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2004年03月29日(月) こにくらじいさん逝く

おひさしぶりです。あゆです。
今日の日記は少しだけ感傷的になるかもしれません。

旦那の父が突然亡くなってしまった。
いつか、「りゃ!」の時に少しだけ書いたことがある、あの「こにくらじいさん」だ。

脳梗塞だった。
通常なら手術をすれば助かる状態だったのだが、
義父は7年ほど前から骨髄性異型性症候群という白血病に移行する前段階の病を患っており、そのため、手を施すことができなかった。


いたずら好きで明るかった義父は、生前「こにくらじいさん」と呼ばれるとうれしそうだった。
世話好きで知人を車でいろいろなところに連れて行くのが好きだった。
ある時、義父が「昨日、二十歳(はたち)の女の人を6人食事に連れていってあげたんじゃ」と楽しそうに言ったことがあった。
義父にうら若き女性の知り合いが6人もいたなんて...と思いながらよく話を聞いてみると、実際は60歳のおばさんが2人で、「20歳の人6人分と合わせた年は同じじゃろう。わっはっは」ということだった。
そんな義父が乗っていた車は約9年で17万キロも走っていた。因みにウチの車は約10年で5万キロである。

反面義父は家族にはとても厳格だった。
どちらかというとのんびりしている義母はよく叱られていたし、旦那や義兄は夜中に起こされて朝まで説教されたということも度々あったらしい。
そして何よりも義父は自分に厳しかった。
自分が言ったことはどんなことをしてもやり通した。
義父は30年も前に心筋梗塞を患い、長くてあと5年の命と宣言されていた。
しかし、自分でいろいろ勉強をして、東洋医学が健康を維持するのにベストだという結論を出し、甘いもの好きだったのに砂糖を断ったり、定期的に断食をしたりなど、様々な努力をしてその病を克服したのだった。
私の父が15年前に脳梗塞を患った時に、東洋医学の治療法を勧めてくれて、一時は半身不随だった父も、わずか一ヶ月後には車が運転できるほどに回復したのも義父のおかげだと感謝している。

お通夜、告別式にはたくさんの人が訪れて義父との別れを惜しんだ。
あんなに健康に気をつけていた人が...と誰もが驚いていた。

もともと目鼻立ちがはっきりした二枚目だったのだが、病のために最近はすっかりやせこけていた義父だったが、棺の中の義父の顔はとても穏やかで美しかった。
普段は口げんかばかりしていた義母が「私が一目ぼれした時のパパの顔そのまま...」と言って泣き伏した。厳しい義父をけむたがっていた義兄も旦那も号泣した。5人の孫たちも泣いていた。
こにくらじいさんのことを、実はみんな大好きだったのだ。

私もありがとうと言って涙で義父を見送った。
ただひとつ、後悔していることがある。
義父が倒れる数日前、次女の養護学校中学部卒業の報告のファックスを次女の自筆で送ったのだが、その時に一言、「おじいちゃん、体の調子はいかがですか?」と書かせておけばよかった。書いたのは卒業の報告と、26日に岡山に行くという内容だけだった。
義父の家のカレンダーにはこう記入してあった。

26日りな来岡 
28日りな バーミヤン

28日に次女の好きな中華料理を食べにつれていってくれる予定にしてくれていたのだった。

お義父さん、ありがとう。そしてゆっくり休んでください。




2004年03月25日(木) どうでもいいこと

おはようございます。
昨日のゆみなの日記にあった呪縛が解けず、朝早くからせっせと書いています。

順番でいくとあゆの伴宙太なのだが、なんでかしらないけど私が書いている。
きっと明日はるるで、その翌日は私となるはずだ。


これが、二回も続けて一週間サボりつづけた人間に言うせりふでしょうか。
しかも、ゆみなはワタクシがサボりつづけている間、一言も「書け」と言わなかったんです。『りゃ!』時代に、あれだけワタクシを苦しめた催促が一度もなかったんです。
「まだかー」というメールは来ましたけど。
もう、これはねー、青春ドラマの見すぎですよ。
みんなに匙投げられちゃったどうしょうもない不良生徒に、言うだけ言ってその後は
「お前を信じている」と言わんばかりに黙って待つ。
そしてクラスのみんなに、
「明日の給食当番は、るるこだったな。」と
クラスの一員であることを忘れることのないように、しかも明日は必ず来ると信じるように、さりげなく言うのです。

そして、るるこは、チリチリパーマにぺっちゃんこに潰したカバン、
セーラー服の上着はお腹が見えそうに短く、
スカートはくるぶしまで長く、
手を洗うわけでもないのに袖口のボタンを外して一回折り返してあったり、
風邪を引いてるわけでもないのにマスクをしてみたり、
写真撮影というと腕を組んで斜に構え、時にはしゃがんでみたり、
そのくせ、持ってる小物にはキティーちゃんがついていたり、
お父さんとお母さんはいい人なんだけど、店が忙しくてるるこは実はさびしかったとか、
道端にダンボールに入れて捨てられてる子犬に自分を重ねて、その子犬を拾って帰り、可愛がったり
そして、ときどき自宅を訪れる担任のゆみな先生は
学校に来いとは言わず、
「元気か?明日の給食は揚げパンとソフト麺ミートソースだよ。ミルメイクもつくよ。ちょっとボケた色の三食ゼリーもでるんだよ。」
とだけ言い残し、猿。違う、去る。

ミルメイクか。。。
あれを入れる前に、ちょっとだけ牛乳を飲んでおかないとあふれちゃうんだよな。
そして入れるやいなや、as soon as、かき混ぜないと下のほうにたまっちゃって
最後のほうが甘すぎて、それもまた美味しいんだけどね。
ソフト麺はビニール袋から出す時に、必ず一人や二人、勢い余って床に落としちゃったり、そしてそれを悔やんで泣いたりするんだよな。
ミートソースと混ぜてるうちに、ブチブチに切れてしまって麺なのかマカロニなのかわからないような不思議な食べ物なんだよなぁ。
揚げパンは、今となってはなんであんなに美味しいと感じたのかわからないぐらい
油っこくて、噛むとじゅわっと油が口の中に広がるシロモノだったな。。

などと思いを巡らせ、給食を食べたいばかりに学校へ行く。
おずおずと教室に入っていくと、なぜかるるこの登校をお見通しだったらしく
クラッカーがパンパンッとなり、くす玉まで割れ、
クラスのみんなが、るるこを囲み、
「るるこ!」「るるちゃん!」「るるっぺ!」など呼びかけ、
最後におもむろに、ゆみな先生が微笑みながら頷き、
るるこに、投げ渡すのだった。給食袋を。

タラララッタ、タッタターー、タラララッタ、タッタターー
君はっ、なにをいーま、みつーめてーいるのっ♪

とまあ、そういうわけで、朝早く書いてみました。

『いれぎゅりゃ!』は青春だ!!








