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2008年02月26日(火) A新聞の岡田監督批判

本日(2月26日)付けA新聞朝刊のスポーツ欄を読んだ方は驚いたに違いない。東アジア選手権の総括記事として、岡田代表監督に対する批判記事が掲載されたのだ。管見の限りだが、A新聞の批判記事ほど過激な「岡田批判」を見たことがない。

中で筆者を驚かせたのは、選手のあからさまな岡田監督批判の声が掲載されたことだ。この記事を読む限り、岡田の代表監督としての資質の限界は見えている。欧州で名将と呼ばれるオシム前監督と比較することはもとより不可能だけれど、肝心なところを選手にまかせるスタンスは、ジーコ前監督に似ている。監督のこういうスタンスはいい結果を生まない。レベルアップしないことは、ジーコ前監督で実証済みだ。

“選手の自主性に任せる”という監督の「方針」は、いかなる強豪国の代表チームにおいてもあり得ない。仮にそのような表向き発言があったとしても、実際はチーム内で約束事を決めている。チームに規律がなければ、現代サッカーは成り立たない。実力伯仲の世界のサッカーにおいて、試合に取り組む方針を選手同士が話し合って決めるチームはない。

もちろん、ピッチに入れば、選手は個々の判断で動くが、その動きは反応と呼ばれるものであって、作戦に規定された動きとは異なる。A新聞を読む限り、岡田は作戦に規定された動きを選手同士の話し合いに任せているように思う。A新聞を読まなかった方に、肝の部分を要約しておこう。

《方針を立てるだけでなく、実行するための細部をきちんと示した前任のオシム監督との落差は大きい。ある選手は「オシムに慣れている中村俊は大変だ。欧州組が合流するバーレーン戦は間違いなくうまくいかない》

こんな生々しい選手の声が一般紙のスポーツ欄に載ることは筆者には記憶がない。代表選手とA新聞が岡田の「代表監督不適格論」を合唱しているのだ。

岡田が代表監督としての資質を欠いている所以は、サッカーの戦略・戦術の構築力の欠如、組織指導力の欠如にとどまらない。常軌を逸した中国戦後の記者会見において、岡田は、主審と中国チームの批判をしなかった。その理由が自身の判断ならば、選手の信頼を損なう要因の1つとなろう。岡田が日中の政治的関係を慮ったとするならば、岡田は代表監督よりも外務官僚や政治家に向いている。選手は怒りを抑えて中国と試合をし、勝利した。主審と中国チームに対し、怒り、憤り、不平不満を抱いて当たり前だ。にもかかわらず、自分達の将が試合後の記者会見で、〔外交辞令〕を述べるにとどまった。岡田は戦う集団の将ではない。岡田が北朝鮮の主審と中国チームを批判したからといって、日朝関係・日中関係が悪化するはずがない。岡田の頭の中では、スポーツは政治と関わらない、という小利口な知恵が働いたのかもしれない。岡田がスポーツマンならば、スポーツマン精神、フェアプレイ精神から、北朝鮮の主審と中国チームを批判すべきだった。それが唯一、体を削られながら中国に勝利した代表選手の労に報いる術だった。

東アジア選手権は、有意義な大会だった。東アジアのわずか3カ国と公式戦を戦い抜いたことによって、岡田の代表監督としての能力の欠如が公になった。協会が動くなら、いましかない。



2008年02月25日(月) 東アジアの頂点

サッカー東アジア大会が終わった。岡田が代表監督に就任して始めての公式大会だ。W杯予選は長期間、ホームとアウエーを1試合ずつ戦っていくが、大会では中2〜3日で集中的に試合をしなければならない。選手には集中力とスタミナが要求される。しかも、東アジアという特殊な歴史性、地理性が背景にあり、参加国は日本に対して闘志を燃やして試合に臨んでくるばかりでなく、主審のジャッジも日本に不利な場合が多く、スタジアム全体が日本を敵視している。完全アウエーのタフな試合が続く。日本は優勝を逃したのだが、日本代表に足りなかったものは何か。

