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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2003年11月25日(火)
思考のスケッチ1週間  - Shift the future-

61568586.jpgここ1週間、日記の更新が滞っておりました。で、何をしていたかっていうと・・・。
思い出せないので手帳兼日記兼アイディアノート(→普通の方眼B5ノート)を見てみまする。


長くなると何なので、大まかに言えば、論文ネタの再構築、投資の心得&方法論のまとめ(1週間でノート1冊使用済)、今後やることの整理、などだった様子であるよ。後はバイト8時間弱。


で、通常ならば「そんな、この時期にとんでもな〜い!」コトなのだろうが、修論のテーマ変更(→っうか、縮小、という表現が正しいのかもしれん。)することに決めました候。


今まで何回か指導教官に論文チェックをしてもらっていて、先生の様子から薄っすらとは気づいていたのだが、やはり、私のテーマは経済学修士を取得するという趣旨からすると、方向性と内容が学際的過ぎているらしいというコトが判明したのであーるよ。


先生「あのさ、コレやるのってすごく大変じゃない?やる事多くないかい?」

私「まぁ、そうですねぇ。ベースは証券市場ですが、方法論は心理学やコンピュータ・シュミレーションも利用しておりますし、社会学はもちろん、文化人類学も取り入れておりますです、ハイ。」

先生「っうか、コレやれたら修士じゃなくて博士号取れるよね。まだ早いんじゃないかい?」

私「・・・・。あぁ、そうかもしれん、ね・・・。」


61568664.jpgそれに正直、やっててツライ部分もあったし、何よりも今までの日記など自分が書いたモノを読み返してみて思ったのだが、当面の目標である起業家として役に立つ部分にもっと焦点をしぼっても良いような気がしたのでありまする。


まぁ、今まで集めた論文や資料は、今後どこかで活きる場面もあるでしょうし、修論が終われば好きなだけやれるワケだから、一時停止としまする。
『Shift the future』とはこういうコトを言うのかね、ゴーンさんよ。


確かに、行き先は少し変わったけれど、行き先を変えることで今まで見えなかった地平が見えてきたような感覚。視点の当て方を、自分の価値観と一致させたことで、ちょっと楽になれたなぁと思いまする。


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その他
・ドラマ『100年の恋』再放送を鑑賞。川原亜矢子氏のような30代になりたいとしみじみ思いました候。スーツ買い足しまする。けどさ、何で女性でリッチ、っていう設定だとInvestment系になるんだろ?(21日)

・バイト先で前いた女のコがヘルスに移転したという噂を聞く。同じ年齢の彼女とは何度も話したコトがある。移転する直前、鬱になってたコトも知ってたの心配。大丈夫なんだろうか。(23日)

雑誌『SWITCH』12月号を読む。沢木耕太郎氏の特集。ファンとしては買うしかないスゴイ内容であるよ。1月中旬に早めに論文を提出し、2月か3月から旅に出ようかなと思う。もちろん論文修正のためPC持って。来年は写真やろうと決めた。(25日)

2003年11月19日(水)
“ストレスを”感じたらどうしますか?

89285948ue.jpg思うところあり、昨日は夜から勉強に励んでいた私。で、そのままノリ続け、午前10時頃にようやく休憩。ふと携帯を見ると着信履歴が。大学時代からの友達コバヤシ氏からでありました。
「あれ?仕事中に珍しいなぁ・・。」とちょっとびっくりしながらもとりあえず電話。


<テゥルル〜・・・テゥルル〜・・・(←電話の音であーるよ。)>


「さっき電話しなかった?仕事中じゃないの?」

「っうか今さぁ−−−−で−−−なんだよ。」

「え?今、何って言った?電波悪いんだけど?」

「だから今、そっち向かってる。」

「・・・・・了解、であーるよ。」


っうコトで、突然ではありますが、もちろん友人の来訪を快く受け入れた私。私は、時間の構築だけは自由にできる仕事(→学業、投資、ウェブマーケ、週8時間の労働のみ)をしてるので、逢いに来てくれる分には全然問題ないのでありまする。


