ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL】
05/16/03 旅行記のグランドキャニオン(南と北)、フォーコーナーズ、ニューメキシコ州(北部と中部タオス、サンタフェ、アルバカーキー)
04/27/03 写真館の1997アメリカ横断の旅
04/27/03 旅行記の1997アメリカ横断の旅
04/02/03 033103 Poppy field forever ケシの花
03/31/03 032103 anti-war/戦争反対デモ
03/15/03 生活のハンバーガー部門を
- 2003年11月30日(日) 平賀源内 =Mr. Gennai Hiraga=
東京の両国にある、江戸東京博物館に行って来た。
その理由は、平賀源内展が、あったからだ。
この平賀源内という人は、think differentの人だったらしい。
マックな人だったのだろう。
この人の肩書きは、発明家、生物学者、鉱物学者、蘭学者などと、
山のような肩書きがある。
自分に素直に生きていた人というのが印象的である。
この人がいなければ、江戸時代の風俗が変わってしまうというほどの
影響力があった人であったらしい。
虎死んで、皮残す、人死んで、名を残す
そんな中国の言い伝えを実践した人ともいえるかもしれない。
- 2003年11月28日(金) 天気 =UNDER THE WEATHER=
なんで、こんなに雨が多いのだろうか?
通勤に、原チャリを使っていると、雨は、大変不都合だ。
だから、テレビの天気予報を朝晩見る癖がついた。
今のところ、朝と夕方に苅テけ持ちで仕事をしているので、原チャリでの移動は、電車よりも便利。
時給の仕事なので、雨に打たれて風邪をひくより、高く、時間のかかる電車を選ぶこともある。
それと、こんなに、日本の冬は、寒いのかと、改めて痛感した。
- 2003年11月25日(火) 欠如 =lack of ...=
自分が、11年間、アメリカに住んでいたことが、
日本に戻ってきて、その時間が、欠如していることが、
重要だと、最近、気づいてきた。
日本語もちゃんと話せるし、顔も日本人。
あたりまえだけど。
だからこそ、今まで、自分のことを知らない人は、
にわか批評家となる。
表面だけを感じ取って、ああだ、こうだいう。
LAから、帰ってきて、すぐに友達にいった。
俺は、基本的には、なにも変わっちゃいない、
だけど、昔から、少しおかしいと思われるところがあった。
それは、アメリカ帰りだからで、全て片付けられていくんだろうな。
本当にそうなった。
俺は、11年間、自分に投資をしてきた。
だけど、いまは、それは、失った11年間のようなきがしてきた。
今は、外から見た日本。
内から見た日本。
と、いうアメリカに行く前では、
考えられない二方向から、ものごとをみるようになった。
別の言い方をすると、○に見える。
それは、本当に○なのか?
下から見たら?
横から見たら?
それは、球だった。
と、いうこと。
まあ、帰国後の1年間は、日本の生活に慣れるように
すると考えている。
で、その答えは、いつでるのだろう。
- 2003年11月24日(月) 一ヶ月に一度 =once a month=
夕べは、友達二人と飲んだ。
一人は、幼馴染の床屋ともう一人は、動物のお医者さんだ。
床屋は、ガキの頃の写真を見れば、必ずといっていいほど、
一緒に写っている奴だ。だから、あまり会わない従兄弟達よりも、
家族の絆を感じる。
もう一人の動物のお医者さんは、小学校の頃から一緒だ。
だから、二人は、俺のことをよく知っている。
それと同時に、俺も奴らのことをよく知っている。
アメリカに行っている期間を含めても10年会っていなくても、
ガキの頃と変わらずに、気取らず、
見栄を張らずに話を出来る友達が、いることに感謝している。
だから、一月に一度は、交流を深めていきたい。
しかしながら、床屋は、胃潰瘍気味だ。
一人立ちしてから、一人で店を切り盛りしているからだろうか。
昼飯を満足に食えない日も多々あるそうだ。
動物のお医者さんも、一人立ちをして、東京都下の多摩湖のそばに
自宅兼診療所を構えている。
たいしたもんだ。
しかし、従業員を3人抱えているせいか、
その従業員を養うために、従業員を雇えば雇うほど、
仕事の時間が増えていっているそうだ。
だから、運動する時間がないと、言っている。
実際に、奴の体脂肪率は、見たところ25%を越えているだろう。
歩くことも出来ない。晩飯を買いに、道を挟んだコンビ二にも、
弁当を買いに行くことがしんどいことも日常だという。
飼っている犬の散歩にもいけないほど疲れているそうだ。
そんな奴らの話を聞いて、負けられない。と、思っている俺。
そして、なんとかして、70、80になったときでも、
そいつらと一緒に、今と変わらずに、杯を酌み交わしたい。
そいつらといるから、がんばれる。
シャカリキになって、やつらに、追いつかなければ。
- 2003年11月08日(土) 東京タワー =tokyo tower=
仕事に、このごろ、原チャリで行く
この文章は、正しくない。
通勤には、原チャリを利用している。
今、住んでいる蒲田から国道15号線を北上して、一国を使い
246に出る。
その際、東京タワーを道しるべにしている区間がある。
蒲田から麻布までは、通勤時なので、昼間。
だから、白と赤の東京タワーが見えるのは、北側。
で、麻布から、一国を右折するときの東京タワーは、電光が輝いている。
でかいよね。
この東京タワーが、個人の持ち物って、知っていた?
