのまま 突っ走っていけばーいい!
延々と叫び続ける僕らでした。 もう、どうにも、止まらない。 叫んでいるあいだにも、 どんどん明るさを増していく桜島。 もう、照明の必要もなくなった。
確実に、確実に、 ライブのピークに向かって突っ走る! もう、そのピークの頭がのぞいている。 そのとき、剛は、僕らは、何を歌うのか。
しらじらと明けていく空に、 暗闇からその姿を引きずり出された桜島。 そろそろ来るぞ。 勇壮な、活火山のような、あの歌が。
続く
<次回予告> フィナーレ間近、最後のハッピーソング。 あの歌が確実にあとを控える、その前に、 金港湾を金色に染める朝日を楽しもう! 焦がせ、俺たちを、桜島から顔をのぞかせる太陽よ!
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