だから猫が飼いたいのに・・

2004年05月30日(日) 宙組「ファントム」

今回は普段楽しているツケがいっきにきたのか、見るのにえらく手間がかかってしまいました。
これでおもんなかったらどうしてくれよう・・とお門違いな事を思いつつ。

やっぱ期待が大きいとダメなジンクスが生きている。
あくまでも期待よりは下回ったということですので、全然ダメということはないが・・

でも天下?の宙組です。この組のよさは不動のコンビでしょうか。
立体少女漫画といっていい、スタイル抜群、小顔、整った顔だち。美の一対。
とくに贔屓ではないのに、見に行くと「美しいものを見た!」と満足してしまうので
多少、たるい場面もあっても終わってみれば満足していたりします。
というわけで、このコンビがまだまだ熟成していくのを見られるのかな〜

お話は「オペラ座の怪人」らしいのですけど〜潤色部分が私好みかな。
ラストは泣いている人がたくさんいらした。
私もファントムの息絶えたところで「ウッ」とこみ上げました。(涙がね)
最後に自分の醜さを、愛した人に受け入れてもらえてよかったなと。

でも、これは世間でよく知られた「オペラ座の怪人」を知らないと
やはり納得できないというか、宝塚を標準で好きな人には純粋なハッピーエンドで
ないから、辛いような。でも最後はやっぱり二人で出てくるからいいか、と思ったり。

二幕はいいのですけど、一幕がたるかった。もう早く終わってくれ〜と思ったりしたよ。
ファントムの付き人は給料もらっているのかな、寮とかあるのかな、時々募集がかかたり
「急募!ファントムの付き人。委細面談」とか余計な事ばっかり考えてたりしました。

コンビと樹里さん、安蘭さんも歌いまくっていて、安心して聞けました。
女役さんがクッキリした役がなくて、寂しいのが残念といえば残念。
カルロッタはキャラはあっていた、てゆーか似合いすぎかも・・・

それにしても、主役がいきなり殺人するってのは、結構びっくりしたかな。
でもまあ、古に殺し屋が主役だったこともあるしなあ(その話、好きだったし)

今日はついていなかった、席はまあまあよかったけど。
目の前に座高の高い人が・・もう少し深く腰かけてくれよ!


今日は代表、アイスランド戦。
まだ途中ですが、久保タツが素晴らしい!なんかこんなゴール久しぶりに見て
涙がまたこみ上げてきたよ。ありがたや。
疲れもあってか、眠いけど、そのたびに目が覚めるプレーがあったりして決行起きれそう。
俊輔選手、あせらずがんばれ〜心配だ。



2004年05月29日(土) モノグサな私

酒井順子さんの「少子」を読んですごく共感した部分が多いのですが
その中でもさらにギクっとした部分は、面倒くさがり・・ということ。
彼女の一人暮らしにおける生活態度とか子どもに対するスタンスなんても〜自分のことのように思えました。
一人暮らしの醍醐味はやっぱりどんな格好でも気兼ねがいらない、という事だとしみじみ実感しました。
私はすっごい汗っかきなので、風呂上りは裸でいたいのです。
今は家族と暮らしているので、それが叶わずかなり寂しいです。

普段の仕事や日記の状況からすると
きっと私は几帳面というか、きっちりしている人だと思われそう、
そして休日に合う友人もいつもきちんとしている・・と私の事を判断しているかもしれません。

・・・が、実は違います。
結構片付けられない女だし、おしゃれや化粧もしなくて済むなら全くしないタイプ。
(仕事場はしないで通している)
なんか、外に出るたびにかなり猫かぶっている気がします。

本当に何をするのも面倒くさい。とよ〜く思います。
それでも、なんとかなっているのは、比較的趣味とか好きなことが多いからだと思います。
好きなことにかける時間と手間だけは、どうにか割けるのですよ。
これで好きなものがなかったらエライことになっていたと思います。
いつか、それすらもどうでもよくなってしまい、本当に「終わった」という日がくるかもしれませんね。
そのときはもちろん、この日記も終わっていると思います。



2004年05月28日(金) 便利で新しいもの好きな人と古きものが好きな人?

私はどちらかというと保守的だから、古きものを大切にする派かと思っていたが
そうでもなかったかもしれない。

歴史ある建物とか美術品を見るのが好きだし
昔ながらの〜とか惹かれるものがあるからだ。
でも、パソコン、DVD、その他家電は新しいものがいいなあ。
やっぱり新しいもの好きかしら?


ある時、職場の仕事しないおじさんに若手くんがWordの使い方、ススメを説いていた。
おじさんは未だに古いワープロで仕事していたのだ。
仕事しているだけマシやんかと思いつつも、Wordを使ったほうが断然便利で早いことがあるので
若手くんは親切の気持ちで教えてるのだが、おじさんは全く聞き入れようとはしなかった。
おじさんはWordが使えないのか?No.実は簡単になら使える。
自分の好きな時にはWordで仕事をしている時があるから、使えるのだろう。
では何故、若手くんの奨めにしたがって、今の仕事をWordでしないのか?

若手くんに言われてシャクにさわるから・・No.
面倒くさいから・・ややYes.
早く簡単に仕事を終わらせたくないから・・大きくYes.

ここで、「え?仕事が速く、簡単に終わるのがいやなんて変!」と思った方は話しの合う人です。

話しはさかのぼって、私が初めて仕事についたコンピューター会社で数年経て後輩に仕事を教えた時のことを書きます。
フロッピーディスクをコピーするという単純作業があって、それを後輩A子にやってもらおうと教えたのだが、
最初の段階では1つコピーするのに、見張り番をしてかなり時間をかけていた。
そしてしばらくして、自動で、1度に好きなだけコピーする機械が導入されたので
私は「これで作業が楽になる!」と喜んでそれを使ったし、A子もそうだろうと使い方を教えて、
便利になったね!と喜びを分かち合おうとした。

ところが、A子はいつまでたっても新しい機械を使用しなかった。
従来通り、古い機械で1枚1枚手焼きせんべいのように焼いていった。
不思議に思いつつ、新しい機械の使い方がわからないのか、私の説明がよくなかったのかと思い
A子に新しい機械の説明とか使うように奨めたが、返事ははっきりしないし、表情もうつろだった。
それどころか、私に不満気な顔をしてみせる。

A子は私に反抗したかった。・・そうかも
A子はこの仕事自体、覚える気がなかった。・・そうかも
A子は簡単に仕事を終わらせたくないから。・・これが1番近いかも。

あの時はA子の気持ちが全く理解できなかったが、今、この職場でわかる気がする。
A子は多分、単純作業をして、それで1日が終わればいいと思っていたのだろう。

いつのまにか、仕事を能率よく片付けることをよし、とする人間になっていったが
私だって新人の時は、難しい仕事や面倒な仕事はなるべくしたくなかったしな。
状況がゆるさず、じゃんじゃん、難しい方へ身を投じることになってしまったが。
だし、頼まれた仕事はさっさと終わらせないと気持ち悪いという元来の性格もあったし。

誰もが、さっさと簡単に仕事を終わらせたい、そう思うと思ったら大間違い。
頼まれた仕事はなるべく早く済ませたい、それも同じく大間違い。

拘束時間が決まっていて、早く効率よく仕事を終わらせても、帰れるわけでもないなら
しかも、この仕事が終わったら、また新たな、ひょっとしたら難しい仕事をやらせられるなら
だらだらとこの今の仕事をやっていたらいい。と思ったのかもしれない。

早くて便利なものが何でもいいわけではないが、
飛行機の旅でなく、船の旅を好む人がいるように。
でもこのような仕事の場合どうだろう。
私が出す答えではない、それだけはわかっている。