で、長期休暇に入っている友人のマツダ氏も参加し、3人で、お茶→ランチ→買い物→ホテル泊、っていう流れで、充実した時間を過ごすことができました。あぁ、やはり持つべきものは友なり、であーるよ。


89285892v.jpg我が友コバヤシは、ハードな仕事をしていることもあり、ストレスが溜まっていた様子。私としては心配なのだが、っうか、私が彼女の立場だったら耐えられないレベルの労働状況なので、逆に「コバヤシはやはりスゴイなぁ。」と思ってしまいまする。(→コバヤシ、あんたを欲しがる転職先はいくらでもあるって。)

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ストレスを感じたらどうするか?
友コバヤシのように、何年か前の友達に会いに行くのも良い解決策だと思いまする。上司や同僚というような職場という箱を共にする人達ではなく、ただただ、キミがキミだから逢う。キミであるからこそ楽しい。そう思える友達に会社をサボって逢いに行ってみる。そういうも、長い人生に何度かあってもOKな出来事でありましょう。


友よ。キミのその素早い意思決定と行動力、いつも思うけどさ、素敵過ぎ♪今度は香港&韓国行きましょうな。

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追記&今日何気に思ったこと
●思えば会計とか金融系の知り合いって結構いるのに、何で私コネ使ってないんだべ?アホかもしれん。とりあえず明日メールしてみましょう・・・。

●この日記、ジャンル変えようかと思って他のジャンルを覘いてみたのだが、余計わからなくなった。。【静かな日常】あたりが良いのだろうか。。。

2003年11月16日(日)
「正しさ」ではなく「幸せ」を、私は選択する。

61554270.jpg知人と仕事のコトで揉めていだのが、思い切って昨夜電話しました。で、無事に解決。

仲直りというか、お互い深い意見を交わせた分、前よりも仲良くなれたのではないか思いまする。相手もそう言ってくれたので良かった。


でも、ホントは迷ったのであります。意地を張るとかそういうのじゃなく、要するに「自分の方が正しいのであーる。」というような傲慢な気持ちがある一方で、また同時に「でもお互いに悪いわけじゃないのに何でこんな風にならなきゃならないんだろう?」と思ったり・・・。


で、そんな中途半端な気持ちでいたとき、ふとある言葉に出会いました。
それは、『敗者は負けるのを恐れる。勝者は負けも勝ちの一部だと知っている』という言葉でありました。


そして、「う〜ん。なるほど。確かにそうかもしれぬ。。。」などとしばらく考えてみた私でありました。で、何か感じるモノがあり、電話してみようと思ったのでありまする。


61554589.jpgけれど、さっき、もっと的確な言葉を見つけました。それは今日のタイトル通り、『正しさではなく、幸せを選択する』というモノ。たとえ自分が正しいとしても、逆に相手が正しいとしても、どちらか一方が正しいとする限り、必ず誰かが負けることになってしまいます。


それって私の考えるハッピーじゃない。じゃあ自分にとって「幸せ」って何なのさ?、と考えると、それは相手が負けるコトじゃなかったワケありまする。もちろん自分が勝つことでもなく・・・。

というように、今の私に「幸せ」をはっきりと定義することはできません。けれど、私はただ「幸せ」を選んだ。自分だけの「正しさ」よりも、他者との「幸せ」を選んだ。それはきっと「正しい」ことだったんだと、今思います。


☆参考リンク☆
「幸せ」と「正しさ」ならどちらを選びますか?(『カウンセリング・スタイル』内ページ)

2003年11月14日(金)
人に揉まれ、己を知る。

89285788x.jpg会社をやっている知人Y氏とお茶。何年も前からの知り合いなのに、ふたりでちゃんと話すのは今回が初めてだったのでちょっと緊張していた私でありました。で、当然のごとく商売ネタばかり話す相手と私。昼間の静かなカフェでは異様な存在だったかもしれん。ふたりとも声も態度もでかいし、店の隅々まで異様に観察するし・・・。


