人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年11月28日(金) あの頃、君と手をつないで乗った電車は今も

別れて10年近く経って、はじめて会いたいと思った。

関心空間というサイトがある。自分の関心あることをキーワードとしてコメントをつけて発表する場。私も登録しているわけなんだが、昨日、そこで懐かしいキーワードを見つけてしまい、記憶があっという間に過去に戻ってしまった。

キーワード"山本正之"、という歌手がいる。私も詳しくはないのだが、『タイムボカン』シリーズの主題歌というと分かる人が出てくるようだ。調べたところ、『究極超人あ〜る』のOVAの挿入歌だとか、中日ドラゴンズの『燃えよドラゴンズ!’98』だとか、日ハムの『熱血ファイターズの歌2002』だとか、私から見ると非常に微妙な路線の歌を歌っている人らしい。この人のことを、高校時代の恋人が好きだったのだ。

付き合いだしてから彼に、『あああがらがらどんどんどん』という山本正之のCDを押し付け同様に貸し出しされた私は半ば仕方なく聞いたのだが、この中の『飯田線のバラード』と『LIFE』にまんまとはまってしまった。

いまさらながら気になるのが、CDがサンプル版だったこと。しかも、どう記憶をたどっても発売日前に借りているのだ。あなた、どういうルートをたどってそんなものを?

少し前までは、よりによって我が親友のカエなんかと二股なんかしやがってこの野郎、だとかという思いが強かったというのに、こんなに純粋に懐かしい気持ちで会いたいと思うなんて、どういう心境の変化か。再会しても絶対にセックスに至らないだろうという確信があるところも、会いたい一因なのかもしれないが。

10年以上かけていない彼の自宅の電話番号を、私は市外局番から覚えていた。現彼の電話番号は携帯電話のメモリーに入れっぱなしで覚えていないというのに。
私の高校時代はポケベルが主流なくらいで、電話するとなったら家の電話からだった。毎晩のように話し、毎晩のように親に怒られたあの頃に覚えた、10桁の数字。

思春期の私の心を散々かき乱してくれたあの人は、今何をしているのだろう?


2003年11月26日(水) 恋人同士でいる限界

色々考えると、潮時なのか。

交際約3年、交通費のみでふたり合わせてトータル100万円軽く突破。やはり、月いち往復新幹線はなかなか懐に効く。私が学生だった頃の関東デートは必ずホテル宿泊だったことを考えると、もはや、私たちの交際費は一体いくらになるのか薄ぼんやりとしか想像したくなく、緻密な計算など放ってしまう。しかも、明らかに私よりも彼のほうが新幹線に乗る回数は多い。外食費も考えると、気が遠くなる。

いくら社会人生活が長い彼と付き合っているとはいえ、逢瀬の諸費用をすべて出してもらうのはプライドが許さず、学生時代は小遣いの大半をデート代につぎ込み、就職したての頃も生活費を削って切符に換えていた。
ようやく我が生活にも金銭的余裕が出てきて、レンタカーなぞ借りたりしてゆとりあるデートをしたりしているが、彼と出会っていなかったら、私の貯蓄額はいかがなものだったのだろうか。

もう、一緒になったほうがいいのかな、と思う。少し前から、私の腹は少しずつくくられ始めており、なんなら、彼が私の元に転がり込んできてくれてもかまわないとさえ思ったりしている。腰に爆弾を抱えている彼が、あと何年今の肉体労働職についていられるのかということを考えたら、だったら今から転職してもいいわよと言ってしまいたくなる私は技術職公務員。それなりの収入が約束されているが故の懐だと、自覚はある。

親がどうとか、そんなことはもう、私にとってはそれほどの問題ではないのかもしれない。むしろ、ふたりの人生設計をどこで折り合いつけていくかが優先事項で。だって私は、場所が変わったとしても、今の仕事を続けたい。

後のことはもう、神のみぞ知ることなり。


2003年11月20日(木) 私は彼女に恋をしていたのだろうか

思春期特有の、濃密な友情を引きずっているような。

年に数通の携帯メールのやり取りと、年に1〜2度の逢瀬の君を、"親友"と呼んでもいいのであれば、彼女は間違いなく私の親友である。高校時代に出会い、その存在を鮮烈に脳裏に焼き付けてくれたカエ。

生活嗜好にリンクするところが多く、高校時代はいつでも一緒だった。同じクラスになったことはなかったが、皮肉なことに私とカエとを二股した男が委員会、部活という場所で私たちを引き合わせてくれた。

