一度だけの人生に
ひろ



 マイナスの人間

やっぱり情緒不安定になってるかな・・・。
大丈夫、大丈夫って思って、なんとか
過ごしてる感じ・・。

不安・・・
何が、不安なのか・・・。
きっと彼女が誰か他の人のところへ
行ってしまうと言う不安じゃなくて、
彼女が僕に興味を持ってくれていないのじゃないか
と言う不安。
全く、必要とされていない不安。
僕じゃなくても良いと言う不安。

いてもいなくても良いってことは
つまり、いない方が良いってことじゃないかな・・・。

今に限ったことじゃないけれど、
僕は情緒不安定になると、
必ず子どもの頃のことを思い出す。
その事ばかり、反復して、考え、思い、
頭の中を支配する。


「僕は誰にも愛されない。誰にも必要とされない。」
「僕は生まれたときからの嫌われ者。
人に嫌われる素質を持って生まれてきた。」
「母にも、父にも、友達にも、先生にも
みんなにバカにされて、嫌われて・・・。
みんなの邪魔者。みんなにただ迷惑をかける。」
「いない方が良い」

言葉が頭の中を巡って・・・
そんな時に、太宰のこんな言葉を思い出して、
なぜか猛烈に吐き気を催して、トイレに駆け込んだ。

『僕たちマイナスの人間は皆、死んだほうがいいのだ。』




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上の僕の言葉。
書いていたら、涙がポタポタ出てきて、
ゼミ室で一人、泣いてしまいました。
涙が止まらなかった。

やっぱり情緒不安定みたいです。

2003年02月28日(金)



 弱い

一喜一憂ってきっとこういうことだな・・・。

脆いなぁ〜
せめてもう少し、
連絡を取ろうと努力してくれたら・・・。

せめて、ウソでも良いから、
「好き」って言葉を使ってくれたら、
もう少し、強くなれると思うのに、
どっしり構えていられると思うのに・・・。

全然、必要とされている感じも、
僕をもっと知ろうとする気も感じられなくて、
なんか下手したら、
「これってメル友よりも疎遠?」って・・・。

このやせ我慢、続くかな?



「でも好きなんでしょ?」

「うん、好きだよ。」って
言っていられるうちは頑張れると思うけど

2003年02月27日(木)



 普通言うかな?(笑)

前にも書いたと思いますけれど、
僕は「私、好きな人がいるから・・・」っと
言ってふられたわけです。

その好きな人が実在する人物か否かは
別として、彼女はその人にふられたらしいです。
Kさん情報では「君、頭、大丈夫?」と言われたり
したらしいですが・・・。
つまり、流れ的には

僕がDさんにふられる。
    ↓
DさんがX氏にふられる。
    ↓
僕がDさんから付き合ってと言われる。

と言うことになります。
イヤな言い方をすれば・・・
つーか普通の言い方なのかな・・・
「自分が、好きな人にふられたから、
一度ふった相手に声をかけた。」
と言う構図です。

「おいおい、ひろお。
それなのに、ホイホイと、言われるまま
お前は付き合ってんのかよ?」
と思う人もいるでしょうけれど、そうなんです。
「だらしがない」と思う人もいらっしゃるかもしれませんが、
それでも良いと思ってます。

恋は盲目・・・何て言うとバカらしいと
思われるかもしれませんが、
程度の差は有れ、男女の恋愛なんて、
はたから見たら馬鹿らしく、陳腐で、
キザなものではないかなっと・・・。

でも普通は前に想っていた人が、
まだ自分の心の中にいたとしても、
「やっぱりあなたが良いの。」とか
「前の人のことはもう好きじゃないから」
とかなんとか言って、
付き合いだすものじゃないでしょうか?
そうじゃないと一度ふられた側の立場が無いってもので・・・。

しかし、我がDさん曰く
「まだ前の人のこと好きで、
忘れたいと思うけれど、忘れられなくて・・・。
ひろお君に【好き】って言われた時、すごく嬉しくて、
それからちょっとずつ惹かれて行くの分かって、
もしかしたらこの人を好きに、想うようになれるかもって
・・・。でもまだ前の人のこと忘れられないから、
それを思うと、時期も時期だし、ひろお君に悪いと思って・・・。
もし付き合うのがイヤなら、いつでも言ってね。」

大変、正直なことで・・・。
「まだ前の人が好き」と宣言している人と
付き合っているのだから、
僕の人から見た「ふがいなさ」も相当なものだろうとは
思いますけれど・・・。

彼女の心の中に、他の誰かがいると言うことは、
前から分かっていたことですし、
彼女が「忘れようとしているんだけど」と
言っている限りはそれはそれで、今は良いかなと思うんです。
ただ、僕と付き合うことで忘れようとしているのは、
ちょっと引っかかりますけれど・・・。
好きな人を忘れるのって、他の誰かと付き合って
忘れられるものじゃなくて、かえって、
僕と一緒にいることで「やっぱりあの人が好き」って
想いにかられるのじゃないかと・・・。
このことはその内、彼女に指摘してみようかなっと思ってます。
でもこの事を指摘することって即関係解消につながりそうで、
ちょっと怖いわ・・・。

それよりもショックだった台詞は、上の、
「イヤになったら、いつでも言ってね。」
それはつまり僕に申し訳がないって気持ちが強いのと同時に、
そのくらいの想いしか僕に対しては無いのかなって・・・。
僕が「やっぱイヤ」って言ったら、
「じゃ良いよ。止めよ」ってくらいの・・・。
まぁそれくらいしかないのかもねぇ・・・(T_T

