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2004年11月27日(土) 大阪記ふたたび

こんばんわ。ゆみなです。
いやぁ〜驚いた。
何が驚いたって、一週間途切れることなく更新されたことに「たまげーた」である。
ここで私が書かなかったら二人に何を言われるかわかったもんじゃない。
それでなくても最近のるるはうるさいのだ。
すぐに「書けええええええええええええ」とメールが飛んでくる。
それも私の日でもないのに来るのだ。
いいかげん、順番覚えろっつーの!

で、だ。
あゆとるるの日記を読んで分かったことだが、どうも二人とも私が書いた「駅弁物語」が不服のようだ。
なので今日はもう一度大阪でのことを書こうと思う。
これでいいんだろ?あゆ、るる。

って、やなのかよ!
早く忘れたいのかよ!



くどいようだが私は大阪であゆと会って来た。
「大阪でくどい顔のあゆと会って来た」ではない。
駅弁の話を書いてしまったために、まるでメインは駅弁のように思われてしまったが、
メインはあくまであゆである。
「メインは悪魔のあゆ」ではない。

しかし、本音を言うと大阪でのことを思い出そうとしてもあまり思い出せないのだ。
たとえばあゆが方向音痴でもう何年間も通い続けてるバーに行くにも、
いまだに不安げで周りの景色を確認しながら行くとか、
私が泊まるホテルに自信満々で連れてってくれようとしてくれたまでは良かったが、結局道に迷ってホテルに電話したことなんか全然覚えてないのだ。


翌日はあゆの家族と行動を共にしたのだが、
あゆが次女に「リナちゃん。そろそろ髭、剃ろうね」と話しかけ、次女もなんの違和感もなく「うん」と答えていたこととか、
あゆの家の玄関扉に鳩がずーーっと止まっていたらしく、あゆが扉をそっと開けても鳩は逃げる気配も見せずにまるで置物のようにそのまま扉の動きに合わせて鳩も移動したという話を聞かされた時、
長女が顔色ひとつ変えずに
「鳩も思うところあったんやなぁ・・・」とボソッと呟いたこととか、
超ミニスカートのギャルを見た長女が「パンツ見えるでぇ」とおっさんのように囁いていたこととか、
大阪城から車に戻ったとき、思いきりフロンガラスに鳩の糞を付けられていても、あゆ夫婦は
「あ、糞だ」と言ったきり、拭こうともせずに糞だらけのまま発進してしまったこととかも、必死に思い出しているのに、糞の数が少なくとも5個くらいあったことくらいしか思い出せないのである。

あゆは「投げやり」「捨て鉢」な人と思っていたが、
あゆ一家の中では、それはごく当たり前のことなのだ、と改めて知らされた今回の大阪旅行だったなぁ、
などということが、やっぱり思い出せないので書くことが出来ないのである。

やはり駅弁のことなんか書かずにすぐに書くべきだったと後悔している。
あ〜、ほんとに何も思い出せない。
あゆがバーでカクテル8杯飲んだことも、イワシのオイルサーディンがめちゃくちゃ旨かったことも、お昼に食べた麻婆定食セットにはミニラーメンと唐揚げと杏仁豆腐がついていたことなんかも見事に忘れてしまっている。

参った参った。









2004年11月26日(金) たまげーた

日曜日から連続更新記録中です。
珍事です。
「ちんごと」と読まないでください。
こんばんは。あゆです。

はっきり言って今日はネタはない。
とりあえず「です」「ます」調はやめにした。
なぜなら投げやりな感じが出ないからだ。
ワタシが投げやりな感じにこだわるには理由があるが
それは今は明らかにしない。
もしかしたら読んでいくうちに明らかになるかもしれない。


さすがにるる。
ネタはなくとも息子3人。
しかも恒例の真夜中の更新。
書けぇぇぇぇ書けぇぇぇと人に言い続けた手前、
「書けばいいんでしょ。書きますよ。ええ、書きましたとも」
という感じが出ててなかなかるるらしくてよろしい。

でも
豆乳ドリンクですって?
それは豆乳ドングリとは違うのか。
多分違うであろう。

何を隠そう、尻は臭そう、
ワタシも豆乳を飲んでいる。

それも4ヶ月くらい毎日飲んでる。
キウイとやらを混ぜたりはしていないが、
調整豆乳を飲み、ごまを食べ、今日もニコニコあるある大辞典なのだ。
でも言っとくが、乳はでかくはなっていない。
腹はでかくなっている。
もともとワタシの乳は、ずれたりとか、
洗濯ができたりとかということはありえない。
が、このところどんどん「たらちね」である。
だからワタシに言えるのは、
豆乳には少なくとも引力の法則に逆らう力はないということである。
それに全然痩せてない。
じゃあ何で飲むのか。

ただおいしいから飲んでいる。それだけである。

とにかくこれからの、るるの「乳成長記録」を
生暖かく見守るのみである。


今日は
るるの豆乳の話にくいついてみた。

それは、
ゆみなの大阪での思い出が駅弁だったこと、
さらにそれをネタに日記を書こうと思ったら
すでにるるに書かれていたこと。
そんなことも若干関係しているのかもしれない。

投げやりなワタシにふさわしい結末ではないか。
それにこの短文。
まさに あゆ降臨 って感じ?
例によってそのワリには全然面白くないわけだが、
とにかく書いた。
「書けぇぇぇぇぇぇっ」
て言われる前に書いたのは何ヶ月ぶりだろう。

なんとなくしてやったりだ。
誰に対してだ。





2004年11月25日(木) 脱!偽乳!

こんばんは、るるです。
いやぁ、驚きましたね。
何が驚いたって、あゆが二晩も連続でアップしたことに驚きましたよ。
しかも長文です。
ゆみなが大阪に行ったことを、詳細に書き綴ってましたね。
ワタクシは、あゆの日記を読んで、よくわかりました。

ゆみなは、京都や紅葉や、ましてや大阪城なんかどうでもよく
ただ単にあゆと飲みたいがために、大阪に行ったんだということが。


しかし、昨日のゆみなの日記を読んで、
その考えを改めざるを得なくなりました。

ゆみなは、駅弁を食べたいがために、大阪に行ったんだと。

あゆの立場はどうなるんでしょうか。
あゆのレポートを読み、当のゆみなはどんな風に今回の大阪のことを書くのだろうと、楽しみにしていたのはワタクシだけではなかったでしょう。
それなのに、駅弁です。
駅弁に入ったしょう油です。
しかも、到着間際にガツガツ食ってます。
詳細を記しているのは、1100円という値段だけです。

ワタクシは思いました。
ゆみなは、今回の大阪のことは小出しにして、今年いっぱいもたせるつもりなんだと。
いま、わかりました。
今回のゆみなの大阪行きの目的は、ネタのためだったんだと。。。

そんなことはどうでもいいです。
今日から慈英とタッキーは個人面談週間とやらで、4時間授業です。
そして、今日は二人とも面談だったので、行ってきたのですが、
家に帰ったら、息子が繁殖していました。
玄関に靴がいっぱいで、「ただいまー」と入っていったら
8人もの男の子が「おかえりなさーい」と迎えてくれました。
後で気づいたんですが、うちの長男は他所に遊びに行っていたので
6人の子が遊びに来てたことになります。
って、あとで気づいたんかいっ。

そんなこともどうでもいいことでした。
眠いです。もうすぐ2時になろうとしています。夜中です。
今日は死んだフリをするつもりでした。
なのに、ゆみなが
「書けええええええええええええええええ」と
メールを送ってきたので書いています。
ワタクシは大阪にも行ってなければ、駅弁も食べてないし、
リチャードにも会ってないので、ネタがありません。

しょうがないので、胸が大きくなる方法をこっそり教えて寝ることにします。
友人が教えてくれたんですけどね、
無調整の豆乳100ccにキウイ半分、ヨーグルト大さじ2をいれて
ミキサーにかけて30分おいたものを、毎食前に飲むんですって。
これを1ヶ月続けたら、なんと胸が大きくなったっていうんですよ!
ワタクシ、さっそく一昨日から始めております。
今後、その効果をここでレポートしてまいりたいと思っております。
お楽しみに!








