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Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
2004年01月31日(土)
好きになる人。
午後から学校へ。指導教官のO先生に会いに行ってきました。「あぁ、怒られるかも。。」と内心ビクビクしながらも表情には出さないようにリラックスし、かつリラックスし過ぎないように自分を創ること15分。思い切ってO先生の研究室のドアを叩きました候。(→小心者。)
「はーい、どーぞ。」と声が聞こえたので中に入ると、他にも3人おりました候。
K先生とM先生、そして今日初めてお会いしたW先生。みなさん29歳から32歳までの若手研究者でありまする。あぁ、皆さん、ホント賢そう・・・。と感動ばかりしていられないので、とりあえず皆さんとお話し、何とか笑いを取ることができました。お役に立ててよかったです、ハイ。
っうか、K先生。タイプなんですけど。^^;) 一般的には、M先生(→長身&男前&妻子持ち&昔生徒と不倫・・。)の方がカッコいいとみなされているのだが、私はK先生の方が良いなぁ〜♪何処が良いと聞かれるとホントに困るんだけど、っうか、誰にも言ってないから聞かれないけど、「声」もしくは「話し方」かなぁ。あんまり背が高くないところも良いと思う。
という感じで、帰りの電車の中でK先生の特徴を掴もうと色々と思索していたら、過去に私が好意を持つ人は男女問わずかなり似ているコトが判明しました候。
まず、上に書いた「声」または「話し方」。声は大きい方が、話し方はハキハキと。話の流れが論理的だとなおステキ。身長については、180cm以上は絶対ダメであーるよ。最低でも178cm以下が好ましい。(→ちなみに私は155cm・・・。)
性格というか、性質(?)は、欲張りに聞こえるかもしれないが、静と動の配分が美しい人が好ましい。K先生を例にすれば、賢く(→だって29歳で助教授だよー。)、それでいて、すごくアクティブな雰囲気。う〜ん、上手く表現できないけど、スーツに汚れたスニーカー、って感じであるよ、K先生は。
っうか、今、可笑しな妄想に入りそうになってしまいました候。(→あ、でも大丈夫ですよ、K先生、既に妻子いますからね?)まぁ、今日たまたまコレを読んでしまった方々は不運であった、と言う他あるまい。っうコトで、今日は最初から最後まで“そのほかのほざき。”でした候。(→っうか、この日記自体ほざき・・・。タイトル『心地よい“ほざき”』にしようかなぁ・・・。)
2004年01月30日(金)
ぼんやりと、1日。
びっくりした。朝、鏡を見たらお肌が荒れてたよ、すご〜いんだよ、コレが。
っうか、メイク落とさずに寝た自分が悪いのでありまする、ハイ。
まぁ、放っておいても大丈夫な時期というのもありましたし、見た目で収入を得ていた過去(の栄光。)もあったりするワケで、なんと言いますかね、気がたるんでおるようです。あぁ、頑張り始めるか、美容。。。
っうか、今日はホントにぼんやりと1日過ごしました候。知人が某日記サイトを諸事情により追い出されたので、知人用のBlogを作ったりとか、DVD見たりとか、ケーキ作ったりとか、本気でダラ〜っと、ダラ〜っと、しとりました、ハイ。で、気づいたんだけど、もしかして私、かなり幸せモノかもしれん。
よくよく考えてみれば、本気でダラ〜っと丸1日過ごせる人ってそんなにいないですよね。この前、友人マツダ氏(→OLの仮面を被った社会学者。)も「自由になる時間なんかないのであーるよ。」と言っていたし、ビジネス雑誌を読むと「頑張りすぎであーるよ。」と思うほど忙しくしておられる方々が多いし。特に、家族がいる方が資格を取得するのはホントに大変なのだなぁと思いまする。
私は「時はカネなり。」ではなく、「時はカネ以上。」と思う人なのでダラっとすることも多々ありまする。が、こうして私がダラっとしていられる前提にはたくさんの人たちのバックステージがあるのだなぁと、私を支えてくれている人たちにほんのりと感謝。(→っうか、オチはありませぬ。)
そういや昨日家庭教師してる時に、私が今までやってこれたのってほとんどこのキャラのお陰だよなぁと改めて気づく。人は実力で評価して欲しいというけれども、その評価されたい内容って、みんなは一体何なんだろう。とか思って、今日が申し込み締め切りだった某資格はパスすることに。上手くいえないけど、私が評価されたいのはその資格の有無じゃないよなぁと、心の声が言っておりました候。(→勘違いか?)
□■□■□■□■□■□そのほかのほざき。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
・MM『ビジネス知識源』(無料の方の。)を熟読。不明だったコトが上手く説明されておりかなり頭がすっきり。後でノート化予定。
・DVD『ラウンダーズ』を見る。たぶん3回目かなぁ?ポーカー、要するにギャンブルのお話なんだけど、株にも通じるなぁとしみじみ。特に、相手の表情(→株で言えば市場センチメント。)を上手く読む、っていう点はもっと勉強したいものであるよ。
・上記に関連して、ソロスじぃさんの過去の言葉をもう一度考えてみようと思いまする。
・
ちはるの多次元尺度構成法(日記)最新版を読んで。
まず、通過テストがあるなんて羨ましいなぁと思いました。私が行ってた大学ではほとんどの授業は最終テストのみで、もちろん再試験なしだったから、テスト中に泣きたくなる、というか、自暴自棄になる気持ちはよ〜く解かりまする。先生方、できない生徒ですみませんでした候。
・夕方、友人カンゲンさんから電話。癌じゃなくて良かった〜♪
・っうか「ほざき」の方が長い。。。けど、遠慮なくさらにメモ。
http://www.paulgraham.com/taste.htmlを偶然見つけて読む。なんか開けた・・。今まで狂ってる人だと思われそうで口にできなかったけど、今度からは言うことにする。"I can size up whether the asset allocations are beautiful."とか何とか。
2004年01月29日(木)
パーソナリティの差異。
お昼ちょっと前、学部の時の後輩Kクンからメールが。「今、大学に来てます。何してますか〜?」って感じの。で、1時間ちょっとお茶を飲みに行ってきました候。っうコトで、かなり久しぶりの対面。で、彼は違う院なのであるが、二人とも今年卒業というコトでお互いの院の感想など話したり、今後の身の振り方、とか、まぁ、要するに、かなりマトモな会話を交わしました候。
院については、それぞれの院によってメリット&デメリットは違うけど、総合評価としてはお互いに「まぁ、満足かなぁ?」という水準で落ち着いた。で、彼と話してて今さら気づいたけど、私の行ってる院はある意味、っうか、言っちゃうと院生のプロフィールに多様性があるって意味ですごく恵まれてるのかもしれん。あと2ヶ月しかいないワケだし、メリット生かしきれるように努めるコトにしまする。
意見、というか、パーソナリティの違いが表れたのは、やっぱり身の振り方でありました。だって、Kクン、4月から銀行員になるんだもんなぁ。私とは明らかに気質が違うでありましょう。。。ちゃんと「その時は融資お願いね〜♪」と言っておきました候。まぁ、遅かれ早かれ独立開業したい、って点は同じだけれども。
でもね、内心、「惜しいなぁ。」と思う私がいた。誰が見てもKクンの方が私の10倍は知識水準は高いのに、実際にその知識を使ってみる、というフェーズでは、センセーショナル欲求(注:日本語では新奇性探求症候群、とか何とか。)の強い私の方がアドバンテージがあるという事実。「何だかヘンなの。」と思ったのでありまする。聞けば、「院に入ってからバイトもインターンもしてないっす。」とのコト。なるほど解かりました候。
嫌味じゃなく、ただ単純にもったいないなぁと思ったよ。経営学やってるキミがさ、今まで学んできた知識体系が現時点でどれだけ実際に適応されているのかを知らないなんて、すごくもったいない。事実、アカデミックの世界は現実の世界よりかなり早く進んでるんだもん、「次に何がくるか?」くらい、インターンすればすぐに読めるようになるのに。(→あぁ、ホントもったいない。。)
でも、帰り道、歩きながら思った。「これがパーソナリティの差異、なんだよなぁ。」って。たとえ似たような環境にいても、何をするか、何を選ぶかは各人のパーソナリティに依存する。いつもギリギリのところでその人の一生を決めるのは、もうどうしようもなく、パーソナリティなんだよなぁ、と思い、不意に今後の自分の身の振り方に思考が飛んだとき、ある言葉を思い出しちょっと考えさせられた。『ビジネスは実にシンプルである』、 ジャック・ウェルチの言葉。