2004年03月24日(水) 雑話

知らないうちに週刊『いれぎゅりゃ!』にされていました。
こんばんわ。ゆみなです。


順番でいくとあゆの伴宙太なのだが、なんでかしらないけど私が書いている。
きっと明日はるるで、その翌日は私となるはずだ。


あゆは今、非常に大変な状況にあるらしく、とても『いれぎゅりゃ!』に関わってられないのである。
どのくらい大変なのかというと、携帯にメールしても返事が返ってこないくらい大変なのだ。
もしかしたら料金滞納してるのかもしれない・・・・。(ウソ。ほんとに大変なのだ。詳細はあゆが書くであろう)


さて、るるは生死を彷徨っていたために日記をサボったとほざいていた。
最初は「一週間も彷徨っていたのかよ!」と思ったが、日記のある一文を読み、るるの言ってることは本当だと理解した。
彷徨いすぎて自分で何を言ってるのか分からないほど己を見失ってしまったようである。
その一文とは、


閉会のご挨拶もしなければならなっかたのですが、
おいしいお料理と共にワインもこれまら美味しくて、クーッと飲み、
途中、楽しいお話に笑ったり、



そうとう美味いワインだったらしい。



るるんとこもそうだが、3月は卒業式だのなんだのとこじつけては、やたらと親の飲み会が多い。
私もそうである。
19日に卒業式を終えた次女の謝恩会が昨日行われた。
人数的には平日にも関わらず、クラスの半分以上が出席し、
いかに先生への感謝の念と酒を飲みたい念と家にいたくない念の強い人たちが揃っていたかが分かる。
私はその日仕事なのだが3年間お世話になった担任との最後の飲み会となると、たとえ長さんが亡くなったとしても駆けつけないわけにはいかない。


長さんで思い出した。今年は長嶋さんといい、いかりやさんといい、どうも「長さん」と呼ばれている人は不幸続きである。
私の知り合いにも「長さん」がいるから心配だ。
知り合いの長さんは「長田さん」と言う。
いままで一度も「長さん」とは呼ばれているところを見たことはない。今はじめて私が言ったのだ。
しかし字面から言うと紛れもなく「長さん」の部類に入るので勝手に心配している。
本人はきっといい迷惑に違いない。


迷惑で思い出したが、先日の夜中の3時頃、携帯にメールが来た。


『あまりにも迷惑メールが多いのでアドレス変えました♪
新しいアドレスはこれです!よろしくね♪』





って、おまえが迷惑メールなんだよっ!


まったく今の若いやつは時間の感覚がないのか!
若いヤツといっても、とっくに40過ぎてるやつだ。
私に年齢の概念はないのか!


年齢で思い出した。
昨日の謝恩会でプロポーションなんとかって店でインストラクターだかをしているお母さんと話をした。
その人は一ヶ月で5キロは簡単に痩せられると聞いてもいないのに私に話してきた。
3ヶ月で13キロだという。
その計算でいくと一年後には私の肉体は消滅することになるが、それはかろうじて大丈夫らしい。
彼女は「18歳の人はこうだった。70歳、80歳の人もちゃんと痩せられた。」と過去の成功例を持ち出し、口元に泡を吹きながら必死に説明している。(何度も言うが聞いてもいないのに、だ)
例としてあげた年代が18歳から一気に80代に飛んだことがまず胡散臭い。
また70歳、80歳の人たちはもしかしたらプロポーションなんとかのおかげではなく、病気で痩せていったという可能性もあるではないか。
それになにより、その口元の泡をなんとかしてほしい。
ムキになって喋り続ける彼女に少々うんざりし、さりげなく席を移動した。
目標がいなくなった彼女は次の獲物を見つけてはプロポーションなんとかの話をしていた。


獲物で思い出した。
これは自慢にとられると不本意なのだが、私はいい加減な人間である。
謝恩会の時、隣に座ったお母さんがいったい誰なのか最後の最後まで分からないまま話し続けたというほどいい加減なのである。
友人から「そのいい加減さがゆみなだよ」と最大の褒め言葉を貰ったのだが、別の友人は「それを失くしたらゆみなじゃなくなるよ」と私の存亡にまで及ぶ発言をしていた。
この内容と獲物の接点がまったくないことだけでも、私のいい加減さが分かってもらえただろう。


いい加減で思い出そうとしたが、何も思い出せないので今日はこの辺で終わらせてもらう。





2004年03月23日(火) ワタクシが書かなかった理由

お元気ですか。
そして、今でも愛していると言ってくださいますか。

水色は〜〜〜〜〜涙色〜〜〜〜〜♪

あべしずえです。
ダイエット成功しました。

歌ってる場合ではありません。
お元気ですか。
そして今でも覚えていると言ってくださいますか。

誰に聞いてるんでしょうか。
そしていつから、ここは週刊「いれぎゅりゃ!」になったのでしょうか。
あ、ワタクシがサボった時からですね。

でも、ワタクシは肥えを大にして言いたい。
ああ、太ったともさ。ほっとけーです。
違います、声を大にして言いたい。
ワタクシはただサボってたわけではないのです。
生死を彷徨っていたのです。
精子を彷徨っていたわけではありません。
なぜなら、ワタクシはあゆではないから。

ええ、あれは19日から20日にかけてです。
正確に言うと21日です。
ズレてます。カレンダーで確かめました。
朝、突然の頭痛と吐き気、倦怠感に襲われ、一日立ち上がれなかったんです。
満足な食事も摂れず、まさに三途の川がかすんで見えたほどです。
それが、今日、また再び、このくだらないサイトでくだらないことを書けるまでに回復したこと、ほんとに幸せを噛み締めながら、一文一文を書いています。