2004年11月24日(水) 駅弁物語

あゆが二日続けて更新するという偉業を遂行したためにリズムが狂ってるゆみなです。こんばんわ。


くどいようだが、大阪であゆと会って来た。
今回、急に大阪に行こうと思い立ったのは、あゆとチャットをしてて、
なんとなく直に話したいと思ったのが理由だ。
決して、JR東海の「そうだ京都に行こう」のコピーに思わず「はい」と返事したからではない。
メインはあくまであゆである。
ちなみにあゆが行った北海道格安ツアーのメイン料理は「ホッケの開き」だったらしい。
あゆとの会話は、ほんとに楽しかった。予想していたとおりである。
が、しかし。
今回の旅行で心残りだったものもある。


今まで何度も大阪には行ったがいつも飛行機だった。
それが今回に限って飛行機ではなく新幹線にした一番の理由は「駅弁を食う」であった。
私は無類の駅弁好きだ。
どのくらい好きかというと旅行に行くわけでもないのに、
わざわざ駅まで行って駅弁を買って家で食べたり、デパートで「全国駅弁祭り」などというイベントがあると魂がウズウズしてくるのだ。
しかし、家で食べる駅弁はいまいち美味しくない。
てか、まずい。
(それでも駅弁という名に騙され、買いに行っては「うまくねぇな」と後悔している。)


やはり、電車に揺られながら外の景色を眺めつつ食す弁当が最高だ。
せっかく大阪に行くのなら新幹線にして、窓から見える風景を憂いながら物思いにふけ、新横浜あたりに着いた頃、(早いし)
東京駅で買ったばかりの駅弁(1100円)をおもむろにビニール袋から取り出す。
その表情は、どこか思いつめたような趣を醸し出している。
ゆっくりとヒモをとき、ビニールの醤油を優しく切るものの、
少しこぼれて指に二滴ほど付着した醤油を舐める仕草も寂寥感に溢れているのだ。
ああ、これほど哀愁漂う一人旅があろうか。


おそらく周りにいる男たちの目は私に釘付けになるだろう。
もしかしたら、「ねぇ一緒に駅弁食べない?」とナンパしてくるヤツもいるかもしれない。
いや、「よろしかったら俺のお茶どうぞ。飲みかけだけど」と物でつってくるヤツも現れるだろう。
しかし、そんな男たちを前に私は毅然とした態度でこう言うのだ。
「いいえ。私はそんな軽い女じゃありません」と。
実際三ヶ月で6キロも太った私は軽くはない。


こんな月9のような出会いがあったかもしれない新幹線の旅だが、あゆに
「弁当は食うなよ」と前日に釘を刺されてしまった。
きっと、あゆは嫉妬していたのだろう。


私はドラマのような出会いよりも友情を選択し、弁当はグッと堪えた。
実際、堪えて正解だったかもしれない。
私の席は一番前の扉のすぐ傍で、通路側だった。
人が通るたびに扉が開いたり閉まったりで、落ち着かないったりゃありゃしない。
それだけでなく、私の隣もカップル。通路を挟んだ隣もカップル。
後ろもカップルで、もしここで私が弁当を食べたら、
「あのおばさん。朝っぱらから一人で弁当食ってら」とネタにされるのがオチだ。


が、しかし。
ここで諦める私ではない。
どうしても「新幹線で駅弁」の野望を捨てることは出来なかった。
帰りだ。
私はあゆと別れたあと密かに弁当を買った。
しかし、その時点では正直あまりお腹はすいていなかったのだが、
もし帰りの新幹線でも食べ損なったら、一生後悔するような強迫観念にとらわれ、ついつい買ってしまったのである。
帰りの電車では席も真ん中あたりの窓側で、弁当を食べるにはうってつけの場所だ。
これでシチュエーションはすべて整った。
一人、窓を見ながら楽しかったあゆとの大阪での二日間を思い出していた。
すると、思い出してまもなく、時間にすると2分くらいで睡魔に襲われ、グーグー寝てしまった。
途中、京都やら米原などの各駅に着くたびに人の出入りが激しく、目は覚めるものの、またすぐに睡魔が訪れ、
グーグー寝る始末だ。
とても弁当を食べるどころではない。
頭の中で「弁当〜〜〜」と叫ぶのだが、睡魔の方が勝つ。
そして、気がつけば、なんともうすぐ新横浜である。
私は慌ててビニール袋からさっき大阪駅でかった駅弁(1100円)を取り出し、もくもくと食べ始めた。
隣に座っていた40代くらいの男の人は、きっと驚いたことだろう。
さっきまでさんざん寝てた女がもうすぐ終点というところで弁当を食べているのだ。
恥ずかしい気も少しあったが、新幹線の中で食べてこそ意義があるのだ。人の目なんか気にしてられるか。
どうせ、もう一生会うことのないヤツなのだ。

とりあえず今回の目的のひとつであった「駅弁を食う」をクリアできたことで、
すべて予定通りに終了した。


あゆ。
本当にお世話になったね。
「ケチ」と「パン屋」と「やっぱり」と「山下さん」にも、みんなにお礼を言っておいてね。
楽しかったよ。





2004年11月23日(火) ゆみなが来た!〜後編

2夜連続登場のあゆです。こんばんは。しかも未来日記です(今の時点でまだ月曜日でおます)。こんなことは「りゃ!」創業当時以来です。
だからって「あゆがやる気を出した!」と思わないでください。
早く書かないと忘れてしまうからです。
私はこれからも「投げやりあゆちゃん」でいきますから。
安心汁。

さて、昨日の続きです。

.................................。


何書こうと思ってたんだっけ...。もう忘れたのかよ!

あ、思い出しました。
そう。確か、ゆみなは
「8時にモーニングコールして。起きられないかもしれないから。」
と言ったはずでした。
でも前の日は3時くらいまで飲んでたし、
もう少し寝かせてやろうという子分心で(本当は8時に電話をするのを忘れていたという考え方も充分にありでしょう)
私は8時半に電話しました。
するとどうでしょう。何回コールをしても出てきません。
もしかしたらもう起きてシャワーでも浴びてるのかな...と優しい私は思いました。
それでももしかしたら...と思い、念のために9時に電話をしてみると
150コールくらいでやっとゆみなが出てきました。
「もしもし...あ、ありがとう..。寝てた」
やはり寝てやがりました。
しかも後から聞くと、携帯をマナーモードにしていたとの事。
昨日3時半に寝たのにもかかわらず、朝7時に起きてゆみなを起こさなければと身構えていた私の好意を踏みにじる鬼のようなヤツでした。

私は朝の一仕事を終え、今度は一緒にでかける娘たちを起こしました。
まだ寝てたのかよ。
そもそも私とゆみなの二人の楽しい旅になるはずの今回の大阪城行きに、
「ケチ」と「パン屋」と「やっぱり」が参加することになったのは、
「ケチ」の気まぐれの一言からでした。

「アンタ、そういえば日曜日に大阪城に行くって言ってたね。オレらも行こうかな」

え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛っ!
私は思わず
抜き打ちテストを告げられた小学生のような反応をしてしまいました。
「ヤだよ。せっかくゆみなと...」と言いかけた時、
「そうしよう。決めた。」
まったくB型の太った「ケチ」は人の言い分など聞く耳を持ちません。
自分が行こうと思ったら必ず遂行するのです。
しかも「ヤだよ」と拒否されたもんだからますます依怙地になっていました。

私はゆみなに打診してみました。
「ダンナが娘たちも連れて一緒に行きたいって言ってるんだけど、ヤだよねえ」と私が言うと、あっさりこう答えました。
「あ、いいじゃん。面白そうだよ。たくさんで行った方が楽しいし」

私はゆみなもB型であることを忘れていました。
「ヤだよねえ」と言われれば「いいじゃん」と答えるに決まっていたのです。
それに「たくさんで行った方が楽しい」って
わしと二人じゃ楽しくないんかいっ!

