暮らしの手帖 もっと食品を知るために 第19回「バター」を読む。
昨日の続き バターもダメ、マーガリンはもっとダメ。 でも、バターは何がダメなのか?詳しく調べてみようっとと思ったら 暮らしの手帖にこんな記事があったのです。タイムリー。
現在のアトピー治療で、バター、ヨーグルト(そのほかにもある)は控えて!といわれたのですが 完全にシャットアウトするワケでなく、まあ控えめにという解釈らしく、普通には食べている。 しかし牛乳にはアレルギーを起こす成分があることも間違いないし、合わない人は合わないので ヤギミルクを飲んでみるが、入手しやすくないし、やはり獣の味がwwやはり豆乳で代用ですかね〜 でも、バターに関しては、コレステロールは以下の通りですし、あまり神経質にならないように 上手に控えめに食べていこうと思います。
以下はメモ。
・バターの原材料は牛乳と食塩のみ。添加物がない食品。 バターのコレステロールは100g中に210mg パンに塗るのは5g程度で、11mg一週間パンに塗り続けても77mg 〜とあるが、パン自体に既にバターが練りこんでるからもう少し見込んだほうがいい。 パンの種類によって違うが、手近な料理本などで調べて 角食で一斤10g/バターロール8コで20g〜1コ2.5g/デニッシュパン一斤で150g〜 生卵1コ60g中のコレステロールは250mg(ちなみに卵は健康な成人が毎日2個ずつ摂取しても異常はない) 人体でもコレステロールは作られている。
・現在市販されているケーキなどの洋菓子類の多くにはバターでないものが使われている。 本格志向の洋菓子店でも、バターと勘違いしてコンパウンドバターを使っている例がある。 コンパウンドバターとは、マーガリンやショートニングに30%前後のバターオイルを混ぜて作られたもの。バターでないものです。
バターと名の付く菓子のほとんどにも、油脂やショートニングなどとならんでバター、バターオイルと記載されている。
・バターの製法 1)伝統製法(チャーニング・・かき回し法) 発酵バター、作る過程でクリームを乳酸発酵させてから攪拌機会にかける。 2)御発酵 脱脂乳に乳酸菌を濃厚に培養した乳酸発酵液体を、工程後半のバターを練る時点で加える「後発酵」という方法。この方法は味や香りに違いが出る。
59ページに写真で、いくつかのバターを使ったパイ生地の断面図が載っています。よつ葉乳業・北見工場のバターで作ったパイ生地を味わってみたいです。
2006年07月30日(日) |
トランス脂肪酸から考える。 |
私のアトピーのことを心配してくれてる友人から「トランス脂肪酸」のことを教えられた。 名前を知ってる程度で、具体的にどんな食品に含まれているかとか、答えられない私でした。早速検索して、知識を深める。
古い油、マーガリン、ショートニングなどに多く含まれるというわけですね。詳しい説明などはぜひ検索してみてください。
現在の治療ではバターを控えて〜といわれているのですが、では食パンに何を塗ろうかと。 マーガリンは体に良くないと聞いた事があり、躊躇していたのですが。 さらに意識したのは、バターの変わりにマーガリンを見てみようと思いスーパーに行ったときに、 ノルウェーのマーガリンがあり、とても高いし、なにやら説明書が長く注釈がいろいろ書かれていて手に取ったことからでした。 ノルウェー産のマーガリンはトランス脂肪酸フリー(脂肪中のトランス脂肪産含有率が1%以下)と証明書付きで、トランス脂肪酸が体に与える影響についてや、諸外国の規制についてかかれていました。
そうか、詳しい理由は知らなかったけど、マーガリンはこんなに悪いものが含まれている食品だったのか・・と思い知ったわけです。 でも、そうするとひどいです。学校給食にはマーガリンが毎日配られていましたよ。 旅先でも、お店でも、高給店以外は、バターもどきやマーガリンですよ。市販のお菓子もほとんど偽者バターですよ。
めったに食べないもので少量なら心配なくても、こう日常に潜んでいたらかなり積もっている気がします。 揚げ物も古い油で揚げているとことも少なくないでしょうし。
