人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年11月27日(水) 格好よく賢くおかしな男

「好みのタイプは佐々木さんかなあ」

同期の年上男性が、こじんまりした飲み会のときにそんなことを言っていたそうだ。もちろん、「いたそうだ」なので私はその場にはいなかった。その場に居合わせた同期の女性が、そう教えてくれた。完全に酒のつまみ的話題だった。
その、私を好みと言った男性も、同期の中でとっても少ない女性陣の中から好みのタイプを選ばなければならない状況で、こいつなら絶対に俺を意識しない、という私を選んだのではないかと思う。時々いるから、「好み」って言われちゃうと、やけにその人に擦り寄るタイプが。
だけど、私ならそんなこと絶対にないと言い切れる。さすがだ、奴め。話が上手だし、やっぱり賢いだけある。

ところでこの同期の男性、容姿だけ見てるとなかなかいけてる。服のセンスが、おしゃれと個性的の境界線だけれど。
以前バーベキューをやったとき、彼はジーンズ地のフリルのついたジーンズを穿いてきていた。そう、そういったもの穿かなさそうな感じだったのに。偏見だと思うけど、30歳だったし。想像しろといわれてもできなかったと思う。
「それ、××さんが選んだの?」と聞いたら、「いや、おかんの」と軽く言われた。
そか、お母様のだったのか・・・。
だけど、なんとなく似合っていたのでそれはそれでよし。だけど、スーツ姿でスキー帽はやめた方がいいと思う。

同期の中で私の好みに当てはまる人はいない。
ちょっと太め、飲食好き、部屋が少々乱雑でも気にしない、私の身体を気遣ってくれる、そういう男性。
いないんよ。
現彼だって、この中では×多いしな・・・うーむ。


2002年11月26日(火) 入店拒否する勇気

それが正しい道。

先週末の彼とのデートの中で、居酒屋に入るという出来事があった。
最近の私たちは毎回のデートで居酒屋を使っている。チェーン店のときもあるし、こじんまりとした店のこともある。
この前入ったのは、座敷6〜7、テーブル8くらいのお店だった。

彼は生ビール、私はカシスオレンジ。いつもその組み合わせ。タコのから揚げと魚のカマ焼きはふたりの定番メニュー。
そんなそれらを食しているときに、新しい客が入ってきた。

女性1名、男性4名。

女性はべろべろに酔っていて、もうひとりでは歩けない状態だった。男性のひとりが、もう本当、抱きかかえてやっと立ってる状態だった。だけど、口だけは動いてて、「あたしー生ー」などと席につく前からにぎやかだった。
男性陣もみんな顔が真っ赤で、この店が1軒目でないことだけは確かだった。
女性の服装、男性陣のネクタイから、ああ、披露宴に出席してたんだな、と分かった。

でも、どうみてもその女性、顔色悪く、もう、戻すか寝るかという感じだった。
もしここで飲まれて倒れられて息してないなんていわれても、私、こんな連中に人工呼吸を施したくありません、て思った。

バイトの店員が彼らが入ってくるなり、「お待ちくださいませ」と言った。店員は奥に入った。店長らしき年配の人が出てきた。

「お客様、もうたくさん飲まれているようで、お体のほうが心配なので今日はお引取り願いませんか?」

多分、そんなようなことを言ったんではないだろうか。その年配の人とは前に少し会話したことがあった。頼んだものを忘れられて私が怒ったときだった。彼はとても丁寧な人だった。

新しい団体は、舌打ちしながら出て行った。そして、また戻ってきた。

「この店は、客見て入店拒否するのな!」

そんな台詞を叫んで出て行った。もう彼らははいってくることはなかった。

・・・昔、風呂のないアパートに住んでいた。銭湯は歩いて数分のところにいくつかあったので、特に困ることはなかった。
銭湯には、『刺青のある方お断り』とあった。だけど、行くといつも胸元に真っ赤な牡丹を咲かせた女性がいた。
その銭湯の従業員は、客によってはお断りすることをしていた。
彼女の場合は、特に迷惑になるようなことをされるわけではなかったから何もいわれなかったのだろう。

ちょっと、そんなことを思い出した。


2002年11月21日(木) 蓋を開けたその中には、想いが溢れていた

人に話すことで、心の蓋が剥がされてしまうのかもしれない。

どうしてこんなに、時々心身をひとつの想いにがんじがらめにされてしまうのかしら?とよくよく考えてみた。考えに考えて見ると、最近の動揺の原因としての心当たりがひとつだけあった。
彼の話を、他人にした。

普段、毎日のように彼とどうでもいい話をメッセやメール、電話でしている。
愛の言葉をささやくこともあるけれど、大抵が「今日ね、どこどこでね、こうこうこういうことがあってね」という他愛のない内容ばかりだ。だから、突然、愛が燃え上がるような出来事はない。