「最近、どこかでイイ感じの従業員、見たかい?」とY氏。この人は飲食チェーンを経営しているである。で、先月末に行った○○店のMさん、飲食店ではないけど×××店のIさんのサービスはスゴイと思うと述べてみた。Y氏もMさんには目を付けていたようで、「Mくん、イイよなぁ〜♪」と仰っておりました候。Mさんモテるよなぁ、ホント。Mさんの接客はホント気持ちよいのだ。どこの店も欲しがる高級人財でありまする。(→見習う部分多し。またあの店行かなくては。。)


で、かなり充実した議論を交わした2時間半でありました。実務に疎い私には現場経験の長いY氏のような経営者の言葉は、その一言一言のすべてが貴重なのであるよ。最近、自分の自己管理能力の無さに落ち込むことが多かったのだが、「キミにはまだまだ時間もチャンスもある、意思もやる気も、ね。」と励まされ、気を取り直しました候。そんな会話の中で、今日初めてYさんの年齢を知りました。私の父親と同じ年齢だとは・・・。Yさん、若すぎ・・・。


89285013.jpgまた「キミは自分が他人からどう見られているかを知ってるから大丈夫、大丈夫♪」とのコメントを頂き、「そうですかねぇ、ヒャヒャヒャ!」と返しながらも、内心「この人気づいていたのか・・・。」とY氏の鋭さに驚かされた。すると、「自分もそうだからわかる。自分を演出できないと上手く行かないもんだもんな?」とY氏。あぁ、鋭すぎ・・・。


が、努力はしているとはいえ、私にはまだまだ足りない能力でありまする。ふとした時にその足りなさが表に出てしまうんだよな。って、Y氏曰く「身に付けるのには何十年もかかる。失うには半年もかからない。」らしいから、焦っても仕方なし。こういうのは地道にコツコツといくしかないのだね。


今後も色々な人に会い、色々な意見を聞き続けよう。人に揉んでもらうと、自分に何が足りていて、何が足りていないのかをもっと深められるのでありましょう。っうコトで、修行の日々は続く・・・。

2003年11月12日(水)
「なぜ、どうして勉強するの?」と問われたら?

89284824a.jpg先日「恋愛」についてこの日記に書いたのだが、またしても知人を心配させてしまった・・・。あぁ、度々すみませんです。で、読み返してみたのだが、確かに誤解を招く余地のある文章でありました。この前の日記の趣旨は、まぁ、特別な誰かをただ一人だけ選ぶってコトに疑問があるのだよ、ってコトだったらしいよ。(じゃあ、そう書けよって?はい、すみませんです。。。)っうか、一夫一婦制自体に疑問があるって、今気づきました候。


前置きはこのくらいにして本題へ。今回は「勉強する意味」について考えてみます。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、今回のお題目はNokoさんの日記にかなり影響を受けております。また、家庭教師させてもらっている子(中学生)が「何で勉強するんだろうね?」と、先日ぼやいていたことも関係しています。その時の私の返答は後々書きまする。


まず、私も「なぜ、どうして勉強するのだろう?」と考えてしまう中学生でありました。小学生時代は単純に新しい物事を知るのが楽しくて、学校も塾も大好きだったのですが、中学受験が終わったぐらいから徐々に「なんで?どうして?」と考え始めたような記憶があります。


で、ある時、ふと「勉強を止めたら何か分かるかもしれん。」と思い、止めてみました。確か、中学2年生の後半くらいだったかなぁ。(→遠い眼。。)
で、どうなったと思います?





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こんな馬鹿げた実験をしてみてわかったのは、「なぜ、どうして勉強するの?」という問いに対して、「しないと困るから。」と答えるのはあまり適当ではないし、具体性を欠き過ぎているという当たり前のことかなぁと思う。しかし、当時、大人に尋ねると「しないと困るから。」と答えてくださる方ばかりだったので、びっくりした記憶があります。


89284575.jpgが、具体性を欠いている答えであるとはいえ、一理あるような気が。確かに「困る」事態になる場合もあるのではないかなぁと。
で、大人たちの「困る」という答えに対してさらに問いを立て、「勉強しないと“誰が”、“いつ”、“どんな風に”困るのか?」を考えた私。答えは高校生になってから分かりました。それを実感するというレベルは大学生になってから。(→え?遅い?)


