Sports Enthusiast_1

2003年04月27日(日) 読売投手陣

読売の木佐貫がプロ入り初勝利を上げた。前述したように、この投手に対する私の評価は高くない。勝ったのは相手が不調の横浜だったことだ。この試合に限ってかもしれないが、フォークのコントロールが意外に良かったことに驚いた。ストレートもコンスタントに140キロ台。シュート気味のストレートが左打者のアウトサイドに決まった。シュート回転の効果だろう。だが、一つ間違えば、左打者の内から真ん中に入る危ないボールだ。このボールが有効かどうかは、むしろ、右の好打者に通用するかどうかなのだ。木佐貫にラッキーだったのは、横浜打線に右の好打者がいないことである。一勝を上げたとはいえ、まだまだ評価を変える気にはならない。
さて、もう一人の読売の新人の久保だが、久保の評価を上方に訂正したい。久保は思ったより活躍する可能性がありそうだ。スリークォーター気味だが、ボールの威力が非凡だ。基礎体力があるのだろう。先発は無理かもしれないが、短いイニングならこのパワーで通じる。
さて、問題の河原だが、ある解説者によると、ボールに「角度がない」という。これは難しい表現だが、肘がさがっているのではないか。あるいは、下半身に力がなく、ボールのリリースポイントがはやいのかもしれない。あるいは、その両方かもしれない。いずれにしても、打者にとっては捕らえやすいボールなのだろう。コントロールがいいのでホームランにならないのだが、「角度がない」ぶん、ヒットされている。
この解説者によると、クローザーは配球で抑えるのではなく、威力で抑えるのでなければもたない、といっていたが、河原は確かにクローザーとしては危ない。
配球といえば、河原はフォークとストレート一辺倒から、カーブを交えてタイミングを外す配球でごまかしていた。これで活路を求める道があるかもしれない。フォークとストレートにチェンジアップあるいはカーブのコンビネーション。威力のない場合は、けっこう、有効かもしれない。



2003年04月25日(金) 名前や実績にこだわるな

読売のクローザーが危ない。対ヤクルト戦、おとといは3点差をひっくり返され、きのうは同じく3点差から1点差まで詰め寄られた。これでは、河原を切り札として使えない。大逆転された次の日、同じ点差で河原を使った原監督を評価するか、それとも、名前や形にこだわった観念論者とするか、評価が分かれるところだろう。
結果はどうあれ、私の評価はむろん後者である。クローザー河原は昨シーズン、確かに驚異的なできばえだった。しかし、日本野球界のクローザーの多くは、活躍した翌年、調子を落とす。日本球界だけの傾向なのか、大リーグと共通な傾向なのかは、データがないのでわからない。が、2年以上継続してクローザーが実績を残すことは、私の記憶では、難しいことになっている。まして、河原は故障上がりの投手である。肩や肘に疲労が残っていておかしくない。シーズン前、今年の河原の活躍はない、と私は予想したが、いまのところ、この予想が当たりそうだ。むろん、大魔神・佐々木や高津といった、長年活躍しているクローザーもいることはいるが、近年の読売というチームでは、そうした偉大なクローザーを輩出していない。
原監督は、河原を清原と同じように扱おうとして、苦境に陥っている。監督がそうあってほしい、戦力が戦力として機能してほしいという願望を口にすることは悪くない。選手に期待を寄せ、選手をその気にさせる効果がある。だが、それに固執すると、サラリーマン社会の歯が浮くような部下操作術(=管理論)と大差なくなってしまう。そんなもの、スポーツの世界に持ち込むな、といいたいし、サラリーマン社会もどきの「管理論」に自己陶酔している野球の監督など、はずかしくって見ていられない。「部下のやる気を引き出して、実績を上げよう」なんて発想を、プロスポーツに持ち込むなかれ。
何度もいうように、チームスポーツの監督の原則は、調子のいい選手を使うことである。とりわけ、長いシーズンを戦うリーグ戦形式では、これがすべてに優先する。もちろん、それを実現するためには、選手のリクルートを含めたシステム整備が前提である。選手の調子を見抜く力のあるスタッフを持っているかどうかも、含まれる。
さて、読売がそうしたシステムをもった、近代的なチームなのかといえば、疑問符が無限大につく。読売は、伝統だとか根性だとか管理術だとかが横行しているチームである。むろん、これは日本プロ野球の体質であって、読売だけの問題ではない。



