Sports Enthusiast_1

2003年11月29日(土) 感動Jリーグ

二転、三転、残り5分を切ったところで、磐田、鹿島、横浜と優勝の行方がめまぐるしく変わった。結局は横浜が優勝、まずはおめでとうございます。
横浜vs磐田、浦和vs鹿島の試合結果と勝点計算については、スポーツニュースで確認してください。
最終節の主役は、久保(横浜)、エメルソン(浦和)。小笠原(鹿島)、深井(鹿島)、グラウ(磐田)は残念賞。2位を決めた市原の村井が敢闘賞か。J2降格は仙台、京都。仙台に勝った大分が滑り込み残留。
後期のJリーグを振り返ると、後期開始前の私の優勝予想はセレッソ大阪。結果は12位と大ハズレに終わった。横浜が前後期優勝の完全優勝。昨年の磐田に続いての結果だ。また、鹿島、磐田の二強時代が終わったと思ったところが、結果は横浜優勝で終わったものの、最後まで優勝争いに踏みとどまったのが鹿島と磐田であった。二強時代は終わっていない。
今年から引分けを導入し、リーグが混戦となった。順位が混沌として最後までもつれた。勝ちきれないチームは優勝できない現実が目の当たりとなった。一勝、一引分け、一敗のそれぞれの重みが選手にいい影響を与えている。とても、いい傾向である。
最終節はとても感動的だった。



2003年11月27日(木) いよいよ公式戦

12月4日から、サッカー東アジア選手権が開催される。コンフェデ杯以来の公式戦(Aマッチではないが)だ。本気モードで、日本が韓国、中国、香港とどう戦うかが見ものだ。ホーム開催だけに、全勝以外考えられない。かりに、韓国、中国にホームで勝ちきれないとなれば(万一香港と引分けだったら、監督は即刻解雇)、W杯アジア予選は黄色信号いや赤信号だ。海外組が参加しようがしまいが関係ない。公式試合の代表戦では、だれが来たの来ないのといった弁解は許されない。そのときどきの条件で勝たなければいけないのだ。すでに始まった06年W杯南米予選を見ても、欧州組がすべてそろった国など皆無だ。どこの国も選手をやりくりして、勝とうとしている。選手層の厚さ、短期間でコンビネーションをつくりあげる力といった面も、代表チームの実力なのだ。
南米予選では、私がみた数試合の限定された印象だが、ブラジル、アルゼンチンでさえも、簡単に勝点3を上げることが難しい。特にアウエーでは強豪国であっても、引分けでよしとする雰囲気になっている。古豪ウルグアイ(私は昔からウルグアイのファン)、日韓大会当時の守備的でカウンター一辺倒から脱却して、攻撃的なチームに変わっているのに驚いた。
結局は、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、エクアドルに、ウルグアイを加えた5チームが残るとは思うが、ペルー、チリが不気味である。コンフェデでベストメンバーの日本代表を負かしたコロンビアが最下位というから、南米はレベルが高い。ブラジルはロベルト・カルロスがケガのため欠場が続き、しかも、DF(CB)が人材難とのことで、後半追いつかれる展開が続いている。有望な若手DFを思い切って起用しないと、苦戦が続きそうだ。タレント豊富のブラジルでも、ロベカルの穴は簡単には埋まらない。
サッカーでは主力選手にケガがつきもの。代表選手の組合せ(選択肢)をたくさんもっていないと、予選は長丁場だけに、主力のケガでチームがガタガタになることがある。特定の選手の組合せに頼りすぎてはいけない。
たとえば、ウルグアイはレコバがケガのため、後半、30分程度の出場というケースが続いている。ウルグアイのレコバといえば、日本の中田に該当する。しかも、レコバの方が中田よりも実力は上。そのレコバを欠いての予選だから、ウルグアイも苦しい。しかし、レコバを後半30分出場の起用法で、ブラジルに引き分けた。ウルグアイがアウエーである。こうした、選手起用法が監督の手腕である。はたして、ジーコ監督にこんな芸当ができるかどうか。
いずれにしても、東アジア選手権における日本代表、ホーム優位の条件を生かして、全部勝たなければいけない。私は日本が韓国、中国に負けて、ジーコ監督更迭と予想する(いや、希望するのほうが正しいか)。



2003年11月25日(火) プロ野球選手の喫煙

プロ野球選手がタバコを吸う。信じられないけれど、本当のようだ。私はタバコを吸っているプロ野球選手など見たくないし、健康管理上、いいわけがないと思うのだが―。
喫煙プロ野球選手の中には、なんと、読売の清原選手がいるという。読売球団は自軍の選手に、プロ野球選手の模範となれとか言っているらしいが、主力選手が喫煙者となれば、健康管理を第一とするスポーツ選手の模範とはなれないだろう。
タバコが吸えるプロスポーツというのは、おそらく、運動量の少ないものだ。まず、サッカー、陸上競技、バスケットなどは無理だ。喫煙可能なのはプロ野球、プロゴルフくらいではないか。
プロ野球だって、走力が求められる。長打でダイヤモンドを走り回ったり、盗塁やタッチアップから次の塁を狙う走塁、とりわけ、バックホームは野球の醍醐味だ。守備でも、外野手の背走、間を抜けそうなライナーに飛びつくプレーもすばらしい。そうしたプレーを自ら演じたいと思うのがプロ野球の選手だろうが、その実現に喫煙はなじまない。
喫煙プロ野球選手は、「打つだけ」の選手にちがいない。プレー中に息が上がってしまうような選手に魅力を感じないし、そういう選手をいくら集めても、野球は勝てないだろう。いや、そういう選手が活躍できるのが日本プロ野球ならば、あるいは、日本プロ野球を代表するのならば、日本のプロ野球は鑑賞に値しない。
大リーグの喫煙事情は知らないが、いずれにしても、運動量の少ないベースボールならではの「喫煙選手」の存在である。



