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2010年10月29日(金) 不可解――住生活、横浜球団買収断念

住生活グループ傘下の事業会社、トステムの溝口和美副社長は27日午後、プロ野球の横浜ベイスターズ買収断念について記者会見し「諸条件が折り合わず、非常に残念。ベイスターズのためにどのようにしたら一番応援できるのか念頭に置いてきたが、かなわなくなった」と語った。交渉が決裂した具体的な要因については「守秘義務があって答えられない」と述べるにとどめた。球団買収に名乗りを上げたことが、売名行為ではないかとの指摘に対しては「売名行為ならば手を挙げるだけで済んでいた。プロジェクトチームを立ち上げて人数と時間をかけて検討したので当てはまらない」と反論した。球団の親会社であるTBSホールディングスに関しては「直前まで話し合いの場を作ってくれて感謝する」と述べた。〔日経QUICKニュース〕

○交渉過程の情報が漏洩

交渉が不調に終わった要因については語られていないが、一部報道によると、本拠地問題だったといわれている。買い手(住生活グループ)が新潟移転を希望したが、売り手(TBSホールディングス)が難色を示したらしい。交渉中にもかかわらず、この対立がマスコミに漏れ、神奈川県及び横浜市の首長が本拠地移転に反対を表明した。さらに、一部マスコミが本拠地移転は良くないことだという報道を繰り返し、いつのまにか、横浜にプロ野球球団を残せという「世論」が形成された。あたかも、買い手(住生活)が悪者であるかのように、世間は受け止め始めたのだ。本拠地移転は地域の野球文化を破壊する、という論調の報道まで現れた。

○民間同士の取引に行政(首長)が干渉

本件に係る本拠地問題をめぐる関係者の発言等は、筆者にとって大きな驚きだった。驚きの第一は、民間企業同士の売買について、神奈川県及び横浜市の首長が干渉とも思える発言をしたことだ。干渉した根拠は、どうやら、プロ野球球団が「文化財」であり、県民・市民の共有財産であるかのような扱いを受けるという認識によるものと推定される。筆者は、民間同士の取引に、行政が口出しすることはあってはならないものだと考える。二人の首長の発言が市民・県民の総意ならば、ベイスターズの保持にむけて、税金を投入すればいいとも思うのだが、そういう具体的発言はなかった。日本のマスコミは、口先介入の二人の首長を非難しなかったばかりか、二人の首長の発言を支持するものもあった。

第二は、プロ野球球団の本拠地移転は、“まかりならぬ”という「常識」がマスコミを通じて流布され、世論形成されたことだ。

今回のケースを大雑把に振り返ってみよう――赤字を出し続ける球団の保有者(TBS)が、それをを売りに出そうとした。幸いにして、一人の買い手=投資家が手を挙げた。その投資家は、球団を横浜以外で経営したいという希望をもっていた。ところが、交渉の最中であるにもかかわらず、その情報が漏洩し、移転を聞きつけた神奈川県及び横浜市の首長並びにマスコミ等が、本拠地移転はいかん、といって、取引を妨害した。

恐ろしい話ではないか。首長、マスコミの妨害に驚いた投資家は、慌てて手を下ろし、売買は不成立となった。その結果、TBSは来シーズンも、引き続き、ベイスターズを経営することになった。2011年シーズンに横浜球団が赤字となると決まったわけではないが、その可能性はいまのところ低いだろう。

○日ハム、楽天は本拠地を移転

いま現在、日本のプロ野球の球団数は12、本拠地は札幌・仙台・所沢・千葉・東京・横浜・名古屋、大阪、広島、福岡の10都市だ。現行の体制が成立したのは、日本ハムが東京から札幌に、楽天(旧近鉄)が大阪から仙台に本拠地を移した結果である。そのとき、本拠地移転は容認された。日本ハムは東京を本拠としていたが、東京を本拠地とする球団は読売・ヤクルトと、また、楽天の場合は、大阪・神戸に阪神、オリックスが、それぞれ、2球団ずつあった。本拠地移転が許容されたのは、1都市に複数の球団が本拠地を置いていたからだろうか。この論法でいくと、現行、1都市に複数球団が存在するのは東京のみで、今後は、読売かヤクルトが売りに出された場合のみ、本拠地移転が許容されることになる。