やはり、基本的に昔ながらの日本食をするのが一番なんでしょうね。 あまりキツくすると、ストレスもたまるけど。 最近、薬のせいで調子いいから、ついつい自分規制がゆるまっているので気をつけたいと思います。 パン好きには辛いけど、たまに食べると喜びもひとしおでしょう。でも夏場は暑いから朝からご飯、味噌汁はきついなあ。
よかったです。 春野さんはやはりこういう役がお似合い。 お茶会で話していたように、エリックの純粋さがよくわかりました。 ので、ファントムが可哀想で泣けました。 舞台装置も衣装も豪華で美しく、楽曲もよかったので満足度は高いです。
宝塚ファンでない友人と行くのに最適な演目かと思います。多分
2006年07月21日(金) |
読書「バカなおとなにならない脳」 |
養老孟司 理論社 2005年 よりみちパン!セ
バカって治るんですか?寝ないとバカになるって本当ですか?子どもの脳キレやすんですか?などなど 子どもからの質問に養老さんが時には優しく、時には呆れ、怒り気味に答えてくれます。
脳の本、養老さんの本はこれまでにも読んできたし、またか・・とも思いますがこれは子どもたちの質問がいい意味でも悪い意味でも面白いので興味深いです。
「子どもは半分自然」という養老さんの子どもに対する見方、現代社会がどうして子どもたちに悪いのか、誰もがわかっている大人が作った社会が子どもに影響を与えているという事を繰り返し書いています。 でも、養老さんのいうような、田舎で体を動かす生活を子どもにさせてあげるのって本当に難しい。 ほとんど実現不可能だと思う。 そう思っていたら、ほとんど都会で生活しているユダヤの子育てを参考にしてみたら、とも書いている。 ユダヤの子育てはあまり詳しくないですが、昔からの考え方や教育を厳格に守っていると思うので、そういう事かな。
日本はあまりにも短い時間で、劇的な変化が起きてしまい、対処が後手後手になってしまっている。途中で気付いたとしても、個人を大切に的な発想が根強いから、それも容易ではない。
この本に書かれている、ゲームがやめられない、思春期うつ、拒食症の問題、ストレスが多いなどの質問には、ほとんど体を使え!で統一されている。努力・辛抱・根性!昔のスポコンだわ。 でもそうだろうなあ。ほとんどの悩みって、食べるのに困らない環境ゆえの悩みだもの。 余計なこと考える余裕があるのって、ある種の人にはよくないんだろうね。
例えば、私は、洗濯機、掃除機、炊飯器など電化製品のおかげで、こうして働きながら暮らしが成り立っているのです。 働きにいって、家事をしてもまだ時間の余裕があるから、本読んだり、パソコンしたりとできるんですよ。 現在は毎日をこなすので精一杯であまり悩んでいる暇ないです。おかげさまで。
でも、もともと何かがしたいとか、楽しみが作り出しにくい人に、無尽蔵に時間があったらどうかな?と思いました。
ループを回すように育ってないと、生活を送るのに役立つループが回せないかもしれませんしそういう意味でも、やはり子どもの生活状況を何年も追跡調査して統計的関連性を出すのはしたほうがいいんじゃないかな? テレビを見せっぱなしにするのが子どもの成長に悪影響が出ていることがわかったように。
メモ ・入出力がちゃん回っていること、ループしていることが、脳がちゃんとっ働いていること。 学習の基本はとにかく入力して出力する。出力とはからだを動かすということ。 ビデオとかテレビを座って一方的に見せられているのはダメ。小学生以前の子どもはとにかく外で回す。 ・繰り返しで脳はつくられる。いつの間にかに脳は変わらない規則を学習していく。(だからさぼらず英語の勉強をするしかない) ・コミュニケーションの面が不安、その不安とは、実は人と人との距離がきちんと取れていないということ。 はっきりとした距離が取れていないことで悩むということは、昔風にいうと、ある種の自我が確立していないということ。 ・「機械を丈夫にすると人間が壊れる」森 政弘ロボット工学の先生 ・犯罪をおかす人の脳って?の項目はきわどいけど興味深いです。
2006年07月18日(火) |
読書「さびしさの授業」 |
伏見憲明 理論社 2004年
さくさくと読めてしまう面白い本なので、ついつい読んでしまいます。 このまま全巻制覇か?!