2003年11月24日(月) スポーツに求めるもの

このコラムを書いていると、結局のところ、一つの結論に行き着く自分を見つけてしまう。自分自身がスポーツに何を求めているかだ。私がスポーツに求めているものを端的に言うならば、自己否定、ストイシズムにほかならない。私がサッカーで市原やFC東京を応援するのは、この2つのチームにストイックな精神性を見るからだ。とりわけ、市原には、おそらくオシム監督の指導理念だと思うが、自分達はサッカーが下手なんだ、という共通意識を感じるのだ。下手だから、それを運動量と精神力でカバーして相手を圧倒しようとする。ときにそれが空回りすることもあるが、そんなことは問題ではない。とにかくボールを奪って自分達の攻撃をすること。前に向かって全力で走ること。こうしたプレースタイルができるのは、自己否定があるからだ。現状の自分達が普通のプレーをしていたのでは相手に勝てない、だから・・・ということだ。その精神をオシムイズムというのであって、オシムが発するシニカルなコメントは、日本のサッカーがいま現在陥っている最大の弱点に対するアンチテーゼなのだ。
その反対が、日本代表である。まず、ジーコ監督は、日本代表を巧い強い大人の集団だと言った。選手は甘やかされて、自分達を世界水準の選手だと錯覚し始めた。愚かなことだ。欧州に行くことはいいことだが、それは、自分より巧い選手がたくさんいることを自覚し、自分の水準を上げるためだ。広告塔で移籍した選手はレギュラーになれないで、ベンチにいることが多いだろう。そのことを自覚すべきなのだ。まず自己否定。ところが、日本代表の親善試合で彼らは当然のようにレギュラーとして呼ばれる。自己否定を忘れて、勝手な一人よがりのプレーをする。代表監督はそうしたプレーを怒らないどころか、「創造性」と称して誉めてしまう。
これでは、代表が百回親善試合を重ねても強化されることはない。写真の世界では、偶然とれたいい写真を傑作とは呼ばない。自分が取ることを目指した結果、そのとおり得られた作品を自己の傑作と呼ぶ。それが不文律だ。
サッカーにも同じことが言える。偶然上げた得点は貴重であるが、内容としては評価しない。勝てばいい、得点を上げればいい、というのでは強くなれない。自分達が意図した攻撃の形を全うして上げた得点こそが重要なのだ。そこでは、偶然は評価に値しない。望ましい結果でさえも否定されることがある。
欧州でベンチの選手が日本代表に選ばれるということは、Jリーグで一生懸命プレーしてきた選手達に対して礼を失する。代表監督は、だから、親善試合が複数あれば、Jリーグで一生懸命全力でプレーした選手達にチャンスを与えるべきだ。たとえば、市原の羽生、村井、坂本、阿部、横浜の久保、名古屋の海本らだ。彼らに代表を背負わせて、Jリーグでやっているような、全力を出し切るはつらつプレーを我々に見せてほしい。新鮮な驚きがあるに違いない。
海外組=黄金の中盤、中田・俊輔・稲本・小野に柳沢や鈴木、高原を加えた代表選手のレギュラーは、もはや、代表に値しない。彼らの親善試合におけるプレーぶりやインタビューに答える姿を見ていると、試合に勝とうという意欲や最高のパフォーマンスを見せなければいけないという、使命のようなものを感じない。勝つために努力をする姿が見えないのだ。
海外組と呼ばれる選手達は、自分達は世界レベルだという錯覚=自己肯定に陥り、指導者はゲームプランも規律をもたず、チームをダラダラ、ズブズブの組織的弱体化に貶めた。一方、それらを厳しく監視すべき立場にあるスポーツマスコミ、サポーター、協会幹部は、お互い批判しあわないという談合癒着体制を形成してしまった。
日本サッカーは、Jリーグ(J1、J2含めて)については間違いなく充実してきた。ところが、そのトップの位置づけであるべき日本代表は凋落してきた。海外移籍がいい結果をもたらすと信じた私だったが、こんな結果になるとは思わなかった。それというのも、海外組を特別扱いする代表監督の思慮のなさが原因だ。オシムだったら、こんなバカなことはしない。調子のいい選手、タフで運動量を惜しまない選手を代表に起用し続けただろう。少なくとも、前代表監督のトルシエには、ストシズムがあった。監督の指導理念という意味では、トルシエとオシムは近いものがある。
オシムが市原を辞任し日本を離れる確率が高いが、オシム監督が市原で実践してきた指導理念と方法を受け継ぐことはできる。オシム監督のもつストイシズムこそが、日本代表を再生する唯一最善の方法だ。



2003年11月23日(日) 二強復活

サッカーJリーグは、J1が14節をほぼ終了、1位・磐田、2位・鹿島の旧二強に横浜を加えた3チームが優勝の可能性を残して最終節を迎える。二強時代は終わっていなかった。それにしても今節は、きょうの市原vs大分、きのうの東京ダービーなど、熱戦が多かった。
そのFC東京の原監督は日本人監督の中で最も、いい仕事をしている。それまで右サイドでレギュラーだった佐藤を横浜に出して、石川を抜擢、石川が期待にこたえて、世界レベルの選手に成長しつつある。DFの茂庭、加地も育てたし、FW(左サイド)の戸田も成長している。
日本人監督では、横浜の岡田監督もいい結果を出している。横浜は、前に書いたけれど、いい補強をして、前期優勝、後期2位と健闘している。FWのマルキーニョス(東京V)、久保(広島)、MFの奥(磐田)、佐藤(FC東京)、DFの中沢(東京V)、ユ(韓国)が新加入(ユは再加入)。中心選手の大半が移籍組だ。
新戦力については、育成にしても補強にしても、監督の手腕が大きい。たとえば、アルディレス監督率いる東京Vは、エムボマの加入が大きいことはもちろんだが、すでにチームにいた選手が活躍して13節まで優勝戦線に踏みとどまった。
今季のJ1の監督の中で最も話題をさらったのが、オシム(市原)だ。市原の若手選手を鍛えあげ、的確な戦術で上位をキープしたが、14節で優勝争いから脱落した。そのオシム監督が、どうも市原を辞める可能性が高い。Jにいる監督の中では、日本代表監督に最もふさわしい人材の一人だっただけに、日本を離れるのは残念だ。オシムには世界中のクラブからオファーがあるというけれど、高齢なだけに、日本代表でその手腕を発揮する可能性は断たれた。
日韓W杯終了後、06年を目指して日本代表がもう一段進化するためには、もう言っても遅いけれど、オシムのようなシニカルでありながら情熱をもった監督が必要だった。このことは何度もこのコラムで書いたことだが・・・オシムが日本を離れるのは、重ね重ねも残念でならない。
さて、けっきょくのところ二強と呼ばれる磐田と鹿島の優勝争いになったのだけれど、その理由はどこにあるのだろうか。これも何度も書いたことだけれど、試合数の少ない前後期制度のためだ。後期、どこのチームも勝ちきれない団子状態になったリーグ戦で、終盤近くに対戦相手に恵まれ、勝ち星を増やして勝点3を積み重ねたチームが優勝してしまう。勝ちきる力があるから優勝するのではあるが、調子の波に乗ったチームの優勝という印象が否めない。
前後期制度を廃止して、J2と同じ長丁場にすれば、今季の結果も違ったのではないか。1シーズン制度にすれば、年間順位というややこしい断り書きを出さないで済むし、J1優勝とJ1昇格がすっきり決まる。J1は、一日も早く、1シーズン制度に戻すべきだ。