普段は穏やかなのに時々感情的に怒るところも、怒ると涙が出てくるところも、小説もまんがも好きなところも、苦手な人が同じだったところも、趣味は異なるのに現実に好きになった男も、当時は腰まで届くほどに伸ばしていた髪も、共通項はいくつかあり、それらが似通いすぎてイヤになることのない程度のものであったためか、最終的に男よりも互いをとる結果になったことさえあり。

久々のカエからの連絡にドキリとした。心臓の跳ね上がりは、ひやりとするものではなく、むしろ、熱くて。
メールアドレスが変更になったからと、毎月サーキットに行っていると、来年は富士スピードウェイが休業だからどうなっていることやらと、近況が綴られていた。頭文字Dにはまっていると返事を出したら、全部持ってる、むしろバリバリ伝説のほうが好き、と返ってきた。
こういうやりとりをできるのは、私の周囲では彼女だけだ。

同級生にお前らレズかと言われるほどの呼吸で思春期を過ごした彼女と私は、道が少しずつ離れてもその存在を忘れることはなく。

奎佐ちゃんだけに着物姿を見せたかったの、と雪の日の成人式の日にカエが言っていたことをふと、思い出した。


2003年11月18日(火) ネットでの姿は素直な実像、現実の私は無口な虚像

ネットの手軽さと無責任さ。

以前、とある悩み掲示板で心無い回答に傷つけられた女性がいたことを日記に綴ったことがある。その、同じ掲示板を久しぶりに覗いてみたら、やはり、これを見たら悩んでる当人は傷つくだろうなあと感じられるような書き込みが複数あった。

避妊をしていないのに妊娠しない原因について未婚女性が問いかけをしているのに、未婚で妊娠を希望するなんて間違っていると、順番が逆だろうと、そんな回答を幾人もの人がしていた。
それ、質問の趣旨に合っておりません。と静かに思いながら、私は私の回答を書いてみたのだけれど。

どうにも、性に絡む話題の多い掲示板では、一方的な感情論だけでものを言う人が多い。感情はその人自身を形成する大事な核なのでそれをことばにして誰かに伝えられるのはいいのだけれど、一方的過ぎると、ただの説教であり押し付け的なものになる。こういう感情もあるとか、こういう見方もあるんじゃないの、という姿勢を表せるのが本来の誰でもが書き込める手軽な掲示板の役割なのではないかと思うのだが。感覚相違やジェネレーションギャップに過敏反応を示して、「大人の意見はちゃんと聞きなさい」「あなたはまだこどもなのよ」といったセリフで大人気ないことばを投げつけるのはどうかと思う。

妊娠前に結婚しようと妊娠後に結婚しようと、同じだけ新しい生命を愛することができたら、たまごとにわとり論と一緒になるんじゃないかと思う。どちらが先か後かで、はっきりとその後の人生に影響があるかといったら、ほとんどないんじゃないか。「お前ができなければあんなのと結婚することなかったのに」となったら、それはそれでおしまいだけれど。

ひとつの見方だけしか見せないことは、マニュアル人間を作り出す原因になっているのだと思う。柔軟だとか多角的だとか、物事にはさまざまな取り方があるのだ。手持ちのカードをあるだけすべて見せて、どれを選ぶかを決めさせないと、人は言いなりになることを、考えることもなく楽だと思い込んでしまうだろう。

ネットでは相手の反応を確認しながら、より自分の伝えたいことを正しく伝えようとことばを重ねることができず、難しい。たったひとつのやりとりで、人の印象は変わってしまう。

掲示板を利用する人に、現実世界で初対面の人にネットでの文章と同じことばを直に投げかけられるのか、私は問いたい。


2003年11月17日(月) 彼が行く場所、帰る場所

ひとり暮らしも長くなるとひとり演技が自然になっていて、それにふと気づいて寂しさアップ。

「ただいま」と「おかえり」というあいさつことばは、なんてあたたかい響きなんだろう。身内にしか言えないことば。安心できる場所で安心できる相手に言われると、それだけで帰ったほうも待っていたほうもホッとできる不思議さ。

彼は、うちに来るといつも玄関先で「ただいま」と言う。私はそのことばに戸惑ってしまい、「おかえりなさい」の声がいつも小さくなってしまう。うれしいような、こそばいような、そんな、やりとり。
「お邪魔します」と「いらっしゃい」だととても他人行儀なのに、「ただいま」と「おかえりなさい」だと、すごくすごく、あたたかい。