過酷な大会であればこそ、チームが成長する絶好の機会となる。別言すれば、日本代表チームは、こういう大会を経験することによって、大きく成長する。東アジア大会のような機会はまたとない。欧州には、このような大会はないが、全欧州規模で国際親善試合が組まれており、公式戦なみのファイトが繰り広げられている。先日衛星放送で放映さえたスペインVSフランスは、親善試合だったけれど、とても厳しい試合だった。実力伯仲の国が短い移動時間でマッチメークできる欧州は恵まれている。中東の「ガルフカップ」も有名だ。「湾岸」というと戦争をイメージするが、この大会は、中東勢の威信をかけた公式戦だ。

しかし、大会を年間に何度も開催することは難しい。代表選手を鍛えるには、思い切った海外遠征を行うことだ。日本の雨季は6月だが、このあたりをJリーグの中断期間として、代表チームが海外遠征できるといい。遠征というと「欧州遠征」が定番だが、東南アジア、中東、中南米にも行きたいものだ。五輪代表が米国遠征を行ったことは意義がある。

さて、筆者は、東アジア大会を戦った岡田ジャパンについて、「日本代表は本当にこのままでいいのか」という深刻な思いを抱いた。代表選手選考、選手起用、戦略・戦術、勝負へのこだわり、選手の士気・・・表現は稚拙だが、日本代表選手には、「サバイバル」の意識が欠如しているように見える。

北朝鮮の選手は、○○に負ければ、国で生きられない、くらいの強い危機意識があるように思う。危険なプレーを繰り返した中国選手には、○○に負ければ、国民から見放される、という思いを抱いて試合に臨んでいたように思う。韓国のある選手は、日本との試合では、戦力・戦術は関係ない(=勝つ意志の強さが試合を決める)、と言い放った。

勝利への思いで相手を上回り、技術とパワーで相手を上回れば、必ず勝てる。だが、日本代表の選手には、他の3国と同じような意識はない。だから、日本は優勝できなかった、とは言わない。東アジア3国の選手が日本との試合に抱く意識と、日本選手が3国との試合に臨む意識には隔たりがあって当然だ。逆論でいえば、日本には、3国の「勝利への意志」を粉砕する技術とパワーが求められている。日本代表監督は、純粋スポーツとして、東アジアの3国に勝ちきる意味を選手に植え付けなければいけない。言葉は悪いが、日本代表選手の間に、“格下の相手に負けるわけにはいかない”という、意志が形成できるかどうかだ。岡田にスポーツ伝道師としてのカリスマ性があるかどうかとも換言できる。



2008年02月23日(土) こんなんもの

サッカー東アジア選手権は、韓国戦に1−1で引分けて日本は優勝を逃した。初戦の北朝鮮に引分けたことが、優勝できなかった直接の要因だけれど、東アジア3国を鏡にしていまの岡田ジャパンの力を計ると、結果としては、「まあ、こんなもの・・・」という以外、なにもない。

日ごろから当コラムで強調しているとおり、親善試合でコンディションの悪い海外代表には勝てても、公式戦ではそう簡単に勝てないことがおわかりいただけたと思う。東アジアを軽く見てはいけない。アジアを軽く見てはいけない。

そういう意味で、Jリーグに属しながら今大会に参加しなかった高原は、「日本のエース」と呼べない。この大会は、W杯3次予選を戦ううえで、チームづくりに重要な位置を占めていたからだ。クラブ優先を容認した岡田監督も浦和に気を使いすぎというか、甘すぎる。

そればかりではない。岡田監督は自身の高校の後輩である橋本(G大阪)を、優勝がかかったこの試合で攻撃的MFで先発起用した。橋本はボランチの選手。怪我人が多いとはいえ、起用の意図がわかりにくい。オシム前監督がポリバレントという概念を持ち込んで、幾人かの代表選手を本来のポジションと異なるポジションで起用したが、その例に倣ったのだろうか。選手をいろいろなポジションで試すことは悪いことではないが、それに順応できる者とそうでない者がいることを見抜くことも大事。筆者には、橋本に攻撃的MFが務まるとは思えない。

ついでにいえば、加地の左SBにも疑問符がつく。内田と加地が右で競合する、岡田は内田を育てたい、加地、悪いけれど左にまわってくれる・・・という選手起用で、チームは強くなるのだろうか。

