耳鳴りおやじの日記
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知り合いのT先生の授業では、質問に対して手をあげた学生に1点あげるらしい...
これが意外と良いらしい...活気が出るらしいのだ...この先生が得意な”強化”という概念だ...
教員は、一般的に自分が話した内容に反応して欲しいと思っている..学生は、反応してもばからしいし、恥ずかしく感じるだろう...
”手をあげた学生に2点”という授業は、教員と学生、両方向が強化される..
授業を作るときに、問題はどこにあるのか、解消するために強化をどう考えるかと言う視点は非常に重要だ...
言語行動という概念があるらしい..これは、言語コミュニテイの成員によって強化される行動というらしいが...まあ簡単に言えば、回りの人の助けで、最終的に自分が得をする発話行動という事だ..
たとえば、”酒をくれ”といって奥さんが酒をもっていく感じだ..
人との関わりが少なく、自分でなんでもするようになると、言語行動が萎縮する...萎縮するとさらに人との関わりが希薄になるという悪循環を生む...
コミュニケーションを取るためには人に何かをさせるという事が必要かもしれない...
うちでは ”ビール持ってきて””自分で取って” 言語行動の萎縮が進行中である....
今日の朝、T大学のY先生から、いきなり電話があった...
事務的な処理に関する内容だが、何故に休日の朝にかけてこなければいけないのか?
大学の先生というのは、僕もふくめておかしな連中が多いが、まだ、自分はましな人間だと思うことが多い..
O大学のN先生は、以前、研究室に電話をかけてきた.. 僕が用があるので他の人に取り次いで欲しいと言って、”わかった”と言うので待っていると..出ない..誰も..
どうやら、わかったといったあと、その用件を忘れてしまったようだ.. 僕は受話器を持ったまま、3分ぐらい待っていた..そして切った..
K大学の先生はいきなり”S先生、いる?”とかけてくる..自分の名前ぐらい、ひとことで済むやないかと思うが..
自分が社会的だとは思わないが、おかしな人が多すぎる..
研究能力がすべてと感じている人が多すぎる...
人間はバランスが大事だと思うのだが..
能力の衰えたおやじのひがみか..
R大学では、半期授業を稼ぐために休日に授業をしているらしい..調べてみると確かに、休日に授業が入っている...
教師も忙しくなったもんだと感じる..一体どういう時代だ...
休日に授業ということになると、学生もいやだろうなあ..その噂が広まって大学志願者が減るのではないか....
休日に授業が入るとどういう問題があるか考えてみた...家族サービスが減るなあ...子供が大きいところは良いが、小さいところはおやじのサポートが欲しいに違いない...それができなくなる..
はああああ、ため息しかでない....
2004年04月27日(火) |
観光学の専門家?暴言失礼! |
国が、国公立大学に観光学部、観光学科の設置を促進させることを決定したという...
一体これは何なんだ!
そもそも、専門職で資格にかかわるものならまだしも、観光学の資格なんかないんだろうし、観光学の専門家なる物を輩出する必要性がどれほどあるのだろうか?
T大学では国家遺産にかかわる学科だかなんだか、作ると言う話を聞いたが、何なんだか....
日本文化を大事にしていこうという気持ちは大切だし、教育の中に入れていこうという趣旨もわかるが、学部、学科を作る必要性があるんだろうか?
独法化で大学独自に進めるならまだしも、政府が支援する必要があるんか?
疑問だらけだ...観光学の専門家でもできたら金でも儲かると思っているのか?
どうせ、官僚おやじの視察海外旅行で、欧米ではガイドが博識ですばらしいって感じたに違いない..日本は遅れている...なんとかしなくてはと感じたに違いない..
それなら、官僚自らバスガイドでもやれ! 官僚が観光学なるものを勉強し、日曜日にやればいい...
まあ、官僚おやじバスガイドのツアーにだれも乗らないだろうが...
ほんとどうでもいいけど、もっとやることが他にあるでしょう>政府
昨日、SOに参加した....疲れた....
スペシャルの競技ルールは非常に面白いと感じた..参加する前にスキルテストを行い、その結果でチームを分け、その中で競技させる...極端に記録が良いと失格になるというものだ..
