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ニュー父方の、私のひいばあちゃんにあたる人が亡くなった。
なので、金曜の夜か、土曜の朝一で大阪に帰ります。


前に大阪に帰っていた時に、ニュー父に、
「ひいばあちゃん、もうだいぶ年(九十いくつだったと思う)だし、いつ死ぬか解らんから、会っといた方がいいかもな。葬式で初めましては、寂しいやろ。」
と、言われていたのに、私はニュー父方の実家に泊まるなんて、遠慮しまくって気疲れしてしまって嫌だよぉと言って行かなかった。
ニュー父の言うとおり、寂しい事になってしまった。
会いに行ってあげればよかった。
後悔しても遅い。
こればっかりはもう、遅いのだ。
取り返せない。


来月の三日に、母方の祖母の一周忌をするので、もう、それまで、そのままいれば?と、母はいった。
そのつもりだけど、私は、なんだか気が重くなった。
私の大好きな、この素晴らしい季節に、お葬式の為に大阪へ行き、一周忌の為に大阪に滞在すると言う事に。
「しめっぽくて嫌!」とかではなくて、いい季節なのに、身内が二人も亡くなってしまって、残念だと思ってしまう。
折角の秋を、楽しんでから逝けば良かったのに。
そんな事いい出したら、冬には冬の、春には春の、夏には夏のよさがあるのだから、いつまでたっても逝けないが。
季節を愛でて、逝くに逝けないという気力が尽きた時に、人は死んでしまうのかもしれない。
結局の所、人が亡くなると、季節の事まで残念に思ってしまうんだ。
「あぁ、次は、お婆ちゃんの好きな、おじいちゃんの作ったみかんが食べれる季節だったのに。」
なんて。


楽しみにしていた乗馬もキャンセルした。
人が亡くなる時は、いつだって人の都合なんて容赦なく無視される。
当たり前だが。
母方の祖母が亡くなった日だって、11月6日。私と叔母の誕生日の前日である。誕生日に追悼式だった。
いつもは、従姉妹がケーキを焼いてくれたり、叔母とプレゼント交換をしたりするんだけど、この日はもちろんそんな事をしている余裕はなく、「おめでとう」の一言も言えない誕生日だった。
きっと一生忘れられない誕生日だろう。


初めてお会いするのが死に化粧が施された、綺麗なばかりの顔というのが、本当に後悔である。
とにかく行って、
「ごめんなさい」
を言ってこようと思う。
2002年10月17日(木)

肉塊

私は彼のペニスを想ってマスターベーションをした。
私のヴァギナに挿入されるあの逞しい肉塊。
その堅い弾力を想うだけで、クッと甘苦しい気持ちが湧き上がる。

しかし、私は想像の中で、彼の足の間でなく、自分の足の間についた彼のペニスを懸命にマスターベイトしていた。
その時、彼のペニスはもう、彼の一部分ではなく、私の一部分だった。
彼のペニスでなくても良かったのかもしれない。
ただ、一番記憶に新しいペニスが、彼のペニスだったというだけなのかもしれない。

私はペニスが欲しい。

それは、男性というものになりたいという事ではなく、ただ、自分の体の愛しい一部分として欲しいのだ。
あの、信じられないほど堅くなる熱い肉塊を握りこんで、自分の好きなようにしたい。
それで、彼を攻めてやりたい。
ねじ伏せて、無茶苦茶にしてやりたい。

そう思ったところで絶頂に達した。






彼が私に体を沈める時、
私はいつも
彼をうらやましく思う。




2002年10月09日(水)

宝物 / リカ

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