人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年10月28日(木) 私の仕事は

もう、あのときとは違うんだ。

新潟中越地震で強い被害を受けた地域の名を聞いて、驚いた。見附市といったら、父の故郷。私も数ヶ月、住んでいたことがある。もう祖父母は亡くなっているけれど、「もうこの冬は越せない」と十年近く言い続けている高齢者を筆頭に、見附市にも長岡市にも親類がいる。もちろん、墓もある。すぐさま、東京の父に連絡したら、「電話つながって、みんな生きてたよ」とのことだった。とりあえずは。

先日、厚生労働省が、全国に保健師の派遣を要請した。私の勤めるところからも、行くことになった。私も一応希望を出した。
阪神・淡路大震災のときは、私は何の資格もないただの子どもだったが、今回は、資格があるがために支援できることがある。

新婚間近か新婚早々に数日不在になるかもしれない旨を恋人に伝えたならば、阪神・淡路大震災を体験した過去をもっているせいもあるのか、「俺のことなら大丈夫だから、行っておいで」と言われた。新婚家庭の同僚は、「余震が続いているところに行かせたくない」と言われたという。

生々しい災害現場の写真の載った新聞を見ていたら、見附市にあった谷信のアイスとドルチェ小川の栗のお菓子と伊勢屋の巻き物の味が、ふいに思い出された。

私の故郷も、そこにあるのか。


2004年10月27日(水) マリッジブルーな彼

というよりも、今はウェディングブルーなのか。

だらだらずるずると、即婚姻を前提に同居を始めた私と恋人だが、ようやく婚姻届けを出す日とミニ結婚式を挙げる日取りを決めた。決める前には我が母に「あんたたちまだ結婚してなかったの?」などととんちんかんなことを言われたりもしたが、まあ私たちのペースがあるからと、むしろ私の都合やいい加減なペースでの準備だったので、ここまで来てしまった。

恋人の様子がおかしい。前から時々おかしかったが、よいとき悪いときの感情の波の間隔が狭くなっている。「今日は何かよくわかんないけどイライラしてるからゴメン」と言い出して、朝から寝るまで落ち着かず本当にイライラしていたりする。かと思えば、私が「おやすみ」と布団に横になってうとうとし始めた頃に、がばりと抱きついてきて、「本当に俺でいいのか?」「俺はしあわせだけど、お前がかわいそうだ」だとかお決まりのセリフを言う。しかし、抱きついてくるのはいいのだが、顔や首が苦しかったりすることもあり、ちょっと大変。だけど、こういうときは黙ってされるがままになっていたほうがいいのだろうかと、苦しい息の下思っていたりもする。無職のままに婚姻していますことが確定したからだろうか。別に、私は気にしていないんだが、本人にとってはオトコの沽券という奴だろうか、世間体を気にしているようだ。

同年代の同僚に、そんな話をしたら、「彼、マリッジブルーにかかっているんじゃないの」と言われた。私と同じ年頃の娘を持つ同僚には「佐々ちゃんの方が男らしいわねえ」と言われた。

私にだって、ブルーなことはあるんだが…指輪探しとか。


2004年10月20日(水) 四角い箱の中から見ているだけの、冷たい人たち

もしも自分だったら、と思ったらいても立ってもいられない。

精神疾患を抱えながら生活する人は少なくない。患者調査の中でも、傷病による受診・入院した者の中で、精神及び行動の障害の者が一番多い。多いのだ。

夜、住んでいるマンションの外を、ぐるぐると歩きまわる女性が出現した。冷たい雨の夜、傘を差し、ひたすら声を上げて歩く。「おとうさーん」「寒いよー」「誰か助けてー」。悲痛な声で、叫んでいるのが聞こえた。

ベランダから下を覗く。彼女の姿を確認し、視線を上げる。周りのマンションのいくつかの窓が開いているのが見えた。暖かそうな部屋の明かりの中で黒い人影が動く。彼女のことを見てる。なのに、誰も何もしない。

精神疾患だろうなあと、思いながら恋人に警察に通報してもいいか問う。恋人は、素直に渋い顔をした。私は「ごめんね」と言いながら通報した。彼女の声を認めてから、15分後に。私が通報者第一人目だった。5分後に、彼女の声が止んだ。

面倒なことには関わりたくないと、そう思うのが人間なんだろう。悪意はない。そんなこと、分かってる。恋人の感情を、責めたりはしない。私と同じ職に就いている同僚だって、「私なら連絡しない。見てるだけ」と言うのだから。

だけど、私は放っておけないのだ。


2004年10月13日(水) 制御利かず、溢れた

駄目だ、私。

平日のみ有効の東京タワー水族館の優待券が懸賞で当たり、先月と今月の休日出勤の振替をもらった。東京タワーに行くのは二度目。雨降りの日だったので、展望台には上らず、水族館だけを回った。

東京タワー近くの、増上寺。水子地蔵がずらり、圧巻の体で並ぶ。冷たい雨に打たれる地蔵のかぶるお揃いの赤いニットの帽子の中に、個人的にかぶせたらしい水色の小さな小さな帽子があった。それを見てたら、急に涙が溢れてきた。胸が、締め付けられて、どうしようもなかった。流産であれ、中絶であれ、外の世界で生を受けることのなかった者の数の多さ。けれど、実際には目に見える地蔵の数以上のものが失われていて。