人それぞれ、いろんな考え方があるということだ。
人の気持ちになって考えることはやはり難しい。



2004年05月27日(木) 肩こりさま

友人が腰痛のことを腰イタさまと呼んでいたので
私は肩こりさま。と読んでみる。

ぎっくり系、腰イタさまは治ったんだけど
左肩の肩こりがひどいので、また接骨医院に通おうと思う。
皮膚が本調子でなかったので、びくびくものだったけど
今日は何されても皮膚はびくともしなかったので大丈夫かもしれない。

やれやれだ。
肩こりも腰痛のようにすっきりしてくれるといいのだけど。



2004年05月26日(水) 3)された側とした側、いじめ・妬みがらみ。

被害者と加害者と読んでもいい。またもやこの手の話であるが、どうしても書きたい。

いじめられた者といじめた者。私はどちらにも属している。
いじめられた方が圧倒的に長い年数だが、一時、一瞬でもいじめた側になったこともある。

どちらかというと、イヤなことをされたから、私もイヤなことをし返したという事になるので
理由無きいじめではなかったと思うがなんとなくイケすかない、という理由で感じ悪くしたこともあったので
相手からしたら、私も多数のいじめた人に思われて、恨まれているだろう。
恨まれていても仕方ないと思うし、とても反省している。
(小学生の時、クラスメイト女子に女王様のようにいじめる、と先生に言いつけられた事がある。かなりやばい)

そんな一瞬だけでもイジメ側に回ってしまったこともあるが、北極の短い夏のような、瞬きするが如くで
あとはエンドレスイジメ地獄。小学校・中学校・少しだけ高校・会社にはいってもあったなあ・・
今となってはしょうもない理由(妬み)としょうもない人間からイジメられていたので、あの時の私に会えるのなら
「何、くよくよしてんねん。一発どついたれ!」とでも言いたいものだ。

だが中学のイジメはヤバかった。集団でクラスの男子から猛烈にイジメられた。(全員に思えた。本当は違うと思うが)
理由はよくわからないが、まあ私が憎かったのだろう。集団から浮いていたというか。
ヤ○キー女子も少し加わる。私はヤン○ーにとっても逆モテな女だったからだ。
というか同年の女に嫌われるし、たまに男にも憎まれる女だった。(カルマ?)
そんなのがあったから、イジメる側にはもうならない、って誓い、実行できた。
そして過去に意地悪をした女子に対して、今も罪悪感があるし、忘れていない。
もし再会することがあったら謝るだろう。

私はイジメられている最中に不登校になったり、どうにかなっちゃおうかな、とは思わなかった。
無理やり、意地で学校にも通いつづけた。

そして(1)に書いたけど、親にも早々にいじめにあっていることを伝えた。
親に恥をかかす事を非常に恐れていた子どもなので(親が怖かったからか?)
他人から「お宅のお嬢さんたら、学校でいじめにあってるよ、ご存知無いの?」とでも言われたら
とっても恥ずかしいんじゃないかと、思ったのだ。
自分の子どものことも知らないのんきな母親という烙印を押されてしまう。
だから「ええ知ってますとも!」と母には自身満々で答えて欲しいとの願いがあった。

そして自殺は出来ないと思っていた。非常に毎日辛く、苦しかったが、
私がもし死んだりなんかしたら、兄弟の就職・結婚などに大きく影響が出るかもしれないと恐れたからだ。
家族に迷惑をかけてはいけない。とまたなんか中学生らしからぬ考えだったかもしれない。

親に言っても何も解決などあろうはずもなく、(母親はこっそりクラスの担任に話しをしにいったみたいだが
何にもしてくれなかった。悪い教師ではなかったが、毒にも薬にもならない、平凡な善人といえよう)
そんなわけで、私はなんとか自分で解決して、私はイジメられなくなった。

何事もなかったように、穏やかになったクラスメイトたち。
女子も男子も私をイジメていたなんて、すっかり忘れたかのように普通に話すようになっていた。

それはそれでありがたいけど、私もそうなるように努力したからね。
でも、悪いけど、今あれからどれだけの時間が過ぎても私は忘れてなんかいない。
あの残酷で惨めな日々を。人を呪った日々を。
(人を呪わば穴2つというけど、呪わずにはいられませんでしたよ。心が弱いからね。)

そんな事を書きながら、なんとなく陶酔しているので
私の心のネジはやはりどこか歪んでいるのかもしれない。

いじめた男子の親が私の親と今でも付き合いがあって話題に出る。
そのたびに「ああ、この親は自分の息子が親しくしている人の娘を強烈にいじめていたことなんて、
全く知らなかった、のんき者なんだなあ」なんて思ったりしている。やっぱり歪んでいるかもね。

今更、何をどうしようとも思わないけど、
謝って欲しいとか、復讐したいとかなんて、露ほども思わないけど
だからって、あの日々を、いじめた人を忘れる事もできないんだよね。
だから、こうして日記に書いたり、親しい友人に話してみたりする。
やっぱり痛手は大きかったという事なのかもしれないね。

今、私は幸せに暮らしているし、別に重大な不満や何かに追われているわけでもないけど
だからって、何もなかったことにはできないのよね。
これって心が狭いのでしょうか。狭いですね。

他人はきっというでしょう。
そんな事いつまでも覚えていないで、早く忘れてしまえと
でも、自分の尊厳を壊されるようなことをされた場合、そう簡単には忘れられないのです。

相手の身になって考える。
教育の常套句ですが、いかに至難の技かということも、同時に教えないといけないのではないかと思うのです。

繰り返しますが、毎日こんな事を考えているわけでなく、復讐に燃えているわけでは有りません。
おかげさまで、最近は健康状態も良好で、快食快眠、毎日結構に暮らさせていただいています。
それとこれとは別次元という事になりますね。思い出話として、一つの例え話として読んでいただければ幸いです。



2004年05月25日(火) 2)私の中の妬み・・誰にもあって当然の話。

昨日に引き続き「いじめと妬み」 土居健郎 渡部昇一 PHP

「現代は妬みが消えた。」という、それは妬みという人の気持ちがなくなったのではなく
単に、「妬み」という言葉が使われなくなっただけ。
「憎しみよりも妬みは上。平等が妬みを消すが、全く平等な世の中なんてない。」とこの本に書かれている。
「妬みを無くそうとは言わない。その心が発展に役立つことがあるから、
その妬む気持ちを違う方向にもっていくことが肝心だ」とも

本当に、そうだと思う。
この世は妬みで溢れている。
無くそうなんて無理な話なのも解る「よりよく、なりたい」という気持ちには
何かに比較している気持ちがあるからで、何かと比較してよくなろうという気持ちは生きていく上で必要だから。
昨日と同じで、有るものを無いと教えている「妬み」もその1つ。


妬みと嫉妬の違いは、外国語に訳すとよりわかると書いてありました。
私は子どもの時から嫉妬深い子どもだったと自覚している。
兄弟が1つ違いで生まれたのも関係していると思う。
母親の愛情を独り占めする時間が短すぎたのだと、育児学の本などでも書いてあった。
でも、そんな自分がイヤだったので、がんばって克服しようと思った。

そして、他人から妬まれて、いやな目にあったことも少なくなかったので
余計に、妬むことのいやらしさを痛感して、そういう気持ちを無くしたいと思ってきた。
そして大人になったとき、運は自分に付いて回るという事がわかったので
他人を妬む暇があったら、自分の運をよくする努力をしろ、と思うようになった。

かなり、そういう事が板についてきたかな、と思っているときに
「いじめと妬み」の第2部 第1章「妬みと聖書」でかかれている妬みをあらわすエピソードを読んでまだまだだと思い知る。
「妬む者は自分が妬んでいることに気づかない」らしい。そうかそうなのだ。そして私も妬んでいた。