なぜここまで回復できたかと言うと、
家族の支え、友人の励まし、医師による懸命な治療のおかげ、

などということは全くなく、


酒が抜けたから。


であります。

ほんとに、久しぶりにひどい二日酔いをしてしまいました。
タッキーの園の謝恩会だったんですけどね、
ほら、ワタクシ、卒園までPTA副会長の重責に押しつぶされそうになりながら
駆け抜けてきたわけですよ。
準備のために、早めに集まり会場側と打ち合わせをしたり
司会進行のチェックをしたり、始まってからは最初の挨拶をしたりと
緊張を伴う忙しさの中、出されたシャンパンの美味しかったことったら。
クーッと飲み干してしまったんですねぇ。
すると、このシャンパングラスが魔法のグラスでして、
飲んでも飲んでも沸いてくるんです。
知らないうちにまた、ひんやりと冷えたシャンパンがシュワシュワと細かい泡を立てて、ワタクシに「飲んで♪」と訴えるわけですよ。
で、またクーーッと。。

閉会のご挨拶もしなければならなっかたのですが、
おいしいお料理と共にワインもこれまら美味しくて、クーッと飲み、
途中、楽しいお話に笑ったり、
先生のスピーチに涙したりと、
血圧が上がったり下がったりしたかどうか知りませんが、
なんだか、まわっちゃったんですねぇ。

ええ、もう、そのあとは閉会の辞も何を言ったのか、さっぱり覚えていません。
でも、まともなことを話していた、酔ってるようには見えなかったと友人が言ってくれたので安心しましたが、
その友人も、バッグをお化粧室に置き忘れていたので、
どの程度安心していいのかわかりません。

そのあとの二次会三次会も楽しくて楽しくて、
ええ、もうね、有終の美を飾ったというんでしょうか、
正確に言うと、立つ鳥後を濁しまくりと言うんでしょうか。
盛り上がりまくって帰った翌朝、いや、正確に言うとお昼前、
目覚めと共にワタクシを襲った頭痛と吐き気には、ほんとに死ぬかと思いました。
身体を張って、場を盛り上げるのはもうやめようと静かに反省しました。


ワタクシが、さぁこれからシャンパンをクーーッと飲み干そうという頃、
いかりやさんが天に召されたのだと、その日の新聞で知りました。
ショックでした。
二日酔いのワタクシに向かって「だめだ、こりゃ」と言ってほしかった。。
知り合いじゃないけど。

ご冥福をお祈りいたします。






2004年03月16日(火) 私の訴え

みなさん。私は顔を大にして言いたい。
違う。大にするのは声である。


るるとあゆの日記の冒頭部分を読んでいただければ私が何に怒っているかお分かりだろう。
そうなのだ。
二人とも自分たちの怠慢を私のせいにしているのである。
日記をサボったのは
「ゆみなが最終回と書いたからだ。」
「ゆみなの顔がすっとんきょうだからだ。」
「ゆみなはでかい身体。」
などと、あることあること書かれて私は今、非常に傷ついている。
あまりに傷つきすぎて、ダンナの財布から金を盗んでしまったではないか。
万が一、私が逮捕されたら二人ともすぐに面会に来い。多分、その時も私は笑ってることだろう。


さて、次女の卒業式ももうすぐだ。
末っ子が義務教育を終えるというのは、上の子供たちの時とは違う感慨がわくものである。
足掛け10年通った中学校に、もう来る事はない。
今度来る時は、私がボケて徘徊するころだろう。
それにしても子供が卒業するとなると何かと忙しいものである。
私は卒業対策委員でもなく、国家機密対策委員でもないのだ。ましてや給食委員でもないのに、である。
会社に例えると、単なるヒラだ。
そのヒラの私でさえ、やれ部活の謝恩会だの、小学校時代の保護者の飲み会だの、仲の良い母親たちの飲み会だのと、あちこちから誘いが来る。
あまりにも忙しくてダンナに
「あたしゃ寝るヒマもないよっ!」と八つ当たりしたら、
「そりゃ朝まで飲んでりゃ寝る時間もないだろうよ。」と吐き捨てるように言われた。
確かにそれも一理あるだろう。
だが、残りの九理は朝まで飲んでるのではなく、朝まで食べてるのだ。
朝まで食べてるで思い出したが、あゆは朝から肉まんを食べてるようだ。
よく朝っぱらから共食いが出来るもんだと感心した。


それにしても、たかだか義務教育の卒業ってだけで、こんなに親の参加を要する事態があるとなれば、これから先、子供達がいざ結婚だの出産だのという状況になった場合、私はどれほど子供たちの行事に参加しなければならない羽目になるのかと思うとゾッとする。。
今からラマーズ法を練習して、その時のために備えておいた方がいいかもしれない。


息子は息子で今度は大学四年になる。
世間ではみんな就職活動をしているというのに、息子にはまったくその気配がみられない。
大阪では40過ぎた女でさえ、派遣会社に登録して生き恥を晒しているというのにだ。
息子に
「就職活動とやらをしてるの?」と聞くと、
「大丈夫だよ。ウチの大学の就職率は98%だ。」と豪語している。
しかし私は息子に顔を大にして言いたい。
違う。声だ。


「おまえは残りの2%だということに気づけ!」と。


どういう方面に進みたいのかと聞くと、音楽関係だと言う。
肉体関係でもなく三角関係でもない音楽関係だと言われても、あまりにも漠然としすぎているではないか。
その上サラリーマンはイヤだと言う。
なら、ゼブラーマンならいいのかと聞くと、それも嫌らしい。
まったくワガママなやつである。
まぁ、どういう方面に進もうが構わないが、長女も長男もさっさと自立して家を出てってもらいたいものである。






2004年03月15日(月) 私が日記をサボったのはこういうわけでんねん。

おはようございます。あゆです。昨日は素で順番を間違えておりました。「早くゆみな書かねえかなあ。でかくてすっとんきょうな顔をしているくせに日記の更新が遅すぎるぢゃねえか、あいつは....」と思っておったのでおります。


それで、だ、私は今朝更新されてないのを見て、ひょっとして私だったのかな.....という思いが脳裏をかすめたわけだ。脳裏でよかった。
脳の表とか畳表とかだったらえらいことになるとこだった。
そこでわたしは昔の日記で確認することにした。
すると....