そして、職場ではストイックな私。愛も恋も今は関係ありません、て顔して仕事している。
「どうよ、佐々ちゃん、昨日組合の集まりにはいい人いたの?」って職場の先輩に訊ねられても、「ダメでした! ちょっと太目で年上のステキな独身者はいませんでした〜」と笑顔で応える私。
そう、恋人の「こ」の字も絶対に匂わせない。指輪の存在はひた隠し。

でも、同期には、恋人の存在を隠していない。しかも、一時のふたまたのことまで知られている。
これは、街中で私が男連れで歩いているところを目撃した者が同期にふたりいるのだが、そのふたりの私の男についての証言が食い違っていたところから発覚してしまった。私ももう、否定はしなかった。

なもんだから、同期と会うと「その後どう?」と聞かれる。だから、正直に「年下の彼とは別れる方向で、年上の彼とは存続の方向で」と言う。
で、まあ、いろいろ聞かれる。彼とどんな話をしているのかとか、一緒にいるときは何しているのかとか、彼は私にとってどういう存在なのかということとか。
今週の月曜日に会った同期(男・女)も、火曜日に会った同期(女)も、水曜日に会った同期(男)も、みんな恋をし始めたのかいい人ができそうなのかなんなのか、やけに具体的な質問を投げかけてきた。
お陰で連日、私は彼の姿を脳裏に浮かべ続けるはめに陥った。

存在は忘れなくても、容姿自体は忘れていたかったのかもしれない。だって、よりリアルに彼の存在を感じてしまったら、現実の彼と会いたくなるのは必至なのだから。持っている写真だって裏返しのままなのに。

だから、私は、こんなに、もう。


2002年11月20日(水) なんでこんな遠くの人と出会ってしまったんだろう?

あの人を好きすぎな私。

昨晩、再び彼を好きだと強く強く自覚して、パニックに陥った。訳分からず涙が溢れ、切ない気持ちでいっぱいになった。

最近、プライベートでは情緒不安定さが顕著。彼も今週頭から私の精神面がおかしいことに気づいたようで、朝一メールが『大丈夫か?』と始まる文面になってしまっている。
けれど、職場ではようやく感情を取り戻し、楽しく仕事している。やっぱりひとと触れ合うのが好きなんだわ私〜、と自覚することさえある。
けれど、うちに帰り、素の私に戻るとまったくダメだ。鬱傾向が続くときは何日も続くし、時々躁状態になって自分をセーブしきれないことがある。睡眠も日によって取れたり取れなかったりだ。

恋や愛ばかりが人生じゃないってこと、ちゃんと分かってる。けど、今の私は仕事も楽しいけれど、彼を好きだということの方が重大なようで。
次の給料日までちょっと苦しくなるだろうが、生活費を削ってでも今週末、彼に会いに行く決意をしてしまった。そう、体調さえよければ。

そういえば、私が読みつづけているねむりさんの掲示板にも書き込みをしたのだけれど、私が彼に使うお金を惜しいと思ったら、もうそこで恋は終わったも同然だ。彼とて同様。

大学時代の中の9ヶ月間、私はパート看護婦をして小遣い稼ぎをしていた。短大で看護の勉強して看護婦免許持ってたので、その資格を活かした高額もらえるパートだった。ひと月2〜3回の出勤で、1日8時半〜17時勤務15,000円也。そんなバイト、水商売を除くと他になかった。
だから、非人道的な看護を目にしてつらくても、すぐに辞めずに私は9ヶ月も老人病院に居つづけてしまったのだ。

そんな中、私は彼とネットで出会ってしまった。
始まったのは、東京−大阪間の遠距離恋愛。正確には新横浜駅と新大阪駅の距離。金券ショップで買う新幹線切符は、片道13,000円くらい。往復すると、かなりの額が飛ぶ。
私には私なりの恋愛美学があって、いくら彼が社会人であっても、彼にばかり金銭面で負担をかけるのは嫌だった。
だから、ひと月ごとに行き来することを提案し、自分の交通費だけは自分で出すことを承諾させた。

あの頃、親から小遣いはもらわず、自分で月に3〜45,000円稼いで過ごしていた。だけど、その稼いだ大半を交通費に取られながらも、私は文句を思いつくこともなく新幹線の切符購入していた。
コートもワンピースもブーツもサンダルもアクセサリーも、人並みには欲しかったけれど、彼に会う為に使うお金のことを惜しんでまで買う気にはならなかった。
私にとって、彼の存在とはそういうものだった。

今、頭の中を『会いたくて』と『海の時間』が交互に流れている。どちらも私の大好きな谷山浩子の曲だ。恋しい人に会いたいと歌う歌と、恋しい人と一緒にいるしあわせを歌った歌。

早く彼に会いたい。気持ちを直に伝えたい。いやってほど抱きしめたい。甘えたい。

私、なんでこんなに遠くの人と、出会っちゃったんだろう?


