人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
日記一覧|past|will
2020年03月25日(水) |
まだ生きていると思う感覚 |
まだ、夫が死んだ感じがしない。
短期間に頻繁に入退院を繰り返していたもんだから、もはや夫の不在理由が入院中と感じる。違うことといえば、今日は何時に病院行こうかな〜と思うことがないだけ。そう、面会のことは一切考えないのに、何だか感覚が「夫は生きている」のだ。でも、帰ってくるのかと問われると、それはまた何だか違う。
実は、納骨していない。墓制度は夫婦揃ってしっくりこなくて、散骨にしようと合意していたからだ。私が死ぬまでに次の伴侶が見つかっていなかったら、二人分の骨を散骨して欲しいと子どもには伝えてある。もし、私がまただれかに出会ってしまったら、その時には夫だけを撒いてこようと思っている。だから、骨、あるの。骨壺、私の枕元に。
上の子に、「今はまだ『入院中』の気持ち」と伝えたら、「それな」と強く同意された。そうだよね。きっとまだ、入院中なんだ。期間はわからないけれど。
昨日から、うちの子どもたちが無人島に家出してしまって、私、暇です。
上の子がいるせいで、佐々木家の「ゲーム機は小1から」という約束はとうに反故になっていたが、ようやく下の子も自分専用のゲーム機を入手。上の子と下の子は、昨日発売した「あつ森」に絶賛家出を開始。
私も本当なら、「Nintendo Switch あつまれ どうぶつの森セット」を購入、今頃森で採ったり釣ったり売ったりしゃべったりとうきゃうきゃしていたはずなのに、抽選予約にことごとく外れた。「転売屋からの購入は絶対ダメ」と上の子に諭され、4月上旬の再販売を待つ身。しょうがないから3DSでモンスターでも狩りに行こうかと思ったら、3DSの充電寿命がフル充電しても9分半と絶命の危機であることが判明。ダメだ…。とび森でさえもできない。
「○○ができたよ〜」「××釣れた〜」というふたりの楽し気な報告会を憎い気持ちで聞いてる。
くそ。
2020年03月19日(木) |
そっと首を横に振る意味なんて |
外科だとか放射線科だとか専門科だとか色々回ったけれど、最後の主治医が一番嘘が下手だった。本当のことははっきり口に出しては言えない、ということが多かったからかもしれないけれど。いや、もしやあれ戦略? 心づもりさせるための下手を装った何か? 今ならそう、勘繰る気持ちもあるけれど。
外来受診に付き添った私だけを、不自然に呼び出ししたり。もっと上手に呼び出してよ、だましてよ。帰路から何かを疑う夫に私は死ぬまで本当のことを言わなかった。子どもにも、誰にも言わなかった。
皮下埋込型ポートを付けた翌週に、まさかの「今月いっぱいかもしれない」と言われた。亡くなる2日前の外来受診では、処置台に寝かせた夫のバイタル見ていた看護師がものすごい速さでモニターを本人と私から見えないように横に向けた。でもすまん、私、その前に見ちゃってたよ。血圧、低すぎるだろう…思わず主治医を振り返ったら、主治医ったら、私と視線を合わせた後、首を横に振った。なにそれ? なにそれ?? なにそれ???
