一度だけの人生に
ひろ



 若いね、俺って。

年明けになるんだろうなぁっと
思っていた、彼女の返事が今日(27日)
聞けることになりました。

しかし、24日・・・
酒に酔った彼女の友人が
うっかりもらしてしまったのですが、
どうやら99%NOのようです。
なにやら改めてふられに行く(?)
みたいな感じになっちゃいました。


あの超見栄っ張りで、
かっこつけの、打算の強い、
飽きっぽくて、人の目ばかり気にしていた
俺が、こんなだらしのなくて、みっともない、
手放しで夢中の恋をするとは、
終始片想いに終わったとはいえ、
我ながら本当にびっくりです。

とっても凄いことのような気すらします。
凄いでしょ?俺。って訊いて回りたいくらい。

嬉しいような、照れくさいような、
悲しいような、悔しいような・・・

そりゃ後悔はたくさんあるし、
もっともっと上手く、そしてずるく、
やれたような気もするけれど、
まぁ仕方ないや。うん。

今日返事を聞いて、
明日、実家に帰省します。

しばらく、日記はお休みです。
みなさん良いお年を。


2002年12月27日(金)



 計算人間の誤算

自分ってもっとクールでドライな性格だと思っていた。

恋愛とか夢とか、
馬鹿らしいと思っていた節があったし、
そう言うのにはまって、周りが見えていない人って、
みっともなくて、くだらないと思っていた。

自分って計算なしで、
何も行動できない人間だと思っていた。

これが案外違ったんだな。

実際、内容は陳腐、平凡、無様だったけれど、
感情が理性の制止を無視して暴走するようなことが、
自分にも起こり得たんだ。

これって凄いよ。
我ながら、凄いよ。
本当に、びっくりだよ。

こんなことやってのけた自分を
少し、見直した。

相変わらず計算人間は、
この恋、どこら辺がいけなかったのかしらと、
再検討、再計算、繰り返しているけれど、
始まりからしてすでに誤算だったんだから、
計算が合うわけがないよね。

上手くはやれなかったよ。
でも、ちょっと嬉しくて、ちょっと悲しくて、
ちょっと楽しくて、ちょっと悔しい、そんな気持ち
初めて知ったような気がする。

あぁ・・こう言うこと
いっぱいいっぱい、い〜っぱい集めたら、
「生まれてきて良かった」って思えるんだね。
きっと・・・・


ちぇ・・自分の文章で、泣くなよ・・馬鹿。

2002年12月26日(木)



 泣けるなら、いつだって泣きたい 

こういう時期は
いつも、僕は不安定になるんです。
新しい生活が始まったとき。
今までの生活の終わりのとき。


僕は、どこか、
偽の自分・本当の自分と言う
意識を持っているんです。
普段の自分が偽で、
内面で「自分」と思っているものが本当。

ここに書いている「ひろお」と、
内面の「自分」は違うと思います。

僕は、その内面の「自分」が
本当に大好きで、大切で、
でも、誰にも受け入れてもらえないから、
大ッ嫌いなんです。

その「自分」を
他人に向かって顕わにしてしまって、
示してしまったら、僕は
「もう、お終いだ。
誰にも彼にも、みんなに嫌われてしまう。」
と本気で思ってしまうのです。

これはもう、理屈じゃありません。
怖いんです。恐ろしくて恐ろしくて、
そんな、自分が「自分」であることに
僕は耐えられないんです。

以前より、だいぶ「自分」を
出すようになることが、
多くなったような気がします。
それでも、どうしても、
嘘みたいな感じでしか、言えません。
誰も本気にしてくれません。
少しも信じてくれません。

楽しい振りをしたら、
みんな「ひろおは楽しんでいる」
と思うのに、
本当に、苦しいと思って、苦しいって
言ったら、みんな
「ひろおは苦しい振りをしている」
って・・・。


2002年12月22日(日)