2003年11月21日(金) カルロス・テベス

サッカーファンならご存知の人が多いと思うが、テベスはアルゼンチンリーグのボカのFWだ。いま、世界中のFWの中で最も才能のある選手の一人。若干19才。こんどのトヨタカップで日本に来る確率が高い。
私は前にも書いたことがあるけれど、トヨタカップの日本開催に反対だ。南米と欧州の覇者同士が戦う世界クラブチーム世界一決定戦は、冠イベントではすまされない。この決定戦は、南米と欧州の双方のサッカー文化(風土、スタイル、技術等を含めた)の戦いにほかならない。
南米の選手が欧州に行っている以上、サッカーに欧州も南米もない、という人がいるかも知れないが、それならばよけい、この決定戦がサッカーにおける風土性の意味を問うはずだ。だから、南米、欧州、ホーム&アウエーでやってほしい。テレビで観戦でも構わない。
ボンボネラ(ボカのホームグラウンド)のボカは、おそらく、東京のボカではない。ボカのリズムは選手と観客が共同で作り出すはずだ。ホームのボカには、カネで有名選手をかき集めた欧州のクラブとは違う強さがあるはずだ。
さて、カルロス・テベスに話を戻そう。いま南米で、いや世界のサッカー界で最も輝いている彼は、うまさ、速さ、強さ、バランスのよさ、精神のタフさといった、サッカー選手に必要な才能のすべてを備えている。アルゼンチンで彼を止めるには、ファウルしかないと言っても過言ではない。Jリーグには、やはり止められないエメルソン(浦和)というFWがいるが、テベスは、エメルソンよりもやわららかい。テベスは年端は若いが、そのプレイぶりは、極上のワインのようなまろやかさをもっている。
テベスは、来年、スペインのどこかでプレイをしているに違いない。アルゼンチンという風土が生み出したテベスが、アルゼンチンという風土を背負って欧州と戦うのは、こんどのトヨタカップが最後となろう。
ボンボネラで欧州チームと戦うテベスを、テレビでいいから見たい、というのが私の願い。東京に来るじゃないかという人もいるだろうが、東京のテベス?そりゃ、おそらく、別人だろう。



2003年11月20日(木) うんざり、日本代表

きのうサッカー国際親善試合、日本vsカメルーンがあったようだ。試合は見なかった。結果はご承知のように、スコアレスドロー。中津江村との交流などもあり、両国親善を深めたようだ。誠にけっこうなことである。
カメルーンチームは試合の2,3日前に日本に到着。練習らしい練習もない。時差ぼけも解消されていないだろう。いくら鍛えられた選手達といえども、日本が勝ってあたりまえ。
スポーツニュースのハイライト場面など見る限りでは、「あいかわらず」の日本代表なのだろう。弱いプレス、中盤選手の少ない運動量、サイドのタレント不在、FWの決定力不足。いまさら同じことを書いても始まらないので書かないが、俊輔に代わって藤田が入ったことで、「前に飛び出す」人材を得たというのだから、これまでの「黄金の中盤」とはなんだったのか。
いってみれば、日本代表は無限の自己肯定の連鎖に陥ったようだ。緊張感のない国際親善試合を続けることによって、とろとろだらだらと負けや引分けを繰り返しているうちに、いまの日本代表の力をだれも正確に把握できなくなったのではないか。
そればかりではない。日本代表には相手に応じた攻撃の形も守りの形もない。ただなんとなく、90分を過ごしている。選手はみな課題を口にするが、課題を永遠に発見し続けて06年が過ぎていく可能性もある。
このチームの最大の弱点はジーコ監督だが、それと同じくらいのウエイトで、選手の精神面の弱さが挙げられる。このチームは、勝つ気持ちに乏しい。選手の精神面を弱くしているのは、日本のサッカーを取り巻く環境だ。いまの代表は、勝たなくても、誰からも文句をいわれない。監督が選手を怒るわけではない、マスコミが叩くわけでもない、サポーターからものを投げられるわけでもない。
みなが、「日本代表」をありがたがって、「試合をしてくださってありがとうございます」という雰囲気だ。まったくおかしなサッカー風土である。海外のチームに行ったからといって、勝てない代表選手は批判するのが筋だろう。だいたい中田のインタビューの態度がおかしい。勝てなかった以上、もっと謙虚になるべきだろうが。稲本などもそうだ。偉そうな口をきくな、といいたい。
スポーツマスコミは、ジーコを批判できない、だから、選手も勝てなくても平然としている。凡戦に文句をいうサポーターがいない。「日本代表、ありがとう」だけはやめてくれ、ウンザリするわ。



