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2008年09月15日(月) 若ノ鵬解雇には合理的根拠がない

スポーツ界における大麻事件としては、次の2件がよく知られている。

2007年11月、関東学院大ラグビー部員が大麻取締法違反(栽培)で摘発された際は、同部部員がネットで大麻の種を購入していたとされ、この事件により、関東学院大がラグビーのリーグ戦に残り1試合を残して出場停止処分を受ける。部員の処分については不明。もちろん同校ラグビー部は廃部になっていない。

2008年8月、ラグビーのトップリーグ下部、トップイーストの三菱重工相模原は、麻薬取締法違反容疑で逮捕状が出ているオーストラリア人選手との契約を8月28日付で解除した。報告を受けた関東ラグビー協会が2日、発表した。同選手は8月中旬、東京都港区六本木で職務質問を受け、尿検査で麻薬成分が検出された。その後、家族の病気を理由に帰国したが、代理人を通じて28日付で契約解除を申し入れてきたという。三菱重工相模原は選手やスタッフについて内部調査を実施したが、ほかに薬物使用の事実はなかったとしている。今後については捜査結果を待って方針を決めるが、現時点では活動の継続を希望している。

そして、今回(2008年8月)の元幕内力士若ノ鵬の事件である。元若ノ鵬は8月18日に警視庁に逮捕され、同月21日に相撲協会から解雇処分を受けた。解雇処分の撤回を今月9日、相撲協会の武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)に求めたが、却下されていた。若ノ鵬は大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕され、8日に処分保留で釈放された11日、日本相撲協会から解雇されたことを不服とし、力士としての地位確認を求める訴訟を東京地裁に起こした。あわせて同趣旨の仮処分命令も申し立てた。記者会見した元若ノ鵬は「相撲が取りたい。裁判をやるのはよくないが、相撲に戻るためにやる」と話した。同席した弁護士によると、大麻の所持や吸引など事実関係は争わず、協会の過去の処分事例に照らして解雇は重すぎると主張する方針だ。

さて、相撲界の主な不祥事を見てみよう。

1964年5月場所(昭和40年)
廃業した元力士が不法所持の拳銃で逮捕されたことをきっかけに、相撲協会が調べると、複数の現役力士および親方が拳銃を不法所持していたのがわかったが、処分はない。

1985年(昭和60年)
水戸泉と蔵間が相次いで交通事故を起こす。これがきっかけとなり、相撲協会は現役力士の運転を禁止。

1995年6月(平成7年)
元横綱・千代の富士の九重親方が約1億3000万円の申告漏れで修正申告に応じ追徴課税。理事長より口頭注意をうける。

1996年7月(平成8年)
元大関・貴ノ花の二子山親方が前年までの3年間で約3億円の申告漏れ。貴乃花、若乃花も申告漏れ。それぞれ理事長が口頭注意をうける。

1998年6月(平成10年)
相撲協会が地方場所の経費など前年までの3年間に総額3億5000万円の申告漏れ。約1億円の追徴課税。

1999年4月(平成11年)
元大関・霧島の陸奥親方が5年間に約2億2000万円の申告漏れ。約9000万円の追徴金。
相撲協会より6カ月間20%減給の処分。

2000年12月(平成12年)
闘牙が自動車人身死亡事故を起こす。理事会は翌初場所への出場辞退を勧告。師匠の高砂親方へも「役員待遇」から「年寄」二階級降格の処分。

2006年(平成18年)7月場所
露鵬が千代大海との一戦後、口論となり、風呂場のガラスを割り、厳重注意を受ける。その後カメラマンに暴行し3日間の出場停止処分となった。