ま、とにかくそんなこんなで一緒に出かけることに相成ったのであります。

ゆみなは前に一度、ウチに泊まったことがあるので、
ウチの家族とは面識があるのですが、
ゆみなに対する反応は、それぞれに特徴のあるものでした。

「パン屋」は、ゆみなを迎えに行く途中の車中で、
「ねえねえ、なんて呼べばいいのかな」
と聞いてきました。
「ゆみなか虻川でいいよ」と言うと「えええっ。そんなの言えないよ」と言いましたが、結果的に言うと最後までゆみなに呼びかけることはありませんでした。もちろん話はしたのですが、自分からゆみなに話しかける勇気もなく、ゆみなに話かけられて初めて答えるという形だったので、
「パン屋」の方から呼びかける機会がなかったのでした。
「パン屋」はヘタレなのです。

「やっぱり」は「やっぱり」で基本的に人のことには無関心なので、
始めはあまりゆみなに興味を持たなかったようでしたが、
ゆみなから「お土産買って来なかったから」という名目で、お小遣いをもらい、さらにジュースを買ってもらうと急に話しかけるようになりました。
しかし、その内容は、
「ウチのクラスに男の子にしか興味がない男の子がいるんですけど、
どうしてなんでしょう」とか、
別に相手がゆみなでなくてもいい質問で、しかも誰に聞いてもどう答えていいかわからない質問ばかりしていました。

そして「ケチ」です。
「ケチ」はゆみなの待つホテルまで行く途中、カーナビの案内がわかりにくいと文句ばかり言っていました。
「ケチ」は方向音痴です。
だからカーナビの案内どおりに車を走らせていればいいものを、
「この道は違う」と言って勝手に細い路地に入ってにっちもさっちも行かなくなり、不機嫌になるということを繰り返していました。カーナビの意味ねえよ!
いつもこのパターンに陥り、私と喧嘩になるので余計「ケチ」とは一緒に出かけたくなかったのです。今回も例にもれず、珍獣とケチはちょっと険悪なムードになりかけました。
しかし、「ケチ」は外面はいいので、ゆみなに会ったとたんニコニコ顔になり、ホテルから大阪城まではカーナビの指示どおりに車を走らせました。

ゆみなはゆみなで、前に来た時に乗ったセダンの車と違うミニバンを見て、大きな目を細めながら、
「うわあ、大きくなったねえ」
って、ウチの車は久しぶりに会う親戚の子供かよ!

そして大阪城に到着。
大阪城は、エレベーターで最上階の6階に昇り、上の階から階段で降りながら
城内見学をするという形式でした。
しかし、城は城。別にここに書くほどのことはありませんでした。興味なかったのかよ!
ゆみなと私と娘二人はとっとと城内見学を済ませ、
1階の椅子にかけて途中ではぐれた「ケチ」を待っていました。
しかし、「ケチ」は待てど暮らせど降りて来ません。
またこういう時に限って、「ケチ」は携帯の電源が切れたと言って
持参してなかったのです。
仕方なく私は、「ケチ」を探しに行きました。
2階。いません。
3階。いません。私たちが待っていた時間は約30分。
その時間を考えると、2階か3階で行き違いになったとしか思えませんでしたが、もしやと思い、4階に行って見ました。
果たして「ケチ」はいました。
丁寧に1個ずつ展示物を眺めているではありませんか。
私が近寄り、
「あ、ここにいたんだ(←探していたことをアピール)。下でみんな待ってるから(←急がせようと催促)。」と言うと、
「ケチ」は展示物から目も離さずに、
「ああ、そう」と一言言いました。

「ケチ」は今、山岡荘八の「徳川家康(全28巻)」を読破中です。
大阪城に来たのは、ゆみなに楽しんでもらおうとか、ゆみなをもてなそうとかという気持ちではなく、
ただ自分が「戦国時代に興味があったから」という理由だったということが判明しました。
その後、私たちは「ケチ」の城内散策が終わるのをさらに小一時間待ち、
やっと大阪城を後にすることができたのでした。

おそるべしB型のマイペース気質!

「ケチ」を待つ間、私とゆみなは携帯でるるが「いれぎゅりゃ!」を更新しているのを確認し、二人で一斉に
「ばかかあああ、おめえわああああ」という賛辞のメールをるるに送ることにしました。私がるるにメールを送信したところ、すぐにメールの着信音がしたので「るるのやつ、やけにレスがはええな」と思ってメールを開けたところ、
そこには

「ばかかあああ、おめえわあああ」という文章が書かれてありました。

ゆみながるるに送るはずのメールを間違えて私に送っていたのでした。
因みに3時間くらい経って来たるるのレスは

「リチャードに言ええええええ」でした。


さて、「ケチ」のおかげで時間がなくなり、大阪城へ行ったあとパチンコをしようという計画もおじゃんにされた私たちは、仕方なく「ケチ」らとともに昼食をとり、その後でやっと二人きりの時間が持てたのでした。

もちろん 喫茶店で一服 の時間です。

そこで私は再び、あの顔を見ることができました。
そう、日曜日はマイルチャンピオンシップの日だったのです。
「ちょっとごめんね」
ゆみなは喫茶店に入るなり、携帯を取り出しました。
「まだ買いたい馬券があるんだ。あゆも今なら間に合うよ。一緒に買ってあげるからさ。誕生日で買ってみたら?ワイドにするといいよ。いくら買う?」
一気にまくしたてられ、わけもわからないまま500円分買うことになってしまいました。ゆみなはその気になればきっと良い営業マンになれると思います。
競馬新聞を広げ、
「こっちは東スポじゃなくて大スポなんだねえ。でも、ホテルにはスポニチしか売ってなくてさ」
ホテルで新聞を買ってたのかよ!
馬券投票を済ませ、レース結果がわかるまで
またいつものゆみなの顔に戻ってバカ話ができたので
少し安心しました。

午後4時前。
再びゆみなはあの顔になりました。
もうレース結果が出ている時間です。
携帯を取り出し、数秒するといきなり
「やっぱりなあ、やっぱりかあ、そうだよなあ」
と言い出しました。
ダメだったようです。
「買えない馬券じゃなかったんだよなあ」
ゆみなはしきりにくやしがっていましたが、
私は心の中でこう思いました。

買おうと思ったら出走する馬は全部買えるんだから
買えない馬券があるはずねえじゃん。



その上、勝った馬をなぜ買わなかったかという御託を並べるばかりで、
私の買った馬が何着だったのかは、結局最後までふれずじまいでした。

「競馬をする人ってさ」
私はゆみなに言いました。
「負けるとものすごい後悔の仕方をするんだね。」

するとゆみなは答えました。

「そうなのよ。それに勝ったら勝ったでさ、
何で1000円じゃくて2000円買ってなかったんだろうって思って悔しいんだよ。」

勝っても悔しいなんて、全然楽しくねえじゃん。

さらゆみなは言いました。

「競馬の一番楽しいところは、どの馬を買おうかなあってあれこれ考えてる時なの。」

なら勝ち負け関係ねえじゃん。

競馬ばーの心理はパチンカーにはよくわかりません。


やがて新幹線の時間が迫り、
ゆみなは「やっぱりなあ」を繰り返しながら帰って行きました。
オマエはウチの次女か!

