Sports Enthusiast_1

2004年12月31日(金) 規律・団結・勤勉・プロ意識

「わたしのサッカー哲学は規律と団結、勤勉、プロ意識の4つが柱。レアルにもこの信念で臨む」
レアルマドリードの新監督に就任した、ブラジル人のルシェンブルゴ氏の言葉だ。同じブラジル人だが、どこかの新米代表監督が標榜する、「自由」「創造性」といった言葉が出てこない。当たり前の話だけれど、サッカーで勝つための哲学はこれで十分だ。
前にも書いたことだけれど、南米サッカーがラテン気質――陽気で自由で奔放で、といった固定観念を日本人は持っている。“ラテン”の意味するものは“ローマ”だけれど、イタリア史を一読したことのある人ならば、イタリア(人)が気楽で奔放で明るいとはとても言えないだろう。その歴史はまさに血ぬらたものだし、陰謀に満ち満ち、イタリア史を読んで、暗鬱とした気分にならない人は少ないだろう。
南米の旧宗主国であるスペイン・ポルトガルの歴史はさらに複雑怪奇だ。スペイン・ポルトガルの支配者は、ヨーロッパ先住民、ケルト人、ローマ人、ゲルマン人、イスラム系アフリカ人、ハプスブルグ(墺)・・・と変遷した。かの地が明るくなる理由を見つけることはできない。スペイン(人)、ポルトガル(人)が自由で陽気な「国家」「国民」であるとは、私には思えない。
それだけではない。アルゼンチンを除いた南米諸国には、アフリカ系の移住者が多い。彼等はスペイン、ポルトガルが南米を植民地経営するための労働力として、アフリカから奴隷として連れてこられた人々の子孫たちだ。リオのカーニバルは一見、陽気で明るいけれど、その明るさは、奴隷として見知らぬ地に不本意に連れてこられた彼等の先祖の怨念の裏返しであって何であろうか。カーニバルは、イスラム教ではラマダン明けに該当する“ケ”から“ハレ”への転換儀式だ。そこに明るさを見る人と暗さを見る人とでは、歴史観・宗教観が違う、という理由では済まされない。ブラジルを筆頭とする南米のサッカーとは、アフリカ系、旧宗主国のヨーロッパ系、そして「インディオ」と呼ばれた先住民たちの民族性が融合したスタイルなのだ。ラテンアメリカという言葉があることはもちろん承知だが、ラテン音楽から想像される、あの陽気さだけがラテンアメリカの風土ではない。
私たち多くの日本人が抱く南米、ラテンのイメージは間違っている。だれがいつ言い出したことなのかは知らないけれど、南米・ラテンを気楽で明るい外国だと思い込み、その誤った認識をサッカーにまで持ち込んでしまった。だから、専門家であるサッカー解説者ですら、ブラジルや南米のサッカーといえば、ラテン、ラテンと評して終わってしまう。
たとえば、ブラジル選手権を制したルシェンブルゴ率いたサントスの組織的サッカーが“ラテンサッカー”なのだろうか。トヨタ杯で惜敗したコロンビアのオンセカルダスの超守備的サッカーが“ラテンサッカー”なのだろうか。
サッカーで勝つための哲学は「規律・団結・勤勉・プロ意識」であって、そのことは、南米のブラジルでもコロンビアでも同じだし、ヨーロッパのイタリア、イングランド、スペイン、ドイツ・・・でも同じことだ。もちろん、日本だけが違うことなどあり得ない。