で、以下が「なぜ勉強するのか?」「自分が勉強しないと困ると仮定して、誰が、いつ、どんな場合に困るのか?」という問いへの私なりの答えです。


「なぜ勉強するのか?」といえば、人のためです。人とは自分と他者です。
勉強しないと困ると仮定すると、まず、“誰が”困るのか?それは人です。人とは自分と他者です。では“いつ”困るのか?勉強に関する夢を持ったときです。また、さらに大きな広範囲な勉強をするときです。“どんな場合に”困るのか?といえば、自分が自分の、そして他者の力になりたいと思った場合に、です。そう思う瞬間は、いつ、どこでやってくるか分かりません。だから“困る”と大人は言ってくれたのでしょう。(→って私なりに解釈してみました・・・。)


「何で勉強するんだろうね?」と中学生に尋ねられ、かつて同じように考えた中学生だった頃の自分を思い出し、私は次のように答えました。


私「まず、“何で?”と問うあなたは正しい。物事に疑問を感じるのは良いことだと思うよ。」

相手「でもいつも考えてるからテストの時間、足りなくなるんだよね。」

私「最初はね。でも、今回のテストは時間足りたんだよね?点数も上がったよね?できるようになったのは“何で?”って思わない?」

相手「う〜ん。多分、何回も分からない問題をやったから、かなぁ。」

私「そうだよね。何回もやった。同じように、“何で?”って考えて分からないことも、何回もやったり、“どうやったら上手くいくだろう?”って工夫したりすると、早く答えが見つかるようになるのだよ。」

相手「うん、そうかも。そうやってできるようになった、って気がする。」


っう感じで、我が生徒さまは何となく分かってくれたようであるよ。(っうか、上手くはぐらかしてる気が・・・。)


よって、『勉強』という行為を私なりに定義すれば、“何で?”と問うことの練習である、といえそうです。そしてまた、“何で?”と問わなくても済むことを“問わない”ための練習でもある、ってコトかなぁと。


時間が押してて言えなかったけどさ、“考える”ことができるキミは結構スゴイと思うぞ?アマルティア・センは“何でインドは貧しいのだろう?”と考えて経済学者になったんだよ。
キミの“何で?どうして?”という問いの先に、『何か』があると私は思うよ。キミは素敵な中学生であーるよ。

2003年11月11日(火)
そういや恋愛について全然考えなくなった。

90576360be.jpgここ何日かの日記が内省的な種のモノだったからか、知人が心配してくれたらしい。あぁ、要らぬ心配させてしまい申し訳ないのぅ。そしてどうもありがとう。

っうワケで、全く脈絡がないのだが気分転換を兼ねて、今日はふと恋愛なるモノについて考えてみたくなりました。何故なら最近余りにも思考の外にある現象になっているので、たまには良いだろうと思って。


あ、でも勘違いしないで下さいよ。別に「彼氏もいないし寂しいわ〜。」とか全然思ってないから。第一、私はやるコト結構あるし、友達もそれなりにいますので、彼氏(そして夫)という存在にあまり必要性を感じないし、いてもいなくてもどっちでも良いのであるよ。それに『彼氏』という名称では呼んではいないけれど、ごはん食べたり遊んだりする相手はたくさんいるので、生活上特に問題はなしでありまする。


でも考えてみる価値はあるかも。「個人的な事は政治的だ」(Personal is Political)という有名な言葉もあるくらいですから。なので、「何故、恋愛について考えなくなったのかしら?」と。「何故、彼氏・夫という存在を必要としないのだろう?」と、考えてみましたよ、ハイ。


綺麗ごとを書くつもりはないので、正直に思うことを書くけど、っうか常にそうしてるけど、そもそも『オス+メス=完全体』という考えが私にはないからだろうと思いまする。っうか、そもそも生物学から発せられる男女差なる概念をあまり信じてはいないらしいぞ。って、今気づいたけど・・・。