本件を前例とするならば、既存球団を購入し、本拠地を移転したいという希望を持つ投資家は、ヤクルト・読売以外は買えないことになる。前出の10都市以外を本拠地としてプロ野球球団を運営しようと思っている投資家は、プロ野球経営に参入できない。プロ野球の本拠地は、10都市に与えられた既得権なのか、ほかの都市は、プロ野球を誘致できないのか。なんとも、不合理、不平等な話ではないか。

○MLBでは移転はあたりまえ

アメリカ大リーグ(以下「MLB」と略記。)の場合、第二次世界大戦後、本拠地移転が活発化した。MLBの本拠地移転事例は複数ある。いま、ワールドシリーズを戦っているサンフランシスコ・ジャイアンツは、1882年、ニューヨークに創設されたものだが、1958年に現在のサンフランシスコに本拠地移転をしている。ロスアンゼルス・ドジャーズ(1883年、ブルックリンに創設)も、1958年にLAに本拠地を移している。本拠地移転の理由は、MLBの市場を西海岸へ拡大するためだった。

アトランタ・ブレーブスは、前身であるレッドストッキングスがシンシナティに創設されたのだが、その後、ボストンに移転し、ブレーブスと改名、さらに、ミルウォーキーを経て現在のアトランタに移った。ブレーブスはなんと3度も本拠地を移転している。

MLBの球団は、その黎明期、東海岸に集中して創設されたのだが、米国西部、南部の人口増及び経済発展に伴い、本拠地の分散化及び球団数増が図られてきた。MLBは、19世紀末から21世紀初頭にかけての百数十年の歳月をかけ、現在の2リーグ、30球団という威容を誇るまでに成長してきた。

○日本プロ野球の球団数は少なすぎる

一方、日本プロ野球(NPB)は、1936年に創設されて以来、80年弱の歴史を誇るものの、その規模の拡大はみられず、2リーグ12球団で停滞している。米国は国土が広くて人口が多いから、球団数が多くて当然という考え方もあるかもしれないが、世界各国のサッカーのリーグのチーム数をみると、日本(J1リーグ)18、イングランド(プレミア)20、イタリア(セリエA)20、ドイツ(ブンデスリーガ)18、米国(MLS)16となっている。

サッカーの世界各国のトップリーグのチーム数は、日本プロ野球よりも多い。しかも、米国よりも面積・人口で劣る日本、欧州のほうが、米国のサッカーチーム数よりも多い。つまり、プロスポーツにおけるトップリーグのチーム数は、その国の人口・面積とは相対的に独自に決まっている。チーム数の多寡を決定する指標は、おそらく、そのスポーツの普及度(競技人口、社会への浸透度等)ではないか。日本における野球の競技人口、社会への浸透度は、いまのところ、サッカーより高い。ということは、日本のプロ野球の球団数は少なすぎる。サッカーの場合、J1にJ2等の下部リーグのチーム数を加算すると、日本のプロ野球のチーム数を圧倒する。日本のプロ野球の球団数は、異常に少ない。

では、日本プロ野球のトップリーグにおける球団数は、どのくらいが適正なのかということになるが、投資家(球団経営希望者)の意欲次第であるから、市場による淘汰という結果を経なければなんともいえない。敢えて、筆者の直感を披瀝すれば、日本の地方球場の整備状況、野球文化の根強い浸透度、野球人口等から推測して、16〜20球団あって、おかしくないと思う。

○本拠地選択は市場原理に基づく以外ない

このたびのベイスターズ買収騒動の場合、投資家(住生活グループ)は、ベイスターズを「射抜き」で一度買い上げ、それを新潟に移築すれば、短期間で黒字転換が可能だと考えていたようだ。このような判断は、投資家としてきわめて合理的なものだ。首都圏(東京・横浜・千葉・埼玉)には、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ、東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズ、埼玉西武ライオンスと5球団が集中しており、人気抜群の読売が圧倒的ファン数を有している。横浜は東京とは風土が異なるから、横浜を本拠地にチームを立て直すという戦略はなくはないが、それよりも、まっさらな新潟に本拠地を移転したほうが、球団経営はやりやすい。札幌、仙台での成功事例がある。しかも新潟の場合、サッカーJリーグで成功した実績がある。J1のアルビレックス新潟との相乗効果も期待できる。