恋人の暖かい手が傘から出て、私の冷たい頬を撫でるのが、ひどく心地よかった。


2004年10月04日(月) 真実に気を取られ過ぎた挙句

噂の真実を追究したって意味がないことだってある。

どうして、「もし自分だったら」という考えに至らないんだろう。考えてもみてよ、そういうことって根掘り葉掘り聞き暴かれて、それっていい気する?と揺さぶりたい。そういう衝動に駆られた。

それが人の道を外れた真実であろうと、たとえ本人は被害者であろうと、真実を突き止めようとしてはいけない事柄だってある。思春期に、たとえその本人を護るべき立場の人間であろうと、本人が語ろうとしない子ども心にもプライベート事項とされているだろう領域まで、踏み込んではいけない。

友人同士だからこそ言えた重い話を、伝言ゲームのような形で子どもから聞いた大人が慌てふためいて話を大きくするというのは、本人を傷つけていることとイコールだ。そのことを知ったら、本人がより傷つくのは目に見えている。なのに、どうして、そう事実ばかりを、聞き出すことばかりを、頑張ってしまうのか。

義理の、母よりも自分に近い年の父親が10代前半の娘に何と言ったのか何をしたのか、そんなのどっちだっていい。小学校中学年の男の子が、エレベーターで変質者にどこを触られたのかなんてこと、わざわざ聞かなくていい。本人が言おうと思ったときに聞いてあげられたら、それでいいのだ。

傷ついて泣いていることに、一番に目を向けてあげなければ。


2004年10月02日(土) 手を離れてしまったそれは、もう自分には関係ないものなのか

永遠の課題か。

10月から私の住む地域も、以前は簡単な仕分けだったけれど、ごみ細分別化が始まった。そして早速ごみ捨てに行ったら、マンション内清掃及びゴミ箱清掃をしてくれているおじさんが、とても怖い顔をしていた。
私はある程度、前に住んでいた地域で分別をしていた経験もあり、特に苦に感じない。というか、実家のごみ捨ての厳しさに比べれば別に何のことはない。たまに、「これどのごみ?」というのや「この非常に取れにくい蓋はプラで本体はペット容器? 分解できないよ!」と困るくらいのもので、慣れれば普通のことになる。

清掃のおじさんは、ごみとして出された半透明の袋を外から見て、今日のごみでないものを発見したら鎌で切り裂き、おじさん持参の袋に入れるという作業をしていた。「あんた分けてきた?」と怖い声で聞かれたので、夕べ、10月から施行だったのを忘れていたゴミ箱をひっくり返して恋人と一緒に分けたことを頭に思い浮かべながら「してきました」と応えた。「最初が肝心なんだよ」とおじさんは言う。

部屋に戻りながら、何でごみを分けられないのかなあ、と考え、出してしまったものは自分とは関係ないと思っているんだろうなあ、と至る。近所づきあいがあったら、こうはいかない。近所づきあいの薄い、この寄せ集まりの地区だからこそ、こんなに問題なんだろうなあと。前に住んでいたところは、とにかく地域が昔馴染みばかりで、ごみ捨て日じゃないと捨てられない、ごみ捨て日は早朝から誰かがいてごみ捨て時にそれとなくチェックされるという所だった。

小・中学校で、ごみについて学んだ記憶がある。ごみ埋立地・夢の島だとかの見学も行った。だけど、ものを大切にしましょう、自分は使わないならリサイクルに出しましょう、捨てるとなったらちゃんと分別しましょう、と学校でいくら言っても、家庭での分別がいい加減だったら、それが当たり前の感覚になってしまうんだろうなあ、教えた先生ってかわいそう、などと思ったりもして。

おじさん、どうぞ頑張りすぎないで。


2004年10月01日(金) 歯車の狂い始めるのを見ていた

何となく、分かっていたような気がする。

とある職場の人間関係が悪くなりつつあるのを、何となくそこの職員である人たちから、代わる代わる出張などで会うたび、聞いていた。彼らが、誰かに言うことで気持ちを晴らすことができていたのは、ほんの一瞬の時期。今は、「あの温厚な人の口調が厳しくなっている」「余裕ない感じが伝わってくるね」と、元凶である人がいない状況であっても、そこの職員のほぼ全員が、他部署から言われてしまっている。

その中の一人に、私の同僚もいて、一昨日会ったときの様子が尋常でなかったので、昨日、同じ事務所の同年齢の職員との帰り際、同僚の様子が気になったことを話した。同僚も先日会議で同期に会っていて、「そのとき私も同じこと思った」と言われた。

小さな職場の中で、性格の合わない1組がいたために、そのふたりの歯車の狂いが周りの波紋を起こし、そして、職場全体の雰囲気悪化へとつながっていった。その1組の片方が、忍耐強かったからこそ、ふたりが一緒になってずいぶん経つというのに"今頃"になってこんなことになったのだと、部外者の私には感じられる。

ひとつ狂えば皆狂うだなんて、まるで家族機能を見ているかのようだ。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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