人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

日記一覧pastwill


2004年12月29日(水) 妹、サイトデビュー

まだ羞恥心が残っててよかった。

現夫以外の身内の日記を読むという経験を、最近初めてしたわけなのだが…血筋なのか生活環境が一緒だったせいなのか、とても、似ていた。愛する妹の文章が、自分のに。

たまに、「文章や感性が似ているな〜」と思う日記もあるのだがやっぱりどこかで異なる部分があり、そこが面白いわけなのだが、妹のほど自分に似通ったところを見つけた日記はない。妹には「サイト作ったんだ〜」とは聞いたのだがサイト名もURLも教えてもらえず、しょうがないから分かる範囲の単語を撒いて自力で探した。すぐに見つかり、愛の力だわと納得し、以来妹には黙ったままずっと見ている。

たまに、妹の日記に私が出てくる。「あー、しまった、ネタの提供を!!!」と時々恥ずかしさに頭を抱えてしまうこともある。でもま、私も妹のことネタにしているしな。愛ある姉妹の交流。

メールのやり取りがなくても近況が知れて、お姉さんは安心です。


2004年12月28日(火) この恋は最初から間違っていたのだろうか

今の私には、この恋が正しかったとは言えない。

母親の、あからさまな敵意と嫌らしい考え方に辟易しながらも、どうにか「いい加減にしてよ」ということばを飲み込んだ。その後、はらわたが煮えくり返るような怒りと、母の自分への愛情に対する喜びと悲しみと同情とで、なんだか複雑な感情で胸がいっぱいになり、もやもやと、どうしようもない切なさに襲われた。

この結婚が、しあわせを約束されたものではないのは最初から分かってはいた。両親はどんなことがあっても彼を愛することはできないし、それが理解できるが故に私も一生苦しい思いをする。私は親に彼への不満をぶつけられないのも、覚悟の上だ。けれど、母は彼への不満を私にぶつけてくる。今のところどうにか受け止めているが、そのうち、受け止めるだけの余裕がないときも出てくるだろう。私は母に対してひどいことばを投げつけることを、我慢できるだろうか。
考えているうちに、私はまた自問を始めてしまう。これでよかったのだろうかと。

どんな相手と一緒になったって永遠のしあわせが約束されるわけではないのだから、というのは、自分に言い聞かせるおまじないのようなことばであるのかもしれない。

明るく「うちの娘も結婚しまして」と言えない婚姻で、ごめんなさい。


2004年12月26日(日) 雑踏での遭遇

出会いの不思議。

OLお姉さん系のコートが欲しくて、母を誘って新宿に出た。夫は留守番。女ふたりで住友ビルの窓際でランチを食べ、お気に入りの小田急デパートと高島屋をはしごし、ネットで知って気になっていたZARAに行き、最後は高野でいちごワッフルと紅茶で締め。お土産はうなぎの蒲焼。

目当てもなく、ぶらりぶらりとしているときほどいい出会いが待っていて、革の手袋と財布を購入。今月は冬のボーナスも入ったことだし、少し自分にご褒美、と少し高かったが母の背中押しもあって買ってしまった。夫曰く、私の買う小物は派手なんだそうだ。でもきれいな色は嬉しいし、楽しい。

途中、短大時代の友人にばったりと会い、驚く。「今日休みなんだ〜」と看護師5年目の彼女は笑い、手を振って行った。次に会うのは新年会。だけど、本当、びっくり。共通する好きなブランドの店の近くでも、駅の構内でもない、ただの裏道で。
「すごい偶然だね〜」と母と言い交わしながら、そういえば、とふたりで思い出す。以前、家族で中国旅行に行ったときに同じツアーにいた夫婦と、佐渡旅行で会ったことがあった。たまたま覚えている人たちだったので、挨拶を交わした。

再会したくてもできない人がいる傍ら、何の偶然なのか運命なのか出会う人もいる。コートは見つけられなくても、手袋と財布という、出会いがあった。

私の日記に一度は辿り着いてしまった人とも、もしかしたらどこかですれ違っているのかもしれない。


2004年12月24日(金) 露呈した地下牢

どんな家庭にだって、秘密はある。

新潟の地震で、隠していたものが周囲にばれてしまった家庭がある。私の仕事に関わりあるものとしては、やはり、家に閉じ込めていた他人には知られたくない存在を隠し切れなくなったという事例が、ちらほら。痴呆老人や、精神疾患患者を、どこにも出さず、隠していた家族は少なくない。地方出身者の寄せ集まりの地域は冷たいけれど、昔ながらの偏見の根強い地域の冷たさとは、その温度はまた異なる。

地下牢が、現実に存在する家だってある。まだ定年を迎えていない同僚の中には、その昔精神疾患患者が時代劇に出てきそうな地下牢に鍵をかけられて閉じ込められているのを発見した人がいる。新潟にだって、そんな家があったかもしれない。