かと言って、上に引用した「個人的な事は政治的だ」はフェミニズムの文脈で生まれたものではあるが、私はフェミニストではない。そもそもフェミニストであると言い切れるほどフェミニズムに関する知が足りないと思うし、『オトコ脳・オンナ脳テスト』なるテストでは何度やっても『オトコ脳度80%』になってしまう・・。よって、そう言い切れる資格があるかどうか不安なのであーる・・・。


90574725zp.jpgそれに『恋人』や『夫婦』という他者との関係性を表す記号、そして、この記号が表している関係性の距離と範囲の外にある『その他の人たち』が創造する人間空間は、そんなに変わらないんじゃないかなぁと、特別に見える関係と特別には見えないよう関係。そうした名前があるってだけで、その関係性が内包する“愛情”や“想い”は常に入れ替わる可能性があるよなぁと、思っていたりもする。


“愛情”や“想い”に人は名前を付けたがる。そうしたければそうするのも良し。そうすれば安心かも。けど、その名前に縛られるのもまた事実。
『恋人』『夫婦』。そして『それ以外の人たち』。その違いは、もしかしたら、“愛情”や“想い”の有無やその程度、ではなく、単にそうした“名前があるかどうか”かもしれないよ。


理解し易い“ラベル”が見える位置にあるかどうか。普通の洗剤をファンデーションの『パフの汚れ落とし』というラベルへと付け替えることで儲けた○○化粧品の成功は、要するに「理解し易い名前を付けた」ということに尽きる。あぁ、ネーミングって深い。。。


色々書いてみたけれど、過去も現在も、私は異性愛者としてオトコと恋愛し、ミミッちい恋愛から大恋愛なるものも経験したものの、ここ何年かの間に『恋愛よりももっと楽しいコトはたくさんある』というどうしようもない認識に到ったらしい、っうのが本質的な理由かもしれぬ。たとえどんなに良いオトコが恋人でも、常にその人の存在を超越する対象が私にはあったりする。


っうコトで、当初予想したとおり、意味不明な文になってしまいました候。
要するに、当面は今まで通り、恋愛以外のコトをやってれば宜しい、ってコトなのでありましょう。


自分の領域に献身している間に、いつかどこかで“恋愛”することもあるでしょう。何かに献身している誰か、と。もしくはさらに献身できる新しい対象、と。

2003年11月09日(日)
誤解の構造。 

41369.jpg土曜から山形県へ。ついでに山形大学をチラッと見学。敷地は私が通っている大学よりも狭い。けれど、理系も文系も1つのキャンパスにあるからか、学際的な感じがしたし、雰囲気も素敵でありました。理学部の掲示板に『物理学補講』の文字を見つけ、「あぁ、出たいよ、その補講。」と思った・・・。(→物理、復習しなきゃなんだよなぁ。。。)


で、1泊し、仕事の予定があったため今日の夕方に帰宅。メールチェックをしてから出勤しようと思い、メーラーを始動。数あるモノの中で、とあるメールが眼に留まった。で、ちょっと憂鬱に・・・。


正直、「あぁ、そうきたかい。」と思ったよ。確かに私にも悪い部分はある。反省する部分はある。だって、知識、情報、感情を、同期化し、共有できるようなシステムが組織には必要だということを知っていたクセに、相手にそのことを理解し易い方法で伝える努力を怠っていたのは明白。

けれど、そうアドバイスしなかったのは、相手が正当な対価を支払う準備がないと知っていたからだ。明確な対価がなくちゃ仕事できるはずないって。「ビジネスとして」と言ったのは相手の方だ。どっちが悪いとかという問題じゃないんだよなぁ・・・。


要するに、相手と私の“ビジネス”という概念への認識がズレ過ぎていたのだ。冷静かつ相対的に考えてみれば、私は経営・商売ってモノに恐ろしく厳しい人間なんだろうよ。今回の相手はそういった認識のギャップを把握していなかったらしい。甘く見られたものだニャぁ。。。


「ケンカや別れの原因の大部分は“誤解”である。」という言葉を以前どこかで眼にした記憶がある。その人のメールを読んで最初にこの言葉を思い出した。言葉では足りない部分を、お互いに色々と考え、想像し、埋め合わせていく。相手の気持ちを推し量る。時として、こうした日本的コミュニケーション・スタイルは、在りもしない相手を創り上げていく。