「シックスセンス」「赤毛のアン」「X−メン」「千と千尋の神隠し」「五体不満足」 を引用したマジョリティとマイノリティや差別、被差別、そしていじめの問題などを例にとり生きることの寂しさや辛さについて書いています。 特に「赤毛のアン」の解説は、本編を読むよりドラマチックに感じます。 この作者の読み方が面白い!
----ここから四方山話
先日も「寂しい」については日記に書いたのですが 若い頃はとにかく寂しい日々でした。 家族も親戚も、少ないながらも友人もいたのですが どうにもこうにも寂しい感覚が抜けませんでした。
若い頃は、誰からも誘われない、遊びに行く予定もないというのは なんとなくダメなんじゃないかと思って、気が進まないのに 気が進まない仲間とでかけたりしました。
でも、どちらにしても寂しさは埋まらないんですよね。 大人になって、恋人ができました。 恋人がいたら寂しくないのかと想像していたけどやはり変わりませんでした。
結局、私はとにかく寂しがり屋さんなんだ!と結論つけて 何しても、どうしたって寂しいのは変わらない事がわかってからは 寂しいと思っても気のせいだと思うことにしましたw
それに、高校の一時だけ、なんでかクラスの人気者になってしまい 毎日、毎日、自宅に帰ってもいろんな子から電話がかかってきて ひっきりなしに呼び出しがあったことがありました。 寂しさを感じる暇もありませんが、非常に疲れました。
寂しいなんて言って、今以上に付き合いを広げたり 出かけたりする体力も財力もないので、今が一番いいと 高校生のその時のことを思い出しては戒めます。
私より若い友人は、気の合わない人とムリからに出かけている様子や とにかく出かけずにはいられない様子がうかがい知れます。 彼女は私の休日の過ごし方を尋ねる事が多いので 私は堂々と「休日は家で休養をとります」と答えてあげます。 「安心して、あなたよりずっと寂しくすごしている人がいるからね」 と言ってあげたくなります。
でも、若い頃はそうした寂しさとか焦りとかがあってもいいんじゃないかとは思います。
こんな事を書くと、私の友人が心配しそうなので、書いておきますが 私には実際に会ってなくても、親しみが薄れない友人がいるので平気といえば平気なのです。
メモ今年の1月に読まなきゃ!といっていた本。半月過ぎてしまいましたよ!
1)深沢八郎「楢山伏考」を読む 2)井伏鱒二「山椒魚」を読む 3)ユン・チアンの「ワイルド・スワン」を読んで、続刊を読む 4)小熊英二の本 --------------------------------------------------- 5)第七官界彷徨 尾崎翠 筑摩書房←これは今読んでいる
4と5だけなんとか達成?でも5)は期待しすぎたのかあまり・・ 4)は子ども向けの本だから、半分くらい達成かな・・
まずは探偵ナイトスクープがこの間、大賞選出の特別番組でした。 笑いあり、涙アリ、ばかばかしさありと満喫。 本当に大好きな番組です。
それとは別に、関東在住の友人から録画依頼がきたので見た番組 「ビーバッ○・ハイヒール」を見てみた。 空想科学を検証するスペシャルな番組。 まあもともと好きそうなジャンルですよ。
中でも、最近まで何故だか私の周囲で話題になっていた「サム○イ・ジャイアンツ」の大回転マ球の検証をやってきくれたのがまずよかったのですが もっとよかったのは、「包丁ニン味ヘイ」の技の検証。 漫画で見たことあった、刺身用におろした魚を水槽にもどしたら泳ぐという技を本当にやっている料理人が実在していた!! 漫画はたしか頭と骨と尻尾だけになっていて、 テレビでは、半分だけ肉をとった状態だったんだけど、それでもすごいな〜
小さい頃に、「こんなこと本当にあるのか?」と思っていたけど 本当だったんだな〜すごい!