 想う

テレビなどで時々見たり、
あるいは人づてに、こんな話を聞くことがあった。

「あの人に好きになってもらえなくても良い。
あの人の側にいられたら、私はそれで良い。
あの人が他の人を好きでも、私はかまわない。」

ついこの間までの僕だったら、
「へっ何を言ってやがんだい。
酔っちゃって、みっともない。」
っと一笑していたと思います。

しかし、今の自分は、
こんな風に言う人の気持ちも、
十分に分かるような気がします。

みっともないもくそもあるものか。

潔くない? 結構。
だらしがない? それも結構。
見苦しい? 結構ですね。


好きなのだから、仕様がない

2002年12月18日(水)



 事実

みんな恋をすると、
こんな風になってしまうのでしょうか?
取るもの手につかず、勉強しようとしても上の空、
ドキドキしたり、ハラハラしたり、
泣きべそかいたり・・・。

あぁ・・・僕は事実を
ここに書かなければ、
いけないような気がします。
これを読んでいる
みんなに、批判されるのが、怖くて、
敢えて、意図的に伏せていたこと書かなければ
いけない・・・。そうしなければ、
自身で、自分のしていることがいけないことだと
確信しているみたいで、辛い。
卑怯に、みんなを騙しているようで辛い。

僕が、片恋をしている相手。
「その日」で告白をした相手。
それは、先月の「新ハムレット」の中で
出てきている。Dさんです。


精神病の人を好きになることが、
いけないことだなんて、まったく思っていない。

そう言うことじゃなくて、僕は
もしかして、彼女が、辛い境遇にあるから好意を
持っているのじゃないか・・・
彼女自身よりも、彼女の立場に・・・。

そんなの彼女への愛情じゃない・・・
そんなことくらいは僕も分かってます。

でも、僕はわからないんです。
自分の気持ちがどこから来ているのか・・・
なぜ彼女を好きと思い始めたのか・・・
挙げようと思えば、いくらでも彼女の好きなところ、
あげられるのだけれど、
「本当か?彼女の境遇にだろ?」
と迫られたら、はっきり
「違う!そんなこと、まったく関係ない!」っと
断言することが出来ないような気がするのです。

僕の気持ちが、彼女への愛情でも恋でも
なんでもなくて、そんな僕の身勝手な感傷からだったと
したら、僕はなんて怖ろしいことをしてしまったのか・・・
どうやったって申し訳が立たない。
最低以下だ・・・。

誰に聞かれたって、
「僕はDさんが好きです」って自信を持って、
言うことができる。少しも恥ずかしくなんかない。
訊かれてない人にだって、言うことができる。
好き、その確信だけはこんな風に異様に堂々と、
はっきりとしているのに、「なぜ?」の部分が
とても、曖昧で・・・

「好き」に理由なんか、
要らないような気もするのですが、
独り善がりな感傷に、彼女を巻き込んだ・・・
それだけは・・・。

まだ、二日しか経っていないけれど、
この二日、どうしてもここに引っかかってしまって、
辛くて、苦しいんです。
彼女が好きと言う想い、慕う想いが強くなればなるほど、
「お前のは愛情じゃない。恋でもない。」
と言う想いも強くなって、苦しいんです。


今日、書いたことは全部本当です。
本当です。少しもポーズや気取りはありません。
信じて下さい。信じて下さい。

2002年12月17日(火)



 こんな言葉

こんな言葉が・・・

『あいつには良いところが、
いっぱいあるのに、それをちゃんと
誉めてやることをしなかった。ダメな父親だ。』
byドラマ「おとうさん」


泣きべそかいた僕は、
甘えてるのでしょうか?