そう、“誤解”なのだ。今回の“誤解”の原因は、コミュニケーション、特に感情・認識の言語化不足、それと単なる手違いだよなぁ、、、とほほ、であーるよ。。。


33469.jpg仕事から戻り、もう一度考えてみた。相手の出方に対して、私はどういう反応をするのがベストなんだろう、と。

『あの人の認識している現実はどんな現実なのだろう?自分の現実とどう違うのだろう?』と紙に書いてみた。デスクの前に貼ってみた。この新しい教訓の隣には『どうすれば変えられるのだろう?と、常に考えよ。』という文字。しばらくこの2文を眺め、考えること10分。


結論。まずは“誤解”を解く努力をしよう。改善できたならコミュニケーション・システムの提案を、ダメなようならその時は相手の言う“縁”がなかったってコト。気持ちよく、なるべく気持ちよく、その“縁”なるモノを切るよう努めよう。ダメでも、ああいう経営者には絶対になってはならないっていう教訓にはなるだろう。それが今の私のポジションではベストなアプローチでありましょう。


っうコトで、今日もまたグチっぽい日記でした。。。

2003年11月08日(土)
自己評価と他者評価の狭間で。(→グチっぽいかも。)

90573584.jpgここ何ヶ月か、新しく出会う人出会う人に言われる言葉がある。嬉しいような、嬉しくないような、そんな微妙な言葉。

その度に、自分が理解している自分自身と他人が認識している私という人物像のギャップ、を感じたりする。


人事管理論で習った「ジョバリの窓」(自己理解と他者理解のマトリックス)では、ギャップを埋めるには「自己開示が大事なのだ〜。」という結論だったような記憶があるのだが、それとは逆のギャップなんだよなぁ・・・・。





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正直に言おう。今年に入ってから私は“バカっぽく”話すのを止めたのであるよ。何故昨年まで“バカっぽく”喋っていたかというと、要するに、その方が得なことが多かったから・・・でありまする。


90564678v.jpgで、25歳になった今年。「そろそろ本気でやらんとなぁ。」と考え、はっきり自分の考えを言うようにした訳であります。と言っても、私は一応コミュニケーションのセミプロでもありますので、本気で話してもよい相手に対して、その場に合ったスタイルで会話しておるのでご心配なく。。。


すると、かなりの確率で言われる。
「いやぁ、しっかりしてるねぇ!一体何歳なの?」と。で、素直に「25歳です。」と答えると、「27、8歳かと思った・・・」と返す人が8割、「30歳くらいかと・・・、す、すみませんです。」と謝る人が2割・・・。


どうやら私という人は外見の割りに内面が老けてるらしい。チラッと「内面に合わせてもっと外見を老けさせるべきか否か?」と考えてみたのだが、アホらしいので止めましたわな。


でもさ、敢えて記しておくよ。他の25歳がどんなんだかなんて関係ないんだってば。年齢を基準に人の特徴・能力を測ることなんて無理。何年生きてるかなんて、何の基準にもならないってコトを私はこの25年の人生でしっかり学びましたよ候。


以下、グチになります。。。


だからさ、言うなってば。「オレが25歳の頃は〜。」って・・・。
キミと私は明らかに異なる目的を持ち、異なる時代を生きてるんだよ。
あなたは私ではない。私はあなたではない。相対化するな。自分の若い頃思い出してセンチメンタルすんな、って。 利害関係者じゃなかったら、そういう話を無料で聞く人ゼロだってば。ケチんないでキャバクラかカウンセリング行った方が建設的なんじゃないかい?


って、今度はっきり言ってやろう、っと♪

2003年11月06日(木)
15歳の夢。 ―Carry on your dreams until your dreams come ture.―

42466.jpg家庭教師を始めて早1ヶ月。仕事の進め方はもちろん、派遣先のKちゃん宅にもかなり馴染んできました。

で、ふと尋ねてみた。「将来なりたい職業とかってある?」と。

何となく知りたいなぁと思って、ね。
なくてもいいし、もしあるのなら今やっている勉強で力を入れた方が良い分野もアドバイスできる。それに、何かを説明するときに、ちょっとした小話を添えることができるかもしれないし。

すると間髪いれずに答えが!