だから、僕と前の人とは全然別のこととして
考えて欲しいなぁっと・・・。
前の人を抜きにして、
僕のことを考えた場合、僕のことを好きになる
可能性がないと思うのなら、最初から付き合えないし、
好きになれると思うのなら、「前の人を忘れる」ってことを
頭から切り離して欲しい。
「前の人を忘れる」って言う意識がある限り、
僕は彼女に好かれたとしても、それって違うような・・・。
こういうこと、彼女本人に言うべき何ですけれどね。

電話やメールだといまいちダメなんだなぁ〜
やっぱりあって話しをしないと・・・。

書いてみて、客観的に見てみると、
俺ってもの凄い「都合のいい男」だね・・・。



『私、バカなことしてる?
ロジックじゃないものね、男と女は。』
BY某人気アニメ

2003年02月26日(水)



 事前協議なし 

僕らは付き合いの最初から、
一日もゆっくり話しをする時間がないまま
遠恋に突入という状況です。

僕は遠恋も初めてだし、
もちろんこんな状況も初めてです。

問題はない、普通の遠恋と同じと思っては
いたんですが、お付き合い一日目からの
遠恋と言うのは
予期せぬ問題を引き起こすものでした。
やはり付き合い始めは
ゆっくり話しをする時間を
せめて一週間、無理なら2、3日でも
良いからとっておかないと、
特に遠恋なので、お互いに些細なことが
不安や心配の種になって、
いきなり不安定な関係になってしまいます。

身に染みました。


2003年02月25日(火)



 友達?恋人?

「恋人」というものを、
やたらと「友達」とかけ離れた存在として、
彼女が考えていることは、
前から薄々分かっていたことだった。


「友達からお願いします」
それはそれで良いと思った。
実際、去年の9月後半くらいから、
毎日のように会っていたけれど、
お互い、そんなに深く、相手がどんな
人物か理解し合えているとは
言えなかったから・・・。
と言うよりは、彼女が
僕をどんな奴か
はっきりつかみ切れていないと言うか、
満足しきれていないと言うか・・・。

こういうことは、
どれくらい分かれば十分とか、
完璧とか言う事じゃなくて、
与えられた情報で満足できるか否かの
問題だから、会話をどれだけしたかとか
どれだけ長い時間一緒にいたかとか言うことは
ある意味、関係がない。

ああ、つまり、何が言いたいのかというと、
僕の彼女への想いと、彼女の僕への想いに
けっこうなボルテージの差があると言うことです。

それは別に良いのです。
いや、「良い」って言うといいすぎだけれど、
今はそれでも良いんです。

しかし、一つ不安が生まれました。

「【友達】からお願いします」

「束縛とかあんまりしないで、
【友達の】の延長みたいな感じで、
長くお付き合いできないかなぁ?」

友達・・・・。
まさか、本当に、僕は「ただの友達」と
しか想われていないのでは・・・。

遠距離恋愛であることを考えれば、
一方が一方を「ただの友達」だと想って、
付き合うことなんて、不可能です。

彼女は、もともとメール不精な人で、
5時間も6時間も経ってから、
返事が来るようなことは当たり前で・・・。
それもあって僕の不安は募り・・・。
ついに耐えきれずに、電話しました。

「もし僕が誰かに【彼女いる?】って
訊かれたら、僕は何て答えたら良いのかな・・・?
逆にDさんは誰かに【彼氏いるの?】って
訊かれたら、
何て答えるのかなぁって思って・・・」

『え?いるって
答えるけれど・・・。悪いかなぁ??』

「・・・・・・(驚&嬉)」


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三日目から
こんなことで、悶々としているようじゃ
だめなのかな・・・。

まぁ遠恋ってことを考えると、
けっこう重要なことなんだけどさ・・・。

2003年02月24日(月)



 今日から一ヶ月は・・・ 

会えない。

今日は彼女が引っ越しのために
こちらへ来ていて、
「別にかまわないよ。少しぐらい」
とは言っていたけれど、
半分無理を言ったみたいな感じで、
少しだけ会った。
わずか二十分、一緒にいるために、
お互い頑張ってると、「青春」って感じで
ちょっと楽しくて、ちょっとくすぐったい。

20分・・・
お互いに微妙に緊張しながら、話しをした。
僕が思っていたよりも
僕を想ってくれているのが分かって、
嬉しかった。
同時に、これからそうそう会えないと
言う現実がうらめしくなった。

「もっと早く出会えていれば
良かったのに・・・。
お互い同じ専攻コースにいて、
私、何やっていたんだろう・・・」
彼女のその言葉が一番嬉しかった。

電車で一時間の距離だから、
会おうと思って会えない訳じゃないけれど、
お互い、忙しいのがある。
分かっていたことだけれど、
やっぱ、辛いもんだな・・・。

でも、
彼女の心と生活の中に、
僕と言う存在の居場所がある。
それを思えば、ちっとも淋しくない。


今は、それだけで良しとしよう。


2003年02月23日(日)



 メール?