私は見つけてしまった。

土曜日のるるの日記の題名は
「おひさし鰤です。」だったが、

忘れもしない去年の10月31日。本当はすっかり忘れていたのだが、
るるの日記の題名が
「おひさし鰤」だった。(今、確認のために目次を開いた人が2人はいたと見た。るるとゆみなである。)

普通の人には、わかりにくいかもしれないが、違いは「です」をつけているかどうかだけだ。

しかも
共通部分の
「おひさし」は別に「お久し」でも「お久司」でも「おひたし」でもいいわけだし、
「鰤」は「ぶり」でも「ふりちん」でもいいわけなんだが。

因みに今私が日記を書いているのは午前7時20分。朝から「ふりちん」と書くのもなかなかオツなもんである。息、さわやか。ってとこだろうか。

何の話してたっけ。

ああ、るるの題名の話だ。
その前の本題は.............ああ、順番間違えたってことだった。

このように最近すぐ物忘れはするわ、くっだらねえ日記を書くわ、旦那はケチだわで、すっかりボケまくりの日々なのだ。

さっきも肉まんを食べようと(朝から肉まんかよ)、
皿の上に肉まんを置き、ラップをして、電子レンジに入れて
「何分あたためたらいいのかな」と思いながら
気がつくとわしは、肉まんの袋ではなく、ラップの説明書きを見ていたのだ。そっちには加熱時間は書いてねえだろう。
これはヤバい。
しかし、まだラップの「説明書き」を見ていたからマシだ。
これが皿の裏とか畳表とか(←しつこい)だとかなりヤバめといえよう。

ボケたくないといっても
夜年波にはかなわない。夜だけかよ。

今、職探しのため派遣会社に登録しているのだが、
登録会のときに簡単な試験がある。
この試験でわしのパソコンにおける弱点がわかった。

それは入力はまあまあ早いが、テンキーを全く使えないということだった。
それは実は数字の配列をなかなか覚えられないからだ。
この年になって新しいことを覚えるのは地獄のような苦行である。
そのうえ「かな入力なんです」と言うたびに恥ずかしい思いをするのはもうこりごりだ。昭和は遠くなりにけりだ。

今回の登録でパソコンだけでなく、他の弱点も露呈してしまった。
色々な日常的な質問に
「まったくあてはまらない」「ややあてはまる」「あてはまる」「非常にあてはまる」という選択肢から選んで回答するものがあった。


わしが選んだのはほとんど「ややあてはまる」だった。

わしはものすごく優柔不断ってことだ。

だからって年末にタバコやめてから6kgも太らなくても....。

がんばれ!わし。





2004年03月13日(土) おひさし鰤です

お久しぶりです。
前回のゆみなのタイトルに「最終回」とあったので、てっきり『いれぎゅりゃ!』が最終回なのかと思って書かずにおりましたところ、
ゆみなから「まだかーー」と催促のメールがきて、あわてて書いているるるです。
あわててるわりには、何日も経ってますけど。
長嶋さんお大事にシリーズの最終回だったんですね。
その長嶋さんも快方に向かってるとのこと、ほんとによかったです。

そんなミエミエの言い訳はこの辺にして。
先日来、ワタクシの顔を疲れさせていた、卒園にまつわるプロジェクトの中でも大きなものが一つ終わりまして、ほっとひと息ついたところでございます。
精も根も尽き果てました。
ママたちも卒園を前に、またガッチリと結束が強まったようで、今週末にある謝恩会では大いに盛り上がりそうです。
よかったよかった。

肩の荷もおりたところで、最近感じた世の中の矛盾について鋭くえぐっていくことにします。
先日スーパーに買い物に行ったときのことです。
レジでワタクシの前に並んでいたおばさん。
彼女のカゴの中に入ってるのは、100膳入りぐらいの割り箸のパックと駅弁二つ(駅弁フェアー中だった)。
それなのにレジのお姉さんは
「お弁当にお箸は何膳おつけしますか?」
って、聞いてくれるんですね。
おばさんも「2膳」って答えてました。
なんで?だって100膳もってるのに?
コレクション?
さらに、最近このスーパーでは、買い物袋持参の人にはスタンプを押してポイントにするというノーレジ袋運動とやらをやっております。
で、そのおばさんもノーレジ袋運動に参加してるらしく、レジでスタンプカードを出してポイントを貯めておりました。
が、袋に詰めるところに行ったら、そこにあるロール状のビニール袋、あれをカラカラカラカラ〜と大量に巻き取って持ち帰ってるって、どうですか。
もうね、カラカラカラカラ〜〜って、すごい勢いですから。
トイレットペーパーもあんなふうに音を立てて巻き取るんだろうなぁと思わずにいられない勢いでしたから。
彼女のカゴの中に入ってるのは、100膳入りぐらいの割り箸のパックと駅弁二つですよ?
ビニール袋に入れるものないでしょう?

いや、いいんですけどね。主婦の知恵かもしれませんしね。
きっと彼女の家にはファミレスのお砂糖やミルクがいっぱいあるんだろうなと思わずにはいられない出来事でした。

話は変わりますけど、昨日うちにタッキーちゃんの友達G君が遊びにきて泊まっていったんですよ。
スキーにも一緒にいった仲良しだし、卒園後は違う小学校に通うこともあって別れがたいみたいなんですね。
さらに昼間は慈英と祐二の友達も遊びに来ていて、家中男の子がうじゃうじゃいたわけです。自前の息子が3人もいるのに。
さらに今日もドヤドヤと遊びにくるらしいんですよ。
お前らは割り箸か。
3人で間に合ってますから。ほんとに。