2003年04月22日(火) ものが違うぞ、

ヤクルトの高井投手。対読売戦8回裏に登場した。武器は140キロ台のストレートと、ペタジーニを三振にとったスライダー。コントロールがいいのだが、非凡と思われるのはフォームである。ほぼ完璧。体重移動、肘の角度など、どこをとっても理にかなっている。ボールに力がこもっているのだ。こんないい投手がいるのに、セリーグでは開幕前は木佐貫、久保といった読売の新人が報道されていた。まったく、スポーツマスコミの眼は節穴か。木佐貫が高井くらい肘が高ければ、本格派右腕だったろうに・・・
さて、この試合、読売は清原が途中交代、高橋が腰痛で退場と非常事態。その後、読売の交代控え選手が好機を作り、不調だった江藤がグランドスラム、勝負を決めた。非常事態から総力戦体制に入って、チームにスピードが出た。この試合、もっとも印象的だったのはてセンター斉藤の好返球。スピードこそ野球の醍醐味だ。
野球(勝負)は名声や実績ではない。相手投手がいやなのは、一番調子のいい選手なのだ。選手の調子を見極めるのがコーチ、トレーナーといったスタッフの仕事、そして起用を決めるのは監督の仕事。読売(原監督)が、やっと、勝負の原則に戻り出した。指導者の変な気負いを放棄したのだ。こうなると、このチーム、才能のある選手が多いだけに怖い存在になる。極論すれば、読売の監督は調子のいい選手を起用すればよい。



2003年04月20日(日) 日ハムが、

軽い。アメリカ人監督だからいうわけではないが、この監督が目指す野球スタイルが、選手起用から見えてくる。この監督が目指す野球、あるいはプレイヤーが成功するならば、私が常々読売の選手起用・選手獲得のコンセプトに文句をつけてきたことが正しかったことを証明してくれる。
きょうの昼、西武と日ハムが対戦。日ハムは西武の拙守に助けられ勝利した。この試合がどうのこうのではない。少なくともいえるのは、いま新しく日ハムでレギュラーになった選手が、野球というスポーツの本質を伝えてくれている。
まずは、スピード(走力)――ダイヤモンドを疾走する選手達。ダッシュ、スライディング等々。これらが野球の50%の要素ではないか。残りの50%は、長打(ホームラン)と投手力。もちろん、勝つためには投手(力)にかかるウエイトが高いが、投手は一人、野手は八人。見る側からすれば、八人の活躍、躍動の方が魅力的なのだ。
日ハムの選手はスピード重視の体型をしている。それと対極的なのが読売の清原。彼は走れない。致命傷だろう。清原はパワーはありそうだが、前述したように、野球選手の筋肉ではない。もう一人はペタジーニ。この選手の外野守備は素人だ。判断力、送球のコントロール、肩のパワー、走力、どれも三流以下で魅力がない。それでも打てるのだから、こういう偏った能力の選手が守れるのはファーストのみ。ファーストばかりしか守れない選手を何人集めても、野球は勝てないし魅力がない。
こうした観点に立てば、読売は清原かペタジーニか、どちらか調子のいい方を起用すべきだ。かつて読売の天才前監督がマルチネスという巨漢選手を外野で起用し、うまくいかなかった。それと同じ起用法の誤りを原監督は繰り返している。
確かに読売の控えは、清原、ペタジーニに比べれば非力である。でも、ほかの5球団はやりくりしているのだ。読売の金満体質が野球をつまらないものにしている。読売には、才能のある選手を集めながら育ててこなかったつけがまわっている。コーチも育てなかった。読売はできあがった選手をカネでかき集め野球を芸能化し、選手・スタッフを含めたスポーツの専門家を育てる努力をしてこなかった。



2003年04月17日(木) 相撲に勝って、

勝負に負ける、という諺のとおり、きのうの韓国は日本に惜敗した。サッカーは何があるかわからない、勝負は時の運。日本代表がジーコ体制になって初白星をアウエーであげるとは、皮肉である。しかし、日本代表が勝ったからといって、これで日本の方が韓国より力が上だとは誰も思わないだろう。スピード、パワー、キック力(ミドルレンジからのシュート力)…とくに一対一において日本は韓国に差をつけられている。日本代表が勝てたのは、この試合を見た人全てが感じたとおり、韓国にミスが多かったからである。韓国にもうちょっと正確さがあれば、日本代表は大差で敗北しただろう。
アジアのトップ2チームの対戦にしては、お互いがミスばかりという内容の乏しい試合だった。レベルの高いのはサポーターの応援だけというのでは、情けない。
だが、韓国にはまだ、希望がある。欧州移籍組と国内組の差は、若手では経験だけであって、体力・技術面の差が少ない。ベテランの力も落ちていない。韓国に比べると、日本は欧州組と国内組のレベルに差がありすぎる。特に攻撃陣がだめだ。小笠原が右サイドで活躍したというが、放送中に解説者から何度も指摘があったとおり、ポジショニングが悪いため、ディフェンスで機能していない。まだまだ、半人前なのだ。
では守備陣はいいのかというと、それも違う。結果ゼロで押さえたが、韓国に再三決定的場面をつくられていたように、DF陣にはスピードに問題がある。なぜ、浦和の坪井に経験を積ませないのか。私は秋田が悪い選手とは思わないが、3年後を考えると、そろそろ、若手に経験を積ませる時期だと思うのだが。あと3年でどれだけのタレントを発掘することができるだろうか。人材は出尽くしたと思う。そのなかで、単にDFだけでなく全体からみて、いまの日本代表の人材からすると、もしかしたら4バックは合わないのかもしれない。が、このことについては、あらためて、考えてみたい。