もともとDさんとはそんなに
メールをしあう仲ではなくて・・・

と言うのも、Dさんは
面倒くさがっているというのとは、
ちょっと違うと思うのですが、
メールをもらっても「すぐに返さなきゃ悪い」とか
「話題を広げよう」と言う意志があまり無いようで・・・。
それはDさんにメールを送っているKさんの様子で
前から知っていました。

ここ2・3日彼女とメールして、
それを体感しました。
午前中に送ったメールが午前中に返ってくることは
ほぼあり得ないようです。
5時間、6時間返事が遅れるのは当たり前で、
それで僕が250文字ギリギリまで
書いて話題を広げても返事は4・5行・・・。
日毎になれて来ましたけれども、
最初の日はけっこうなストレスになりました。
「これってホントに付き合って二日目のカップル・・??」
って不安と焦燥・・・。
遠恋なんだから・・・毎日電話は無理でも、
せめてメールくらいは頻繁にして欲しいと思いました。

まぁ日毎に僕も慣れてきたし、
あちらも積極的に返してくれるように
なってきていますけれども・・・。

2003年02月22日(土)



 強くなりたい

注、21日の日記を先に読んで下さい。


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本当に、望んでいたことなのだけれど、
不安は、本当に大きい。Kさんから電話を
もらってもすぐに電話できなかった。
それは緊張と言うのもあったけれども、
やはり付き合うってことに、
尻込みしそうになったのが大きいかもしれない。

「最初は自分から告白したくせに、
何言ってやがんだい」
と思う人もいると思いますが、
それは、そうなんですが・・・・。
僕が告白したときに知らなかったことが
ふられてから少しづつ分かってきて・・・。

その大きな一つに・・・
にわかには信じられない話ですが・・・。
話しとしては、そう言うことも
あるって知っていたけれど、
実際身近になってみると、理屈と感覚の
ズレとでも言いましょうか・・・。

僕は「私、前から好きな人がいるから・・・。」
ってふられたわけですが、
その、Dさんの言う「好きな人」・・・
実在しない可能性があるみたいなのです。
それは、いないのに、僕にいるって言って、
僕をふったと、そう言うことではなくて、
いないのに、彼女自身がいると思い込んでいると言うことです。

あるいは相手が全く存在しない人物と言うわけでは
なくても、彼女がその人について言うことは突飛すぎます。
笑っちゃうくらいと言う副詞を使うのは
気が引けますが、それくらい、ぶっ飛んでいます。
「恋愛妄想」と言うのでしょうか・・・。
彼女はその人の新幹線で会いに行ったと
言っていますが、その形跡が全くないとか・・・。
極めつけには相手の名前が途中で変わったと言う・・・。
実在したらしたで、その人のこともありますし・・・。

病気に加えて、
彼女は卒業ですから、
最初から遠距離ということになります。
と言っても鈍行で一時間ですから
中距離とでも言いましょうか・・・。
まぁでも会おうと思っても、すぐには会えないわけで・・・。

他にも就職、彼女の僕への気持ち・・・。


書きたかっただけです。
これくらいのことは予想はしていましたし、
色々な困難があるのは、好きになったときから、
分かっていたことです。

頑張ろう。ちょっと強くなりたい。なろう。なる。

2003年02月21日(金)



 始まり

完全に、諦めモードで、
昨日の日記でも、「もうメールしない」と
言ってて・・・。

今日の昼頃、Dさんから電話がありました。
「明日、学校行かないかな?
会って話しがしたいんだけど・・・」っと・・・。
一度ふった相手を呼び出すのですから、
どんな話しなんだろうと・・・。

本当に不思議な人なので、何を言い出すか
分からないところがあって、
「もう一度改めてふられる」
「最後にちゃんとお別れのあいさつを」
「Kさん関係のお話」
「いや、もう少し連絡を取り合いたいって話かな」
などと言うことも頭を巡って悶々としていました。

そしたら夕方。
「やっぱり、やめておく。
またの機会にする。」と言うメールが来て・・・。

僕は、改めて言うまでもなく、
まだ好きですから、もう、ストレスで
死にかけていました。

そうしたらKさんが、
(詳しくは書いていないが、
Kさんとはこれからも友達と言うことでお互いに納得済)
電話をくれて、
「Dがひろおと、付き合いたいって。
でも、一度ふってるし、今更こっちから
やっぱり付き合ってとは言えないって言ってるよ。
どうするかはあんたが決めな。付き合いたいなら
今すぐ、彼女に電話しろ。」と言うことでした。

僕は・・・
いろんな事で、やっぱり少し迷いましたが、
でも、好きだから・・・。

彼女の病気のこと。僕の心のこと。距離。気持ち。
色んなことが不安で不安で仕様がないけれど・・・。

でも、「好きだから」

2003年02月20日(木)



 へ!?

17日に追いコンがありました。
四年生はこの日以降は本当に学校に
来ることがなくなります。

Dさんの最後の僕への言葉は
「暇があったら、メールしてね。」
・・・それまでも特にメールを頻繁にしあう仲では
なかったので、ビックリして「へ!?」って言ってしまいました。
その後、一人でくすくす笑っちゃいました。
それが彼女の僕への精一杯の気遣いなんだと思いました。
きっと、メールはしないし、できないけれど・・・・
なんだか、おかしくて、嬉しくて、
「やっぱり俺はこの人が好きだな」って、また思いました。

なんだかんだ言ってここ2、3ヶ月は
このことが、僕の心の中のほとんどを占めていたわけで・・・
もうこのことは考える必要も、甲斐もなくなったと
思うと、心の中身が空っぽになってしまったように感じられ、
淋しいやら、虚しいやら・・・・

Kさんのことは、
なんだか妙な感じに落ち着いたというか・・・。
女性のプライドというものはあなどるべからずと言った感じで、
まぁこういうこともあるのかなぁっと・・・。


あ〜あ、これからどうしよう・・・。

2003年02月19日(水)