よく公共の電波とか、いうじゃない?
違うよ、個人の電波じゃん、って思うよ。
違うかな?
あと、電波は、見えない光だから、
有害なものも発信しているかもね。
http://homepage2.nifty.com/sorciere/odiary/space.html
の「不可視光線」を参照
- 2003年11月06日(木) 日能研 =nichi nou ken=
東京に戻ってきてから、電車に乗る機会が増えた。
いやいや、電車賃は、高いね。
だけど、移動範囲が拡がるからしょうがないのかね?
でもさ、企業努力は、していないよね。
だって、住民を乗せている割には、立体交差は、
さらに、公共の費用を用いるしさ。
鉄道事業用に取得した土地で、駅ビルを建てて、
賃料を取るし。
そんなんどうよ?
で、電車に乗ると、車内の広告が、目を引くね。
特に、日能研を探してしまう。
アメリカに住んでいるときに、何回か日本に帰ってきたときに、
その広告を見ていても、問題が全く解けなかった。(笑)
特に算数の問題。図形の問題は、難しいね。
小学生が、あの問題を解けることが、おかしいと思った。
でも、短大で、平面幾何学をやってから、
時間がかかっても解けるようになった。(笑)
やっぱり、勉強って必要だな。って、思うよ。
と、いうよりも、その勉強を実生活に活かすことが大切だよね。
物理や科学系の理数系は、全く苦手だったけど、
日常生活のあらゆるところに出てくるよね。
学校で、勉強しなかった分、知識を得る努力が必要になると
痛感する今日この頃です。
- 2003年11月05日(水) 分かれ道 =forked way=
悩んでいる。
経験を活かした職種に就こうとしている。
で、それを助けてくれる人(人材派遣の担当者)が、しっかりしている。
頼もしい。
一週間に一度、その人と会うんだけど、
その度に、新しい情報。そして、自分の安定した仕事に就くための
意見を教えてくれる。
で、約2週間前にBINGで、見つけた企業に面接をした。
今日、担当から連絡がきた。と、いうよりも、
伝言が残っていた。
連絡欲しい。と。
で、それは、新しい職種。業界。
月給は、40万
迷う。
だけど、一年契約方式なんだ。
不安だよね。
やっぱり、経験を活かした方がいいかもしれないね。
どうだろう?
- 2003年11月04日(火) 深夜番組 =midnite tv program=
なんだか知らねーけど、金貸しのテレビ広告が多いね。
○富△のそれなんか夜中しか見なかったけどな。
その当時も、もうかっていたらしいけど、
それでも、その業界は、後ろめたいって、
胸を張っていられないって、自分の眼には、映っていた。
なんで、こいつら、踊っているのか?
つまり、宣伝出来る時間が、トライ・アングル・ブルーを
やっていた時間帯だけだったんだよ。
で、予算もないから、おねーちゃん達を集めて踊らしておけ!的な、
真剣味に欠けるものだった。
それが、まだやっていることに驚いたし、あの金利の高さにも飽きれる。
なんだかんだ言っても、大手銀行も、同じようなことしているし。
なんか誇りがねぇーよ、みんな。
で、てめェの尻拭いも出来ない奴等が、増えたんじゃねーかな?
- 2003年11月02日(日) 展望 =prospect=
アメリカから帰ってきて、ようやく見通しがついた。
職歴通りの仕事につくことを決めた。
今回は、自分がアメリカに渡る前に働いていた
ホテルの先輩が紹介してくれた人材派遣会社が、
とてもよい。
でも、その人材派遣会社の人は、
自分のアメリカでの経歴及び、英語が話せることが
最大の武器と言ってくれている。
まあ、なにはともあれ、その人は、45歳前には、
1000万円の年収になりますよ。
と、言っていた。
目からウロコだけど、信じるものは救われる。
今まで、よめさんにも苦労かけたから、
これで、少しは、ラクになるぞ。