○「強ければ客が集まる」という論法は稚拙

TVのワイドショーに出演するコメンテーター諸氏は、横浜ベイスターズの球団経営の失敗の主因を、「ベイスターズが弱いからだ」と分析する。それだけなのだろうか。プロスポーツの成績においては、常勝ということはありえない。プロ野球界でかつて、読売が「V9」を成し遂げたことがあったが、それこそ奇跡であり、異常現象だ。横浜が優勝する可能性は、よくて5シーズンに1回程度だろう。あれほどの投資をする読売でも、「V3」どまり。

つまり、「勝てば客が入る」という論法は、球団経営の必要条件の1つにすぎない。勝ったり負けたりでも、球団経営ができる環境を模索しなければいけない。賛同しかねるが、「巨人軍頼み」も、その一つだ。しかし、いま、日本社会では「巨人離れ」が進んでいる。このたびのベイスターズの身売り話は、一極集中した「巨人人気」に依存した、セリーグで起ったことに注目したい。「巨人」人気依存の間逆の道を目指して球団経営に成功したのが、パリーグの札幌(ファイターズ)だろう。また、福岡に地元密着した、ソフトバンクホークスも「巨人」依存から脱した結果だ。読売との試合が少ないパリーグは、所属する6球団の本拠地が、札幌、仙台、千葉、埼玉、大阪、福岡、と適当に分散化した。そしてそれぞれが、本拠地中心の経営方針を立て、地道な努力をして、成功をおさめようとしている。このことが意味するのは、「巨人軍一極集中人気」の終焉以外のなにものでもない。

○日本プロ野球は不自然なまま

前出の通り、住生活はベイスターズを「射抜き」で買い取り、新潟に移築しようとしたが、市場の外部の力に阻まれた。しかし、前述した通り、住生活は投資家という立場で、合理的な行動をとろうとしたにすぎない。

問題は、日本プロ野球のあり方のほうだ。アメリカにおいては、MLBが19世紀末の創成期を経て、20世紀中葉に健在化した市場拡大への適合=拡大を果たしたが、日本プロ野球界ではそうならなかった。そのことは、日本のプロ野球業界が、市場原理とあまりにも乖離した行動原理をもっていた結果だと考えられる。日本プロ野球業界は、少なくとも、20世紀末には球団本拠地の分散化と球団数の増加に向けて動き出していなければならなかった。

推測だが、日本プロ野球業界には、投資家の参入を拒む、すなわち、市場原理を排する、不自然な規制を設けている疑いがある、換言すれば、独占禁止法に抵触する疑いもある。

日本における野球人口と野球人気、そして、社会への浸透度を考慮するならば、球団数の増加と本拠地の拡散は必然だ。たとえば、12球団が保有している「二軍」を別経営にすることも考えられるし、都市対抗リーグのプロ化も考えられる。プロ野球市場を、新たな投資家、参入者に開放すれば、いかなる変化も起り得るし、起り得ないかもしれない。しかし、球団を所有したがっている都市と投資家の欲望、要望を解放すれば、プロ野球市場は、もっと拡大する可能性のほうが高いと筆者は思う。世界的不況下、スポーツビジネスのみがグローバルに活況を呈している現実をどう受け止めるか。

○日本プロ野球業界の近代化が必要

日本プロ野球の運営、管理等に強い権限をもっているオーナー会議や球団の所有に係る規定を見直したほうがよい。日本プロ野球の球団オーナーは、読売のW氏に仕切られた、中世のギルドのようにみえる。スポーツ・ビジネスの可能性を切り開く、近代性に乏しいのではないか。親分衆・旦那衆の寄り合いから、近代的な投資家・経営者の集まりに変わってほしい。繰り返すが、日本のプロ野球は、もっともっと発展する可能性を持っている。プロ野球球団を所有したがっている者の参入意欲を刺激し、その規模を拡大する方向に舵を切ってほしい。

横浜ベイスターズの身売り騒動は、プロ野球業界の閉鎖性、市場原理との乖離、意図的とも思える情報漏洩、行政の市場介入・・・といった、日本経済の暗部を見せつけて終わった。しかも、そこで暗躍するのが大手マスコミである。困ったものだ。



2010年10月18日(月) FC東京改造計画

○「東京右半分」はサッカー不毛の地

『東京右半分』というブログがある。世界都市首都東京にあって、その右側(東側)は「下町」と呼ばれ、土着的な風土をいまなお色濃く残している。近年の「下町ブーム」と、スカイツリー建設等の影響により観光客の増加をみたものの、また、横文字・カタカナ職業を営む事業所が増加したとはいえ、この地域の持ち味は、「大衆の原像」と呼ばれる、下町生活者がかもし出す生活風景にある。