イヴの日に、子どもの障害を告げられた両親がいる。それが家庭の秘密にならなければいいと、願う。

この静かな夜の下に、悩める人たちがいる。


2004年12月18日(土) 名前で呼んで欲しい

やっぱり男の人ってかわいい。

先日、忘年会があった。通う部署だけでなく、事務所から距離的に近い出先機関部署合同の忘年会。顔は何となく知っているけれども…程度の仲なのでよそよそしい雰囲気を醸し出しながら関係者が勢ぞろい。私は運がなく、50代の肩書きのそこそこえらい人の横に座ることに。そのえらい人は事務職で、ヘビースモーカーで酒飲みで強面の口の乱暴な男性、としか印象がなかったのだが。

会場は豆腐屋だったので、和の小鉢が並ぶ。乾杯をして、それらを食しているときに、「結婚したんだって?」とえらい人に聞かれた。「はい」と仕方なく答え、いつ?旅行は?の続いていくよくある問いかけに答えていく。そのうちに、「あのよ、その、あれ、なんだ」と。まだそれだけで会話が成立するほどの仲ではないので、「はあ」と待つ。そして、「まだ子どものいない新婚だもんな、旦那のこと、名前で呼んでんだろ?」と言われた。

えらい人は、奥さんから名前で呼んで欲しいのだそうだ。新婚時代は名前だったのに、子どもが生まれた途端子ども中心の世界に変わり、えらい人の呼び名は必然的に「パパ」「お父さん」に。一度、「ふたりきりの時には名前で呼んでくれ」と言ってみたところ、「何を今更」と一蹴されたと。「俺はもう、諦めたよ…今更の相手だし。でも俺は、意地で奥さんを名前で呼んでる」と。

以前日記にも書いたが、同じような出来事が、実家でもあった。うちでも母は父のことを「お父さん」と呼んでいたのだが、あるとき突然、「俺はお前のお父さんじゃないっ」と父が言い出し、以来母はこっそり練習して父を名前で呼ぶようになった。その話をして、「言い方が弱かったんじゃないですか?」と笑ったら、「怖いからさ…」とうなだれられてしまった。

そのえらい人はこの話題の最後に「何で俺こんなこと言っちゃったんだか」と首を傾げていたのだが、「それはこっちのせりふです」という返事は飲み込んだ。

愛する夫よ、私は生涯、あなたを名前で呼ぶ心積もりだから。


2004年12月15日(水) たかが恋愛くらいで

個々の価値観による人生事件(ライフ・イベンツ)の衝撃度の違い。

今更ながら、私にとって、結婚というのはそれほど重大な人生事件ではなかったということに気づき、少しばかり驚いてしまったりした。というのは、本日、高齢者のことで訪問した家に、メンタル系疾患の中年介護者を見つけてしまい、話を聞いていたらその発症の契機というのが20代後半の"失恋"だということを知り、そこから恋愛についての考えを馳せていたら、自分にとっての今の結婚とは、というところに至ってしまったのである。

今のこの婚姻関係が破綻しても、私は病むほどの衝撃は受けないだろう。けれど、恋愛が破綻して病む人は少なくない。元々素因があったからこその発症だと思われるが、片想いをしていて告白して振られて発症という人もいるので、告白される側も「もしこの人を振って病気にでもなられたら…」と考え出したら、自分の気持ちを素直に伝えることもできやしなくなってしまう。

精神疾患患者は至るところにいる。珍しくない。軽いものから重いものまで、治癒してしまった人から繰り返す人、ずっと続く人まで、色々。

"たかが恋愛"だなんて、言ってられない。


2004年12月09日(木) 脳内結婚

それだったらどんなに楽だったろうかと思う日々。

ぼんやりしている間に月日は流れ、気がついたら年末カウントダウン。日記を書いていない間に婚姻届けを提出し、ウェディングドレスなんかを着ていた。私もとうとう自他共に認める人妻。

しかし、姓が変わるというのはとてつもなく厄介で、銀行からカードから保険から免許証からすべて、変更届を出さなきゃいけない。平日しか受け付けていないだの、時間は15時までだの、口座開設した支店でしか受け付けないだの、細かい制約がいくつかあって、さっぱり変更手続きは進まない。住所変更は簡単だったのに、姓と本籍地が変わるというのは大掛かり。
さらには資格をいくつか持っているのだが、どれも変更するのにもお金がかかり、本籍と姓の2つの変更で手数料2,000円なんて言われたときには卒倒しそうだった。免許申請手数料を取っておいて、さらにまた上乗せだ…離婚したならば元の姓に戻りたいので、そのときにはまた手数料を取られるのか…。
ああ、内縁関係て、なんて楽だったんだろう。

でも、婚姻したからといって私の生活の何が変わるというわけでもなく、相変わらずそれなりに仕事して、ご飯作って食べて、休日はドライブだのゲーセンだのショッピングだのに行って、時々は彼に内緒で仕事を休んでボケーッとお茶を飲んでいたりと、そんな感じで過ごしている。彼と一緒に暮らし始めてからの、日常生活。姓が変わっても私は私。私の中では何も変わっていないし、急に変わる予定もない。

さて、また日記でも始めましょうか。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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