2007年(平成19年)
旭天鵬、禁止されている車の運転で人身事故。一場所出場停止の処分。

2007年(平成19年)6月
武蔵川部屋の山分親方がちゃんこ番の男性を棒で殴り、書類送検

2007年(平成19年)6月
時津風部屋で時太山が暴行され死亡し、2008年2月に元親方らが逮捕。実行力士に解雇処分なし。

2007年(平成19年)7月
朝青龍が巡業を休んで無断帰国したモンゴルでサッカーをしていた。日本相撲協会は2場所出場停止処分を発表。

2008年(平成20年)1月
陸奥部屋の豊桜が弟弟子を調理器具で殴り、書類送検。処分なし。

2008年(平成20年)5月
間垣親方が、弟子を竹刀で殴りけがを負わせたとして減俸処分を受けている。

2008年(平成20年)9月
玉ノ井部屋の三段目力士が7日夜、タクシーの車内で暴れ、運転手に暴行を働いてけがをさせた。この力士は秋場所を休場。同力士は来場所、序二段に落ちる可能性もある。同力士は7日、酒に酔って運転席のヘッドレストをたたいたり、後部座席越しに運転手を蹴ったりして、全治2週間のけがを負わせた。被害届は出ていないが、師匠・玉ノ井親方(元関脇・栃東)と、部屋付の栃東親方(元大関)が9日、協会に呼び出され注意を受けている。


大麻取締法違反で起訴猶予となった力士を解雇するという処分は、これまでの相撲協会の処分と比べて、きわめて重いことがわかる。書類送検で解雇というのは前例がない。2000年12月(平成12年)、禁止されているはずの自動車運転をして、闘牙が自動車人身死亡事故を起こしたにもかかわらず、理事会は翌初場所への出場辞退の勧告ですましている。このたびの、大麻取締法違反で解雇というのは、きわめてバランスを欠いた処分であることがわかる。

このことは何を意味しているのか。若ノ鵬がロシア出身の出稼ぎ力士だからか。ならば、解雇処分は人種差別につながらないか。

法律違反が良いわけはない。だが、大麻取締法違反は微罪であり、しかも、起訴猶予。当人は20歳の若さで、十分反省している。筆者の感覚では、相撲界で発生したこれまでの人身事故、暴行、「脱税」のほうが重い事件だと思う。その当事者に解雇処分が出ていないのならば、若ノ鵬を解雇にする合理的理由が見当たらない。力士が大麻を所持することはよくないが、協会が人種差別をするのもよくない。むしろ、人種差別のほうが、「罪」が重いのではないか。



2008年09月09日(火) 相撲協会―得意技は大嘘

「大麻を吸ったことは一切ない」と言い張っていた大麻疑惑の力士二人だが、ロス巡業で吸引の事実があったことが判明した。大麻を吸うことは罪にならないという論理に従えば、力士二人の法律上の責任は問えない。だが、国技を演じる者が大嘘をつきとおした事実はTV映像を通じて、全国津々浦々に報じられてしまった。そればかりではない。そのことを知りながら、弟子をかばい続けたのが親方であり、元理事長だったことを万人が記憶している。さすがに、相撲協会理事長は辞任し、検査結果で「クロ」と出た大嘘つきの力士二人は解雇された。当然である。

相撲協会がこれまでの諸問題で弁明してきたことは、すべて、疑ってかかるべきだ。八百長問題、稽古殺人、朝青龍問題・・・マスコミが報じてきた相撲協会に関する諸問題について、相撲協会はずっと嘘をつき続けてきた可能性が高い。協会は、報道機関がこれまでつきつけてきた疑惑について、得意技の大嘘で切り抜けてきたのではないか。さすがに、このたびの「大麻事件」ばかりは相手が検査という科学であったため、得意技の大嘘がきかなかったようだ。相撲協会の弁明は、まずもって、嘘発見器にかけることが必要というわけか。

八百長、殺人、大麻、嘘、科学の否定、権力への異常なまでの固執・・・国技といわれる相撲道が聞いてあきれる。このような無法集団、暴力集団を財団法人=公益法人として所管してきた文科省の責任も免れまい。



2008年09月08日(月) 科学を無視する文部科学省外郭団体−日本相撲協会

検査結果で「クロ」と出たにも関わらず、本人が「やっていない」と言っている以上、検査結果を承知できない――というのが相撲協会の主張のようだ。証拠はあっても、本人が自白しない以上、その責を問わない、という主張と同じように聞こえる。協会の主張がとおるようなことがあれば、相撲協会は超法規的存在になってしまう。たとえば、協会内部で横領・着服等の犯罪が発生したとしよう。犯人が特定されたとしても本人が認めなければ、協会はその犯人を警察に引き渡さないというのだ。

