人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

日記一覧pastwill


2003年07月29日(火) 素の恋愛

我がヴェルギリウスは何処に。

好きだから一緒にいたいどうにかなるさという気持ちと、未来をうまく思い描けずに別れたいという気持ちと、行ったり来たりしている。この2年8ヶ月、ずっと自問自答をし続けている。
両親に紹介したいと思う気持ちに嘘はない。紹介したいほど、大事な人だと思う。だけど。

「俺なあ、奎佐とならうまくやっていけると思うねん」
前の婚姻を、互いの存在が精神的負担になるような最終結果で破綻させてしまった彼が、まじめな声で言った。
全般に細やかでない性分が、喜怒哀楽がはっきりしている性格が、普通は隠すだろうと思うようなことでも平気で曝け出してしまうところが、彼を安心させるそうだ。格好悪いところも、私になら見られても大丈夫だと、そう思えるんだそうだ。だから、一緒にいて楽しいと、素直に自分を出せると。

愛しくて。愛があるから別れがたくて。泣きそうになって。

言葉を失った。


2003年07月28日(月) 狂気の瞳

彼らを狂気に駆り立てる原因は何なのか?

"少年犯罪"とくくられる事件が、繰り返し起こる。きっと、マスコミで騒がれない程度の犯罪は日常茶飯事のことなのだろう。マスコミで取り上げられるのは、"異常性"を示すものが多い。
"少年が起こす犯罪"と"少年が巻き込まれる犯罪"。多すぎて、小さいものなど把握しきれない。

昔、精神医学か何かの専門書で、『子どもは自殺ができない』という記述を読んだ覚えがある。だけど、今は小学生でも死んでしまう。『自殺の方法』を小学生でもたやすく知ることができるようになってしまったからなのだろうか。テレビでもまんがでもネットでも、首吊りだの入水だのリストカットだの、自殺の方法が氾濫している。調べようと思えば、すぐに調べられる。

2歳児が、刃物を持って保育士を追いかけ回したという事件があったそうだ。
ここで間違えてはいけないのは、2歳児が、保育士を、刃物を片手に追いかけた、ということだ。普段子どもと触れ合っていない人には、2歳児がどの程度の存在なのかは分からないかもしれない。だけど、2歳児といういきものを知っている人からみれば、信じられない事件だと思う。

人間というのは個人差もあるが、40週(10ヵ月)近くを胎内で過ごし、生れ落ちて3〜4ヶ月で首が据わり、5〜6ヶ月で寝返り、6〜7ヶ月でお座り、8〜9ヶ月ではいはい、9〜10ヶ月でつかまり立ち、1歳くらいで独歩に発語、1歳半で2語分(「ワンワン、いた」など)が出るか出ないかくらい、2歳で小走りできるかできないかくらいのものなのだ。2歳なんて、おむつも取れていない時期なのだ。おっぱいだって離せない子が多い時期なのだ。
なのに、刃物を手にした幼子がいるという事実。

人はどこで道を誤るのだろうか。
これが、"珍しくない事件"となる世の中が来て、いいものなのだろうか?

この感覚が麻痺するような世の中には、私はしたくない。


2003年07月27日(日) もしあの人が生きていれば

娘さんは、私と同じ年だったという。

彼が生きていたらどんな監督になっていただろう?と、身内でポロリと話が出ることがある。若くして死んだ俳優兼映画監督が、父のいとこだと知ったのは結構前のことだった。私の好む映画とは異なるジャンルだったため、今日まで彼の映画を見たことはなかった。

見た感想は、"わけわからん"。

血縁関係にあっても、趣味が一緒とは限らないということなのだろう。なんとなくよく分からずに見終えた。
彼と共に彼の幼かった娘も一緒に出演していた。父と娘のその、遊ぶ姿には少し、胸打たれるものがあった。最後、女と娘との生活をやめて、ほの暗い世界に戻っていく彼の姿に、自分が捨てられたかのようにとても悲しくなった。

生前はどうにしろ、生きていたらどうなっていたのかと想像されることってしあわせなことなんだろうか?