2004年03月09日(火) 長嶋さんお大事にシリーズ。最終回

昨日のあゆはいったいどうしたというんだ。


「こんにちはあ。あゆでえす。」


大阪の寒さ以上にこのあゆの寒さをどうにかしてほしい。
こんばんわ。ゆみなでござる。


るるもあゆも長嶋さんのことを心配していたが私も例外ではない。
下敷きに長嶋さんは入ってなかったし筆箱に入れた記憶もない。もちろん冷蔵庫にも入ってなかった。
はっきりいって私の中のどこにも長嶋さんの存在は見当たらない。
しかし、彼の何事に対しても真摯な姿勢とそれを凌駕するほどのすっとぼけた逸話と、野球をやってなかったらガッツ石松と紙一重というギリギリの線にいる長嶋さんに尊敬の念すら抱いてる私は同じお笑い芸人として、どうしても長嶋さんには良くなってもらいたいと心底思っている。


また、それだけではなく、実は以前、長嶋さんの奥さんとお会いしたことがあるのである。
私は徳光さんご夫婦と懇意にしていただいてる関係で、徳光さんの奥さんと長嶋夫人と私ともうお一方と会った事があるのだ。
たった一度なのでもちろん亜紀子夫人は私のことなんぞ、とうに忘れてるだろうし、たとえ覚えていたとしても、せいぜい「綺麗な人」程度の記憶しかないだろう。
その頃は長嶋さんが巨人軍の監督をしていた時期で、それも最下位を彷徨っていた頃だったので、
長嶋夫人に「長嶋さんに頑張ってください。とお伝えください」と言った。
すると奥さんは「主人が頑張っても選手が頑張ってくれないとねぇぇ。」などと選手のせいにしていた。
私も「そうですよねぇ。いっそのこと監督がまた復活して打つってのはどうでしょう。」と提案したが一笑に付された記憶がある。
長嶋さんのあの天真爛漫な明るさとは対照的に落ち着きのあるあの奥さんの今の心境を思うと、一日も早い回復を願わずにいられない。


さて、話は変わるが、最近の私はなぜか忙しい。
仕事もそうだが、次女の高校進学に際しての諸々の手続きやら購入品やらで土日も競馬に専念できないほどの忙しさだ。
先日も教科書だとか靴だとか体操着だとかを買いに行った。
なんでこんなものまで指定されなきゃならないのかと思いつつも、
そこが業者との癒着を如実に物語る私立高校の特色なのだから仕方がない。
娘は娘で春休み中の宿題を大量に高校から貰ってきて、
「どうして一番気楽に過ごせるはずの春休みにこんなに問題を解かなきゃならないのか。」と不満げだった。
親子そろって不満をぶちまけるために、帰りにファミレスに寄った。


するとそこである親子に声をかけられた。

「あの〜、ゆみなさんではありませんか?」

正直に言うと私にはその親子の記憶がまったくない。
思い出そうにも何をどこから思い出したらいいものかすら見当がつかないほど記憶がないのだ。
もしかしたら私はボケたのかもしれない。
でなければ、この親子がボケていて、あてずっぽで私の名前を呼んだらタマタマ当たったかのどちらかだ。
しかし、自慢じゃないが私はただの美人なだけじゃなく、ものすごい八方美人である。
どんなに記憶のない人間に対しても
「あああああ!!ひさしぶりぃ〜。」と言ってしまうのだ。
喋ってるうちになんか思い出すだろうと高を括っているのである。
だが、1分喋ろうが2分喋ろうがなんの手がかりもつかめない。
そのうち、次女がトイレから戻ってきたので、こりゃ次女の記憶に頼るしかないと思い、
「ヒロミ!覚えてるでしょ〜〜?ひさしぶりだよねえ。」と聞いてみた。
すると次女も、
「ああああ。」と言った。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、次女はすぐに
「誰ですか?」と言い、私に助けを求める目つきをした。
私はどうしたらいいものかと迷いながら
「ほら。あの。えっと・・・」とドギマギしていたら、相手のお母さんの方が
「幼稚園で一緒だった高田香織だよ。忘れた?」と名乗ってくれた。
私は心の中で「ああ、高田香織ちゃんかぁぁぁ。」とそこまでは思い出したが、高田香織ちゃんがどういう子だったかまでは、やっぱり思い出せなかった。
次女は名前を聞いても思い出せないようだった。


それでも高田親子は嫌な顔ひとつせず、
「ゆみなさん。全然変わってないからすぐ分かったよ。実はね発表の時に見つけたんだよ。」と言ってきた。
そこまで覚えていてくれたのに何にも思い出せない私は高田親子に申し訳なく感じ、なにか言わなきゃと使命感に燃え、
無難な線で「髪、切ったのね。」と適当に言ってみた。
すると、うまく的中し、
「そうなの。昔は長かったからねぇぇ。」と高田母が答えたので、私のいい加減さもたまには当たるもんだと自信がついた。
それからしばし話した後、これから入学したらよろしくね。と挨拶をして別れた。
次女は高田香織ちゃんのことは最後の最後まで思い出せなかったが、その日の香織ちゃんの印象がとてもよかったので
「高校に行ってもひとりお友達が出来たから良かった。」と安心していた。


次女は今日、川越まで校外学習とかいう遊びのような学習をしに行き、明日は球技大会で、明後日は卒業遠足でディズニーランドに行く。
19日の卒業式まではほとんど遊びのような中学校生活をエンジョイする。
高校に行ったら、勉強中心の生活になるのは目に見えているので今のうちにたくさん遊んでおくがよい。






2004年03月08日(月) 長嶋さん......

こんにちはあ。あゆでえす。この寒さ、どうにかならないでょうか。でもこの冬、ウチではエアコンを一回しかつけませんでした。どうやって寒さをしのいできたかと言うと、毎夜毎夜家族4人で抱き合って眠ったのです。

冗談はさておき、東シナ海沖、長嶋さんだ。長嶋さん。
私は大ファンである。
中学時代、同級生はみんな下敷きにフィンガー5や郷ひろみや西城秀樹や
ぴんから兄弟など当時のアイドルの写真を入れていたというのに、
ワタクシだけは、ワタクシだけは、長嶋さんの引退試合の写真を入れていたくらいだ。写真といっても「週刊ベースボール」の切り抜きだけど。
長嶋さんが好きで好きで好きで野球が好きになったのだから。
巨人の球団史上初めてリーグ最下位になった時も監督が長嶋さんだから許せた。
そしてその後、巨人の監督の座を追われたとき、ものすごくさびしかった。と、いうか、長嶋さんは神の子だから、どんなことがあってもユニフォームを脱がないと思っていた。たまには洗濯しろよと思った。そうじゃないだろ。とにかくその頃の日記に(当時ワタクシは大学生)「すごくショックだ。長嶋も死ぬんだなと思った」と書いてあった。縁起でもない。呼び捨てだ。そこかよ。
さすがに年齢とともにそこまでは思わなくなったが、長嶋さんが病気になったりするなんてそんなことは考えも及ばないことだった。
本当に驚きもし、心配である。
多分、長嶋ファンならずとも、全国民が思っていることは1つに違いない。