ゆみなの新しい顔を存分に堪能できた今回のゆみな騒動でした。
って騒動だったんかいっ!














2004年11月22日(月) ゆみなが来た!〜前編

こんばんは。あゆです。
今日はやはりゆみなと私の、るるが予想したところの「飲んで笑って飲んでしゃべって飲んで泣いて飲んで歌ったにちがいない」二日間の顛末を書かねばなりません。
「ねばなりません」って本当は書きたくねえのかよ。
とか言いながら長編になりそうなんで、2日に渡ってお送りします。

11月20日土曜日、午前11時21分、ゆみなは京都に降り立ちました。
私は、新幹線から降りてくる群衆の中に頭四つくらい飛び出ているゆみなをすぐに見つけることができました。
「いやあ、でかいと便利だね」これが、ゆみなに久々に会った私の第一声でした。
ちなみにゆみなの第一声は、
「あゆに言われて新幹線の中で駅弁食べるの我慢したからお腹ペコペコだよ」でした。
さっそく湯葉料理を食べに行き、腹ごしらえをした後、
JRのCMにそそのかされたゆみなの希望で、清水寺に行った後、嵐山に向かうことにしました。
しかし、観光シーズンの京都はバス乗り場もタクシー乗り場も長蛇の列。
そこで半分嫌気がさしたわしらは、
「とりあえず、一服しよう」ということで意見が一致し、
喫煙所でタバコを吸いながらバカ話をしていましたが、
おそらく言葉には出さなかったものの、「このまま大阪に行こうか」という思いがわしらの頭をかすめたことは否定できない事実だったと思います。
でもせっかく「そうだ京都に行こう」というコピーにだまされて来ているのに、京都駅だけ見てゆみなを帰すのもどうかと思いなおし、予定どおり清水寺に向かいました。
清水寺周辺は思いのほか木々が色づいておらず、
わしらはバカ話をしながら清水寺の境内をまるで近所の道を散歩しているかのような気軽さで一周して、出た結論が
「もう京都は飽きたね。嵐山はやめて大阪に行こう」
でした。
さすがダンナさんに「オマエは冷めやすく飽きやすい」と言われるゆみなだけあります。
とりあえず京都駅までもどって一服することにして、喫茶店に入りました。そこで、私はゆみなの、今まで見たことのない姿を目にすることになりました。
私の中ではゆみなは笑ってるか泣いてるか、すっとんきょうな顔をしているかのどれかだったのですが、抹茶フロートを飲みながら、もんすごい真剣な表情で携帯を見ているゆみながそこにいたのです。
この人にもこんな顔ができるんだ....。私はそう思いました。
でもそんな真剣な顔でメールを見てるってことは何か重大なことが起こってしまったのかと心配していたのですが、なんのことはない
新幹線の中で携帯で買った馬券のレース結果を調べているだけだったのです。
私は、数年前のゆみなの言葉を思い出しました。
「ダンナが競馬ばっかりで参っちゃうよ。参っちゃうよ。参っちゃうよ。」(最後の二つの「参っちゃうよ」は私の頭の中でのエコー効果)
それが今では旅先でも東スポを手放さない競馬ファンとなっていたのでした。私の視線を感じたのか、ゆみなが照れくさそうに言いました。
「なんかおやじみたいになっちゃったでしょ。私。」
いや、前からゆみなのことをおっさんって言ってましたから。私。全然違和感はありませんが.....。
競馬チェックが終わりまたバカ話が始まると、いつものゆみなの笑顔とすっとんきょうな顔が戻ってきました。
その後、大阪に戻って夕食後、私の馴染みのバーに行くことにしました。
実はこのバーに行くのが今回のメインイベントだったのです。
ゆみなが大阪に来るとそこのバーには必ず行っていたのですが、
ゆみなも「あのマスター、いい人ねえ。また話したいよ」と言うし、
数回の訪問でマスターもすっかりゆみなのことを気に入り、
私が店に行くたびに
「あの方は本当にオトコマエですなあ。またぜひ会いたいっす」と言うのです。
そんなマスターを驚かせようと、私はゆみなが大阪に来ると決まったあとも何回か店に行って飲んだのですが、敢えてマスターに伝えてなかっのです。
私たちが店に入っていくと案の定
「うわぁっ、うわぁっ、ほんまですかー」と驚いていました。
「ほんまですかー」ってあんた、目の前にでっかいすっとんきょうな虻川が現に立ってますがな。
それに今回はなんと言っても前に店に来た時と違ってゆみなは競馬というツール持ち。マスターも超競馬好きなのです。
二人はさらに意気投合。競馬について熱く語り始めました。
挙句二人で私に「明日のマイルの馬券を買え」と勧誘までし始めました。
知らんがな!

とは言え、ゆみなとマスターのうれしそうな顔を見てるだけで私は満足でした。酒も心置きなく飲めたし。

やがて競馬の話も尽き(ほんとは尽きてなかったんだろうと思うのですが)、
幸い私たちの他に杯ほど飲んで帰ったお客さんが一人いただけで、他にお客さんは来ず(大丈夫なのか、マスター)、バカ話やホラーな話、時にはマジ話で3人で盛り上がり、計7時間もその店でウダウダしていました。

こうしてゆみなの来阪の一日目が終わりました。
一日目は総合的に言うと「食べて一服してバカ話して一服して食べてバカ話して飲んで飲んで飲んで飲んで」という日でした。ってそのまんまやんけ。

「ケチ」と「パン屋」と「やっぱり」と「男」と「珍獣」のコラボレーションの二日目の話はまた明日。

あ、るる。
ちゃんと帰りのタクシーの中で更新してるかチェックしたからね。
午前3時の段階でまだ更新してなかったな。
リチャードの話は、一体何時に書いたんだ?





2004年11月21日(日) 入院中の話

おはようございます、るるです。
ゆみなは昨日から、あゆと飲むために大阪にいっています。
「ケータイから読むからサボらないで書けよ」などと、とぼけたこと言ってましたが
あの二人が酒を飲んで、ケータイから日記を読むワケがありません。
どうせ、昨夜は飲んで笑って飲んでしゃべって飲んで泣いて飲んで歌ったにちがいありません。
酒と泪と男と女でしょうか。
いや、あゆの家族も一緒だったなら、
ケチとパン屋(バイト)と「やっぱり」と男と珍獣でしょうか。
さぁ、どれがどれかな?