2003年04月14日(月) ヨバン、ファースト・・・

清原選手が復帰した読売だが、チームは危機的状況だ。清原選手は、肉体的にみて、もうプロ野球の選手は無理なのではないか。あくまでも推測に過ぎないが、清原の肉体はもはや、野球選手のそれではいないように見受けられる。体重が重すぎる。多分、筋トレのしすぎだろう。元ボクサーに聞いたのだが、ボクサーは上半身の筋トレを控えるという。よけいな筋肉がつけばパンチのスピードが落ちるし、ガードもできなくなるというのだ。スポーツにはそれに適した身体づくりが必要なのであって、上半身を筋肉で覆えば、野球はできない。さらに体重が増え、その加重に下半身がついていけなくなって、肉離れを起こす。下半身は上半身より、鍛えるのが難しい。年をとればより難しくなる。
体重を落とし、下半身を鍛え直し、スピードを重視した身体づくりを行うには、清原選手の年齢では無理だ。好調なときのビデオをみれば、清原の身体がどんな状態だったか、すぐわかるだろう。
次に問題となるのは、清原選手の起用法である。原監督は就任した年に日本一になったため、自分が指揮官として有能だと錯覚した。そのため、「4番は清原」と明言し、その言葉に縛られ、読売のチームコンセプトを崩してしまった。確かにこの明言は清原のプライドをくすぐっただろうだが、原監督が1年目成功したのは、若手にチャンスを与えるという、無心の起用法だった。そのことが、天才前監督の呪縛から選手を解放し、いい結果につながった。原監督はその原点を忘れ、4番に「格」や「名前」や「実績」のようなものを求めてしまった。
読売の不調は清原選手の起用法だけが原因ではないが、調子のいい選手を使い、チームに流動化を起こし、それをエネルギーにかえることが野球の、いや、スポーツの原点だろう。なぜ、清原という「名前」にこだわったのか。
ところが、これには裏があって、週刊誌報道によると、原監督が早く清原に現役を諦めさせるため、故障のまま出場させ、再起不能にさせる陰謀だというのである。これが原監督の真実なら、この人、相当の悪であって、名監督の素質がある。そうでなくって、原監督が清原選手に敬意を表したのだとしたら、人の良い凡人にすぎない。



2003年04月11日(金) 投壊

読売がヤクルト相手に1勝1敗。辛うじて1勝をあげた。ヤクルトは藤井、岩村が長期欠場。とくに藤井は選手生命が危ぶまれている。攻撃陣は、古田を筆頭にけが人だらけ。まともなのは、両外国人だけというチーム状態にもかかわらず、読売は2試合とも大量失点を喫した。読売の先発は桑田、高橋。先発が崩れたあとのリリーフがまるでだめだ。
リリーフ陣では、左では前田に代わる柏田が通用しない。岡村も相変わらずコントロールが悪い。右は木村、新人の久保では情けない。
開幕前、読売の投手陣はだめだ、と予想したが、現実のものとなりつつある。先発が崩れたあと、好調の攻撃陣の反撃を待つまで失点しない投手。負け試合濃厚でありながら、勝ち試合に持ち込める可能性を残せる投手がいるかいないか。
これは確かに難しい問題ではある。先発よりも実力のある投手を二番手に控えさせておくなど、およそ不可能。実力に劣る二番手がリードされている時点から相手の攻撃を押さえてくれるものなのか。監督にしてみれば、期待は薄い。負けるんなら大負けでいい、という考え方もできる。先発がだめで、次に出した投手がたまたま調子が良くて、攻撃陣が試合をひっくり返す、そんな展開が1シーズンにどれだけあるのか。
いってみれば、確率の問題なのだが、それはそれとして、けっきょく肝心なのは先発なのだ。読売の先発陣は、今後さらに悪くなる。昨シーズン、攻撃陣でできた若手の台頭が投手陣にはみられない。だから、読売の優勝はない。
それだけではない。見ている側に先発がだめなら読売は終わりだ、という見方が定着すれば、ファンは読売の試合に期待をしなくなる。視聴率も悪くなる。読売が落ちれば、崩壊するのは日本プロ野球だ。