プロスポーツの世界では、関西の阪神タイガースファンの灰汁の強さが全国的に有名であるが、「東京右半分」の巨人ファンも、それにおとらないくらい、強い個性をもっている。東京下町の巨人ファンの“おっさん”たちは、一億総評論家とよばれるに相応しい。まちがっても下町の“おっさん”に、巨人が優勝できなかった理由を聞いてはならない。“おっさん”は、その分析ばかりか、来季のチームづく、ドラフト指名候補まで、何時間も語り続けることだろう。

“おっさん”は、おさないころから草野球になじみ、大人になったらなったで、頼まれもしないのに、近所の少年野球チームのコーチ・監督を買って出る。練習グラウンドの手配から、マッチメーク、ゴロのとり方からピッチングまで、少年たちになんでも教えてしまう。こうした無名の“おっさん”たちが、日本の野球スポーツの底辺拡大を支えている。東京そして大阪には、日本が誇る、100年の野球文化が輝いている。

○FC東京は東京を「代表」するクラブではない

さて、本題のサッカーである。筆者は、首都東京の事実上唯一のJリーグクラブ・FC東京に対して、辛口の批判を展開し続けてきた。それは、東京のサッカー人気が高まることを祈り、東京のサッカー熱の沸騰こそが、日本のサッカー人気を乗数効果的に盛り上げるからだと信じるがゆえなのだ。

日本にプロフェッショナルサッカーは、開業(1993年)以来17年を経過した。その間、日本サッカーは急速な発展を遂げ、アジアでトップの座をうかがうほどの実力をつけた。しかしそれでも、日本サッカーは、100年以上の歴史を誇る欧州・南米ほどには、国民の生活風土の内側に深く根付くに至っていない。日本のプロフェッショナルベースボール100年の歴史が育んできた下町の“おっさん”のように、それを底辺で支えるパワーが醸成されていないのだ。

日本の野球人気を支えているのは、移り気な都市の若者ではない。大阪や東京の下町に土着する、無数の“おっさん”の力に拠っている。プロフェッショナルスポーツがファッションの域を超え、生活の一部に浸透したとき、それはスポーツ文化として、強固な地位を築く。そのとき、スポーツの実力も世界レベルに向上する。日本野球がWBCで二連覇したことが、そのことのよき傍証となる。

「東京右半分」は、サッカー不毛の地だ。たとえば、東京下町を代表する浅草から最も近い都内のサッカースタジアムは、おそらく、「国立競技場」になってしまうのではないか。「国立」が下町でないことは明らかであり、「アジスタ」がそうでないことにいたっては、いうまでもない。

筆者の熱望するところは、「東京右半分」が熱狂するサッカークラブの誕生であり、その近辺に立地する、サッカースタジアムの確保なのだ。下町の“おっさん”が支持するサッカークラブが創設されることを願ってやまない。それが誕生したとき、首都のサッカーは爆発的盛り上がりをみせるだろうし、それが日本のサッカー人気をもう一段、押し上げることになる。

FC東京(以下「FC」と略記)は、残念ながら、一千万都民の支持を得ていない。川崎フロンターレと「多摩川ダービー」を戦う、東京「左半分」のサッカークラブにすぎない。FCのサポーターの中には、下町の“おっさん”の姿が見えない。

○真剣さを欠くFC東京のクラブ運営

FCが東京を代表しない、というか、代表しえない理由は、弱いからだ。首脳陣がFCを本気で強くしようと思っていないからだ。今シーズンのリーグ順位(第26節現在)は15位で、降格圏内にある16位の神戸との勝ち点差は1しかない。

FCの戦力を見ると、26節(仙台戦)にベンチ入りした選手のうち、DF;今野泰幸、キムヨングン、GK権田修一が直近の日本及び韓国代表に選ばれており、MFでは、徳永悠平、石川直宏、羽生直剛、梶山陽平、森重真人が、FWでは大黒将志、平山相太が代表経験者だ。ベンチ入り18選手中、10選手が代表クラスなのだ。一方、対戦相手の仙台の代表選手は、直近のアルゼンチン戦で初キャップを得た、MF関口訓充と北朝鮮代表のMF梁勇基の2人を数えるのみ。戦力的にみれば、FCが圧倒的に有利なはずなのだ。