日本の3試合中、もっとも印象的なのが北朝鮮戦。日本は北朝鮮のようなタイプを苦手としている。北朝鮮は守備が硬く、スピードがあり、一対一に強い。俗に言う「玉際に強い」選手が揃っている。FIFAランキングでは雲泥の差がありながら、日本と北朝鮮の対戦成績はほぼ互角だ。この事実を認識しておこう。どういうことかというと、日本と北朝鮮は国交がなく、親善試合を組む機会がない。両国が対戦するのは常に公式戦だ。つまり、ガチンコの公式試合であれば、日本は北朝鮮にもなかなか勝てないのが現実なのだ。

日韓W杯でベスト16入りを果たして以来、日本の実力は世界クラスだと誤認している人が多いが、日本の実力は、当コラムで何度も書いているとおり、世界で50位程度、アジアでも10位以内だ。アジアには、中東勢として、サウジアラビア、イラク、イランの3強がいるし、東アジアには韓国、北朝鮮がいる、さらに、オマーン、カタール、UAE、ウズベキスタン、中国にも日本は、アウエーでは簡単に勝てない。さらに、オーストラリアを加えれば、10番目以内になる。

レベルが低いといわれるアジア予選だが、言われるほど簡単ではない。日本は現に、東アジアの4カ国中2〜3位なのだ。気を引き締めて、3次予選に臨んでほしい。



2008年02月20日(水) 主審のレベルが低すぎ

中国ホームの中国VS日本で主審が北朝鮮ならば、公正な判定を望むことはできない。日本選手は中国選手の悪質なファウルと中国びいきの判定に苦しめられたが、虎の子の1点を守りきって勝利した。日本選手のがんばりは賞賛に値するけれど、こういうジャッジがまかり通るアジアのサッカーレベルを早く引き上げなければならない。

東アジアをめぐる複雑な現代史という背景を否定しようもない。だが、それはそれであって、サッカーというスポーツに持ち込むべきでない。主催者は、東アジア4カ国がそれぞれ複雑な外交関係にあることを考慮し、本大会を裁く審判団は、参加国以外から選出すべきだった。

中国VS日本を裁いた北朝鮮の主審はもちろん、確信犯的に中国有利の判定を乱発した。だが、深刻な問題は、中国選手のラフプレーを幾度となく見逃したことだ。「アウエーの洗礼」では済まされない。

さて、試合内容はどうだったのか。この試合の殊勲選手はGK楢崎で、スーパーセーブが3回あった。中国のパワープレーを落ち着いて跳ね返した、CB(中澤・今野)も貢献度が高かった。この試合では、DF陣が健闘したと言える。

攻撃はどうだったのか。得点者は山瀬だったが、この得点は、左サイドから左足で正確なクロスを上げたSBの駒野に負うところが大きい。SBからの速い攻めに不可欠なのが速い正確なセンタリングで、左SBなら左足でクロスを上げられなければ、得点チャンスは減ってしまう。このコラムで何度も書いているとおり、日本代表にはレフティーの左SBが必要であることが再確認された。

岡田ジャパンがこの試合で採用した、田代の1トップ、安田、山瀬の2シャドーは機能したのか。得点シーンにつぶれ役で絡んだのが田代で、得点者が山瀬なのだから、一見すると成功したかのように見える。だが、それ以外に決定的な形がつくれたのかというと、そうでもない。田代のポストプレーも見られなかった。攻撃パターンが少なく、粘り強く耐えて守り勝った、という印象がぬぐえない。



2008年02月18日(月) 混乱、そして無気力

東アジア選手権初戦の北朝鮮戦は、近年の日本代表の試合のうち、最も悪い内容の1つだった。試合直前、右SB加地が不可解にも左SBにコンバートされ、ぶっつけ本番で先発した。中盤一人ボランチの弱点は相変わらず修正されず、この試合でも失点につながった。北朝鮮に勝てないようでは、W杯アジア3次予選のアゥエーのタイ戦は、日本が失う可能性が高い。