2004年12月30日(木) やっぱりか

悪童ロマーリオ、最後まで悪童振りを発揮した。やっぱり、「引退」を撤回したようだ。「オレは、そんなこと言っていない・・・」か(笑)
バスコからオファーがきているというのは信じがたいが、ブラジルサッカー界、何があるかわからない。それにしても、私の期待したとおりの展開になったので、うれしく思っている。でも今度ばかりは正直言って、悪童の引退を90%信じてしまっていた。
今シーズンのブラジルサッカーは、ルシェンブルゴ元代表監督が率いるサントスが優勝。サントスといえば、若手の主力選手の一人、ディエゴ(ジェゴ)がポルト(ポルトガル)に移籍したのをはじめ主力が抜け、戦力低下と思われたものの、他の若手選手の台頭もあって優勝した。今季を限りに、もう一人の若手の有望株・ロ(フォ)ビーニョが欧州(スペイン)に移籍すると噂されている。彼の穴を埋める若手が現れるのだろう。サッカー選手がブラジルの最大の輸出商品である現実は変わらない。
その一方、かつてJリーグの横浜フリューゲルスで活躍したジーニョが現役を続けているとも聞く。ロマーリオを筆頭に、ベテラン・若手が混交して活躍するのがブラジルサッカー界のようだ。とにかくわれわれの想像を超えている。
※(なんと、12月31日の報道では、ルシェンブルゴ氏がレアルマドリードの監督になるという。ということは、ロビーニョもレアルマドリードで決まりか)



2004年12月29日(水) 悪童引退か

元ブラジル代表FW・ロマーリオ(フォマーリオ)が引退するというニュースが届いた。小柄ながら得点感覚に優れ、「本能のストライカー」とも呼ばれた。彼に「悪童」の異名がついたのは、クラブでの監督・同僚・サポーターとのトラブルや、セレソン(代表)における監督との軋轢が絶えなかったからだ。練習中、サポーターから鶏を投げつけられた話は有名だが、全盛期、ピッチではオーラに溢れていたとも言われている。バスコでは同じくトラブルメーカーのエジムンドとコンビを組んだはずだ。最後はフルミネンセか。ブラジルのクラブチームについて詳細を知らないので、間違っているかもしれない。
40歳近くだという話だが、最後まで代表復帰をあきらめなかったとも言われている。あたりまえだが、サッカーが心底、好きなのだろう。
さて、この報道は果たして本当なのか。多分本当なのだろうが、私は疑っている。「悪童」のことだから、数日後、引退宣言を撤回するのではないか。「オレは、そんなこと言っていない。記者のデッチ上げだ」なんてうそぶいて、どこかのクラブと契約するかもしれない・・・と、私は密かに期待している。でもこれまでかも・・・
私は、ロマーリオやエジムンドのようなヒール感覚のサッカー選手が好きだ。団体競技でチームプレーを強いられるサッカーだが、指導方針や規律になじまず、「本能」でチームを勝利に導く・・・なんてことは間違ってもあり得ないことを百も承知で、そんなサッカー選手がいればいいなと思っている。だから、ピッチ外で仲間や監督と衝突を繰り返す「悪童」の存在に、ロマンを感じてしまう。
試合中、勝手なことは許されないのがサッカーだが、いまの日本代表に最も欠けているのが、実はロマンや自由といった雰囲気ではないか。現代表監督は、前任者トルシエ氏の「組織や規律」に、「自由と創造性」を対置させたはずだが、やっているサッカーには、自由や創造性は皆無だ。さらに言えば、監督像として、ロマンや遊びが欠けている。
たとえば、トルシエ前監督自体、やんちゃ坊主のような風情を持っていて、顔を赤くして鼻の穴を膨らませて怒る表情には、大人が忘れてしまった幼児の「怒りの原型」のようなものが感じられた。
サッカーでは規律や組織が不可欠だが、それを否定する現監督のインタビューやコメントからは、楽しさ、悪戯、突発性のような要素を感じない。現代表監督は普段冷静な反面、サッカーボールに唾を吐いたり、審判にユニフォームを投げつけたりといった、「犯罪性」が潜んでいるように思う。
私はもっと、豊かな人間味のある勝負師が、日本代表監督であってほしいと願っている。いつもこの話になると繰り返して同じことを書いてしまうが、たとえば、一見シニカルで冷淡だが、ウイットに富んだ、オシム氏のような監督像が私の理想だ。



