Sports Enthusiast_1

2002年10月31日(木) 続続・質の違い

というわけで、読売が4−0で西武を圧倒。質の違いが勝敗に反映してしまった。第一戦で見えた両リーグの違いが、白日の下に晒された。これでプロ野球の改革がより速く進むことを期待する。繰り返すが、短期決戦では常に実力通りの結果になるわけではないが、本シリーズでは、西武はきっかすらつかめなかった。結果論でなしに、実力の差なのだ。
パリーグの問題はなにか。まず、個々の選手のレベルの問題。レベルが低いところで大雑把な試合が続けば、個々の選手に緊張感が失われ、試合を通じたレベルアップが図られない。プレッシャーの弱いところでは実力は磨かれないのだ。
第一に投手だ。きのう私が書いたことと同じことを某大新聞も指摘していたが、パの優秀な投手はリーグから出ていってしまったのだ。パの力のある打者は、投手のカウントが悪くなったときのストライクゾーンのストレート狙いで、本塁打が打てる。パの関係者は「大リーグ」野球を勘違いしていて、なんでもかんでもストレート勝負がパワーベースボールだと思いこんでいるらしい。ストレートを常に150キロ近くで投げられる投手なら、勝負球はストレートに決まっている。だが、パの投手は松坂が最速で150キロ近いが、コントロールが悪すぎる。ほかの投手は最速でも140キロ程度。その程度の球速で、勝負球、あるいは、カウント稼ぎがストレートとなれば、打者の打ちそこない以外、結果はヒットかホームランだ。西口、三井、松坂を含めて、西武の投手陣はスライダーがいいけれど、配球、コントロールという部分で、やはり大雑把なのだ。だから、外国人のパワーヒッターがホームランを量産できる。
なお、第4戦にかぎれば、監督の投手起用もおかしい。西口を第4戦まで温存したのなら、第4戦は西口と心中だろう。後がないかどうかは問題外。西口を4戦目しか投げさせない(7戦中1試合)のなら、とことん投げさせて、9回はもちろん延長まで続投させる覚悟がなければ、温存した意味がない。西口は今季の西武では実力ナンバーワンの投手なのだ。斉藤にホームランは打たれたが被安打は2。流れは西武だった。西口が力投しているあいだに打線が高橋を攻略してリードを奪い、西口を8回、あるいは完投させてもいい。もう出番のない投手なのだ。それが選手と監督の信頼関係というものだろう。もちろん結果はどうなっていたかわからないが、勝負とは矛盾なく事を進めることだ。
「松坂中心」というのが監督のこのシリーズの(勝負の)コンセプトならば、リードしてからでもいいではないか。それにしても、いまの松坂が絶対的な存在なのかどうかどうか−−、大いに疑問の残るコンセプトではあるが。



2002年10月30日(水) 続・質の違い

野茂、伊良部、イチロー、長谷川、田口、清原、工藤、片岡、アリアス、野村(読売経由)、吉井(ヤクルト経由)・・・と続けば、これは近年、パリーグを離れた実力者だ。行き先は、大リーグとセリーグ。一方のセリーグからは、佐々木、新庄、石井が大リーグに行ったが、パリーグに移った選手はいない。もちろんほかにも、トレードや移籍はあったし、小宮山、木田ら大リーグに移った選手がいるが、主たる戦力と見なされないので省略する。
これをみれば、パリーグの戦力ダウンは明らかだ。さらに高卒以上の逆指名では、二人の高橋、上原、二岡の巨人組、川上(中日)らがいる。逆指名で活躍しているパリーグ選手は・・・である。
この事実をつきつけられて、パリーグの実力優位を主張する人は少ないだろう。パリーグの戦力補強手段は、外国人選手に限られているのだ。しかし、大リーグは人材不足、東アジアは力不足、日本球界で活躍できる選手は少ない。いまの野球界はあまりにも、偏りが激しすぎる。その結果、パリーグの存在意義は失われたのだけれど、セリーグだって、読売への一極集中が続いて緊張感がなくなれば、急速に魅力を失うだろう。
2リーグ制度の下でパリーグを改善するためには、完全ドラフト制度の復活、FA制度の廃止しかないのだが、実力が均衡するまで数年かかる。ならば、いまだに続く読売人気を利用して、野球界全体を再編するしかない。その具体策はきのう、展開したので繰り返さない。
1リーグでも大リーグへの人材流出は続く。続くけれども、才能をもった若手がどんどん出てくれば、プロスポーツというのは人気が出るのである。そのためのシステムを考えることだ。たとえばヤクルトだ。このチームは、ロケットボーイズという速球投手を育てて試合に出している。このような工夫が必要なのだ。
あとは熱戦である。最下位になってもそれ以上は落ちないなら、相撲でいえば全チームが横綱である。上をつくるよりも下をつくることで、人間は名誉のために戦うようになる。ましてやプロスポーツ選手を志すような人間は、みなプライドが高いのである。抜きんでた才能をもっている人間なのだから、当たり前だ。だから、そのプライドに火をつければよい。熱戦を生まないシステムが悪いのである。選手に火がつけば、熱戦が多くなるのは火を見るより明らか。