再び嫌味じゃなく、「どうして頭の良い人たちはいつも単純なコトを複雑にするのを好むんだろう?」と久しぶりに考えた、夕暮れ。
■□■□■□■□■□■そのほかのほざき。□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
・るり子さんにBBSで「なんでシングルなのさ〜?」と突っ込まれる(笑)
午前中は「シングルでいたいのさ〜。」とか返したけど、ちょっと違うかもしれないなぁ、と今さら思いました候。(爆)私は一般的に定義されてる結婚には不向きな人、っう点はホントなんだけど、相手と創っていく関係は好きであーるよ。そして、そうした相手との関係は、常に心地よい孤独を感じる関係、何て言うか、抱き合って「私たち」になるんじゃなく、「私」と「キミ」は違うんだって思って安心できる関係なのよん。って、自分でも良くわかんなくなってきたけど、とりあえず思いついたので記入。っうコトで「未だにシングルなのさ〜♪」(笑)
2004年01月27日(火)
不安の不思議。
(注)今日の日記はかなりひとりで喋ってます候。内省的ではありますが、暗くはないです候。
何と言うかですね、要するに、私、最近気分にムラがあるのであーる。で、「もしやウツの手前かも?」と思い、1時間ばかり調べてみました候。っうか、実は大昔にウツ症状になったことがあるので、どういう状態がウツ「病」なのかという点については理解しておりました。で、病院に行っても今の症状ではどう考えても「病」とは判定されないレベルなので、今後の予防のために以下、ここ数ヶ月を振り返ってみまする。
確か冬になると日照時間が減少するために気分障害が多くなる、というのも事実あるし、私の場合もそれが原因の4割かなぁと思う。これに付随して運動量も減少してるはず。
それと、さっきこの日記を読み返してみて気づいたのだが、お正月明けに一度倒れておるし、論文提出前のここ1ヶ月くらいは意外とストレスを感じていたらしいねぇ。さらに、人に会うの好きなクセに、ここ数ヶ月は何かと理由をつけて誘いを断ってた気がするなぁ・・・。っうコトで、これらは改善しまする。
それに何よりも漠然とした「不安」があった気がする。私個人は株のトレーディングで慣れされたおかげで、「不安」に対する慣性は高いと思いまする。けど、今回のはそういう慣れた不安じゃないんだろうね、たぶん。今まで一度も経験したことのない何か、に対する「不安」。
う〜ん、上手く言語化できないのだけれど、要するに、これからの自分の意思決定が、どれだけ周囲の人たちに影響を与えるのかを冷静に考えると、時々、「ねぇ?ホント私が決めていいのかい?」と思っちゃって、「不安」になる。
つまり、自分の意思決定能力に「不安」を感じてるんだと思うのであるよ。あぁ、もうちょっと図太く無神経にならないとな、○○の社長みたいに・・。って、コレ書いてたら何か開けてきたよ。あぁ、もしかして私、すでに○○さんより図太い、っうか単純、かもしれん・・・・。
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・
海亀日記の1月20日。以下部分的に引用。≪手を動かしつづけなければ、なにかが死ぬ。モティベーションや想像力の火はあると思っていても、手を動かさなければ、その火も消えていく。残酷だが、それが事実なのだ。≫
私に必要なのはたぶん、手を動かすこと。火が消えるまえに、その火を描かなくては。
・
南研子氏の日記を一気に全部読んでしまった。特に昨年の3月19日の講演のお話には共感。南氏と同じく私も高校生の頃タバコとかオトコ(笑)とかかなりやんちゃだったけど、そう遠くはないいつか、「多少ですが人のお役に立つことができました」と言いたいものであるよ。
・っうかさ、コレ書いて「意思決定能力」に不安を感じてるってわかった訳だし、久しぶりにそっち系の本を再読してみることにする。確かに最近、思考が混沌とする割合が増えてると思うし、もしも意思決定能力が落ちてるとしたらトレーディングにもすごく影響でると思う。
・それと書くの忘れてたけど、土曜(だっけ?)に
映画『ミスティック・リバー』を鑑賞。派手な映画じゃないけど見ごたえはあり。私も熱くなり易い人間だから気をつけないとなぁ、と思ったよ。
2004年01月26日(月)
「付き合う」の不思議。 ―友達と恋人の違い。―
つい5分前、「友達と恋人の違いって何だろうなぁ?」とふと思い、ちょっと考えてみました候。社会学の文脈では、社会は異性愛を強制している、っうコトになってしまいますし、私も度々そう思ってはおるのですが、まぁ、そういうのは飛ばさないと話が始まんないので、以下、男友達と男恋人の違いに焦点を絞りまする。(→一応、私は生物学的にメスであーるよ。)
っうか、考えてみて1分もかからずにわかっちゃったよ。要するに、性的欲求を持てるかどうか、もっと噛み砕けば「立つか?立たないか?」でありましょうぞ。正確に言えば、「定期的に立つかどうか?」なのかなぁ。あぁ、余りにも動物的な答えですみませんね、奥さん。
傍目から見ると、いわゆる「付き合っている」っう状態な男友達が私にもおりまする。が、実際、一般的にそうだとみなされている「恋人」ではないワケで、っうか、一般的にそうだとみなされている「恋人」って何なのさ?っう所まで落とし込んで考えると、もはや判断できませよね、姉さん。
男友達と一言で言っても、なかなかできるものでもないしなぁ。ある意味、恋人つくる方が簡単だと思うよ、私は。っうか、今思ったんだけど、別にさ、恋人と友達を分ける必要なんて全然ないかも。(→だよね、かんげんサン?)誰かを大切だと思う気持ちに無理やり優先順位をつけたって、不自然に歪むだけなような気がする。
人は他者に「役割」を与えたがるけれど、むしろ、その「役割」以外の部分、大袈裟に言えば「あるがままのその人そのもの」を認めてくれる誰かを、心の友、友達、恋人、というような名称で呼んでいるだけなのかもしれないね。あぁ、ネーミングってやっぱり深い。
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綾綺ちゃんがリンクしてくれたおかげでアクセスが増えました候。綾綺ちゃんありがとう♪っうか、なぜMY登録しているかっうと、大学生の頃の自分に何となく似てるから(笑)あの頃は私も恋愛しとったんですよ、奥さん。それと友達に薬科大出身者がけっこういるので親近感あるのだ。物理頑張ってくれぃ♪
・今日のこの日記は
あやさんに影響されてるかも。(と今気づいたのて追記。)私ももっと広い世界に出なくちゃだなと思う。最近、やっぱ私はエコなファイナンスがやりたいってわかったから、今度の相手はファイナンス、じゃなくて、エコな人がいいのぅ〜。
・もしかしてコレ(↑)読むかもしれないヨウたんへ。別にね、ヨウたんじゃ立たない!、っうワケじゃないから変に考えないよーに☆(注:ヨウたんは美形です。賢いしサーフィンも上手。私の趣味が悪いだけ・・・。)
2004年01月24日(土)
おカネの不思議。
「私って非生産的な人間だなぁ〜。」とたま〜に思う。まぁ、学んだコト、経験したコトがおカネに変化する時期、いわゆるキャッシュ・ポイントは人それぞれなのだけれど、もうそろそろデカイのが来ても良くないか、私。。。
っうか、論文出したのは良かったんだけど、授業料払ってないんだよね・・・。現金がなくて卒業できないのってかなりアホなので、株と労働を再開することにしまする・・・。
っうか、話は微妙に変わるけど、夜、友達とごはんしながら色々話して、改めて「人によっておカネの捉え方って大分違うんだなぁ。」と思った。具体的には、大部分の人たちにとって、おカネ=消費するための道具、なのかもしれないなぁ、っうか、実際そうなんだよなぁ、と。
よく「1億円あったら何に使いますか?」という質問に答えるとその人の金銭感覚がわかる、っうコトは言われております、ハイ。人によっては住宅だったり車だったり旅行費用だったりするのだけれど、私の答えは1億円じゃなく10億円でも100億円でも1万円でも変わらないあるモノ、要するに、1億円以上あったら自分の会社を大きくするためにも使うけど、8割以上は株式もしくは投資対象に使います、ハイ。
意外かもしれないけど、私は全然おカネのかからない人間である。第一、冒頭で書いたように非生産的な人間なのでムダ使いなどできなーい!、というのもあるのだが、消費することを目的としたおカネをあまり必要としない生活をしておりまする。料理するのは好きだけど食べるのはそんなに好きじゃないので外食も少ないし、コスメ熱も21歳で冷めたし。ここ何年かは本代と交通費が支出の6割以上を占めてるらしい。(→我家の財務諸表による。)