心に留められているという点では、印象ある人だったということなのだろうけれど。


2003年07月25日(金) 20代後半の健全なる性

10代の頃とはまた異なる、切実さも含む20代後半からの性話題。

少し寒かったけれど、氷川丸のビアガーデンに同期と行った。既婚者2名、あとは独身。中に1組カップルがいた。みな、若い。私は生中1杯。久々のビールはひどく苦かった。

何故か、どこからか、性の話が展開。居酒屋で同期会をやっても滅多にそんな話にならないのに、小数集まるとはじまる。帰り道、杏仁ソフトクリームを舐めながら、イッタふりしたことのある男友だちがいたとか、年下の彼氏というのはどんなものだとか、そういうことを駅まで話した。病気を持っている人も、遅漏の人もいなかった。私は、個人的なことは黙っていた。

悩む次元が、とても健全だった。


2003年07月22日(火) おかしな性癖

今日は手の込んだ料理を作ってしまった。

私にはおかしな性癖がある。それに気づいたのは、20代に入ってからだった。というより、20代になってから出現したものかもしれない。

疲れすぎていたり嫌なことがあったときほど、私は料理をする。1日が終わり、歩くのさえしんどくなった身体を引きずってスーパーへ行き、食材を大量に買い込み、台所に立つ。
そういうときは、アルコールの存在を思い出さない。ひたすら作って食べるだけの行為に没頭する。

アルコールが飲みたいと思うのは、"それなり"のときだけだ。"それなり"のときには台所に立つ気がせず、外食や惣菜・冷凍食品で簡単に済ましてしまう。

調子がいいとか悪いとか考えない普通のときは、まさしく"適当"に作って食べる。品数は少なく、食材の種類も考えない。

私には、そんなムラがある。


2003年07月20日(日) 夜間に空飛ぶ想いはどこへ行くのか

生命の夜間飛行。

ほろ酔い気分の彼氏さまと素面の私が夜11時頃、バス停から我が家に向かっていたときに、それを目撃した。近所の水道会社の看板と夜道で点々と足元を照らす歩道のライトの中、空を飛ぶ小さな黒い影。
最初はゴキブリかと思った。しかし、それにしては大きい姿だと思った。次いで、その頭のほうに細い突起を認めた。
「あれって…」ふたりで歩を止め、夜空を見上げる。私たちの頭上から駐車場の真上を通り抜け道路上に行き、回旋してまた頭上に来た。トータル20m以上の飛行。
そんなに長距離を飛ぶ姿を見たのは私も彼氏さまもはじめてで、態度では静かに、だけど心は軽く弾ませて私たちは見入った。つなぎあう手に力がこもった。けれど、懸命に目で追っていたのに、最後はどこかに消えてしまった。

夜に見た夢のような出来事は、今も心の中に。


2003年07月17日(木) 妊娠なんてしなければよかった、子どもなんて欲しくなかった

できちゃった、という方が実は気楽だったのだと気がついた。

性交はするけれど、妊娠しては困る、という人がいる。学生だとか、相手と婚姻してないだとか、婚姻予定がないとか、不特定多数としているだとか、仕事の都合だとか、持病があって自分に負担かかるからだとか、子どもは好きじゃないとか、色々な人がいると思う。

だけど、婚姻していたり、ひとりで望むだけでなく相手にも子どもを望まれていたり、子育てしやすそうな環境にいたり、経済的にも困っていなくても、妊娠なんて怖くない、なんて人、いないと思う。

だって、妊娠ていうのは、他者の命を胎内に囲うことなわけで。下手すれば、自分も死に至るわけで。つわりがひどくて入院することもあるし、疲れやすいし、自分の体調でさえも手一杯なところに、子どもの成長ぶりさえもを心配しなくてはならない。仕事のある人は、仕事への不安も出てくるだろうし。定期健診のたびに溜まるストレス。

うれしい楽しみ、だけの気持ちで妊婦は生きていない。負の感情だって抱くことはある。母子健康手帳をもらいにくることの多い妊娠初期だって、もうすぐお産という妊娠後期にだって、複雑な胸中の人はたくさんいる。
欲しくて作って、なのに、身体も心もつらいだなんて。好きな人の子どもができてうれしいけど、いやだなんて。いっそのこと、と思うことがあるだなんて。

ホルモンのバランスの崩れによる感情の変化にも、妊娠を契機とした自分を取り巻く環境の変化にも、揺れて揺らされて。パートナーはどれだけ支えてくれるんだろう?