○FCから移籍したFW赤嶺が仙台で大活躍

FCはその仙台戦、GK権田のミスで追いつかれ、タイムアップ寸前に逆転されて負けた。ミスは仕方がないが、GKがミスをすればチームは勝てない。それでも、光明も見えてきた。まず、筆者が期待しているFW平山が得点を上げたことだ。ポストに当たる惜しいシュートもあった。平山は日本代表のワントップとして活躍してほしいし、その実力はある。

平山がここまで伸び悩んできた原因は、もしかしたら、FCの指導者に問題があったからではないか。というのも、FCから仙台に移籍したFW赤嶺真吾が、この試合ではFC時代には考えられないほど、いい動きを見せていたからだ。仙台のアーリークロスの大部分が赤嶺をターゲットにしており、しかも赤嶺がFCディフェンスに競り勝って、頭でゴール前に落とし、それが仙台のチャンスにつながった。この試合における赤嶺の活躍は目をみはるものがあったのだが、FC時代の彼には、こんな動きは見られなかった。赤嶺が仙台の戦法にあっているという見方もあろうが、筆者は、赤嶺の資質を見抜き、ゴール前の動きを指示した、仙台の手倉森監督の手腕が大きいものと思っている。

平山は来季、FCを飛び出し、彼によきアドバイスを与えるであろう指導者のいるクラブに、移籍したほうがいいかもしれない。移籍先としては、来季に異動がないという前提だが、FW北島秀朗を再生させた柏(ネルシーニョ監督)、MF香川真司を育てたセレッソ大阪(クルピ監督)の2チームが最適だ。

○FC東京に望むもの

繰り返しになるが、FCには世界都市東京を代表するクラブになってもらいたい。そのためには、世界レベルの監督、世界レベルの選手が必要。FCの監督候補としては、たとえば、筆者が日本代表監督候補に挙げたドゥンガがいい。彼はW杯南アフリカ大会のブラジル代表監督としては失敗したが、彼の示した方向性に間違いはなかった、と筆者は確信している。結果はついてこなかったけれど…

しかも、ドゥンガは選手として、Jリーグ経験がある。補強する選手としては、ブラジル代表経験があって、ドゥンガを理解できる者。そんな選手はいない?かどうかわからないけれど…

いずれにしても、リーダーシップのある外国人選手を2名獲得してほしい。東京ガスは、いまこそ、円高メリットを有効に活用してもらいたいものだ。



2010年10月14日(木) 韓国vs日本--まさにアジアレベルの「熱戦」--

国際親善試合・韓国−日本(12日、韓国・ソウル)は、互いに譲らず、0−0のスコアレスドロー。ザッケローニ体制になった日本代表は、初戦ホームで強豪アルゼンチンをくだしたものの、アウエーの韓国戦は引き分けに終わった。この試合をもって、日本代表は2010年の全試合を終えた。

○似たもの同士の一戦

韓国戦を端的に言い表せば、アジアレベルの熱戦だったといえよう。両軍選手とも、献身的運動量を伴った高い守備意識をもって、90分間ファイトした。最後まで厳しいプレスと執拗なマークを続けた日韓の戦い方は、賞賛に値する。

両軍のぶつかり合いは、まさに兄弟喧嘩に喩えられる。日韓が永遠のライバルであり続けるのは、両者に近親憎悪のような思いがあるからではないか。西欧人には判別しにくい日韓両国民の顔だが、東アジアの双方の国民には、僅かながらの差異が認められる。その差異とは、韓国のほうがフィジカル及び瞬発力で日本を上回っている一方、組織力、規律、試合運びにおいて、日本のほうがやや韓国より上であること。だがしかし、その差異は、当事者国民にしか峻別できないほど僅かなものであるにすぎない。

そして、互いに労を惜しまない献身的なサッカーでありながら、同時に両者とも、一撃で相手を倒す「決定力」ないし「ストライカー」を擁しないという欠点を持つ点でも似たもの同士なのである。このことは、東アジアに共通する弱点でもある。

○ともに高揚期に突入した両国

この試合に至るプロセスも、両国ともあまり差異がない。W杯南アフリカ大会では、両国ともベスト16の成績をおさめ、大会終了後、代表監督が交代した。いままさに、2014年ブラジル大会に向け、新体制を構築せんとしているところにある。