とまあ、相変わらずテレビっこです。
ピンチヒッターでスミレ様のお茶会に行ってきました。 過去にも2回ほどいったことあったんだけど 今回が一番楽しかったかも。
残念なのはまだ舞台が未見なこと。 舞台の質問コーナーとか聞いてて、初演の宙組を見たことあるから だいたいわかるけど、やはり見てから行ったら2倍楽しいのよね。
ためになった話 ・アデランスさんの係りの人が舞台についてファントムの鬘や傷などのケアをしている。 ・仮面も同じく。どうやってつけるかは企業秘密なんだそう。 それは有名なCMなどの方の鬘とは違う部門なんだとか。 ・ファントムの傷が、美しすぎる・・確かに写真で見る限り女子が「きゃ〜」と失神するような傷ではないですが、宝塚だからヨシ! ・オーケストラは2つチームがわかれていて、大人なムードチームとラテンの乗りチームがある。 ・オーケストラの指揮をする時にはテンポに注意している。 ミュージカルだから当然といえば、当然だけど、早すぎたら歌詞がおっつかないし、遅すぎても間延びしてしまうし、歌いだしとか場面に沿ったテンポがあるので、大変だね。
本日もスミレさまは真っ白で美しかったです。 指先も綺麗でした。
---------------------
いつもこうした集まりに出ると、既に傍観者だから 懐かしい心地にひたって、あの一生懸命だった自分を思い出します。 私が必死でもてる能力全て使ってがんばって舞台を見た日々。 バカで情けないしみっともないことも一杯あった。
こういうものに打ち込んだことのない人にはわからないだろうけど すっごい集中してて、珠玉の日々ともいえます。
今は引退してのんびりしていて、本当に楽です。 素敵な日々でしたが、もう時間と体力とお金をあれだけ 費やすのは恐いので、戻りたくないですが・・
たまにファンの熱気を見るのもいいですね。
2006年07月13日(木) |
「日本という国」と「エリート靖国へ行く」 |
昨日の日記でもわかるように、私の考えは揺れ動きやすい。 私の意見ってなんだろう〜ていつも思う。 もちろん、ここ何十年と変わっていない自信?のある意見や考え方もあるけどね。 それを書いたら、ちょっと問題あるから、書かないけどね。
文芸春秋6月号 2006年の「エリート靖国へ行く」を読んでいた。 国際リーダーの卵、64名が見た日本の不思議〜とあるように、 ハーバード大学の国際政治リーダー養成機関のケネディ行政大学院から来たさまざまな国の20代から40代の人が日本へ訪れた時の様子が書かれている。 戦争、拉致問題や靖国神社参拝まで、日本人がなんとなくそうかな、と思っていることに対して、全くシンプルな疑問や答えが飛び出てくる。 レバノンの人は、靖国参拝を、中国や韓国から、非難されて当たり前。占領したのだからと答え、パレスチナ自治区やシリア、レバノンの一部地域を占領していたイスラエルになぞられる。「今日、イスラエルが撤退したとしても、その謝罪には最低でも200年、400年かかると思います〜略〜日本は戦後60年でしょ。怒られるのは当然」と語り、メキシコの方は「宗教と政治が分離しているはずだから、参拝はおかしい。」といい「メキシコの大統領が教会に行くときは家族と行くので、大統領としての礼拝か?とは聞かれない」と続く。 なるほどね。
いろんな国のいろんな考え方(でも国を代表してきたわけではないし、単なる学生なので、国の考え方と思ってもアカンと思うけど。しかもライターさんの視点を信じたらかなりお気楽そうなイメージ)を読みつつ タイムリーにまたもやよりみちパン・セの「日本という国」小熊 英二 理論社 2006年を読んでいる。
中学生くらいに向けてわかりやすく、そして考え方ができるだけ隔たらないように、注意深く書かれていると思われます。 そして、上記で触れたように靖国参拝について、また違った視点で考えるように示唆されている。
この本を読むと日本の教育の流れが(大雑把だけど)改めて理解できて、今私が教育に対して、漠然と「おかしい」と思っている謎が少し解けた(気がしている)
自分だけでは、わからない、考えもまとまらないので、 教育を受けてみる、本を読んでみる、人と話してみるといいなと改めて思う。