「マタイ伝20章のブドウ園」の話、聖書の「放蕩息子とまじめな息子」、ルカ伝の「マルタとマリア姉妹」の話しを読むと
職場で怠け者に対して、腹を立てることは、同じ事で、私は怠け者の職場のオヤジたちを妬んでいるのだという事になるからだ。

聖書のブドウ園の話は有名らしいのですが、ブドウ園主が朝から夕方近くまで労働者を雇って、いろんな人が参加した。
夕方近くになって参加した人と朝から働いた人は同じ報酬をもらう約束だったのだけど、朝から働いた人はそれが不公平だと怒る。するとブドウ園主は、「約束通りのお金を支払っている。後から働いた人にもその約束通りのお金をはらってあげたい。自分のしたいようにしてはいけないのか?それとも、私の気前のよさを妬んでいるのか」という話し、

そして、この話しは決して「妬んではいけない」という話しでなく、違う見方を提供しているのだという。
妬むことは当たり前に存在しているから、それをするなというより、考え方を変える。
そして「甘え」が妬みを緩和するから、「甘える」相手を作るという事が大切。
そして「妬まれないように、目立たないよう、慎むことの大切さ」とも書いてありました。
これはとってもよく理解できます。他人は自分が思いも寄らないことを妬んだりするものなのです。

以上のことから、この本や例にあげた聖書は実に建設的なお話だと私は思います。
私も「突っ張っている」「世の中の不正がゆるせない」タイプに分類されるので妬みが強い、というのも納得できるし
職場での不公平には、いつも頭を悩まされてきたので、痛いところです。

少し前まで私は、職場で働かない人に対して、私と報酬が同じかそれ以上もらっているくせに!
と憤りを感じることは多々有りました。ちゃっちゃと働けよ!と思っていました。
でも、今は自力でそういう考えを止める事が出来ました。
いつの頃からか、「雇い主が好きで、仕事しない人を雇っているんだし、私が給料を出しているわけでないのだから放っておこう」と思い始めていた。

仕事をしない人が複数いて、しわ寄せが来るのは辛いのですけど、その人たちのカバーしろとは言われていないし
好きで真面目に働いているのだから、自分のせいであると、今では思っています。
それでも、自分の仕事に影響が出るほどの、ミスやでたらめにはムカっときますけどね。
やっぱりまだまだかな・・

自分の心に潜む妬みを自覚すると、少し生き方が楽になる・・かもしれません。
自力でできない方は、この本でも心理学の本や聖書でも、読んでみるといいかもしれません。
ちなみに私はクリスチャンでもありません。聖書は読んだことないです。



2004年05月24日(月) 「いじめと妬み」 土居健郎 渡部昇一 PHP

「いじめと妬み」を読んで・・有るものを無いという大人に読んで欲しいなあと思った。
いろいろと思い出したり、刺激されたので、しばらくこの本について書いてしまうかも。


かなり以前に、友人の披露宴の後、数人の仲間とお茶していたときに
子育て中の同級生が、子育ての方針をとくとくと語って聞かせて独壇場になっていた。
彼女いわく、食べ物は全部手作り、添加物とか農薬とか危険なものは一切口にさせないのだと言う。
すごいなあ、がんばってるなあ。学生時代にそんなに何かに取り組むタイプに見えなかっただけに感心した。

でもちょっと不思議というか、違和感を感じていた。
私もアトピーで、弱い体質だから、健康や食べ物に関しては普通以上に気を使っているけど
そこまではしていないし、できないだろう。

子どもの為に、全て手作りで通す。これは生半可な覚悟ではなかなかできない事である。
ここでは省くけど、イバラの道といっても過言ではない。
・・でも、だから、この同級生の影響下にはいたくないなあ、と漠然と思った。
無添加・無農薬大歓迎だけど、多分、私はがんばれない。
この勢いで強要されたら怖いよと思っていた。


上記の事を、この本を読んでいて思い出してしまった。
それと同時に連想したのが、戦う場面の出てくる子ども(向け)番組を放送するなという母親となんでも平等にしたがる大人。

この世の中は全然平等じゃないのに、平等だと押しつけるという学校とか
暴力は存在していて、いつ危険があるかもわからないのに、存在しないかのように教え込みたがる大人たち。

もちろん彼らには悪気なんてないことはわかっている。
平和の尊さとか、人間は平等に生きる権利があるとか、そういう当たり前のことを教育したいのだとわかる。

でも、暴力とか不平等がどういう事なのか、わからなかったら、知らなかったら
それらからどうやって逃げればいいのか、立ち向かえばいいのか、わからないのじゃないかと思う。

世の中には辛いこと、悲しいこと。悪い人間、暴力をふるう人、自分に危害を加える人がいる。
だから、危なくなったら逃げないと、助けを求めないといけない。
平等でない故に苦しんでいる人がいて、自分にもイジメや暴力という事が起きるかもしれない。

そんな事、小学生でもわかっているんじゃないの?と思う人が大多数でしょう。私もそう思っていた。
でも、そうじゃないんだということが、考えさせられる。
いじめが原因で自殺した少年の例で、大好きな親に自分がいじめられてるという事実を伝えることが
辛いかもしれないと慮っていた。それは本当にそうだと思う。
「フルーツバスケット」高屋奈月著 白泉社でも、いじめを描いているけど、それと同じことが書いてあった。
私は、親に早々に自分がいじめに遭っていることを伝えたのだが、確かに恥ずかしいし、辛いことだったけど、
誰か赤の他人の口から私がいじめに遭っているなんて、親が知ったらそっちのが恥ずかしいかもしれないと
思い、いわれる前にいってしまえ、というかなり考えすぎなタイプだったから、逆によかったのかも。

そんな私のような特殊なタイプは除外して、
子ども、つまり経験のない人間は、大人が思うほど、危険から逃げたり、助けを求めるタイミングとかわからないんじゃないかと・・。
遠ざけすぎて、なるべく無いように見せないようにしてきたので、著しく、それらの存在が見えなくなり
自分の身に起きている、危険を危険と認識できなくなってしまう可能性があるという事を考慮しておかないとダメなんだろうなあ。

世の中は平等で、暴力もないんだよ。
胸をはってそういえる世界になるまで、それがあることを知らせないと
いざ、そういう目に合ったときに、自分がどんな目にあっているのかわからないと
どういう態度に出ればいいのかもわからずに、悲しい結末になるやもしれないのだと
大人こそが現実を直視して、頭を使わないとダメなんじゃないでしょうか。

温室育ち、無菌状態って本当にいいことなのかな。っと思ったのでした。
もちろん、無添加、無農薬食品は大歓迎なんですけどね・・・。



2004年05月23日(日) 世も末だ。緑チーム応援していたよ・・

昨日の日記があまりにも長いので、今日は短く。

昨日のBS1でJリーグを見た。東京V対浦和
どちらも特に好きではない。というか緑チームのアンチだった。ハズ。
Jリーグ始って以来、あの緑を応援したことはなかった。
だがしかし、平野君は緑チームになってしまったんだよほ。
Jの試合をテレビ中継が少ないので、緑チーム自体見ることが極端に少ないのだが、今年は何度かチャンスがあり、しかも平野くんが出るかもしれない・・
なんだ、ベンチか。またか。と思いつつ見ていたのだけど。
赤チームの田中達也くんの活躍とか、ドリブラー永井雄一郎(某トートより、こっちの雄一郎のが好きだな(笑)、ナイスキーパー都築龍太などを見ていた。
ブッフバルト監督も熱い。濃いイ!

