のんびりKennyの「きまぐれコラム」
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2009年07月13日(月) |
「ギャスプライスがまた上がり始めました」 |
最近ギャスの値段がまた上がり始めました。
ギャロン3ダラーというところにサイコロジカルな壁があって、 こいつをあっさり超えてしまうともういけません。
まず、皆さん遠くに出かけなくなる。 遠いゴルフ場はガラガラ。 カープールなんて、日頃みんな嫌がっていることを突然まるで、私大好きってな顔で始めたりする。 郊外の友人は、来てくれるのは大いにウエルカム。 こっちが行く番になると突然なぜか用事が出来て、行けなくなった旨の電話がしたくなる・・・・
私が日本を離れて、この国に錨を降ろした70年代中頃、ガソリンの値段はギャロン40セント前後でした。 リッターにすると、30円程度でしょうか。 当時は私もまだ日本の常識をひきずっていましたから、 「アメリカはガソリンが安いんだな~」と感じながら、日本から引っ越してきた人間には珍しかった セルフの(米国では昔からそうでした)ギャスステーションでV8のギャスガズラーに給油したものでした。
それがこの数十年の間に、他の物価の上昇と同じく、コンスタントに右肩上がり。 ギャロン1ドルを超えた頃、その頃まだギャスステーションの道路際の値段表示看板は 数字を書いた板を毎日取り換える原始的な方法をとっており、桁が4つしか無かった(つまり ◎◎セント・99 であったものが、1ドルの桁が増えたことにより、看板そのものの大きさが間に合わなくなり、数字が看板からはみ出している店が多かったのが強く印象に残っています。
そして、ギャロン1ドルから1ドル50セントを超え、2ドルに近づくまでは経済発展と歩調をあわせていたからでしょうか、それとも私が自分の事業の拡大に夢中だったからでしょうか、あっという間だった様に感じます。
そして2ドル弱の期間がけっこう長く続き、ついに2ドルを超えてからは、もう歯止めが利かなくなっていたのでしょうか、年を追って当然の様にギャスプライスは上がるものといった感じになり、 2年前についに米国の歴史上はじめてギャスの小売価格が3ドルを超えました。
さすがに、他の国の様に、整備された公共交通機関を持たないこの「さまよえる大国」では 3ドルを超えるギャスプライスは社会問題となり、需要と供給の原則を超えて、「政治の問題」となってしまい、ハワイ州でもギャスにかけていた州税を暫定的に減免することで消費者への最終小売価格を抑えることになりました。 その州の財政が今度はピンチで、特例減税措置が取りやめになった途端の、今回のギャスプライス3ドル超アゲインというわけです。
化石燃料の時代が終わろうとしているということは、私の様なオジサンにもわかります。 自動車は急速に「電気自動車の時代」に突入していくでしょう。 その時、この国の自動車のメッカはデトロイトでは無いでしょう。 私のガッツフィーリングは西海岸、シリコンバレーとファイナンシャルシティー、 今までは自動車産業には間接的に縁があっても、直接その生産には縁が無かったエリアが 将来の電気自動車産業のメッカになるという気がします。
我々アナログ世代のオジサン達はもうすぐ天国ですから、その隆盛を実際に見ることは無いかもしれませんが、この予感はかなりの精度であたるという自信があります。
さ~て、明日はゴルフか・・・・ ギャス入れてこなきゃナ~・・・・ 高けえんだよナ~・・・・
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