2002年11月19日(火) 私がナースを続けなかった理由

・・・看護婦さんかあ(遠い目)

私の看護婦歴(当時はまだ、看護師ではなかった)は、計12ヶ月。
公立病院外来パートで3ヶ月、某病院(「姥捨て山」という別称のあった、老人病院)の土休日パートで9ヶ月。
そう私、看護婦として常勤では勤めたことがない。
だって、日中活動する生活続けてたってホルモンのバランスが崩れやすいのに、2交代でも3交代でも生活リズムのおかしな生活はじめたら身体ついていかなかったと思う。
それに、学生の頃の病院実習先のあの病棟の(超有名な病院だ)、どろどろした看護婦関係を見てしまったら途端にやる気がなえてしまった。

だから、私パート看護婦やりながら勉強して、昼間働く場所の多い保健師の資格取るために学校に入り直した。

ああ、市町村保健師。お正月、あんなに休みがもらえるなんて、夢のようだ。
正月の超過勤務で、食事の時間に箸を持ったまま寝てしまったことも、これでもう、看護婦時代のいい思い出になろう。

私はもう、看護師には戻れない。


2002年11月18日(月) もう二度と、寂しいからって歌わない

ひとり暮らしはじめて8ヶ月目にして、ようやくラジカセを買った。

近所(とは言っても電車で行くような距離)の某スーパーで、店内家電売り場撤退に伴い、全品大安売りを開催。いつも1割引で売っていたものも定価に直し、そこから1〜2割引いてくれるという技で「大安売り」をやっていたのだが。
そんな中、店頭展示品だったCD・MD・カセットラジカセ(SHARP)が、17,360円(税抜)になっていた。他店では、まだ25,000円くらいするやつだ。
私は、見た目がきれいであれば店頭展示品でも構わない。気にしない。だから、即買いしてやった。

音のある、ステキな生活。
もう寂しいからって、セルフサービスで歌わなくてもいいみたい。
ダビングできるから、新しいCDレンタルしてきてもいいみたい。
MDウォークマンしかないからって、CDをないがしろにしなくてもいいみたい。
台所に立ちながら、ラジオが聞けるみたい。
階下のお家でアダルトな行為が始まっても、わざわざ用のないテレビつけなくてもいいみたい。

またまた生活が潤って、私、大満足。


2002年11月17日(日) はじめて付き合ったひとのことなど

恋人の兄弟姉妹って結構やっかい。

私がはじめて付き合った人の話なんだけど、よく考えたらもう、彼と付き合っていたのは7年前のことだった。なんか、そんな昔だったなんて信じらんない。
そりゃ、ふとした拍子に思い出したりする回数は、別れた当時に比べれば格段の差で少なくなっている。なるほど。年月経つというのはこういうものなんだな。彼との恋愛にまつわる多様な痛みも、記憶ではあるけれども痛み自体は忘れてしまったし。
でも、あの時が一番、恋愛にうつつを抜かしていた時期だった。

彼は、ひと学年上の高校の先輩だった。私の前にやはりひとつ年上の恋人がいた、そういう人だった。
放送委員会で知り合い、映画部に誘われ入部、挙句生徒会にまで連れ込まれた。人手不足だった部署に引っ張られたといっても過言ではない。
彼は、そのときカエが好きだった。カエも放送委員であり映画部員であり生徒会役員だった。多分、カエ(仮名・過去日記にも出てくる、現私の一番親友)も彼がとても好きだったんだと思う。カエ自身、そのことに触れられたくないようなのでよく聞いてはいないのだが。
でも彼は、いつしか私にも惹かれていた。カエと私はとても似たところのある人間だが、その他はまったく異なる。容姿も、音楽の趣味も、家族背景も、生活歴も。だからこそ、合ったのだと思うが。

タイプの違うふたりに同時に惹かれた彼。しかもふたりとも彼を拒まない。そこで、彼がとった行動というのは、カエと私、両方と付き合うということだった。
それは、私とカエが『自分恋愛の話を他人にすることは嫌』と思っていたことを、彼は知っていたからこそしてしまったことなのだと思う。
実際のところ、私たちはふたりして気付かぬまま、半年近く二股かけられていた。
だって、毎晩電話1時間してたし、土日どっちかも必ずように会ってたから、気付ける要素がなかったんだもの・・・ふたり公平に行動していた彼のその手際よさも今思えばすごいけどな。やり手だ。
すごく格好いいわけでもないのに、カエと私は彼に付き合ってもいいかな、と思う程度の好意を持ってしまった。今もって、どこがよかったのか謎。でも、人の話をよく聞いてくれる人だった覚えはある。