そればかりではない。ナショナルチームのレベルは時間軸に沿って、循環波形を示すといわれるが、日韓両国のサイクルはともに“山”に向かっていると見て間違いない。W杯前後、代表主力クラスが海外移籍をはたし、それを受けて、国内選手が刺激を受け、自国リーグを盛り上げている。日韓両国のプロフェッショナルサッカーは、2002年W杯日韓大会開催時に次ぐ高揚期に差し掛かっている。

敢えて両国の差異を指摘するならば、韓国のエース・朴智星が来年のアジア杯をもって代表引退を表明していることくらいか。その朴智星は、当該試合もケガのため欠場した。ホームの韓国のほうが有利だが、経験豊かな朴智星の欠場は韓国にとって、かなりのハンディキャップとなったようだ。日本のエース・本田圭佑は発展途上にあり、韓国はその交代時期にさしかかっている。

○“がちがち”のつぶしあい

試合経過は省略する。先述したとおり、マイボールとなったときには、相手から強いプレスがかかり、自由にならない。それでも、あたかも定期波のごとく交互にやってくる「自分たちの時間」をともに得点につなげることができず、タイムアップ。決定的機会の回数も双方2〜3回ずつとほぼ互角だったように思う。

ただ、後半32分、MF長谷部のスルーパスにゴールやや左でMF松井がトラップミスをして、遠いサイドに流れたボールを慌てて拾って左足でクロスを上げたとき、ペナルティーエリア内に詰めてきた相手MF崔孝鎮の右腕に当たった。だれが見ても、「ハンド」だけれど、故意でないという解釈で主審イルマトフの笛は鳴らなかった。

○日本にはセンターFWがいない

日本代表の課題はこの試合でも明らかになったように、前出の通り、ワントップをだれが務めるのかに尽きる。この試合、アルゼンチン戦でワントップに入ったFW森本に代わり、FW前田が先発したのだが、期待に反して、前田は、おそらく一本もシュートを打てなかったのではないか。韓国戦とアルゼンチン戦とでは、試合の位置づけがまったく異なるから比較はできないものの、FW前田はポストプレーすら満足にできなかったように見えた。ザッケローニがFW前田をフルタイム使ったのは、彼の最終テストだった可能性もある。ザッケローニがこの試合をもってFW前田を見切るとも思えないが、前田の評価はほぼ確定した感がある。では、だれが適任なのかといえば、平山相太(FC東京)以外には思い浮かばない。ザッケローニが彼に注目するには、彼がJリーグで奮起する以外ない。

○フィジカルが弱すぎる

次に明らかになったのは、日本選手のフィジカルの弱さだ。日本選手の中で抜群の強さをみせたのは、MF本田、MF長谷部の2人。とりわけ、本田の強さばかりが目についた。本田におさまったボールは、奪われなかった。

フィジカルについては、選手が育つ風土、所属するリーグの環境に左右されるから、選手の責任ばかりではない。この課題については、Jリーグが先頭に立って、改善に努めなければいけない。

問題は、日本のプロフェッショナルサッカーの平均レベルに比して、Jリーグのトップクラブの数が多すぎること――適正な競争が担保されていないことだ。はっきりいえば、選手層が薄すぎる。J1〜2はバブル現象にあり、試合数ばかりが多く、試合内容の密度が低すぎる。そのため、厳しさに欠ける。低いレベルに選手が安住したのでは、レベルアップが進まない。

Jリーグの審判は選手同士の厳しい「あたり」をすぐ反則と判定する傾向にあり、接触に係るイエローカードも多すぎる。日本の審判は試合が荒れることを恐れているようだが、激しいファイトが伴わないサッカーほど、おもしろくないものはない。W杯南アフリカ大会で日本の審判が評価されたというが、筆者はまったくそう思っていない。サポーターも激しさを求めない。ラフなプレーは許されないが、筆者は「荒い」プレーより、「甘い」プレーのほうが嫌いだ。プロフェッショナルな審判に望みたいのは、試合を何事もなく管理することよりも、ルールに則った激しいプレーを選手から引き出すことだ。

改善策としては、海外の優秀な選手を日本でプレーさせることしかない。そのためには、アジア以外の外国人枠を緩和させることだ。優秀な選手が来日するためには、彼らに適正なギャラを保証するほかない。日本に育成型クラブがあっていいのは当然だが、投資型クラブもあっていい。レアルマドリード(スペイン)、チェルシー(ロンドン/イングランド)は、どちらかといえば、投資型クラブだろう。首都東京をホームとするビッグ・クラブ(※FC東京に期待はできない)が出現すれば、日本のリーグの状況が急変する可能性が高い。このことは何度も繰り返し書いているが、メガシティ首都東京に世界が注目するような、ビッグクラブを早急に創設することが重要だ。

プロ野球の横浜を買収するより、首都東京をホームとするサッカークラブ創設に投資したほうが格好いいと思うのだが。グローバルなフィーリングをもった「投資家」はいませんか?