○べツネだったらよかったのに.....。

不謹慎だけど本音の話題はこのくらいにして
私がフリーになった話だが、
ゆみなはまるでケチで有名な旦那のせいで、私が首になったと書いてある。
旦那の名誉のために言っとくが、ゆみな、それは違うのだ。
首になったのは旦那がいてもいなくてもケチでもケチでなくても遅かれ早かれなっていただろう。だからやっぱり旦那には関係ないことだ。
ただ、当人たちにシコリを残すようなやめ方をせざるを得なかったのは
旦那の括約筋のおかげだということだ。めっちゃせこい動きをしそうだな。旦那の括約筋。

さて、ぱちぱち生活だが今んとこなんとか黒字でがんばっている。
毎日パチ屋に行って驚いたのが、毎日パチ屋に来ている人がいるということだ。そんなアホなヤツはわしらぐらいだろうとタカをくくっていたが
アホは他にもいるのだ。本当に。
しかも、毎日4,5万は軽く負けたりしているおばはんまでいる。
いっつもジャージを着ているのだが、どうみても貧乏くさい。
なのに毎日4,5万使える優雅な生活!時には10万ほど負ける日も。
おっそろしい。
そのおばはんが昨日は珍しく旦那さんと来ていた。
この旦那さん、気の良さそうな人で、見るからに根性の悪そうなおばはんに騙されて結婚したんだろうなというのが見て取れた。(←勝手に決め付けるなよ)しかし、その旦那さんあまりパチンコが好きではないとのことで、おばはんはそれが不満げな様子だった。
おばはんは私に近づくと話しかけてきた。

「ええねえ、オタクは旦那さんがパチンコ好きで」


........。まあ確かに好きは好きだろうが
毎日顔をあわせるくらいの人なら、
ウチの旦那がパチプロということはわかるはずだ。
しかし、このアホおばはんはウチの旦那を「ただのパチンコ好きのおやじ」と思っているようだった。私はめんどくさいので曖昧な笑いを返しただけだったが、おばはん、ウチのだんなはただのパチンコ好きと違うで。
ウチの旦那は




「パチンコ好きな、みみっちいおやじ」なんやて。
形容詞は重要だ。
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2004年03月07日(日) 長嶋さん お大事に。

こんにちは。長嶋さんが心配で日記を書けなかったるるです。
ほんとに、一日も早くお元気になってほしいと思います。
長嶋さんのこと大好きな人って、たくさんいると思いますけど、ワタクシもとても好きです。
明るいですものね。意地悪なこと言ってるところ聞いたことないですしね。
以前、テレビで自分は負けず嫌いだということを言っていて、たとえジャンケンでも負けたくないと言っていたんです。
で、たぶん台本にはなかったんでしょうけど、「じゃ、ジャンケンしましょう」とそのときのゲストだったかアナウンサーだったかが言ったら
長嶋さん、ちょっと驚きながら
「ジャンケン?ジャンケンするんですか?
グー、チョキ、パーの?
チョキ、パー、グーの?
パー、チョキ、グーの?
あるいは、チョキ、、、、、、」
と、延々とジャンケンの組み合わせを真顔で言ってましたけど、
あのときに、ワタクシは長嶋さんっていう人は、本当にスーパースターなんだなと確信しました。
普通の人が、そんなわかりきったことを確認したり、さらにはわかりきった組み合わせを延々と言ったりしたら、しらけますけど、微笑ましいんですから。
ほんと、たかがジャンケンで。
結局負けてましたけど。悔しがってましたけど。

なんかねー、ほんと好きです。
鯖のことを「魚へんにブルー」と言ったとか
お寿司やさんで、板さんのことを「シェフ」と言ったとか
ウソのようなほんとのような逸話がたくさんある方ですけど、
長嶋さんだからこそですよね。

一日も早いご回復を、こんなふざけたサイトからで申し訳ありませんが、マジメにお祈りしております。

さて、タッキーちゃんのお机、届きました。
いよいよ一年生なんですねぇ。
幼稚園では、卒園を前にママたちの涙腺はユルユルでございます。
先日も最後の保護者会だったんですけど、一年を振り返って一言ずつ話し始めたら、もう、ママたち言葉つまりまくり、涙ハラハラ流しまくりでした。
ええ、ワタクシも、入園したころワタクシから離れられずに泣いていたタッキーちゃんが
こんなに立派に大きくなって、卒園式では卒園生代表で答辞を読むことになったと思ったら、もう胸がいっぱいになってしまいました。
寄せて上げてますけど。
ほっとけーです。

ワタクシも8年間、送り迎えに通った幼稚園とお別れすると思うと、ほっとするような寂しいような。。やっぱり寂しいです、とても。

こんなふうに思える幼稚園生活を送れたことに感謝。
子どもたちと仲良くしてくれたお友達に、ママたちに、そして
愛情をそそいでご指導くださった先生方に、感謝。




2004年03月05日(金) 懐古

私が二回もサボったにのはちゃんとした理由がある。
それも一つや二つではなく128個もあるのだ。
しかし字数の関係ですべて割愛するしかないのが残念だ。


こんばんわ。ゆみなでござる。
すっかり自分的には「ござる」が気に入ったのでIEの”お気に入り”ってとこにも「ござる」を追加したほどだ。


るるもタッキーが卒園・入学と多忙を極めているようだ。
末っ子が小学校に入ると精神的にだいぶ軽くなるが、その分体重は重くなるのだから困ったもんである。
これからの小学校生活でもたくさんのネタを提供してくれるに違いない。