1つ言えることは、 この世に存在して生きる者全ては、自分の為に生きている。 自分の利益になる、自分の保身のためになら、どんな無茶だってやってのける。 そんな人や国が大部分で当たり前なのだということかな。どこかの国だけじゃないのよ。 また自分のタメに生きようとしなかったら、それもおかしいしね。 自分がよりよく、生き易いように、努力や思考をする訓練をしてないから 他人を傷つけたり、自分を傷つけているような気がする。
「自分が!自分が!」と遠慮なくやっているものと、対等に渡り合って、自分の大切なものを奪われず、平和に生きていこうと思うなら やはり、よっぽどの覚悟と知恵を身につけないとダメってことだね。 でも、イキナリ親や先生など周囲の大人がそんなんだったら、生きるスキルも磨けないよね。困ったことだと思う。 今ってまさにそんな大人で飽和している。
改めて、本当に恐ろしい世界だと思う。 だからこそ、教育で、世界平和、平等という理想を知らせて、何かのきっかけで一時的に利己的に走ったとしても、気付いて、戻らせる力を養うといいと思う。
最後の試合で、あと10分、優勝がかかっているという状況で、あんな事をするのだから、よっぽどの事があったんだと思い。同情的に見ていた。
でも今朝、フジの「特ダネ」の司会者が、 どんなこと言われても暴力で返すのは、いけない〜と普段、さんざん言っているのに、今回のジダンへはその意見が少ないのでおかしい〜的な話をしていた。 そういえば、そうだよね。 ケンカで口で罵って、相手を挑発して、相手がそれに乗り、刺したりしたら 警察に捕まるのは刺した方で、あっという間に加害者。
赤穂浪士でも、浅野内匠頭は、自分の藩の民の事も忘れて、刃傷沙汰を起こして切腹で、お家断絶だもん。 毎年のように12月にドラマがあるので、見るたびに、「もう少し我慢できたらよかったのに」と思ってしまう。 ジダンへもそう「我慢してほしかったな〜もったいない」と思う。
執拗なマークと暴言に苦しめられるジダン。我慢に我慢を重ねたが、ついにその堪忍袋の緒が切れたんだろうし。 浅野内匠頭と状況は似ている。 そしてジダンを擁護派が多いという状況も似ている。
体に受けた傷で命を落とすこともある。 それと同じくらい、言葉の暴力で心臓を一突きされるくらいの事もある。 でも、マテラッティが本当に何を言ったのか、わからないしね。
はやり、どんな事件も当事者でないとわからないし、 当事者にも、それぞれの真実があるから、第三者は判断することは難しいね。 そうすると、無責任だけど「ジダン、気の毒」でいいのかと思う。 本当にもったいない。
毎朝、出勤時に送迎バスに乗るのですが、概ね毎日、同僚と雑談している。 ところが、先週末は同僚たちは乗り合わせなかったのだ。 すると年長の同僚女性が「今日は誰もいないの〜寂しいねえ。」といって来る。 曖昧にうなずく私。
そして本日はまた同僚たちが揃ったのだが、それを見てすかさず件の 年長の同僚女性が「今日はいてよかったね〜、この間は誰もいなくて寂しそうだったもの〜」とのんびりと語った。
ああこれだから〜。 職場で和気藹々としたくなかった〜と思う瞬間である。
毎日、同じメンバーで同じ乗り物に乗り、同じメンバーと会話していると やはり目立つのだ。 そうすると、ちょっと私用で休んだりした時とかにも、いないことがハッキリと目立つのだ。 そして「どうして休んだ?」だの「何をしていた?」だの聞かれるのだ。 もちろん、その聞かれた人だけに答えるのはいいが、バスの中で全員が聞いているかもしれないのだ。
そして「寂しい」というのもなんだか気恥ずかしい。 「寂しくない」といえば、そりゃ絶対にそうでないとはいえないけど でも的確な表現ではない。
あったものが無くなると誰しも寂しさを感じるだろう。 確かに、最近親しくしている同僚たちがいないと寂しいと感じたのだから。 そうなのだろうけど。
女性同士の学生時代の延長のような、つながりを感じさせる気がしてゾっとした。 同じ友達とずっといると、その光景が少しでも違うと、その違和感を指摘して楽しみを見つける残酷さを思い起こさせる。
もちろん、年長の女性は非常に穏やかで、ちょっと世間に疎い感じを受ける(本当は違うかもしれないが)タイプの人間で 心から「寂しそう」と全く悪気はないので、私のようにヒネこびた考えをするほうがおかしいのだとわかっているけど。 でも、そういう会話をされてしまうことに、寒気がしてしまったのは本当です。 もちろん、そんな事は顔には出さない努力はしたけど。
