2004年10月18日(月) |
好きな食べ物は食べられるものです。 |
バーレスクエンジンのライブに行ってきた! 格好良くて、面白くて、音も最高で、これが見たかったんだーと思った。 大好き。 思ったよりお客さんが少なかったぶん、前で見られたし、踊るスペースも十分あって、ほんとに楽しかった。 前に倉橋ヨエコを見に行ったライブで知って、気になってCD買ってはまって、ずっと生で聞ける日を心待ちにしてたのだけど、期待以上でした。 50分があっというまだった。 もっと聞きたかったなあ。 なんか、アジアが好き、とか、昭和歌謡が好き、とか、それは嘘ではないのだけど、そうやって「枠」で言っているうちにどんどん自分で自分のつくった定義にしばられて、ほんとは何が好きなんだっけ、って分からなくなってしまう感覚にとらわれていた。 自分が選び取るより前に自分が規定した自分が勝手に決めてしまうような、すごく不安な感じがしていて、自己暗示にかかっているみたいで嫌だった。 でも、今回のライブ見て、なんか楽になった。 私はこのバンドが好きで、こういうバンドとか、こういう音楽が好きなわけじゃないって。 もちろん、きっかけは倉橋ヨエコのライブだったし、バーレスクエンジンはクレイジーケンバンドともやってたりするし、そういうつながりはあるんだけど、でもジャンルじゃないよなあって。 というより、ジャンルが先にあって音楽を好きになるんじゃなくて、先にひとつひとつのものを好きになって、それを説明するために便宜的にまとめあげたのがジャンルなんだよな。 あたりまえのことなんだけど、あらためて思った。 ちょっとほっとした。
でも、このあいだ野音にsyrup16gを見に行ったときも感動して、なんか泣いてしまってぼろぼろだったし、結局、冷静になってみれば、好きなものは好き、でしかないんだなあ。 頭より先に、感情にきてしまうもの。 感情より先に、体にくるし。 だいたい、そもそも、私のとりえといえば雑食なところだけだったじゃないか。。。 あんまり深く考えないようにしよう。 昨日、考えすぎると脳にばっかり血がいってよく転ぶんだよ、っていわれて、そうだったのか、と納得しました。 なんでみんな転ばないんだろうと不思議に思っていたけれど、考えてばかりいると足元が危うくなるんですね。 もっと反射神経を信じよう。。。
あと、これは絶対見に行かねばー。 イベントいろいろあるし、3回ぐらいいきたい。
コトバコで久しぶりにワニラをやって、本当に楽しかった。 一緒に読めるって幸せな事だと思う。 わたしは人付き合いがうまくはないから、相手を尊敬している部分がないと、関係を続けていけない。 それは、距離が近ければ近いほど、親しいほど、そうで。 だから、今まで続いているワニラの奈緒もユーリも尊敬してるし、憧れているんだなってつくづく思います。
二人の朗読する時の立ち方みたいなものが好き。凛としていると思う。とても自然に。 わたしはすぐ装うし、取り繕うから、いつもすごいなって思う。うまくいえないけど。
私ね、奈緒の声は、なんていうか、天の声だと思うんだ。 地上の雑多なできごとを見下ろす場所に立てる声。そういう力を感じる。 だからとても自然に、染み込んできて、ときどき泣きそうになったりする。 奈緒の声は奈緒だけにしか出せないよ。 ワニラをやるとき、いつも奈緒にバランスを取ってもらってる気がします。
ユーリの声は、強いなって思う。 まっすぐに、聞く側に向かっていくかんじ。 それが押し付けでもないし、言い訳がましくもないから、すごいなと思う。 それでいて、切なかったりしてね。 ユーリの声も、ほかのひとには出せないんだよね。あたりまえだけど。
ふたりとも朗読するとき、本当にきれいに立っているなって思う。なんていうか、寄りかかってなくて、それぞれにきっぱり立ってる。 ときどき、自分が並ぶのが申し訳なくなるもん。
でも、一緒にやれるのが一番の幸せ。
あとね、私はふたりの歌が好き。あんなふうに歌えたらなあっていつも思うさ。
なんか内輪でほめてるみたいになってるけど、一緒にやってる私がふたりを好きなのは当たり前のことだもん、いいよね。
楽しいことをいろいろ、やりたいのでした。一緒にさー。
そうやってうみは流れを失くし 気絶するまで続くうすむらさきのストローの 先を濡らして遊ばれていた 行きどまりでは きのうひからびた虫たちの羽が 気泡のなかで保たれていた 気泡だらけのみずうみ むかし群れだったものたちが あぶくに分かたれ眠っている 触角が誇らしげにしなるときも 波打つ天井はくずれずに ただやわらかに押し戻す 向こうの世界が透けている
もう冬は越さない一本の樹の 枝から落ちた果実から しぼりだされた一滴のあかが みずうみをほんのすこしだけ染めた けれどそのとき日が翳り 水面をすうと曇らせたので いろづくまえのいずみのいろを だれもがすっかり忘れてしまった
「はじめからあかいものの名前を いくついえるか競争しよう」
キトは遠くを睨んだままで 時計の針を押さえるように 両手を真横に広げていたので その申し出をきかなかった 伸ばしたひじの小刻みなふるえを 飲み込むことに忙しかった
あしたのあさには行ってしまうもの 日暮れを待たずに消えてしまうもの まばたきの間にしんでしまうもの キトはいつも足りないままで だから両手を下ろせない それでもストローの先ではしずくが 途切れることなくしたたり落ちて 波紋のなかでうまれたあぶくは きょうもなにかを閉じ込めてしまう
「はじめからずっとあかいものを それならきみは何と呼ぶかい」
汗がつたう しゃくとりむしのように 伸び縮みしながら這っていく たくましい足にはいくすじもの道が 塗り重ねられ見えなくなる キトは両手を広げつづけて とがった顎を上向かせて じっと遠くを睨んでいる たとえばうすむらさきのくだの 向こう側にかすんだ世界 閉じ込められた木々のみどりと 越すことのない冬のしろ それから
ひじがずっとふるえている 道はいくつも塗りつぶされ しゃくとりむしが這いつづけている キトは両手を広げている キトは両手を広げている
「きみならそれを何と呼ぶかい はじめからずっとあかい、 あかい」
水面がにわかに翳った
指の先からひとつぶのしずくが ただまっすぐに こぼれ落ちた
もうすぐ 日が暮れる
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