日本代表は岡田によって破壊されようとしている。そればかりではない。監督の試行錯誤は勝手だが、選手が壊されるようだとクラブの損失につながる。

日本の失点について、振り返ってみよう。日本のアキレス腱は最終ラインだと指摘したが、この試合でそのことが実証された。最終ラインの二人の能力の問題という部分もあるが、いまの日本代表が守備のブロックを形成できていないという、システム上の問題の方が重要だ。何度も指摘するが、鈴木のワンボランチは無理筋である。前に選手を集めたからといって、攻撃的になるとは限らない。リスクを犯してでも攻めのサッカーをする、というのは観念的な掛け声であって、現実にはそうなっていない。

この試合後半、本来左SBの安田が左MFの山岸に代わって出場し、左SBの仕事をして得点につなげた。先発左SBの加地がまったく機能しなかったわけだ。つまり、結果論だといわれようと、山岸の代わりに鈴木と並んでボランチを置いておけば失点は避けられたし、本職の左SBを先発させておけば、もっと早く得点できた可能性が高い。つまり、岡田の試行錯誤は無駄だったということを、自らの選手交代が証明したわけだ。

筆者は岡田の代表監督能力に疑問を抱いていると、ずっと当コラムで書いてきた。もしかすると、残念ながら、東アジア選手権で筆者の疑問の回答が出てしまうような気がする。いまの状態でW杯アジア予選を戦っていけば、3次予選は通過できても、代表チームの成長は期待できないし、最終予選で苦杯を屈する可能性のほうが高い。なによりも、選手に気迫がないことが気がかりだ。



2008年02月15日(金) ロバを担ぐ

イソップ物語に、ロバを担いだ親子の話がある。ロバを引きながら歩いていると、通りかかった人が「ロバに乗らないで歩いているなんて、なんて馬鹿な親子なんだ」と笑われた。そこで子供がロバに乗ってしばらくあるいていると、「おやおや、年老いた親を歩かせて子供がロバに乗っているなんて、なんて親不孝な子供なのだろう」といわれた。そこで親がロバに乗って子供が歩いていると、「幼い子供を歩かせて、親がロバに乗るなんて、なんて酷い親なんでしょう」となじられた。困った親子は考えた結果、2人でロバを担いで歩き始めたのだが、ロバの重さに耐えかねて、橋から転がって川に落ちて溺れてしまった・・・という話だ。

教訓は、「信念を持たずに、人の意見ばかりを聞きすぎると、結果は散々」というものだ。いままさに、岡田ジャパンはロバを担ぎつつある。当初、接近・展開・連続のラグビー理論を持ち出したのだが、サイド攻撃、サイドチェンジ、前線を追い越す走り・・・といったスペースを広く使うモダンサッカーの原則論から批判を受けると、ラグビー理論を引っ込めた。併せて、狭いスペースにおける速くて小さなパスまわしを標榜したが、実戦(親善試合)で相手に強いプレスをかけられて上手くいかず、これも引っ込めた。また、就任以来中盤ダイヤモンドの1ボランチを採用したものの、タイ戦(公式戦)で中央からミドルシュートを決められ、サッカー評論家から中央の守備の手薄さを指摘されて、2ボランチに戻そうとしている。

現在の岡田ジャパンをサッカー評論家のI氏は、「ヒデ、俊輔不在のジーコジャパン」と評したのだが、誠に的確な表現だと感心した。ジーコジャパンは守備に規律がなく、中盤とバックラインのマークの受け渡しが曖昧だった。相手の攻撃に対して、常に守備者を余らせるという約束事もなかった。だから、なんとなくゾーンで守っているというイメージはあったものの、混戦状態、スピードのある切り崩しに弱かった。W杯ドイツ大会初戦の豪州戦では、後半スタミナ切れした日本DFが相手をマークしきれず、混戦で押し込まれて失点し、さらに試合の経過とともにMF・DFの動きが悪くなり、最終ラインでマークを振り切られて2失点し、合計3点を取られた。

オシムジャパンでも、日本の守備の弱点は克服されなかった。昨年のアジア杯準決勝サウジアラビア戦では、スピードのあるサウジ攻撃陣に日本DFがマークを振り切られ失点した。4バックのCB阿部・中澤がついていけなかったわけだが、阿部はユーティリティーで読みの良い選手だが、「最後の最後」の応対のスピードがない。筆者は阿部のCBに不安を抱いている。