2002年12月16日(月)



 その日

昨日(20日)は
僕のコースの忘年会と言うか、
打ち上げがありました。

演習室が共同の他のコースと合同だったのですが、
そのコースの人達を、僕はあんまり好きではなかったのです。
と言うよりも嫌いでした。
しかし僕は、また幹事にされてしまったので、
出ないわけにもいきませんでした。

最近、僕はどうも寝付きが悪く、
眠いのに眠ることが出来ず、
その日も、24時間以上起きたままの状態でした。
僕は今までの経験から、
睡眠不足でお酒を飲むと、必ず錯乱して、
不埒なことをしだしてしまうと言うのに・・・。

途中までは、ごくごく普通でした。

しかし、ビール六缶、ボジョレー三杯、日本酒五合。
それくらい飲み干した時には、
もう、タガがはずれてしまいました。

以前に、その、他コースの人達が、
俺の目の前で、平気で俺の友人(親友と言っても良いかもしれない)
の悪口を言っていたことを思いだして、
突然「お前らあいつのこと馬鹿にしているだろ?」
と詰め寄り、隣にいた友人に止められる・・・。

そんな風に、怒って見せたかと思うと、
今度は矢庭に号泣。これは何がきっかけで泣き出したのか、
憶えていません。今まで思ってきたことを、
ぶちまけて、自分の学生生活の基盤であるコースの
人達に「お前らむかつくんだよ」と宣言してしまったこと、
「これで全部お終いだ」と思い始めて、「もう、死ぬしかない」と思った。
そんな感じだったと思います。

泣き出したのを見て、
多少事情を知っている一人の先輩が、会をお開きにし、
もう一人の先輩が、
何で泣いているのかも分からない俺をあやす・・・。

最低でも一時間は泣いていたと思います。

更に・・・・。

幸か不幸か
俺をあやしていたのが、
ここ数日、この日記に書いていた、
俺の片恋の相手、その人だったのです。

ひとしきり泣いて、落ち着いた後・・・。

告白です。

滅茶苦茶です。馬鹿です。
こんな話は、笑い話にもなりません。

しかし案外なことに、
「告白しても、ほぼ無理だね。」
「彼女は男を必要としていないし・・・。」
「玉砕して終わるだけだよ。」「諦めな」
っと彼女の友人から散々に忠告をもらっていて、
俺自身も、勝算は無いに等しいと
思っていたのですが、どこが良い効果に
働いたのか、「嬉しい。けど、しばらく考えさせて。」
とのことでした。

主観的には、無茶苦茶、奇怪、支離滅裂な
告白に見えたのですが、それを隣で見て、聞いていた、
彼女の親友は「ひろおくん、かっこよかった。」と・・・。

まだ、結論は聞いていません。
彼女たちには、年末年始は卒論通るか通らないのかの
とても大変な時期なので、年明けになる
可能性が高いと思います。

笑って、怒って、泣いて、告って・・・
フルコースの飲み会でした。

もともと、玉砕覚悟で、
告白するつもりでしたから、
告ったこと自体は、別に良いのですけれど、
そのシチュエーションと、それまでの怒る、泣く・・・
最低でした・・・。

今日メールで謝罪したら、
「いや、そんなに迷惑かけたわけでもなかったよ」
っとのことでしたが・・・。


本当にお酒はやめた方が良いようです・・・。

2002年12月15日(日)



 おかしな人

もう少し、他人のことに興味持っても良いのに。

みんなそれほど暇人じゃないから、
お芝居には付き合ってくれないみたいです。

僕は「何気なく」と言う行為や言葉の
99%を否定している。
まったく、何の「気」もなく、
なんてことがあるもんか。
そして、何の気もなくを何の気もなくで
納得している人達に、僕はいつもびっくりする。

「ひろお君ってどうしてそんなに
先生に対して忠実なの?あ・・・誠実?」
本当に、恐ろしい一言だった。
グゥの音も出ないってああ言うことでしょう。

どうせなら、犬に生まれたかった。

馬鹿な。こんなはずではなかった。
みんな気付いてないのか?お芝居。
宗教なんて、俺が興味あるわけ無いじゃない。
マニ教なんて、知ったことじゃないよ。
顔に書いてあるでしょう?