こうして考えてみると、大昔から言われている通り、おカネってその人のパーソナリティやライフスタイルが端的に表れるものだね。ついでながら、おカネについて研究している身(→一応本業なので。)としてお節介ながら書かせて頂くと、消費とは投資の別名であります。解かる人はすぐに解かるし、分からない人には一生解からないだろうけど、コレ、真実であーるよ。
2004年01月23日(金)
リンクの不思議。
最近「リンクって不思議だなぁ〜。」とつくづくと思う。この日記も含め何ヶ所かで書いてるいるのだけれど、特にBlog経由のリンクがすご〜く不思議。私のBlogをリンクしてくれている人が、実は私が前々から興味を持っていた人とプライベートなつながりがあったり、アクセス解析を見てみるとその分野では有名な企業の方や大学の方ブックマークしてくれてたりする。
どこかで6人あいだに挟めば世界中の人々は何らかのつながりがある、みたいな文を読んだことがあるけれど、ホントそうなのかもしれないのぅ。っうか、そういうワケで、ある意味、Blogの方は好き勝手なコトが書けないようになってしまいました候。実は、あっちでは実名出そうかとも思ったのだけど無理だなぁ、怖くて。。。出すならもっとデザインもコンテンツも考え直さなくてはならないでありましょうぞ。
それと最近思うのは、いくら匿名で書いているとはいえ、こうして公開しているワケだしある程度はマトモに書かなくてはならないなぁ、ってコト。何をもってマトモとするかは議論の分かれるところだし、そもそもWebをマトモなコトを書く場として捉えていない方もいるのだろうけれど、私としてはそう思うワケなのさ。
今日
るり子さんがエンピツでのルールを書いておられましたが、私もここら辺でそういうのを作ろうと思います候。あ、っうか、1コだけすでにありました候。
私がリンク貼るトコはオススメ、っう意味であーるよ。(→否定的な意味でのリンクはしない、っうコトです、ハイ。)
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・友人とごはんへ。最近思うコトをお互いに思う存分話し、かなりスッキリした。今年はやっぱり基盤作りに専念だっちゃ。
・アマゾンさんに注文していた書籍『ソース』が到着。速読でサラッと読んだだけだけど、要するに、昨日もチラッと書いたのだが、個人の人生もアロケーションが大事っうコトだと思う。てな感じで、最近ファイナンスを応用できる分野をいくつか発見できて新鮮。
・私にはめずらしく恋の3歩手前ぐらいの勢いで、あるヒト(男性であーるよ。)のBlogを読みふける。というか、このヒト、実際に逢ったら2秒で好きになりそうなくらいすごい才能ある。M&Aしちゃいたいくらいすごい才能、って人に対して心の底から思えたのはこれが2度目。大感動。逢ってみたい。っていうか、すでに朝の5時過ぎ。。。もしかしてもう恋になってない、これ?
2004年01月22日(木)
歪んだアロケーション。 − Reallocate resources −
今年のNHKスペシャルは
『データマップ 63億人の地図』らしい。昨年のヤツは『地球市場 富の攻防』というタイトルで、グローバリゼーションをいくつかの切り口から考えるモノでありました。
今度の日曜が第1回目らしいので見なくちゃであーるよ。
で、今年のこのシリーズはちょっと違う角度から世界の資源を再分配する必要性を感じさせてくれるんじゃないかな、と期待していまする。問題の対象となるのは、例えば、食料であったり、教育であったり、お金であったり、生きる権利そのものであったりするけれど、その本質はそれらが余りにも歪んだ配分だというコトに尽きる。
私は何を隠そう「世界はひとつです!」とか「人間はみんな平等です!」と言っちゃう人は嫌いである。(「死ぬ、死ぬ!」言いながらなかなか死なないヤツはもっと嫌いである。)第一、そういう意見は無神経過ぎるし、今ここにある現実とそうあって欲しい理想を混合するその姿勢はある意味罪だとさえ思う。尊敬するイダ氏の言葉を借りれば「アートが足りねー。」であーるよ。ブッシュさんも小泉さんも「アートが足りねー。」要するに、繊細さが足りない、っうコト。
事実、世界は歪んでおります。もしも平等と呼んでもよいモノがあるとすれば、それはセンの言う「潜在能力の平等」しかないと私は思う。そしてまた、歪んだ世界を正せるのは、自覚しているかどうかを問わず、グローバリゼーションを促進させている側、つまり、アメリカや日本の地域住人でありましょう。
世界の資源を適正に配分し直すコト。突き詰めれば、これがこれからの社会科学全般の課題なのかもしれませぬ。あぁ、アロケーションって個人から世界まで突き抜けるモノなんだって気づいた今日。
□■□■□■□■□■□■そのほかのほざき。□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
・社会学系のリンクを辿っていたら
http://www.socion.net/papers/column/007.phpを発見。読む。う〜ん、ほぼ9割同意見だけど、《彼女達に「男に伍して戦う」ことを要求するのは無茶というものだ。》という箇所は違うかなぁ。そりゃあ、そんなコト要求するのは無茶だけど、私の解釈では、現代的なフェミニズムって《彼女達》(=女性達)に対してではなく≪人≫に対して、≪戦う≫のではなく≪戦わない≫ことを要求するモノ、っうコトになってるんだけど実のところどうなんだろ?社会学じゃなく、ディープ・エコロジーでは私の解釈でOKな範疇なはずなんだけど、社会学ってホントわからない。。。
2004年01月21日(水)
逢うべき人。
逢わないと死んでも死に切れないなぁ、と思う。誰か特定の人に逢いたいと思う理由は、懐かしいからとか、ただ単に逢いたいからとか人それぞれあるだろうけど、私の場合は、たぶん、謝りたいからだろうと思う。正確には、謝り合いたい、という表現の方が近いかもしれない。
最近、その人のコトをよく思い出す。ふとした時に、たとえば、その人がくれた時計とか、香水とか、一緒に見た映画とか、一緒に過ごした部屋とか。そういう具体的なモノを目にしたときじゃなく、どうというきっかけもなくホントにふとした時に。たとえば、寝る前にライトを消す瞬間や、朝、カフェでスケジュール帳を開いた、その瞬間とか。
おそらく、逢いたい、のじゃなく、逢うべき人、なのだろう。もう一度逢わないと始まれない気がするのは、たぶん、あの人も同じなのかもしれない。
最後の電話。タイミング悪く出れなかったけれど、何を伝えたかったのかは分かる気がする。謝り合って、お互いを自由にし合いたかったのかな、と。
あの人を探して、逢って、話したいことがある。間違っていた全てのコト、お互いの今までのコト、あの時はありがとう、とか、私をどれくらい大事にしてくれていたかとか、あなたにとっての幸せの意味とか、そういうのが今になってすごく良くわかるようになったよ、とか、空港でのあなたは酷かった、とか、あの時窓に張り付いて私の名前を呟いたあなたの姿はすごく可愛らしくてもう一度だけやり直してみたくなった、とか、私の顔をあなたは貴族的と言ってたけど今思えばあながち間違っていなかったかも、とか、あの映画ってやっぱり名作だよね、とか、そういった、大きくも小さくもないコトを全部。
探してみようと思う。小さな糸口をひとつひとつ辿っていけば、そう遠くはない国のどこかの街に繋がるかもしれないのだから。
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・夕方からデザイナーのSさんトコへ。写真のコト、映画のコト、人生一般についてのコトなどなど、幅広くお話をし、楽しいひとときを過ごすことができました。今日は高価なカメラまで貸してもらいました。Sさん、いつもありがとうございます。写真の勉強、してみます、ハイ。
・NHKで長谷川理恵さんを見ました。私は長谷川さんの結構なファンで「Oggi」も彼女見たさに購入しておりました。が、「Oggi」で表紙を飾るまでにあんな苦労があったコトは初めて知ったよ。彼女は「マラソンに出会ってから別人になった。」と言っていたけど、それすごくわかる。私もファイナンスに出会って別人になったもの。
2004年01月20日(火)
コーチと選手。
嬉しいニュースがありました♪秋から家庭教師を始めた私でありましたが、MY教え子であるKちゃんが私立高に合格したのであーるよ。
Kちゃん本人は「当たり前じゃ〜ん。」という感じで平然としていたのだが、お母様はかなり喜んでいる様子でありました。
っうか、お母様。断言できますが、私のおかげ、ではなく、あなたのお子さんが賢いだけでありまする、ハイ。
あぁ、Kちゃん、キミにとっては当然のコトだったのだろうけど、私は嬉しかったなぁ。キミのお母様は私のおかげだと勘違い(→ホント、違うと思うよ。)しておられたけれども、すべてはキミの努力の結果であーるよ。