そんなことはどうでもいいです。
おかげさまで、うちの腸男、退院いたしました。

あゆからは

「子供が入院したらそりゃあもんすごく心配だわな。
ほんと、お大事に。 」

と、優しいメールが届きました。
「もんすごく」って言われても、ねぇ。。
あ、でも、嬉しかったです。心配してくれてありがとう、あゆ。

で、ゆみなからもメールがきました。

「全然知らなかった。
いや、知ったところで別にお見舞いに行こうとか見舞金をあげようとかそんな気はないんだけどね。
でも、ひとこと言ってくれれば、代わりに屁を出すことくらいは出来たのに。
お大事にね。 」

どうですか。
「代わりに屁」って、どうですか。
考えただけでも黄疸が出そうです。

ま、そんなこともいいんです。
息子が入院しているときに、同じお部屋に5歳の男の子が入院してきたんですよ。
茶色の髪、彫りの深い顔、一目でガイジンとわかる、
それはそれはかわいい子でした。
お父さんもお母さんもガイジンで、日本語はお勉強中という感じでした。
その坊やは、日本の幼稚園に通ってるらしく、日本語ペラペラで
なつっこくて、ワタクシも絵本を読んであげたり
耳から入れたティッシュを鼻から出す手品を、性懲りもなくやってみせたりして
けっこう仲良くなりました。
うちの子の術後3日目ぐらいに、その坊やも手術をしました。
術後はナーバスだろうからと、それまでは開放していたカーテンを閉め
坊やのスペースとの間を仕切りました。
でも、声は聞こえます。
坊やのお父さん(リチャード)が、一生懸命に絵本を読んであげていました。

「 ア、プーサン!ア、プーサン!ア、プーサン!」

あのー、リチャード??そんなこと書いてないと思いますよ?
ま、話せても字を読むっていうのは難しいですからね。
プーサンの絵本をめくりながら、出てきたキャラクターをただ言ってるだけだったんでしょうね。
そのうち、リチャードは歌を歌い出しました。

「(ぞうさんの節で)プ〜〜さん、プ〜〜さん、
お〜はなが、









(さぁ、どーする、リチャード)









ミジカイッ!」




リチャード、正解です。
カーテンのこちら側で、顔を見合わせて笑いをこらえるワタクシと息子。
さらに、リチャードは続きます。

「し〜っぽも〜〜








ミジカイッ!」


正解です。
息子は傷口の痛みに堪えながら、しのび笑いです。
リチャードはまだ続きます。

「よ〜ふくも〜〜







ミジカイッ!」


これまた正解です。
赤いシャツはツンツルテンです。

気を良くしたのか、リチャードはあろうことか

「マ〜〜〜○ゲも



ミジカイッ!」

と歌ったのです。
○ンゲって、リチャード!!
ブラジル(たぶん)では、こんなに早くから性教育をするんでしょうか。
カーテンのこちら側では
息子の傷口が開く勢いでございます。

だいたい、プーさんにそんなものがあったとは!!
プーさんのVラインがミッキーマウスだったら、どうしましょう!
ワタクシがすっかり混乱して自分を見失っていると、
カーテンの向こうから、坊やがお父さんに言ってます。

「お父さん、これは、







マユゲっていうんだよ。」


「まーゆーげー? まーじーでー?」


リチャード!いいかげんにしてください!
うちの息子の傷口がパッカリ開いちゃいますよ!
ほんとに、変な日本語ばっかりおぼえて!

「もう、ヤメタ!読まないよ!」

リチャードは気も、ミジカイッ!のでした。
はっ!また毛の話になってしまいました。






2004年11月19日(金) 行ってきます

るるの子供が盲腸で入院していたとは知らなかった。
また、あゆの子供が昔「当たり屋」だったということも初めて知ったゆみなです。こんばんわ。


私は明日から大阪に行ってくる。
行けば親の敵かと思うほど、あゆと酒を飲み、翌日は決まって二日酔いになり、親の敵を討ったことに後悔する。
今回はそんなことのないように体調を万全にしていこうと昨日まで考えていた。
ところが今日の夜になり、万全どころかいつも以上にビールと焼酎とウイスキーを飲み、ついでにボージョレ・ヌーボーの試飲までしてしまい、明日がすでに二日酔いという状態は必至である。

ならば、一刻でも早く布団に入れと思われるかもしれないが、鬼のるるが
「ゆみな。今日書けよ。わしは寝るけど」というメールをまたもや送ってきやがったのだ。
だいたい『いれぎゅりゃ!』というのは不定期更新を前提として命名されたはずだった。
順番に関係なく、それぞれが都合のいい時に書きたい人間が書けばいいとイレギュラーを捩ったものではなかったのか。
それが最近は3人とも、自分以外の更新には異常なほど敏感になっている。
(自分の更新日は死んだフリをする。)
実は『いれぎゅりゃ!』の更新を一番待ち望んでいるのは我々3人なのではないか、と思われるほどだ。
他に楽しみはないのか。我々。



と、ここまで頑張って書いてはみたものの、とてつもなく眠い。
どれくらい眠いかといえばキーを叩いてても

jkふぁ;ksj:い終え:wmvk:kぁf歩::か[[0ウィ魚jlw2家wmmvlっヵぉw、m9w

これくらい眠い。

本当は書きたかったことが山ほどあり、それがかつてないほど面白い話だったのだが、
残念ながら今日は無理っぽい。



いやー、ほんと残念だ。





るる。
明日しっかり書けよ。サボるんじゃねえぞ。
私とあゆは二人で楽しく飲んでるけど、携帯から読むから。







2004年11月18日(木) そろそろ

書かないと、書け書けコールが来そうなんで
書きます。はっ!(←まだやってるのかよ)こんばんは。あゆです。

るるんちのおぼっちゃん、無事退院されたそうですよ。
よかったですね。
子供が病気になったら親は心配で心配でパンも食べられません。
おかげさまでウチは子供のバイトのおかげでパンをたらふく食べられますけど。

そんな長女も昔、入院したことがありました。
あれは、長女が幼稚園児の頃でした。
子供は外に遊びに行ってるし、一人部屋でのんびりと昼寝でもしようかと思っていたところ、
インターホンがなりました。
出てみると同じマンションの長女とよく遊んでくれていた小学生のおねえちゃんでした。
「おばちゃん、かおりちゃんがひかれた!!!!」
頭が真っ白になるっていうのを生まれて初めて体験しました。
加藤タキ、または藤本義一ってところでしょうか。
ちょっと違いますか。

つぎの瞬間、足は震えだすし、何をどうしたらいいのかわからなくなりました。所謂パニックってことです。
松下電器ですか。それはパナソニックですね。
あわてて伝えに来てくれたコについていくとマンションの駐車場で
軽トラの横で地面に仰向けに倒れている長女。
泣いていたので、とりあえず命は助かったのだと思い、少しだけ安堵しつつもいそいでウチに帰り救急車を呼びました。
でもよく覚えてないんです。どうやって呼んだのか。
私は泣きながら救急車の到着を待ちました。
軽トラの運転手である酒屋のおにいちゃんは、
すみません、すみませんと何度も言っていました。
私はその言葉にはなんと答えていいのかわからずに
長女のそばで体をさすりながら
「どこが痛い?大丈夫?」とひたすら話しかけていました。
やがて救急車が到着し、長女と一緒に私も乗り込みました。
私の取り乱しように恐れをなしたのか、
しきりに救急隊員の方から
「おかあさん、落ち着いてください。大丈夫ですから」
と言われたのだけは覚えています。

着いた病院は近所でも評判のヤブ医者だったのですが、
とにかくどこかの病院に一刻でも早く連れていきたかったので、
私は黙っていました。ってかずっと泣いていました。
頭がパニくり、泣きじゃくっていたわりには
しっかりとその手に保険証を持っていたのも今ではいい思い出です。

救急病棟で診ていただくと、みたところ擦り傷程度でたいしたことはない
との事でした。
でもなにしろヤブ医者の言うことです。信用できません。
私はとにかくダンナに報告して、真っ当な対処の仕方を聞かなければと思い、当時まだサラリーマンとしてまじめに働いていたダンナに電話をしました。
後でダンナに話を聞いたところ、その電話の内容はさっぱり要領を得なかったということでした。
「あのね、かおりがね、お腹が、痛いって、洋服がやぶけてるの、車にひかれて、びえええええっ」
多分こんな感じだったと思います。

結局長女は
幸い本当にかすり傷程度だったのですが、万が一のことを考えて、5日ほどそのままそのヤブ病院に入院することになりました。

落ち着いて長女に事故の時の状況を聞くと
酒屋のおにいちゃんにみんなと一緒にしばらく遊んでもらっていて
おにいちゃんが、「じゃあ、もうそろそろ帰るね」と言って
車に乗り込み、方向転換しようと車をバックさせたところへ
長女が、「おにいちゃあああん」と言いながら走り寄ったということでした。オマエはなにわ突撃隊かっ!
たまたま長女が転んで、両車輪の間に体がハマッたのが幸いしたものの、タイヤが体の上を通っていたら...........................。


そんな長女も今では立派なオタクになりました。
来年はコンピューター関係の専門学校生です。多分。

毎日お見舞いに来てくれたおにいちゃん......。
お元気でしょうか。
あやまらなければならないのはこっちの方でした。
車の運転をするのがトラウマになっていなければいいのですが。




2004年11月16日(火) もう!ちょう!