僕は中学生の時から競技スポーツをやってきて、記録を出し、試合に勝つことを求められてきた..だから、勝つということの概念がわかる気がしていた..しかし、SOにおいて勝つということはどういうことなんだろうという気がした...
知的障害者の中には、試合で勝つことがうれしくて喜ぶアスリートもいるが、大半はその意味がよくわからないと思う..
スペシャルの宣誓は”勝たしてください、もし勝たなくても戦う勇気を下さい”というものだが、これを良く聞くと、アスリートよりもアスリートをサポートする家族に発するメッセージである気がする..
だから、この活動はアスリート本人よりもアスリートも含めたインクルージョンという概念で捉えた方が良いのかもしれない..
試合では全力を出すことが求められる..そしてみんな表彰される.. アスリートの姿をみて、家族はアスリート以上に感動を覚えるのかもしれない..”この子もやればできる”という思いを持てること、これが”勝つ”ということなのかなと漠然と感じた..
今日は筋肉痛...しんどいが良い勉強をさせてもらった..
”参加することに意義がある”
どこかで聞いたことがことがある..オリンピックの原点だ..しかし、最近の商業化で、派手な演出や莫大な金、政治利用が盛んになってしまった..
最近、関わっているスペシャルオリンピックスは、まさにその原点に戻るゲームだ..すべてがボランテアで組織され、アスリートはまさに全力を出しに試合参加するだけだ..大きな金はおそらく動かないのだろう..
勝敗よりも、アスリートが全力を出しきる事が家族にとって本当に嬉しい..そんな大会である..
スペシャルオリンピックスの原点はアメリカのケネデイ大統領の身内に知的障害者があり、その人たちにスポーツの場を与えようと庭を開放したところからスタートしている..それは1963年..私の生まれた年である..何か、スペシャルに関われと言う宿命を感じる...
来年は世界大会が長野で開催される...ボランテアで参加予定だが、大丈夫だろうか..
いや、長野に行ったはいいが、私が介護されないように気をつけなくては!
昨日、雑誌を読んでいたら、研究には体力が必要だと書いてあった... さらに、体力というより、気力に近いものかもというコメントが載っていた...
その時漠然と感じたのが、気力は体力ではないのかということだ..つまり、体力の一要素に気力があるのではないか?
では、一般的な体力トレーニングをすれば、気力はつくのか?おそらく、つくだろう..しかし、それはその体力向上のための気力だ..それ以外の気力はほとんどつかないと思う..
体力トレーニングの原則に過負荷の原則というものがある..これは自分の身体能力より、少し越える負荷を与えなくてはいけないというものだが、研究の気力を向上させるためには、自分の気力より、少し上の気力が必要とされる努力をしなければいけない気がする..
それは何かといえば、現在の自分が無意識に避けていること..たとえば論文読み、論文書き、実験の量なんかではないかなあ...これらはすべて負荷がかかることだが、やらなくては気力が低下する..
研究の負荷をコツコツこなすことで、おそらく気力は向上するのだろう..
おやじになると、ヒトの言葉にすがらないと生きにくいが...
”常に夢を持つこと、志を捨てず、難きにつく”というテレビ発明者の高柳健次郎の言葉が身にしみる..これを僕は手帳に書いて10年になるが、気力が低下したときは、拝んでいる...
仏壇にでも飾っておくか?
イラクの人質問題で自己責任が問われている... 難しい問題だ..危険なところだといって誰も行かなければ、細かなケアはできないだろう..
そんなことを考えていたら、新聞に大学の共同保険の記事が載っていた..法人化によって大学責任の傷害、損害を大学が決めなくてはいけない ことになっているらしい...
なあるほど..最近、実験室の管理が厳しくなっている..これは一体何かなと思っていたら、この大学にかかる保険に関わることかもしれない..
つまり、大学の保険を民間に任せ、安く抑えるためには研究室内の試薬管理を徹底する必要性が生じるのではないか..なんとなく、つながった..
今まで、この保険は国が出していたらしい..各大学の自己責任に委ねられたというわけだ...
国は人質にかかった費用を請求するらしい..なんとも言えない心境だ..
これを機に”イラク人道支援保険”を作って、もし、何かあって国のお世話になるときは、この保険から支払いますよということにしたらいいかも..