ウチの息子も小学校の時はいろいろやってくれた。
息子は姉と妹に挟まれた男の子なので自分がなにか喋ろうとしてる矢先に上下の女たちがわれ先に話し出し、
いつも一歩遅れをとってるうちに、いつのまにか無口になってしまった。
そのため学校での出来事もこちらから聞かないと滅多に話すことはなく、
私はなるべく意識して息子に話しかけるようにしていた。
「今日学校で何があった?」とか
「どういう勉強した?」とか
「友達と話した?」とか、そんな他愛もない話をした思い出がある。


ある日のことだ。
私が家でテレビをつけようとしたらリモコンがないのに気がついた。
部屋中どこを探しても見つからないのだ。
そのうち息子が帰宅して珍しく自分から話してきた。
「今日ね、筆箱と間違えてリモコン持って行っちゃったよ」
「・・・・・・・」
いったい、どこをどう見れば筆箱とリモコンを間違えるのか息子に聞いてみたが自分でも分からないと言うだけだ。
かと思えば、ノートがいっぱいになったからといって最初のページを全部消しゴムで消して、また使ったり、
学校からランドセルを忘れて帰ってきたこともしょっちゅうだった。
また、委員になったと言って喜んで帰ってきたので「なに委員?」と聞くと「元気係」だと教えてくれた。
どういう仕事をするのかと聞くと元気のない人のところに行き「元気出してね」と言うだけらしい。
先生も生徒全員になんらかの委員の役職をつけなきゃならないと必死だったに違いない。
そんな息子も今では大学生になり、筆箱とリモコンを間違って学校に行く事はなくなったし、
カバンを忘れてくる事もなくなったが、
時々、自分の名前を間違えて書くのはそろそろ直したほうがいいと思う。


さて、あゆだ。
どうやらクビになったらしい。
あゆに首があったことにも驚いたが、その原因がケチで有名なダンナにあったらしく、
まったく人の仕事にまでクビを突っ込むとはいったいどういう了見なんだ。と思っていたが、昨日の日記を読むと、
どうやらダンナさんはあゆが家にいないのが寂しかったのではないかと思う。
仕事をやめてもらって夫婦揃ってパチンコに行きたかったのではないだろうか。


昨日あゆに
「クビになって無職で大変ヒマなところ申し訳ないが代打を頼む」とメールしたところ
「わしも忙しいんだっつーの!パチで・・・・」
と、とってもイキイキした返事が返ってきた。
パチプロ夫婦の行く末に幸多かれと願わずにいられない。

合掌。





2004年03月04日(木) 代打だけど楽しい我が家

こんばんは、あゆです。また今日もゆみなは背中が痒いらしい。というわけで私が代打日記を書いた。

昨日までの流れでいくと、これで日記が終わってしまう。
そうは問屋が卸さない。どう卸すんだ。問屋。

突然フリーになって、なんだか、
毛の抜けた生活にイヤ毛が生えている。
イヤイヤ生えてる毛か。
イヤイヤ生えてても毛は毛だろう。悪いか。
って誰に対して何を怒ってんだわしは。
正確に言うと
気の抜けた生活に嫌気がさしている。
だ。

しまった!
これ、最後の「本日の言いまつがい」に使ったらよかった。
もうあとの祭りだ。
それにしてもなんだあとの祭りって。

いやに今日はつっかかるな。わし。

それほど嫌気がさしているということだ。


「せっかくだからさあ、こういう時に映画行ったりしようよ。」

「ゴルフも行く?」


そりゃあ私だって、映画も行きたいし、ゴルフもしたいよ。


でもアンタとは行きたくないんだよ!

アンタと行くくらいだったら一人で行く。
ゴルフもアンタと行くくらいだったらしたくない。

アンタって言ってるからと言って、私がオカマになったわけではない。
もともとオカマだ。オカマなのかよ。ゆみなかよ。

アンタとはあの人だ。

そのアンタが先日、

これなら家族全員痩せられる!
と突然叫んだ。

見ると何かDMを見ている。

何?それ。

子供たちの質問にアンタは答えた。

「部屋に置くだけで痩身波動を出して部屋全体をダイエットルームに変える機械があるんだって。」

......。
アンタ、何回も言うようだけど

手足に巻くだけで痩せる器具や
おなかを基点にして腕の運動をする道具や
首に巻く趣味の悪い金属は

ぜええええんぶホコリかぶってますが?

ケチ節約家なのに楽して痩せる道具には目がないのですなあ...。

その前にゴロゴロしながらお菓子を食べるのをやめなよ。
と思う私を尻目に
アンタはそれを注文した。

私はどんなものかとDMに同封されていたチラシを見た。

おなじみ使用前使用後の写真は、一ヶ月で13kg痩せたとか
7kg痩せたとかの紹介。ありがちありがち。
もちろん「全国からの驚きの声」も紹介されている。
そして、一番注目したのは....
この世紀の大発明をした"ドリーム・チーム" の写真だった。
白衣を着たアメリカ人(アメリカで世界に先駆けて発表されたとのこと)が、3人立っているのだが、
私はまず彼らのバックに注目した。
そんな大発明をした場所のはずなのに、彼らの後ろには

木製の棚。

しかも赤っぽいビンが2.3本と小さな箱が数個だけで、あまり物も置いておらずスカスカである。
横にはプラスチック製の4段の小さな引き出しがある。
どこの家庭でもあるような安そうな透明な引き出しのやつである。
その上にはダンボール箱が見える。

そして、そのドリーム・チームの面子だが...
まだ左端はめがねをかけて腕組みをしており、研究者に見えないこともない。商品を手に、ちょっと薄笑いを浮かべている真ん中の人は広い額に一束ハラリと前髪が垂れている。これもまだよしとしよう。
問題は右端の男である。他の二人より背が高い彼は、黒ブチのめがねをかけ、マッシュルームカットっぽい髪、少し斜に構えて両手を自分の胸のあたりで組んでいる。
こ...これは....


オースティンパワーズ!!!

この男のおかげで、その写真は、どう見てもコメディー映画のワンシーンのような感じなのだ。

あやしいぞ。あやしすぎる。

なのにその「装置」は今日ウチにやってきた。

大きさは普通の国語辞書の半分くらいで、ものすごく小さい。
こんなので「部屋全体をダイエット・ルーム」に変えることができるのか?
価格はアンタにしては清水の舞台から飛び降りてその反動でまた舞台に戻ってくるような

15,800円!!


