一度だけの人生に
ひろ



 かっこつけの苦しみ

希代の良いかっこしい。見栄坊。
坂口安吾が太宰を評した言葉だが、
別の言い方をすると希代の「恥ずかしがりや」
希代の「傷心家」

弱いなぁ

僕は弱いんです。
と言ったら、きょとんとされた。

「幸せさえも、たかが知れている。」
そんな言葉が、ふっとよぎって、
とても頼りない、寂しい想いにかられる。

虚無とは思想ではない。
虚無とは人間の必須要件であり、
人間そのものとも言える。
これも安吾。

「人間は生きることが全部である。」

「苦しめ、そして苦しむのだ。
それが人間の当然の生活なのだから。」

「人間の尊さは、自分を苦しめるところにあるのさ。
満足はだれでも好むよ。けだものでもね。」

「人生を面白がろうとしないのだ。
面白くないことを百も承知で平気で生きている奴の自信に
圧倒されたのである。」

みんな安吾

2004年05月31日(月)



 小さな器

小さな器の中に、
いっぱい苦悩がつまっている。

けれども、器は小さいのだから、
実は、入っている苦悩も、それほど多くはないんだ。



「弱かったから、負けたから、死ぬのだ。
勝てば、死にはしないよ。」

坂口安吾だったかな。

2004年05月30日(日)



 今日この頃

リストカットの痕。
正確にはアームカットの痕。
誰も、面と向かって指摘しないから、
そんなに目立つものじゃないのだろうと、
一人勝手に思っていたけれど、
本当にはみんな、気が付いているのだろう。
親も、友人も、後輩も・・・。

そう思って、思い返してみると、
案外、それとなしに色んなことを言われているのだと
気が付いた。

ある後輩(四年♀)が、
冗談めかして「自殺しないでくださいね。」
とか、やたらに言う。

それとは関係ないが
最近、その子の態度がおかしい。

まただ。お前もか。
おかしい。本当に、不気味なくらいだ。
今年に入って、3人目。
Dさんとの一件から6人目。
どーかしてる。どーかしてる。

「嘘だろう?」と思うでしょう?
僕もそう思う。嘘みたいな現実。
ボーっとしていただけなのに、
一年間で6人から告白されて、
しかも、6人全員ふる(6人目はまだ未決ながら)。

ありえない。そんな話、聞いたことも無い。

のろけ話じゃない。のろけなんて、とんでもない。
その気が無い、
ただの女友達、後輩と思っていた人から
次々と告白されると言うのは、
こう言う言い方は酷いかもしれないが、
本当に並々ならぬ「苦痛」だ。

決して、僕にとって
「どうでも良い人達」では無いのだから、苦痛だ。

「良い友人」「可愛い後輩」なのだから、苦痛だ。

けれども、それ以上では、「決して」ない。
だから付き合えない。付き合う気になれない。
「先」が見えているような気がする。

「女性」としての魅力を感じない以上は
どーしても、恋愛は出来ないような気がする。

2004年05月29日(土)



 試験勉強

試験勉強。
此処に来て急激にやる気を失っている。
理由は、なぜだろう・・・・。

卒論提出後から本格的に始まった僕の
試験勉強だが、今年の勉強は、
割合、しっかりやったと言う実感はある。
そういえる根拠は、恥ずかしながら、
去年の自分の不勉強さ、学力の無さを
痛感したことによってだ。
去年は、本当に馬鹿だった。
「こんなことも分からないで、
よく試験を受けたものだ。」
と言う恥ずかしさと言うか、
そう言うものを今年は感じることが度々ある。

特に専門試験については、
結構自信はついてきた。
もちろん、出題傾向にもよるが、
6割を切るなんてことは、
まぁまずあり得ないだろうと思う。
出題傾向の大きな変更や、苦手分野の大量出題などが
なければ、まぁ7割以上はとれる。とさえ思う。

問題は教養試験だ。
教養は、本当にやり甲斐の無い勉強だ。特に知能。

前にも書いたと思うが、
知能はメキメキ学力が上がるというものではない。
覚えればよいと言うものでもない。
そしてまた、勉強しなければ解けないと言うわけでもなく、
勉強すれば確実に解けるというものでもない。
気付いた人はあっさり解けるが、
気付かない限り決して解けないと言う問題が多い。