自己責任の時代かなあ...なんか冷たい世の中になりそう..
昨日、お世話になっている教授からメールをもらった.....
”K大学の先生があなたの論文を読んで、ある実験をしたら非常に面白いことがわかったそうだよ”
K大学の先生は、高等動物のタンパク質の大量生産の研究をしている...
ヒトのタンパク質は大量生産する事ができない..もしできれば病気の薬に使えたりする...
これが、もし、本当なら何十億という特許につながる可能性がある...
しかし、それを見つけたのはK大学の先生だから、私には関係ないかも..
論文をみて参考にしたのだから1千万くらいくれないかなあ...
1千万もらったら何しよう..まず、住宅ローン返そう(涙)
2004年04月19日(月) |
家で仕事できるのか.. |
理系と比較して人文の先生は大学にいないことが多い...研究のため、動き回っているのはよくわかるのだが、自宅で研究に励んでいるという話を良く聞く...
しかし、家で仕事ってできるのかなあ....
僕もなんどか試してみたが、なんとなく本を読むならまだしも、論文読みをしっかりすることは無理だった..
どっかの大学の先生が、自宅前で子供の声がうるさいだの言っていたが、 それなら、なぜ大学で研究をしないのだ...
私もいないことが多いのだが、行く場所は決まっているし、そこでしかできないから行っている..そういう理由があるのだろうか?ホントに不思議だ..
ただ、教授の先生は大学にいてもらわなくては困る..教授は教室運営に関わっているいるわけだから、いてもらわないと話ができない....
先週はホントにストレスが溜まる1週間だった..今週はどうかなあ..
2004年04月18日(日) |
信頼される人材とは? |
ここ10年くらいで感じている事は、学力偏重教育で軽視されつつある領域だ..
大学院博士課程の学生は非常に優秀だし、学力も申し分ない...しかし、明らかに回りから信頼される学生とそうでない学生がいる...また、研究業績が優れていても、好意的に受け取られる人とそうでない人がいる..
これは一般的には性格の違いとして処理されているが、教育現場でしっかり教育すべきことだと感じる...
そのテーマとは、人権意識、倫理感、自己管理能力だ...この意識が強い学生は多少、学力がなくても信頼される傾向にある...
これは何故か、学校教育であまり強調されない...しかし、すべての社会人が持つべき資質だと感じる...
教授のセクハラ、アカハラの多発はこのような分野を軽視した結果だろう...
このような内容は、大学の学部教育で行う必要があると強く感じる..受験を終わった学生たちが社会に出る前に必ず、身につけて置くべき素養だと感じるからだ...
大学では専門科目、専門基礎科目が重んじられる傾向にある..しかし、人間としての素養に関することは、新たに”修学基礎”といった領域でしっかり行うべきである...
こんな偉そうに言っても私も素養はないが、近いウチにうちの大学にこの ”修学基礎”領域の論議を提案したいと思う..
こんなおやじに言われたら、他の親父連中もいやだろうなあ.... まあ、それが目的だけど...(って終わったらいけないんですよね、A先生....)
ある雑誌に、”個体から分子へ、分子から個体へ”という記事があった..これはアルツハイマーの研究の話だが、私の分野にもつながる話だ...
個体の研究は複雑な現象が多すぎて、研究対象にはなりにくい、論文にしてもいちゃもんつけられて、論文のランクを落とされてしまう..従って、研究者は、実験を単純化して現象を追求していく..だんだん、ミクロな世界に入って分子の研究をして”すごい”ということなるというわけだ..
こういうマクロな現象を調べてメカニズムを追うことが”分析”過程..
その雑誌は、もうひとつ”分子から個体へ”という内容が載っていた..これは分子の事実を体系化して個体現象を説明しようというわけだ...
これを”統合”というらしい...
人間に役立つ事を考える時代だが、これは分析よりも統合過程が重要だと感じる..”人間のアルツハイマーの治療はどうするか?” この目的に分子の分析結果を統合し、その結果と病理所見と統合し、さらには患者さんのメンタル面などと統合する..
教育システムについても同様だ..文理問わず、それを学生のニーズと合わせて統合化できるか..
分子的なデータなど単純化されているデータを統合化する研究を進める研究者の存在もこれから必要になると感じる....