っうか、私がチラッとアドバイス程度に言ったことをきちんと実行できるキミはすごい!(→こういう「素直さ」は学習に不可欠な要素であるよ。)
っうか、私は密かにコーチングのワザを実践してみたくてこのバイトを始めたのだが、どうやらそっちの方の効果はあったようで何よりでありました。意識的に「受かるかどうか」ではなく「受かったと仮定してどうするか」という明るい話題に持っていけたのが良かったのかもしれないなぁ〜、と個人的には思いまする。真剣に、そして楽しんで勉強している様子を見て、私は安心しました候。
っうか、私こそもっと勉強しないとだな。。。コーチングも良いけど、まだコーチに専念するには早すぎるもんね。できればずっと選手でありたいものであーるよ。
2004年01月19日(月)
変化の予感。
不思議な夢を見ました。私の顔が、正確には顔の皮膚自体が黒色になっていて、自分で自分の顔の皮膚をぽろぽろと剥いている夢でありました。
特に痛そうな様子もなく、不思議そうな表情で淡々と皮を剥いでいた私。
ヘンな夢ではありますが、目覚めは良好でありました候。
で、今日、原稿を出し終わった後、通常なら「やっと一息付けるぜぃ。」となるものである。が、無性に不安を感じたのでありまする。よくよく考えてみると、先月くらいから時々こういう気持ちになっていたような記憶があり、いつまでもこのままでは何なので、とりあえず非公開Blogに書き出してみました。
で、分かりましたよ、不安の正体が。まぁ、端的に言えば、このままの状態で終わるのが怖い→変化したい欲求がある、ってコトだと思いまする。そして本質的な問題は、今後目指すだろうその変化の方向性が最近ブレてきていて、変化するにも上手く動けない、っう点だな、こりゃ・・・。(→ありがちだよね、コレ。)
帰り道、「あぁ、困ったなぁ〜。」などと考えながら、ふと本屋へ。経験上、こういう気分の時は私にはビジネス書が効くのでありまする。で、とりあえず恒例のオヤジ雑誌『プレジデント』を購入。それも購入した号の特集は≪決断の瞬間 今年、悩んだとき、迷ったときは、これを読め!≫であーるよ。あぁ、正にオレのための特集・・・。(→ある意味悲しいけど。。)
で、読んでたらやはり不安がったり悩んだりするのがバカらしくなりました候。もう不安になるのも悩むのも諦めることにしまする。まぁ、要するに、変化したいなら変化すればよろしい、っうことでありましょうぞ。私もまた、セブンイレブン・ジャパンの鈴木会長のように“要は妥協できないんですよ、自分に。”とか言っちゃう種類の人間ですから、どっち道、変化するしかないのでありましょう。(→次の予定考えないとだなぁ。。。)
☆
プレジデントONLINE http://www.president.co.jp/pre/
2004年01月17日(土)
あたりまえの“なおサン”、になりたい♪
気分転換に書店へ。いつものように文藝新刊→女性誌→ビジネス雑誌→文庫新刊、そしてメインのビジネス書新刊、という私なりの流れで本の間をゆったりと進みました。「あぁ、本屋って落ち着くなぁ〜。」と思いつつ、3冊の立ち読みを目標に、直感をフルに使って次々に本を手に取る私でありました候。
で、良い本発見!タイトルは
『あたりまえのアダムス』でありまする。
ビジネス書読みすぎの私が久々に衝撃を受けてしまった。題名通り、ホントに“あたりまえ”のコトが上手く書かれているのであーるよ。それもページ数も少ないので、思い出した時にサラッと読める感じ。要するに、大袈裟な本ではないということであるよ。
内容を読んでみて「おぉ、あたりまえ!でもすごい!!!」と何度も呟き最後のページを読み終わった時、少し悲しくなってしまいました、ハイ。何故かというと、何年か前までの自分はこの本に書かれている“あたりまえ”のコトができていたように思うからでありまする。
「何故できなくなったのだろう?」と考えてみたら、自己嫌悪に陥ると同時に年齢を重ねることの怖さ、つまり、“あたりまえ”のコトを“あたりまえ”のコトとして認識し、実行できなくなってしまう怖さ、みたいなモノを感じました。
たとえば、早寝早起きや挨拶。嬉しいときは感謝の言葉を、労働の現場に当てはめれば顧客の欲しがる製品・サービスを“あたりまえ”に提供し続けるコト。
そういったコトを“あたりまえ”に思い、“あたりまえ”に実行できる、そんな“あたりまえのなおさん”と呼ばれたいなぁとしみじみ思いまする。もっと自分の感じたこと・思ったことに忠実に行動してみようと決めました候。例えば好きな人に「好き。」と言ってみる、とか(笑)
□■□■□■□■□■□その他のほざき。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
ひとみさんの日記を読んでいると、たまに「子供欲しいなぁ。」と思ってしまうのである。で、子供がいる風景を想像してみました候。以下、私の夢の世界。。。
我が子3歳になる。母(私)、英才教育を開始。まず世界の国々について講義。次に為替について教える。そして国際為替相場の連動性について解説。(→あの国とこの国の連動性は弱いとか強いとか。)
我が子4歳になる。母(私)、英才教育実践編を開始。我が子名義で香港の某証券会社に口座を開設、さっそく実践して頂く。母(→私)のようなシケた日本株メインの投資家には決してなってはならないのであーる。遊びだと思ってやってくれれば宜しい。
っうかコレ、3歳からって無理あるよなぁ・・・。せめて5歳からか?っうか、まずは結合させる精子を探すことから始めなくてはならん。。(→ハイ、夢の世界終了・・・。)
2004年01月16日(金)
「待っていますから。」 ― Melting me Meltingly ―
複雑なコト。単純なコト。それらの統合。
そういったすべてのコトがその人の言葉で一瞬のうちに融けて、優しい世界へとリンクした気がした。何だか今までの大きくも小さくもない、かといって些細とも言い切れない、いくつかの罪を許されたような。
「待っていますから。」
電話口のその人はそう言った。微笑みながら優しくそう言った。
私はその言葉が本当に意外で、電話を切ってからしばらく唖然として、自分が感動していると気づくのに4、5分かかってしまった。
“受け入れる”ってすごいコトだなぁと、言葉ってすごい力があるなぁ、改めて今思う。その人のたった一言で肩の荷が下りたような感覚。張り詰めていた糸が切れる、というのではなく、“融解”した、という感じ。
「いつまでも待たせておけないなぁ。」と思う。頑張ります。
2004年01月15日(木)
エコノミーとエコロジー。 ― Another World is possible ―
無性に腹が立ってきた。しばらくするとその思いは悲しみへ、自分の無力感へと次々変化し最後には思考停止するために真夜中に模様替えなどしてみたり。。。
「すべては連鎖している。」そう言ったのは
ジョン・スターリングだった。
知ってはいたものの、私はやっと昨夜、今まで目にしてきたもの、学んできたもの、関わってきたものすべてが連鎖している、という強い認識を得たのでありました。そのきっかけとなった本が
『もうひとつの世界は可能だ』。
たとえばエコノミーとエコロジー、そしてソサエティー。私が学んできた文脈で言えば、金融と環境、そして女性の人権。そういった、実際生活している上ではあまり具体的な想像力を発揮できない物事すべてが、昨夜、ふと余りにも現実味を帯びてきたのである。
金融や環境や人権といった抽象的で机上的な単語が内包する意味・行為すべてが、5分後の未来、家族や友達や自分自身に起こりえる事象として考えられるようになった、という感覚。
「そうかもしれない」「けれど上手くことばにできない」と思っていたことが、論理的に、そして意思的に、情熱的に、ことばという形態になっているのを見て、正直、大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、私は絶望の淵に立たされたような気がした。具体的には以下の一文。
「女性に対する暴力の根本にあるのは、他者に対する憎しみであり、支配は生き残りのための手段であるという信念である」
(→詳しく知りたい方は監修者である
加藤氏のサイトへどうぞ。「これがエコノミーやエコロジーとどう関係あるの?」と思う人もいるでしょう。そういう人こそ、加藤氏のサイト見てみて下さいまし。)
■□■□■□■□■private letter to YOU□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