ゆえにどうしてもやる気が起きない。
実力がついていると言う実感が全くないからだと思う。
「いくらやっても、出来るときは出来る。
出来ないときは出来ない。」と言う感じがして、
やり甲斐が無い。去年、明らかに準備不足だったのに、
7割近く取れたこともあると思う。

だからどーしても、すぐ成績に表れてくる
専門試験の勉強をやりたくなる。
いくら自信があっても完璧ではないのだから。
その苦手分野の克服に力を入れたくなる。
しかし、公務員試験で「完璧」を目指すのは間違い・・・。

教養対策をもっとやらなきゃいけない。
僕の場合、
「一ヶ月を切ったら、もう教養対策しかやらない」
ってくらいに、やった方がいいと思う。

やらなきゃ、やらなきゃ・・・・。

2004年05月10日(月)



 レゾンデートル(三回目)

「お金持にはお金持の、陰惨な悩みがあるものです。
諦めなさい。という優しい慰めに接しては、
泣かじと欲すも得ざるなり。」

という言葉を太宰の小説か随筆の中で
見た記憶がある。どれかは、忘れた。
「泣かじと欲すも得ざるなり」が
太宰の本音かどうかはともかく、
しかし、この言葉は同時に僕には
酷く絶望的に感じられもする。

どんなに頑張って、どんなに良いものを手に入れても、
人は常に、身悶えするような苦悩、苦しみと
戦っていかなければならないとすれば、
本当に、生きていく張り合いがなくなるのだ。

やはり、まだ、僕は
「僕は、人は何故生きていかなければならないのか、
わかりません。」と言わざるを得ません。

人はなぜ生きていくのだろうか。

けれども、
普遍的な答えを求めていないし、
普遍的な答えがあるとも、少しも思っちゃいない。
言い直すとこうだ。
「僕はなぜ生きているのだろうか。
そして、なぜこれからも生きていくのだろうか。」

「お前、何で生きてるの?」
そう、自分に問われて、
ちっとも分からない。その事実が、
僕に酷く頼りない思いをさせる。
その思いは、けれども、
僕の重大な欠陥のような気がしてならないのだ。

「分からない。」
その一言が、僕の将来と人生を黒く染めて
しまっているような気がしてならない。

「いずれにしても僕は、いつか、自殺に終わるのだ。」
と言う漠然とした不安の根拠も
結局はその一言に尽きる。

答えがほしい

2004年05月09日(日)



 感じること

最近、特に感じること。
「年齢」
自分の歳って言うのを良く感じる。
なんだか、つまらない。

内面では酷く悩み苦しんでいながら、
人にしゃべるときには、どこかで聞いたような、
怜悧狡猾な処世訓を言い、それをどこか擁護し、
その正しさを説く。

その自分の言葉の背景に
「俺は、もう望むべくも無い。
嫌なことを、嫌だと思いつつ、
それでも、受け入れざるを得ないのだ。
実に興醒めで、辛いことだ。苦しいことだ。
しかし、仕様が無いことなのだ。
本当に仕様の無いことなのだ。
だから、お前も諦めろ。俺は諦めた。
だから、お前も諦めなくちゃいけないのだ。」
というような、自慰とも自己正当化とも言うべき
心境があるのを感じる。
それは、僕がいわゆる「大人」達の言葉の背後に
感じ取ったものであり、僕がさんざんいやだと言った、
「苦労人」たちの教える教訓であった。

嫌なことだと思う。

しかし、どこか実感を伴って、
親父たちの心境も、今、
僕が持っているような心境なのだと感じる。

彼らもまた、「嫌なことだ」と思っているのでは
と思うのである。特にうちの親には感じる。

けれども、
「嫌なことだ」とは言えない。
「間違っている」とは言えない。
人間、間違っていることは出来ない。
嫌だ嫌だと思っていては、できないから。
正しいと思い込まないと出来ることじゃない。
それは彼らの生命線なのだ。と思う。