ふーまじめな話をすると久しぶりに疲れる........
最近、大学で技術移転だの知的財産だのうるさいが、うちの大学でもそんな会議がある..
ふらっと、事務室に入るとその会議のファイルがあった..うん?おかしいなと思った..ファイルのラベルを見たとき思った...
よく見ると”知的財彦”になっている..おまけに教授の”教”の字がおかしくなって意味不明だ..
知的君という人がいれば、知的財彦ってかっこいいなっと感じた..まあ、それはおいといて..
しかし、本当に不思議だ..私も間違えた時は山ほどあり、事務の人に怒られること、数え切れないが..必ず修正する....
しかし、そのファイルラベルはそのまま置かれている..奇妙だ..何か理由があるに違いない...
たぶん、それは出席したUおやじが我々に残したメッセージではないか? 知的財産といっても、この大学で知的財産なんて生まれないじゃないかという皮肉..だから”産”を”彦”と書いたのだろう..また、教授の”教”の字が”?”だったのは、教授連中は会議ばっかりやってまともに”教”えていないから、わざと書いたのだろう..
Uおやじは深すぎる..
僕もUおやじに負けてられない..おやじの深みを見せなくては..
今日は、出張大学で朝、論文セミナー担当、昼から3時間の授業担当.. おやじの深みを出さなくては!
2004年04月15日(木) |
乗り越えられない過去はない |
光とともに...が始まった..
こういうドラマは、第三者的に見るのがいい..あまりに、現実的すぎて 苦しくなる..
最近、病気や障がい者対象のドラマが多いが、身内がそういう状態の時にはなかなか、微妙である..
このドラマを見ていると、ずっきーの小さいときの状態が、よみがえってくる..そのころに比べると今はどれだけ、成長し、楽になったか..
子供は大変という話を聞くが、ドラマでも表現されているように、自閉症の子供は大変の一言ではすまされない状態である..小さくてかわいい我が子が親の顔を見ずに、甘えずに、パニックを起こし、奇妙な行動を続ける..これが、親にとってどれだけ地獄であるか..
実際に今でも、子の将来を悲観して自殺してしまう親が絶えない...
しかし、”サイコドクター”ではないが、”乗り越えられない過去はない”
どんなに苦しく、辛いことでも、必ず乗り越えられる時が来るということが最近、感じることだ..それが人間の強さかもしれない..
うちがお世話になっている心理のT先生は、障がい児を持っている親が苦しく、辛い思いをしている時に”私が見ているのは障がい者を見ているのではなく、人間を見ているのです”と言っていた..
人間はいつしか、生物圏の中に特別な人間圏なるものを作り出してしまったが、生物圏という事に戻れば、様々な遺伝子変異、障がいに満ちあふれている..人間とはこうであると人間が決めつけることは、生物圏を無視した人間のおごりなのかもしれない..
ということで、おやじも人間として大切にお願いします..まとめ
普通、大学というのは専任教員が研究室にいるもんだ..しかし、大学の経費節減で専任がいない研究室があると聞いた..
そこでは、その研究室の担当する授業は必修である..それにも関わらず、専任がいない..
非常勤の先生だけで行っているため、年度始めの授業ガイダンス資料は非常勤が作っているらしい..それもボランテアで..
この事情を考えると、我々の分野は必修とか選択とかそういうことではない気がする..我々の分野以外の教員に専任の必要性や分野の重要性を説得できることが重要である気がしてくる..
大学側の責任も大きい..安易な人事を繰り返した結果であるとも言える..
大学人として昇任は重要な事だが、大学側も教授まで昇任できそうな人事をしなくては、本人にとっても不幸なことである..それでは飼い殺しである..
最近の大学の状況や学内の折衝を通して感じることは、大学も特徴を出すとか言っていながら、結局のところ、他の大学の追随に過ぎない場合が多い..
そういう意味では教員だけでなく、事務サイドの能力も問われてくる気がする..
私?私はおやじだから昔からマイペースです..言いたいことを言い、やりたいことをやっているだけです(そんなやつから辞めろって声が聞こえてきそう..)
2004年04月13日(火) |
植草教授...大暴落! |
植草教授は終わってしまった..女子高生のパンツを覗いただけで..