 倫理

生きていく上での倫理。

18、19歳頃からでしょうか、
僕の苦悩、なんていったら大げさかもしれないけれど、
生活することにちょっとした苦しみを感じるようになったのは。

「もっと身勝手に生きればいいのに・・・」
そう、人に言われたことは、今まで何度となくあった。
それが僕にはうまく出来ない。


「どんなことでも、決して人の迷惑になってはいけない」

僕の中でこれほど強烈な思い、倫理は他にない。
理屈ではないのだ。

だから僕は人に心配されることも、苦しくて仕様がない。

自分の為に、他人を犠牲にすることが、
僕の場合、それがどんなに些細なことでも、辛いのだ。

つもりつもる罪悪感。
あれもこれも、考えれば考えるほど、
僕が生きていること自体が、人の迷惑なのだと言う
気がしてきて、辛い。

こんな思いじゃ生きられない。
人の為にも、自分のためにも生きられない。

2003年02月18日(火)



 イムソムニア

僕は、僕が神経症なのか、
あるいはボーダーなのか、あるいはACなのか
それとも全部か、どれでもないのか
分からないけれども、
身体的な症状と言うのは今まで
特になくて、人の視線が怖くて時々足が震えたりとか、
不安で動悸や息切れ、体が強ばったりとか
それくらいだったのですが・・・。

ここ2、3ヶ月、情けないことに
恋のゴタゴタが始まった頃から、
どんどん眠れなくなってきました。

恋をすれば、誰だって、
眠れなくなるものだと思いますが、
それにしても眠れないときは2時間も
眠れないのだから、「恋の不眠」にしては
少し辛すぎるような気がします。

前々から、あんまり寝付きの良い方では
なく、また、日常些細なストレス以上の、
イベント的ストレス(?)があると
必ず不眠になるので、素地はあったのかもしれません。
そう言った時はたいていそのストレスの原因となった出来事が
解決すると次第に解消されていくのですが・・・。

この2、3ヶ月で最もよく眠った時で、
6時間で、しかもそれは日本酒を一升半も飲んで、
意識を失っていたような状況でのことで・・・。

ふられてから二ヶ月も経とうとしているのですから、
いい加減「恋の不眠」なら終結しても
良さそうなものなのに・・・。

昨日は、一昨日から28時間も起き続けて、
「さすがにこれで眠れるだろう」と思って寝たのに、
3時間ちょっとで目が覚めて、それから眠ることが出来ず、
起きっぱなしで、どうもボーっとして、足がふらつきます。

眠いのに眠れない・・・。

もうちょっと様子を見ても
こんな調子だったら、これはさすがに
耐えられそうもないので、病院行きになりそうです。

2003年02月17日(月)



 チャンス

ふられた後も、色々とあって、
結局、17日、決定的な最後の日まで
引きずった今回の淡い恋でした(淡い・・・淡くないか?)

普段の僕のキャラとは違った言動、行動で、
周りの友人達にはひんしゅく・・・とまでは行きませんが、
それに多少似たものをうけていました。
「自分のプライドは守りつつ・・・
何て言うつまらない恋愛はするつもりないよ。」
なんて格好の良いことを言っていましたが、
要するに、節度のない恋をしたと言うことです。

「今回くらいの情熱でのめり込んだら、お前なら、
相手次第によって簡単に落とせるだろ?
今回は、お前、相手が悪かったよ。」
友人の一人の感想です。
なんとも・・・・まぁ身も蓋もない。

さぁこれで、まぁ大学では彼女が出来なかったと言う
結果に終わりそうでして・・・。
普通の大学生は普通に暮らしていれば、
四年間で、普通は一人・二人の彼女が出来るのでしょうが・・・。
僕だって、二十二歳の男ですから、不名誉と言ったら
言い過ぎかもしれませんが、あまりいい気持ちはしないものです。

別に、僕は普段から、女性に興味がないかのように、
キザに木石を装っていると言うわけでもなく、
また、意馬心猿なりといえども、いかんせんもてず、
女性から全く相手にされていないと言うわけでもないようで・・・。
Kさんから「あんた後輩の子達からやたら人気あるよねぇ?」
っと言われましたが、僕にはなんだか寝耳に水のことばかりで、
後輩って、果たして誰のことだろうと本当に判らない有様で・・・。
つまり、何というか、僕には
女性の自分への好意にかなり鈍い所があるようで、
第三者に指摘されないと全く気が付かないくらいなのです。

そう思って振り返ってみると、
いくらかは僕にも「チャンス」と言うようなものも
あったのかなっと・・・。
つまり、僕に意志がなかっただけのことか・・。




「少なくとも恋愛は、チャンスでないと思う。
私はそれを、意志だと思う。」

太宰治『チャンス』より


2003年02月16日(日)



 

良い人になるのなら、
誰にも悟られない、本当の良い人に
なればいいのに・・・・。

みんな、僕は辛いですよ。
そのゼスチャー。
我ながら、イヤらしいことこの上ない。
誰かが見てくれないと、誰にも優しくしない。
誰かが見ていないと、少しも人に手をかさない。
誰も見ていなければ、
自分のことばかり考えている。

しょせんこの程度なんですよ。

自らの身振りで招いたことだから・・・。


「こんな樹の名前を知っている?
その葉は散るまで青いのだ。
葉の裏だけがじりじり枯れて虫に
食われているのだが、
それをこっそり隠して置いて、
散るまで青い振りをする。
あの樹の名前さえ判ったらねぇ」

太宰治 『葉』より



2003年02月15日(土)