そうでないのなら、未だに僕には謎だ。

だからこの見解は、僕からしてみれば、
「苦労人」への善意的解釈と言える。

そんな風に、今までの僕と少しのズレを
感じつつ、それでも、まるでそんな「大人」に
なりきれていない自分に、今は少しの「安堵感」と、
そして大きな「苛立ち・焦り」を感じる。

ならないなら一生ならなきゃ良い。
なってしまうなら、一刻も早くなりたい

2004年05月08日(土)



 舞台の無い役者

時々、自分がプーであることを忘れて、
学生のつもりでいるときがある。

学生ではない。
それだけで、自分の生活が酷く
だらしのないことのように思えてくる。

学生の時と何も変わっちゃいない。
変わっていないことが、この上なくだらしのない、
恥ずかしいことのように感じる。
学生の良さは、その生活自体ではなくて、
「学生」と言う特殊な「身分」の良さなのかもしれないと思う。

ある2年生に
「こっちにいる間だけで良いから、
私と付き合いませんか?」と言われた。断った。
理由は色々ある。

一年前Dさんとの一件があってから、
やけに「もてる」。Dさんを除くと、
約1年間で5人の女の子から告白され、
そして、ふった。
全員、僕と同じ専攻コースの女の子達。
友人が
「このままじゃお前のコースは弾切れになるぞ」
「皆殺しにするつもりか」
っと笑いながら冗談を言っていたが、
笑い話には、あまりならない。

なぜOKと言わないのか。
それは前回の時に書いた。

「私の全部であなたを好きだった」
とドリカムが歌っていたが、
僕は、僕に告白をしたその子達の、各々、誰をも、
「僕の全部」で、僕が好きになるか、自信がない。

「全部」である必要はきっとないのだろう。
けれど僕は、「全部」で好きになりたいと思ってる。

やはり、恋愛においても、僕は幼いのだろうか

2004年05月07日(金)



 模試

某有名予備校の模試。
隣の県まで行かないと会場受験は
出来ないから、自宅受験。

今日やった。
なんだか・・・
今回の模試の専門試験は
もろに過去問そのままのような気が・・・。
特に法律系なんかは、
間違えるわけもないんですけど・・・。
直前なのに、
こんな基礎的なので良いのだろうか・・・。
と言っても、政治学・行政学は辛かったけど。

あんまり模試を受けているわけじゃないから、
よく分からないけれど、どうなのだろう。
公務員試験は6割〜7割にボーダーが来るように
問題が作られているとはいうけれど、
模試はもっと簡単に作られているのかしら。
かえって不安になる。


教養はやばい・・・。

2004年05月05日(水)



 生きながらえれば・・・

生きながらえれば恥多し。

「恥」
この観念。価値観。
とっても厄介なものだ。
僕を縛るもののほとんどはこの言葉と同義だ。
この観念が僕の中から消えたら、
どんなに僕は自由になれるだろうか。
どんなに楽になれるだろうか。

「恥知らず」
そんな、僕が一番軽蔑し、
一番嫌悪感を抱くような種類の人間に、
僕はなりたい。なってしまいたい。


「気の持ち方を、
軽くくるりと変えるのが真の革命で、
それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。」
太宰治『おさん』



それさえ出来たら、
何の難しい問題もない。

本当に、それさえ出来たなら・・・。

2004年05月03日(月)



 デタラメな本当

今度は眠れない。
不眠と多眠を繰り返す。
例外なく、いつものように、
いつもの反応。

誰にも会わない。
本当に、毎日、誰にも会わない。
頭がおかしくなりそうだ。

やにわに携帯のアドレスを全削除したくなる。
さすがにまずいから、メールを全削除する。
この頃は、10通も溜まらない。
何がしたいのか良く分からない。

院生になった友人が、
休日に僕を学校に入れてくれる。
そいつとは毎日話す。
以前よりもっと会話の内容はデタラメになり、
その分だけ、本当のことも以前より多く混じる。
笑えないことを笑いながら話す。

2004年05月02日(日)



 解夏

見えない人、見えなくなる人は、
こう言う映画やドラマにどういった心境を
持つものなのだろう。

僕は見る気にはなれない。

2004年05月01日(土)
初日 最新 目次 MAIL