2003年11月17日(月) 週末スポーツあれこれ

日曜のJリーグは、J1では東京Vが磐田に逆転負け。前節は市原を除く上位チームが負けた。これで磐田が首位。鹿島、磐田の2強時代が終わったなんて私がいったと思ったら、終わったはずの磐田が首位である。私のサッカー予想はまったく、当たらないなー。
この試合、長らく休んでいた中山が出た途端、流れが変わった。東京Vは、磐田の反撃にDFラインを下げすぎた。トップ下のラモンが負傷して代わった平野も交代と、チームの核に故障が続いたとはいえ、アルディレス監督の選手交代が後手後手にまわったことも否めない。
J2では、新潟、川崎が負けて、勝った広島がJ1昇格を決めた。J2はJ1よりも長丁場。昇格争いの一勝の重みが選手にのしかかる。こういう厳しい争いを、J1の選手こそしてほしいものだ。何度も繰り返すが、J1の前後期制度は邪道である。引き分けの悔しさ、勝利の重み、負けの痛み、その一つ一つがチームを、そして選手を鍛える。広告塔で欧州へ行ってベンチに座るより、Jリーグで勝負の厳しさを体験してほしい。
同じくサッカーの話題。日本代表との親善試合に臨むカメルーンが、代表にエムボマを追加召集した。エムボマの日本での高い人気が考慮された結果か。それにしても、カメルーンは強行日程。日本との試合の前にパリで、コンフェデ杯で亡くなったフエ選手の追悼試合をやっている。日本に到着したのがきょう、17日の夜。19日の親善試合のコンディションは、万全どころではない。カメルーン戦は中津江村がらみのイベントとしてはおもしろいのかもしれないが、強化試合としての価値は低い。こんな試合に地球を半周する欧州組は気の毒だ。彼らのコンディションが崩れないことを祈る。
代表の親善試合に欧州組をこれ以上無益に呼び続けるならば、彼らの肉体はW杯予選前にボロボロになってしまうだろう。欧州で試合に出られない代表選手の扱いは、いまの日本代表の大きな課題だ。そもそも、中田・小野以外の欧州組は広告塔というのが一般的な見方。実力とはいえない。つまり、日本企業のスポンサーを誘致するための契約だ。だから、欧州組を特別扱いすることはいかがなものか。代表選考においては、欧州組とJリーグ選手との実力差を正確に計る必要がある。
日曜日に行われた女子マラソンは、話題の高橋が逆転負け。終盤まで圧倒的リードを保ちながら、ひっくり返された。敗因はコンディション調整の失敗だろうか。マラソンは専門的な情報がまったく入らないので、さっぱりわからない。情報が漏れたら、レース展開も変わってくるので、秘密主義は仕方がない。が、レースが終わったら敗因を公開してもらいたいと思うが無理かな。
相撲界は、武蔵丸が引退。最後となった土佐の海との取組では横綱の下半身と上半身のバランスが崩れており、相手の揺さぶりに無力だった。左の故障、首の持病などが原因らしい。仕方がないだろう。今後は未定とのこと。いまのところ、格闘技への転向はない、といっているが、当方の希望は、リングにての復活。新聞報道によると、武蔵丸は気がやさしいというから、格闘技には不向きという見方もある。



2003年11月15日(土) 下手な選手がカードを出される

Jリーグはますます混戦模様。きょうは上位の浦和、横浜、FC東京が負けて、名古屋が引き分けに終り、横浜に勝った鹿島が一気に3位(暫定)に躍進した。上位で勝ったのは市原だけ。「サッカーはやってみななければわからない」とはこのことだ。
エメルソンのいない浦和は、2人も退場者を出した清水から得点を奪えず、後半40分すぎ、清水のアンの一発に沈んだ。浦和の攻撃力は、エメルソンがいるといないとでは大違い。浦和がエメルソンで勝ってきたことが証明されてしまった。横浜は前半、久保が決めて1−0とリードして楽勝かと思われたが、ユが退場になって鹿島に逆転された。どちらも上位チームらしくない敗け方である。とくに2人多い状況で1点もとれない浦和の負けは痛い。首位に立って固くなったか。
最近のJリーグの特徴は、カードが多いことだ。ディフェンスのとき、手を使って相手を押すプッシィング、後ろからのタックル、抜かれそうになって足をかけるトリッピングといった反則が多い。また、審判への抗議でカードを出されるシーンも目立つ。反則については以前書いたことがあるが、これまで、相手選手をブロックするとき、手や肘を使うことが多かった。特に肘は危険なのだが、これが見過ごされてきた。それだけに、審判団が反則を厳しく取るようになったことは歓迎できる。
日本のサッカーでもっとも技術的に遅れている分野はディフェンスだ。いいコーチがいないのが最大の原因ではないか。ポジショニング、タックルといった基礎的なところ、さらに、判断力で劣る選手が多い。反則は技術力、判断力が劣る選手が犯す。相手に抜かれたとき、反則で止めようとするからだ。反則の多い選手は下手な選手――そういう評価が定着してほしい。正当なタックル、ボディコンタクトはサッカーの醍醐味だが、相手をひっかけたり押したりして倒すシーンは見たくない。さらに、審判団への抗議や大げさなダイビングは見苦しい。こうしたシーンを一刻も早く試合から追放して欲しいものだ。
審判にミスがないとはいえないが、現段階における審判団のカードの基準は間違っていない。出場停止が順位に大きく影響することは言うまでもないこと。このままの基準でいけば、上位チームのなかで比較的カードの少ない東京ヴェルディが有利に展開するかもしれない。



2003年11月13日(木) 復活は絶望、武蔵丸

武蔵丸が引退の瀬戸際に立っている。進退をかけたこの場所、序盤で苦戦を続けている。スポーツニュースで見る限りでは、故障した左が使えていない。右だけで相撲をとっているのだから、よっぽど相手が弱くないと勝てない。
力士としてもう限界なのか、故障が治れば復活可能なのか――の判断が難しいのかもしれないが、今場所に限れば、金星配給横綱で終わるだろう。
このまま今場所負け越せば(勝ち越すことはあり得ないとは思うが、相撲では何が起こるのか予測不能)、引退である。曙がK−1にいってリングに上がるというから、武蔵丸も総合格闘技への転向があるかもしれない。
かなり前、私は武蔵丸を街で見かけたことがある。米国人と思われる外国人と一緒に二人で歩いていた。私は急いでいたので二人を追い越したのだが、武蔵丸の背中は、本当に巨大な岩のようだった。体の厚みがすごかった。こんなのがぶつかってきたら、ひとたまりもないな、と感心した記憶がある。武蔵丸の所属する武蔵川部屋は東京の下町にあり、拙宅と遠くはなかった。近くのスーパーで、買い出しに来る若手力士も見たことがあるのだが、武蔵丸の巨大さは若手力士の及ぶところではなかった。
いま武蔵丸の問題は左腕の故障である。総合格闘技に転向するにも、腕の故障が完治しなければ、成功は難しいだろう。でも、あの巨大な岩のような男がリングに上がる姿を見たい。減量をしなければ総合格闘技では勝てないかもしれないが、私は巨漢が他の格闘家を圧倒する試合を見たい。相撲そのものが、他の格闘技に通じるものなのかどうかに興味がある。