そんな彼、4人姉がいた。5人兄弟中、4人が女。しかも両親は離婚しており、母が引き取っていた。ということは、6人家族の中で男ひとり。
私が高校生のときは、携帯電話なんてなかった。ポケットベルも極少人数だけがもっているような時代だった。
だから、彼から電話のない日は、家の電話から彼の家に電話をする。そうすると、ご家族が出る。私は高校生なりに精一杯丁寧に話す。
『××高校の後輩の佐々木と申しますが、○○先輩いらっしゃいますでしょうか?』
しかし、彼の家の人たちは、大変愛想悪い。特に、2番目のお姉さんは彼がいようといまいと取り次いでくれなかった。・・・なんなんだかな。

万が一、彼と結婚することになっていたら大変だったと思う。姑に小姑4人。考えただけでも頭痛がする。
今の彼は、お姉さんがひとりいる。お姉さんは旦那さんとは死別しており、子どもふたりと暮らしているそうだ。
そんなお姉さんに彼は私のことを言ったそうだが、やはりそれなりの年齢になると「いいんじゃない」とにこやかだったらしい。
そか、いいんか・・・。
いつか、彼のお姉さんとその子どもたちに会ってみたいと思う。

嗚呼、高校時代の彼はお元気なのかしら?
また女を複数たぶらかしていないか、ちょっと心配。だけど、ちょっと楽しみ。そっと様子を覗きに行きたいような気もしたりして。
でも実際にばったり道でなんか会ったら、今なら私、殴りつけてしまうかもしれない。
なんせ、現彼に言葉でしかってもダメな場合、頭突きして言い聞かせるような女になってしまったもの。

ま、人生色々ありますわな。


2002年11月16日(土) 砂吐く思い

いえ、文句はないです。

昨日の日記にも書いた、私の彼の会社の後輩の恋愛模様なのですが、彼経由で久々に他人の恋愛話を聞いて、その甘さにもうお腹いっぱいいっぱい。親友の結婚時だって、こんな甘々な話聞かなかった。
我が彼とは言うと、40歳にもなると周囲に浮いた話がなくなるので、楽しそうに後輩の聞いているようだ。

出会ったのも秋なのに、付き合い始めてからひと月にもなっていないのに、もうすでに結婚を考えている後輩の彼。
「彼女のうちは自営業で、彼女のお父さんは長女の旦那にその事業をついで欲しいと考えているのを知り、俺はどうしたら・・・」
・・・そんなに結婚したいんかい。まあ、結婚までのスピードは人それぞれ。うちの両親だって、ある年の11月に共通の知人から紹介され、翌年の2月に結婚していた。でも、うちなんてふたりだけで結婚を前提に付き合っているが、もう遠距離恋愛2年になろうかって感じだがな。

そんな彼の後輩とその彼女が出会ったバーチャルタウンのサイトを彼が聞き、ふたりで見に行ってみた。
彼の部屋はすぐに見つかった。その部屋に、他の住民が彼に対して打ち込む掲示板があった。

そこで、私は激甘なものを無理やり食わされ、あんまり苦しくて吐いたら、じゃりじゃりと口の中に砂糖が残ってしまった。嗚呼、後味悪・・・。

他人さまの文章なので、まんま持ってくるのはやめておく。とりあえず、例を。


彼女『私ね、今まで元彼が忘れられなかったんだけど、ようやく新しい恋人が見つかったんだよ〜〜〜』
(それは、あなたが書き込みしてる先の方のことじゃないですか・・・)
彼『そかそか。どんな人なのかな?・・・(以下略)』
(本人が聞いてどうする・・・)
彼女『この前の週末ね、××までドライブして、夜景を見たの。すごくたのしかったよ〜〜〜。●●は、どんな週末を過ごしたのかな?』
(ふたりで行ったのに、なんじゃそりゃ・・・)
彼『よかったねえ、楽しめて』
(だーかーらー!!!)


そんな感じでやりとりされている。もちろんのこと他の人も書き込んでいるのだが、彼と彼女の事情を知っている方としては、このふたりの掲示板のやり取りは、もはやのろけ以外の何物でもない。
しかし、携帯メールで毎日メールのやり取りをし、毎晩のように電話をし、毎週末に会い、それでもなおネットに書き込みしているなんて、彼らは本当に24時間で生きているんだろうか・・・。
私にはそんな技、無理だ。

そんなこんなで、口の中が甘ったるいばかりか、背中が痒くなってきました。
私、意外に恋愛大好き体質ではないのかも。でも、日記の中で自分も同じような印象与えているかもしれないなあ・・・あらまあ。

ふう。


2002年11月15日(金) 落ちたる関係、本気の恋

最近、予想外なことばかり。

1週間、まったく音沙汰がなかったので、ようやく終わったか、と思っていた。けれど、沈黙にしびれを切らしたかのようなタイミングで、再びメールが舞い込んできた。

『おはよ〜 今週末も忙しい?』

何事もなかったかのような、普通のメール。すべてを忘れて思わず返信しそうになり、あわてて打ちかけた返信欄を取り消しした。
何らかの繋がりがある限り、彼を傷つけることは必至だ。もう期待をもたせないためにも、返事は書いちゃいけない。最後通告はとうにしたのだから。