母親失格だなんて、自分を責めなくていいの。


2003年07月16日(水) 見知らぬ人

国際的で親和的だったらしい私。

近所のスーパーでかご持ってブラブラしていたら、同じくお客のブラジル系の妙齢のおねえさんに声をかけられた。スーパーのある商店街の一角にある、東南アジア・ブラジルおねえさんのたくさんいるお店のひとりかな、と私は思った。格好からは、家庭の臭いはしなかった。
「ウスターソース、ドコダト思ウ?」
我が家にはあったけれど、スーパーの棚までは覚えていない。一緒に、しょうゆコーナーだのオイルコーナーだの行くが、ソース系列が見当たらない。どこかと思ったら、カップラーメンのコーナーの隅に陳列されていた。
「あってよかったね」「ドモアリガトネ」とふたりでニコニコ。

本日は、組合の帰り、暗がりを歩いていたら、「コンバンハ」とヘルメットにマウンテンバイクの白人のおじ様に挨拶された。別に、側を通られたわけでもなんでもないのに。「こんばんは」と条件反射的に返した後、少しだけ首を傾げたけれど、気分は悪くなかった。

昨日は昨日で、なかなか乗り物の来ない朝のバス停でぼうっとしていたら、「あなたも○○病院でしょ」とバス停でタクシーを捕まえただいぶ年上のおねいさんに声をかけられた。
「は、はい」とあわてて返事をし、促されるままにタクシーに乗ってしまった。全然知らないおねいさん。毎朝のように同じバスに乗っていたことさえ、気づいていなかった。
おねいさんはタクシーに乗ってから言った。「どこの病棟?」
私はいつも、○○病院前のバス停で降りて、その病院の敷地内を通って職場まで行っている。それが、近道だからだ。「あ…私実は××センターで」「あら、そうなの」
知らないおねいさんと相乗りタクシー。少し体調不良時だったので、ちょうど渡りに船状態だった。小銭もそろっていたので、安心しておねいさんとのひと時を過ごした。
しかし、おねいさんはタクシー代を折半してくれなかった。降りる際のメーターは2,000円をちょっと越していたので1,000円、と思ったのに、おねいさんは「いいのいいの!」と己の財布からすべてを出して病院内に走って行ってしまった。
「せめてお名前だけでも…!」と入口まで追いかけたのだけれど、「いいからいいから、またね!」と逃げられてしまった。
おねいさんについて分かっていることは、この6月に病棟内で異動し、異動2日目で恐々夜勤をし、今の職場には胃瘻患者と車椅子患者が多いこと、ちょっと混合病棟っぽくなってしまっていること…。

最近、微妙な交流が続いている。


2003年07月15日(火) 人生のやり直し

30代だというのに、ことばが、格好が、とても、幼くて、きれいだった。

ふと、隣席の彼女の、引き攣れた手首に吸い寄せられた。肌に残る傷痕は、白っぽい肌色で、血が出たような肉がえぐれたような生々しさは、もう感じられなかった。
夏の薄着で、時計やブレスレッドでそれを隠すわけでもなく、惜しげもなく白い肌を太陽の下に曝け出す。開いた胸元の、なだらかな双丘と、傷痕。赤く縁取られた爪先。

イライラして何かに当たりそうになったら、自分にメールをして気持ちの整理をしてみるの、と彼女は言った。

いい方法見つけたね、成長したね、よかったね、とファシリテーターが笑顔で返した。


2003年07月10日(木) 官能的な指先

互いの心身の凹と凸を合わせて。

最初は「いい年してそんなん…」とひどくずかしがっていたのに、今では何もしないほうが訝しがられるようになった。私たちにとって、手をつなぐことは、自然なこと。当たり前のこと。一緒にいたら、しなくてはいられないこと。

自分が相手の恋人であることを確認しあって認識するって、断りなく肌に触れることを許可されたということなのかもしれない。
前を行く左右に揺れる手に手を伸ばすことも、「ほら」と手を差し伸べられてそれが何を意味するのかを理解することも、好きな人が相手であればすぐのことであり。