2003年04月04日(金) はずしたかも

今年のプロ野球、セリーグの首位と予想したヤクルトにけが人が続出。序盤の苦戦が容易に予想される。藤井、岩村の投打の主力がだめ、古田も万全ではない。期待のロケットボーイズが調整に失敗。こりゃ、バランスがいいの悪いの問題ではない。
とはいえ、読売だって、真田が調子を落としているし、左の中継ぎの前田の調子が出ていない。入来はケガをしていることはご承知のとおり。工藤が一年おきのジンクスを破って、今年に200勝達成を賭けるのが救いか。
セリーグで、チーム状態が順調なところは、中日、阪神の2チーム。期待した横浜が読売に2連敗して、私の予想を裏切ったようにみえる。でも、ここで一喜一憂しても始まらない。ペナント争いは始まったばかりなのだ。いくらスタートダッシュが肝心だとはいえ、序盤の20試合を20連敗したチームがあるわけではない。まだわからない。逆に決定的なダメージを受けたチームは、いまのところないともいえる。
             *           *
話変わって、サッカー。ユーロ04の予選、イングランドvsトルコ(イングランド・ホーム)のビデオを見た。ベッカムが好調、献身的な守備でチームの勝利に貢献した(イングランドが2−0で勝利)。ベッカムは日韓W杯ではケガのため調子が悪かったが、ビデオで見る限り、復調しているようだ。
この試合、イルハン(トルコ)と併せて、「イケメン対決」とも呼ばれた。ベッカムの活躍に比べて、イルハンはイングランドの守備陣に完全に押さえ込まれ、なかなか画面に映らない。
W杯の実績からすれば、トルコはアウエーでも、引き分けに持ち込めるかと思われたが、結果は2−0とイングランドの圧勝。このスコアは、しかし、実力の差を意味しない。白熱した、内容の濃い試合だった。この得点差は、ちょっとしたはずみでついた、とでもいえばいいのだろうか。勝利がどっちに転がるかは、神のみぞ知るのである。トルコのホームでのリベンジが期待される。



2003年04月02日(水) がんばれ、不良債権処理投手

読売の桑田投手が横浜戦で好投したらしい。あいにくと、その試合を見ることができなかったが、私は以前、桑田投手の昨年の活躍を、「燃え尽きる前の蝋燭の炎」と形容して、今シーズンは活躍できないと書いた。まだわからないが、私は自分の桑田評価が軽率だったことを反省している。もちろん、このたびの好投で評価を換えたわけではない。
私が「燃え尽きる前の蝋燭の炎」と書いた2,3日後、新聞の経済欄を読んでいたとき、私はこの投手の大事な部分を見逃していたことに気が付き後悔した。その記事というのは、銀行の不良債権処理についてであった。そうだ、桑田投手は不動産投資に失敗して、いま、莫大な借金を抱えているんだったっけ。週刊誌報道によると、読売球団が桑田の収入全額を管理し、桑田本人に渡る金額はギリギリの額。残りは借金の返済に充てているという。
桑田の横浜戦の好投の結果は、幸運ではない、たまたま調子が良かっただけでもない。この投手を支えているのは体力や技術ではなく、借金を返済してみせる、という人間としての矜持なのだ。ゼネコンや大手流通業が借金を棒引きされ、経営者は経営責任をとらず、逆に多額な退職金をもらって悠々自適の老後を過ごしている。その大元の大手銀行は公的資金を注入されて経営者、行員、高額な給料を貰い続けているばかりか、経営者に至っては、大衆の預金を人質にとって、日本経済を奈落の底に突き落としたまま知らん顔だ。
こうした経済人の頽廃ぶりと比べれば、桑田投手の頑張りは素晴らしいの一語に尽きる。さすがスポーツマン、私の桑田投手への評価について、スポーツ選手としてというよりも、いまの日本人のあり方の評価として間違ったことを深く反省している。かりにも、日本の大企業経営者に桑田投手のような気概があったならば、また、桑田投手のような、責任の取り方に向かった立ち居振舞いがあったならば、日本経済はいまごろは回復軌道に乗っているはずなのだ。
私は桑田投手が嫌いであることは前に書いた。そのことは変わらないけれど、私はこの投手を応援している。桑田投手よ、腕をも折れよと投げ続けよ、その実績によって、大企業・大手銀行の無責任経営者を弾劾し続けよ。借金完全返済のその日が近からんことを、心より祈る。


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