 5歳まで

僕は幼い頃、特に3歳くらいまでの
期間だが、父方の祖父母の家に預けられることが多かった。
3歳と、正確に憶えているわけじゃないけれど、
両親の話を聞くと、だいたいそのくらいだったようだ。
実際、幼い頃の記憶は祖父母の家の記憶が多い。

両親は母方の祖父母の母屋のような所で
当時は暮らしていた。

両親、特に母親は、僕にとても厳しかった。
叩かれたり、蹴られたりすることは毎日のようだった。
特に多かった罰は、深夜に僕を外に引きずり出して、
玄関の鍵を閉めてしまうことだった。
僕は玄関で「ごめんなさい、ごめんなさい」と言って
泣いている。しかし、泣き叫んでいるときは決して開けては
くれなかった。たいていは泣き疲れて、静かになると、
開けてくれたものだった。しかし、途中から僕がそのことを
察知して、「泣きやめば入れてくれる」と思い、
必死で泣きやんだりしたので、母親は、そのうちに
泣きやんでも入れてくれなくなった。

理由は、些細なことが多かった。
食事の作法のことが多かったような気がする。
「ごはん、みそ汁をこぼした。」
「テーブルに肘をついた。」
「口に食べ物を入れたまましゃべった。」
「食べるときに音を立てて食べた。」
「食事中に正座を崩した。」
「食べるのが遅い。」
憶えているだけでもこれくらいはある。
食事の作法以外にも「口の効き方が悪い」
「客に自分からあいさつをしなかった」などなど・・・。

食事中であれば、その時点で最低でも食事抜きになる。
基本的には上記のように外に出される。
悪くすれば、散々叩かれた後に外に出される。
食事抜きも、家族が食事しているのを
隅で正座してみていなければならず、
正座を崩せば殴られた。一人、隅でメソメソ泣きながら、
「いつまでも泣いているな!うるさい!」と叱られることも
あり、それでもっと泣いてしまい、結局外に出されることが
多かった。

母方の祖父は、僕の姉を溺愛し、
僕を毛嫌いした。それは2、3歳の子どもに対する
態度としては、僕の両親でさえ、自分達のことを棚に上げて、
「そんなに酷い扱いをしなくても・・・。」
と思うくらいだったらしい。
「こんな奴は、将来ろくなものにならない。」
と言われていたらしい。
姉と僕が一緒に怒られて、外に出されたとき、
祖父は姉だけを家に入れて、僕を入れてはくれなかった。
上二つは僕自身は憶えていないが、それだけは憶えている。

父は母親ほど癇癪持ちではなかったけれども、
怒るときは、母のそれよりもっと激しく、
暴力的だった。母のように外に出したり、押入に閉じ込めたり
と言うようなことは無かったけれども、
もの凄い大声で怒り、とにかくいつも手をあげた。

幸か不幸か、病院に行かなければいけないような、
大きな怪我を負わされたことはなかったけれども、
鼻血や顔が腫れ上がるくらい殴られることは、
たびたびあった。

父方の祖父母は僕が、長男の長男と言うことも
あるのか、あくまで比較的だが、僕を可愛がったくれた。
しかし、父方の祖父は重度のアル中で、
酒が入っていなければ大人しくて良いのだけれど、
酒が入ると暴れることがあって幼心に怖かった。
父方の祖母は、自分の3番目の子、つまり僕の叔父さんで、
実はこの人は養子で、僕とも10くらいしか年齢が違わないのだが、
その叔父さんを溺愛し、常に僕を差別した。
この叔父さんを僕は当時大好きだった。
いつも遊んでくれたからである。しかしこの叔父さんも
一癖あって、すぐに怒る人だったが・・・。
僕は自然とこの叔父さんの真似をするようになったが、
それが両親のしゃくにさわり、ある夜に叔父さんと僕の
二人が父に呼び出されて説教された。
それが終わった後に僕は叔父さんから、
「お前が悪いんだ。真似すんな!近くに寄るな!」
と言われた。僕は心底両親を憎んだ。

とにかく僕は父方の祖父母の家に馴染んだのである。
それに関係したことで、一つはっきりと
記憶に残っていることがある。
ある夜、僕は母に怒られて泣いていた。
その時につい、
「なんで僕ばっかり怒るんだ。
僕はおじいちゃんの家に行きたい。
おじいちゃんの家の子どもになるんだ。」
と口走った。
それを聞いた母親は激怒して、
僕の服や荷物、なにから何までをまとめて、
紙袋に入れて玄関の外に放り投げて、
僕に保育園の制服を着せ、僕に2千円か3千円くらいの
お金を渡して、
「タクシーを呼んでやるから、一人で行け!
おじいちゃんの家が良いんだろ?
良いよ。おじいちゃん家の子どもになれ!」
と言った。僕が面食らっていると、僕を外に引きずり出して、
「お前はもう、うちの子じゃない!どこにでも行け!」
と言い、玄関の鍵を閉めた。
僕は玄関で、母親の手渡した千円札数枚を握りしめて、
いつまでも大声で泣いていた。
まだ、その時、僕は四歳か五歳くらいだろうと思う。
六歳になっていないのは確かである。