2002年10月28日(月) 質の違い

日本シリーズは読売が2連勝。西武が勝てない。短期決戦では何があるかわからないので、シリーズの覇者が読売とはいえないけれど、2試合をみてわかったことは、セパの質というかレベルの差である。フリーエージェント制度ができ、大リーグへの道が開けた今日、パリーグは、セリーグならびに大リーグのマイナーリーグになってしまった。パの優秀な選手は大リーグやセリーグに移籍してしまい、そこで勝ち上がったチャンピオンチームといえども、日本のメージャー、セリーグに勝てない。もちろんその差は大リーグと3Aほど開いていないので、セリーグのチャンピオン読売がこのさき連敗することも大いにある得る。けれど、それは「時の運」であって実力ではない。
さて、かりに西武が1−4、0−4で負けたとしたら、私がいま述べたことが白日の下に晒される。できればそうあってほしいものだ。そうでないと、日本のプロ野球の改革は手遅れになる(というかもう、すでに手遅れだが)。
改革案は1リーグ制で10チーム。これをメージャーリーグにする。残れなかった2チームとウエスタン、イースタンのいわゆる二軍14チームを再編成して10チームを残し、これを米国の3A(マイナーリーグ)扱いにする。日本でのリーグ名称はなんか考えてつければよろしい。とくれば、なんだサッカーのJリーグとと大リーグを足して2で割っただけじゃないのといわれるが、そのとおり。10チームのうち2チームの入れ替え制はサッカーと同じにする。
なぜそうなのかといえば、チーム経営に競争原理を導入すること、そして、20チームにしっかりしたフランチャイズ意識を育てるためである。いま、東京にある、読売とヤクルトはどちらかが東京を離れることが望ましい。大阪も同様である。
選手は大変かと思われるが、むしろ選手育成としてはこちらのほうが速い。メージャーもマイナーも地域に戻れば主役になれるのであるから、モチベーションも高い。入れ替え制度がより白熱した試合を増やす。これまでの消化試合が降格争いになり、リーグ戦の最後の最後まで、ファンの心をつかまえることができる。
新人の採用は、抜け道なしの完全ドラフト制度。逆指名などとんでもない。指名順位は下位球団から。FA制度は残してもいい。
1リーグでは日本シリーズができないので、それに変わるのがA・Bによるプレイオフ(日本シリーズ)だ。A・Bの区分は、たとえば、シーズン前に10チームを抽選等で2つにわける。シーズン終了後はA・Bの勝率の高いチーム同士が日本シリーズを戦う。これをマイナーでも実施する。A・Bの構成は毎年変わることで、ファンに偶然性による新鮮さ、おもしろさを与えることができる。
リーグ戦優勝チームとプレイオフ優勝チームが同じこともあるだろうし違うこともある。このプレイオフをファンが支持するかどうかという不安は残るが、フランチャイズがしっかりしていれば、問題はないと見る。
外国人選手をどうするか。いまの野手投手でゲーム3人までを廃止しポジションを問わず4人までOKにする。そうすれば、日本人と外国人との競争原理も働くだろう。
さらに、余裕があれば、米国の2Aに当たるリーグも同様につくればよい。選手はドラフトにかからなくても、試合(真剣勝負)で実力を示すことができる。さて、問題は30チームも経営する経営主体が存在するかどうか、である。ビジネスチャンスがあると見れば参入すればよいし無理なら、メージャーとマイナーの20チームでスタートはかまわない。
まあ、有名選手OBがへんな記念館などつくらないで、球団経営に乗り出してくれることを希望する。あるいは大リーグで大金を手にした日本人選手が引退後、球団経営に参入してくれたら、案外30チームに増える日も遠くないのかもしれない。その後、メージャーの球団数を10から16程度に増やす道も開ける。