もしもキミがいなかったら・・・。私は男性不信や人間不信どころか地球不信になってたかもしれない。正直、何度もFinance&Marketの絶大な力に負けそうになって、善と悪とのバランスに悩まされて、時々そういった均衡を保つ必要のあるこのカテゴリーから出て全く違う世界へ行きたくなったりしたけど、多分ここにまだいるのは、そして居続けようと思えるのは、キミがいるからかもって思う。キミとすれ違えた奇跡に謝謝。だって、キミのおかげで消費不信だけで済んでるんだもの。
2004年01月14日(水)
思考の回路。―入力と出力のあいだ。―
前の指導教官からメールが届いたのは数日前。「私の知らないところで悩んだり酒浸りになったりしたんだろうなぁ〜。」などと過去の先生の苦悩の日々を思い出しました候。現在は復活しアメリカで教壇に立っているそうで、教え子第1号の私としては何よりでありまする。
っうか、過去の先生の苦悩時代=過去の自分の苦悩時代、であったりするワケで、久しぶりに修士に入ってからの日々を時系列でフィードバックしてしました候。コタツに肩まですっぽり入りながら、ヌクヌクっとした状態で。
(→以下、コタツの中で考えたコト。)
今思えば、1年目はとてつもなくやる気があったなぁ。(→遠い目・・・。)モチベーション高すぎて周りがついてこれなかったってコトが今ではわかるけどあの頃はホント視野が狭かったよなぁ。(→再び遠い目&ため息。)
2年目は先生の各種トラブルのおかげで精神的に揉まれたっけなぁ。今では笑えるし、あの時はマジメに考えすぎてたコトもわかるけど、振り返れば私ってある意味、不幸な院生だったような気がするぞ、オイ。確かに自由にやってこれたけど、先生のメールにもあったように“指導”らしい“指導”ってしてもらってないような記憶が・・・。(→しばし唖然・・・。)
いきなりですが、大学院というところは不思議なところでありまする。ここでは、ある分野について“指導する”とか“指導される”という表現が使われまする。けれども、実際のところは学び方を習う、つまり、知のインプットとアウトプットの方法を習う、詰まるところ、正しい“独学”の仕方を習う、っう場であるような気がしてなりませぬ。
少なくとも私の場合はそうだったなぁ。(→再び遠い目・・・。)
統括すると、院に入って良かったコトはたくさんあるけれど、一番はたぶん、自分の思考を他者にわかる形式でアウトプットする力を伸ばせたコトだろうと思いまする。少しは思考の回路が矯正されたっうコトでかもしれませぬ。それに関連して、自分がやっているコトに他の分野がどこでどうどのくらい関わっているのか、という自分なりのリンケージを見つけることができるようになった、ってコトかなぁと思いまする。
って、このまま先生にメールしまする。
□■□■□■□■□その他のほざき。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
・
『エコノミストは信用できるか』(東谷暁著)(→読売の書評)を偶然目にする。読もうと思う。っうか、個人的にはエコノミストの予測能力って大分信じていませぬ。「これはニューエコノミーであーる!」と3年前に仰っていたエラい先生がおりましたが、今は何してるんだろうなぁ。。。
・TVで「私は〜と思う。よってこれは問題である。」という論理展開をしているエコノミストってよく見るけど、それって「経済学・経済政策」なる概念と個人的な「経済論」を混同しておられる気がしてなりませぬ。いつもあぁはなりたくないなぁと思います候。
・今ステキなことばを発見したのでメモ。
「意思決定と考えることは他人に任せてはいけない」ホントそうだっちゃ。他人任せな人を見かけると悲しくなる理由ってコレだったんだなぁとわかった。
2004年01月13日(火)
困ったぞ、締め切りに間に合わず・・・、かも?
昨夜、歯が折れた。痛たいよぅ、っうか、別に自然に折れた(→正しくは“欠けた”)ので痛くはないのだがビックリはしました候。
っうか、さらにもっとビックリする事態が発生。。。なんと論文が終わらないかもしれないのである・・・。その理由がまたどうしようもなく致命的なのでしばし唖然としておりました。
な、なんと、実証部分を参考にした論文が間違っていたのであーる。それも結果はもとより方法論までも・・・。まさかあの有名なWharton Schoolの先生様サマの研究が間違っているとは気づかずに、まんまと「おお、これはすご〜い!」などど騙された私でありまする。あぁ、どうしよう・・・。っうか、今考えると気づかなかった自分がどうしようもなくアホに思え、自己嫌悪に陥ること10分。。。
久しぶりに本気で困ったなぁ・・・。こういうときはどうすれば良いんでしょうね、皆さん?
やはり、開き直って「すんませ〜ん、締め切り延長お願いします♪」とトボケた顔で言うか、もしくは「こういう理由でこの部分だけ入れ替えるので、できてる部分だけ見てみて下さいまし。」と正直に話すか・・・。っうか、すでに後者の方が賢い対応な気がしてきた。
とりあえず、昼まで作業をコツコツと進めることにしまする。もしも終わらなかったら、直に先生に会うのはコワイのでメールでできたところまで送ろうと思いまする。。。(→っうか、さっきからWORDもEXCELも急に止まるんだけど、どうしてトラブルはこう重なるんだろうねぇ。)
2004年01月11日(日)
“こころの支え”と“依存”の違い。
2、3日前に博報堂生活総合研究所の
こころの未来(2)「依存体質」というテキストを読んで以来、「あぁ、タバコ止めなくちゃだなぁ。」としみじみ思うようになった。私はお酒を常習する習慣もないし、買い物もあまり好きではありませぬ。恋愛依存でもありませぬ。が、何気なく「依存しているなぁ。」と思う対象はあるワケで、その中のひとつが“タバコ”・・・。
前出のテキストにあるように、“依存”の定義を<後ろにある安心感が支え、目の前にないと不安なのが依存>とすると、私が“依存”しているもうひとつの対象は“情報”だろうなぁと思う。一方、“支え”となっているのは家族や友人、尊敬している方々の存在でありましょう。
私の部屋にきたことがある人は解かるだろうけれど、ホントに紙の山・・・。必要なくなった書籍は売却するようにしているものの、本・雑誌を整理するスピードが常に仕入れるスピードより低い状況なのでありまする。
最近では、対策として、薄めの本はその内容をノート化し整理する、語学や資格関連の書籍はどっち道書き込みするだろうから、学校でコピーしてから早めに売却する、論文をコピーする場合はかさばらないように両面コピーする、などなどしているものの、まだまだ対策はありそうな感じ。
紙の情報だけでなく、インターネットを通した電子情報も増える一方。。。インターネットを使うと、海外の学者さんたちの研究の現状や最新論文を調べることができるし、かなり便利ではありまする。が、「情報過多になっているという一面も否定できないなぁ。」と、自分の生活をよくよく観察してみると考えてしまうのもまた事実。
最近ニュースにもなっていたけれど、、やろうと思えば論文の盗作なんて簡単にできちゃうのであるよ。昨日は“ことば”について書いたけれども、言語の壁を乗り越える力がある研究者ならこれほど簡単なコトはないのでありまする。海外サイトから論文をDLするたびに「流されない意志と自尊心が求められるぜぃ。」と常に思ってしまいますよ、私は。(→「論文盗作!」とかニュースになりたくないし。。。)
で、今月中に一度、自分の生活習慣と環境の問題点を洗い出してみようと思いまする。禁煙もぜひとも達成したいし、情報過多もどうにかしたいと思います。まずは自分がどういうときにどういう反応をしているのかを観察し、じぶん観察日記でも綴ってみようと思いまする。
☆
博報堂生活総合研究所
2004年01月10日(土)
ことばのチカラ。 ― Over the seven seas ―
今日から中国語を習い始めました。もちろん初級コース。無料♪
一般的に「語学を学ぶにはお金がかかる」と思われがちです。がしかし、地域団体(→私の場合は国際交流団体。)の講座だと無料の場合も多々ありまする。皆様も税金をお納めになっているのでしたらぜひご利用下さいまし。使わないと損であーるよ。
う〜ん、予想していたけど発音が難しかったです。というか、母音と子音のバリエーションが400種。多すぎ。さらに声調が4つ、軽音もあるので、もう頭の中で整理がつきませぬ。。。中国語の論理体系に関しては理解できたけれど、なめらかに発音できるようになるにはかなり集中して特訓せねばならんのぅ。。。(→当たり前だろ、とか突っ込まないで下さいまし。。)
今まで何年も院やバイトや旅行で中国人に触れあいながら生活してきたものの、きちんと学ぼうとしてこなかったのが悔やまれまする・・・。発音の基礎を復習したら、学校で発音チェックを留学生たちにお願いしようと決めました候。っうか、しつこく電話しちゃっても良いかも。。