2004年12月25日(土) ベテランの意地

磐田が浦和を破って、天皇杯決勝進出を決めた。1点先制された1分後、交代出場した藤田が同点ゴール。勝ち越し点は、オフサイド気味だが、これまたベテランのFWゴンがあげたもの。途中出場した川口を含め、交代選手の活躍で浦和を退けた。浦和はブラジル勢のエメルソン、ネネ、トゥーリオが帰国して不在。戦力的にはかなり落ちている。それでもスピードで磐田を圧倒していた局面もあったので、惜敗といえる。勝ちきれなかった。勝負弱さが出て磐田に勝ちを献上してしまった形だ。
磐田は交代選手が結果を出したので、監督采配が光ったように見える。だが、勝因は、地道にプレスをかけて守備を最優先したこと、さらに、各選手が走り続けたことだろう。サッカーの原点に帰った結果だ。
主力のいない浦和に全力・総力でぶつかり勝った磐田だが、チームの未来像は相変わらず描けていない。ベテラン頼みで、若手が目立った活躍をしていないのだ。ベテランが活躍すれば若手の影が薄くなり、若手はますます伸びなくなる。決勝進出は立派だが、明日につながる戦いだったと胸をはれない。



2004年12月21日(火) やっぱり、若さだ

韓国が、日本に完勝したドイツを破った(3−1)。サッカーライター吉崎英治氏のリポート(日刊スポーツ・ドット・コム)によると、「何をしでかす?―突発性が蘇った韓国」とある。吉崎氏によると、韓国は日韓W杯と全く同じ、両サイドFWがワイドに開いた3−4−3のシステムで、スタメンに23歳以下の選手を5人起用。とにかく若さにまかせてドイツから3点を奪ったようだ。試合後、クリンスマン監督も「対人プレーの強さと、カウンターの鋭さがあった」と脱帽。ボンフレール韓国代表監督は意外とクールに「若い選手は来年の最終予選でもピッチに立つだろう」と短く話したという。また、大韓サッカー協会のスタッフの一人は、「02年W杯組は、あれだけのことを成し遂げると、どうしてもモチベーションが保ちにくくなる。人間だから仕方がないよね。反面、若い選手はなんとかアピールしようと必死さを感じる。この先、いいポジション争いが繰り広げられそう」と語ったという。
ときを同じくしてそのころ、05年W杯最終予選の予行演習ともいうべき親善試合に出場する、日本代表メンバーが発表された。発表されたメンバーを見て、相変わらずだなーと失望した。
ベテランだから代表から締め出す、という根拠はない、スポーツに年齢は関係ない、という正論を覆す論理もない。だが、先の吉崎氏のリポートの中の大韓サッカー協会のスタッフの発言は極めて示唆に富んだものだし、代表チームが進むべき方向を示している。モチベーションの高い若手と経験豊富なベテランをバランスよく選出する、という構成もあり得るだろうが、いずれにしても、代表チームが勢いに乗るためには、若い力がいる。
サッカーで何が一番必要かと問われれば、私は運動量を真っ先に上げる。運動量が落ちなければ、負けないサッカーができる。運動量を保証するものは何か言えば、若さをおいてほかにない。今回発表された日本代表メンバーから、「何をしでかすか?」という期待を感じないどころか、またか、という失望を抱くのは私だけだろうか。
JリーグCSを制覇した横浜、第二ステージ2位をキープした市原のサッカーには、「何をしでかすか?」に近い雰囲気がある。いまの日本代表メンバーからは、エネルギーの枯渇のような寂しさを感じる。とくに稲本、高原の海外組、鈴木、小笠原、中田(浩)の鹿島組、藤田、三浦のベテラン組に活力・魅力を感じない。日韓W杯経験者で固めた代表は経験という財産をもっている一方、モチベーションという面は弱い。安全策か積極策かと迫られれば、もちろん後者を選択するのが勝負師=プロの監督というものだろう。
代表監督が描くイメージに代表選手が引っ張られ、すべてが躍動するようなチームにならなければ、これから先きっとつまずく。
端的に言えば、いまの代表に新しいスターがいない。代表試合に使われなければ、彗星の誕生はあり得ない。



