言霊

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2002年03月30日(土) ◇ 自分の居ない自分の場所

自分が「必要とされている人間」なのかどうかを試したくなる瞬間がある。

例えば自分が消えてしまったら、どれほどの人が狼狽え、寂しがってくれるのか。
それとも全ては何事もなかったように回り続けるのか。
もし後者であるとすれば、自分がその場所で頑張り続ける理由なんてないじゃないか。
そんな風に思ってしまうことがある。

ところが、本当に必要とされている、本当に頼りにされている人間が消えた時は
たいてい後者の反応が出るのだ。
そう。本当に存在感のあった人間が消えた時、その場所は何事もなかったかのように回る。
暗いムードになったり、嘆き悲しんだり……そんな反応は、まず出ない。

なぜならそこでその人を待ち続ける人達も“心を持った人間”だから。

本当に大切だと思う人が消えた時だからこそ、自分を見失う暇なぞないのだ。
何かどうしても“その人”が必要となった時は、心の中に住む“その人”に問いかける。
そしてきっと彼なら彼女ならこうするだろう…と思う。
そういう“自分”が残せるかどうか。要はそういうコトなんじゃないか。

存在するだけで空気を柔らかくしてくれる人がいる。
その人が消えた時は心が優しくなる。その人の居ない所で争ってはいけないと。
存在するだけで空気をピリッと引き締めてくれる人がいる。
その人が不在の時こそ、しっかりしなくてはと思う。

ポッカリと抜けた穴が大きいほど、必死でその穴を埋めようと思う。

だから“自分の居ない自分の場所”は見ない方がいい。
ちょっと見たくらいじゃ解りっこないし、
そこで落ち込んで「自分なんか」と思ってしまうのは
必要として大切に思ってくれる人達に対して、あまりにも失礼なハナシだから。

不安を他人に埋めてもらおうなんて考えちゃイケナイってことかな。
それでもたまに、立ち止まりたくなったりはするけどね。

2002年03月26日(火) ◇ いい時代じゃない

良い時代じゃないと囁く声が聞こえる。
確かに頷ける面もあるけど、どうだろう。私にはこの時代が生き易い。
この国の価値観は崩壊してしまった。
皆が盲目的に信じていた真実は、もうただの幻でしかなく。
誰もが自分にとっての「意味」を探して生きている。幼い子供ですら。

ぬるま湯のプールで泳ぐように、自分の体温でボーッとするのも、たまにはいい。
毎日だと手足が腐ってくる。
裕福な時代というのは、そういう時代を指すのだろう。
皆が自分の感覚を麻痺させて、社会のやり方に「右へ倣え」で、余計なことは考えず……。
馬鹿馬鹿しいと言い切ってしまうことは、その時代を生き抜いた人への冒涜だろうか。
だけど自分なりに頭を使って辿り着いた答えを
「模範解答とは違う」という理由でバッサリ切り落とされるような、そんな時代に同情票はない。
模範解答をせせら笑う自由があるなら、その方が素敵な時代だと思うんだ。
考える自由、言葉にする自由、笑う自由、唄う自由。
大切なものは揃ってる。
大量生産で統一された服を着ていても
大量生産で無駄に溢れた常識なんぞに縛られるより、よっぽどマシだ。

たとえこの時代が「最悪」だったとしても、絶望してしまうのは弱すぎる。
良いか悪いかは別として、私たちは此処に辿り着いた。
あるいは流されてきた。
なににせろ、この場所が現時点での自分。ラッキーかアンラッキーかを決める自由も此処に在る。

できることはあるんだよ。誰にだって。
影響力のない人間なんて存在しない。そう思い込んでる奴は腐るほどいるけどねー。
だから自分の周囲を幸せな方向に変えていけないハズがない。
自分じゃどうしようもない……と項垂れるのは、自分の弱さに甘えているだけだ。
自分で幸せになれないヤツが、周りをも引きずり込んで闇になる。
空が暗いのは自分で雲を呼んでるせいだと気付かないで、嘆き続けてる。