何度も「もう諦めようと思う」という言葉で私の気を引こうと、何度も揺さぶりをかけようとしているけれど、それはもう逆効果でしかない。
私の気持ちは彼を開放する側で、私を開放してもらう側で固まってしまっているのだ。
「じらし」でも「迷い」でもない。

追い求める側と逃げる側。
逃げる側には、すでに捕まる気など毛頭なくて。そこでもうすでに、関係のバランスは崩れているというのに。

人の気持ちがどこに向かうかなんてこと、本当、予測不能。

−−−

互いの想いが実るとき。

先日話題にした彼の会社の後輩が、とうとう女性をひとりに絞った。バーチャルタウンで出会った女性と数人会って半分遊びで寝たりしながらも、ようやくいい人にめぐり合えたようだ。

彼は彼女に初っ端から、「忘れられない人がいるから付き合えない。その彼とは今でも連絡を取り合っていて、いつか彼は戻ってくれるかもしれないから」と告げられたにも関わらず、数週間かけて口と身体で口説き落とし、晴れて恋人同士になったらしい。・・・そう、身体を張ったというところが、私的にはまたすごいんだがな。まあ、その辺は『日常茶話』ネタなので、そのうちあっちででも書こうかと思うけど。
しかし、彼の誹謗・中傷を続けていた例の彼女は、静かになったのだろうか? その辺はよく知らない。

彼とその彼女は大阪−和歌山間の微妙な中距離恋愛。彼が週末に車を飛ばして会いに行っているらしい。若いって素晴らしいわな。平日は残業もこなしながら仕事して、週末には2時間近く車で走ってデートするなんて。うらやましいような、話聞いただけで疲れちゃいそうな。

だけど、本気の恋は、唯一の恋は、人を成長させる。人を大事にするって、莫大なエネルギーを必要とするから。

ふたりの気持ちが互いに向くっていうのは、本当、奇跡な出来事。

−−−

終わろうとしている恋、はじまったばかりの恋。

恋愛はしあわせだけが長く続くわけではないけれど。トータル(+)なら、それでいいのだ。

だけど私と彼の関係は、恋愛だったんだろうか? 正直なところ、しあわせだったことなんて、あんまりなかった気がする。
中途半端な気持ちと立場なままに彼と寝て、彼を振り回した自覚はあるし。

出会いの失敗を繰り返しながらも、ようやくひとつの恋を手にした彼の後輩。最初はやっかいな相手に惚れたね、なんて言われながらも、最後はその粘り強さで彼女の心を奪った・・・んだろうか?
少しだけ、不安の残る私。ごめん、不吉な発言だね。

勝手だけど、大事な人たちには傷ついて欲しくないと思う。

恋愛って難しいね。


2002年11月14日(木) やってみなくちゃわからない

何事もやってみなくちゃ、結果なんか出るわけない。

うちの彼はとっても臆病な人で、し慣れないことはすべてを回避する方向で考え、行き慣れぬところには極力行かないようにする。失敗するのが怖いらしい。
だけど、私はどちらかというと冒険野郎で、「はじめてなんだから失敗したっていーの。行きたいところに素直に行くの」という精神で望むタイプ。決して新しい物好きではないけれど、興味ある分野には飛び込んでいきたい。
そりゃ、失敗するといけない場面に直面する場合はとっても緊張して、土壇場で逃げ出したい気持ちになったりもするけれど、極々プライベートなところでは特別攻撃意欲満々だ。

最近では、食事処なんかがいい例。入り口からして入りにくそうでも、「いや、ここがいい。店頭メニューが気に入った」と意気込めば、薄暗い地下だろうと風俗店の多いエンピツビルだろうが、よいしょっ、と行く。
メニューなんかも、オーソドックスなものに惹かれなければ、名前からじゃどんなものだか想像できないものにあえて挑戦してみたりする。成功率は低いけれど、それなりに精神的には満足できる。

だからさ、一緒にやってみようよ。手は私がひくから。引導は私が持つから。やったことないことやってみるとか、行ったことないとこに行くとか。恥かいてもいいじゃん。絶対に新しい発見があるよ。ひとつずつ賢くなれるよ。
まずかったらまずかったって言って。面白くなかったら面白くなかったって言って。もう二度と入りたくなかったら、嫌だって思ったら嫌だって言って。
その感想を次に活かしていけばいいんだから。きっとふたりなら、成功も失敗も、楽しめるよ。
結局は、お互いはじめての遠距離恋愛だって、どうにか続けていけてるじゃん。来月で、もう2年だよ?