2004年12月19日(日) 与えられるか、奪うか

磐田がJ2札幌に辛勝し、天皇杯のベスト4入りを果たした。Jリーグでは一勝も上げられなかったY新監督だが、カップ戦の方は順調に見える。しかし、磐田の試合内容は悪い。
磐田が世代交代の失敗による構造的悪循環に陥ったことは、既に当コラムで何度も書いた。悪循環を断ち切るにはハードランディングかソフトランディングの二者択一しかないのだが、最近の磐田の動きを見てみると――まず、日本代表GKの川口と契約。市原・京都で活躍したFWチェヨンスと契約を交わそうとしている。天皇杯の選手起用は、ベテランと若手の併用。報道によると、Y監督は、ポジションは与えられるものではなく、奪い取るものだ、と力説している――Y監督は後者を選んだのだ。
ポジションを「奪い取る」というのは正論である。実力の伴わない若手にレギュラーを渡したのでは、ベテランの生活が脅かされる。Y監督の選手起用法に誤りはないかのようだ。ところが、そこがチームスポーツの難しいところ。クラブと代表とでは事情は違うけれど、いま現在弱体化したフランス代表では、ジダンらのベテランが身を引いて、若手にチャンスが与えられた。ジダンらが残っていたら、フランス代表はますます弱くなる。ではジダンらの実力が若手より下回ったのかというと、そんなことはない。
磐田はどうか。ゴン、藤田、服部、名波らの元代表組は、この先代表に復帰する道は閉ざされている。それでもサッカー選手であるから、名門磐田を離れるつもりはないし、クラブも彼等を戦力として必要だと考えている。それが自然に導き出された磐田の状態なのだが、磐田はJリーグで勝てない。もっとも当たり前の、もっとも自然の論理で導き出されたチームのあり方が、実は構造的な危機を導いているのだ。
Y監督が選択したソフトランディングは自然だが、05年シーズン、磐田はそこそこの順位を保ったクラブとして終わる。その代償として、有望な若手の出場機会は減り、彼等の成長の度合いは鈍化する。市原の水野、FC東京の鈴木、東京Vの相馬らが急成長するのを横目で見ながら、カレン、成岡、前田は伸びないままで終わる。磐田の将来も彼等の将来同様、先が見えない闇のままだ。06年、07年と年を追うごとに磐田の衰えは止まらない。
Y監督が方針を転換するなら、いましかない。構造変革は、自然ではだめだ。強権的な措置が必要なのだ。もちろん、05年の結果については、Y監督がドロをかぶるしかない。それが再建という仕事でなくてなんであろう。



