15's eyes
- 2004年06月27日(日) 教師ライフの話
日曜なのに仕事の話。
いや、今日の話じゃないんだけど。
そしてこれ、書いてるのも土曜だったりするんだけど。
もはや、日記じゃないね。
先週、大学のOB・OG会みたいなものに出席してきた。
私は教育学部卒なんで、学部には同業者が多い。
現場は忙しくて人手がたりないけれど、
採用者数は厳しいらしいんで、
毎年このOB・OG会に出席する若者は、
少なくなってる。
用事がない限りなんとなく、
出席してるんだけど、
さすがに7年目にも入ると、
若者の最近の仕事の悩みを聞いて回答できても、
リアルタイムに同感できにくくなっている自分に気づいた。
ちょっと悲しくなった。
初心忘るべからずなのに…
先生という仕事をやっていると、
同業者以外の飲み会なんかに出ると、
必ずといってよいほど、
教員のわいせつ事件から、少年犯罪まで、
どう思う?って聞かれることは多い。
最近だと、長崎の少女の事件だったり、
この前、幼児をつきおとした少女の事件だったり
するんだけど。
これらの事件って、
何が原因かなんて私、わからないけれど、
この時期の女の子は、
いやーもっと小さい頃からだろうな。
女の子って「比較」と「嫉妬」と「願望」に駆られて
成長する子が多いから、
けっこうダークな部分多いよなって思う。
経験だけで話すと、
比較も嫉妬も異常なまでもの願望も、
きっと今の自分の存在を認めてもらえる場所を
見つけていない、気づいていない子に
強く表れる気がする。
ダークな気持ちは誰にでもある。
そういうの、転換させたり、浄化させたりする
術を身につけて大人になっていく気がするんだけど、
それってやっぱり子供は上手にはき出せないからね。
トレーニング積んでいかなければね。
長崎の女の子も、
吐き出し方の術をまだ
よく知らない、学んでいない子だったのかもしれない。
こんな言葉だけでは解決できないくらいの衝撃的な
事実となってしまったけれど。
しかしなー
担任の先生、教壇もたてなくなったほどらしいけれど、
わかる気がする…
こんなんじゃダメだけど、
自分ならどうするんだろうな…
人ごとではないよ。
後から掘り起こせばサインは出ていたかもしれないけれど、
発病してから予防接種うつのと同じにすぎないよ。
だって、人間1人×何十を丸ごと理解できてるほど、
先生は神様じゃない。
そうで、ありたいけれど、
子供の闇をすべてのぞけている大人なんて、
世の中に何人いる?
ホントにいる?
もうこんな事件はたくさんで、
もう絶対起こしたくないなんて、
世の中の人みんなが思ってるよ。
じゃぁどうする?なんて、
テレビで話し合っているけれど、
そんなので解決できたら、話は早すぎる。
教育委員会で特別委員会をつくったって、
闇が浄化できるのか?
私にはそんなの、
雲の上の話で、
とりあえず、
自分が預かっているかわいい子供たちと
ただただ毎日過ごしていく、
精一杯すごしていくことしかできないよ。
ところで。
長崎の事件とは少し脱線していくけれど、
何が嫌なのか?
だから、どうしたいのか?
どうしてほしいのか?
案外、嫌な気持ちを話すことって、
苦手だったりする人多い。
そういう気持ちに蓋をしめがちだから。
できればそう思っても気づかずに通り過ぎたかったりしたい。
でもねー
嫌だって気持ちは、言わないとわからないでしょ?