まさか先生は、僕のお芝居で、
浅ましいことに、その気になってるんじゃないかしら。
だとしたら、よっぽど脳天気な人達だ。
ヤバイヤバイ。

ああ、イヤになる。
何度も何度も同じことを説明しないで欲しい。
馬鹿にしているのか。

どうせなら、ネクタイの締め方でも教えてもらいたい。

僕が怖いのはあなたの腕力、あなたの権力。

たまに質問でもしてあげようかしらと思って、
してみたら、その喜ぶこと、
偉ぶること、馬鹿にすること見ていてみっともないくらい。
そんなに学生に勝ったからって、嬉しいのかしら。
他に何か楽しいことはないのかしら。

いやいや、あんな風に単純に見えても、
授業に出なかったりすると、それとなく
嫌味たっぷりなんだから、あなどれない。

こっちの「NOと言えない」性格を承知の上で、
俺ばかりに色々と言ってくるのだから、汚い所がある。

演習の時間に
「自分には人の意志に迎合しようとする性質がある」
と、恥を忍んで、はっきり言っているのに
そしたら、なおさらなんだから、意地が悪いよ。

あれ?やっぱりお芝居?

難しいところがある。

2002年12月14日(土)



 出遅れ

大学で、一度くらい・・・
「良し」と思い立って、威勢良く立ち上がったのは
良いけれど、さて、何も思い浮かばない。
立ち上がって、しりもちついた。
ちっとも、笑えない。

自分には、ギリギリまで行動しないという
意志の弱い、優柔不断な所が少なからずある。
これまでは、それでも運だけで何とかやって
これたのだけれど、ここ最近は・・・。

重い腰を挙げて、
スタートラインにたった時には
すでにレースは終わっていたと言うような、
間抜けを通り越した、愚かと言っても生易しいような
有様である。

そうして、今、どうしているかと言えば、
またアパートのベッドの上にどっかりと腰を
下ろして、何か爽快なことはないかしら、なんて言うことを
考えている。学習しない男である。

馬鹿は死ななければ治らないというけど、
この男は死ぬことも出来ないので、なおさら救い難い。
相変わらず腕に、猫に引っ掻かれた程度の傷を付けて、
何か、大事を成し遂げた男のように、満足している。
低能。愚劣。


こんな日記も、また、
人に言われる前に自分で言ってしまえ
と言うような、卑怯な心の現れである。

ちっとも、おかしくない。

2002年12月13日(金)



 

男、二十二歳。
いままで敢えて口にするのも、
さすがに気が引けて、なかなかここにも
書けなかったのだけれど・・・。

僕は非常な「淋しがり屋」なのだ。

そう実感してるし、
事実、はた目から見てもそう見えるだろう。

口に出して、肯定してみると、
自分の悩みは全部、結局そこに
落ち着いてしまうような気がしてくる。

なんてことはない。

ただ、「淋しい」

2002年12月12日(木)



 ここに男ありて・・・

数人の良い友達。
好きな人。家族。

楽しくて、悲しくて、嬉しくて。

他に何か、要りますか?


2002年12月11日(水)



 雪化粧

僕の生まれは新潟です。
雪国。僕が小学生くらいの頃までは、
家が埋まってしまうほど、雪が降ったものです。
雪国出身のものは、特に新潟くらいの豪雪地方の者は、
他県の人からスキーやスノボが上手いのだろうと言う
推測をされやすいですが、しかし、僕はスノボは勿論、スキーも
一度もやったことがない。
あまりに雪が身近過ぎると、かえって、
雪の中で遊ぼうなんて気も起きないものです。
雪なんて少しも、珍しいものじゃない。

昨日(これを書いているのは11日なので10日)
僕の今、住んでいる地方も雪が降りました。
新潟ほどではないけれど、ここもかなり降る地方です。
昨日一日で、30センチくらい積もりました。
上記のような男ですから、僕は特に雪が積もったからって、
感じることもなく、それよりも道路の消雪パイプが
やたらに水を出しているのが、イヤだなぁと思いました。
歩行者には水を出されることの方が、よっぽど
迷惑だと思います。