もう一つ、僕は母の姉、
つまり伯母さんが怖かった。
と言うのはこの伯母さんは母に
暴力と言う要素を足したような人で、
従姉妹はこの人にいつも叩かれ、
顔を腫らしていたからである。
僕は従姉妹達の様子を見ていて、
本当にこの伯母が怖くて、できればあんまり
接したくなかった。
ある日従姉妹と僕ら兄弟みんなが、
この伯母さんと一緒にお風呂に入ると言うことに
なった。僕はそれを嫌がった。
「お母さんと一緒に入る。」と言いはったような
気がする。それを聞いて怒ったのは母で、
「そうか。お前はお母さんと入るのか。」
と言って僕を服のまま、浴槽の中に入れて、
頭を湯の中に抑えつけて、「ほら入れ、入れ」と
言った。窒息とまでは行かなかったけれど、
けっこうお湯を飲んだ。
その後、浴槽から出されて、
「服を脱げ」と言われて、上着を半分ぬいで、
頭が服から出るか出ないかの所で、
お湯をかけられ、「そのまま」と言われた。
水を吸った服で呼吸が苦しかった。
そのままの状態で、風呂場の電気を消されて、
ずっと泣いていた。




だいたいこんな毎日が、僕の5歳までの人生でした。

2003年02月14日(金)



 10歳まで

僕ら家族は僕が六歳、
小学校一年生の一学期の時に、引っ越しをした。
引っ越したところは、
元住んでいたところから、
車で30分くらいの、そこよりも多少都会の街だった。
都会と言っても、ド田舎と田舎の差みたいなもので、
どちらも田舎であることには変わりがなかったが・・・。

その家に引っ越してきて、
母はあまり派手に僕を折檻しなくなった。
と言うのも前の、いわゆる「ド田舎」では
隣の家の子どもが深夜に外で泣き叫んでいようが
何をしようが、他の家のことには干渉しないと言う
慣習と言うか常識というか、そんなものが強かったが、
引っ越してきた「田舎」では、
隣の家の子どもが深夜に外で泣き叫んでいたら、
「どうしたの?」と言うくらいの人情があったからだ。
引っ越した家でも、数回は外に出されたことがあったが、
さすがに毎日のように続くので、ある日隣家の老夫婦が
「子どもにそんなことをするものじゃない」
っと母に注意し、さしもの母も世間体のためか
深夜に外に引きずり出すことはしなくなった。

それ以降、母の僕への罰は
基本的に「平手打ち」となった。

入学したての小学校を
一学期で転校することになった僕は、
転校先で「転校生のくせに」と言うお決まりの
差別を、例に漏れずうけることになった。
小学校三年生くらいまでは「転校生のくせに」を
言われたような気がする。このころに僕は
あまり同級生と遊んだ記憶がないのも、
そのせいがあるのだろうと思う。
近所の上級生とばかり遊んでいた。
上級生というのはあまりそんなことを気にしないものだ。
そして、今後小中学校を通して、
僕は先輩から可愛がられ、同級・下級生からは
嫌われると言うことになる。

小学校に入ると、
母は僕に「勉強、勉強」と言うようになった。
夜10時くらいまで、僕の横で勉強を【教えていた】
一度間違えれば、一度叩かれる。
母の怒声を浴び、平手打ちをくらい、
僕は怖くて、辛くて、涙をポタポタ落としながら
ひらがなや漢字の書き取りをしていた。
泣いたから、もっと叩かれた。
涙でノートを汚したから、もっと叩かれた。

父はそれほど変わりはしなかったけれども、
突然、烈火の如く怒りだすので怖かった。
母は、それでも、なぜ怒るのか分かったから、
(つまり漢字の書き取りが出来ないとか
ご飯をごぼしたとか)
そんなに怖ろしくも無かったけれども、
父は子供心には理解の出来ない理由で怒り出し
母も誰も、手のつけようもないほど怒るので
本当に怖かった。
父は怒ると必ず僕に「あやまれ!」と言うのだった。
要領の良い姉などはすぐに「ごめんなさい」と謝るのだけれど、
僕はどうしても自分が悪いとは思えないこともあり、
また、「ごめんなさい」と言うことも怖ろしく、
なかなか声が出ずに、ずっと黙ったままで、なお父を怒らせた。

学校のことでもう一つ。
僕が小学校三年生の時の担任の先生が
昔気質の頭の固い先生で、その人は習字を
教えるのが専門?のような先生で、
多分段位なんかも持っていたのだと思うけれども・・・。
その先生が、ある日突然、僕の家を尋ねてきた。
母と僕と二人して話しを聞くには、
「ひろおくんは左利きですね。
左利きはよくありません。今のうちに右に直して下さい。
左は何をするのにも良くはありませんから。」
と言うことだった。
子供心にも、すごくイヤだった。
自分が何か、酷く劣った人間みたいに言われて、
そんな気がして、イヤだった・・・。




だいたいこんなところが小学校四年まで、
5歳から10歳までの僕の人生です。

2003年02月13日(木)



 12歳まで

家庭での両親の暴力が、
あまり目立たなくなってきた小学五年生になったころ、
僕のクラスで、イヤな「遊び」が始まった。
イジメである。

田舎の学校で、しかも大きな小学校が
割合近くにある、学校だったので、
生徒数が少なく、特に僕の代は少なく、
一クラスしかなかった。
その一クラスしかないところで、
イジメである。あれは地獄だった。
イジメの理由なんて、どこでも同じで、
「何でも良い」のである。
特に僕の経験したイジメは、やっている方は
「遊び」の感覚が強かったと思う。
クラスの有力な男子グループが、
男子でも女子でも良いから一人に
目を付けるのである。
「あいつをハブにする。」
(ハブというのは「はぶく」から来たらしい)
と言うことになれば、次の日から
クラスの全員がそいつと一切口をきかないのである。
無視。完全な無視。
クラスの全員、一糸乱れぬ完全な無視。
そのいわゆる「ハブ」された奴が、
それでもしつこく食い下がれば、よってたかって
バカにするのである。