大麻所持は違法だが、吸引は罪でない、という弁護士の主張もおかしい。相撲協会は力士の大麻吸引を認めるのか。副煙の可能性もあるという主張も同様だ。力士は大麻吸引者と同席しても本人が吸わなければいいというのか。副煙で検査結果が陽性になる可能性というのは、モクモクと大麻の煙が上がる中、密閉した空間に長時間大麻喫煙者と同席することを意味する。それが、国技を演ずる力士のモラルに適っているのだろうか。

このたびの大麻問題は、国技を任ずる相撲協会という、文部科学省所管の財団法人の内部で発生したことなのだ。これまで、大麻を所持した芸能人等の民間人が、取締法違反で規定された刑罰以上の社会的制裁を受けている。たとえば、芸能活動を中止し長期間の謹慎をしたりしている。なのに、国技を演じる力士が検査結果を無視し、「自分はやっていない」と、公共の電波の前で白を切りとおす。こんな醜悪な場面を見るのも久しぶりだ。そればかりではない。財団法人の理事長が、検査結果は信用できないとまで言う。科学を無視した態度だ。弟子がやっていない、といっているのだから検査結果を無視せよ、というのだ。こういうのを、“開いた口が塞がらない”というのだ。

繰り返すが、相撲協会という財団法人は文部科学省の所管だ。その監督下にある公益法人が、「科学」は信用できない、というのだから驚きである。国技を演ずる文科省の外郭団体が「科学」を無視し、傍若無人に振舞うというのであれば、教育もなにもあったものではない。国の教育も文部科学省の所管だ。国技を任ずる集団ならば「科学」を無視してもいい、国技を演ずる者は大麻を所持しなければ吸ってもいい、大麻を吸っている者と長時間同席してもいい、というのである。

当コラムで先述したとおり、相撲協会の諸事件の責任は文部科学大臣にある。大臣が責任を追求し問題解決に当たらなければ、この無法者集団は反省もしなければ、再発防止にも務めない。文科大臣は自分が所管する無法集団をいつまで野放しにする気であろうか。



2008年09月07日(日) 日本代表、苦難の旅の始まり

アウエーのバーレーン戦で3−2の勝利。初戦から勝点3を得たのだから喜びたいところだけれど、とてもそんな気になれない――というのが、日本代表サポーターの偽らざる感想ではないか。

原因はわからないが、いつもより躍動感のないバーレーン代表。最終予選の初戦ということで、バーレーン代表にも固さがあったのもしれない。過酷な気候を味方につけるため、前半は日本にボールを持たせ、後半勝負というゲームプランで臨んだのかもしれない。そんなバーレーンのプランを砕くように、中村俊のフリーキックが決まった。この得点で、バーレーンのペースは狂った。さらに、田中達の速い動きはバーレーンにとって想定外だった可能性もあり、バーレーンの大型CBが田中達の動きを追いきれなかったことで、バーレーンDFが混乱したことも考えられる。

そんなこんなで、87分間、日本はほぼ完璧にゲームを支配し、3−0の圧勝でバーレーンを去るはずだった。ところが、岡田の選手交代が日本圧勝の試合をぶちこわした。岡田は、26分松井→中村憲、33分玉田→佐藤、42分長谷部→今野の交代を敢行した。交代の中村憲がミドルシュートを決めたのだから、岡田の交代は成功したように見えた。

ところが、21分に退場者を出して1人少なくなったバーレーンの逆襲が42分長谷部→今野の最後の交代から始まったことは皮肉というほかない。43分のバーレーンの得点は、右SBの内田がマークを外したことに起因する。内田は疲労のため、戻れなかったのだ。右SB内田は岡田が発掘した若手だけれど、やはり、90分は無理だった。さらに、ボランチの交代が最終ラインのバランスを崩し、闘莉王のオーンゴールを誘った可能性もある。

相手に退場者が出て、40分に3点目が入り、日本代表に油断があったとは言えるかもしれないがしかし、ベンチも含めて、90分間、勝ちゲームを管理できない事実が、日本代表の現状をよく表している。最終予選、日本代表の苦難の道がこれからも先も続くことだろう。