こんばんは〜!るるだよー!きゃは☆
みんな、もうねむねむの時間かな?
だって、夜中の2時過ぎだもんね〜きゃは☆

るるはねー、タッキーちゃんのお布団でご本を読んであげてたら
一緒になって寝ちゃったの。えへ☆
それでこんな時間に慌てて書いてるってわけなのーー
たーいへーん!きゃは☆






......変なものを食べたわけではありません。




あ、そうそう、この前のワタクシの日記に
「あゆのヴの字が一回も出てこなかった」と
付き合い始めて間もない頃の彼女が彼に言うようなグチをこぼしてましたが。

あゆ、僕の日記をちゃんと読んだかい?
あゆのヴの字を、夜空の星のように散りばめた僕の日記を。。

って誰なんでしょう。誰でもいいです。
先日のワタクシの日記、「Vライン」のお話ありましたね?
ヴイライン←星のように散りばめられたヴの字。

ま、こんな話はどうでもいいです。
ちょっと、奥さん。ワタクシ、大変だったんですのよ!
うちの長男が、急性虫垂炎=盲腸で緊急手術いたしましたの!
それで、まだ入院中ですの!
ほんと、びっくりしましたよ!

お腹痛い〜って言うんで病院いったら、
盲腸っぽいよ〜ってことで病院を紹介されて、
そのまま行ったら、切るよ〜って。
もう、母さんびっくりですよ。
確かにいつもの感じと違ったので、もしかして?と母親のカンで思ったのですが
熱もなくゲーゲーもなく七転八倒するほどでもないので
薬で散らせるかな、ぐらいに思っていたんです。
そしたら、あーた。切除した盲腸みたら、けっこう腫れてたんですよ!
6年生ともなると、我慢しちゃうんですかね。
腹膜炎おこさなくて良かったです。

普段元気で病院にあまり行かないだけに、いきなりの手術&入院で
さすがに長男も不安そうだったので、その日は一晩付き添いました。
小児病棟なんですけどね、生まれたばかりの赤ちゃんから小さなお子さんがたくさん入院していて、ほんとに、普段あたりまえのように思っているけれど
健康であることはありがたいことなんだと。。
「ママー、ママー、ママがいいーー!」
と喉が枯れるほど泣きつづける坊やに、ワタクシ、ほんとに胸がしめつけられました。
早く元気になって、大好きなママのいるお家に帰ろうね、
ひそかに応援するしかできませんでした。

急な手術だったので、朝ご飯は食べてしまっていたものの、それっきり術後も
丸一日はお水も飲んではいけない長男。
でも、付き添いのワタクシは三度三度お腹がすくわけで。。
ゆみなのお見舞いに行ったときは、前の晩から絶食をし、手術を受け
まだ酸素マスクをしているゆみなの枕元で
パンを二つもムシャムシャと食べたワタクシですが、
息子の前では、かわいそうでお水も飲めませんでした。
それから三分粥、五分粥となり、ようやく明日から普通食ですが、
お粥の間も、息子の前では食べ物の話をすることすら、かわいそうでできませんでした。
ゆみなの入院の時には、2日つづけてパンを食べたと言うのに。
ほんとに、不思議なものでございます。

で、ほんとに、手術の翌日には看護師さんは聞くんですね。
「プーはでましたか?」って。

息子は「かすれっぺが出ました」と、大変に具体的に答えておりました。
看護師さんが「ふつうのオナラは何て言うの?」と聞くと
「はじけっぺ」と答えていましたが
屁のオーソリティであるゆみな、あってますでしょうか。

その後も、はじけてみたり、かすれてみたり、すかしてみたり、
バラエティー豊かに、お腹の回復ぶりをアピールした息子は
明日のお昼に退院する予定です。

多少うるさくても、子供は元気でいてくれるのが一番です。しみじみ。









2004年11月14日(日) いいわけにもほどがある

どうしてゆみなは書かないんだろうと思っていたら、ゆみなは私だったと気づいた。
こんばんわ。ゆみなです。

それにしても、あゆといい、るるといい、ちょっと二日ほど書かなかっただけでうるさいったらありゃしない。
二人からのメール攻撃にはさすがの「紀香改め南野知恵子」もびっくりだ。


るるからは3通連続のメールが来た。

「さっさとかけええええええええええええええええ、いびきを(正) 」
「かけええええええええええええ、あぐらを(正) 」
「かけえええええええええええ、恥を(大正解) 」


それもわずか一分の間に立て続けに3通である。
わざわざ分けなくても一通にまとめりゃいいではないか。
私は、その無駄な努力に敬意を表して『いれぎゅりゃ!』を書くより先に返信した。

「一分の間に書いたのね。さぞかし慌てただろうね。(泣)」

すると、また返事が来ていた。

「泣いてないで書けえええええええええええええええ、りゃ!を!!!」


るるのヒマっぷりに感心していると、あゆからもメールが来た。

「ゆみな。」

簡潔である。

見事なまでの簡潔っぷりに鼻血が出そうになった。
あゆが何を言わんとしているのかが、痛いほど分かる。
「ゆみな」の後の「。」がすべてを物語っていた。

こりゃ二人とも本気で「書け」と言ってるのだな、と敏感な私は感じ取り、昨夜はすぐに布団に逃げ込んだ。
オンしてるところを二人に見つかったら何を言われるか分かったもんじゃない。
こういう日は逃げるに限る。


今朝、起きてすぐにオンした。
もしかしたら二人のどっちかが痺れを切らして書いているかもしれないと思ったからだ。
だが、タイトルは「ほんとにもお」のまんまだ。
やっぱり私が書かない限り『いれぎゅりゃ!』はストップするらしい。
少々、責任を感じつつも今日は朝から競馬場に行ってしまった。
今度の土曜に行く大阪での飲み代を作らなければならないのだ。
一応、あゆは
「大阪には手ぶらでおいでねぇぇ」とは言ってくれている。
「手ぶら」でいいと言ってるってことは、多分一銭も持ってこなくてもいいという意味なのだろうが、
謙虚な私はそこまで甘えるわけにはいかない。
せいぜい「お土産はいらない」程度と解釈することにした。

今回の大阪行きだが、飲みだけではあまりにも寂しいので、京都で途中下車して秋の京都を堪能してこようと思っている。
あゆが「美味しい湯葉の店がある」と言うので、そこへも行くつもりだ。
翌日は一度も行ったことのない大阪城を見たいと言うと、
あゆもまだ見たことが無いという。
それだけじゃなくあゆ一家全員が見たことないらしい。
というわけで大阪城へは、あゆ一家と一緒に行くことになった。
あゆは、
「ごめんね。家族全員も一緒だけど悪くない?」としきりに申し訳なさそうに言っていたが、
あゆと二人で行くよりも、あゆのダンナさんや娘たちも一緒の方が、この寒い季節、
オシクラマンジュウのようで暖かくていい。
それだけじゃなく、あの家族の中に紛れていると、私のデブさも目立たなくて助かる。