だがしかし、平野君途中出場。そこから緑の応援は始ってしまった。
ああ、ボールの中継している。がんばれ!!
昔のあり〜?という雰囲気は無くなったけど
今のなんだかそぎ落とされたような彼も何故か好きだ。

そしてまだノロイは解けないのか、私の応援するチームは勝てない。
奮闘むなしく、緑は巻けちまいました。
真っ赤のホームスタジアムが見ていて涙を誘います。
せっかく緑チーム応援していたのになあ。。。自分でも必死でさ。
もう少し体調よくなったら観戦しにいこうかしら?なんて考えもしているのにさ。

緑チームを応援する日が来ようよは・・人生何が起きるかわかりません。
長くなってしまった。



2004年05月22日(土) 読書「女性の「オトコ運」は父親で決まる」

女性の「オトコ運」は父親で決まる  岩月謙司 二見書房

スーパー斜め読みなので、読書としていいのかどうか・・・
多分、以前サラリと目を通したのだけど
この本は、その内容があまりにもダメ男とそれを好む女がバンバン出てきて
DV、同棲、見下しあい、セックス、くっついたり別れたりわかれたり、という話題がテンコ盛。
あまりにも自分の生活とかけ離れた内容だった。
私は尊敬できない男性とは付き合えないし、セックスなんて言語道断、ありえない。
この本を読んでいると、世の中の人々はそんなに、簡単にセックスをして
数日後に「おかしい」と思いつつも、ずっと続けてしまう人ばかりみたいで恐ろしく思えました。
違うと思いますが。

でも、そんな内容だからこそ、著者が書いているよい結婚をする人の条件。
「幸せな結婚をする人は、若い時から必死に恋人を探したりしない。一人で黙々と
人生を楽しもうとする。忘我の境地で楽しめる趣味や仕事をもっているからです。
恋人も欲しいけど、その前にやりたい事がいっぱいあって、生きることが楽しい。
そういう人が恋愛すると、大恋愛で相手の男性は妻を大事にしてくれそうなやさしい人で幸せになれる」
「父親と同等かそれ以上に自分を愛してくれる人と出会うまで、やすっぽい恋愛をしない」

というのが生きてくるし、私自身、著者の言葉を信じたいですよ。
でもそうやって「負け犬」が増えて行っている気もします。
そして私は周囲から「理想が高い」と糾弾されるのです。
そして、それは単にモテないだけなのでは・・と思われてるかもしれません・・。

また別の説。
「お父さんのように愛されたい。守られたい=騎士のように守られたい」というのはいいけど
相手に恋人がいても気にしない・・というのはおかしいぞ。気にするつーか許せないだろ。

でも、騎士のように守られ愛されたい(書いていて恥ずかしいのですが)という部分は
実は私の原点はここにあるかもしれません。

私の大好きな本、岩波少年文庫「アーサー王物語」グリーン著のガウェイン卿とラグネル姫の話を読んだのは小学校の事だったと思う。
「アーサー王の危機を救う為、ガウェイン卿は、みんなが顔をしかめるような醜い容貌のラグネル姫と結婚する約束をしたのですが、2人だけになるとラグネル姫は絶世の美女に変わりました。
ラグネル姫は悪い魔法使いのためにそんな姿にされていたのでした。ラグネル姫はガウェイン卿に「昼と夜とでこの姿どちらかを選ぶことができるので選んで欲しいと言う。それは昼間、醜い姿でいて周囲に同情される状況と夜、寝室で醜い女と過ごさないといけないのとどちらがいいかという究極の選択です。
ガウェイン卿は「それはあなたが選ぶことです。あなたが1番辛い思いをしているのだから」と答えました。
すると、ラグネル姫は「これで全ての呪いが解けました」と喜んで言いました。
ガウェイン卿が、ラグネル姫に答えを委ねることが、呪いを解く鍵だったのです。元の美しい姿に完全に戻ったラグネル姫とガウェイン卿は仲良く暮らしました。」

素晴らしい!と思ってしまいましたよ。私は・・
こんなピンチの時にでも、相手のことを思いやれるガウェイン卿のことを。
私もこんな人になりたいだ〜と思ったので、こんな人に守られたい!とはちょっとズレるんですけどね。
でも、こんな人本当にいるのかな〜と疑っているのがアカンのかな(笑)
グリーン版のガウェイン卿みたいな人間に私もなれているのか、甚だ疑問ですが・・
理想の男性像はこの頃にインプットされてしまったのかもしれない。
そしてこの理想像は、高収入、高学歴、高身長などより難しい気がします。
やっぱ理想が高いのか・・・中世の騎士だもんね。そしてそんな騎士に守られる価値のある女なのか、と疑問も・・。

別枠でウケたのが、
「友達と見下し合いの関係にあるかどうか見分ける方法について」
「女の子2人連れを見ると美人同士というのはまずありません。自分よりブスな子だと安心する。」
「あなたがそうなのか、確認するには”あなた、親友の○○子と似てるね”といわれてムっとするかどうかでわかる。
”私があんなブスと似ているわけないでしょ!”と反発したら、見下している証拠です。」には笑いました。なるほどね。
そういうば、美輪明宏さんの本でも「女というものは”あの子は私より美人だけど、頭が悪い”とか思ってる」って
書いているから、男から見たら女性の大半がそう思われているかもしれないね。
でも、本当にそうかしら?

ある知人女性が「一緒に行動するなら綺麗な人と一緒がいい!」と言い放っていました。
何故なら、自分も雰囲気で美人に混ざれるからだ。と本当かどうかわからない説をぶっていました。
でも、私もそう思います。朱に交わればなんとやら、人間も保護色機能がついているのか
綺麗なものに囲まれていると、それなりに綺麗になってきるような気がする(雰囲気ね)
逆な場合もまた然り。それなりになっていく気がする。


いつも一緒に過ごしていると、顔が似るというよりも、話し方、笑い方が、似てくる。
でも、顔の印象の決め手というのは、それに重きを置いているから、自然と似てくるのだと思われる。
だから知人女性の方に軍配があり、「自分よりブスな子だと安心する。」説は疑問。

ブスな子といて安心している場合ではないのです。
自分より(顔だけにあらず)優れている人と一緒にいてそれを手本に向上したいと思うからです。
向上心の無い、今の自分のままでいいと思ってる人は、ひょっとしたら違うのかもしれませんが・・
私は綺麗な女の人が大好きです。(ときっぱり宣言していいものか、いやいい。)
だし先日の日記にも書いたけど、嫌な顔の人といると気持ちがささくれますよ、マジで。ヤダ。

私は「親友の○○に似てる」といわれて、喜ぶことはあっても、怒ることはないといえましょう。
ただ相手がそれを聞いて悲しんだら困るなあ、とは思うけど・・
そうか、私が過去にそう言われて、「そんな事無いよ!」と否定したのは、私なんかに似ていたら
友人が気を悪くするかもしれないだったんだけど「女の友情はそんなもの。」「自分のが美人だと思ってる」
と思うきっかけになったかもしれないですねえ。

そんなこと考えるというか、想像している男性がいることのが驚きかもしれない。
なんでそんなこと考えちゃうんだろう。女性不信なのかしら?と。

でも、私と知人女性が一般女子と違う考えの持ち主なのかもしれないしなあ。
こればっかりは解らないなあ。
でも、「ブスといると安心説」が本当なら、やっぱ女て怖いよねえ。あはは。

話しは脱線したまま終わる。



2004年05月21日(金) 歯磨いたか!歯石とったか?ステインクリアか?

