一度だけの人生に
ひろ



 失明

僕の祖母は、当の昔に
医療事故で失明しているのですが、
その前から、眼は相当に悪かったようです。

僕の母はこれがまた昔から、
相当に目が悪くて、緑内障を発病しています。

一昨日、母から電話がありまして、
それによると、更に数日前にうけた検査で、
緑内障のほかに先天性の異常があるようで、
早いうちから治療を始めたので、完全に
失明することは無いようですが、
ほぼ確実に障害者レベルまで視力が落ちることに
なるようです。

その先天性異常の病名は、
聞いてくるのを忘れたとかで、
僕も知らないのですが、
どうやら遺伝性のものである可能性が高いみたいです。

僕ら兄弟のうち、
僕だけが母に似て、目が悪いです。
それでもまだ、母のように
異常に悪いと言うほどでは無いのですが、
年々確実に悪くなっていることから、
その異常遺伝子を受け継いでいる可能性が
兄弟の中では一番高いみたいで、
母も医師から「子供さんに良く言っておくように」と
言われたらしいです。



失明か・・・・。

2003年12月28日(日)



 泡の命

数年前、初めてリストカットをして、
自分は尋常じゃないと騒ぎまわった。
けれども、冷静な眼で周りを見てみると、
「なんだ、みんなやってることじゃんか・・・。」

リストカットなんて単なる趣味。



ある日突然発狂しただとか、
薬飲んで病院に運ばれただとか、
普通に接していた人たちが続々と
おかしくなっていく。そんな時代。

何も珍しいことじゃない。



「愛」と言う言葉の氾濫。
愛ってなんですか?
分からないことは口にしないのが良心的。

真摯に愛そうと思えば、
「愛」なんて言葉は簡単に使えない。
けれども、
「そんな生真面目な人間は魅力が無い。」
「ニュアンスで良いんだよ。
そう言う『感じ』があれば良いんだよ。」
「極論的には『嘘でも良いから言え』。」
と言うような意見もちらほら。

僕は一言
「そんな愛はいりません。」

ごまかしや嘘なら、最初から
無いと言ってもらったほうが有り難い。
僕は「好き」と言う言葉で十分。


2003年12月27日(土)



 喪失

僕は太宰では無いという確認作業。
そのつもりだったけれど、
分かってくることは案外に僕は太宰だと言うこと。

なぜそんな風に思うのか。
それは勉強している内に、
太宰が案外に分かりやすく、単純なように
見えてきたからだ。
そんなにたいした奴でもない。

そんな感じが、かえって僕と太宰を近づけた。


全ての原因は
「僕ら、恵まれすぎていました。」
「僕ら、怖れすぎていました。」
「僕ら、弱すぎました。」
そんなところだ。


太宰は言う。
「弱さは、罪なりや?」

生きていくためだけに、
弱さを、罪だと、悪だとは断じたくない。
そんなんじゃ納得できない。
そう思っていたけれど、
それは結局、自己弁護じゃないのかと言う気がしてくる。


理由はいつも単純なところにある。

そして問いも結局は単純なところに帰る。


「僕ら、どうして
生きていかなければならないのか分からないんです。」


「人間は、どうして生きていくのでしょうか。」


「何をしに、生まれてきたのだろうか。」



楽しさを見失った人間。


2003年12月26日(金)



 笑みの悲しさ

僕ら楽しいときは、明るく笑う。
悲しいときは、もっと明るく笑う。
心配されたら、笑ってみせる。
笑って見せられたら、笑って応える。

それは決して、
表面だけの付き合いと言う事を意味しない。
決して、適当にあしらったと言うわけではない。

それが一番の人と人の間の
優しさであるのだと最近、思う。


お互いの悲しさ、侘しさ、辛さは
全部、分かっている。いつでも感じている。
その「分かっていると言うこと」が大切なこと。


本当に分かっているからこそ、何も言えないんだ。



「わが友の、笑って隠す淋しさに、
 われも笑って、返す淋しさ。」 太宰治



生きていくことは淋しいこと。

2003年12月17日(水)



 ボーズ頭にも人権を

社会人になるための〜講座。。。

出てみようかと思ったけれども、
そもそも社会人とは何か・・・?

【社会人】
実社会で働いている人。


分かりやすい説明で・・・。

一生、クヨクヨしてながら
生きていきたいと思う、今日この頃です。


2003年12月16日(火)



 それでも人生は続く

23歳・・・若いなぁ。


若さは大切なものだとか。
若い頃しか経験できないことがあるとか。
若いってことはそれだけで希望が持てるとか。

早く、終わんないかなぁこの若さ。


そろそろ青春の独りよがりもお終い。
なんていってるうちは、まだまだ・・だってさ。


全部決まってしまえばいい。

「そんなこと言って。楽じゃないよ。」
「ふ〜ん、らしいね。やっぱそうなんだ。」



芥川は服毒。太宰は入水。
安吾は多少、「偉い」のかな?
麻薬中毒の上の脳溢血だってさ。
なんだかんだ言いながら、康成だって・・・。

お前は作家じゃないでしょう?