こちらからお願いしたい。





2004年11月11日(木) ほんとにもお

どおしてゆみなは書かないんだろう。と、素で思っていたあゆです。こんばんは。

やっと派遣の仕事に慣れてきたと思ったら今月一杯で契約終了になってしまいました。
また、パチプーに逆戻りでしょうか。

ってか、るるは意地でも「あゆ」の「ヴ」の字も触れたくないらしいっす。
見事だ。るる。

その辺り、さすがにゆみなは大人だ。
大きい。あそこが。ってどこが。

ちゃんとワタシのリクエストに応えてくれて
「あゆ」を太字で連発してくれた。

今度大阪に遊びに来ることと関係あるんだろうか。
たとえば、今回の旅費の請求がワタシのところに来るとか、
清水寺から突き落とそうと思ってるとか....。

ホントはネタがなかったからちょうどいいやと思ってたから
だと思うけど。
ま、いいけどさ。

ほんと、ここではないがしろにされているワタシですが、
この間、ものすごく人になつかれてしまいました。

あれは先週の日曜日。
とあるスーパーにて買い物をしていたワタシは、
金欠ゆえに、髪伸び放題で、白髪もにょきにょき顔を出し始めていたため、
自分で染めるべと思い、ヘアダイ売り場に行って、
安い商品を物色していました。

すると後ろから
「これ、なんぼやろ」とおばさんに声をかけられました。
お客さんを店員さんに間違えることは、よくあることですが、
ワタシはその時、カートをそばに置いておりましたので、
おばさん、そのカートに気づき、ハっとして
「いや、値札ついてへんからわからへんかってん」
と言いいました。
店員さんと間違えたことがちょっと恥ずかしかったのでしょう。
そんなとき、言い訳することもよくあることです。
でも、そのおばさんはそれではすみませんでした。
「これ、ええんかな。こっちはどうやろう。
はぁぁぁ、これ、こんな高いんや。ちっとも安ぅないやんなあ」
と、ワタシにあれこれ商品を指差し、話しかけて来たのです。

ワタシは他の買い物も残っているし、
ダンナや子供とも一緒に来ているので
早く商品を選んでその場を去りたかったのですが、
そのおばはんはなかなかワタシを解放してくれません。

無視してどこかに行けばよかったのですが、
そこはそれ、ワタシは天下の小心者。
おばはんの話に曖昧に
「はぁ」とか「そうですねぇ」とか「同じようなのばっかりで、どれがいいかわかりませんね」
などと答えていました。

そこへ救世主登場。
ダンナが
「何やってんの?」と言いながら近づいてきました。
新婚以来20年ぶりに「この人と結婚してよかった」と思いました。
それを機会にワタシは他の売り場へ行くことができました。

そして買い物も終わり、レジに行こうとしたその時、
また後ろから声をかけられました。
「すいません、コレ、どのへんで売ってました?」
その声の主はさっきのおばはんでした。
コレと言って指差したのは、
永谷園のちゃんこ鍋の素でした。

そのおばはん、なぜか必死の形相です。
ワタシは仕方なく
「魚売り場の前にありましたよ」と優しく答えました。

そう思いながら
思わずおばはんの買い物カゴをのぞいてしまいました。

だって、ウチが買ったものと一品違わなかったら
怖いじゃないですか。

でもその不安はすぐに消すことができました。
おばはんの買い物カゴには
ウチでは絶対に買わない
クックドゥの麻婆豆腐の素が入っていたから。
ウチは
いつも安売りしている丸美屋の麻婆豆腐って決めてるんですから。











2004年11月08日(月) 房子にライバルが!!

お股せしました!はっ!
と、のっけからジャンル強制移動を恐れてドキドキしてるるるです。
ドキドキして、るるる♪ではありません。

古いネタの使いまわし大好きです。

今日、皆様にお届けするのは、あの脇野房子シリーズでございます。
いつからシリーズになったのか知りませんが、
あえて、シリーズ第2段として副題をつけるとすれば、、















「股野房子!」








あ、どーもすみません。無駄にスクロールしてしまいました。
ケータイから呼んでる方、親指疲れましたね?
でも、ケータイから読むほどのサイトじゃありませんからっ!残念っ!
はい、ネタのパクリも大好きです。

股野房子の話でした。
先日エステに通う友人から聞いた話です。
彼女は脇野房子から脇野鶴子に変身すべく、脇の脱毛に通い始めたんですが
そこで「Vラインもいかがですか?」と勧められたのだそうです。
Vラインって、あーた。。。


VICTORY!?


違います。コマネチ部分のVラインでございます。
ワタクシ以外の全員がわかってるボケをしてすみません。
ほんとは、ワタクシもわかりすぎるほどわかっていたのに、つまらんボケしてすんません。

Vラインの話でした。
友人が「Vラインって、どういうふうにするんですか?」と
素朴な疑問を投げかけたところ、

「最近人気なのは、


Vラインなし!です」

と言われたそうです。
なしって、あーた。
バンザーイなしよ♪(by欽ちゃん)じゃないんですから。
でもね、まさに、股野鶴子が主流なんだそうですよ、世の中。
なんでも、彼が喜ぶんだそうです。
なんか、昔、ハミ○グのCMにありましたよね、

「チクチクしてイヤ〜〜」って。



・・・・・・


それで、その他には、ハート型とかミッキーマウス型っていうのもありなんだそうです。
ま、ハートはわかる気もしますけどねぇ、
所謂、富士額って言うんですか?違いますね。
ミッキーマウスはどうでしょうかねぇ。
そんなところにミッキーマウスがいてもねぇ。
トーテムポールじゃあるまいし。
だいたい耳の部分がはみ出るんじゃないかと思いますけどねぇ。

っていうか、盆栽じゃないんですから、そんなところまで剪定しなくていいと思いますけどねぇ。







2004年11月05日(金) あゆ

こんばんわ。ゆみな改め藤原紀香改め南野知恵子です。

昨日のあゆの日記には驚いた。
なにが驚いたって「ウ゛」の字にびっくりだ。
そこかよ!

いや、冗談はさておき、あゆがまさかあそこまで悩んでいたとは思いもよらなかった。
あゆという人は普段から世間を斜に構えて見る癖がある。
いわゆる世間一般で言われてる「斜構え癖」だ。
言いにくい。

朝マックといい、電車の中といい、パチンコ屋といい、人間ウォッチングをさせたら右に出るものはいない。
右が壁だからだ。
投げやりな物言いも捨て鉢な言い回しも、世間及び人間の裏の裏を読みすぎて、結局表に戻ってしまったための照れ隠しなのである。
時々、あゆ自身も認めているが、あゆは異常なまでの照れ屋だ。
照れ屋といっても、「照れ」を売ってるわけじゃない。
自分のことが話題に上ることが恥ずかしいのである。
そんなあゆなので、るるはあえてあゆの「あ」の字も出さなかったのではないか。
あゆの「ゆ」の字も出てない事の真意は分からない。


だが、あゆの本心は違った。
どんどん自分のことを書いてほしいようだ。そのことが昨日の日記で判明した。
そんなことが私やるるに知られてしまっては、どうなるか分かっていそうなものだ。
しかしそんな危険を冒してまで自分の存在感をアピールしたいと思うようになったということは、そろそろ政界への進出を考えてるか、おでんが食べたくなった証拠だ。

「おでんの具」に例えてもらえなかったことが、よほどショックだったらしいが、例えたところで、しょせん「はんぺん」である。
蓋を開けたらびろ〜んと巨大化したままプカプカ浮いてるはんぺんである。
自虐の詩を書いてまで「はんぺん」になりたかったあゆは、
「はんぺん」が相当魅力のあるものだったのだろう。
もしかしたら貧乏人のあゆは、はんぺんがどういうものなのか知らないのかもしれない。