いつも同じでないと違和感を感じて、それを指摘するのは時と場所と相手を選ばなくちゃと心に刻む出来事でした。
2006年07月08日(土) |
読書「だれか、ふつうを教えてくれ!」 |
倉本智明 理論社 2006年
「よりみちパン!セ」シリーズの一冊。どれも面白そうで、みんな読みたく なってしまうのは「理想の教室」と同じかもしれない。
この本はタイトルがとっても挑戦的で、パラパラめくるとあとがきだけがグリーンになっていて、「お?」と思わせる本になっている。
普通って何?普通の子が普通でなくなって久しい世の中ですが、 つい「普通の○○」て表現をしてしまうのだけど、その定義はあいまいだ。 平凡、取り立てて目立つ何かが見当たらない、十人並みとか、「普通」とい うと褒め言葉ではなさそうだとわかるが・・・
20代まで弱視、後にほぼ全盲に近い状況になった著者の視点による話というと 障害者の障害の無い人への提言的な話とわかったような判断をくだされそう
なのですが違います。 障害を持つゆえの経験から、この世の中の普通とされていることへの疑問が 見えやすく、バリアフリーや共生についても書いていますが、
一番心に残ったのは、人と人とのつながりと、人と向き合うことでした。 一番、怖いのは「わかったような判断」「思い込み」なのです。 そこには、障害のある無しは関係ないのでした。
普通とそうでないという大雑把なくくりでは、人は判断できない〜。 考えたら当たり前の事なのですが、思い込みや、わかったかのような判断はなかなか崩せないのも本当です。 だから、思考の自由さをもっているこの作者のような人の話を聞いたり、読んだりして、たまには目からうろこを落とす作業をしたいんです。
あ〜こんな感想では、この本の面白さは全然伝わらないだろうなあ。 読者層を考慮してか、彼女とのデートのためのリサーチとかやせ我慢の話などは語り口もユーモアにあふれていて、 男の子らしい意地の張りようが、いじらしくて、思わず口元がほころんでしまいます。
2006年07月07日(金) |
読書「それにつけても今朝の骨肉」 |
ちくまで連載した時に後半を少し読んだ記憶があって、手に取ったら あっという間に完読。 次々と起きる非日常な出来事が、淡々と普通に語られて過ぎていく。 最近、昼ドラに苦しめられていたのですが、昼ドラ並みに えらい状況におかれている著者だと思うのですが、 大げさでなく、静かに語られているせいか、こちらも 構えることなく静かな読書。
もともと家政婦は見た、的によそんちの骨肉を、他人の不幸は蜜の味的に、 見るしかないような気もするのですが
著者はこの本の中で、さんざん父との齟齬、兄姉への、容姿のコンプレックス、勉強ができない〜などなど書かれているのですが。 不美人、頭が悪い、勉強ができないにしては〜なエピソードがありありなので、本当は違うような気がする。 この人も父の娘なのね。
とにかく度胸は右に出るものはないんじゃないかという気はした。 プラハに留学したときのKGBのスパイに狙われた話は、突然違う小説を読んでいるようでした。無事でよかったですよ。
そして、お金持ちの生活ということがどんなのかわかる気がする。 著者も上には上がいるのだと悟るくだりがあるのですが そして、この御一家はびっくりするほどアップダウンが激しいのですが お金を持っている家、そのお金を使い方ってのはそりゃさまざまだろうけど 小市民な私なら、そうはならないだろうな〜と思い、私はお金持ちにはなれなそうな気がしました。
出版業界の父親を持つ娘さんの自伝は以前も読みましたが これお波乱万丈で、だからこそ本になるのでしょうが それにしても驚く。
国営衛星でこんな番組がやっていたのを番組表で発見したので見てみました。 「ジョジョの奇妙な冒険」の作者さんが語るというのが、とてもツボだったのです。
最近は遠のいてしまいましたが、私は小さい頃からジャンプの愛読者でした。 少女マンガより先に読んでいたと思います。 長い読者期間で沢山、好きなマンガがありましたが、荒木飛呂彦さんのマンガは「魔少年BT」でホップ。 「バオー来訪者」でステップ。そして「ジョジョ」でジャンープ!と続けて好きになりました(笑) なんでこんな事を書くかというと、 同じ作者のマンガを続けて読むのは、少年漫画では実は珍しいということに気付いたからです。 少女マンガでは多々あることが、少年漫画ではほとんどないことに今更ながら気付いたのでした。