昼の三時頃にアパートを出て、
学校に行き、公務員試験の勉強をしたり、
合間にネットをやったり、日記を書こうとして、
書いたり消したりしながら結局、深夜四時頃まで
学校にいました。基本的に関西系の人間の多いうちの大学は
雪のせいで、もうその頃には誰も学校にいませんでした。
図書館に返す太宰全集、太宰随想集、葛西善蔵集、石川淳全集を
抱えて外に出て、図書館の前まで来たら、
思わず息を呑みました。

一面の雪化粧。
全く、誰も手を付けていない雪景色。
自分一人。音も、無い。


新潟にいた頃の方が、これよりも
ずっと壮大な雪景色を見たことがあるはずなのに。
と疑問に思いましたが、それはきっと新潟の雪景色は
壮大過ぎるからだと思いました。
少しくらい足跡をつけても、わからないくらいに・・・。

大学構内の街路灯に照らされた雪化粧をした木々は
本当に綺麗でした。消雪の水で不自然な形で積もっている
雪も、綺麗でした。

手すりに積もった雪を落とすのも、
ひどく悪い、いけないことのような気がするほど、
全体として一つの美しさのように思えました。

そして、あまりに綺麗で、やりきれなくなりました。

たまらなく淋しい、美しさ。そんな感じでした。

急に淋しくなって、とっても淋しくなって、
逃げるように家路を急ぎました。

帰る途中、子どもの頃のことばかりが
頭に浮かんで来ました。
もうほとんど泣きべそをかいているような
状態でした。

アパートの近くにある河川敷の道路。
そこに行くと、川越しに市の中心部が見える。
きっと雪で光が反射して、綺麗に見えるだろうと思ったら
それを見たくなって、雪をかき分け、かき分け、
河川敷を登った。二度ほど転んだ。
転ぶたびに、フフッと笑った。

見えた景色は、なんて事はなかった。
風が強くて、イヤだった。淋しかった。
車のライトの光が見えたので
また、逃げるように、うつむいて、
涙をこらえて帰った。

2002年12月10日(火)



 愛ですか?恋ですか?

「自分一人だけ幸せじゃ、生きられない」

なんて風に言っちゃって、本当ですか?
って自問。でもあながち
気取ったポーズじゃない節もあると思う。
でも、こんな風に思えるって事は
「恋」じゃないのかな?

どうだろうね・・・。

まぁ「恋」じゃなくても良いけどさ。


考えが、色々ごちゃごちゃな感じで、
でも案外これはこれで良いんだって
どこか思えてる。不思議な感じ。


2002年12月09日(月)



 家庭

父・・・。
父が死んだら、僕は
どんな風になってしまうのだろうか・・・。
腑抜けのようになってしまうのだろうか。
あるいは、急に強気になって、
自信に満ちて歩き出すのだろうか。
あるいは、もっとだらしなくなって、
飲んだくれに
なってしまうのだろうか。
とにかく、変わってしまうような気がする。

父の何が、怖いのか・・・
腕力?まさか・・・いや、
そう言われるとそうのような気もする。
しかし、僕だって、
お世辞にも頑強とは言え無いけれども、
22歳の男である。ただ、単に
腕力ならば、こんなに怖れるわけがない。


「育てられた畏れ」
なんて風に言うと、気取っているみたい
だけれど、そんなものもあるかもしれない。


「親に殴られたことがない」
そんな話を友人から聞くことが
時々、あるけれども、
初めて聞いたときは、本当に驚きました。
僕は少なくとも小学校低学年くらいまでは、
ほぼ毎日殴られていました。
親自身が、
「あの頃は日課のように殴られていたなぁ?」
と平気で言うくらいなので、
あながち「毎日」と言うのは
誇張ではないようです。
押入に閉じ込められたり、
夜中に外に放り出されたり、
顔が腫れ上がるまで殴られたり、
自分だけ食事抜きにさせられて、
みんなが食事しているのを黙って、
見せられたり、浴槽に頭から浸けられたり
っと挙げればきりがありません。
自分はそうであるのに
周りは「親に殴られたこともない」・・・。
そう言う話を聞くたびに、
ああ、あれは虐待と言うものなのだな
っと確信させられます。