また来週〜とイキナリ終わりそうですが。本日は歯科・後編。
半年に一度は歯石を取り、私の歯は表面がでこぼこしているらしく
すぐに、茶渋がついてしまうので、いわゆるステインクリアに行きます。

歯医者は嫌いじゃありません。だってそこのセンセが好きだから。
先生は今日、とんでもなく、歯のケアをしない中年男性を診たらしく
また一段と熱く、歯のケアが唯一の歯を長持ちさせるための秘訣なのだ!と説きます。

歯に汚れがたまったまま、放置しておくから
結局、歯が悪くなって、治療が痛くなったり、時間かかったりするから
自分で磨く、たまには歯石とる、ステインクリアしてほしいと力説。

まあまあ、センセ。だから私は通っているじゃ〜ん。と
もちろん、先生は私に怒っているわけじゃありません。
私はそんな先生が大好きなんですけどね。いい人だ。
ずっと元気に私の歯の面倒見てほしいものだ。



2004年05月19日(水) 見合い、自分の子誉め・・

先日、気軽にお見合いしてみないか誘われて、速攻で断った。
なんとなくイヤな予感がしたからだ。
勤め先と年齢と家族構成という情報だけでも十分だった。(それらが特殊だったわけでないのですが
なんとなく、その組み合わせでピンと来た。それは私だけの特技かもしれません)
そしてそのお話は別の誰かさんに回されたらしく、その後日談を聞いたのだが
私のイヤな予感は当たったみたいだった。
枯れ木に花を咲かそうとするくらい、まとめるのは無謀に思える見合いだったと知人談。

紹介者の知人の数あるダメそうな話しの中で1番象徴的な部分は
「懸命に自分の息子を誉める母」だろうか・・
それは親しい側である知人を打ちのめすほどの醜態ぶりだったのだと思える。

またか、自分の子ども誉め親。
そうしていつまでも自分の子どもの首をしめるのか!
「他人が誉めてくれないから、仕方なく親が誉めるしかない」とはよくいったもの。
いつまでもやってなさい。つける薬なし。

そんなにセールスポイントをアピールしたいのなら、赤の他人をつれていって誉めてもらうのはどうだ。
友人とか学校の先生とか職場の人とか親が誉めるよりマシだと思うんだけど、どうよ。・・無理か。無理だな。

とにかく、女が変わらないとダメだね。男の子の育て方を変えなくちゃ。
もう今時の母親は息子を猫かわいがりしたり、家の手伝い何も何もさせないような状態ではないのかな。
もちろん、父親が自ら率先して手本になったら理想的だけど、まず無理そうだ。
でも、せめて女が女の首しめることはやめようよ。
「ウチの息子は家事全般、しっかりと躾ました。栄養師の資格ももっているんです。」という誉めならポイント高いんじゃないかな。
ウソクサイ、やさしさを強調されても、ヒットポイントにはほど遠いよ。多分。
やさしさって何よ・・バ○ァリンの半分はやさしさでできている・・・。

女は家事ができて、可愛く、綺麗にしておけ。というのは既に男にもあてはまると思う。
しっかりした、よい奥さんが必要なら、自らもそうあれということか。
家事もでき、身だしなみも、清潔に、美しく整えること。
今まで女性だけが押し付けられていた、事柄を男性もやらなくてはならない世の中になってきたんじゃないかしら?



2004年05月17日(月) エリザベートのインターネット予約・・・

中日劇場の発売日です。
偶然に休みをとっていたので、チケット取りに参加。
ネット予約は今までうまくいったことなかったけど、
電話をかけつつ、ネットもやってみたら、どうにかこうにか予約できました。
それにしっても、1ページ進む毎に文字化けのダメ画面が出て
「戻る」ボタンで戻るしかないのだけど、これがまた怖い。
根こそぎダメになるんじゃないかと・・・
日時を予約して→仮押さえ確認画面→確定画面→ログイン画面(でも実際はログインしない)→申し込み情報→受付画面→カード選択→確定→完了。
だいたいこんな行程を進みます。
しかも左下に「あと10分で確定しないとキャンセルです」みたいな制限時間も表示されるし・・・ひ〜。
本当に大変だったっすよ。

そして10分くらい、仮押さえ画面で既に2階席。
やっぱり「エリザベート」の人気はすごいみたいです。



2004年05月15日(土) 南アフリカ!

2010年のサッカーワールドカップ開催地が決定。
こりゃ〜今度こそ、行けないかもなあ。。。
その前にドイツにいけるのか・・?
まあ希望だけは持ちたいなあと・・・
日本、行ってくれよ、頼むし。



2004年05月14日(金) 月に一回の皮膚科

あまり行きたくないけど、悪化したらもっといやんなので、行く。

行きたくない理由。
・医者が感じ悪い
・激混み

感じ悪いのは、「掻いたね。」と意地悪そうにいうから(笑)
ええ、掻きましたとも、だって少しは書いてしまうよ・・
でもアカンでわかっているけど、無意識なのよ。。。
おでかけと変装で髪の毛下ろしていたら、「髪形悪い」だの「整髪料つけてる?」だの言われる。
毎日、びっちりと顔につかないようにしばってるちゅうねん。ムースとかもつけてへんちゅーねん。
ま、口うるさいけど、もっともなんだけどね。みんなオイラが悪いのさ〜。

激混み・・診察時間前にいくも、すでに20人待ち。1時間30分待つ。
だから仕事終わってから行きたくない。この間、仕事終わってからいったら(5時過ぎ)
8時30分すぎやがった!!
それでも私はいいよ、子連れの人が可哀想。働いているお母さんが子供を連れてこようと思ったらどうなるのだろう。
と思った。子供ってよく病気するじゃない・・大変だよ。病院事情。
なんて自分には関係ないけど、おもっちゃった。
あ〜大変。



2004年05月13日(木) 自分の気持ちを表現する技術、伝える技術があれば

私は人前で話しをすることが少なくない仕事をしている。
高校の頃に、クラス単位でスピーチを順番にする時間があったりしたからか
就職した頃には、そういう事が全く苦ではなくなっていた。
おかげで、友人の結婚披露宴でも本当に何度もスピーチしている。
(それ以上に結婚式に出ているのだが・・)

私はもともとかなりのお喋りだ。小さい頃から「口から先に産まれてきた」と言われてきた。
ちょっとイヤだったけど、本当だから仕方ない。
でも、治したいと思い続けて何十年もたってしまいました。
治したいと思うのは、お喋りがすぎて、失敗することもあるし、
人を傷つけたり、傷ついたりも少なくなかったからだけど・・

仕事やスピーチと単なるおしゃべりは違うのだが
どちらにしても、「話す」には技術があると思う。
その時、その場に似合った話し方。
敬語が使える、ハッキリと発音する、発声するとかそういう事だけでなく。
筋道立てて話す、会話ならその流れを読んで、切らないようにするとか・・

そんな当たり前のことだけでも、実は話すことには大変な技術を必要としているのかもしれない。
と書いていて思った。

漫然と、だらだらと、何の意図もなく話す場合は誰もそんな事気にしていないかもしれない。
友人たちや仲間との会話でも、思ったことを、頭脳を通過せずに、口からアウトプットしているだけなのだろうか。
そういう人のが大多数なんだろうとは思う。
でも政治家や人を指導する立場の人でも、そうして時々大失敗しているから
やはり大多数の人が、何も考えずにしゃべっているのかもしれない。

話すことに無防備というか、努力していない人のなんと多いことかと思う。
私ももちろん、まだまだ失敗することが多いけど

自分の思っていることを、相手に伝わるように話す技術について
もう少し訓練される世の中になったら、暴力とか減りそうな気もしないでもない。



2004年05月12日(水) おじい再び。

おとといのおじいはまだ自分の自慢話を吹いている。
周囲もイラついている。

でも放っておこう。
おじいは「感謝されないと生きて行けない」生物なのだ。
寂しくて死んでしまうように、感謝されるのがパワーの源なのだ。

でも、でもよ。
ここにはお給料もらって仕事しに来ているのに図々しい話じゃない?
お金までもらって、感謝までされようなんて・・・呆れた。

この仕事をするために雇われて、義務を果たす。
プロの何恥じない仕事をする上で感謝されたら嬉しいけど
特に感謝されなくてもいい。でもありがたいことに、よく感謝されている。
仕事だから、当然のことをしたまでだから、照れくさい。
でも、自分の仕事が認められたと実感するので、本当にありがたい気持ちになる。
こちらがお礼をいいたいくらいだ。