そんなヤツに「時代のせいだ」なんて言ってほしくないね。
この時代が可哀想だ。


♪いい時代じゃないと ささやきかける大人達
 僕達は今 この時代しか知らない

 BORN TO SKIP / 渡辺美里 - 1987 album-BREATH

2002年03月14日(木) ◇ Specially

前回の「ことだま」で触れたが、私は素材屋が好きだ。
イメージに合う素材がなかった場合は、もちろん自分で作るけど。ほとんど借り物。
それはオフで本を刷る時にも言えることで。
挿絵は自分でつけてもいい。気が向いてイラストを描いている時は、実はかなり楽しいし(笑)
だけど自分でやるよりよっぽど上手に書いてくれる味方が、幸いなことに沢山居る。
今も進行中の本を長〜〜いスタンスで作ってくれている相方もいるし(いつになるかな/汗)
いつか一緒に本を作りたい絵描きさんもいる。
過去に作った「ふたり」や「歌姫」の絵描きさんも、私の大切な友達だし。

自分でやるのが面倒臭いワケじゃ、ない。……全くないとは云わないが(笑)
本当のことを云うとシンプルなのが好きな私は、イラストなんてなくていいのだ。素っ気なくていい。
ネットにしてもそうだけど、文字だけで伝えられないようなものなら書く意味はない。
余計な装飾は活字のイメージを壊しかねないので、実はあまり好きでない。

じゃあ何がやりたいんだって。

ギブソンのギターに一目惚れして、弾けもしないのに楽器屋に通い詰めた上
弾けもしないのにバイトをして購入したヤツがいる。
彼はそのギターのために、ギタリストになった(笑)…実話。
弾けるようになりたいから買ったわけでもないし、ギターを弾きたいから買ったわけでもない。
そのギターに出逢って、弾きたくなったそうだ。

ただの一度も、小説を書くから挿絵を探す……なんてマネをしたことがない。
その人の絵だからイラストをつけて欲しいと思う。私は単純に、その絵描きさんのファンなのだ。
だからちょっとくらい背伸びしてでも、その人と一緒に仕事がしたいと思う。
もっと云ってしまうと。
その人に絵をつけてもらいたいが故に、小説を書いたりする(笑)…実話。

web素材にしても、その素材やさんを見て回った時に「好きだーっ」と思っちゃってる。
CGIにしても「この掲示板かわいい〜♪」なんて思っちゃってる。
使いたいが故に、面倒臭いページデザインを考えたりする(爆)…実話。
リニューアルがやたらと多い理由は、この辺にあると言っていい(笑)


これは小説やインターネットだけの話でもない。
実力があるのに、それを出し切れずに「普通の人」をやっている人を見ると…
表舞台に引きずり出したくなる( ̄− ̄)ニヤリ
スゲーお節介なのは知ってる。幸いなことに「大きなお世話」って怒られたことは、一度もない。

特別な人間がいるんじゃない。
自分の魅せ方を知ってる人がいるだけだ。

そして、自分の何処が“スペシャル”なのか気付いてない人が沢山いる。
磨けば光ると簡単にいっても、どこをどう磨いたら輝き出すのか見つけるのは容易いコトじゃない。
まだアチコチにふらついて“スペシャル”になれていない人も多いけど(若いウチはね)
それは自分にとってのスペシャルの種を増やしている時間だから、大切。
蕾がなきゃ花は咲かないし、実もならない。
ま、諦めさえしなきゃ幾つになっても増やしていけるモノだけど。咲き急ぐ必要もないだろ。

普通に生活してる誰かが、実は全然「普通」なんかじゃなくて
物凄くスペシャルな人だと知ると、ビックリするし焦るし色めきだつ(爆笑)
スゲー! 誰かに教えたいっ!! カッコイイ〜〜!!!
心がはしゃいで止められない。
だけどその人のスペシャルを輝かせる“表舞台”は、簡単には作れない。
難しいね。だけど諦めたくないね。
プロデューサーがチヤホヤされる時代なんて、あんまし好きじゃないけど(変だろ、やっぱ)
そういう人達がこういう気持ちなんだとしたら……物凄〜〜く、共感を覚えるよ。
シンデレラにはなりたいと思わない。ドレスは自前で用意します。カッコ悪くても気になりません。
ええもうこのさい灰だらけの普段着でレッツゴー(≧▽≦)ALL OK
だけど魔法使いの婆さんには、なれるもんならなってみたい!!!
ネズミを馬に。カボチャを馬車に。そして美しい灰かぶりの娘を舞踏会に。
はぁ〜〜。これぞまさしくロマンだわ!! 素敵!! マイフェアレディだ、男の夢だ(あれ?)