僕は当初、実はその「有力グループ」の一人だった。
だから僕はイジメていた方でもあったのだ。
しかし小学校五年のある日、僕はその
有力グループのリーダー的存在の男子にたてついた。
そして、次の日から僕はハブかれた。
特に僕の場合は他の奴らと違って、
「たてついた」ことから、イジメは酷かった。
話しかけても、もちろん一切無視。
どんなことでも仲間はずれ。
体育の時間にはバスケなどのどさくさで
殴られたり、蹴られたり、ボールをぶつけられたり・・・。
悪いことに僕は5年生、6年生の時の担任に、
酷く嫌われていたのである。

僕は今まで「良い先生」と言う人種には会ったことが
無いけれども、中でもこの先生は酷かった。
今思っても最低である。とにかく、とびぬけていた。
クラス一丸のイジメですから、当然僕が
今までいじめてきた人も、今度は僕をいじめる側に
なるのです。さすがに僕もそれはどうしても
許せず、そいつらと殴り合いの喧嘩・・・と言っても
小学生の喧嘩ですからとっくみあいですが、
喧嘩をすることがありましたが、
そう言うときは決まって、僕だけが怒られるのでした。
「お前はいつもみんなに迷惑をかけるんだな」
と言われ、イジメにも気づいているはずなのに、
一切何もしませんでした。
いえ、むしろ僕はこの先生にもいじめられていたのです。
とにかく僕のやることなすこと一切をけなす人でした。
僕が将来「警察官になりたい」と言ったときも
「へっ笑っちゃうね。お前みたいな奴がなれるわけないじゃん」
と平気な顔で言うのですから・・・。
この先生には、後に、再び会うことになります。
それは僕が市内で唯一の進学校である高校に合格が決まったあとで、
友人達と小学校で待ち合わせをしていた時に、
その教師が偶然、車で小学校に入ってきたのでした。
僕の友人(実はこいつをあまり「友人」とは呼びたくない)が
「ひろおはM高校に行くんだよ。凄いでしょ?」っと
その教師に言ったのです。M高校には僕の中学では
一年に五人くらいしか行かないので、まぁ出来の良い奴が
行くところと言うことになるのです。
あくまで田舎レベルのことですが・・・。
そうしたらその教師は
「はっ?お前なんかが、一体何しに行くんだ?」
と言いました。
さすがに僕も仰天しました。
どうして卒業して三年も会っていない自分の教え子が
高校にうかったというのに、そんなことを言うのか・・・。
とにかく酷い先生でした。


僕の小学校5年生と6年生は
そんな先生と同級生のイジメの記憶しかありません。
正直、もう学校がイヤでイヤで仕様がなかったけれど、
「学校に行きたくない」なんて言えば
両親に、どんな目にあわされるか分からなかったので、
耐えました。本当に、耐えました。
「死のう」とは思いませんでした。
「死にたくない」と思っていたから、生きて来れました。


両親も怖くて、友達も怖くて、先生も怖くて、
一人ベッドでメソメソ泣いていたのが
僕の10歳から12歳の人生でした。

2003年02月12日(水)



 願い


「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より


「君が死ねば、君の空席が、いつまでも私の傍に在るだろう。君が生前、腰かけたままにやわらかく窪みを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷い椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する。神も、また、この空席をふさいで呉れることができないのである。」

太宰治『もの思う葦』より

本当に、あなた以外の誰も、
この空席を埋めることは出来ないんです。

2003年02月10日(月)



 二度目の 

マロリーワイス症候群。。。

太宰・・・とか呟いてみる・・・。
ただの飲み過ぎだって・・・。

僕はお酒は嫌いなんです。
好きじゃありません。


『マロリーワイス症候群 Mallory-Weiss syndrome』


概念
嘔吐などによって食道内圧が上昇し、その結果として食道下端に生じた粘膜の縱走裂傷である。

病因
嘔吐によって食道内圧が亢進
アルコール過飲がもとにあることが多い。
食道下端の輪状筋が弛緩能力を低下させたこと

症状
激しい嘔吐後の吐血

治療
輸液や内視鏡による止血などの保存的治療で自然に軽快する。


2003年02月09日(日)



 苦笑

「お前は、どうしてそんなに自分の体をいじめるかねぇ〜」

こんな風に言われるとは思っていなかったので、
少し驚きました。そいつらにはリスカのことは話していないし・・・。
アルコールのことです。
まぁリスカのことも、おそらく多少
勘づいてはいるのだろうと思いますが・・・。


こんな風に心配してくれる人達には、
素直になれたら良いのに・・・・・。


「男、二十二歳。こんな風にむやみに
タバコや酒ばっかりやっているようじゃ、ダメだね。」
と言ったら、みんな淋しそうに笑ってました。

2003年02月07日(金)



 あなたの性格

この間のうちの演習のテーマは、
「自殺について」

特にこういう話の時は、
僕はほとんど発言しません。
発言できません。
話しているうちに感情的になってしまって、
僕の少なからずの自殺念慮が周りに悟られるのが
怖いからです。悟られはせずとも、
明らかに普段と違った感じになってしまう
気がしてしゃべれません。

流れの中で、イジメの話が出てきました。
その時、この日記にも1、2度出てきた、
僕のコースの女性教授が、
「私は昔いじめられて、自殺しようとも思ったのですが・・・」
と話し始めました。
ビックリする一方で、その教授の普段の性格を
考えると、なるほどとも思いました・・・。