話はそれましたが、この番組でもう一つ取り上げていた「団地ともお」という漫画も面白そうでした。 漫画をセリフと場面の説明で紹介していたのですが、「走れメロス」を取り入れたお話は、ストレートにも楽しめるし、本好きの人の視点でもニヤリとできるし、その他、いろんな感情を起こさせるよい漫画だと思いました。
そして当初の目的の荒木さん登場。 「バオー」の頃に雑誌などで拝見した様子とほとんど変化がなかったので驚く。相変わらずソフトな雰囲気でした。 そして、実際に漫画にペンを入れている様子、独特の擬音の入れ方やイタリアで見たミケランジェロの話など面白かったです。 ジョジョの今に続く物語の説明を見ていたら、読み返したくなりましたが、とんでもなく時間がかかりそうです。
そして、わざわざこの番組を見て、こんな感想を書いていますが 私ったら本当に漫画を読まなくなりました。 お小遣いは昔より絶対にあるはずなのに、昔より買ってないってのはどういうことでしょうか(汗)
本→重たい→掃除が大変→引越しが大変と思ってしまいつい買い控えてしまいます。 読んだらすぐに売れば〜と思うのですが、それも「やらなきゃ!」と構えるのでつい気遅れ。 漫画喫茶にいって読みたいけど、都会に出ないといけないのがちょっと。 歩いて10分くらいのところにできないものかと思ったりしている今日この頃。
2006年07月04日(火) |
2つあってよかった!? |
現代のエスプリ別冊「ジェンダー・アイデンティティ 揺らぐ女性像」 伊藤裕子編 至文堂2006年
p18金井篤子さん: 間違いなく世の中は変化していて〜略〜エリートはエリート同士で結婚して、フリーターはフリーター同士で結婚する、という大きく二極化してきているんですね。略〜ですから女性も自分で自分を支えるスキル、技術とか収入を持っていないと、なかなか難しいのではないかと思いながらも 女性のその周辺にはその前の世代感覚がある。 親が女の子だからそんなにがんばらないでも良とか、良いところにお嫁にいけばいいんじゃなかとか そういうことを行ってしまう世代だったりするんです。 その辺のところで社会情勢と女性たちの意識、女子学生との間にはギャップが出てきている。
それでこのツケは誰が払うのかというと、多分、本人たちが払わなければならない。 男性は多分、つけを払わないんですよ。 大抵、女性が払うことになるので、大変シビアな状況じゃないかと思います。
------- 26p 川喜田好恵さん: 結婚が個人の選択になった今、かえって結婚が難しくなった。 結婚が個人の選択・自由になったということは心理的には 「幸せな結婚ができるかどうかはその人の力量と能力の問題である」とみなされて かえってリスクが高くなってしまった。 若い女性にとっての暗黙の至上命令は、「結婚はしたいけれど、不幸な結婚は避けなければならない」ということで、なぜならば失敗は自分が無能だということになるから、そのリクスはすごく取りにくくなって、なかなか結婚に踏み切れない〜
の冒頭の座談会をパラパラめくる。いろいろ気になった点はあるけど、とくにこの2点。
先日、小学生の子どもを持つ親である友人と話していて、「男の子は大変」という状況を耳にした。「女の子は大変じゃないの?」ということを問うと、やはり「女の子だから〜」という風潮はまだ残っているらしい。 なんだか腑に落ちないまま、その会話は終わった(友人自身の思想でないため、現在の周囲の風潮を端的に語っただけであるから、それ以上の議論の余地は無い) そのクエスチョンを展開したのが、18ページの金井篤子さんの発言かな。
私自身、女子であり、勉強が得意でも好きでもなく、体も弱かったので、少しは仕事をするだろうけど、すぐに結婚するだろうという想定のもとにエスカレータ式で女子高・短大にすすみ、行動していたのですが、いまだに結婚せず。 結局25歳くらいで、一生続けられる仕事を見つけなくては!と方向転換を余儀なくされた。 誰も一生仕事をし続ける、手に職就けるという考えを植えつけなかったので、私は一人で考え、なんとかしたのですが そしてなんとかなっているので、よかったのですが、誰もが私のようになんとかなるばかりではないと思う。