2003年11月12日(水) 翳りだした「日本代表」ブランド

報道によると、サッカー日本代表の試合の視聴率が思わしくないという。その記事は、ジーコジャパンがすっきりした試合をしないからだ、という論調だった。
昨年のW杯において、日本のサッカー熱は息を吹き返した。なかでも、キャンプ問題で話題をさらったカメルーン、フランスを撃破したセネガル、日本と予選を戦ったチュニジアと、アフリカ勢は日本のサッカーファンに鮮烈な印象を与えた。アフリカ勢のなかでも、カメルーン、セネガルにナイジェリア、南アフリカを加えた「ブラックアフリカ」は、サッカーの実力国として認知された。しかしながら、日本代表はこれら「ブラックアフリカ」と大会で戦うことがなかった。
W杯後、サッカー協会は、この「ブラックアフリカブーム」の余波を利用して、冠大会のマッチメークを仕組んだ。ナイジェリア戦、セネガル戦、そして来週に予定されているのがカメルーン戦である。私はブラックアフリカ勢の試合を実際に見たことがないのだが、おそらく彼らがピッチに登場した姿は、絵になるのだろう。高い身体能力と潜在的パワー。日本代表と彼らとのの試合に集客力があることは、想像に難くない。
しかし、サッカーの現実は、マッチメークで描いた筋書きとおりに進まない。アフリカの有力選手に限ったことではないが、欧州リーグ開催中に、遠い日本まで中心選手を遠征に行かせるクラブは少ない。FIFAの規約があるといっても、中心選手を遠征させない理由はいくらでも探せる。規約どおりに選手を派遣させたとしても、スケジュールはタイトである。そんな状況で凡戦を演じたのが、ナイジェリアとの試合だった。次のセネガル戦では、セネガルチームが日本に長期間滞在するという異例の措置がとられたが、その結果、セネガルが実力を発揮し、日本代表は歯が立たなかった。実力差がありすぎてこれまた、凡戦となった。そして、カメルーン戦は・・・
でもでも、たかだか親善試合なのである。日本代表がチュニジア、ルーマニアで行った親善試合のスタンドをテレビで見る限り、ガラガラであった。日本の五輪チームがカタールでカタール代表と戦った試合の観客数は、報道によると、500人程度だったらしい。イタリア、スペイン、フランスなどではもうちょっと、客は入ると思うが、それでも、日本で行われる国際親善試合の熱気はないだろう。その理由については、前に書いたことなので繰り返しになるが、欧州では、クラブ対抗戦、代表戦を問わず、真剣勝負がいくらでもあるからだ。だから、国際親善試合は調整、テスト、様子見といった位置付けのように思える。もちろん、真剣勝負がかもし出す緊張感はない。
一方、サッカーの辺境日本では、国際親善試合を楽しみにしているサポーターがたくさんいる。W杯の残り香を楽しみたい人々である。そういうサポーターは応援にも熱心だし結果にも敏感である。彼らには、遠く日本にやってきた各国代表チームのモチベーションなどどうでもいい。海外では、代表がつまらない試合をすれば、観客が黙っていないのだが、日本では、日本代表が勝てば「感動」し、負ければ「がんばれ」というわけだ。こうしたナイーブなサポーターに支えられているのが日本代表である。それもサッカー人気の維持というレベルでは重要だと思うし、人にはさまざまなサッカーの楽しみ方がある。サッカー協会だってお金を稼がなければいけない。だから、日本代表が行う国際親善試合を否定しない。冠がつくうちが華だという見方もできる。
サッカーに限らずスポーツの内容・結果は、前提条件を率直に反映する。モチベーションの低い戦いは、人々を夢中にさせることはない。たとえ、日本代表が勝っても、相手のコンディションが悪ければ、試合内容はつまらない。内容の薄い試合であれば、テレビの視聴者はチャンネルを変えてしまう。それはテレビ観戦者のサッカー理解が低いからではない。視聴率が上がらないのは、視聴者のレベルが低いのではなく、試合内容のレベルが低いのである。
「日本代表」というブランドは、サッカー場に義務のように足を運ぶコアの部分と、テレビで応援するマスに分けられる。海外のコアは、代表が負ければ、監督の更迭を叫ぶし、マスコミも辛らつな批判をする。ところが、日本のコアは内容にかかわらず、熱心にサポートし続けるだろう。一方のマスは、内容次第で自由に離れていく。私にいわせれば、日本代表を相対化できるマスの方が、日本代表を客観的に評価しているのである。いま、日本代表のテレビ視聴率が下降しているとしたら、それが現状の日本代表の客観的な評価である。言葉は悪いが、ジーコ監督はコアに媚びて、大衆の支持を失っている。ジーコブランドはコアには「神様」だが、マスにとっては、「つまらいおじさん」にすぎない。
カメルーン代表がどういう状態で日本にやってくるのかわからないが、結果としてこれまで行われたアフリカ勢との対戦のように内容の薄い試合ならば、マスはジーコジャパンに引導を渡すだろう。そして、人々は親善試合の本質を理解し、イベントサッカーに疑問を抱くようになる。そうなれば喜ばしい未来である。真剣勝負のJリーグに観客が集まり、親善試合はコアだけが関心を示す。日本でも、コアが騒ぎ出せば状況は変わるだろうが、それもなさそうだ。
私には、いまのJリーグの試合のほうが、日本代表の試合よりもおもしろい。