「なぜ中国語を学ぼうと思ったの?」と講座でご一緒した方にも聞かれたのだけれど、やはり中国、というよりも「アジアのパワーが好きだから」かなぁと思いまする。アジアを旅したときに感じた躍動する力。たくさんの国籍の人たちに会ったけれど、その中でも中国籍の人たちのパワーには単純に感動しました。
彼らのビジネスへのコミットメントには見習うべきものが多々あると思う。
たとえば、台湾の中小企業の社長さんは、カバンひとつで7つの海を渡ります。お国柄というのもあるだろうけれど、自分のビジネスに自信があるからこそできることだと思います。
最近、色々な人たちに会うたびに、「実際のところ、自分はどのくらいの範囲で活動していきたいのかなぁ?」と考えたりしておりました。キャリア系の雑誌などでは、よく「国内型」「国際型」と2分されてはいるけれど、いまいちピンとこなかったり。。。
理想を言えば、"Over the seven seas"。かと言って、いわゆる「グローバル」とも違う。あくまで「7つの海がある」ことを認識した上で、その1つ1つをリンクさせたイメージ。
今まで学んできた英語、韓国語、ロシア語。そして今日からの中国語。どれも完成には程遠いレベルではありますが、ことばは海を渡るための道具になってくれるやもしれません。今年は英語を早めに一段落させて、韓国語、中国語の優先順位でやっていこうと思いまする。
□■□■□その他のほざき。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
・マツダ氏と夕飯。認識している現実が近い人と話し、何だか安心。何だか眠くなってきた。。。
・語学は置いといて、何から手をつけようかと悩む。う〜ん、優先順位付けるのってホント難しい。何だか思考が混濁しつつある、深夜4時。。。
・社名調査終わらず。候補の大半はドメイン取得されてたし、もっとイメージにあうネーミングないかなぁ。。。
・やる事あるクセに本を買い込んでしまった。っうか、今月はすでに買いすぎ。5万いく前にストップすべし。
・何だか学習意欲が向上しすぎている気が。例年のバイオリズムから考えると異常なレベル。モチベーション急降下の可能性ありか?注意が必要かもしれん。
2004年01月09日(金)
「ワンマンくん」との付き合いかた。
何ヶ月かぶりに妹から電話。(→それもタイミング悪くるり子さんとメッセ中に。。。)
何やら3月に友達5人(メス3名・オス2名)でハワイに行くらしいのだが、計画の段階から上手くいってないんだとさ。
で、「コミュニケーションを円滑化するにはどうすれば良いのか?」について相談を受けました候。
とりあえず妹の話を聞いてみたのだが、どうやら仕切り役のS君が問題の種らしい。仕切り役、いわゆるリーダーっていないと確かに困る。けど、その彼には仕切る程度っうか、計画を変更できる柔軟性っていうか、そういうのが全くないらしいのであるよ。要するに、よくいる“ワンマン君”。
一般的に、この日本社会では“ワンマン君”は理解されにくい、っうか、嫌われやすい。事実、妹の話しによると「良いヤツだけど男子にはすごく嫌われてるよ。」っうコトらしいっす。
で、その“ワンマン君”が、今日、女性陣に向かって「現地に着いたら味噌汁くらい作ってよぉ♪」とほざいたらしく、妹たちはかなり頭にきたんだとさ。
そりゃあ、頭にくるでありましょう。頼んでもいないのに勝手にせっせと計画立てて、「オレはやる事やったからキミらは味噌汁でも。」っう論理って飛びすぎだし歪みすぎ・・・。(→っうか、S君、ホントにキミは経営学部なのか???オレは信じられんよ。そのままイクと集団面接で落ちまっせ。)
仕様がないので、『“ワンマン君”との付き合い方』についてアドバイスしておきました。「“ワンマン君”がなぜ“ワンマン君”になってしまったのか?」「なぜ今もなお“ワンマン君”であり続けていられるのか?」については、皆さんもすでにご存知だとは思いますが、一応記しておきまする。
よって、まずは「キミは“ワンマン君”である。」というコトを上手く理解させる必要があるのだ。ここで問題なのは、基本的に“ワンマン君”はニブイというコト、社会に揉まれていないがために打たれ弱いコト、そしてヘンに前向きだというコトでありまする・・・。(→ワンマン社長を観察してみませう。)
しかし同時に、妹も指摘していたように、“ワンマン君”は基本的に「良いヤツ」なのである。論理が歪んでいるとはいえ、彼なりに「みんなのためになることをしよう。」と思いやっている場合が多い。
よって、そこを突く。“ワンマン君”は傷つきやすいので(→だからこそ誰も指摘できないという複雑な性質を持っている)、そこを十分考慮しつつも「キミは“ワンマン君”である。」という事実を解からせなくてはならない。
具体的には“事実”ではなく“感情”を伝える。これが攻略法だと思う。
たとえ“ワンマン君”の言っている内容が論理的に正しいとしても、メンバーが感情的に納得できないならば長期的に見て上手くいかないでありましょう。これは今回の旅行というイベントでもそうだろうし、仕事の場面でもそうだと思いまする。
よって、妹には「相手の話を聞いた上で、感情的にどう思うかを言ってみれば?」と提案しておきました候。詰まるところ、“ワンマン君”を付き合うには高度のコミュニケーション能力が不可欠なのでありまする。逆に考えれば、我が妹の将来のためには、コミュニケーション力をつける非常に良い訓練となるでありましょう。。(→だと良いのだが・・・。)
2004年01月08日(木)
たまには軽やかな足取りで。 ― ONとOFF―
こんなに早く走れるだなんてびっくりしたわな♪っうか、何てことはないのである。久しぶりにスニーカーを履いて外出しただけである。
いつものようにブーツを履こうと思っていたのだけれど、約束の時間に間遅れそうになってしまったのである。で、「走るんだなぁ〜、きっと。」と予測を立て、黒のパンツスーツにスニーカーを組み合わせた私でありました。
で、やっぱ、走りましたよ。今日はかなり久々に指導教官様とマトモに会う約束をしておったのです。先生はお忙しいのでなかなか私のような下々には会ってくれないのでありまする。っうか、私がなかなか論文見せないから「そろそろ来いや〜!」と命令されただけ・・・。
「遅れたら機嫌悪くしてしまうやもしれん・・・。」と思い、せっせと走りました。大昔は100m12秒だったけど、今日は15秒だろうなぁ・・・。最近運動不足とはいうものの、まだ体力が残っていることが確認できて良かったよ、ホント。
怒られるかと思いきや、「あと1週間、寝るな。まとめて勉強せよ。」といわれただけで済みました。(→教授会で私のアヤシイ論文が審議されるらしいです・・・。こわいよぅー。)
でも、良かった。どっち道寝ないつもりだったし。
とりあえず、研究の題材とアプローチはこれでOKってコトだし、後は先生に今日見せなかった隠しファイルを上手く編集できれば8割は完成であるよ。(→決して私は「脳ある鷹」ではない。とりあえず「隠して」みただけ、であーるよ。)
で、今後しばらくは、スニーカー&スーツで出かけることにしようと思います。道を歩いているときでも「運動不足だなぁ。」と思えばすぐに走れるし、ワケわからん人に追いかけられても蹴り返せます。要するに、ようやく「今までの(ヒールの)苦労に意味はない。」とわかったのであるよ。
まぁ、今の例は極端だとして、足元から生活のOn/Offを切り替えるのもなかなか良いかもしれん、と思ったワケです。ヒール付きのは脱日常の場面で利用することにしまする・・・。
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ちょっと思ったことを追記。
・この日記とブログ3コやってるけど、最近、その根本的な違いってやっぱり「距離感」なんだなぁと思うようになった。私は人との係りにおいて重要なのは「距離と範囲」だと思ってる人だから、エンピツさんは良い感じ。ブログについてはニフティやライブドアや楽天もやってるけど、個人で開設してホント良かった。特に楽天は私には絶対無理。
・「なんで私はオヤジなのか?」その理由をある人(48歳くらいの女性)のブログを読んでわかった。今思えば当たり前のことなんだろうけど、20代で経営学やる人口がそもそも少ないんだった・・・。プレジデンド(→オヤジが読む雑誌です。)読んでたまに涙する20代って日本には何人いるんだろ?いたら連絡ください。絶対仲良くなれます☆
2004年01月07日(水)
自己目標での挑戦。 ―改訂版「今年の自己目標」
(*今日は100%マジメな日記なので注意。)
昨日配信分のメールマガジン