理屈で、何でも
虐待とかイジメのせいにするのは
自分でもいけないことだと
わかっているのですが、
「関係ない」と言うのは
違うような気もします。


僕は肉親に、きっと本当に意味で
親しんでいない。なるべくなら
両親と接したくないし、話もしたくない。
両親の愛情を信じ切れていない。
行儀の躾が過ぎて、他人行儀になった
と言うような、しゃれにもならないですが、
全くその通りに思います。
いわんや、他人の愛情は・・・

人を愛することは
親が子供に教えることなのかもしれない・・・。



2002年12月08日(日)



 最後の審判

最終通告。
もう、お終い。
いくら頑張っても、だめだよ。

と言う興ざめな瞬間が
人との付き合いの中で、
出来うるだけ起こらないように、
してきたつもりだったのですが、
大学に入って、初めてそれが起きました。
無邪気な子のお話です。

まさか、こうなるとは
思いも寄らなかったけれども、
まぁ仕方がない。

「もう私となるべく
関わらないようにして下さい。」

興ざめな言葉です。

とにかく無神経なことが
大嫌いな僕と、人に対して、
気を使うことが出来ない彼女では
こうなることは
分かり切ったことかもしれませんが・・・。

上の言葉。これもまた
無神経です。他にも同じコースの
人達がいるっていうのに、その人達の
目の前で、この言葉を僕に言えば、
みんなが集まって、お酒を飲んだりするときに、
周りがどう感じるのか、
分からないのか・・・。

この言葉を言わないでおけば、
今後、僕と、表面上だけでも仲良く、
あるいは表面上だけでなく仲良く、
出来るかもしれないと言うことが、
分からないのか・・・。
それを言ってしまったら、もう、
全部お終いなんですよ。

それまでの楽しい雰囲気を、
ぶち壊しにしてまで、
その時に言うべきことか?
どうして僕と二人だけの時に言ってくれない?

その時に、一緒に聞いていた先輩方は、
いつ、俺が怒り出すかハラハラしていたようです。
女性の先輩の一人は、彼女の話を聞いていて、
怒りだして、彼女に説教していました。
それくらいに、彼女の弁明が自分勝手で、
無神経だったのです。
僕は、最初はムカムカしていましたけれど、
後半は怒るよりも、呆れ果ててしまって、
「もう、どうでもいいよ」っと
終始、それしか言いませんでした。



2002年12月07日(土)



 幻灯

「恋をしたのだ。そんなことは、
全く初めてだった。それより以前には、
私の左の横顔だけをみせつけ、私の男を売ろうと
焦り、相手が一分間でもためらったが最後、
たちまち私はきりきり舞いをはじめて疾風の如く
逃げ失せる。けれども私は、その頃全てにだらしなくなっていて、
ほとんど私の身にくっついてしまったかのようにも
思われていたその賢明な、怪我の少ない身構えの法を
持ちこたえることが出来ず、いわば手放しで、
節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないと言う
嗄れた呟きが、私の思想の全部であった。
25歳。私はいま生まれた。生きている。
生き、切る。私はほんとうだ。
好きなのだから仕様がない。」

太宰治 『ダス・ゲマイネ』より


恋。恋?
まさか?と言う感じです。
どうでしょうか?