2002年10月27日(日) 頼りすぎ

浦和vs東京ヴェルディ(浦和のホーム)は、延長Vゴール・0−1で東京ヴェの勝ち。決勝ゴールはDF米山のロングシュート。90分間では0−0の引き分けだ(繰り返すが私は延長Vゴール制度を認めていない)。この試合、熱戦・接戦と見るか、お互いミスの多い凡戦と見るか難しいところだ。が、これだけはいえるという部分は、勝った東京ヴェも負けた浦和も、ブラジル人エースに頼りすぎている、ということだ。特に東京ヴェは「エジムンド依存症」といえるくらいひどい。エジムンドがすぐれた選手であることは間違いないが、GKを除く全選手が、エジムンドにボールを預けて「よろしくお願いします」では、プロとはいえない。
東京ヴェは、エジムンド効果で、後期は優勝圏内にある。一人のプレイヤーの加入でチームの順位がここまで変動した例をあまり聞かない。Jリーグのレベルとはこんなもの、という醒めた見方もできるだろうし、エジムンドの力がぬきんでている、という好意的な見方もできる。私の見方は後者である。いまのエジムンドなら、セリエAのレジーナ(中村俊輔が移籍した)でも同じような活躍をしたと思う。それだけ、コンディションがいいし、モチベーションが高い。その理由は何かは、情報不足でわからないのだが。
一方の浦和のエースはエメルソンだ。エジムンドほどの実績はない。彼はいわば、Jリーグで育ったエースである。この日のエメルソンは切れが悪く、決定的な場面が少なかった。エメルソンを抑えた東京ヴェのDFがよっかたのだ。そして、問題は浦和のスリートップ(今日はトゥットの代わりに田中)の一人、永井。前にも書いたとおり、永井は好不調の波が激しい選手。今日は切れのない不調のサイクルのようで存在感も薄かった。
浦和が得点をあげられなかったのは、永井の不調、トゥットが出場停止だったため、浦和の攻撃力が鈍ったこと、加えて、中盤の押し上げが弱かったことが挙げられる。エジムンドへのマークで、守備的にならざるを得なかったのかもしれない。とにかく、サッカーというのは難しいスポーツである。



2002年10月23日(水) 足関節技を教わる

先だってスポーツクラブのインストラクターに、ヒールホールド、アキレス腱固め、腕十字、三角締めをコーチしてもらった。このインストラクターは元格闘家である。柔道出身なので、打撃は得意ではないという。
足技に入ったとき感じたのは、相手の足が重かったことだ。もしマネキン人形のように片足をはずすことができたなら、彼の足は私より1.5倍の重さがありそうだ。しかも骨が太い。足をロックして力を入れれば、膝の関節の靱帯が損なうのだ。さらにアキレス腱にいたっては捕まれただけで痛みを感じる。こりゃ、素人の入り込む余地はないな、と思った。三角締めはもっとも凶暴な技で、頸動脈が締まる。腕ひしぎ十字固めも、入り方がいろいろある。とにかく、テコの原理で肘関節を親指の方に引く感じで押せという。
いずれにしても、足の関節技は素人がおもしろ半分で力を入れると思わぬ怪我をすることがあるので、注意が必要だ。
関節の取り合いは、練習でもおもしろいんだと彼はいうが、おもしろいというよりは危険がいっぱいという感じ。鍛えられた肉体とそうでないものの差は大きい。格闘技はテレビで見るに限る、ということですね。