そうでなくても、もっと学生時代に考えておけばよかったな〜と思った。 でも、誰のせいでもない。周囲だって真剣に、私が結婚しないなんて思いもよらなかったんですから。
「男の子はより大変」と今の小学生の親ですら、まだそうなんだから本当に仕方ないと思う。驚いたけど。
やはり非常にやっかいな所があるののねえ、女性の生き方は。 もちろん男女分け隔てなく、生きることは大変なのですが、 自分自身の考えや生き方を決めるのに、まだ前の世代的考え方が幅を利かせているというのは、やはりストレートに一生仕事する!と決め付けられている男性よりも複雑になりやすい。 もちろん男性も仕事一辺倒でなくていい!という考え方がもう少し浸透してもいいのだろうけど。 でも、この際、人生において仕事無しでは考えられないとアプローチされているほうが、方向転換するよりはいいかもな〜と思う。
26ページの不幸な結婚を避けなければならない〜という事も、以前から気付いていた。 リスクのない結婚なんて宝くじを当てるより難しいと思うので、本当に結婚しづらいと思う。
それがわかってないわけないと思うのですが、相変わらず「男の子は大変」と考えている親たちがいるというのはどういう断絶なのかな〜。 そう考えている親というのは、幸せな結婚をしているから、自分の娘も同じ道を歩めると疑うこともないのかもしれないですが。
あ、でも私は本当は、結婚とか人生は結局、運次第だと思います。 ってすごいオチですみません。 私は運で、仕事に就けてきたとしか思えないです。(もちろん努力もしたけど) だから運と縁があったら結婚するかもしれないと思います。
でも、運とか縁て、なかなか「こうだ!」とわかるものじゃないので、それなら確実に必要なスキルとか考え方は身につけておいたほうが保険になるんじゃないかと思います。 つまり、結婚してもやっていける能力と仕事を一生続けていける能力を身につけることですね。 そのために必要な能力が何なのかは人によって違うと思うのでわかりませんが。
少なくともこれからは男女の隔てなく、仕事をしつつ結婚してもやっていけるような設定でいったほうがいいと思うのですが、どうでしょう?
2006年07月01日(土) |
舞台「メタルマクベス」 |
見られました〜嬉しいっ チケットを取ってくれた友達に大感謝です。 本当に取るの大変でしたものね。
事前情報・・4時間弱あるよ!に引きまくる。 面白すぎて大変だからリピート準備したほうがいいよ→無理だよ〜。
で、どうだったかというと もちろん面白かったです。 でもやっぱりリピートは無理、ちゅーかいいや。 前半はずっと笑いまくっていて、もう一回見たい気がしましたがやはり、マクベスですもんね。 後半は結構重くて、しんどい場面もありました。
実は一番印象に残っているのは、最初の三人の魔女のやり取りだったりして。 ミキマウスのトレーナーと聖子ちゃんカットとうつべし!にやられました。 カレーを作っている風刺?もいいの?って思いつつ笑いました。 こういう80年代の文化とか笑いがストライクゾーンなのでたまりません。 こういうベタなのが好きなんでしょうね。
そして、元きよしの親の七光り三度傘のイメージビデオ?すごかった。 もう演じてる彼は何かを捨てていたね。 いつも、新感線に出る若手の俳優は、何か一皮剥けて通り抜けていく感じがしますが 今回の彼は剥け過ぎです!!舞台の彼の通りずる剥けです!!(笑) ちょっと気持ち悪いくらいで、ファンの人ごめん。 身軽にバレエステップを決めている彼は、過酷そうな舞台も軽々と乗り切ったのでしょう。
ウッチーも水を得た魚。のびのびと朗々とシャウトしまくり。 「俺の歌を聴け!」とばかりに、歌いまくりました。 エリザの初演時の噂もなんんそのですね! そしてびっくり、結構イイガタイしてるのね〜もっと薄い人かと思っていた。 かっこよかった〜〜〜ランダムスター!! ライブも開催するとか・・よっぽど歌いたいのね!(笑)
Mたか子はあんまり好きな女優さんではないけど、舞台ではすごいと思いました。舞台で本領発揮なのでしょうか。
ちっちゃい二人は大きなものを手に入れようとしたから。 小さいつづらにしておけばよかった。 というところは染みました。 本当にそうね。 身の丈にあった欲望。 身の丈にあった幸せ。 それが正しく測れる物差しがあればよかったね。
|