22年間生きてきて、自分から、
人を好きになることは、ほとんどなかったし、
その数少ない経験も、もう何年も前の話である。
恋?恋かしら・・・わからない。

他人から「本当に好きなん?」
って聞かれて、思わず「好き・・・だね」と
言ってしまった。そう言いながらも、
「好き・・・なのかな・・・」
と言う疑念が沸いてきて・・・。
「好きってなんなんだ?」と言う
わけの分からない所まで行ってみたり・・・。

「冗談で好きって言ってんじゃないよね?」
僕の普段のキャラクターを考えれば、
そう思うのも分かるような気もする・・・。
それに対する僕の答えは我ながら、
実に意外な、本当にビックリするような一言、
「冗談で好きなんて言えないよ。」
不意に出た自分の言葉に驚いて、思わず、
自分で確かめるように二度繰り返す。

「冗談で好きなんて言えないよ。」
「冗談で好きなんて言えないよ。」

勝算の薄い恋である。
それは、分かっていた。
打算の非常に強い僕が、それを分かっていて、
それで思わず出た言葉が、「好き」。

『好きなのだから仕様がないと言う
嗄れた呟きが、私の思想の全部であった。』

恋、でしょうか・・・。


2002年12月06日(金)



 好き

好きは好き。
それで良いじゃない。

「好き」の理由は、一つも要らない

2002年12月05日(木)



 自意識過剰症候群&男性差別者

学校の演習室というのは、
もちろん勉強するための部屋ですが、
僕の演習室には夜はもちろん昼でさえ、
普段はほとんど人が訪れることも
ないので、授業の無いときは
僕の暇つぶし部屋のようになっています。
夜はほとんど僕しかいないので
なおさらです。

しかし、この時期は
四年生が卒論の研究、執筆の
追い込みの時期なので、
最近はちらほら演習室に
やってきて勉強しています。
僕だって、三年のこの時期に
そういつもいつも遊んでいるわけ
ではなくて、公務員試験の勉強や、
卒論に向けての読書をしているのです。

二部屋しかない演習室ですから、
数人が鉢合わせになると、
当然、一緒の部屋で勉強することに
なるのですが・・・。
ここで僕の自意識過剰症候群が
発症します。

僕は、今に始まったことではないのですが、
誰かと一緒にいて、黙っていることが
出来ないのです。黙っていると、
なんだかハラハラ、ドキドキとしてきて、
一種の「緊張感」を感じるのです。
かと思うとその雰囲気が、
妙に滑稽に思えてきて、
笑いがこみ上げてきたり、
あるいは本を読んでいても
心ここにあらずの状態で、
字面だけ追っていて、全く内容を
憶えて無かったりするのです。
一緒にいるのが、女性だとなおさら
なので間違いなく自意識過剰なのでしょう。

女性・・・・。
ついさっき友人二人と話をしていたのですが、
その時に友人の一人が、部活の愚痴を
言っていました。
その友人が去った後、僕は
もう一人の友人から注意と言うか、
忠告と言うようなものを受けました。
と言うのはその話を聞いているときの
僕の態度が明らかに「興味ない」と
言うような感じだったらしいのです。
実際、僕は興味が無かったのですが・・・。
僕は人の「生活上の愚痴」を
聞くのはどうも億劫なのです。
我に何の関わりあらんやと言う
感じがしてきて、ダメなのです。
生活上の愚痴は、僕には
走れば疲れる、冬は寒いと言うような
話のように感じられるのです。
「性格的な悩み」「生き方」
のような話ならば、それは僕も興味を持って
聞くのですけれど、こと生活の愚痴話に
なると・・・。
それが、その人と親しくなればなる程、
はっきりと態度に表れてしまうようです。

さらにまた、いやらしいことに、
それが男だとますますそうなのです。
何度も書いてきたことですが、
僕の女尊男卑な考え方は相当なもののようです。

「女の時の、あのおかしなくらいの親身な
態度はどこへ行ったんだ?」
とその友人に言われました。

全く自分でもどこへ行ったのか・・・
苦笑の他はありませんでした。

どうしてこんなに男には厳しいのか・・・


2002年12月04日(水)



