人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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2006年11月21日(火) |
言わないならもう、何も聞かない |
何があったんやら?
帰宅するなり、小さい生き物の泣き声が聞こえた。 転んでどこか打ったとか、おもちゃでうまく遊べなかったとか、 そういういつもの泣き方とはまた違う泣き声。 リビングで、夫が小さな生き物を強く抱きしめたまま座り込んでいた。 「どうしたの? 何かあったの?」尋ねた私に、 夫は固い表情のまま小さな生き物を手渡してきた。 そのまま、夫は寝室へ。 おかしな泣き方をする小さな生き物を抱き、 台所に立つ。 シンクの三角コーナーに捨てられた、小さな生き物の食べ残し。 割れた物を包んだらしい、新聞の塊。 コップコーナーを見たら、夫婦おそろいのガラスコップのひとつがなかった。
小さな生き物の顔をよくよく見るが、叩かれたあとはなく、 ああ、ただ怒られたんだなあと、容易に想像がついた。 夫は小さな生き物に怒ってしまった自分に腹を立て、 どうしたらいいのかわからずにいたのかもしれない。 炊飯器を見ると、いつも炊き立てご飯が出来上がっているはずなのに、 空っぽだった。 きっと、夫は自分が炊き忘れたことにもいらいらしたのだろう。
私がひとりで小さな生き物をお風呂に入れて寝かしつけたあと、 眠ったと思っていた夫が起きだしてきた。 無言のまま僕の歩く道を見ながら、ネットサーフィンしているが、 何を考えているのかさっぱりわからない。
明日からまたふたり、大丈夫なの?という問いかけが、何だか口に出せない。
それはまさに、精神安定剤みたいなもんですよ。
どっちの精神安定剤なんだか分からないが、小さな生き物に1日1回だけ、おっぱいを吸わせている。もういろいろなものを食べる小さな生き物から強い要望はないのだが、私のほうがあげたくてあげている感じがある。あの、小さい生き物に「おっぱいいる?」と尋ねたときのうれしそうな顔、おっぱい全体をじっと見つめた後ぐわっと口を開けて乳首に吸い付く強さ、吸っているうちにうっとりとした目になってくる、安心しきった表情…どうにも、卒乳させるには惜しい感じがしてならない。仕事で疲れた私に、癒しを与えてくれる一時。
分かっているさ、1歳半健診までには卒乳させたほうが望ましいってことは。だけど、うちの小さな生き物、授乳後はしっかり歯磨きしてから寝かしつけているんで、授乳による虫歯の心配はない。 できれば、ずっとあげたい。吸ってほしい。
だってだってだって、本当に、あの吸う表情が、愛しいんだもん。
2006年11月11日(土) |
誰かこれは夢だと言って |
最近、「つわり」に関する検索でここに来てしまう人が多いようだ。 第1子妊娠初期、私は本当に真剣に、このまま一生食べ物がおいしく感じられないままなんじゃないだろうかと、毎日毎日考えるほど何も食べられないつわり生活を送っていた。でも大丈夫だった。つわりがおさまるにつれ今度は1日中食べ続け、産後ももりもり食べて授乳をし、1年以上子育てしている今も、おいしく食べられている。 「そりゃ今だけとはわかっているけど、今が今ですごくつらすぎるからどうにかしたい」という気持ち…私も味わった。つわりのひどい時期は、人の慰めなんて何の役にも立たない。本当に、自分をだましだまし水分を補給し、固形物を口にして泣きながら時が経つのを待つしかないのだ。
なんて先に気づいたこと書いていたら、何を書きたくてPC立ち上げたんだかわからなくなってしまった。
あ、そうそう、産後1年以上ぶりに生理がきまして、そりゃもう大変で大変で大変で…また世界を呪いたいほどひどい生理っぷりなんですけど! 腹痛に大量出血…お産をすると月経状態が変わる人が多い、ってすがる思いで信じてたのに、また私、少ない中に入っちゃったんでしょうか? それとも、産後一発目だからまだまだこれからって思っていいんでしょうか…。何度も下着洗ってズボン洗ってシーツ洗って、もう空しい。
ああ…。
『最悪の結末』以外のものも、たくさんある。
新聞やニュースで、乳幼児虐待に関する記事を目にする。それは大抵、生を失ったもののニュース。例え生きていたとしても、『意識不明の重体』がその後どうなったかなんて、報道されない。
仕事柄、その後がどうなったということを知る機会がある。そして、「あのとき、私がもっと危機感を持っていれば」と自分を責める。責めながら、同じことを他のケースで起こすものかと誓う。
『最悪の結末』の前後を、支援しながら見届けるつらさ。自分の選んだ道とはいえ、自分の無力さ加減を目の当たりにしなければいけない日々は、かなりつらい。
『最悪の結末』の防止に失敗…本当は、できたことなどなかったのかもしれない。できたのかもと後悔するのは、自分の人生の中にでもあること。他人の人生なんて、背負いきれるわけもない。だけど、そうと言ってすとんと納得しては、いけないのだ。
私には、一体何ができたというのだろう?
何で私、他人の子を抱いているんだろう? 何で私、自分の子を抱いてないんだろう?
時々、仕事中に小さい生き物に無性に会いたくなる。恋しくなる。仕事で子どもを見る目が、私の小さい生き物を中心に小さい・大きいと比較している。
「おひ〜る休みはウキウキ watching あっちこっち そっちどっち いいとも」と流れると、おしりふりふり踊りだす、我が家の私の小さな生き物。
虐待だうつだ知的障害だ病気だ、と暗い支援ばかりの私の心のオアシスは、今日も元気だ。
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