これからも、手を繋いでゆっくり行こう。


2002年11月13日(水) 保健所食品衛生課のおねえさんと私の楽しい初昼食会

なぜか初顔合わせの食品衛生課のおねえさんと昼飯を食していた、昨日の私。

うちの職場近くで食品衛生講習会が行われるということで、お昼を食べるスペース貸して下さい、と突然、保健所食品衛生課のおねえさんが昨日、我が職場を訪れた。
はじめてのお顔に、私は目をぱちくり。だけど、私の先輩とは顔見知りだったようで、「あら〜久しぶり〜」「元気〜〜〜?」なんて黄色い声で挨拶が交わされていた。

おねえさんはお弁当持参だった。私もお弁当持参だった。
そこで、なぜか食中毒の話になった。(おねえさんは専門家だけどさ)

「冷蔵庫の中のものが少しばっかあやしくなっても、私ひとりだからある程度のものは食べちゃいますね〜」って感じで会話は弾んでいた。
そんな中、「母親の作ったお弁当からは、食中毒は出にくいのよ」とおねえさんは言った。

キャベツの塩もみとか、家庭で作ったものには菌がいっぱいだ。だけど、それら全部に人は当たるわけではない。その理由を、おねえさんが教えてくれた。

「小さい頃から同じ菌を口から入れてるから、ちょっとやそっとじゃ当たらないの。むしろ、家の外でのものだと慣れてないからいけないの」

なるほど。

「ということは、それぞれ家庭の味があるように、それぞれ家庭の菌もあるってことですね」

私が締めくくると、おねえさんは笑顔で手を打った。

「そのとおり!」



・・・しかし、食事をしながらどんな話でもしちゃうという慣れは、恐ろしいものですな。ナース時代も排泄や手術の話を平気でしてたし、保健師になってからも虐待がどうのドメスティックバイオレンスがどうのって話も普通にしながらご飯食べてる。

だから、時々普通の人を驚かしちゃうんだね。すまんこってす。


2002年11月12日(火) 何故人は人を愛するのですか?

やはり、私は自分を見失いかけていたようだ。

先週末、ひと月ぶりに彼と会った。だけど、私の心は以前ほど激しくは揺れ動かなかった。
ここ最近の出来事の中では、彼に会えたことはとてもうれしくて楽しいことのひとつだった。だから、待ち合わせ場所で彼と会った瞬間、私は久々に満面の笑顔を向けたつもりだった。
けれど、彼は手を繋ぎ合わせるなり言った。

「お前、以前ほどうれしそうな顔しなくなったなあ。子どもみたいにすごいいい顔してくれてたのに」

冗談として、その後、彼は「愛情が薄れてきたんだ」と笑った。私はその言葉に不安を覚えた。
私としては変わらずに『愛している』つもりだったのに、行動や精神がそれに伴っていないのか?
気分的には、泣きそうになった。


土日は我が部屋で、彼とゴロゴロした。私は暇さえあれば彼に抱きついた。足元にじゃれついた。唇に、頬に、首筋に、腕に、膝に、指先に、キスを繰り返した。これらはみんな、したくてした。
だけど、こんなこと、彼以外の人には絶対にできない。考えられない。したくもない。
彼に膝枕してもらったら、眠くなった。寝入り始めた私に彼は毛布をかけてくれた。だから、深い眠りにつくことができた。

心を許せる相手と2日とちょっと過ごして、心が少し、休まった。


2002年11月09日(土) 虐待連鎖

連鎖するもの。

子どもは親からの愛情をもらうことに貪欲だ。
例え、タバコの火を押し付けられても、「あんたなんて生まなきゃよかった」と言われても、叩かれても、刃物を向けられても、抱きしめてもらえなくても、食事を満足にさせてもらえなくても、何日もお風呂に入れてもらえなくても、他の兄弟と同じように接してもらえなくても、性器をいじられても、それでもなお、親を求める。親を信じる。『自分が悪いんだ』と自分を殺しながら。

自分の現実世界を真正面から受け止めているように見えても、実は受け止められているわけがなくて。
差し伸べられた救いの手に、『殴られる』という恐怖心から反射的に両腕で自分をかばってしまったりするわけで。

今日、幼い頃に母から虐待を受け、そして自分もまた自分の子に同じことをしてしまったことに罪悪感を持った女性に会った。

私にできることは、一緒に泣くことだけだった。



子どもは、親からもらうものを大切に保存する存在だ。やさしくすることも愛することも、すべて親から見よう見真似で学ぶ。
愛されて育った子は人を愛することを抵抗なくできるものだと思う。やさしくされ慣れた子は人にやさしくする方法を知っているのだと思う。
だけど、単に「愛だけを与え甘やかす」ことと愛するなどの「生きる基本を教える」ことは異なる。
そこのバランスをうまくとっていかなければ、悲しい連鎖は新たに発生し、またそこから続いて行くだけなのだ。