 美意識 

こと、女性の容姿に
関しては、僕の美意識は
かなり他の人達と違うらしい。

自分では、
本当にそう思っているのだけれど、
「あの子かわいい、きれいだよね?」
とか友人に言うと、
「いやぁどうかな〜・・・」とか
「まぁ人の好みだから何ともいわんけど・・・」
とか・・・
極めつけは「えぇマジかよ!」
とさえ言われることがあります。
意志薄弱な僕でも、
さすがにそう言われて、
「そうかもしれない」
なんて思うことはないのですが、
僕が恋愛対象として「良い」
って言う女性は、周りの
友人の積極的な賛意はほとんど
得られたことがないので、
相当に僕は変わっているらしいです。

侘びしい雰囲気
と言ったら、ちょっと気取っている
みたいですけど、
そんな感じの人に弱いのかもしれません。
容姿そのものよりも、
その容姿に僕が、主観的に
「侘びしさ」を感じるような女性。
だから僕には「タイプ」
と言うようなものはあまり無いみたいです。

自分は自分をリアリストだと
思っていましたけれど、
案外にロマンチストかもしれない
と最近思います。

究極のリアリストは
根底はロマンチストと言うような
逆説的な考えも浮かんできました。
ただ、「嫌いだ」と言う人の、
その想いの強さよりも、
好きで好きでたまらないけれど、
自分には手に入らないから「嫌いだ」
と言う人の思いの方が強いの
じゃないかという理屈です。

何が言いたかったのやら・・・。


2002年12月03日(火)



 

子どもの頃は出来得るだけ、
甘やかして、育ててあげて下さい。

「親にさえ、愛されなかった」と言う
記憶は、その後、子どもに大きな影響を
与えます。

誰の愛も信じられなくなります。
誰をも愛することが出来なくなります。
自分に自信が持てなくて、
人生に迷うことになります。
「この世に生まれてきたことが、
そもそもの間違いの発端なのだ」
と言うようなことを本気で思うようになります。

愛さないのなら、産まないで下さい。

親が子どもを愛するのは当然なのだと
子どもが思えるように、育ててやって下さい。
少しも親の愛を疑うことがないように、
してやって下さい。
当然じゃないのかもしれません。
でも、当然なんだと思わせてやってください。
きっとその子は自分の子を当然、愛するでしょう。

子どもの頃が大切です。
ある程度になってからでは、いけません。
子どもの頃に「親に愛されていない」
と子どもが信じてしまったら、
それを払拭するのは並大抵のことではありません。
その後いくら愛しても、親に
「申し訳ない」と思うようになります。
「親は自分を、無理して、愛している」
と言う風に考えてしまいます。
「親の迷惑になっている」
と考えてしまいます。
子どもの頃が大切です。

親は、想像している以上に、
子どもの人格の形成に大きな影響を
与えているのです。
そして、それによって同時に
子どもの人生に大きな影響を持っているのです。

どうか愛してあげて下さい。

2002年12月02日(月)



 好きなんだから、しょうがない

何度も書いたことですが、
僕は大学に入ってから、完璧に太宰の
エピゴーネン(追随者)になりました。
ダザイストってやつです。大学にはいる前でも
そう言う時期があったのですが、これほど
長く続くことはありませんでした。
どうも、僕の中の自殺念慮が強くなってくると、
自然と太宰の方へ引き寄せられるようです。
そう言う時、僕は似非左翼、似非クリスチャンに
なります。
思想、生活、世界観、人生観、倫理観、人間観、
全部自然と、太宰色に染まります。
それだけ僕の精神は白紙、空っぽに近いのでしょう。

文章も、だんだんと似てきます。
傍点を打つ回数がだんだんと増えてきていることに
気付いた方はいらっしゃるでしょうか?

「好きなんだから、しょうがない」

この言葉の通りです。
ダメだって言われたって、しょうがない。

「好きなんだから、しょうがない」
僕の憧れの言葉です。
恋愛でも、仕事でも、勉強でも、なんでも、
こう言って、思って、生きていけたら・・・・
それはきっと間違いなく幸せなんだろうと思う。

2002年12月01日(日)
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