2003年11月11日(火) ダイエーはプロ野球から撤退せよ

日本一になったダイエー球団が揺れている。混乱の主因は経営問題だ。もちろん、本体の経営が破綻しているのだから、球団の経営が順調なわけがない。ダイエー本体の再建のために球団が必要だ、という見方もあるだろうが、「小久保問題」では本体のイメージまで悪くしている。本来経営に行き詰まっている企業ならば、カネが必要なことはあたりまえ。有力選手を放出するならば金銭の見返りが常識だ。それに反して有力選手を無償で放出するのでは、経済原則に反する。明確な説明のない限り、人々はこの放出に納得しないし、裏取引、闇取引があると考えるのが普通だ。
ダイエー本体は多額の債務免除を銀行から受けていると聞いている。債務免除は庶民の金銭感覚からすれば、モラルハザードであり、庶民がローン地獄に苦しんでいる現実からすれば許しがたい行為だ。プロ野球は庶民層をファンとしてもち、庶民層の健全な娯楽として発展してきた。ファンはグラウンドの選手のプレーに夢をたくし、ささやかな希望を得る。庶民は、プロ野球では実力主義が貫かれ、二世選手や名前だけの選手は通用しないことに、潔さを感じる。その一方、トレードやFAにサラリーマン社会にありがちな左遷や転勤を重ね合わせ、新天地で復活した選手や監督に拍手を送る。
プロ野球に求められるのは、健全な球団運営であり、情報の公開だ。だから、経営母体が金融業であろうが新聞業であろうがかまわない。経営者がファンに対して、球団の実態をクリアーにすることが重要なのであって、だから、市場原理に則って球団が売買されることは悪いことではない。
いまのダイエー本体の経営者は、事情を知らない人間から見れば、球団を人質にして本体の存続に有利な条件を引き出そうとしているように見える。企業の経済性と球団の社会性という問題をあえて混同させ、本体の整理を妨害しようとしているように見える。
九州全体の発展という論理において、福岡に球団が必要なことに異論がない。しかし、ダイエーという企業を再建・整理するうえにおいて、球団が資産として有効ならば、買い手の付くときに譲渡すべきだ。新しい買い手としても、福岡にフランチャイズを置くことの方が球場やファン組織を引き継ぐのだから、有利である。テナント付きで賃貸用不動産を購入すようなものだ。かりに、新しい球団経営の参入を阻もうとする勢力がいまの球団機構内に存在しているとしたら、それこそ、プロ野球のオープンな発展を阻害する者であるばかりか、ダイエー本体の経営の再建もしくは整理を遅らせるものであり、その勢力は同時に市場社会の敵だ。
ダイエーは、リーグ優勝・日本シリーズ優勝で日本一になった。選手は金銭でその報酬を受けるべきだ。このチームは若く才能のある選手が多い。であるならばなおさら、彼らの実績が正当に評価される球団経営の下でプレーすることが必要だ。
最悪、パリーグが5球団であってもかまわない。そうなれば、私がこのコラムで提案した1リーグ制、2部組織の「プロ野球改革案」に近づく。「巨人一極集中」の歪みも払拭されるのである。



2003年11月10日(月) 俊輔欠場はうれしいが・・・

中村俊輔がカメルーンとの親善試合を欠場する。この欠場はうれしい、とにかく、「黄金の中盤」の一角が崩れるだけで私はうれしい。代表メンバーに期待していたけれども、ジーコ監督の予告先発は、
GK:1 楢崎正剛
DF:2 山田暢久、3 坪井慶介、22 中澤佑二、14 三都主アレサンドロ
MF:6 稲本潤一、18 小野伸二、10 藤田俊哉、7 中田英寿
FW:9 高原直泰、13 柳沢敦
となった。残念、期待はずれだった。俊輔の代わりは藤田のようだ。藤田もいい選手だが、上昇していく選手ではない。でも俊輔よりは運動量がある。
いまの日本代表の弱点については繰り返しになるので詳述しないが、「使う」選手ばかりで、「使われる」選手、運動量とパワーで個人技で局面を切り開く選手が必要だと思う。とりわけ、中盤には。
セリエAのある試合で、俊輔がペナルティーエリア内でシュートチャンスにありながら、右足から左足にもちかえて、相手DFにクリアされたことがあった。イタリアのメディアはその場面を厳しく批判した。格好をつけていないで打て、ということだ。レベルの高いサッカーでは、決定的チャンスというものはなかなかやってこない。だから、打つべきところで打たないプレイヤーには非難が集中する。
いまの日本代表において、俊輔に求められるプレーは、運動量を増やしてクロスボールをあげることであり、一列目を追い越して相手の裏を取る動きである。それが左サイドの使命なのだ。極論すれば、俊輔の代表での役割は司令塔ではない。俊輔がボランチに下がるのならば、前線へのパスの供給と厳しい守備が求められる。前者はうまいのかもしれないが、後者はレベル以下である。少なくとも俊輔よりは、市原の阿部の方がボランチでは魅力的である。



2003年11月09日(日) 長嶋氏の野球観は

五輪野球アジア予選では日本代表が3連勝で五輪出場を決めた。監督は元読売監督の長嶋氏。ミスターである。長嶋氏は読売監督時代、FAやトレードで、各チームの4番打者を集め、打撃中心のチームをつくって話題を呼んだ。リーグ優勝もあったが、常勝チームというほどではなかった。カネをかけたわりには、チームは強くない。「長嶋ジャイアンツ」の弱さが、野球にもバランスが大事だということを、われわれに教えてくれたものだ。なによりも、読売の野球がつまらなかった。
さて、長嶋氏が監督になった五輪代表チームは、プロ野球各チームから、若くて、強肩、好守、走力をもった野手が集められた。野手はどちらかといえば地味だが、スピードがあり、ミスが少ない選手で占められた。西武の松井、読売の二岡、オリックスの谷らである。代表の顔ぶれをみると、長嶋氏が読売監督時代目指したチームとは随分と異なることがわかる。長嶋氏は、短期決戦の五輪予選という特殊な状況での戦いのためにこの布陣を選んだのか。それとも、勝つためには、こういう選手を集めることが必要だということを知っていての人選なのか。長嶋氏の野球観、考え方がわからない。
長嶋氏が監督時代、読売に呼んだ代表的選手といえば、当時西武の主砲だった清原だろう。清原は下半身と肩が弱く、走れない守れない選手の代表的存在。上体は筋肉の付き過ぎで、その上体を下半身が支えられない。清原は、今回の五輪代表の選手選考基準からもっとも遠い存在である。
長嶋氏が読売の監督時代、常勝チームをつくりたければ、読売にたくさんいる若い選手を米国留学なりさせて鍛え、いまの五輪代表選手のようなスピードとパワーのある強肩・好守・強打のチームをつくれたはずだ。読売のカネがあれば、そういう選手をトレードで補強できたと思うのだが、読売(長嶋監督)がこだわったのは、走れないポンコツの重量級選手ばかりだった。
わからいのは、「天才・長嶋」の心。長嶋氏はこうすれば勝てるというチームのあり方を知りながら、営業を意識して、峠をすぎたスター選手を集めざるをなかったのか。それとも、勝つためにはスター選手が必要だとその当時は思っていたのか。あるいは、読売時代の反省を踏まえ、勝つための選手のイメージを会得したのか・・・
私は原監督の一年目、読売が若くスピードをもった選手を使い出して好成績を上げたとき、このコラムで原監督の手腕と野球観にエールを送ったことがある。やっと、読売も野球からベースボールをしだしたのかと思ったものだ。ところが、その原監督は退任し、こんどの監督はどちらかといえば、古い野球観の持ち主のようだ。ローズだ、小久保だ、とロングヒッターばかり集めだした。来年は、プロ野球界にとって、進化よりも退化の年になりそうだ。