イジメ・・・
イジメは大変なことです。
僕自身、経験者としてそう思うし、
周りの人を見ていてもそう思います。

イジメがなかったら、僕の性格は
今とは全然違ったろうと、僕は確信しています。
そりゃ、そんなこと言い始めればイジメ以外だって・・
っと言う人もあるかもしれませんが、
イジメの場合は、これは特別に、そして確実にそうだと思います。

大学生くらいになると、
ある程度、「私はいじめをうけた」と友人にもらす
人がでてくると思います。

イジメを受けた人は総じて
臆病で、いつもびくびくしています。
自信なさげであり、自虐的と言っても良いくらい
内罰的な性格の人が多いです。
もともとの性格はあれど、
おそらくこんなには酷くはなかったでしょう。


イジメ・・・
あの時に、死ななかった理由は
僕は、まだわからない。

2003年02月06日(木)



 いつ頃だったか・・・

日記を書いていたら人が入ってきたので、
メモ帳に写していた文章を発見。
途中までだったので最後まで書いて載せる・・・
なぁんてこんなこと言わなきゃ分かんないのにね・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後ろ向きな
考え方も、ここまで来ると
少し、いや、かなり滑稽なものが
あると思いました。

この日記を読んでくれてる人なら
多少は分かっていると思いますが・・・。

何か楽しい予定が入った場合、
普通、人はそれを、ただ楽しみに
するものでしょうが。

自分の場合、その楽しみな予定まで
どうやって過ごそうかと考えてしまいます。
自分の場合、その楽しみな予定の後、
どうやって過ごそうかと考えてしまいます。
その楽しみな予定よりも、
その前と後の虚しく感じられる生活の方が、
際だってしまうのです。
だからその予定が楽しみなものであれば
あっただけ、より「それまで」と
「それから」が虚しく、淋しく感じられて、
その予定自体がなんとなく
イヤなものにさえ思えることもあります。


自分は「ぬか喜び」と言うのが
大ッ嫌いなんです。いや、もちろん
好きな人がいるわけないんですが・・・。
期待したことが、楽しみにしていたことが
それがどんなに少しの期待や楽しみでも
ダメになってしまうのが、
本当にイヤ・・・と言うよりも「恐ろしく」
周りの人からみれば、どうしてそんなことで
と思うような些細なことでも
大変落ち込んでしまいます。
だから、とても楽しみな予定が入ると、
それまでの毎日が不安で、ドキドキして落ち着かず、
本当に「こんな思いするくらいならもういいよ」と
思ってしまうほど、疲れ切ってしまうのです。

本当に、我ながら損な性格です。

2003年02月05日(水)



 これだけ?

色々と言ってるけれど、
結局、Kさんはタイプじゃない・・・
それだけじゃない?

そんな考えがフッとよぎったら、
バカバカしくなってきちゃった。

つまり、そう言うことなのか・・・・

2003年02月04日(火)



 あれもこれも

どういう風に接したら良いのか・・・
以前と違う風に接して、
下手に優しくしても、その気がないのだから、
かえって残酷。
かといってカマトトぶって、
まったく聞かなかったように接するのも
残酷なような気がする。

考えるほど、
早いうちに言ってしまった方が
良いようにも思えてくるけれども、
そうしたら・・・。

どっちにしたって、
片想いに終わる恋は、傷つかなければ
ならないって、そんな風にドライに考えても
やっぱり怖い。
ヒトを傷つけるのは怖い。

友達として、大切な人だから、
なお辛い。良い子だって分かっているから辛い。

でも、Dさんに対する感情と比べたら、
やはりKさんに対する感情は全然違う。
人間的な魅力は感じても、女性としての魅力は
Kさんにはあまり感じない。
これが「タイプ」というものなのかもしれない。


もう、学校に来る必要が無くなったはずの
Dさんが、一週間に二度ほど、勉強をしに学校に来る。
少しイヤで、少し嬉しい。
会うと、やっぱりダメ。ぶり返す。

2003年02月03日(月)



 頭が働かない・・・ 

どうも昨年末から
色々あったせいで、精神的に
落ち込み気味です・・・。

恋愛すると自分の
色んな部分が見えてきて、
それが、自身で受け入れることの出来ること
ばかりなら良いのだけれど、
そんな部分だけじゃなくて・・・

ふられるより、ふる方が辛いって
本当なのかもしれないなぁ〜〜

どっちも辛いのは同じだけどさ


2003年02月02日(日)



 弱さ、強さ

僕がこうすれば、あなた嬉しいでしょう?

そう思ってやっていたことが、
いつの間にか相手にとっては当たり前になってしまって、
やらなければ嫌味を言われるほどになってしまう。

何かがおかしい。何かが間違っている。

僕は、嫌味を言われても、
その無償の行為を止めることが出来なくて、
いつまでも流されて、相手の思うように
動いてしまう。

どうして、そんな風になってしまうのだろうか・・・

人は僕の笑顔を簡単に信用している。
それならまだ良い方で、中には、明らかに
僕が内心嫌がっているのを分かっているくせに、
言えば、断れないのを知っていてそれにつけ込む奴がいる。
こんな人達が、世の中を味気なくしているのだと思う。

そして同時に、僕はダメだ。
欠けている。明らかに欠けている。
争う能力、つけ込む能力、拒否する能力、
選択する能力、判断する能力、楽しむ能力、
つまり、生きていく能力が弱い。


強くて、優しい人は良い。

弱くちゃ優しくても、自殺の他はないような気がする。

2003年02月01日(土)
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