2002年10月20日(日) 疑問あり、ジーコ采配

新聞報道によると、鹿島の名良橋がリーグ戦を負傷欠場したらしい。その試合をテレビで見ていないけれど、鹿島は負けた。名良橋がジャマイカ戦で痛めたことは間違いない。その試合については前に書いとおり、名良橋の後半の動きは極端に悪かったし、ジャマイカも名良橋のサイドを標的にしていた。素人が、しかもテレビ中継で異常に気づいたのだから、ベンチがわからないわけがない。なぜ、交替させなかったのか。代表監督が、たかだかフレンドリーマッチで負傷した選手を無理やり使い続けたとなれば、リーグ無視、クラブ無視の暴挙である。クラブをなめたとしか思えない。欧州だったら非難されるだろう。そうまでして、勝ちにこだわって勝てなかったのか。ジーコ、功を焦るとはこのことだ。
代表に選ばれるのは確かに選手にとって名誉なことであり、Wカップ出場が選手の価値を高めることは確かだけれど、Wカップまでまだ4年ある。選手も焦ることはないし、中村俊輔の例もあるように、欧州のスカウト網はWカップだけをみているわけではない。
ジーコはリーグ戦重視というけれど、口だけだ。これでは、リーグ戦がWカップのステップになってしまっている。リーグ戦を上位におけとはいわないが、両立、同等の価値をもってほしい。韓日Wカップで生彩を欠いていたフィーゴだが、開幕中のスペインリーグでは生き生きと活躍している。フィーゴの価値観はWカップより、レアルマドリードなのだ。リーグで活躍しなければ、一流とはいわれない。
              *       *
U20のアジア大会(正式名称を忘れた)で日本代表はインドに辛勝。危うく引き分けを免れた。インドは善戦というか、動きが速くディフェンスも強い。カウンター攻撃で日本を苦しめ、優勢の時間帯は日本より長かった。
こんないい試合なのに、ひどいのがレフェリー。インドのエルボーを見逃し。ファウルすらとらない。普通なら一発レッドだろう。終了間際のエルボーに今度はイエローを出したけど、これも一発レッドが適正だ。日本ボールがインドボールになったりと、判定は滅茶苦茶。このような現象はU21でもあった。アジアの審判は本当にひどい。これでは国際試合にならない。とにかく日本がリードしているとレフェリーは日本に不利な判定をする。日本に勝たせたくないというのがアジアの審判の共通認識になりつつあるようだ。それだけ日本が強くなったとみるか、なにかほかの理由があるのかわからないが、前者であることを望んでいる。



2002年10月16日(水) ジーコジャパン

の第1戦(ジャマイカ戦)は1−1の引き分け。前半早々から日本の圧倒的優位が続いたものの、得点が1点にとどまった。ホームで勝てなかった理由はそこにある。ジャマイカは負けていたこともあり、また、多くの選手に経験を積ませるという観点からか、選手交代を積極的に行った。
一方、監督ジーコは選手の起用に積極性がみられなかった。それに、鹿島というクラブに個人的思い入れが強いのだろうか、第1戦は鹿島+海外組の混成チームのようだった。ジーコは監督第一戦なのだから、自分の知らない選手を使って指示を出すとかコンビネーションを見極めるとか、いろいろ試行することが必要ではないのか。
いや、積極的に動かなかったのは、ジーコが勝ちにこだわったからだろう。「勝っているときには自ら先に動かない」とジーコは明言したことがある。この発言のシチュエーションは、もちろん、トルシエ批判としてである。後半35分、同点にされてから、鹿島の選手を続けて起用したのも、選手の能力を把握していて信頼できたからだろう。しかし、テレビで見ていても明らかなように、日本が再三破られていたのは、日本の右、ジャマイカの左サイドからの攻撃であった。ジャマイカが標的にしたのは、疲労で動きの鈍った鹿島の名良橋選手だった。名良橋の控えには、運動量が持ち味の浦和の山田がいる。だがジーコは使わない。勝ちにこだわって結果引き分けとは、ちと情けない。
第1戦だけで監督の能力を云々するのは早すぎる。だが、悪意で見れば、この試合に限ってみて、監督ジーコにはチャレンジする精神が足りないし、リスクをとらないような気がした。見方を変えれば、こうした代表チームが戦う国際試合の長期的位置づけがあるのかどうかである。経験なのか勝負なのか。コンビネーションの熟成なのか。新しい戦術のテストなのか。4年後のドイツ大会までの代表戦を全部を勝つことなどできない。
なお、問題の中村だが、調子はいまひとつ。