手の平を合わせるだけでなく、指と指を交互に合わせたり、親指の腹で相手の手の甲や指を撫ぜたり、手をつなぐだけでは満足できずに、より深く熱く肌を感じようとしてしまう。
スラリとかサラリとか、そういうスマートでさわやかな形容の似合わない彼の、無骨さのある手指が、私は好き。

時々、身体を重ねるよりもエロティックな感覚を得ることもあったりして。


2003年07月09日(水) どこか遠くに忘れてきたもの

市民さまは神さまです。

「紙だけ渡されて、30分も待たされたのよ!」
声高に苦情を言われても、どこか平然としている自分がいた。相手のとげとげしい口調には私の負の感情は反応せず、腹が立たないこと自体がなんだかおかしかった。
途中まで話を聞いていた、けれど緊急の対応が入って席を立たざるを得なくなった同僚の代わりに、同僚が中座する直前まで他市民の対応をしていた私が面接に入った。
彼女は面接室に案内されてから、こんな紙切れ一枚書くのに半時間も待たされたと、私は遠縁で関係ないのに近いからと押し付けられただけの話なのにと、色々な理由で立腹していた。
「お待たせして申し訳ございませんでした。また、何かございましたらいつでもお寄りください。お気をつけて」
彼女の望む事務処理が済み、私はゆっくりと深く頭を下げた。

気持ちに余裕があったようだ。感覚の麻痺ではなかった。彼女の怒れる荒ぶる感情を受け入れ、やわらかく返すだけの懐が、めずらしくあっただけの話。
彼女の苦情を一時的には受け止めた。後は彼女が本庁に苦情を言いに行こうが行くまいが、どうでもよかった。私たちに不備はないと、はっきりと言い切れる出来事だった。

怒るエネルギーがあるって、いいことだと思う。最近の私は、プライベートでは怒ることさえできない。仕事上でも、怒ることがない。

平然と仕事をこなしているように見える今の状態が、本当にいいものなのかは私には分からない。


2003年07月06日(日) 惑わされる心、ごまかされる真実

"系"という言葉は"風"と一緒で、なんて使いやすい言葉なんだろう。

彼の友人に、タカちゃんという男性がいる。前の職場で出会った人だと言う。彼と同じくらいの年らしいので、40歳前後、いや、過ぎているだろう。タカちゃんも独身。婚姻・離婚歴なしだという。
そんな、タカちゃんの住んでいるステキな高層マンション前を車で通ったときの話だ。

「ここ、タカちゃんの住んでるマンション」
「へーひとりでこんなとこに? でも新しくコンビニできたみたいだね。ひとり暮らしの人には便利」
マンション前の通りをはさんで向い側に、真新しいコンビニが見えた。
「でも、タカちゃん、自分で料理するからなあ…行きつけの飲み屋で出た小鉢とかも、作り方ママさんに聞いとったこともあったで」
「××と全然違うね…料理できる男かあ…私、タカちゃんにしようかなあ」
「ムダや、奎佐。タカちゃんは面食いなんや」
間髪いれずに言われた。
なぬ。
「タカちゃんは美人が好きで、家事できなくても性格に難ありでも美人ならいいってタイプなんや。お子さま顔のお前じゃムリムリ」
ふんぬー。
怒っている私の表情と雰囲気が読み取れたのか、彼はあわてて言い募った。
「ほら、お前は美人系というよりも、かわいい系だろ? その時点で終わっているってことさ」
「もういいでちゅ。ハゲカケヨソジオヤジに何も言われたくありまちぇん」

今年で26歳、未だ初対面の人に働くおねいさんに見られたことはありません。


2003年07月04日(金) 彼じゃない人を待つ夜

地道に陸を通るよりも海を渡ったほうが近い私たち。

片付けてみたり、ぼんやりしたり、はっと気づいてまた片付けてみたり、今日はやけに蒸すなあとまたぼんやりしたり…を繰り返しながら、金曜の夜は更け行く。
いつもなら、ひとりの金曜日でも仕事帰りにちょっとお出かけしていた。でも今日は、人がお泊りに来るので仕事からまっすぐに家に戻った。

1時間半ほどのんびりのったりゆったり片付けて、そこそこマシになったのでやめた。夜は長いし、夕飯もまだなので、ここで頑張りすぎてもいけないだろう。

彼を待つときの時間は、心臓がおかしな動きをする。ドキドキする。だけど、彼以外の異性でも、待ち合わせしていたらドキドキする。彼のときほどではないけれど。
女友だちとの待ち合わせの時間は、大抵私、遅刻傾向なのでそれでもある意味ドキドキする。