植草教授の論評はすばらしく、落胆する人は多いだろう..
植草教授は一瞬にして植草容疑者になってしまった..
私も仕事が詰まってくるとストレスが溜まってくる..どこかで発散しなくてはいけないと考えるが、さすがに女子高生のパンツは覗かない..第一、面白くない..
私も以前、ストレスが溜まって新地で大金を使ったことがあったが、最低限、自分の身分を失わない範囲で理性を持たないと後悔してもしきれない..植草教授も毎日が忙しく、どうにもならなかったのだろう..
植草教授はおそらく、早稲田の名を汚した罪で懲戒処分で解雇になるだろう..そして、顔が売れているだけに企業にも入れない..ひとりでベンチャーでもやるのかなと感じてしまう..
しかし、私より年上の植草教授..40才台で高校生のパンツ(こだわるが)とは元気だ..おやじとしてはその点だけがうらやましい..
昨日の大学のシステムを見て興奮が抑えられない..
こういうのは、昔から弱くて、システム構成などが自分の価値観にはまると 胸が高なり、興奮してしまう..
ただ、ぼくらの関連部署は考え方が甘く、さほど説得できるものはないと感じたが..
このシステムは誰が考えたのだろうと思った..事務か、教員か、学長か?
このシステムをそのまま、うちに持ってくればおそらく、希望学生は増加し、偏差値も上がっていくに違いないと感じた..
私の出身国立大学も、独法化で、金がなくなり、壊れたシャワーも治せないと言う..今までいいもんを食べていた分、苦しくなるだろう..
自分の所属する大学の有利さを最大に伸ばし、特徴を出すシステムを構築する..国立、有名私立大学でも例外ではない..
大学がいろいろ変わって行く中で、その特徴を出している大学がある..
この大学の目標は”行動”だ..すべてが”行動できるか”で統一されている..
たとえば、普通は授業のシラバスは”教育目標”だが、この大学は”行動目標”で統一されている..
非常に面白いのは、テニスの授業でも技術を獲得するという行動もそうだが、”文章で表現できる”で統一されている..
この場合、テニスもスポーツ活動ではなく、修学基礎(というらしいが) の教材のひとつとして考えていることだ..素晴らしい!
ここまでの事をやるにはかなりの理念と信念が必要だろう..しかし、やらなくてはいけない時代に入っている..
昔、僕の友達が鳥のなわばりの研究をしていて、川の近くにいってデータを回収していた..また、知り合いの地学の先生は湖まで言って調査している..回収したデータの分析は、大学に帰ってきてから行うわけだが、分析の日々が続く..
最近、学生のデータを取っていると、こういった仕事と似ているなあと感じることがある..有り難いことに学生さんはすぐそこにいる..これはフィールドワークだ..
人と向き合う研究は、難しいと思う反面、安心感がある..結果が出て、それをフィードバックしたときに分析が役に立ったと感じるからだ..
何故か、ヒトを対象にしない研究は孤独感がある気がする..実験結果がすばらしい雑誌に載ったとしても、そういうことに関する自己満足、名誉獲得みたいな側面があり、実験結果の先が見えないからかもしれない..
生命科学などの分野で最終的にヒトの幸せに結びつくと研究者が感じるためには、どんな基礎研究者でも、現場から得られる情報は必要だろう..
最終的にヒトに役立つことが実感できれば、地道で孤独な実験もがんばれる..これはすばらしい論文に載せてやるといった動機よりも数10倍、実験意欲を駆り立てられる..
多くの基礎研究者が脱落する理由は本当にくだらない..教授と合わない、同僚とけんかした..など..
特に生命科学に携わる基礎研究者は研究の先に見えるフィールドに行って、自分の研究がどうなるかということを肌で感じてみると良いかもしれない..
年老いた私でも学生に会うと肌のしわが引き延ばされる思いである..
とうとう、日本人が拘束された..
日本政府の対応が注目される..ただ..これは本当なのだろうか?
現地ではパスポートは持ち歩かないとの情報もある..また、人質はイラクの自衛隊撤退を要求していたとの話もある..また、自衛隊はイラク国民を殺してはいない..むしろ、サポートしているのだ..