2004年12月18日(土) 戦いの裏側

金曜日の夜、あるニュース番組のスポーツコーナーの特集がとてもすばらしい内容だったので、紹介しておこう。テーマはアテネ五輪の野球。前評判の高かった日本を破ったオーストラリア(豪)チームの勝利分析だ。豪の勝因は、データの収集・分析による、日本対策の結果だった。
アテネ五輪に向けて、日本プロ野球はリーグ開催中にもかかわらず、主力選手をアテネに派遣した。近年、東アジア諸国の実力がアップし、日本のアマチュアでは勝てなくなったことに脅威を感じたためだ。
野球の日本代表はドリームチームと、また、監督を長嶋氏が務めたところから、「ナガシマジャパン」と呼ばれ、野球王国日本の期待を背負った。こんどこそ金メダルだと。
ところが五輪開催前に長嶋氏が病に倒れ、監督には中畑氏が代理としておさまった。中畑氏は、「監督はあくまでも長嶋氏だ」と謙虚に発言し、国民から好感を得、愛称の「ナガシマジャパン」も継続した。
この人事と現象を私は当コラムで取り上げ、コーチの中畑氏が代理監督に繰り上がることはとんでもないことだ、という意味の非難を展開した(8月27日)。
さて、このテレビ番組を見て、私の批判が間違っていなかったことが確認できて、とても満足している。
豪の監督は、日本の阪神に在籍しているウイリアムズ等から日本の情報を集めた。インタビューに出演した監督の書斎の映像には、そのとき収集したデータを記録したノートや書類が山のように積まれていた。彼はインタビュー中、「日本のことは、戦う前から分かっていた」と平然と言ってのけた。
豪は“スポーツ王国”と呼ばれるくらいにスポーツが盛んな国だが、野球の実力は日本より低い。大リーグに在籍している選手の数も日本より少ないし、なによりも、野球人口が日本と比べられないくらい少ない。メジャーはラグビーであり、ラグビーとフットボールがハイブリッドしたようなローカルスポーツの球技が盛んだ。とにかく、豪人のスポーツ能力は高く、サッカー、野球、クリケット・・・と、ボール競技のレベルはそこそこのものだ。
そんな豪が五輪でとった戦略は、情報収集が比較的簡単な日本をターゲートに選び、日本に勝利することで、金メダルに近づこうというものだった。予選リーグ、決勝リーグとも、日本戦を重視した。こうした作戦は、結果からみれば簡単そうだが、勇気と決断力がいるものだ。もちろん、豪チームは、日本の方が力が上だと認めたうえで、勝つための戦略戦術を構築したのだ。
一方、「ナガシマジャパン」は、病に伏した長嶋氏のユニフォームをベンチに祀り、それにタッチすることで気力を鼓舞しようと考えた。相手チームの情報収集もなければ、分析もない。目の前の敵に全力でぶつかれば勝利が転がり込むと考えたのだ。それが、代理監督・中畑氏の「戦略」だった。
長嶋氏が監督だったらどういう対策を講じたのかはもちろん、定かではない。ただ当時のコラムで私が力説したように、中畑氏の「ナガシマジャパン」における役割は、選手の気力を鼓舞するだけの「ヘッドコーチ」であり、監督=指揮官ではないから、「代理」であっても、監督に繰り上げることは間違っている――よって、新しい監督を就任させなければいけない、というものだった。監督(指揮官)とは、スポーツの別を問わず、専門職だ、というのが私の持論であり、現役時代のスター選手が必ずしもその適性を有しているとは限らない、と考えている。
野球とサッカーは日本のプロスポーツの中でメジャーだが、代表監督人事に共通性がある。「ナガシマジャパン」「ジーコジャパン」と、現役時代のスター選手のカリスマ性で選手と世論を納得させよう、と協会が考えている節がある。監督は選手の精神的支柱だという論理もある。そういう意味づけも間違っていない。でも、勝利数の多い監督は、現役時代無名であっても、監督としてのカリスマ性を持っているものだ。
現役時代のスター選手を監督に起用しておけば、「負け」ても世間が納得してくれる――負けを見越したリスク回避が協会幹部にあるようだ。スポーツのトップが勝負しないのならば、そのスポーツの選手が勝負できるはずがない。そんな腐った土壌からは、いい指揮官もいい選手も育つはずがない。



2004年12月17日(金) まったくの想像だが

昨日の代表戦で気になったことがあったので続きを書く。それは「急造」DFと呼ばれる件だ。昨日の試合は4バックでSBは左・三都主、右・加地、ストッパーが田中(レギュラー)と茶野だ。茶野はレギュラーではないが代表に入ったのは今回が初めてではない。代表監督は、4バックと3バックの併用は今後もあり得ると公言しているので、3バックならば中澤、宮本、田中(松田、茶野、永田)で、4バックならば三都主、加地がSBで、CBとして中澤、宮本、田中、松田、茶野、永田らが入るのだろう。
3バック、4バックのどちらがいいかを単純に決めることは難しいし、決めるのは監督の仕事だ。3でも4でも、それぞれの戦略・戦術があり、選手や相手に応じてコンセプトが変わる。試合ごとにコンセプトをつくり、選手に徹底させることが監督の仕事の1つだ。
ドイツ戦、日本の守備は崩壊していた。前半、ドイツに決定的なチャンスが2度あり、どうにか凌いで点が入らなかったのは幸運だった。後半、ところが、この幸運を生かせず、何の修正もないまま、日本は合計3点取られた。前半も後半も、日本の守備は淡々とドイツに対応をしていたように見えた。選手は一生懸命なのだろうが、4人の意識はバラバラのように見えた。
今年、アジア杯の優勝、W杯一次予選突破で、日本代表の守備は安定していると言われた。もちろん相手の実力は違うが、安定感というのは決まりごとがあり、規律があることから生まれる状態のことであって、各個人の意識がバラバラで形成されることのない状態だ。
ここから先の記述は全くの想像であり、フィクションの域を出ないが、敢えて書いた。つまりこういうことだ――日本代表が今年のアジアの試合で見せた、DFの良好なコンビネーションとは、宮本、中澤、田中、松田らのレギュラークラスが、選手同士で培ったものであって、指揮官の指示の結果ではないのではないか、もしかしたら、守備においては、チームの戦略・戦術が構築されていないのではないか。
レギュラーと控えは力の差がある。それは当然だが、両者の差をできるだけ縮めなければ、長丁場のW杯最終予選は凌げない。レギュラーにだって、ケガやコンディションの悪いときがある。攻撃の主力を欠いたとき、守備が持ちこたえられれば、勝点1を上げることができる。特にアウエー戦では、そんな試合が1つや2つではない。豪快に得点を上げて圧勝する試合など、この先、あり得ないだろう。それだけに、ドイツからホームで3点奪われた昨日の結果は、日本代表の不安を色濃く滲ませた。
スポーツマスコミは、いまの日本代表に不安があると、煽っていい。代表のスタッフ・選手は、おおいに反省すべきであって、控え組は力が落ちる、という単純な総括は、絶対にしてはいけない。