2010年10月10日(日) 2−0勝利が妥当――日本vsアルゼンチン

ザッケローニ新監督率いる日本代表がアルゼンチン代表に勝利した。試合内容としては、日本の完勝とまではいかないものの、日本の全選手の守備がうまく機能し、切れのみられないアルゼンチン攻撃陣をほぼ完璧に抑えた、といえる。日本の攻撃陣に決定力があれば、スコアは3−0くらい広がってもおかしくなかった。

サッカージャーナリストの評価としては、親善試合であり、アルゼンチン代表選手のコンディション(時差、疲労等)の悪さを考慮しても、ベストメンバーの強豪に対して、日本が勝ちきったことに意義があるというものと、真剣勝負ではないから、日本の実力がアルゼンチンを上回ったとはいえない、という見方が並立している。

この試合についての筆者の総括は以下の通りである。まずもって、日本代表が先のW杯においてベスト16を果たし、自信をつけたことがうかがえた。このことは、成長の証だといえる。

しかしながら、あの試合のアルゼンチン相手ならば、日本は2−0の勝利が妥当だと考えたい、もちろん、結果論ではあるが・・・

日本の決定的チャンスは3度あった。1度目は前半9分、右サイドで本田圭のボールを受けた内田がゴール前へ右足クロス。詰めたFW岡崎が直接右足を合わせるが、GKロメロが正面でブロック、ゴールはならなかった。

2度目はこの試合唯一の得点シーンで、前半19分、MF長谷部のミドルシュートをGKロメロがはじいたところを、FW岡崎が飛び込んで決めた。

3度目は後半43分、アルゼンチンの右CKをGK西川が前線へパンチング。こぼれ球を拾ったFW前田が中央をドリブル突破。MFディマリアを振り切り、エリア中央でMFマスケラーノを左にかわして左足シュートを放つが、GKロメロが左に跳んでパンチング。得点できなかった。

日本の唯一の得点(決勝点)は、GKロメロのミスとはいわないが、ロメロのパンチングのボールをFW岡崎が献身的に詰めた結果であって、受動的な得点である。こぼれ球を狙って詰めたFW岡崎を評価すべきだが、能動的な、すなわち、崩しから生じた得点ではない。

一方、1度目はサイドからゴール前に狙ったクロスをFWがしとめるという、まさに攻撃の形を描いたとおりの決定機であり、同様に、3度目もカウンターからFWが相手GKと一対一をつくりだしたという決定機であり、両方とも創造的かつ能動的な決定機会である。受動的得点シーンとは意味が異なる。

さらに重要なのは、時間帯である。1度目の決定機が前半9分であったということ――この時間帯(開始15分以内)は、お互いが相手の動きを見極められない混沌とした時間帯であり、ここで先取点があげられれば、サッカーでは勝てる確率は高くなる。同様に、後半40分過ぎという時間帯は、疲労で選手のスピードがなくなり、カウンターが有効となる。そのような時間帯で得点をあげられれば、勝利を決定づける確率はより高くなる。そういう時間帯に日本が自ら得点機会を創造し、そこで着実に得点を上げられるようになれば、日本のW杯ベスト4も夢でなくなる。

後半43分、FW前田がGKロメロにシュートを阻まれた瞬間、TV映像のザッケローニ監督の渋面が印象的だった。おそらく、ザッケローニは、「自分で打つなら、必ず決めろ、決められないのならば、近くの選手を使え」と叫びたかったのではなかろうか。

真剣勝負の世界レベルのプロフェッショナルサッカーの試合において、2度も決定機を外すようであれば、勝ちきることは難しい。ザッケローニ新監督の初陣で日本が強豪アルゼンチンに勝利したことは、結果として悪かろうはずはないものの、筆者は、そのことを手放しで喜ぶほど、楽観主義者ではない。


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