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■ 劣った子
みんな、何が楽しくて生きているのだろうと言う 疑問は、とても素朴で単純で、つまらないもの なのかもしれないけれど、だからこそ 一番強く意識されて、一番強く迫ってくる。
「私、そんな、苦労に耐えて、 我慢してまで生きていきたくありません」 自分の思いをドラマの中の中学生が 言ったときに僕はドキッとした。 ドラマの中でも、その言葉に答えは返ってこなかった。
なんら誇ることの出来ない生活を 選んで生きていくことに、覚悟を決めたと 思っていたけれども、プライドを克服することは 至難のわざだ。 「いずれにしても、衆に優れてあらねばならぬ」 と言うような気持ちを、はっきりと 持っているわけではない。 ただ、その教育を受けたことと、 期待を受けたことと、重圧を感じていることは本当だ。
言葉も、期待ももはや無いのに、 重圧だけが残っている。独りよがりの重圧。
何が「衆に優れる」だろうか。 僕は、とうの昔から、衆に劣っているのだ。 いや、最初から、少なくとも、優れてなどいなかった。
それが分かっていても、ひどく劣った子、 ひどく劣った人間だと言うことを本当の意味で 自覚することは、耐え難く恐ろしいこと。
2003年08月28日(木)
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