このたびの東アジア選手権は、日本代表の守備を仕上げる絶好の機会だ。DFは実戦を積み上げることで強固になる。しかるに、遠征直前になって坪井が代表引退を表明したのは残念、というよりも、あってはならないタイミングの「代表引退」だった。坪井はレギュラーではないが、代表選手の一人だ。代表引退の意思表示はもっと早くあるべきだった。この先、いま現在のレギュラーの中澤・阿部が全試合出場できる保証はない。2人とも欠場もあり得る。東アジア選手権の3試合で異なる組合せによるDFテストを行う選択肢もある。日本代表監督の岡田は、DFの組合せについて、どのような危機管理意識をもっているのか問いたい。

さて、当たりまえの話だけれど、W杯アジア3次予選で注意すべきはアウエーの3試合、中で最も危険なのが6月14日に敵地で対決するタイ戦だと筆者は思っている。初戦(日本ホーム)は、試合直前にタイの主力2人が累積警告で出場停止が判明し、しかも、当日は厳寒の雪中試合というタイにとって悪条件が重なり、タイは本来の力が出せなかった。

昨年のアジア杯では、タイは開催国の一国として、その役割を十分に果たした。戦績は、優勝国のイラクと引分け、オマーンに勝って勝点4で豪州に並んだものの、その豪州に負けてグループ3位となり、決勝トーナメントに進出できなかった。

6月、日本はタイ戦の前にオマーンとの2試合(2日:日本・ホーム、7日:オマーン・ホーム)があり、この2試合の1試合を負けもしくは引分けた場合、14日のアウエーのタイ戦はかなりプレッシャーがかかる。厳冬の日本で本来の力が出せなかったタイは、酷暑の母国でリベンジを誓ってくる。そればかりではない。日本代表のレギュラーの何人かがケガ、サスペンションで出場できない可能性が最も高いばかりか、疲労が溜まるのもこのころの日程に当たる。

このたびの東アジア選手権(公式戦)は、いい機会なのだ。オフ時間も敵サポーターに囲まれたアウエーの公式戦は、日本代表各選手に精神的結束を促す。合宿以上に、チームワークを形成する絶好の機会であり、3次予選を戦い抜く上で最上の日程が組まれたといって言いすぎでない。だから、代表の選手・スタッフは、この遠征を無駄にしてはいけない。

結果を問わない、という前提は負けてもいい、ということではない。目的意識をもって試行をしたが、結果がついてこなかった場合も容認するという意味だ。ところが、こういう前提ほど難しいことはない。何を試行すべきかという目的意識を全員が共有しないと、緊張して試合に臨めなくなる。その緩みを防ぐため、代表監督は選手に過酷な任務を課すこともある。

なお、繰り返しになるが、日本代表の弱点はFWだといわれるが、アキレス腱は最終ラインなのだ。先述したようにその最も重要な最終ラインの一人が代表を去った。そのことを含めて、東アジア選手権は岡田の手腕を見定めるいい機会となろう。



2008年02月11日(月) 箍が外れた

日本代表が混乱している。東アジア選手権を控えて、主力の高原が離脱した。続いて、巻、阿部、大久保が怪我で離脱し、坪井が代表を引退した。怪我で離脱は仕方がない。筆者が理解できないのは、この一連の代表不参加が、代表メンバー発表後に判明したことだ。この混乱の主因は、筆者の憶測では、コンディションの上がらない高原を代表監督の岡田が特別扱いして、クラブに戻したことだと思われる。

岡田はドイツで準レギュラーだった高原及び人気クラブ浦和への心遣い、気兼ねから、“FWの1席は高原で決まり、だから、東アジアはいいよ、クラブで一生懸命練習してネ”と、浦和の高原を特別扱いを当然のこととして、代表不参加を認めたのだと思う。

この特別扱いは、フェアではない。そもそも、移籍した代表選手は高原だけではない。いまはシーズン前、全選手にとって、調整途上であり、調子が上がりにくい時期だ。体が動かないのは高原だけではない。高原が特別に調子が上がらないような病気をもっているのならば、彼は代表選手としての資質の1つを持っていないことになる。高原が才能のある選手であることを認めるけれど、代表選手というハードな役割は担えない。つまり、総合的に見て、彼も代表候補の1人にすぎないのだ。