嫌だっていってみないと何も変わらなかったりするだろうし、
何が嫌なのかはっきりさせることって
何が好きなのかはっきりさせることと同じくらい
コミュニケーション上大切だと思う。
子供のけんかを例にとってみると、
けんかの原因を探るとたいていは、
嫌なことをされて手を出すことが多い。
手を出すのは悪いことだ。
手を出すことは我慢しても、
気持ちの我慢は、
決してしてほしくないと思ってる。
最終的には「ごめんね」「いいよ」
という結末になっていくんだけど、
「私は○○されて嫌だった。もう二度としないで。」
っていう強い気持ちの主張は、すごく大切だと思う。
自分の気持ちって表していかなければ、
届かないことが多いから。
気持ちを主張して損することは、
ないと思う。
自分の心を誤魔化さない方が結果的には楽だしね。
…なんて、
実は、すごく難しい難しいことなんだけど。
- 2004年06月26日(土) 2年と10ヶ月
矯正ライフも終盤にさしかかっていて、
リテーナー生活が始まっている。
何でも食べられるのは幸せ。
でも、歯にかぶせる半透明カバーの
リテーナーは、食べるときにははずさなくちゃいけないから、
ちょっと面倒くさい。
前面にブラケットが
ついていた人はこのリテーナー生活にはいるときには、
劇的に見栄えがすっきりする感覚がわきおこるかもしれないけれど、
私は、舌側矯正だったので、
あんまりすっきりした感覚はないかな。
むしろ半透明カバーが口を大きくあけたときに
なんとなくみえるのが気にくわない。
矯正ライフ中の皆さんにとっては、
贅沢なのはわかってるが。
確かに舌を置くスペースが広くなり、
滑舌はよくなったは、なったんだけど…
うーん。
いまいち。
いまいち。
いまいちなのよ。
2年10ヶ月のブラケット生活、
長かった。
ような。
でも、
もう、一生の内であんなに
針金とともに生活するのも、もうないんだろうな。
そう思うと、
なぜかちょっとしんみり。
針金と共に暮らした2年10ヶ月のうちに、
私が変わったことってなんだったのかな。
私が変わらなかったことってなんだったのかな。
2年10ヶ月前の私は、
ブラケットがとれた私の生活を、
どんな風に想像してたんだろうな。
2年と10ヶ月なんて、
ほんの僅かで、
ちっぽけな期間だったりするんだよな。
- 2004年06月13日(日) なりたい色
純粋な気持ちとか、
透明感とか。
最近そういうものを非常に大事にしたいと思っていて。
できれば、透き通っている人になりたいなんて、
夢みたいなことを考えている。
何をいまさらって思ったりもするんだけど、
最近つきつめていくと、
自分自身を裏切らないというか、
いつでも憧れる好きな大人は、
みんなそんな人たちみたいなの。
実際、自分は、
鏡をみると、
口に出した言葉を振り返ると、
明らかに少し薄汚れてる、
まだまだ汚れているって思っていたりするんだけど。
純粋とか、
透明とかって、
白い絵の具は、なにかと混ぜると、
もう二度と白色にならないみたいに思っている人、
多いと思うけれど、
私、そうは思わない。
確かにうんと小さな子供は真っ白い心で。
子供から、大人になるために、
人は、いろいろな色を身につけていくと思うけれど。
ありとあらゆる色を試して、
ありとあらゆる色を塗られていくけど、
それでも自分があえて、最終的に選択した色が、
白ってこともあるんじゃないかと思ったりする。
絵の具とは違って、
自分の心に、あえてつける白色は、
むしろ簡単には混ざらない「白」みたいな
感じがするんだけどね。
大人の身につける「白い心」って
子供の頃とは違った、
そんな強さがある気がするんだけど。
書き方が曖昧かな…
でも、漠然とそういう人間になりたいって
思っていたりする。
- 2004年06月06日(日) 近況
徐々にインターネット社会から遠ざかりつつある、自分。
心境の変化なのか?
他に楽しいことがみつかったわけじゃないけど、
最近ホントにいじってない。
ニュースをざっと読んで、それくらい。
第何次なのかわからないけど、
身辺整理ブームがきている。
身も心も軽くっていうやつか?
本も、洋服も靴も整理したはずなのに、
まだまだあって、
体は一つしかないのに。
あの人もこの人も、
にわかに環境が活性化してきているけど、
でも、心は一つしかないから。
けっこう放ったらかしにされているけれど、
私は身近な手近な男よりも、
やはり遠くの恋人のようだ。
あの人じゃなくちゃだめみたい。
ちょっと悔しいんだけど。
早く帰ってきてほしい。
メールはもう飽きた。