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41786.jpg「なるほど〜!」聞いてすごく納得しました。前から気づいてはいたのだが、Kちゃんの部屋には動物(→主に犬と猫。)の写真がたくさんあるのでありまする。そうかそうか。どうりで生物が得意な訳だな。。

高校時代の友達に獣医学部に行った人がいるのを思い出し、そのコの話をしてみたのだが、かなり興味を示しておりました。


決して遠い夢じゃない、可能な夢なんだ、というコトを感じてくれたのかもしれないなぁ。


間近に迫る高校入試とかちょっと離れるけれど、日本の大学には獣医学部は少ないということ(→我が友はもちろんほぼ全ての大学を受験。)、それなりの勉強が必要だということ(→当然か。。。)、病院だけでなくJRA(日本中央競馬会)という就職先もあるということ(→かなり余計過ぎる小話。)、などを少々話しておきました。そして空かさず英語の授業に流す私であった。。。


" You can't wait for anybody or anything to make you happy."
(幸せにしてくれる誰かや何かを待ってはいられないのだ。)


という例文(今日雑誌で見たヤツ。)を使い、to不定詞の形容詞的用法と使役動詞make、not〜anyの語順、そしてwait forをまとめて覚えてもらいました。(→Kちゃん、ご苦労様であーるよ。一応工夫してるんだよ、オレ。)


Kちゃん、キミは15歳。今の夢は変わるかもしれない。変わらないかもしれない。けれど、その夢をそのまま持ち続けられたら素敵だね♪
ってコトで、"carry on"(=hold)もついでに教えてしまいました候。。

2003年11月05日(水)
「ことばを大切にする人が好き」と彼女はいう。

95439374.jpg「ことばに習熟している人が好き。」と彼女はいう。

ことば。コトバ。言葉。詞・・・。
そのシンプルかつ複雑な体系は、人を魅了し時には幻滅させる。


“彼女”とは、私が愛読しているサイトの管理人さん。いつも読ませて頂いているけれど、彼女が書く論理的かつ愛のある文章はホント素敵だ。あぁ、私もあんな風に書けたらなぁとしみじみ思いまする。。。


私も“ことば”に習熟している人が好きだし、何より“ことば”を大切にする人が好きだ。自分のことばに責任を持てる人が好きだ。要するに、自分に誠実な人が好きなのだ。


例を挙げよう。よく、女子には「誠実な人」と「浮気しない人」を同じ文脈で用い、「そういう人が好き。」で締めくくる人が多い。が、私が言ってる“誠実”はそういうのじゃないのであーる。この場合の女子達が言っているのは“誠実”ではなく“忠実”のことであるよ。


このとき、女子達の言う“誠実”には「僕は浮気はしませぬ。」と相手が言うであろう隠れた前提がある。が、ちょっと考えてみるとわかると思うが、相手が「僕は浮気しまする。」と言う可能性も十分あり得る。

一番マトモだと思われるのは「僕は浮気するかしないか解からん。」という確率でありましょう。(→男子の立場から見ると「浮気しないよーに。」といわれる確率が一番高いように思われる。80%以上の確率かもなぁ、あぁ、大変。)


95639725o.jpgまぁ、要するに、私がいう“誠実”とは、相手がどの“ことば”を発しようが、その自分のことばに誠実に行動する、ということであーるよ。

この例で言えば、浮気しないかするかはどうでもよい。相手が自分自身に誠実であってくれればよろしい。その方が私もまた“誠実”でいられるでありましょう。


正直、“ことば”の力に無自覚な人は苦手だ。そういう人と話すと「身勝手だなぁ。」と思わずにいられない。相手が私だったからよかったものの、「そうなんだよ。」と言われると「あぁ、そうなんだ。」と考えてしまうような素直な人が相手だったなら、そういう人の“ことば”は暴力以外の何者でもないのに。