自らの体を盾に日本に抗議しているのでは..真実はわからない..
いずれにしても、イラクは大変な状況だ..この混迷から抜け出すのは容易なことではない..
日本でもいずれ、テロが起きるのだろうか?とおもうとゾッとする..
アメリカの言いなりにならずに、日本の意志を貫いて欲しい物だ..
定年後のI教授は、最近、自分のエッセイを出した..これがまた、学ぶところが多いのだ..
I教授は、人を育てるのが得意な方ではない..僕も若い頃、良くいじめられた..なんてひどい人だろうと感じた..しかし、なぜか惹かれる人だった..
研究者というのは、I教授のような人の事をいうのだと最近感じる..良く大学教員はノーベル賞を求めたり、科研で何千万もらったとかで評価される場合が多いが、研究とはもともとそんな派手なものではなく、自分が素直に面白いと感じることを、なんとかやりくりしながら個人で地道に進めることなんだと思わされる..
I教授は東大出身のエリートだが、エッセイを読むと決して幸せな人生ではないことに気づく..信州の田舎で育ち、幼い頃に両親が離婚して、お母さんは再婚相手として医者を選んだ..しかし、戦中、戦後のばたばたなどで医者をやめてから、家計が困窮して農産物を売り歩いた経験を持つ.. その中で苦労しながら東大医学部に入った..
エッセイの中で、”時”を大切にという部分がある..そこには”時を大切にするということは結局、周囲に雑音や流行に惑わされず、自分の道をしっかり見極めて歩いて行くこと”と書かれている..
先日、教授とお会いして思ったことは奥さまと非常に幸せな生活をおくられていることだ..富も名誉も人間関係もさけた教授であったが、幸せを得ることはそんなに難しい事ではない気にさせられる..
僕もI教授のような”時”を”創る”人生をおくりたいものだ..
2004年04月07日(水) |
首都大学東京..どうなるのだろう! |
首都大学東京に就任予定の教員が就任をボイコットしたらしい..このメンバーは21世紀COEに入っていたメンバーだ..
東京都の理想とする大学を作ろうという、気持ちはわかるが、あまりに高圧的すぎるのではないか?
そもそも、それぞれの分野の事を、東京都がどれだけ理解しているのか? 入学する学生だって、ホントにそんな大学を望んでいるのか、疑問である..
いくら、学長権限がどうこういっても、教員の反発に会えばどうにもならない..どうせ、大学収入の何%とかは都が吸い上げるのだから、稼ぎ頭の経済学コースの設置ができないのはかなり痛いだろう..まあ、そこを強引にやったからこんなことになったのだろうが..
しかし、この大学は気に入らない..第一、名前が良くない..最悪だ..
首都大学東京って何様のつもりだって感じだ..どうせなら”江戸っ子大学”とか”べらんべえ大学”とかにすればいいのに..かっこいい..
昨日、学位を頂いたS教授の写真を、机の横に置いた..
写真立てを190円で買って、中に写真を入れてみた..これで10年、やれると思った...安いもんだ..
K教授の写真も置いてあり、この写真のおかげで10年はやってこれたので、今度もいけるだろう..
S教授の研究室は私の分野とはかけ離れており、最初はかなりとまどいもあった..若かかりし頃は、よく私の分野の話をしたもんだった..それだけ、自分の分野にコンプレックスを持っていたのかもしれない..そんな時、S教授はさらりと..
”分野なんて人間が、勝手に作ったもんだよ”
この言葉は今でも自分の心に響いている..確かにそうなのである..そんなことに悩むよりも、論文書きに悩み、データ解釈に悩んでいたほうがいいのである..
分野や先入観を頭に入れず、出たデータを素直に解釈し、解析する.. 研究を行う以上、positiveに出てもnegativeに出ても、しっかり解析していればそれが”真実”である..もし、そう思わないのであれば、しっかり解析出来ていないと言うだけである..
実験が上手くいかなくても”真実が必ずある”と思うことで安心できた.
これからの10年はどうなるだろう?というか生きているだろうか???
4月が授業が始まり、大変だと思う反面、わくわくする月である...
入試を終了した学生が、どんな授業があるのか、どんな先生に会えるのかなんて考えながら、授業を受ける時期だ..