2008年09月05日(金) 最終予選が始まる

いよいよW杯アジア最終予選初戦のバーレーン戦だ。初戦、アウエー、相性の良くない相手・・・と、日本代表には厳しい条件が揃っている。先日のウルグアイとの親善試合では、予想外に厳しくきたウルグアイに手も足も出ずに完敗し、日本の弱さを公開してしまった。

このコラムで何度も同じことばかり書いているので、自分でもいい加減いやになっているのだが、岡田ジャパンに期待するものは何もない。岡田のやり方は、ジーコと同じで、海外組に「おまかせ」という方針のようだ。中村俊が何かをしてくれる、稲本がなんとか・・・というばかりで、就任して後、チームのスタイル、規律、戦略、戦術の蓄積はゼロであった。つまり、時間ばかりを浪費したというわけだ。

海外組を含めて、力のある選手を代表に呼ぶことに誤りがあるはずがない。ジーコの場合もそうだったけれど、海外組を集めれば強いチームができるというわけではない。個々がバラバラならば、結束力のある規律をもった相手に負けるのがサッカーなのだ。

ジーコは、日韓大会でベスト16を果たしたトルシエジャパンの遺産を相続し、それを使い果たした結果としてアジア予選通過を手にし、本大会グループリーグ敗退(0勝2敗1分の勝点1)という結果を出した。その後を受けたオシムは遺産ゼロからのスタートであったが、貧しいながらも強い日本をつくろうと努力した末に病に倒れた。そして、その後を受けた岡田は、オシムの残したほんの僅かな蓄えも使い果たした――というよりも、僅かな蓄えさえもドブに流した。

日韓大会の遺産はジーコが散在しゼロに戻し、岡田が負債を負って、4年間でマイナスにまで落ち込み、今日に至っている。そんな状況において、着実に力をつけてきたアジア各国に勝てるわけがない。中東勢は、有り余るオイルマネーを使って選手を輸入し、アフリカ、南米、中東の混合チームを作り上げつつ、東欧、西欧の指導者の首をとっかえひっかえの奇策で、代表強化を図っている。

日本が予選リーグをすんなり通過するためには、難敵オーストラリアを別格とみて、中東2カ国に勝ち越すことが条件となる。

筆者の予想では、初戦のバーレーン戦、日本が落とせば日本の予選通過の確率はゼロ、引分で33%、勝利で50%だとみている。この先、日本が良くなる材料が見つからないのである。



2008年09月01日(月) WBC監督問題と説明責任

野球五輪日本代表が惨敗を屈した後、WBCの日本代表監督の座を巡り、俄然、世論が盛り上がってきた。当コラムにて先述したとおり、日本プロ野球を事実上支配する読売は、星野を、〔五輪⇒WBC⇒巨人軍〕の順で監督に就任させることが既定路線。五輪金メダル、WBC連覇ならば、外様の星野が巨人軍監督に就任しても、口うるさい巨人軍OBの文句を封じ込める、という読みだったに違いない。

ところが、五輪日本代表は、日本人メジャーを除く国内最強チームを編成したにもかかわらずメダルなし、予選リーグでキューバ、韓国、米国に負けてカナダに辛勝、決勝トーナメントでも韓国、米国に負けるという、野球ファンのみならず、国民の期待を裏切る結果に終わった。そればかりではない。星野の采配、選手選考、選手起用、スタッフ編成等という監督に係る仕事のみならず、その人間性にまで批判が集まり、星野のWBC監督就任は常識ではあり得ない状況になっている。

ところが、日本プロ野球の常識は世間の非常識――という現状を追認するかのように、星野がWBC監督を務める読売の既定路線は覆りそうもない。その理由は、これも当コラムにて先述のとおり、NPBが読売の意を全面的に汲む、飾り物の機関にすぎないからだ。

野球界からは、「日本シリーズ優勝監督をWBC監督に」(中日球団オーナー)という提案が出ているほか、ヴァレンタイン(ロッテ監督)、落合(中日監督)、王(ソフトバンク監督)らの名前が非公式に挙がっている。筆者は、読売でプレーした、デーブ・ジョンソン(米国北京五輪代表監督)を最適任者に挙げているが、いまのところ賛同者はゼロ(笑)。