小さなスペシャルでいい。
自分にとってそれはモノ書きで。他は上手くいかなくても、あんまし口惜しくない。
上手く伝えられない時は異常に口惜しい(笑)
だから書くだけでいい。周りには物凄いスペシャリストが沢山いる。あとは発掘していくのみだ。
いろんなジャンルの“凄い人”にいっぱい刺激されてボコボコにされて顔を上げたら
きっと今よりデカくなる。スゴくなる。きっと今より。
だからこそ、尊敬できる誰かに沢山出逢いたい。尊敬しちゃう瞬間を、この目で見たい。
そして自分のことのように、みんなに自慢して回りたい。

コイツ、スペシャルなんたぜーー!!(≧▽≦)  ってね。

2002年03月06日(水) ◇ Love Song

思うより沢山の人に心配していただいた。
いや、申し訳ない気持ちは腐るほどあるのだけど……正直、嬉しい(笑)
弱くなってみると思わぬ所で愛を感じてしまうね。
一時的であれ、どんな形であれ、心の中に私を入れてくれてありがとう。
お礼して歩くのも変なので、ここで感謝させてね。

さて。今回はそれとは違う話を。
コレ以上引っ張ると、ネタ切れしたのか@サボテンという声が痛いので(笑)


突然だが私は「幸せなLove Song」が好きである。

なんのこっちゃか解らない人は、恋愛を題材にした歌を10曲くらい思い出して歌ってみてほしい。
その中の何曲が「恋とは幸せなものである」と教えてくれるだろうか。
上手くいったりダメだったり、もどかしかったり切なかったりする。確かにそれが恋だけれど。
それでも想いを抱きしめる時は泣けちゃうくらい幸せで。
それを失いたくないから失恋は厳しいし。
もっと大きな幸せを求めるから片恋は切ない。
なのにこの世に溢れるLove Songは、辛くて痛くて不幸なのばっかりだ。

相手の幸せを祈る時が、一番幸せ。そして苦しい。
自分では絶対に守れないと知っているから、恋をしている時はずーっと苦しい。
苦しいのが気持ち良い。こう書くと、まるでマゾみたいだが(笑)
傷みも切なさも苦しさもひっくるめて、気持ち良い。
そういうのを「しあわせ」っていうんじゃないかと思う。
で、その幸せを……相手を想う痛みを、恋って呼ぶんじゃないかと。

自分を愛してくれたら、それはなにより素敵なこと。
だけど、たとえ手が届かなかったとしても。たとえすれ違ってしまったとしても。
それはそれだ。
恋は結果論じゃない。痛みに我を忘れて一番幸せな部分を忘れてしまう人が多すぎる。
手に入るはずのないものに手を伸ばして、地団駄を踏むでない(笑)
人の気持ちは所有できない。
そんなの「空気が全部自分の物にならない!!」って怒るよーなもの。
見つめてほしい。見つめていたい。
たとえ一瞬でも目が合ったら……その瞬間こそ、永遠。

そんなわけだ。
誰かを好きになったら、その幸せを共有できるLove Songが欲しくなる。
切なさも苦しさも共有できる、幸せなLove Song。
ごまかしや憧れじゃないリアルなシアワセを歌ってくれたら……。
ちょっとくらいの不幸なんて軽く飛び越えられる。生きていることが有り難くて泣ける。
生きててよかった。貴方に逢えてよかった。
心から叫んだら、きっと越えていける。どんなに強い逆風も、足下を揺るがす大地震も。

“貴方に笑顔が戻りますように”

祈りで救えるのは、自分の心だけかもしれないけれど……。

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