私は大学に勤めて10年以上になるが、毎年、この時期の学生の顔を見るのが楽しい..
最初の頃は友達もあまりいないだろうから、先生は頼りにしたい存在だろう..だから、個人的には授業をしないで、学生とお茶でも飲みながら、まったりと時間を共有したい気分である..
今週から、本格的に始動だ..2,3月のたるみかたは尋常でなかったので 4月から、もっと自分を追い込み、プレッシャーを受け、叩きのめされる生活に変えなくてはいけない(決してMではない)
研究発表会も2ヶ月に1回、論文読みも当たっている..そして授業、教務関連、セミナー..1日、1日が勝負だ..まだまだ、若い者には負けるものか(といいながら、結構しんどい)
彼女は知り合いで、日本を代表するダンサーだ..世界大会にも優勝したことがある..
昨日、彼女と少し、呑んだ..昔から知っているが少し、丸くなったかなという感じだ..
35才を越えているが、現役でプロポーションも良く、素敵な女性だ.. 梅田のシアタードラマシテーにも良く出演している..
いろいろ話を聞いているウチに、ダンサーの世界が見えてきた..40過ぎても、現役でやっていること、出産すると仕事がなくなり、脱落者扱いになること..結婚しているなら、かなり女性にとって深刻だ..
今年は、おやじ炸裂年と決めているので、かなり言いたいことを言った..すると..怒るどころか..嬉しかったようだ..
彼女にしても幸せな状況ではないと感じているようだ..でも忙しくてじっくり話す時間がなく、仕事に追われている..
女性として仕事をする場合、若いウチは美貌とそのパフォーマンスのみかもしれない..しかし、おばさんになってくると、もう少し、その人の人間性も込みで評価されていくのではないか..
そのためには、子供を持ち、共に成長することは決してマイナスにはならないと感じる..むしろ、その体験を通して新しい作品が作れる可能性が生まれる気がする..
”また、じっくりお話ししたいですね”と嬉しそうに去っていったが、心の中では
”このおやじ、覚えてろよ!”と思われていたかも..
おやじとして光栄です....
2004年04月03日(土) |
自動人間さばき道具の恐怖 |
回転ドアに子供が挟まれて亡くなった..痛ましい..
以前のホテルの前に来たときに、なぜ正面の自動ドアがあるのに、ワキに回転ドアがあるのだと思ったことがある..はっきり言っていらない..
道具の発展をみると、たびたび使い手のニーズが無視され、作り手のおたくてきな趣味が先行したり、現実的に多くの人が望まなくても、少数意見で作ってしまうことがある..
道具はあくまで人間の行動をサポートするものであって、先導するものであってはいけないのである..なぜなら、人間も脳が支配する道具、手足があり、使用しなければ衰えるからである..人間自身の道具が使えなくなるからだ..
人間自身の道具(手足)のトレーニングに関しては不思議と軽視されている..京大の養老さんに言わせると大学では”身に付く”勉強をしなくてはいけないと言っているが、受験で高得点をとるのではなく、社会の仕事で高得点を取るためには、いろいろなことをどれだけ身につけているかが勝負になる気がする..
”身に付く”記憶は小脳が行うらしいが、この経験が乏しい研究者が”ものづくり”をしても、本当に人間にとって意味ある物はできないのではないか..
昨日、バラエテイ番組で、芸術的にすばらしい自転車をみて、大阪のこてこておばちゃんが
”こんなん、いらんわ!”
大阪おばちゃんが全国の道具を検証したら面白いな..
大学そのものの存亡が問われつつある時代に突入した...
急速な外部評価、人件費削減..この時代をどのように生きるか?
最近の改革の速度は非常に早い気がする...大学が進める以上のスピードで、各部署が進めないと飲み込まれてしまいそうだ..
今の時代、経済効率も無視できない..大学が金をかけただけの成果が返ってくるか、学生に魅力的なカリキュラムを提供できるか??
私の後輩の大学ではかなりのリストラが進み、ボーナスもかなり少ないようだ..
ほんとに大変な世の中だが、この荒波を乗り越えたものだけが、次世代大学教員として生きていけるのかもしれない..
私も、次世代..じい世代大学教員としてがんばるか..
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