メジャーリーガーが参加するWBCで日本がリベンジを果たして連覇するとなれば、五輪の屈辱を晴らして余りある。読売としては、星野に賭けるしかないところ。ここで星野がまた惨敗を屈すれば、星野の野球人としての命運は尽きたも同然。読売としても、星野巨人軍監督で人気の巻き返しを図る計画も果たしえない。WBCで星野が勝たなければ、星野も巨人軍も一心同体で運が尽きる。星野の代表監督続投は、読売としても背水の陣なのだ。

だが待てよ、〔野球の繁栄=読売の繁栄〕ではないだろう。読売が描いた星野=北京五輪日本代表監督〜WBC日本代表監督〜読売巨人軍監督という図式は、〔強い巨人軍〕の再現であって、過去の栄光を蘇らせるという読売の利益実現の再現にすぎないのではないか。そもそも、読売巨人軍一極集中のプロ野球のあり方が異形なのであって、いまこの時期、正常な姿に戻す努力のほうが重要なのではないか。

WBC監督=星野という路線は、だから、プロ野球=読売興行を追認するかどうかの踏絵となっている。筆者は、プロ野球の繁栄を願っているが、それは前出のとおり、読売の繁栄と等しいものではなく、フランチャイズ制度を土台にした、地域文化として地域の活性化に寄与する、自立するプロ野球の繁栄である。その中の一球団として、読売があってもいいしなくてもいい。日本においては、野球が生活文化として根付いている事実を認めざるを得ないのであって、それを破壊する必要はない。

中日オーナーの提案は正論だ――と筆者は思う。中日オーナーは、「結果として、WBC監督に星野が就任することになることはかまわない。星野である理由が明確であればよい」と述べているとの報道があったが、それも筆者の考え方と同じだ。渡辺読売会長が自社の利益追求の立場から、星野WBC監督を主張することは当然のことだと思う。渡辺会長の頭の中には、栄光の巨人軍、常勝の巨人軍という幻想以外にはない。彼にはプロレスのような――ハンサムのヒーローが群がるヒールをやっつける――野球しか思い浮かばない。

アジア太平洋戦争に負けた戦後日本は、神の子(臣民)すべてが大きな挫折感を抱いた。負けるはずのない神国日本が負けた事実に国民すべてが大きな虚脱感を抱いた。その虚脱感を埋めるのが、力道山の常勝プロレスだった。八百長だと言われても、虚脱感を埋める娯楽として、力道山プロレスは支持されたのだ。

野球も同じである。強い者に対する憧れが巨人軍神話を形成し、野球ファンは常勝を望んだ。野球(スポーツ)とプロレス(演劇)は根本的にそのあり方が違うので、八百長を仕掛けるわけにはいかない。それゆえ、読売が採用したのは豊富な資金力を使った選手集めと、コミッショナーを動かす超法規的措置だった。「空白の一日」を使って江川を巨人軍に入団させ、エース小林を阪神に放出した「江川事件」は記憶に新しい。近年では、ウエーバー方式のドラフト制度を形骸化させ逆指名制度を規定化し、そのうえでFA制度を設けて、豊富な資金力で他球団の主力選手を入団させて、常勝軍団をつくろうと図っている。スポーツジャーナリズムはそれを企業努力だといって批判するわけでもなく、読売のなすがままだ。

読売以外の新聞社や出版社系の週刊誌は読売批判を行うものの、所詮、外野席の声に過ぎず、巨艦読売を沈没させるには至らない。読売の単独行動主義を止められるとしたら、国民の声に裏打ちされたコミッショナーの判断しかない。NPBが独自性・公正さを取り戻して、真にプロ野球の統括機関として機能するならば、WBC監督問題は明日にでも結論を出せる。星野であることの説明、星野でない、ほかのだれかである説明をコミッショナーがすれば、それでこの問題は終息するのである。もちろん、結論を明日だせというのではなく、“監督問題はコミッショナーが預かる”と一言言えば済む問題なのだ。それができなければ、“名ばかり”コミッショナーという現実がダラダラと続く。


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