でもこのおじいは違うのだ。
全然誰からも感謝されないから、がんばっちゃってアピールするのかもしれない。
悪循環なのだ。
「誉めて!」光線出しすぎなんじゃないかな・・・
だったら、一度、誉め殺しならぬ、感謝殺ししてみたらどうかと思う。
でも誰もTRYしないんだよね。



2004年05月11日(火) 弟が跳んだ日というか落ちた日・・過去の話

今日、自宅前で事故があったらしい。
らしいというのは現場は見ていなくて救急車が来て、小さい子どもが救急車で
運ばれる直前を見ただけで、詳しいことはわからないからだ。
運ばれる子のお姉ちゃんらしい子が泣いているのを見て、また一層哀しくなりました。

それと同時に、私の弟がバイクに跳ねられた日の事が蘇ってきた。
年恰好が同じくらいだった。
自転車で私の後を付いてきていた、私が道路を横切って、弟もそれに続いたんだけどバイクが来ていたのでした。
私がいったん停止しなくてはいけなかったんだと思う。と後から思ったけど
そのときはもうただひたすらびっくりして、高く跳んで放物線をえがいて落ちてくる弟を見つめていた。
一瞬なんだけど、すごく長い時間に感じた。
アスファルトに落ちた弟は、一瞬身動きもしなくて・・
私は目の前の家に親を呼びに走ろうとしたら、弟は歩きだして、泣いていた。
そして音を聞きつけたのか、親たちが出てきて、あとはもうよく覚えていない。
でも入院もせず、怪我もかすり傷程度だったと思う。

その後も私は何度、弟が落ちたところを目撃しただろう。
木から、マンションの2階程度の高さから、川に・・ともう何度も何度も。
自転車で電柱に激突というのも見た。
でも弟はピンシャンしていたのであった。

子どもは本当に何をしでかすかわからない。時に男の子。
親の苦労はいかばかりか・・

今日の事故にあった子とお姉ちゃんが早く元気になるといいなあ。



2004年05月10日(月) 大人げなく怒る。ぷんぷん。

職場のおじいさん(80間近)が親切ごかして
相手を貶めるようなことをしたり、言ったりするのが
も〜たまらんくいや!

でももうおじいなんだから、我慢、我慢。と思いつつ
今日ももうボケてんのか!?といいたくなるくらい
話の筋の通らないことを自慢げにいう(結果、人の悪口になる)

この人と知り合って、7年目だけど
ず〜〜とこんな調子。
エンドレス、自分がいかに人のためにがんばっているか
人のために尽くしているか、喋る。

でもそれがものごっつピントはずれで、いつも職場は窮地に・・
止めようとしても止まらないのだ。
そして「やる!やる!」と立候補した仕事も途中で必ず放り投げる。
ひどい時には証拠隠滅か何かで書類を「なくした!」という。

でもまあ、そんな人をやとって、仕事をさせる上の人が悪いんですけどね。
だからおじいに腹立てるのはやめておこう・・といいつつ
今日も怒ってしまった。ダメダメ。



2004年05月09日(日) かけだし占い師の独り言。

別冊文藝春秋5月号「ニベア」瀬尾まいこ・・
なんだか気になって読んで見たら、今の私にぴったりというか似合った読み物だった。

職を失った主人公が求人広告で占い師となり、最初は占いの本などで真剣に占いをするのだが
だんだん面倒になり、直感で占うようになった。その方がかなり調子よくもなり独立した。
ある日、小学生の男の子から「お父さんかお母さんどちらにしたらいいか選んで欲しい」と
依頼された。今までになかった難問にさてどうする?という内容。

私は直感も結構持ち合わせているみたいだが、この主人公のようにそれだけを頼る占いなどはできない。
でも、ここにかかれている占い師事情は良くわかる。
その人となりなどは、服装、顔つき、しゃべり方などその人が無意識に表現しているものから掴み取れるからだ。
(社会学者のプルデューがディスタンクシオンなどで解明していることに似ている気がする)
あと辺り障りない。、長所と短所なども誰にでもあてはまるように言えるというのも本当だ。
もともと占い師に見てもらいたいという人だから、話しを聞こうとしているわけで、話しは勧めやすいと思われる。

そしてその主人公の占いコーナーに訪れる悩み相談のほとんどが恋愛・結婚というところも分かる。
それらが主人公の言う通り、占いなどを頼らなくても、一般常識にのっとって考えたら、おのずと答えが出ると言う事も。

働かない、浮気する、虐待する同棲相手と分かれた方がよい?という質問の答えなどわかりきっている。
でも、「別れなさい」という答えだけなら、誰でも言える。占い師ならそこから先を考えたいものです。

私自身は、そういった運勢とか恋愛、結婚など未来のことを診るような占いよりも
気学、方位、家相、姓名判断は作用すると思うので、占いというかそういう事は活用したらいいのに、と思う。
相手を変えることは難しいが、自分を動かすことの方が簡単だからだ。

この小説の主人公がいうとおり、占いよりも直感という事を大事にしているのは実は大切なことかもしれない。
最近自分の友人たちを占ってきて、どの人とも縁があるんだなあ、という相性なので、自分の仲良くできる人。
好きな人というのは相性がいいのだとわかってきたから。
占いは、目に見えない「ウマが合う」という事象を統計学として導き出している、気がしないでもない。

勘が働き、自分にとって相性のいい人を見つける事ができる人は占いなどに頼らなくてもいいかもしれないが
そういう勘が働かない人で、人間関係に悩んでいる人は、自分や相手を知るアイテムとして活用したらいいのではないかと思います。
そう勘の働かない人は自分のことも知らないかもしれないからね。知らないというより、見ようとしないの方かな。
未来の幸せは自分の性格や癖などを知ることから始まると思いますし。

話しはそれましたが、瀬尾まいこさんの読み物は面白かったです。
「図書館の神様」で話題になった作家さんというから、図書館、占い師というわけでなんか親近感が湧く。
今度読んでみるかな。



2004年05月08日(土) 自分の子を誉める親orけなす親(=自分誉めな話)

昨日の朝ドラ「天花」で触れた話題の続き。
私は親や祖父母など身内から誉められたことなどない。
でも、私だけでなく兄弟も。そしてうちの家族だけでなく、親戚でもそんな風習(?)ないと思う。

そして、誉めるどころか徹底的にけなされる。けちょんけちょんに・・・
身体の欠点から、服装のセンス、趣味まで、こてんぱんに言われる。よくノックダウンしていた。
自分で洋服を選び始めたときは、いつもけなされるんじゃないかとドキドキしていた。
実際に厳しく言われたこともある。趣味が悪い。安物くさいなどなど沢山。
姿勢が悪いというオーソドックスな事から、膝が出ているとか、腹が出ているとか
も〜頭の先から足のさきまでいろいろ言われる。勘弁してくれ〜とよく思った。

子育て本でいう「誉めて育てよう」な話をみかけると
ちょっとうらやましかったりして・・でも誉めるってどんな風に?
されたことない事はわからないから疑問は果てし無く広がっていった。

そんな環境の中、驚くべきことを以前の職場の同僚に言われた。
彼女は「だらしない」という言葉が似合う雰囲気の女性。
服装、化粧、時間、勤務ぶり、交友関係、話し方、どれをとっても何かいい加減。清潔感がない。
真面目さ、誠実さというものが、ガッキリ欠けていたように思えた。私は当然、その女性が苦手だった。
実は後に知ったのだが、職場全体でもかなり不人気だったらしい。
皆大人だからそんな気配は見せず、私はそれに気づいていなかったりしたのだが。