2002年10月15日(火) 消化試合の醜態

プロ野球は末期症状である。両リーグとも優勝が決まり、ファンの興味は個人記録だという。パリーグはカブレラが最多本塁打(一時は三冠王)に挑戦、セリーグは松井が三冠王にそれぞれ挑戦した。結果はご存知のとおり、二人とも不成功に終わった。
ペナントの行方は決まり、すでに消化試合に入っているにもかかわらず、パリーグではカブレラと勝負しない試合が何試合かあったようだ。もうペナントは終わっているのだから、投手は自分の力量を試す意味でも、また普段試合に出ていない投手ならなおさら、実戦で強打者と勝負して腕を磨くべきだろう。かりに世界記録だろうがなんだろうが、打たれたところで、ファンはその投手を非難したりしない。不名誉などと考える必要はさらさらない。むしろ、正々堂々と勝負した投手として賞賛するだろう。
記録を阻止する手段はいろいろだが、ファンが納得する手段を選択すべきだ。かりに、西武とある球団が首位を争っていたら、ある球団が勝負にこだわって相手の主砲カブレラを敬遠したとしても、だれも文句は言わない。当然のことだと思う。ところが消化試合に至って勝負をしないとなれば、それをファンに納得させる説明が必要である。説明としては、野球協約だかルールブックをもちだして(名称は違うかもしれない。要するにそのようなもの)、(消化試合といえども、)プロ野球チームは勝負を競うことを義務づけられているというのが一般的のようだ。
規約をあくまでも遵守し消化試合であろうと、勝負にこだわるのならば、プロ野球機構は個人記録を認定しなければよい、というか認定しないほうがいい。リーグ表彰等をしないのである。個人記録は選手の査定のために、球団経営者がそれを管理する。もちろん、マスコミ、ファンが騒ぐのは勝手だ。
プロ野球機構(リーグを含めて)が、個人記録をファン獲得の手段として認定する(=その必要を認める)ならば、個人記録を故意に妨害した選手、チームにペナルティーを科すべきである。勝負しているのかしていないのか判定できない、というかもしれないが、それこそ、機構内にしかるべき委員会を設置すればよい。委員の選出はスポーツに含蓄のある各界の有識者である。経済界にも、適正な競争を行わないものを裁定する委員会がたくさんある。公正取引委員会が代表的存在だが、ほかにも証券取引倫理委員会、広告なんとか、○○適正取引推進機構等々などがある。
いまのプロ野球は堕落しているのである。していないと思っているのは、コミッショナー、リーグ関係者、球団オーナー、スポーツマスコミ、ファンである。ということはだれも堕落していると考えていないじゃないかと反論されるが、それは違う。野球であれサッカーであれ、プロスポーツのあるべき姿というものがある。理想的な組織はこの世に存在しないけれど、このレベルなら大丈夫というラインがある。そんなもの知るか、といって閉じこもれば、それこそ日本経済の二の舞である。プロ野球バブルは、日本経済のバブルより長いとはいえるけれど、バブル経済のさなか、日本経済のいまの停滞を予測した人を私はあまり知らない。
※なお、記録がかかった最終戦、カブレラの対戦チーム・ロッテは真っ向勝負をしたという。ロッテチームの名誉のため、付記しておく。