2004年12月16日(木) 戦う姿勢が見られない

いまのドイツは強くない。構造改善中の再建途上のチームだ。日本代表は、そんな相手にホームで大敗した。試合の前半は0−0だが、ドイツに決定的チャンスが2つあった。日本はなし。後半はドイツに何回かあり、そのうち3回が得点となった。日本は1回だった。バラックの個人技も光った。こんな一方的な試合になった原因はなんだろう。まず戦う姿勢がないことが最大の敗因だ。
2つ目は、日本のコンビネーションの悪さだ。攻守の形、決め事、規律が不明だ。日本は何をしたかったのだろうか。3つ目、これはコンビネーションの悪さの裏側だが、主力選手の不在だ。なかでもDFリーダーの中澤、宮本、松田がいないことで、守備の連携が悪かった。先発の攻撃陣・FWの高原〜鈴木〜トップ下の小笠原〜藤田の役割が不明だし、左右のSBはゴールに遠すぎて、ドイツに脅威を与えられない。恐くないのだ。海外組として稲本、高原が参加したが、二人ともたいした活躍はできなかった。鹿島の鈴木、小笠原も仕事にならなかった。そして、この試合、最大のミスがGKに出た。これでは勝てない。もちろん、小野の不在も大きい。
そればかりではない。代表選手の選考が気に入らない。まず、藤田、三浦のベテランは・・FWの鈴木はJリーグで何点あげてるんだろうか、高原はブンデスリーガで何点?稲本は復調しているの?試合に出ている選手、調子のいい選手が代表の条件でなければならない。
結束力もない、規律もない、戦う意欲もない、そんな海外組やベテランの寄せ集めのレベルの低い内容では、高いチケットを買ったファンに申し訳ないだろう。きょうの代表試合より、草津が横浜に勝った天皇杯予選の方がよっぽど感動的だった。
04年最終試合、日本代表はこの1年間築き上げた、一次予選突破、アジア杯優勝の遺産を消滅させた。サポーターも、こんな試合を容認してはいけない。ジーコジャパンに大ブーイングだ。



