人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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2007年04月14日(土) |
ただの変態と暮らす日々 |
何でなんだろう?
たたんだ洗濯物の山の中に、母のブラジャー(Aカップ)を見つけるなり走りより、首に両肩紐をかける、我が家の小さな生き物。 その年齢にしては語彙の少ないくせに、「ぱいぱい」だけは、母の微妙にしかない乳と、乳に当てるブラジャーと繋がっているようで、ブラジャーのカップの乳首が当たるあたりを指先でつつきながら、にやにやと「ぱいぱい」とつぶやくその姿…ただの変態だよ!
ちょっと前までは、私がブラジャーをつける姿を前方からじっと見ていたのだけれど、最近は何故かわざわざ背後に回って、ホックを閉じるのを見ている様子。何が面白いんだか、さっぱり分かりません。
と書きながら、ふと気がついた。卒乳してから、言えるようになった「ぱいぱい」という単語。飲まないんじゃ、もう用はないはずで、わざわざ口に出さなくてもいいはずなのに、どうしてうちの小さな生き物は言うんだろう。
自分の命の源だったことを覚えているから、なんて、都合のいい解釈なんだろうか。
2007年04月08日(日) |
突きつけたくない現実の話 |
小さな赤ちゃんの成長の行方。
四つ子が揃って高校進学、というニュースを見た。四つ子ってことは、生まれたときの体重もそれなりにしかなかったのではないかと思う。それでも、身体にも知的にも問題なく、成長できた例。だけど、そればかりじゃないから、親も大変で。
このところ、受け持ち地区で体重が極端に少ない児の出生が相次いでいる。妊娠週数が早く生まれた子もいれば、この週数でこの大きさかという子もいる。子どもの成長は未知だ。乳児のころは、何より身体成長が注目され、病気や発育が落ち着けば、次は発達が問題になってくる。その、発達が大問題。
発達の遅れを認識している親も、していない親も、いる。どうやって、いつ、それを伝え、必要な療育ルートに乗せていくかが、支援者の課題になる。
相手の反応を見ながら、ゆっくりと、口を開く。
2007年04月02日(月) |
あいつは善人とは限らない、なんて言ってみたって |
現在、ただの酔っ払いです。ワイン1杯で酔える、非常に安い人間です。
『アンパンマンのマーチ』を覚えようとがんばっているのですが、1番と2番と最後が何となくごっちゃになってしまい、それを理解しながらも半ばやけくそで「何が抜けたんだ…」と考えながら歌い続けた後も悩む、最近の私。同じような歌詞で1曲まとめんなよ!と、作詞を手がけたアンパンマン原作者・やなせたかし氏に毒づいてみたり。『アンパンマンのマーチ』をものにするには、もう少し時間がかかりそうです。
それはそうと、アンパンマンて、なんて恐ろしい存在なのか。1歳半健診において、「あんまん」「あんぱん」「あんまんまん」という言う少年少女の多さといったら、「物語なんて見たって君にはまだわからないだろう」という年齢のものまでを虜にする、アンパンマン。「僕と一緒に世界征服!」と号令されたら、言ってる意味のわからん赤子なんて、ほうほいついていっちまいそうな気がする。もちろん、うちのも、例外ではない。そもそも、TVでアンパンマン放映を見ていないというのに、アンパンマンおもちゃを手にしてしまっただけで、心を奪われた様子。
顔だけで、乳幼児を魅了する、アンパンマン。 母にはそのよさがさっぱりわかりませんが、ものすごく書きやすい顔であることはとても助かっております。
先輩ママ、というわらじ。
母子保健活動において、子どもがいる身で働くっていうのは結構いいことなのかも、と最近になり、しみじみ思った。ピアカウンセラーの役割が、妊娠前に比べて多くなった。
出産前後用品、育児用品ひとつにしても、時代の流れは早く、私の2年前から培っている今現在までの知識はもう来年あたりには廃れていると思うが、今関わる母児には有効で、とても役立っている。
「私もそうだった」ということばは、魔法の言葉だ。だけど、このことばは「私は残念ながらそれには当てはまらなかったけれど」や「分からないから、調べてみるね」という他の話題で、ちゃんと仕事における『素』を出した上での共感を示したときに、かなり効果を発揮する。自分も体験したからこその共感性は、作らなくても高い響きを生み出す。
年齢やプライベート立場によって、祖母的保健師、母親的保健師、友人的保健師と、色々なタイプに分かれる。私の勤める職場は今月から、祖母1、母2、友人1と、今月からよいバランスで出発する。利用者には、それぞれの感覚で支援を考えられるから、いいのかもしれない。
そんな気がする。
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