入院を勧められ、でも「いいえ連れて帰ります」と頑なに言い張った私になぜかを問うた主治医と看護師に、来週はクリスマスがあるのでだめですと言ったら、「え?」と言われた。「え?」じゃねえよ。食べられなくてもこの人、食事時には食卓にいるんです、家族団欒するんです、だから、一緒にいたいんです、帰るんです。病院で死なせられないんです。家族で看取るんです。
クリスマスにはもう食卓にはつけなかったけれど、本当、あの日、一緒に帰ってよかったよ。
夫の病気がわかってからは、とにかく、「自分のせいで」という思いをさせないよう、子どもたちの体調管理には今まで以上に気を使った。
毎年、インフルエンザか胃腸炎かにかかっては、1週間以上自宅療養する子どもたちを、とにかく健康に過ごさせることが目標だった。万が一、夫にうつって、それを契機に病状が悪化したり死に至ったりしたら、目も当てられない。やることをやってもダメだったらその時はその時だと、インフルエンザの予防接種も、接種後しばらく体調不良になることを知っていても受けた。最終的には、少々の風邪をひいても、夫にうつすことなく済んだのだけれど。
本当に、よかった。誰も夫を殺すことなく過ごすことができて、本当に、よかった。
こんな新型コロナの時期に夫が生存していたら、私たち、発狂していたかもしれない。
開封してはシンクに流すこと10回。
エルネオパNF1号の1箱分をようやく処理した。2L10袋。医師の処方によるものだから、誰かにあげるとかそういうことはできないし。エルネオパの開封した匂いは病棟を思い出させるもので、なんか、懐かしくなったり切なくなったり。まだ、IVHにする前に処方されていたエンシュアリキッドが10缶くらいあるから、あれも中身捨てなきゃだ。エンシュアは夫が生きているときに家族でいろんな味を飲み比べてみたけど、どれもおいしさとは無縁で、やっぱり薬的栄養なんだねえと飲み切れずにいた。黒糖とストロベリーとバニラと抹茶って…ほかの介護食もそうなんだけど、なんか味のラインナップが微妙。
夫は約2年の闘病生活で10回以上の入院して、最期は自宅でという希望も叶えたけれど、残された方は未だに手続きに追われている。期限があるものと時間と手間のかかるものは早々頑張れたけど、細々とした思い出詰まるものはなかなか進まず、もたもたしてしまう。
指先に残るエルネオパの匂いは、しばらく取れそうにない。
2020年03月16日(月) |
コロナのせいで、コロナのおかげで、 |
ダメ親だと、自分でも理解している。
昨年のどこかで、主治医がいつまで生きたいと思っているかと質問を投げかけてきたとき、夫は「来年の春まで」とはっきりと答えた。下の子の卒園と入学まで、それまで生きたいと言った。開腹してから手術対象ではないと言われたのが2回、その後化学療法が効かなくなってきたと言われ、食べられなくなり、そうこうしているうちに動けなくなり。春までどころではなく、クリスマスも、私の誕生日も、交際開始から20周年目の日を迎えることなく、自覚症状が出て、疾患が発覚して、手術できずに亡くなるまで、本当に教科書みたいな年月で夫は逝った。
下の子の同級生家庭は全員が番型家庭で、園行事には必ず夫婦出席。「来年も一緒に見たいね」と夫と話した行事は、今はひとり参加。
卒園式、やる予定みたい。中学生の上の子の参加を希望したら、他家庭の兄弟にも遠慮してもらっているので親だけ、と言われた。 入学式、どうなるのかな。
コロナのせいで、卒園式も入学式もなくなっていい、と思う気持ちが本当にある。私は、いつになったら夫の不在を受け入れられるんだろう。
私、何て答えたのか全然覚えていない。
「俺、もう死ぬのかな?」
そう、問われたあの時。
自分でトイレに行きたいと、最後に飲食したのっていつだったっけってくらい、出るものもないだろうくらいインプットがない状況で、たった数メートルの距離を何時間も気を失いながら進むような日だった。初めて、お風呂で倒れて自力で立ち上がれなかった。加減できない大きな動きの寝返りしかできず、IVHのルートは危なくて朝からつけられなかった。寝る前には体温が33.7度で目を疑ったが、後頭部も肩も冷え切って固くなっていて、だけど本人には告げられなかった。
翌朝、矢鱈早く起きたら彼の布団は空っぽで冷たかった。そこから長らくの不在を感じて、30分以上私はそこから動けなかった。布団からトイレまでの、どこでどうなっているのか知りたくなかった。寝室から廊下に出るドアのすりガラス越しに洗面所の電気が点いているのをじっと見ていた。
主治医交代の狭間だった。総合病院の主治医の最後の診察を終え、次は往診医の訪問を待つ、そんな時期だった。明らかに息絶えていた。でも、警察は呼びたくない。各病院に連絡したら、私が医療従事者であることを知っている総合病院側が救急車呼んでこちらに来るようにと言った。
それは、明け方の話。消防車も救急車も来た。もう彼が誰の声掛けにも答えないことも、AEDが無駄なことも、私も知っていたし、救急職員だって知っていたと思う。「ごめんなさい」「もう何もしなくていいんです」の言葉は飲み込んだ。
そういえば、状況の聞き取りしていた消防職員に、「娘さんですか?」と尋ねられたっけなあ…「妻です」と普通に答えた覚えがあるけど。
今はもう、死別の未亡人、だな。
|