ある日、そんな女性からこう言われた。
「あなたもきっと親から可愛い、可愛いって育てられたんだろうねえ」という内容を親愛を込めて・・

「エェ!?」ンなアホな。
彼女の意図が全くわからないので、そんな事実はないとやんわりと否定しておき、話を終わらせた。
彼女の断片的な情報と話から推察すると、彼女こそが可愛がられて育った人のようである。
彼女は結構良家のお嬢様で、有名女子大も出ている。
顔もかなり可愛い部類だったと思う・・それゆえに自慢の娘だったかもしれない。
それで両親に可愛がられて、大事にされて大きくなったという事なのだろう。

なるほど、可愛がり、誉めて育てると、モノによってはこうなるのね。となんとなく学べた。

(注・子どもによっては誉めても大丈夫な場合もあります。賢い子は・・多分。)
しかし、彼女が私に同志?的なニオイを感じたのは、よくわからない。
いや、私がきっとマイペース(わがまま)で、気楽そうに見えたからだろうとは思われる。
職場でも随分とエラそうにしていたしな。

でも、あんまりけなすのも酷いと思い、1度親にそれを訴えたことがあるのだが
「誉めるのは他人に任せればいい、誰も誉めてくれない子どもは親が誉めるしかないんや!」

「エェ!?」なんなの、その自信は・・・・。
我が親ながらその言いきりには唖然、呆然・・・・・・・。

でもまあ、間違ってはいないかもしれない。
親が盛大に「姿勢が悪い!」と愛のムチをくれたおかげで、私はずっと最近まで
他人様から「姿勢がよい」と誉められていた。(最近はそうでもない)
恥ずかしいから書かないけど、他にも親からの愛のムチのおかげで他人から誉められる事は少なくなかった。

でも外では誉められることがあっても、家ではむちゃくちゃ言われるから
他人の誉め言葉を全く信用しない私でしたが・・・「御世辞をゆうてはるのや」と思ってしまう。

さて、どっちがいいのかな〜。それは好みの問題かな。
それに本当に上手に誉めて育てたら、ダメな子にはならんと思うよ。
でもその技術が習得できるか、どんな子どもにでも通用するかという見極めが難しいのだと思います。

結局、自分を誉める話になっているかなあ。
でも、長い間の愛のムチのおかげで、私は自分の良さを肯定できない人間になっていたのも確かです。
20代前半まで、誉め言葉に異常に拒否ってた。やりすぎもいけません。
相手は軽い気持で言っているのですから、大げさに否定したらもっと誉めないといけない雰囲気になったりしますし、
頑なに拒んだりすると嫌味になったり、会話が弾みませんからね〜。
いい大人は、誉め上手、誉められ上手でいかなくてはね。

蛇足:一見、人当たりいいから誉められやすいけど、中身はこんなんで、すぐに化けの皮がはがれる。
つまり誉められるに値しないのと、自分ではよくわかっているので、誉められるとやっぱり汗が出ます。
おほほほほ・・・。



2004年05月07日(金) 朝ドラ「天花」よ・・

物心ついたときからNHKの朝の連続テレビ小説を
短大時代や仕事の時間が合わなくなった時意外は、大抵見ている。
話がつまんない時は時計変わりに見てしまうこともあるが、
面白い時は土曜日休みで朝寝ができても、起きてみたりするくらいハマる。

3ヶ月ごとに変わるドラマにありがちな若い人たちの(狭い世界の)恋愛模様より
幅広い年齢層を想定しているせいか、出演者も多彩だし、
恋愛だけがテーマではないし、15分だけだしなので、結構楽しめる。
伝統的にドジでマヌケでピュア(お人良し)だけが売り物のヒロインが主だったとしても・・・。
でもできたら、相手役の俳優さんが美男だったらもっといいのだが・・・。

「天花」は今のところ、ダメダメだ。

・ヒロインの夢?がコロコロと変わりすぎ。自分探しにしても、主体性がない。
・ヒロインの命令口調(誰に対しても)に違和感。(〜〜しなさい!など)
・おじいさんと恋の話をするくらい仲良し、という設定が急すぎて不自然。
・東京と仙台を、1ヶ月に(下手したら週に)何回往復してるねん?(しかもめっちゃ早く往復できる。)
勤め始めたばかりのヒロインがそんな何度もいけるって・・・?
・ヒロインとその親友が奪い合う彼の存在が謎過ぎる。その恋愛模様に家族総出で関わるのも気持ち首傾げモノ。
・朝から、しかも朝ドラで上記のような事を描くのは挑戦なのでしょうか、キスしたのしないだの。首傾げモノ。
・そういえば、そのヒロインを親の決めたという許婚の彼が、万引したとダマすってエピソードも意味不明。
・片平なぎさと香川照之演じる夫婦も朝からどうも見たくない・・二人はアツアツなのだが、見ていて寒い。
その他いろいろ。
番外で、竹中直人の仕事の量はすごいと思う。市川実日子ちゃん好きなんだけどな・・
石野真子も片平なぎさとライバル役?で出ているのだが、月から土は朝ドラ、日はデカレンジャーで1週間朝の顔だねえ。

とまあ、今までの朝ドラでも「オイ!」とツッコんでた事もあるが(特に地方と都市部に往復する回数が異常)
1番、私の背筋をゾクゾクさせたのは、「家族が主人公・天花を褒めちぎる。」事でした。
他人から天花の事を「綺麗になった」と誉められて、祖父が「蓮の花の妖精みたいだ」のようなセリフがあった。
ゾクゾク・・・てゆーかおじいちゃん、詩人だ・・・
父親とかも娘にぞっこん甘い。それは真実世間でもありそうだが・・でもゾクゾク。

連休中に親戚で集まった時に、朝ドラが放送していたので、そんな話題を振ったら
みていたらしい叔母や中学生の従弟妹たちも話に加わって激しく同意していた。
ひょっとして身内誉め習慣がウチに無いだけなのでしょうか・・・。

世間の祖父母、親たちは自分の子どもを他人に誉めるんでしょうか!?
ありえないわっ。そんなんされたら気持ち悪いよ〜〜〜と思ってしまう。

でも、私の家庭、親戚内が誉めないだけで、世間の大多数が誉めだったりしたら
「天花」は受け入れられる内容なのかもしれないが、どうだろうか。

朝ドラは何年かに一回、びっくりするぐらい冒険に出て失敗するドラマがあるし
最近、視聴率も低迷している(BSと地上波でやっているからという考え方もあり)ので
極端な話を作っているのかもしれないけど・・・
「ほんまもん」の時もかなりすごかったので、途中で見なくなったンだよ。「天花」もダメかな。

BS「澪つくし」再放送を楽しみにしよう。
「はねこんま」「ふたりっこ」「あぐり」「ちゅらさん」はよかったなあ。
癖あるけど「私の青空」もついつい先が見たくなったし
この間の「てるてる家族」とか面白かったなあぁ・・思い出にひたる。



2004年05月06日(木) 雑誌とサンドイッチと特撮

「暮らしの手帖」の別冊「フードプラス」の特集がサンドイッチだった。

私はかなりのパン好き。そしてもちろんサンドイッチも大好き。
いろんな店のサンドイッチを試すのはわくわくしてしまう。
パンや材料にこだわった老舗たちのサンドイッチはどれもこれもうっとりものだ。

残念ながら雑誌の特集はもっぱら関東方面が主流だから、絵に描いた餅ならぬパンなんだけど
それでも、「おいしそうだな〜。いつか東京にいった時に食べられたらいいなあ。」と夢みるのも楽しい。
今回はパンの種類もだけど、チーズの記事も豊富で、リコッタチーズがこれまたおいしそう。
ますますくいしん坊な私は、いつか食べられるかもしれないそれらに夢を馳せるのでした。