何を言ったって無駄だよ。
23歳の、「学生」

この暗く、嫌な年代を、黙って耐えて、
そのまま押し出されるまで。



リスカ自慢発見。
馬鹿な時代ですね。
黙って、あなたの命ください。
代わりに僕の命、いつでもあげます。

でも、きっと上手くいきませんよ。
そんなこと分かってるくせに、何が欲しいのやら。



「死んでもいい」
この言葉を軽く考えないでください。
結局、そんな結論になりました。


ちぇ・・・生きるっきゃないよ、バカヤロー!

2003年12月15日(月)



 断章

どうにもああいう男は好きになれない。
と思って、一言言って見たら、
自分の言葉が苦労人の説教でしかない
ことに気がついて、いやな気がしました。


笑っている人は「明るい。」
そんな風に単純に考えている奴が腹立たしかった。
外に見えているものなんて・・・。

語らざれば、憂い無きに似たり。

けれども

無いわけないじゃん。


この世の中の人と人の間では、
けれども、苦しいときは「苦しい!苦しい!」と
大声でわめき散らさない限りダメらしい。
悲しさを訴えない人には悲しさに一人耐える義務があり、
淋しさを訴えない人には淋しさを我慢する義務がある。



世の中には、
甘えて欲しいと思う人もいることを忘れてはいけない。



死んだって別に良い。
と思っている人が、案外に既存のルールに
深くこだわっているのは意外に思う。
死んだって別にいいのだから、
自分の望むような生き方をしてもよさそうなものだと思う。

馴れ合いも、依存も、同情も、
なんだって良いじゃないかと思う。

それでダメなら、死ぬだけだ。


やはり僕ら馬鹿馬鹿しいと言いながら、
そう思い切れていないところがある。


望めば、自分たちだけでも、
自分たちの身の回りだけでも、変えられるのに、
まだ、与えられたルールの与えられた価値観の中で、
「立派」に生きようと思っている。








2003年12月13日(土)



 卒論4

相変わらずの、卒論執筆オンリーの毎日です。

2万字くらい書いて、思った。
「つまらない」

執筆自体がつまらないって言う
そう言う意味もあるけれど、
僕の書いていることがつまらないと言う
意味でもあります。

まるで「太宰入門」・・・。

こんなことを
つらつら書いてどうなるのだろうと言うような
伝記・・・にも似た、何とも言えない内容です。

先生にも「伝記的になるのはしょうがない」とは
言われ、自分でもそんな感じにはならざるをえない
と言うことは分かっていたつもりだったんですが・・・。

自分の考えがこんな程度だったのかと言うことが
書いてみて分かってきて、つまらない思いです。

もう二ヶ月あったらもうちょっとおもしろい、
ましな文章も書けるのでしょうけれど、
今のままでは、何とも言えない注釈書に
なってしまうような気がして仕方ありません。

書いておくべきことが山ほどあるのです。
けれども、その一つ一つを書いていたら、
まったく何が言いたいのか分からない文章に
なってしまうから、取捨選択が重要になのですが、
自分にはそれがあまり上手く出来ない・・・。

何もかも重要な気がしてきて・・・。


2003年12月12日(金)



 九死に一生?

先日、後輩の色恋の
間になぜか立たされて、
ふった方、ふられた方、双方の相談に乗り、
助言をしたり、慰めたり・・・。
ただでさえ卒論が進まなくてイライラ、鬱々の
日々なのに・・・。

その夜は、帰ってからお酒を飲みました。
湯豆腐をして日本酒を飲んでいたのですが、
睡眠不足と疲労困憊で、途中で眠ってしまう。

そのまま朝方に。

カセットコンロの火が
消えていなかったようで、
鍋が焼けている・・・・。
コンロの近くでウトウトとやっていたせいで
(詳しい体勢の説明は面倒だから省くけど)
後ろ髪が焼けている・・・。

火事を起こすところでした。

焼死体と化すところでした。

運良く生きてました。
これまた運良く、髪の毛が焼けただけで、
頭皮には少しの火傷も負っていません。

けれども、結構根元に近い部分が焼けたために、
そのままでは部分ハゲのように見えるので・・・
結果、坊主頭となりました。
この寒くなってきた時期に・・・。
生まれて初めてです。ボーズ・・・。



火事を起こして周りや
家族に散々迷惑かけて死ぬなんてよりはましだけど・・・。
頭皮まで火傷して、
ハゲて生きていくよりはましだけど・・・。



2003年12月10日(水)



 勝負じゃない

23歳の男子がこんなことを
長々と書くのはとても気恥ずかしいことでは
あるのだけれど。


自分の身近な女の子を見て
感じたことをそのまま女の子一般として考えるのは
かなり乱暴だとは思うのですけれど、
あくまで私見と言うことで・・・。

恋愛は勝ち負けじゃない。
当たり前のことだと思う。
(特に告白等をした場合)
ふられたからって、それは負けたと言うことじゃないし、
ふったからと言って、自分が優っているなんて馬鹿馬鹿しい。
けれども僕のまわりの女の子達は
どうもそんな考え方、感じ方をしているみたいです。
ふられることは「屈辱」