代表選考の基準は代表監督によって違う。人間だから好みがある。サラリーマンの世界でも、上司が変わって抜擢される場合もあるしその逆もある。だが、そういう判定が許される範囲がある。誰の目から見ても納得できない不公正な人事ならば、企業がその上司の人事考課に疑問を呈し是正をするのが常だ。

今回の「高原特別扱い」は、岡田が高原に対し先見的高評価を与えていたことを示した。この高評価は、ジーコ元監督が鹿島時代の教え子である柳沢を特別に遇したことと表面上は似ている。しかし、その内実はちょっと違う。東アジア選手権が開催される2月中旬は、Jリーグ開幕を控えた時期だ。どのクラブも開幕に向けて、最も重要なチームづくりの時期にあたる。その中で、各クラブは主力選手を代表に供出する。クラブは、代表強化の錦の御旗の下、選手の将来性、付加価値形成という面も考慮して、クラブエゴを捨てて、代表に協力をする。それが、代表とクラブの大同団結の共通認識だ。さらに、クラブで調子が上がらない選手でも、代表合宿で新境地を開く可能性も高かった。代表合宿や国際試合を経験することで選手が成長するという期待もあった。

ところが、クラブは岡田ジャパンに選手を供出しても、何のメリットもないことを知った。岡田ジャパンでは、選手を預けても、選手の実力が上がらない。その理由は、岡田のサッカー理論、練習方法、サッカーに対する考え方がきわめて凡庸だからだ。

岡田は代表監督として、高原をどう扱うべきだったのか。ビッグクラブ浦和に対して、“代表で鍛えて、調子を上げてクラブにお返ししますよ”でよかった。岡田には高原を預かる自信がない。だから、浦和が怖くて、代表に呼ばなかったのだ。情けない。箍が外れた日本代表。クラブとの信頼関係も崩れている。



2008年02月06日(水) 終わってみれば

日本がタイに4−1で圧勝した。だが、前半はタイに苦しめられっぱなしだった。FKで先制したものの、直後にクリーンシュートで追いつかれた。重い空気がスタジアムを覆った。

同点で折り返した後半、ゴール前のこぼれ球を大久保が押し込んでリードを奪った。この得点で日本は危機から脱したといえる。すべてに幸運な得点だった。

その後、タイに退場者が出た。日本はタイの心身のバランスの崩れに乗じ得点を重ね、終わってみれば4点とった。得点分布としては、先制点=遠藤のFK(前半20分)、勝ち越し点=先述の通り(後半9分)、3点目=セットプレーから中澤の頭(後半21分)、4点目=セットプレーから巻の頭(後半ロスタイム)。後半の勝ち越し後は、タイの自滅に近い。

心配なのは、右SBの内田。内田は試合全般を通じてほぼフリーだった。にもかかわらず、センタリング、クロスボール、パスの精度が低い。前半の苦戦の要因の1つだ。もう一人は、FWの高原。筆者は以前から、高原はポストプレーがうまくないと思っていたし、当コラムでもそう書いてきた。この試合でも、ボールが収まらない。トップに収まって左右に展開できれば、ゴールに近い位置に速いセンタリングが戻ってくるので得点の確率は高くなる。高原・巻の2トップで、巻がポストプレーを担当するしかないかもしれない。

戦術面ではシステム上の心配だ。3次予選のヤマは6月だと言われている。6月の中東・日本は蒸し暑い。その中で、岡田ジャパンの<4−〔1−2−1〕−2>の中盤ダイヤモンドがDFとしてうまく機能するのだろうか。守備に入ったときに、4人の距離が離れすぎるとブロックが崩れ、危険度が増す。ボールへの寄せが遅くなるのはスタミナが切れる後半、もしくは、試合中のアクシデントによって生じる、精神の空白の瞬間だ。タイの同点弾は、日本守備陣の中央部分がすっぽり空いた状態で放たれたミドルシュートによるものだった。日本選手が先制点で緊張が緩んだときだった。

厳寒の日本ホームの初戦は、タイにとって厳しかったようだが、タイのホームであれば、タイはもっとアグレッシブな展開を志向したに違いない。日本の中盤が、タイ・中東勢(バーレーン、オマーン)の攻勢に耐えられれば、3次予選は通過できる。