喜々として、その「装置」を設置しながら
(と、言ってもコンセントをさすだけだが)、アンタは言った。


「これで痩せたら1人10,000円ずつちょうだいね。」


ついに家族相手に商売まで始めちまいやがった。
小商いだし。





2004年03月03日(水) ワタクシが代打する理由

こんばんは、るるです。
ゆみなが、掻けないというので代わりに掻いてます、背中を。
さぶいです。
あ、そう言えば奥さん、明日は東京も雪が降るらしいですよ?
やめてほしいですよ。
もうすっかり暖かくなったものだから、ダウンのコートはクリーニングに出しちゃったんですもの。

さて、ゆみな、なんだかんだ言って忙しくしてるみたいですね。
ワタクシも、しつこく書きますけど忙しい毎日を送っています。
3月っていうのは、なにかと忙しいものです。
ええ、去年の今ごろもそんな理由で『りゃ!』は滅亡したのです。
ってことは今年もそろそろアブナイんでしょうか。
去年はワタクシが一人でいっぱいいっぱいになってしまって、「やめる」と言い出したのですが、今年はゆみなも忙しそうだということは、、、、ねぇ?
ま、あゆは一人、フリーだそうですけど。
ほんとに何があったんでしょう、職場で。
もったいないですよね。
あれだけネタが豊富な職場。
そこかよ。

そんな話はどうでもいいです。
最近セントルイス系のいれぎゅりゃ!ですが、今日はハートウォーミングなお話ですよ。
先日、図書館で紙芝居を借りてきましたので、タッキーちゃんに読んであげました。
「ねずみのすもう」というお話です。
一番最初のページは、太って強そうなねずみと、やせっぽちで弱そうなねずみが、お相撲をしている絵が描いてありました。
庄屋さんの家のねずみと、貧しいおじいさんとおばあさんの家のねずみです。

「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。」

昔話のお決まりのフレーズですね。
そこまで読んで、うちの利発な坊やは言いました。









「どっちがおじいさんで、どっちがおばあさん?」












どっちもねずみですし。。。
おじいさんとおばあさんはお相撲しないでしょうし。
したところで、夜中に次女に「やっぱり」と言われるのがオチでしょうし。
わからない人は前日のあゆの日記を読んでください。

そんなタッキーちゃんも、もうすぐ1年生。
机を入れるスペースは確保できました。
でも、椅子が入らない。ってか椅子が常にしまってある状態なら置ける。
もしくは、祐二が座ってなければ、タッキーが座れる。
でも慈英が座っていなければ祐二も座れる。
どうですか、このルービックキューブなみの難しさ。

結局、祐二を子ども部屋から一人部屋に昇格させ、慈英とタッキーとで子ども部屋をシェアーすることにしました。
でも3人が同時に勉強机に向かうことなんてないと思いますけど。

そういうわけで、ワタクシは今日代打をしました。








2004年03月01日(月) 私が日記をサボらなかった理由

3月です。早いものですね。今年もあと残すところ10ヶ月になりました。こんばんは。あゆです。

るるんちのたっきーちゃんももうすぐ1粘性。ねばねばしてるのかよ。
おめでとうさんだ。
ついでに言うのではないが、ゆみなんちの末のお嬢もみごと希望校に合格し、もうすぐ高校1年生だ。おめでとうさん。
負けず嫌いで言うのではないが、ウチの次女ももうすぐ高校1年生だ。この次女は、るるんちの慈英クンのように「うちのお父さんとお母さんは、毎晩ぼくたちが寝たあとに鍛えてるんだよ。ウォーウォーいって」なんて他人様に言った過去はない。
しかし、それは次女が保育園時代のことだった。その頃はまだ旦那のことをあまりケチだと思っていなかった私は、子供たちが寝たあと、たまには夫婦で鍛えることもあった。るるんとこみたいに毎晩じゃないけど。ある夜、鍛えていたところ、眠ったと思ってた次女がそっと寝室のドアを開けた。わしらはアワテテ布団に隠れた。その様子をじっと見ていた次女は一言、

「やっぱり...」

と言って開けたときと同じようにそっとドアを閉めて自室に戻っていった。

その言葉はその日、今ではすっかりケチで有名になった旦那に、夜8時くらいから、「りなちゃんもう寝たら?」と何回も何回も言われたことを受けた言葉だった。
次女よ、オマエは幼い頃から人間の本能を察する能力があったのか。
それとも、そんなに執拗に「寝たら?」と言われたのが腹立たしかったのか。今となっては謎である。
まさか今になって「あん時、どういうつもりだったんよ」と聞くわけにもいかない。

だけど、よく考えると、るるんちに関しては、慈英クンが幼稚園時代に「ウォーウォー」言って鍛えていたときにたっきーちゃんが製造されたと思われ。

さすがに昨日のるるの日記のオチに私が食いつかない筈もなく、長い前置きになってしまった。前置きだったのかよ。

何が言いたいのかというと、
私がフリーになったということだ。
フリーになったと言っても離婚したわけではない。そうだったらどんなにうれしいか。
仕事がフリーになったのである。
まあ、率直に言うとクビだ。垂直に言うとクギだ。
景気が上向きの兆候であるという政府の発表とは裏腹に
まだまだ苦しい会社はたくさんあるし、ウチの会社もそのひとつであった。
まあ色々あって、1本いくらという契約性にすることにした。
だからもう、痔、群馬、浅香光代、おとうさんの話はここには出てこないだろう。ネタが減るのが残念だ。
痔とは、たまには焼き鳥食いにに行こうという約束をしているのだが。敢えて鳥インフルエンザに挑戦する痔に乾杯。

今までこんなおばはんを辛抱強く雇ってくれたボスに感謝したい。

そして、今回の件の「色々」の部分にこの男が、いっちょうかんでいる...ということだけは言っておこう。


と、言うわけで今日から私は
パチンコをしながらの職探しの日々である。
パチンコ初日は1,000円で確変で当たり、5連荘しながらそのあと950回ハマり、やっと当たったと思ったら単発でその出ダマも飲まれるという
前途多難な今後を象徴しているような結果であった。

しかし、私が今、一番心が重いのは、


24時間こいつと一緒にいる...ということである。




だから今日、私は日記を書いた。





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