だから、彼が来るといつも涙が出そうになる。


2003年11月16日(日) ふたりきりで会ってはいけない人

自信がないということは、危険を予測しているということなのか、自分の行動を信用していないということなのか。

昨年、彼がいるにもかかわらず他の男と関係を持ち、今年の初めにその浮気相手との関係を解消した。ことばにすると簡単だけど、あの出来事は決して一介の"過去の出来事"として忘れてはいけないと私は日々、自分に言い聞かせている。あのときの自責の念を忘れたら、きっとまた同じことを繰り返してしまいそうな、そんな気がするのだ。

私は自分の行動に責任など持てない。この人に求められたら応えてしまうかもしれないという人は、彼の他にもいないわけではないのだ。だったら、プライベートでふたりきりで会うような機会など作らない。万が一会わなくてはいけなくなったら、人ごみから外れるようなことはしない。

しあわせを持続させたかったら、危険は回避して通るに限るのだ。


2003年11月11日(火) 感覚の温度差

難しく言えば、人間の尊厳とは何か、ということ。

医療従事者という名でくくられる集団で、お年寄りの介護の話しをしていたときのことだ。リハビリをすれば寝たきり・おむつ使用から排泄自立していけるのではないか、と私が思っていたケースに関し、年配の看護師が、「おむつの何が問題なの?」と言った。

何が問題って…あの、お聞きしてもよろしいですか? おむつを好んでする人って、いるんですか?

他人にシモの世話を受けてまで生きたいと思わない、と比較的元気なお年寄りは発言する。なのに、脳血管障害や骨折などで排泄自立が阻害され、おむつをしないといけないとなったとき、その当人は何を感じるのか。

ところで、幼少時のおむつが外れてから、そう、大人になってからおむつをしたことのある人っていますでしょうか?
私は20歳の頃、学校で配布されたおむつをはいて、してみたことが。当時もいくら改良されつつあるとはいえごわごわ感は強くあり、よししてみるぞ、と決意したはいいけれど根っこのところで精神は嫌がってなかなか出てくれなかった。尿意があってもおむつにはしたくないよと、己に拒否された。だましだましやってはみたけれど、やでやでしょうがなかった。水分を吸い込んで重くなるおむつに、何か大事なものが染み出していったような感覚があった。

大事なことを見失った医療従事者に、私はことばを無くした。


2003年11月06日(木) 自分を振った相手に再会して

私を一緒に連れてって、とすがりそうになった。

仕事で、さまざまな都道府県市町村職員を接待していた。気がついたら隣にいたビールグラスを持つ彼に、もっとどうぞと注ぎ、ふとネームプレートを見たら、見覚えのある都道府県名が記されていた。そう、私が2年ほど前に職員採用試験を受け、見事1次で落ちたその某都道府県。
ぐは、と変な声を吐きそうになるのをこらえて、笑顔で対応。

夕方だったので、今日はどこかにお泊りですかと問うたら、これから新幹線で帰ってまた明日仕事です、と言われた。我が彼の住む地に住まう彼。私も行きたいと、喉元まで出かかったことば。

気がついたら隣にいた、なんて表現、嘘かもしれない。自然に、知らぬうちに、彼も話す彼の大阪弁に引き寄せられたのかもしれない。

ことばの、魔力。


2003年11月05日(水) 幾つになっても女は女、男は男

50歳以上年の離れた女同士で、密やかな笑みを漏らす。

戦争で死に別れた夫の話。先に逝かれてはじめて妻の存在の大きさを知った話。少し気になるリハビリの青年のためにお化粧しているという話。「もっと若いのがいい」と自分の子どもより2回り3回り年若いヘルパーを希望する話。

「おふたりの馴れ初め教えてくださいよ〜」と肩で肩を押すと、恥ずかしそうに話し出すお年寄りの、その若さがまぶしくて。話しているうちに「何で先に逝ってしまったんだろう」と泣き出すお年寄りと、一緒に泣いたりして。

生まれて、母に恋し、父に恋し、初恋を通り、幾人もの人を好きになり、何回目の恋で人は死に行くんだろうか。

ドラマ『エ・アロール』を見ていると、私が出会った高齢者たちを思い出す。実は渡辺淳一の小説は好まないのだが、この物語だけはさすがだと思った。恋をする高齢者たちの、理性が薄れつつあるその素直さ加減が、とても微笑ましくうまく描かれている。現実に、恥らうお年寄りというのは、本当にとてもかわいらしい。

家庭訪問の間中、握った手を離してくれないお年寄りもいたりして。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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