ドキドキにも色々種類があるけれど、やっぱり、彼を待つ時間のドキドキが1番心地よくて1番身体に悪い。会えるうれしさでドキドキと事故とか大丈夫かしらと不安でドキドキ、最低でも2重奏。待つだけで、瀕死状態になりそうだ。

本日いらっしゃる7年来の友人は、同業者だ。たった一人の同業者友だち。フリーターだの大学編入だのとあちこち回り道しなかった友人なので、先輩格に当たる。仕事の愚痴を言い合ったり、9月に一緒に夏休みをとって旅行へ行く計画を立てる予定だ。

しかし、よりによってこんなに蒸す日に来なくてもいいのになあ…


2003年07月03日(木) 「母を取らないで」と子どもに嫉妬する母

こんがらがらないように注意深くどうぞ。

親離れできないまま親になるって不幸。それなりの発達過程がないと、子どもができたからって、親としての自覚なんて芽生えるわけがないのだ。年齢ばかり重ねていたって、中身が成熟し始めていなければ、親の役割なんて担えるだけの力なんて出せないのだ。

離婚して戻ってきた自分の娘が、子どもを育てるだけの能力がない子どもと知り、自分が育てると名乗り出た祖母がいた。娘を能力のないような子に育ててしまった責任は取ると、祖母は言った。だけど。
そんな祖母の気持ちを汲み取ることができずに、30代の母は片手で余るくらいの年齢の自分の子どもに向かって、「私の母を取らないで」と言った。

祖母が孫をかわいがれば、母が「母を取られた」と子どもに嫉妬する。そんな妙な図式が成立してしまう、そんな家庭。挙句、祖母を取られたくないが為に、母は自分の子どもに手を上げてしまった。

神様は何を見て、人に子を授けてくださるんだろう?


2003年07月02日(水) 部屋がその主の体を表すのであれば

入りたいと言うのであれば、拒みはしません。

短大時代とフリーター時代、ひとり暮らしをしていた時期が2年ほどあった。以前にも書いたが、私は部屋の整理整頓が苦手な人種だ。どうにもうまく片付けられない。食べたものだけは片付けているのが、唯一の救いだと彼に言われている。

以前のひとり暮らし時は、全部収めると全部収まっていた。ごくごくたまに、親が来るとか友人が来るとか、そういうことが事前に分かっていたときには大掃除をしていた。押入れとミニたんすと机に床のものを並べれば、それで済んでいた。もともと物が少ない暮らしをしていたので、それをどこかに押し込める行為はそれほど大変ではなかった。全部が室内に出ていただけの話だったのだ。

ただ、今の家は彼曰く「収納場所が少なすぎる」とのことで、乱雑化してしまうのは私の性格だけではないらしい。否、主である私が収納スペースを作らなければいけないことに気づいていなかったことに、彼は気づけなかったようだ。まんがだの小説だのは床に積み重ねずに本棚を買ったほうがいいようだ、ということに自分で気づいた瞬間、それを知った。

少し乱雑な、片づけが最後まで終えられずにどっかしらに山を作るというほころびのある我が部屋を、何故か好評に思う人がいて、不思議だ。その人の部屋はいつ行ってもきれいに整理されているというのに、私の無秩序な部屋は落ち着くと言う。きれい好きに、「ああ、奎佐の部屋だあ…」とゆったりされると、なんだか不思議な感で見返してしまう。

部屋がその人の内面を表すのであれば、さぞかし私は無茶苦茶な人間であろう。入りたがるものは拒まず、とりあえずは受け入れて置いておく。

今週末に、昨年の夏にもうちに泊りに来た女友だちが来るのだが、やっぱり片付けの目処はついていない。彼女とは7年の付き合いになるが、一度たりとも完璧に片付けられた我が部屋に招待できたことはない。本日より生理も始まってしまったので、もはや週末までに片付くなんてことはないことを悟った。

まあ、素の私を知っているということでは、とても楽な相手なのでいいのだけれど。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




↑エンピツ投票釦
My追加