もう1つの雑誌。
「ちくま」の最新号は表紙がまた美しい。フジモトマサルさんの絵で、裏には吉田篤弘さんの文章もある。
日本庭園で寅が縁側で巻物読んでいる「寅の巻」というお話。池に泳ぐ鯉もかわいらしい。
この雑誌というか冊子は筑摩書房の本の宣伝だけど、楽しい読み物も載っているので毎号楽しみにしている。
今回も群ようこさんのエッセイに大きく頷いたりして楽しんでます。

それとは別に「仮面ライダーがエントツの上に立ったっ日 テレビ映画監督一代記」奥中惇夫著の紹介が目を引いた。
タイトルのとおりの事なんだけど、その紹介文を読んでいて、そのとんでもない状況にくらくらした。
地上50mのエントツのてっぺんに、着ぐるみを着たまま立つ。
そのワンカットを撮影する時の、状況が書いてあるらしい。「落ちたら死ぬ」

特撮。よく馴染んでいるテレビ番組です。昨日も見ていました。
番組見ていても、メイキングなどを見るともっと・・くらくらする。
昨日もくらくらしてた、昨日の今日なので、特にこの本のことが心にガッチリと食い込む。

子どもの時はそんなくらくらしないで見られたから良かったなあ。
物語を純粋に楽しんでばかりはいられないから、つい高いところから飛び降りたり、回ったり、爆発したりしてるのを見て、「ひゃ〜」と思う。
ぴったりとしたスーツならまだしも、ふがふがしてそうな着ぐるみで木から飛び降りるのを見て(映像では飛び上がるシーンだが、逆回しだという)すごいって思ってしまうのだった。
そういえば、ポンキッキのガチャピンが代表選手なのかな。本当に全く、すごいわ。
そして暑い季節がやってくると、もっと「大変だよねえ〜」とか思ってしまう。
私なんて涼しい格好していても、汗で自分の肌をいためてしまうし、ホコリやらもダメなので
もう見てるだけで、健康そうでうらやましい、などとあさってな事を考えながらみてしまったり。

特撮のことばかり書いてしまったが、この本は他の番組などの撮影にとことん命をかけた人たちのことが書いてあるらしいので面白そうだ。という事で注文してみた。来るのが楽しみです。



2004年05月05日(水) 目的達成・・ささやかですが。

遠出をせずに体を癒すゴールデンウィーク。
実際、洗濯、友人とランチ、宝塚観劇しただけで結構いっぱいいっぱい。
4日はレディースデイだから映画を見に行こうかと思ったのにあきらめました。
午後は久々に、Jリーグの試合中継を見る。ベルディだよ、やっと見られた。
平野君がボランチ?と驚きつつ、チャンスメイクもむなしく、途中交代。
でも前よりずっと調子よく見えてよかったなあ、と。

さらに本日は、借りていたDVDを最後まで見る。
途中からとってもハマってしまったので、もう一回見直したりしたのと
好きになると最終回を見たくなくなる悪い癖が出てごまかしつつ観ていたのだけど、ついに完結。
寂しいけど、本放送の時に最終回を流し見していたので、あきらめはよかったかも。
ああ楽しかった。Sさん貸してくれてありがとう。
おかげで毎日楽しく暮らしています。

しかしだらだらとしている方が、あっという間に休みは終わる。
やっぱり遠出してメリハリつけないとダメなのかな。
でも腰痛もかなりよくなったしよかった。



2004年05月03日(月) 宝塚「スサノオ/タカラヅカ・グローリー!」

またもや舐めきっていた私は、当日券でB席がいいな、と思いつつ
30分前にカウンターに向かうと、なんと売り切れで立ち見しかないと言われてしまいました。
毎日、当日券情報見ていたけど、今日だけはなかったのか・・やっぱり1回しかないから?
帰るのももったいないし、しばらくうろうろ。
そしたら、親切な方がチケットを譲ってくれました。いや〜よかった。

とまあ、そんなやる気というか見る気もない場合のジンクスがまたもや当たりました。
そう、面白かったの。
事前に友人からも結構よかった。と聞いていたのだけど、本当に意外とよかった。

ストーリーは時事問題や現代日本の事情を絡めている風がちょっと辛いのですし
もう二度と暴力は振るいたくない!というスサノオはどうやってヤマタノオロチを倒すのか、
心配になったり、なんか微妙にきわどい雰囲気もあったりで、スペクタクルでした。
・・・そんな全体的な事よりも、人物がかなりよかった!
スサノオはやっと朝海ひかるさんに似合った役なんじゃないかと思ったのです。
最初はあのスサノオを線の細い感じの彼女がねえ、なんて思ったのですが
衣装と鬘が似合うし、すっごく可愛い美少年スサノオなんです!!
ジャンプ系のヒーローで、母性本能くすぐる感じです。
ずっと見ていたい〜と思ってしまいました。

それから噂のアオセトナの水さん。妖精国の騎士の闇の神族・第二王子(マニアな説明)と
いった妖しさと怖さでこれまたもっと見ていたいなあ、と
その他、月読も美形、アメノウズメは中性美人。アマテラスは小林幸子風等など楽しめました。
イナダ姫の舞風りらさんも今までで一番可憐でトップ娘役にふさわしくよかったですなあ。

ショーの方も初舞台生のフレッシュでキビキビいつもの1.5倍ラインダンスと
90名のラインダンスで、綺麗な脚線美がズラリと素晴らしかったです。
綺麗な足はいいですね〜なんてオヤジみたいなこと書いてみたり。

ロマンチックあり、バックヤードあり、ダンディーあり、謝珠栄先生もあり(多分そうだろう)
私的にはかなり好みのショーでした。
デュエットダンスも可憐な2人で、あ〜いいよね、こういうのがとうっとり。
舞風さんはヒールの高い靴はいていても、朝海さんと丁度いいのです。

あと水さんの歌う場面も印象的でした。薬師丸寛子の歌を歌っていたのも変わっているし、
前後のつながりはないのがもったいないなあ。
でも水さんはやっぱりインパクトあるなあ。
とても楽しいひと時でした。



2004年05月02日(日) 計画ちゃくちゃくと・・・

今年のゴールデンウィークは日ごろの疲れを癒し、家事を片付ける。
が目標だったのですが。
昨日はだらだらしていたので、本日は朝から冬物の洗濯と掃除。
順調に進む。

午後からは三宮。北野ホテルのランチvv
すっごい久しぶり、予約しないと行けないし、結構歩くからねえ。
ああ、それにしても新緑の季節で、オープンテラスで雰囲気も最高!
そして料理は相変わらずおいしかった。
デザートも時間が遅かったせいか、種類が少なめだったけどおいしかった。
また行きたいものだ。



2004年05月01日(土) 休日は休日らしく

なんと昨夜はというか朝までチャットしてしまった。
私も結構体力あるな。嬉しい。

ちゃんと普通に起きて、「澪つくし」も見たし。
でもちょっと二度寝。そして、一日中ゴロゴロ。
でもこれがよかったみたいで、体がすっごく楽になった。
私に足りないのは、このゴロゴロだったのか。
去年も病で寝たきりだったけど、そうではなく、普段もきっちりゴロゴロした方が体にいいかもしれない。
でも休日が少ないから、そうもいかないんだけどね。

西野流健康法を呼んでいると、忙しくても疲れない体、忙しい方がよい、との項目があったけど、
それだけは、ちょっと・・・私には無理と思っています。
でも、心知体の健康が整ったら、あるいはスケジュール帳が埋まっていても平気なのだろか・・。
今はとにかく無理。のんびり、ゆったりは必須です。


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