私は今月の二十日、大阪に行く。
あゆと一緒に酒を飲むためだけの旅だ。
その時、是非はんぺんを持っていこうと心に誓った。



今日は『ま、こんなもん』にも書いたが、ある人のパーティーだった。
非常に疲れただけのつまらないものだった。
正直いうと、今日は『いれぎゅりゃ!』も自分の日記もパスしようと思っていた。
だが、オンするとあゆが淋しそうにポツンといたので声をかけた。
実際は淋しそうだったのかポツンとだったのか、屁をこいてる最中だったのかは分からないが、昨日の自虐ぶりから見て、少なくとも背中を掻いてるとは思えない。

私が「はんぺーーーーーーーーーーん!」と声をかけると
「たまごーーーーーー!」と元気のいい声が返ってきた。(声は聞こえない)
あんまり淋しくなかったようだ。

あゆとくだらないチャットをして、そろそろお互いが飽きたころ、
「そういえば日記書いたか」と聞いてくるので、「いや、今日は疲れたから書かないかもしれない」と言うと
「書けえええええええええええええ」と威勢のいい声が返ってきた。(だから、声は聞こえない)
やっぱり全然淋しくないらしい。

「じゃ、あゆのことでも書くかな」と言うと
「おうおう。書いてくれ。あゆの部分は太字にしてくれ」と指図までしてきた。
まったく淋しくない。淋しいどころか元気一杯だ。


そんなあゆの指示があったために、今日の日記は非常にめんどくさい日記になった。

疲れてるのに。



タイトルをあえてあゆだけにしたのは、もしかしたら「浜崎あゆみ」のことだと思って、来る人がいるかもしれないと狙っただけだ。






2004年11月04日(木) 自虐の詩

こんばんは。あゆ改め業田良家です。(←少人数でもわかってもらえたら幸いです)

なんでしょう。この風潮。
そう、コタツも年中使えますしね。
それは家具調。
それに近頃ものすごく調子が悪いんです。
それは低調。
水野晴男のカルト映画ですか。
それはシベ超。

いつまでもこんなひとり乗りつっこみをやってるからダメなんですね。

皆さん、お気づきでしょうか。
私、すっかり最近ここでのカゲが薄いんです。
禿が薄いって意味じゃないです。

昨日のるるの日記には一言も
「あゆ」の「あ」の字も出てきませんでした。
もちろん「ヴ」の字も。
これ↑には意味はありません。

気がつくと、ここのBBSでもゆみなとるるで仲良さそうに
二人で会話してるじゃないですか。
まるで付き合い始めの中学生みたいな会話で。
ほら、つきあい始めって
「タネ子、恥ずかしくて言いにくいんだけど.....
おれのおなら、嗅いでくれる?」
「....うん。ダビ男くんのならあたし....嗅いでもいいよ。覚悟できてるモン。」
みたいな会話しますよね。

あ、これは余談ですが、
このあいだ電話をかけてきたお客さんで

奈良かおりさんって方がいらっしゃいました。

なんとなく脇野房子を思い出しました。

そんなことはいいんです。
会社でも天然女に懐かれ、苦行を強いられていますし、
家に帰れば帰ったで、
「おかえり」の一言もなく
「腹減った」という言葉。
いそいで夕食を作っても
「コレ、まだ煮えてないよ」というクレーム。
なのに全部食べ終わってから
「参ったなあ。腹減ったなあ」の独り言のようなイヤミ。
あなたはシェーですか。
るるさん、あーた20年前にもう大人だったってあたりまえじゃないっすか。
「シェー」なんかおそらく40年ぶりに使ったと思います。
「シェー」のポーズなんかもう今ではできません。

今、40年と書いて
改めて自分の生きてきた歳月の長さを実感しました。
マジで。

世の中はすっかり秋。
私の心の中にも秋風が....。


ほんとにおでんの季節になったんですよねえ。
コンビニに入ると充満しているおでんの大根のにほい。

ってことで誰も例えてくれそうにないので....
↓考えてみました。










2004年11月02日(火) おひさし鱒

どーも、お久しぶりです。るるです。
ちなみにタイトルは、おひさしマスです。
ほら、ワタクシ細かいこと気にしないタイプなんで、3日サボっても4日サボってもあんまり気にしてなかったんですけど、
ついに昨日、ゆみなから例によって例のごとく

「書けえええええええええええええええええ」

と言う、メールが届きました。
頭の良いワタクシは、一昨日の晩PCがちょっと固まって落ちてしまったことを思い出し、咄嗟にこれを言い分けにしようと考えました。

「PCの調子がよくないの」と。
しかし、これだけではゆみなおやびんのご機嫌を損ねると思ったので

「『うーまーいーー』が、うちの息子たちに流行中」
と何気なくおべっかを使ってみました。
あ、「うーまーいーー」と言うのは、ゆみなのご主人が美味しいものを食べたときに、「ま〜い〜う〜〜」と言ってるつもりなのかどうか知りませんが、
そう言うのだそうです。

すぐさま、ゆみなから返信がきました。

「新しいPC買えええええええええええええええ
マウスが近いのにしろよ。チャットがラクだから。
うーまーいーをその地域で流行らせてくれ」

流行らせてくれと言われても、ねぇ。まんまですし。

ワタクシ「金がないいいいいいいいい。あ、きんじゃないよ?はっ!」
おやびん「おめぇはカルーセルかああああ!平原徹男かあああああ!」

平原徹男かあああ!って言われても、ねぇ。
やたらゴツイ名前ですし。

ま、そんなわけで本日書いております。
えー、だんだんと涼しくなってきて、おでんが美味しい季節になってまいりましたね。
皆様は、おでんの具では何が好きですか?

先日ワタクシ、仕事仲間とそんな話をしておりました。
仕事仲間といっても、今回いっしょに採用された所謂同期たちで、
研修やその後のお付き合いから、だんだんキャラがわかってきた今日この頃、
自分をおでんの具に例えてみよう、ということになりました。

話の飲み込みが遅く、いつも出遅れているA子は
「私はこんにゃく。味がしみるのに時間かかるから」と言ってみたり
時々ぶち切れるM美は
「もち入り巾着。気をつけて煮ないと爆発するから」と言ってみたり
なかなか皆様、言い得ていてオモシロイ。

ワタクシは安易に
「ちくわ。中身抜けてるから」と言ったところ、M子が
「私は、ちくわのようにブチのない、白くてもちもちお肌のチクワブよ」
と言いやがりました。
このM子というのは、見た目とってもキレイでバリバリ仕事しますわよ!って感じなのですが、中身はやたらオモシロイ、アッチ系にも強い人です。
ワタクシは、M子に
「ま!ブチがあるですって!!
チクワは、穴にきゅうりを入れたりできるのよ!はっ!」
と、ここと同じノリで返してみたところ、
「チクワブは、ギザギザが武器よ!はっ!」
と、嬉しいことに、しっかり食いついてきました。

ほんとに、こんなキャラはここだけにしておこうと思っていたのに。。。

そんなM子はワタクシより4歳年上。
M子が「るる子さんって、馬年?」と言うので
「いえいえ、もう一年早く生まれてます、巳年です」
と答えると、
「あら、残念。私は牛年だから、もしるる子さんが馬年だったら、
私と二人で名実ともに、



お馬鹿コンビ


だったのに♪」





あのー、M子さん?

牛年と馬年で、牛馬ですけど?

それともM子さん、鹿年?


そんなわけで、仕事場でもおかしな友人に恵まれ大変に楽しくやっております。











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