2004年12月12日(日) 負けをいかに織り込めるか

04年最後の月(12月)のサッカー界は、JリーグCS、同入れ替え戦、天皇杯予選、トヨタカップと盛りだくさん。日本代表の試合は、今年最後の親善試合、ドイツ戦をもって終了する。代表(U21を含め)の今年は、アテネ五輪、W杯アジア地区一次予選、アジアカップで盛り上がったけれど、Jリーグの一試合一試合が白熱した好試合で、鑑賞に耐え得る内容になったことがなによりだった。
05年はW杯最終予選に尽きる。日本はイラン、バーレーン、北朝鮮のBグループに入った。Aグループが韓国、ウズベキスタン、サウジアラビア、クウエートだ。日本と韓国がシードなので、「ウズベキスタン・サウジアラビア・クウエート」か「イラン・バーレーン・北朝鮮」かという選択だった。結果は、「厳しい方」という見方が圧倒的だ。確かに「いやな」グループに入った。
Bグループでは北朝鮮が最も弱い。日本はここで勝点6を上げる。イランとはおそらく、よくて勝点2、悪ければ0という結果に終わる。問題はバーレーンでアジア予選では辛勝した相手、しかも、内容的には負けていたくらいだから、ホームで勝てても、アウエーではよくて引分だろう。だから勝点4か2。日本の勝点は12が最大か。日本の突破は、日本以外の国同士の対戦結果次第ということになる。中東勢が北朝鮮遠征でコンディションを崩し、取りこぼす可能性もある。東アジアの日本は地勢的にみて、優位を保証さている。結果はもちろんわからないけれど。
さて、日本代表が北朝鮮とどう戦うかだが、懸念されているような問題は起きないだろう。むしろ、移動時間が少ない分、助かった面がある。Aグループの場合、日本から遠い3カ国だ(海外組は近いが)。
問題は、日本がバーレーンかイランに負けた場合だ。おそらく、日本国中、ヒステリックな危機報道で埋め尽くされるだろう。「ドイツ行き、危うし」・・・そうなると、代表チームは、精神的に追い詰められる。というのも、日本代表はここまで、幸か不幸か、アジアで負けていないからだ。日本代表が、「1敗覚悟」の余裕を持って臨めば、突破できない相手ではないのだが、「1敗」でパニックになり、一気に後退する可能性を否定できない。突破の鍵は、ジーコ監督が「1敗」がもたらすであろう窮状から、チームを救える力を持っているかどうかにかかっている。



2004年12月11日(土) 後味悪いエメルソン

浦和と横浜のチャンピオンシップ(CS)は横浜がPK戦を制して優勝した。横浜の選手の頑張りに拍手を送りたい。鍛えられている。
CSは2試合で1−1。2ndレグは浦和が1−0で勝ったことになるのだが、横浜は中西が不可解な一発レッドで退場、数的不利にありながら耐えて延長戦に持ち込み、PK戦まで持っていって勝利をもぎ取ったことになる。
そこで問題の――横浜の中西とエメルソンがもつれた――シーンだが、主審のK氏がレッドを手に持っていたので、エメルソンがダイビング(シミュレーション)で退場なのかと思ったくらいだ。ところがななんと、退場させられたのは中西だった。K主審は、エメルソンに対して甘い判定が多かった。中西退場の場面はファウルはいいとしてもイエローでも重いくらいだ。
試合前、エメルソンがひざのケガで出場できないかもしれない、という報道が流れた。実際、故障だったのだろうが、一部ではブッフバルト監督の陽動作戦に違いない、という報道もあった。
想像可能な浦和の作戦は次の通りだ。1stレグ、横浜の厳しい守備で不発のエメルソンがケガをした、という情報を事前に流しておく。エメルソンは無理が出来ない身体だと。試合中、エメルソンは、横浜の正当なチャージにもこけてみせる。審判は、ケガのエメルソンに同情して、こけたエメルソンにファウルを与える、というものだ。
浦和の作戦は、成功した。エメルソンは必要以上に倒れ、多くのファウルを得た。実際ケガをしていて、無理ができないのでファウルをもらいにいったのかもしれない。が、審判の深層心理に「ケガのエメルソンを保護しなければいけない」という思いが自然に形成され、その無意識が中西退場につながった。実際はというと、エメルソンはほぼ120分間、終了間際のラフプレイでレッドカードを出されるまで動きまわれたのだ。
浦和の作戦及びエメルソンのプレイは、私の好むところではない。審判もきちんと見てほしい。終了間際、エメルソンがラフプレーに出たのは、自分に優位な判定が出ていると、エメルソンが自覚していたからだろう。きょうの審判は俺の見方だ、という確信があったからに違いない。がしかし、あのラフプレーを見過ごすようならば、K氏は審判をやめたほうがいいのであって、まさか見過ごすはずもない。エメルソンは試合終了間際に退場させられた。試合終了3分前くらいか・・・
勝利の女神は、そんな「浦和」を許さなかった。数的優位にある浦和に、勝ち越しゴールを与えなかったし、逆に、PK戦では横浜に微笑んだ。もし延長で浦和が勝ったとしたら、いくら「ホーム優位」のサッカーの試合とはいえ、エメルソンの演技に幻惑された審判の判定の故である。そんな結果にならなくて本当に良かった。
横浜は立派である。おかしな判定にも不満を言わなかったし報復もしなかった。ひたすら、走り、ボールを追い、身体をはって浦和の攻撃を防いだ。
私はこのコラムで、2ndレグは厳しい試合になる、と書いた。そして、いまさら戦術などないとも書いたが、もちろん、そのとおりの展開となった。横浜は、最終的にはボールの奪い合いに勝って、浦和を退けたことになる。この展開に水をさしたのがエメルソンが繰り返したシミュレーションだった。私は横浜の勝利に十分、満足している一方で、エメルソンを許していない。