余談だが、津田雅美著の「彼氏彼女の事情」という白泉社から出ているまんががある。これも、最近になって、主人公のひとりが、幼い頃に虐待を受けていたという設定であるということが明らかになった。私は津田氏が「花とゆめ」でデビューする前からこの人の描く話が好きだったが、このシリーズが、こんな展開になるとは思ってもみなかった。
ただの面白半分や話を盛り上げるためだけの取り上げ方の印象はないので、そういった人たちと出会ってしまう私としては、話の展開が当初のものとは変わってしまっても、安心して読みつづけられているといえる。


2002年11月08日(金) まっくら森の歌 〜 心は樹海をさ迷い、身体は深海に横たわったまま

淡々としすぎてこれといって楽しい事件がない生活だから、というわけでもないとは思う。

なんか最近、生活全体的にちょっとテンションが低いことには自分でも気付いていた。なんだか、1日のうちの気分高揚時間が極端に少ない。下手すると、「負」の感情が「正」の感情を完全に上回り、鬱傾向が強くなってしまったり。

だから、その精神状態が見事に日記に表れているといえる。『日常茶話』だけ読んでいる人にはちょっとやそっとじゃ気付かれないだろうが(しかも、あちらの更新頻度はここのところ落ち込んでいる)、この『人生事件』を当初から見守ってくれている人には、ここのところ、ちょっと日記が質的・量的に落ち込んでいる印象を与えているとは思う。

別に、仕事で失敗したとか、プライベートで嫌なことがあったとか、そういうことは特にはない。
そりゃ、浮気相手の『本気』を半泣きで断ったり、仕事ではじめて受け持ち地区の町内会の健康教育を受け持ったり、両親学級(妊婦さんとその旦那向け教室)で講師をしたり、友人の神前式と披露宴に出席したり、そういった様々多々ストレスには曝されていた。
けれど、それらは就職した4月から始まっていたことだし、5月病にしてはちと遅すぎるなあ、と思う自分もいたりして、その冷静さがますます自分に違和感を感じる原因であったり。それに、仕事はやめたいと思ったことはない。死を考えたこともない。

まだ、社会的なつながりを保つだけの心の余裕はある。毎日職場に通い、己の仕事を果たし、買い物をして食事を作って食べる。その間、ちゃんと人と話をするし、笑える。ただ、すべてに心から笑っているかというと、正直苦しくも否定してしまうのだが。

日付が飛び飛びになってしまっても、文章書くのが好きだからWeb日記は書いている。内容はともかくとしても、日記顕示欲だけは失われていないようだ。だけど、やはりどこか落ち着かないところがあるのか、更新コメントを間違えてしまったりもしている。
他の人の日記も見に行ったりもしている。人の日記を読んでに悲壮感を憶えたり不信感を持ったり、そんな自分を哀れんでみたり悲しんでみたり。箸が転げただけで笑える年頃に戻りたくなってみたり。

何が悪いとも、何がいいともいえない。原因なんて、これといってなくても落ち込むのが人間なのかもしれない。
そりゃいつもいつも同じテンションを保ってなんかいられない。だけど、今夜彼に会える、と思ってもうんともすんとも言わない心に不信感、というか不安を感じたりして。

だいぶ、感受性が鈍っているみたいだ。『悲しい』だろうことにも、泣けやしない。そういえば、眠りも浅いような気がする。

早くこの森から、抜け出たいのだけれど。


2002年11月07日(木) 気付いたときにはすべてが終わっていた

大失恋、気分。
ついこの間、失恋記念日があったばかりだというのに。

自分の気持ちを固めたときには遅すぎた。この先多分、いや絶対、こんなに強く思い、後悔することはないであろう。

もっともっと、早く気付けばよかった。『一目ぼれ』の感情を信じて、すぐに動けばよかった。手を出しておけばよかった。

本当に自分に必要な、自分に合った大事なものを、『とても大事なもの』と自覚できていなくて、気付いたら、私は『一番必要なもの』を永遠に失っていた。

きっと、もう二度と、こんなにすぐに行動に移さなかったことを後悔するようなことはないであろう。
私は失敗してしまった。



売切れてしまった、もう入荷予定はないという、貝印の1〜2人用の、煮込み料理用の小鍋、在庫処分特価980円はもう、私の手には入らない。



だって、普通の鍋でシチューやカレーを作ると、鍋の大きさに合わせて作っちゃうから量が多くなりすぎちゃうんだもの。もう、3日も4日も同じ物を食べるの、嫌だ。
この貝印のシチュー小鍋、またもこの間の天ぷら鍋のように各スーパー回ったのに、置いてなかった。そもそも、貝印の鍋を置いているところは少ない。スプーンやフォークは多く扱われているんだけど。