ふられることは悲しい。
それなら分かるけれども、屈辱というのは分からない。
つまり恋愛は彼女たちにとっては
勝負であり、優劣を決定する試験でもあると言うことです。

ナンセンス。


それまで自分が相手をどれだけ好きか
聞いてる方が嫌になるくらい、とくとくと語っていた人が
ふられた途端に「あんな最低な男はいない。」などと
散々に悪口を言いだす。意味が分からない。

つまらない恋愛だと思う。


人に相談されたり、愚痴を聞かされたりすることの多い僕は
今まで男女問わず沢山の「ふられた話」を聞いてきた。
嘆き悲しむ人と、憤慨する人のだいたい二種類が多い。
憤慨するのはたいてい女の子。
男はいつまでもぐちぐちとへこんでいる。
全てに対してそう思うわけではないけれど、
僕は嘆き悲しんでいる人を見ると
「こういう恋愛をしたい」と思う。
憤慨して相手の悪口を言っている人を見ると、
その人がとても醜く、つまらない人のように見えて、
またその人の恋愛も、その人の「好き」と言う言葉も
とってもつまらない、小さなもののように思える。

「惚れたが悪いか?」
それは決して悪くない。
けれどもふった方も決して悪くない。


ふられたって、
好きな人は好きな人のままだと思う。
ふられたから好きでなくなるなんて、
そんなつまらない、都合の良い恋愛は無いと思う。
どうして相手の悪口なんて言う気が起こるだろうか?


「切り替えて次に行くのが大人やろ?」
ふられた2日後くらいに
そんなことを言ってけろりとしている子がいました。
「大人」と言う言葉が正確にどういう意味なのかは
分からないけれど、それが「大人」なら
大人の恋愛って言うのは実につまらないものだとおもった。

僕はふられたなら悲しむのが当然であり、
また良いことであり、かっこうの良いことだとすら思う。
ふられて、相手への嫌悪や憎しみが芽生えるなんて、
そんなのは「恋」でも「好き」でもなんでもないと思う。


恋の状態っていうのは普通に考えたら、
割に合わない、恥ずかしく馬鹿馬鹿しいものであって、
けれどもそんな割に合わないことを、やりたい、
やろうと思えることが良いのだと思う。
いわゆる「大人」と言われる損得勘定で、
割り切ったりできるものじゃ決してない。
損得を考えたら、恋愛なんか出来るものか。



恋は勝負じゃない。試験でもない。
また恋の良さとは「結果」でもない。



2003年12月05日(金)



 独り身生活

四年間もの間、
彼女がいなかった僕は
(Dさんとは付き合ったと言えるのかどうか・・・。)
だんだんと気性的にいわゆる「うぶ」
になったような気がしないでもない・・・。

まわりの友人には
「気分童貞」と言われたりしてるんですが・・・。
ここまでが前ふり。


僕の学部の男どもは
基本的に内向的な人間が大半を
しめていてチャラチャラしているような
男もあまりいません。いわゆる「ギャル」
もあまりいません。
女性の場合はそれでも他学部やサークルその他で
めぼしい男性を見つけて付き合ったりしているのですが、
男の場合は内向的だとどうにも・・・。
僕の同学年、つまり22、3歳の友人の中にも
生まれてこの方、女性と付き合ったことがないと言うような
奴がちらほらいます。

まぁ別に性格的なものもあるのだから
しょうがないとは思うのですが、
いくらなんでも・・・
と思うようなびっくりする男が時々います。

例えば親しげに二人で会話をしていたことを称して
「僕らいちゃいちゃしとった?」とか・・・。
いちゃいちゃ・・・。
普通に二人で話ししていただけなのに・・・。
あれがいちゃいちゃだったら、僕は普段、彼にとって
どんな破廉恥なことをやっているのだろうかと・・・。

例えば、手当たり次第に告白しまくって、
ある女性にふられて、その次にその友達に告白して
と言うようなことをし始める男・・・。

例えば、女子高生に何十万と貢いで、
「これ買ってくれたら付き合って上げる。」を
信じて、3日でふられる男・・・。


わが友人ながらなんとも・・・。

長年の女性日照りは男を発作的に発狂状態にして、
完全におかしくさせたりするようです。

2003年12月04日(木)



 今、そして

「人と比べるからダメなんだよ。」
「自信を持て。」

彼女の言葉は、唐突で、
そのせいか、僕に言っているんじゃなくて
自分に言い聞かせているように聞こえた。


まじめは損だ。
そんな言葉をどこかで聞いたことがある。
僕らはまじめだ。あまりにまじめ過ぎて、
少しも身動きできなくなっている。


「ダメ」
その自意識に身悶えして、怖れ、苦しんでいる。
そのことだけが僕らの本当。
それ以外はもしかしたら単なる感傷と、
ポーズでしか無いのかもしれない。




忠告を受けても、叱責されても、
中傷されても、僕らどうにも動けない場所にいる。
どうにも動けない。このまま流れていく。


この日記を読み返して思う。

最初っから、おなじことばかり言ってる。

2003年12月01日(月)
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