2003年11月07日(金) 力士は最強

元横綱・曙がK−1のリングに復帰するという。K−1に出るからといって、K−1スタイルで戦うわけではない。つまり、キックボクシングではない。相手はボブ・サップ。サップは日本では抜群の人気格闘家だが、世界の格闘技界では無名に近い。サップはアメリカンフットボール出身であるから、打撃の経験はないしサブミッション、クロウはいまだ素人の域にとどまっている。得意技はないのだが、体重、突進力、ハンマーパンチなどの圧力を武器にして、相手を吹っ飛ばして勝ってきた。しかし素人の悲しさ、高い技術を持った相手に出会うと――たとえばミルコクロコップ戦ではパンチで負傷してのTKO負け――、惨敗に終わっている。
曙は相撲引退後もトレーニングを積んできたらしいが、その力は未知数。もちろん、ボクシング、キックの経験はない。しかし、相撲には張り手、突き、のどわといった、打撃・クロウ技がある。相撲のサブミッションとしては、かんぬきが有名だが、相撲には本場所で見られない(つまり、かけにくい)技がたくさんあるらしい。このあたりが素人の私には神秘的なイメージ。曙が普段お目にかかれない相撲の必殺技を繰り出してサップからタップを奪う、なんて場面があるかもしれない。
現段階では、レギュレーションが決まっていないので勝敗の予測はつかないけれど、総合格闘技の1つ「プライド」の一般ルールで戦うと仮定すると、曙にも勝機は十分あるといのが私の考え。
曙には、サップの突進と圧力を受け止めるだけの体力と経験があるし、サップのパンチなら曙にも十分、よけられる。曙の勝利の展開としては、接近戦なら、もみ合った体勢から曙がサップの関節を決めて、サップがタップ、曙の勝ち。離れては、曙の張り手がサップの顔面に決まってKO勝ち――とみた。格闘技経験の長い曙が断然有利、というのが私の予想だ。



2003年11月06日(木) オフトの解任

浦和レッズがカップ戦で優勝し初タイトルを手にしたその日、オフト監督が辞任した。このケースはプロ野球の阪神星野監督の辞任に似ているが、実情は違っているようだ。つまり、クラブ側はカップ戦ファイナルに勝っても負けても、もっといえば、Jリーグ後期で浦和が優勝しても、オフト監督を解任する予定だったという。
解任の理由は、オフトのチームコンセプトだという説がある。浦和の戦い方はDFラインを深くとり、さらに、ゼニッチをリベロ的に余らせた超守備的シフト。下がり目のDF、MFから前線の田中、エメルソンに素早くボールを供給して、二人の個人技でゴールを狙うもの。エメルソン、田中というタレントに依拠した戦術だ。
これがいいのか悪いのか――クラブがオフトのコンセプトに「ノー」を出した背景には、エメルソンの移籍を視野に入れたものだという指摘がある。ことほどさように、エメルソンのスピードは抜群である。Jリーグではだれも止められない。冗談でなく、エメルソンに日本への帰化を呼びかける代表サポーターもいる。つまり、浦和の好調はオフトの手腕ではなく、エメルソンという抜群の能力をもった選手のおかげだという論理である。しかし、解任の理由がチームの戦い方にあるとは思えない。オフトはチームが有している戦力にあった戦術で好成績を上げているのだから、監督として当然の仕事をしている。解任の理由はおそらく、別だろう。推測に過ぎないが、契約条件の問題、つまりマネーの問題だと思う。
オフトが監督として有能かどうかだが、私はそれほどの監督だとは思わない。日本代表では「ドーハの悲劇」とやらで、W杯アジア予選突破を取り逃がしている。Jリーグでは、浦和以外でタイトルをとった実績がない。オフトが見出し育てた選手というのも、田中以外に覚えがない。
浦和はJリーグのなかで最も注目度の高いクラブである。その監督としては、オフトの顔も名前も戦い方も、古すぎたというところか。
実を言うと、モダンサッカーとは私の好きな言葉だが、浦和がこのカテゴリーに入るのかどうかについては、迷っていた。浦和(と東京V)を、いま現在Jリーグで好調の市原、横浜、FC東京と同じカテゴリーとして扱うべきかということだが、こんどの解任騒動でやっぱり、浦和は入らないのだな、と思うに至った。
浦和がモダンサッカーを目指すためにオフトのクビを切ったのならば、クラブとして、立派な決断をした。



