dear friend of friend

2006年09月06日(水) 詰めの甘さが致命的

なんどとなく失敗してきた、
そこから学んだこともあったはずなのに
またおなじ失敗をひたすら繰り返している気がする。

なぜといえば答えは出ている。
そして失敗の予感はあった。
しかしできなかった。
ふーーー
どうしたものかと思うが
おわったこともあーだこーだと言っても仕方が無い

だがだがだが
と思う自分もいるわけで
まったくもってみっともないというやつだ
どうしたものかと思うけど

仕事も大変で
生活するのも大変で
老後も大変で
医療も介護もこの先どうなるかまったくもって見えなくて
未来に何一つ希望的なものはないよーな気がする今日この頃
だが
僕が生きているという奇跡と
皆に会えたということは
限りない希望でもある。
人生はちいさな幸せがあれば充分だ。
そのためにも小さな不幸を与えないように
もうちょっと頑張って仕事しないといけないよね。
まだだもう少し
あとちょっと
その差が大きいとわかっていながらツメがいつも甘いのよね



2006年09月05日(火) つらつらと

しばらくこの日記は書かないでおこうと思っていましたがなんとなくかき始めることにしました。

まえーにも書きましたがクリは高齢者向け住宅の管理会社の経理です。(←7月に異動しました。)
なのでだいたい月に2〜4人くらいの方が亡くなります。
その大半がクリは名前も知らないので社内メールでその話がでても
遠い国ような気がするわけです。(売上の減少としては切実だが、本人に対する思いいれはない)
最もいちいち同情していたら身が持たないのは事実なので
あまり何も思わないようにしている気はします。

で今日も2人亡くなりました、1人は病院で、1人は自宅で亡くなりました。
んで病院で亡くなった方は僕が現場に居たころに非常に仲が良かった方で
よく話をしたのを覚えています。。。
久しぶりに親しい方が亡くなったなーと思いました。
ものすごく元気な方でしたのでまさか亡くなるとは信じられなかったですは。

いつも思うよ
人は所詮一人で生きているのかなと
どんなに悲しい死でもあっという間に忘れて
笑える日が来ると
いまこうして悲しい気持ちになっているのも
きっと嘘で、僕はちっとも悲しいとは思ってなくて
別に誰が死んでも自分は傷つかずに生きていると
ただ自分が生きているということにほっとできる
他人なぞそんなものでしかないのかと思うよ

同情するのもきっと同情されたいからで
やさしくするのもやさいくされたいからで
きった他人の為とおもいながら
所詮自分のためにしか僕は生きてないと思う
亡くなっていく人をみて、それを当たり前に受け止めて
対した事もいえない自分が笑えるよ。。。
せめてもうすこしうまく悲しんでるフリをしたほうがいいと思うよ。







2006年09月02日(土) ひさびささ

ながーーーい間
ほっていましたが、日記を書きます。

この3ヶ月はいろいろ、本当にいろいろありました。
とはいえ、一日一日振り返ればそれほど大きなはなく、
ちょっとづつ変わっていって気がつけば
3ヶ月前とはまったく違う生活を送っています。
びっくりだね、
でもまあ人生ってそんなもんだよね

すこしづつ変わっていくんだよね何でも、何でもね。
とにかく元気に生きていかないとダメだよね。
何のために生きたんだかわかんなくなったらあかんはな
まあそんなことで悩んだわけではないが、
自分の好きなことを多少忘れていたかなっと思ってね。

いろいろ変わると
無駄に不安になるんだよね。


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