2008年02月05日(火) タイは危険

いよいよ、W杯アジア地区第3次予選が始まる。初戦はホーム、相手はタイ、だから安心というわけにはいかない。その理由は、岡田監督のサッカー観が混乱をしているからだ。就任当初、思いつきで、接近(集合)、展開(離散)のラグビー理論を掲げ、そこに短いパスまわしを付加したものの、初陣でモダンサッカーを展開する若いチリ代表の強いプレスに攻撃を封じられた。次のボスニアヘルツェゴビナ戦で、選手は自主的にサイド攻撃、チェンジサイド、ロングボール、フリーランニング等に戦術を切り換えた。チリ代表とは一転して元気のない、半病人のボスニアヘルツェゴビナ代表に圧勝したものの、代表メンバーの中には、岡田監督の指導力に疑問符を投げかけている選手もいるらしい。

そもそも、オシム前監督の後がまに岡田を起用するという人選が誤りであることは、当コラムで繰り返し書いた。繰り返せば、残念ながら、いまのところ、日本の指導者はサッカー先進国の欧州・中南米で通用しない。実績がない、世界クラスの選手を束ねた経験がない。そもそも、日本がW杯に出場したのが近年の3回、アジア地区予選を勝ち抜いた実績が2回。W杯の実績は、ホームでベスト16、他国開催の2回で合計勝点2、いまだ、勝利がないのだ。W杯地区予選を勝ち抜いた監督は前述したとおり、岡田(98年・フランス大会)、ジーコ(06年・ドイツ大会)の2人。そのうちの1人が岡田なのだが、98年当時のアジアとその10年後とは状況が異なる。顕著な違いは、豪州の加入、アラブ諸国の実力アップ、中国・東南アジアのレベルアップだ。

なかでもタイは手強い。タイの実業家がマンチェスターシティーの経営に乗り出したりして、サッカー熱が沸騰している。英国プレミアに選手が入団した。もしかすると、日本がJリーグを設立したとき――第1次Jリーグブームのときに似ているのかもしれない。「ドーハの悲劇」(アメリカ大会予選)を体験した日本は、その4年後、日本サッカー史上初のアジア地区予選突破を果たしたわけだ。

いまのタイが当時の日本と同じだとは言わない。けれど、日本がアジア地区予選を突破したように、それまでできなかった国が突破できないという理由はない。日本がテーク・オフしたように、いずれ、東南アジア各国もテーク・オフする。本予選がその時期に当たるとも言わないが、〔3次予選=日本の楽勝〕という図式は当たらなくなった。

タイの戦術を見極めよう。相手がセンターラインまで引いて守るのならば、日本はポストプレーで勝機を見出せる。高さで優位の日本は、へディングの強い巻(矢野)に当てて、混戦から高原、大久保らがシュートを狙える。逆に中盤でゴチャゴチャしたパスまわしにこだわれば、タイのカウンター、ロングシュート、ミドルシュート、裏を取られて・・・の失点の可能性も高い。タイの足技は日本より上だ。

次の狙いは、左右のSBの突破から、速いセンタリングが上がれば、巻、高原に集中した相手マークの間隙をぬって、中盤の大久保、山瀬、羽生、遠藤・・・が走りこんで合わせるプレーが得点チャンスを生む。遠藤の得点シーンが期待できる。

最も期待できるのがセットプレー。コーナーキック、フリーキックならば、日本の高さが武器となる。中澤、阿部の頭が得点を生むだろう。

筆者は、ダークホースとして、羽生の活躍に期待している。スピードにはスピード――前半、日本の寒さにエンジンがかからない、あるいは後半、スタミナ切れのタイDFのすきをついて、羽生がミドルレンジのシュートを決めるシーンが想像できる。

日本がタイに勝つ戦略は、岡田監督が掲げた、▽集中・展開というボールに集まるサッカーをしないこと、同じく、▽短いパスを回さず、ピッチを広くつかうこと、相手がタイならば、▽落ち着いてボールをキープし、▽高さを武器にすること――が必要だ。つまり、岡田監督の掲げたサッカーを全部否定すれば勝てる、と筆者は思っている。


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