2003年11月04日(火) 守備力

プロ野球は阪神がリーグ優勝し、Jリーグは浦和がカップ戦に優勝。どちらも長いこと下位に低迷していたが、地元密着の熱いサポーターに支えられてきたチーム。日本のプロスポーツもじわじわと「構造改革」を果たそうとしているようにみえる。プロ野球においては、「巨人」人気の崩壊、フランチャイズシステムの確立であり、サッカーは磐田、鹿島の二強時代の崩壊である。
もともとサッカー界にはプロ野球の「巨人」に該当するチームがないので「構造改革」の内容がプロ野球界と異なるのだが、浦和の初タイトル獲得は、日本のサッカーレベルが新しい局面に入ったことを象徴している。
これまでの日本サッカー(Jリーグ)のスタイルといえば、中盤重視の技術志向だったのだが、いまや、サイド攻撃、スピード重視のスタイルに切り替わろうとしている。同じことの繰り返しになるが、浦和のエメルソン、田中の2トップの「速さ」の成功は、司令塔(ファンタジスタ)の存在を重視してきたJリーグのスタイルが終幕を迎えたことを明らかにした。裏返せば、DFに「速さ」が求められているということになる。
Jリーグではしばしば、「コンパクトに」という目標が掲げられるが、「コンパクト」にしてディフェンスラインを浅くする戦術は、裏を取られるリスクを負っている。そのリスクを軽減するのが、守備の「速さ」である。
浦和の勝利は、速いFWの存在をクローズアップしたが、鹿島サイドに立てば、浦和の「速さ」を止められなかったことが敗因である。換言すれば、鹿島の敗因は、最終ラインの老朽化と、中盤とりわけ、このチームのキープレイヤーである小笠原の守備意識の稀薄さにある。まず、鹿島のDF陣=秋田、大岩、名良橋は失礼ながら年齢的な衰えから、スピードにおいて、浦和の2トップを止める力がなくなっていた。次に小笠原だが、彼はもともと守備の意識が低い。しかも、守備の技術がないから、イエローを2枚出され退場した。これでは鹿島に勝機はない。小笠原は攻撃の起点だと思われているが、彼の役割は浦和の前線へのパスの出所をつぶすことも含まれている。彼に戦況を分析する能力があれば、FWエウエルの負傷退場時点で、自分達の戦力的劣勢は明らかである。ここからはチーム全体が「守備的」であることが求められた。粘り強く守って、セットプレーで得点を、という慎重な展開も選択肢の1つである。ところが、小笠原は相手の速い動きに冷静さを失い・・・、というわけである。こういう「読み」ができるかどうかも、選手の能力の1つである。
いまのJリーグの上位は、有能で運動量豊富なDFががんばっているチームによって、占められている。FC東京、横浜、市原、浦和、東京Vなどである。それに反して、地盤沈下してきた鹿島、磐田、清水、G大阪、さらに、下位に低迷する各チームは、「いいDF」がいないことが弱点となっている。私はこれまで、Jリーグで上位を占める条件は、運動量豊富なサイドプレイヤーの存在だと言ってきたが、それに加えて、「いいDF」の存在も加えておきたい。
Jリーグは確実に進化している。各クラブはこのまま、モダンなサッカーを続けてほしい。少なくとも、「黄金の中盤」などというアホなチームコンセプトを掲げないでほしい。個人の創造性だとか自由だとかの「屁理屈」もこねないでほしい。選手は、速さ、パワー、運動量、闘志が基本である。それに加えてセンスがよく、判断力や予測力といった、天性の才能を持ったプレイヤーがレギュラーに上り詰めることができる。チーム戦術や規律については、監督が考えればよい。監督が正しい指示を出して、選手がそのとおりにできれば、チームは勝利するに決まっている。それができないから、サッカー、いやスポーツは先が読めないのである。
監督の目指す方向が正しければ、それを達成するために、選手は練習するしかない。厳しい練習で体力をつけ、相手よりスピードやパワーで上まわるしかない。スポーツの勝利の方程式は単純にして明快である。が、その答えは試合をやってみなければ出ない。そこが数学とは違う。だから、私にとって数学はつまらないものだが、スポーツはおもしろいものなのである。



2003年11月03日(月) 小笠原の態度は何だ

浦和vs鹿島のナビスコカップファイナル。劣勢の鹿島が3点目を失ったところで、小笠原が2枚目のイエローカードを受けて退場した。激しいファウルをするような場面ではない。あきらかに、勝負をあきらめて自ら退いたように見えた。少なくともこういう選手(小笠原)を代表に選んではいけない。小笠原のダメさ加減はこのコラムで書いたことがあったが、ナビスコのファイルで信じられない醜態をとった。この試合、味方同士の接触で浦和のエメルソンと坪井は頭に包帯を巻いたまま、闘志を滲ませて戦っていた。浦和の二人の立派な選手を前にして、小笠原の態度は礼を失する。鹿島は小笠原を何試合か出場停止の処分にしたほうがいい。鹿島は小笠原がいなければリーグ戦で勝てない台所事情だろうが、カップ戦ファイナルを侮辱するような態度を取る選手(小笠原)は、断固として処分すべきである。
さて、試合展開のほうは、エメルソン、田中の活躍で、浦和の一方的な勝利。試合展開を大雑把に表現するならば、「回す鹿島、はたく浦和」となるだろう。浦和のダイレクトプレーに対して、鹿島はのんびりパスを回して組み立てようとする。そうした鹿島のスロープレーが浦和のプレスにひっかかり、カウンター攻撃を受けてしまう。浦和は一見、中盤を省略したように見えるが、中盤からでも守備からでも、前線に早いパスが供給される。それを受けた、エメルソン、田中が個人技で突破しシュートにもっていく。また、ツートップにDFのマークが集中する隙を狙って、中盤の山瀬らがゴールをうかがう。この浦和のチームコンセプトをTV解説のK氏は、「全員が指令塔」と称した。いい表現ではないか。ヒーローインタビューに立った浦和の田中は、ゴールの感想を聞かれて、「あのゴールは僕のではなく、チーム全体であげたもの」と答え、絶妙のスルーパスを出した中盤のチームメイト(平川)を称えた。田中のゴールは、「前へ早くて正確なパスを出そう」というチームの規律の帰結であることが田中の頭の中に無意識に残っていたのだろうか。
浦和の攻撃はまさに現代サッカーに必要なスピードを武器にしている点で注目される。何度もこのコラムで書くことだけど、浦和のチームコンセプトは、日本代表のチームコンセプトにも関係する。ナビスコファイナルはジーコ代表監督も観戦したらしい。愛弟子達が粉砕される姿を見て、「黄金の中盤」という看板を引込めてくれればいいのだが。


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