『ビジネス知識源』(Vol.179 :プレミアム版も購読していますが非常に良いです。オススメ。)を読んで色々考え、今年の目標を変更することにしました。最近決めた今年の目標は『発芽』だったのだけれどもあまりにも生意気すぎる目標だったと気づいたのであります。あぁ、恥ずかしい、、、。
このMMの著者、吉田氏がよく引用されるドラッカー(→私が尊敬の念を込めていつも“じぃさん”と書いているお方。)の著書は私もほぼすべて読んでいます。ここ2、3年は、迷ったり、どういたらよいのか方向性を失いそうになったときは、どんなに時間に追われていても、必ず
『プロフェッショナルの条件』だけは再読し、自分と対話するのが習慣化しています。
で、今号でもドラッカーの引用がありました。
<成果をあげるための実践的な能力は5つある。第一に何に自分の時間がとられているのかを知り、残されたわずかな時間を体系的に管理する。第二に外部の世界に対する貢献に焦点を合わせる。第三に強みを中心に据える。第四に優先順位を決定し、優れた仕事が際だった成果をあげる領域に力を集中する。第五に成果をあげるよう意思決定を行う。(『経営者の条件』(ドラッカー)>
そして吉田氏は「私がすこしわかるようになってきたのは、2.外部への貢献と、4.優先順位を決め、集中することです。しかし、この中でも、優先順位の決定はできていません。外部への貢献は、60%くらいわかるようになってきました。全体を5点法で採点すれば、以下です。」とコメントし、厳格な自己採点をされておりました。総合得点は5点満点で1.5点・・・。
この自己採点結果を見たとき、「私、早まってました。すみませんです。」と誰もいないのに頭を下げてしまいました。私から見たら宇宙のように広い知識と経験がある吉田氏のような方の得点が1.5点で「今年の目標は『集中』と決めました。」と言っているのに、0.1点取れるかも怪しい私が『発芽』なんて無謀すぎると思ったのであります。
そして今日の
JIROさんの日記を読んだとき、その想いがマックスに達しました。"Cry now. Play later."という短い言葉に込められている意味の深みが、いつも私を啓発してくれるドラッカーの言葉と重なり、胸にドスッときました。今年の、とは言わず5年、10年、20年、っうか、命尽きるまで"Cry"し続けようと決めました。ドラッカーのように「持続する志」を持ち続けたいと切に思います。
で、改訂版『今年の目標』は「可能な限りかっこ悪くあれ!」、略式版として「格好悪くてナンボ♪」にしました。多くの人たちは既に気づいているとは思いますが、格好つけているヤツほど格好悪いものはありませぬ。
"Cry now. Play later."の意味する"Play later."できる時期がいつになるのか。それはわかりませんが、その不確実に富んだいつかのために、可能な限り格好悪く"Cry now."をし続けようと決めました。
☆
ビジネス知識源ホームページhttp://www.cool-knowledge.com/
2004年01月06日(火)
ひとり暮らし。
今年でひとりで暮らし暦7年目に突入。この前、同じく一人暮らしをしている友人と会ったときも「早いもんだねぇ♪」などとこのネタで盛り上がったけれど、ホントにホントに早いなぁとしみじみ思いまする。
その時、その子に「そろそろひとり暮らしも飽きてくるよねぇ?」と同意を意味するだろう“?”付きの言葉を投げかけられたのだが、私の場合、この件に関しては「飽きた」と思ったことは一度もないのである。他のコトに関しては飽きっぽい私が、であーる。
思えば、本来なら高校入学と同時に一人暮らしをする予定だったのである。そのために絶対に家から通えないであろう隣の県の高校を受験しようと目論んでいたのだが、「その高校に行くのなら私も行く!」と母親に言われ、その反動で、逆に実家から一番近い高校に入るハメになったのでありました。。
無事、絶対に実家から通学できない大学に合格し、やっと一人暮らしを始められたのが今から6年前。「早くひとりになりたかったんだろうなぁ。」と思う。おそらく、今思えば、自分に関わる多くのコトを自分で決めて実行したかったのでありましょう。
リクルートの「R-CAP」という適職診断を受けたコトがある方はご存知かと思うが、その人の特徴を決める尺度のひとつに「コントロール欲求」なるモノがありまする。要するに、自分また外部の環境・他者をどの程度コントロールできると考えているか、したいと思うか、というモノ。
少し恥ずかしいのだが書く。っうか、この日記を読んで下さっている奇特な方々には既にバレているので、もうどうでも良いでありましょう。
2年前に受けた「R-CAP」の結果によると、私の「コントロール欲求」は非常に高く、日本人にはあり得ないレベルに達しておりました、ハイ。
まぁ、「だから何なのさ?」といわれると困るんだけど、ひとり暮らしをしたいと考え始めたら、それは多分コントロール欲求が高まってきた証拠なんじゃないかなぁ、とか、一人暮らしに飽きたと思ったら、逆にコントロール欲求を減少させる何かがあったのかなぁ、とか、色々解釈できますよ、っうコトであるよ。(→っうか、無理やりそういうコトにしとく。)
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・
『養老孟司の<逆さメガネ>』(PHP文庫)を読む。後々活きそうな文が結構あったので、ノート化。以前、著者の本を読んだとき、何となく「この人フェミニストだろうなぁ。」と思ったけど、やはりそうだったか。やっぱ、生物学んだ人にフェミは多いのぅ。「新しい恋人は理系のアジア人がいいなぁ〜。」と思う今日この頃(苦笑)。
・I guess it is somewhat regrettable for you to overdue to leave. But nobody can go in the teeth of the wind. You will catch the wind in your sail in the foreseeable future. I believe luck is on your side.
2004年01月05日(月)
迷える分、幸せなのかもしれない。
午前9時半、ホテルを後にし遅めの朝食をとりにカフェへ。とりあえず勉強モードに切り替えるため文献を読む。が、まだ疲れが完璧に取れていない気がしたので、気分転換に書店へ。(→逃げるな、自分。)
何気なく目に付いた
『13歳のハローワーク』をソファで読んでみた。(→座って読める書店であーるよ。)思いの外惹き込まれてしまい、おそらく半分くらいはしっかり読んだはず。
良くまとまっていてなかなかの内容でありました。「何が好きか?」という視点で職業を分類整理した本は今までもあったし、もちろんこの本に載っている職業がすべてではないけれど、カバーされている範囲は広いです。職業それ自体だけではなく、今、そしてこれからの資本主義社会がどういった方向へ向かっていくのか、という点も書いてあったのがポイント高でありましょう。
っうか、この本を読んでしまったからなのか、ある新聞記事を読んでしまったからなのか、改めて自分の職業なるモノを考え、あるコトに気づきました。
ごく親しい友人にしか舞台裏を見せないというのもあるのだろうけれど、私はよく他者から羨ましがられてしまいます。収入に関しては全然低いし、変動性も高いし、半年先の経済状態さえも確定できないのですが、何故か恵まれているように見えるらしい・・・。
メンタル面、特に孤独に強くないと院生も投資も無理だし、実際、ストレス解消のプロになれそうなくらいあの手この手でやってるだけなんだけどなぁ。。。(→そのうちWebで公開しまする。)
で、気づいたあるコトっていうのは、とりあえず「好きなコトをしてる」ってコトでありました。
研究も投資もヘタだけれど、やはり好きだし、ずっと続けていきたいコトではあるんだなぁ、と。もしかすると、だから恵まれているように見えるのかもしれませぬ。
ただ、どちらも組織に雇用されるプロフェッショナルとして続けていける可能性はあまりにも不確実。もちろん起業も不確実。で、今日その不安感が少し出てきて、とある国家資格について調べてみました。
実際、今違う資格の勉強中でもあるし、カブるとはいえ、この資格は難しいのである・・・。今までの私の中では「35歳くらいまでに取得したいなぁ〜。」という軽い野望を持っている程度で当然準備もしていないのだが。
正直、この分野は好きってワケじゃない。しかし、得意ではある。(→たぶん大学の時集中的にやったからかもしれん。)今年受けるかどうかは、とりあえず近日中に過去問を解いてみてから決めることにします。