人には“ことば”を発する自由がある。その“ことば”を向けるのに適する相手を、“ことば”にしてよい程度の確からしさを判断できる力を、自分の“ことば”と相手の“ことば”を分け尊重する優しさを、身につけている人が好きだ。


彼女のように、「ことばに習熟している人が好き。」と、今日から私も言おうと思う。

2003年11月03日(月)
3連休の過ごし方。

52811641.jpgこの3連休は「バランス良く過ごせたなぁ。」としみじみ思う。

1日目は夕方から大学時代の友達2名(マツダ&コバヤシ)と1泊。翌日の半分はそのままこの2名と楽しく過ごし、夜はホステスの仕事へ。就業後、リサねぇさんに頼まれ、久しぶりにアフターまでしてしまった。。。やはり綺麗なねぇさんの頼みは断れないんだよな、私。。。




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まぁ、要するに疲れてたのであーるよ、実は。だいたい私という人は疲れが他人にはバレない人なのだ。「いやぁ、いつも笑顔でいいね♪」とよく言われるけど、そういう顔なだけなのであーる。「すっごい眠いんだよねぇ〜。」と言っても信じてくれない友人たちよ、おい、ホントだってば。

52811578.jpgっう感じで、遊び、働き、しっかり充電し、体調はすこぶる良好。今週は人と会うのが多い予定なので、これくらい休んでも良いでありましょう。

水曜まで研究に集中。木・金・日曜は外出して仕事。土曜はオフ。
っう感じで、休み明けもマイペースで頑張りまする。

2003年11月01日(土)
マネーの正体とは?  ―小説「リスク・テイカー」を読んで。―

001_pic.jpg先日は兄のつたない文章を読んで頂き、(→っうか、無理やり読ませてしまい)誠にありがとうございました。

兄の趣味でもあるAVの研究の方は、予想以上に奥が深く、難航中であーるよ。あぁ、研究の日々は続く・・・。助手、っうか先生、急募中。。。


で、話は変わって久しぶりに小説を読んだ。『リスク テイカー』(川端裕人著・文春文庫)。題名からも想像できると思うが、ビジネス小説なのだ。
正確には、金融小説とでも言うのだろうか、いわゆる“マネー・ゲーム”をスリリングに描いた小説であーるよ。


あらすじを言っちゃうと、ビジネス・スクール在学中に知り合ったふたりが、卒業後すぐにヘッジ・ファンドを旗揚げし、最先端の(→今はもうちょっと古いかも。)経済物理学を駆使して、国際為替市場に挑んでいく、という流れ。


いやぁ、面白かった♪何より気に入ったのがマネーを批判しつつも、肯定する部分はきちんと肯定して描いてある点、それと「マネーとは何なのか?」を明らかにしながら読者を楽しませる、というこの小説の主題をきちんと果たせている点、かなぁと思う。


ファイナンスの世界は厳しくもあり、また優しくもある。私が日々感じていることを上手く表現してくれてるなぁと、ちょっと感動。99年に単行本で出版されてたみたいだし、もっと早く読みたかったなぁ。。。


8_13_editers_top.jpg言うまでも無く、マネーとは“共同幻想”でありまする。それは身近なようでいて遠い存在。その存在を肯定する共同体の信念が崩れたとき、マネーはもはやその価値を維持できなくなる。

この本を読んで、再び地域通貨と為替リスクについて考えさせられた。確か、作家の池澤夏樹さんは「利子」の存在こそが問題だ、というようなことを書いていらしたような記憶がある。

私は氏の大ファンではあるが、この点に関しては正直賛同できない。
問題は、今ここにある地域と、今そこにある世界。それをどうマネーで結びつけるか、ということなんじゃないかい?と、えらそーに考えてみたり。。。要するに、私なりの答えは金利ではなく、「為替」ってコトなのだが、専門外なので上手く説明できませぬ。あぁ、勉強不足であーるよ。。。


っう感じで、小説としても面白いし、お金という記号の新たな側面を探る入門書としても良いし、とにかくオススメであーるよ。
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