2004年12月09日(木) 期待

きのう、Jリーグチャンピオンシップ横浜vs浦和(1stレグ/12月5日/横浜)をビデオでチェックした。結果はもちろん報道済みのとおりだし、試合に係る報道内容も的確なものばかりだった。横浜が浦和の「良さ」を殺したと。まったくそのとおりだ。
だが、浦和の「良さ」を殺した作戦として、浦和のプレスを外すためのロングボールだけを挙げたのでは十分でない。横浜の勝因は横浜全選手の自覚的なタックルにあったと、考えたい。
浦和の敗因は、強力3トップの2枚・田中、永井の不調にあった。なぜ、この二人が走れなかったのか。おそらく、コンディションが上がらなかったからだろう。これが最も妥当な推測だ。次に、二人が横浜を恐がった可能性を否定できない。テレビ画面から、横浜のタックルが相当厳しいように見えたからだ。二人はびびった(のかもしれない)。
最終ラインが相手攻撃選手にタックルを外されれば、GKと1対1の決定的な場面をつくられる。この試合、横浜は最終ラインの前に位置する選手が、まずボールをもった相手選手にタックル等で走り出しを防ぐ。そのいい例が坂田だった。坂田は序盤、決定的なシュートを放ち、惜しくもポストに阻まれたが、彼が攻守にわたって最も勝利に貢献した選手のように私には思えた。得点者河合の殊勲は、もちろんだが。
坂田に代表されるように、浦和の攻撃の基点となる中盤に対して、まずチェックをする。一人でだめな場合には、周りの選手が運動量を上げてチェックに入る。この動きで、三都主、田中、長谷部らの自由を奪った。さらに、時間的余裕のできた守備陣がエメルソン、永井、田中らにチェックをかけて、仕事をさせなかった。あの高速男・エメルソンが完封されたのだ。
横浜は久保、アン、ユといったスター選手を欠きながら、運動量において、浦和スター軍団を封じた。DF、ボランチはもちろんのこと、FWの坂井、清水、中盤の奥、ドゥトゥラ、田中(隼)らも忠実に守備に徹した。横浜の選手の闘志と勇気ある戦いぶりは賞賛に値する。
終盤、運動量がやや落ちたところで、浦和の長谷部に決定的に近い場面をつくられたが、さすが長谷部なのであって、横浜のミスではなかった。とにかく、横浜の各選手の動きは、Jリーグ(2ndステージ)王者・浦和に勝つためのお手本のような、試合運びだった。05年シーズンのJリーグ各チームはきっと、横浜のような内容で、浦和に挑んでくることだろう。
さてさて、楽しみなのが2ndレグだ。この戦い、浦和が勝つための特別な戦術などない。浦和は、横浜の守備を恐がらず、勝負する以外にない。ボールの奪い合いに勝つしかない。闘志で横浜を上回らない限り、浦和に勝機はない。しかし、闘志が空回りして反則を繰り返せば、退場者を出してしまう。そうなれば、浦和の勝利はますます、遠ざかる。浦和はボールの蹴りあい、奪い合いという、サッカーの原点に戻る以外ない。浦和には、冷静かつ勇気をもった、最高のパフォーマンスが求められる。
11日(土)の試合(埼玉)は、きっと白熱したいい勝負になる。


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