とか何とか考えているうちに、「好きかどうか」「向いてるかどうか」などと迷える分量だけ、ホントは幸せなのかもしれないと、妙に気持ちが開けてきてきました。迷える分だけ、選択肢がある。当然のコトなのですが、そう思えたとき、ちょっと気が楽になりました。
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・今年の旅行は5年ぶりのフランスになりそう、っうか、勝手にその方向性で考えているので
『楽しく身につくフランス語基礎から学ぶ語学シリーズ』を購入。今度は「ボンジュ〜♪」「パルドン!」「アディシオン シュルブプレぇ〜」(→このカタカナ怪しい・・・)以外のことばを話そうと思いまする。
・今日の
[ e n ] C a r e e r N e w sで、「準備ができた時、あなたの師が現れる」という言葉が紹介されておりました。仕事だけでなく恋愛にも通じるらしいっすよ。何事も準備なのだね。
2004年01月04日(日)
ストレス、ですねぇ。。。
っうか、今さら書くけど、つい先日、倒れてしまった。ジントニックを3cmくらい飲んだら、何だかカラダがヘンな感じになり、「ちょっとトイレ行ってくるわ〜」と立ち上がった瞬間に、クラッと。。。
で、ドスッと倒れたらしいのである。その時は気づかなかったのだけれど、案外ショックだったらしいよ。
多分、アルコールを久しぶりに飲んだというのもあるとは思うけれど、やはりストレスかなぁと思いまする。
う〜ん、ストレス、ねぇ・・・。プレッシャーには強いタイプではあるけれど、実家にいたここ4日間のうちで、対人距離感(→My造語。)には多大なストレスを感じる場合がまぁあったとは思う。家族や友達は確かに大切なのだけれど、やはり精神的にも物理的にも自分のテリトリーに入り込んでこようとされると反応するらしいのであーるよ。
あぁ、日本人って難しいっすね。日本人である私が言うのも何だけど、難しい種族だと思うよ。
第一、はっきり物事を言わずに見えもしない自分の気持ちを理解して欲しがる。こっちがはっきり言葉にすれば、傷つくか流されるか後で文句言われるかぐらいで、見ていると、どっち道、プラス効果の無い自己正当化に向かっていくような気がします。
っうか、疲れているらしいので、久しぶりにホテルに泊まりにきております。
新しいコートも購入し、夕方からホテルでTVを見まくっておりました。
で、結構元気になりました。
「こういうトコ、単純で良かった♪」としみじみ思いまする。。。
2004年01月03日(土)
誰もが誰かに求めている“何か”。
昨夜は地元の友達と3人で新年会でありました。Aちゃん&Mちゃんともに小学生からの付き合い。お正月に気軽に会えるだけあって、私を含め3人とも独身でありまする。
本来なら3人で飲めてホント楽しかった♪、と書きたいところなのだけれど、そうでもなかったかも・・・。
正直、あまりにも結婚ネタが多くて精神的に疲れたのかもしれませぬ。やはり私は商売ネタの方が好きらしいよ。(→この前会った高校時代の同級生とはバイオネタで盛り上がって楽しかった。)
話しているうちに、2人のコトがちょっと心配になってしまいました。なぜって、結婚なるモノに過剰な金銭的期待を求めすぎていたので。
確かに、男女問わず、結婚することによって金銭的に豊かな状態になることはよくあること。けど、だからといって、そればかり重視するのってどうなのかなぁと違和感を感じた私でありました。どうやら彼女は、医者や弁護士は儲かると思い込んでいるらしかったので、「専門職が独立して稼ぐには営業力なくちゃダメや〜。」とアドバイスしといたよ。(→そうだよね?専門職独立志向の方々よ。)
っうか、そういう狙いって相手の男性にバレてるんだけどなぁ。「男はアホである」とはよく言われるけれども、アホにも種類がありまして、女性のこういう気持ちに気づかないアホはあまりいないのが現状でありまする。よって、結果的に、それに気づいた男性は逃げるのでありましょう。。。
それに何よりもMちゃんの使う否定的な言葉が気になりました。「何か楽しいことないかなぁ〜」と連呼してた彼女。ある意味、考え方によっては私よりも楽しいことしてると思うんだけどなぁ、とか何とか返した記憶があるけれど、「楽しいことを運んでくるのは男ではなく“何か”であーるよ。」と言った方が良かったかなぁ、なんて今さら後悔でありまする。。。(→次は言いまする。)
っうか、性別問わず人って、“何か”をしているその人、または“何か”を与えてくれるその人、に好感を抱くように思います。心理学的には、人は常に自分に“何か”を与えてくれる人に惹かれます。その“何か”は、自分を補完してくれる“何か”、たとえば、今回の例のように金銭的満足である場合もあるし、プラスまたはマイナスの心理的満足である場合もありまする。
っうか、自分はどうなのさ、と思い、さっき「自分が相手に必ず“何か”を求めていると仮定して、その“何か”って何だろう?」と考えてました。どうやら“活力”みたいなモノらしいよ。自分を時々renewしてくれる“何か”、みたいな。
2004年01月02日(金)
おばあちゃんの本棚。―高齢者の思いを探る−
私の祖母(80歳・私の両親と同居)は読書家であります。年間300冊は読んでいる様子。で、今日はその祖母の読書ルームの机にて、本を読んだりPCいじったり、コレを書いたり、、、の半日でありました。
で、休憩中に、祖母が読み終わった本を何冊か手に取ってみました。どうやら瀬戸内寂聴、辻人成、司馬遼太郎、高橋克彦、山崎豊子などが祖母の好みらしい・・・。
っうか、正直、小説ではなく軽めの本が読みたかったので、
『たった一人の老い支度−実践篇−』(岡田信子/新潮文庫)というエッセイを選択。著者はアメリカで26年暮らし、50代で離婚し日本にUターンした方。
で、感想。“実践篇”と付いているだけあって、すぐに実行できそうなモノばかりだった。たとえば、勧誘セールスの断り方、節約ワザ、年金の積み立て方、など。
それに何よりも、高齢者を排除したがる社会的圧力の存在をしみじみと感じさせられる本でありました。ばあちゃん、大事にしなきゃなりませぬ。
個人的には“孤独”についての記述が興味深く感じた。最近、どこかで「男性は妻に先だ立てると死ぬ」という趣旨の統計を目にしたのだけれど、ソレを補完するような記述がチラホラ。以下、50代、60代の未亡人たちのコメント。
Aさん「かえって、手間のかかる人がいなくなり、すべて自由にやれるようになったので、花の未亡人を楽しんでいるわ」
Bさん「・・・・・実は、主人とは不仲じゃなかったんだけれど、亡くなってホッとしてるの。仏さまには悪いから、ここだけの話よ」
Cさん「男の人に抱かれたいなんて、あなた、そんなのもう卒業よ。岡田さんはどうなの?」そして、著者の岡田氏は過去の離婚を振り返り、食事を例にして
「むしろ孤独な家で、夫と1階と2階に別れて食事をしていたときの方が、食物は味を欠き、肌にも不幸せというくすみを与えていたように思う。ステーキは今買えるものの3倍もの分厚さと瑞々しさだったというのに・・・。」と、
「二人で孤独より、一人でいる方が空しくない」と書いている。
あぁ、人生の大先輩方のお言葉、本質を突きすぎていて(→っうか、本質そのもので・・・。)私は衝撃を受けましたよ、ドスッと胸にくるものがあったな・・・。
そういや我が祖母も未亡人歴22年だなぁ。22年前、私が幼稚園から帰ってきたら祖父が亡くなっていた(→幸せな自然死でありました。)のだが、あの時ばぁちゃん笑顔だったしなぁ、、、とか思い出すとキリがないのでやめた。
けど、思う。少ない人生経験しかないけれど
「二人で孤独より、一人でいる方が空しくない」のは紛れもない真実であーるよ。
ではそろそろ新年会の支度に取り掛からねば。。。
2004年01月01日(木)
神様、今年も「大吉」ありがとう♪
明けましておめでとうございます♪
昨夜から高校時代の友人2名と久しぶりに会い、食事→お参り→初日の出、というコースで2004年の初日を過ごしました。
オーソドックスではありますが、結構充実した過ごし方でありました。
で、お参りでは、恒例の「おみくじ」を引きました。まさかとは思ったのだけれど、今年も「大吉」♪ これで6年連続であーるよ!!!(注:私の美点=運が良いこと。)
っうワケで、今年も神に味方してもらえ、ちょっと勇気が湧いてきました。
そして、空かさず今年の独立に際して「商売繁盛」のお札、自分用に「金運」お守りを購入。
本年は基礎を固めつつ、2005年の飛躍を目指していこうと思います。
もちろん学習も休みなしでありまする。
人々が心地よく消費できると同時に投資できる、そして働くことができる、サスティナブルな営利集団を目指して。
今年もよろしくお願い申し上げます。
2004年元旦 なお。
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