ああ・・・もう・・・。


2002年11月06日(水) ふたりでおでん

『おでん』は『関東炊き』とも言うらしい。

今週の金曜日の夜から彼が遊びに来るので、いっちょ昔「試してガッテン」で見た作り方でおでんでも作ろうと思った。したらば、『こっちじゃおでんのこと、「関東炊き」って言うで』と彼に言われて、ビックリしてしまった。「おでん」て、「おでん」だとばっかり思ってた。

しかし、おでんの具もそれぞれの家庭や地域で異なるようで、彼とふたりでおでんの具についてメッセで検討会。互いの好みも配慮しながら、何を入れるか計画立ててみた。

二人の共通の好みは、大根、じゃがいも、タコ、いか天。
私の好みは、卵、もち巾着、ちくわぶ。彼は卵とちくわぶは好みでなかった。
彼の好みは、牛筋、鶏肉。私はそれらを入れたおでんを知らなかった。
ふたりしてどうでもいいのは、こんにゃく。
おでんの主たる具である練り物に関しては、ふたりとも大丈夫だった。

前夜作って朝温めたおでんを、鍋ごと新聞紙で包んで、さらにそれにバスタオルやシーツを巻きつけてそのまま放置。そうすると夜、具の中心までつゆの味が染み込んだおでんができている。しかも、冬でも朝包んで夜新聞紙から取り出したとき、鍋ごとほんのり温かかったりする。

寒いときには素敵だ、おでん・・・


2002年11月04日(月) 自ら死を選ぶということ

思い出に胸が詰まって、何も考えられなくなることがある。

最近、自殺遺児者たちの手記が実名で発売されたと、新聞で見た。我が身内にも、自殺者及び自殺未遂者が数名いる。先日も、まだ義務教育課程中の息子二人と奥さんを残して、鬱病を苦にこの世を去った身内の三回忌があったばかりだった。

残される者のことも考えられないほど、反対に置いていく者のことを考えて、人は自分を自分で殺める。それは逃げだったり、最後の手段だったり。ある意味、自殺をするというのはとても勇気ある行動だと思う。だけど。

生を絶つことを考える前に、大事な人と一緒に逃げる選択を。身近な者の苦しみに気づく配慮を。追わない強さを。

小さな声を聞いて。


2002年11月03日(日) 壁の花もない披露宴なんて

花は花らしくおとなしく花になっていやがれ。

昨日、短大時代からの友人の結婚式だった。私は披露宴にお呼ばれし、一も二もなく『出席』の返事を出していた。なんせ私の仕事は土日祝日はよほどのことがない限りお休みだし、友人の晴舞台を見に行かないでどうする。
新婦であった友人は看護師。だから、病院関係者は休むのが結構大変だったと思う。

披露宴のお知らせだけもらっていたのだけれど、おなじく短大の友人と共に受付を頼まれていたので、宴開始の1時間半前に式場にいた。で、受付方法を会場の人に聞いてふむふむと頷き、ロビーの受付に立っていた。
のに、いきなり『新郎の強い希望により』何故か、身内だけのはずの神前式にまで出たのだが・・・

それでですね、その、披露宴なのですが、私、ちょっと世の女性たちに問いかけたいことが。

もし、自分が主役の披露宴に、普通のワンピースで出席されたら?
もし、「ほとんどスッピン?」て顔で出席されたら?
もし、おしゃれでもない革のブーツで出席されたら?

どう思います? しかも、12:3の割合で、とうていフォーマルな格好じゃないとしたら。ほとんどが光沢のある生地でもラメが入っているわけでもスパンコールやビーズが散っているわけでもない、黒ワンピースだとしたら。

ちなみに私は、光沢度の高いグレー地模様の「スリットがばあっ」のロングチャイナドレスに、銀ラメ入りの8cmヒールのパンプス、アクセサリーはプラチナに真珠のついたイヤリング、式当日に予約していた銀座の美容院に行って髪の毛切ってブローしてもらってメイクしてもらって。残念なことに。ちょっと時間が足りなくなったのでネイルアートしに行くのはやめて自分でマニキュア塗ったけど。
そのくらい、気合入れて式に臨んだ。ちなみに、式1週間前から就寝前の顔の手入れは普段以上に時間をかけた。

別に私くらい頑張れとは言わないけれど、もし何にも考えずに出席していた人がいたら、もう少し、「フォーマル」場面にあった服装をできるようにならなければいけないんじゃないかな?と。だって、事前にお知らせされているわけで、『出席』の返事を出したからには、それなりの「責任」ていうものがあるのではないかと思うのよ。

昨日の新婦は25才。よって、友人たちも同年代。
もう、「若いから」って、許される年齢じゃないと思う。

だけど、なにはともあれ、おめでとうね。昨日、あなたはあの場所で一番、きれいな花嫁だったよ。
あなたは、誰よりもしあわせになって。

本当に、おめでとう。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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