2002年10月14日(月) 代表監督という職業

サッカーアジア大会決勝はイランに1−2で負け。いろいろ課題の残った試合だった。けさの朝日新聞は日本の敗因を後半開始に行った選手交代に求めていた。一理も二理もある見方だ。
それまでの試合経過としては、日本が押していた時間帯もあったが、攻めの形としてはイランの方がよかった。そこで交替させた選手が前の試合でクリーンシュートを決めた鈴木であった。日本の形は確かに良くはないが、0−0の膠着状態。ツキのある鈴木を交替させる必要があったかどうか・・・。
結果としては、後半立ち上がりに日本の守りにミスが出て1点を献上。その後ずっとイランが日本を圧倒する時間が続き、交替選手をさらに交替させるという指揮官としては絶対にやってはいけない事態を招いてしまった。終了間際にも信じられないミスが出て、イランにやらなくてもいい2点目を献上。日本は1点を返したものの、後の祭り。監督の策は凶とでたわけだ。
アジア大会に出場したこのチームは、選手に経験がないといわれたが、もっとも経験のないのが監督であった。この監督はコーチとしての経験はあっても、実戦の指揮経験がまるでないという。ここまでの予選リーグ・決勝Tでは采配ミスがなかったようだが、決勝でミスを犯した。ミスを誘発したのは、1つは決勝進出で色気が出たことだろう。ここまでは期待されない存在であっただけに、気軽に試合に臨めたのではないか。ところが、予想外の選手の活躍で決勝まで来た。監督はつい、功を焦ったのだ。2つ目は、イランがそれまでの対戦相手より格段に強かったことだ。フィジカルでは欧州のチームに近い。キック力(シュート力)もある。強い相手を前にして、判断力が鈍るというのは、経験の浅いものがしばしば陥る傾向である。
この試合が残した最大の課題は、代表監督選出の根拠についてである。サッカーでは経験が重要だといわれるが、それは、監督にもいえる。監督経験のないコーチを代表監督にいきなりもってくる理由・根拠が、私にはわからない。日本サッカー協会は、選手にはJリーグでの実績を求めるくせに、代表監督にはそれを求めない。アジア大会の代表チームの監督が、世界的にはもちろん、Jリーグの監督経験すらないということが私には信じられない。このコーチ上がりの人物に監督経験をつませようというのなら、まずJリーグで実績を残せといいたい。Jリーグで実績を残している日本人監督は、磐田の鈴木監督だけだろう。G大阪の西野監督もまあまあだが、鈴木氏には及ばない。(誤解されるとこまるが、私はいまのU21の監督がコーチとして実績のある人物であることを十分評価している。コーチと監督が違うということを言いたいだけなのだ。)
フランス大会のとき、解任されたK氏は論外として、コーチのO氏に監督を任せたのも不可解であった。もっとも、その器でないことはすぐに証明されたけれども。
A代表であろうと、U21であろうと、(Jリーグを含めた)実戦の場で実績を上げた監督に各代表監督の道を開くべきだ。そこに国籍はない。監督というのは、何度もいうように、実績がすべての「使い捨て」の職業なのだ。もちろん、適性はある。若い選手の育成に向いた監督とそうでない監督がいる。だから、Jリーグ関係だけでは人材不足なのである。広く世界に人材を求めなければいけない。U21クラスの代表監督としては、例えば、トルシエ氏などが向いていると思う。日本サッカー協会やその周辺の組織に寄生して生きていこうというサラリーマンには不向きの職業なのだ。いずれにしても、どこの年代であれ、代表監督はジーコが兼任するか経験ある人間を起用したほうがいい。そうでないと、コーチとして優秀な人材を失ってしまう可能性も出てくる。
世代を問わず、代表監督に実績主義を求めない官僚的体質が、日本サッカーの発展を妨げる。



2002年10月13日(日) 絶妙のワンツー

浦和が京都に完勝した。先行したのは京都だった。ロングボールで浦和のプレッシャーを避け、上野、黒田のポストプレーからこぼれ球を狙う作戦が浦和を苦しめた。また、京都の守備陣も密着マークでエメルソン、トゥット、永井の3トップを封じた。そんな序盤、サイドからの低いセンタリングで京都が先取点を奪った。
先行された浦和が京都の守備を崩したのは、芸術的なワンツーから。基点は永井だった。最初の1点はエメルソンのトゥットへのクロスボールが注目されるが、永井がエメルソンへ絶妙のワンツーを出したからこそ、エメルソンがフリーになったのだ。2点目も永井からだった。
永井という選手は好調・不調の波が激しい。いいときは、天才かとも思われるくらいのラストパスを出したりシュートを決めたりする。かと思えば、いるのかいないのかわからないくらい、目立たないときもある。
A代表に選ばれたこともあったと思うのだが、目立った活躍はない。このまま消えてしまう選手なのかなとも思ったりした。
でも、永井の活躍はエメルソン、トゥットのブラジル選手の才能に負うところが大きい。とくにエメルソンの並外れたスピードが永井のイメージを現実にしている面がある。
エメルソンは非凡な選手だ。ぜひ、ブラジル代表に選ばれて欲しい。ジーコが推薦してくれるといいのだが。Jリーグで育ったブラジル代表というのは悪い話ではない。ブラジルのいい選手がJリーグを目指して増えれば、日本サッカーのレベルも上がるというものだ。



2002年10月12日(土) ジャマイカもベストメンバー

まずは朗報。ジャマイカが海外組を含めたほぼベストメンバーの代表チームを日本に送り込むらしい。プレミアの何人かも来るらしい。あとは時差調整だけだが、これはスケジュールからいって絶望的だ。つまり、ジャマイカの海外代表選手はリーグ戦の合間、欧州から日本にやってきてとんぼ返りするというパターン。ジャマイカの国内リーグはどうなってるんだろうか。開幕中でそうでなくても、長いフライト時間をかけて試合に突入することは同じだ。欧州、南米中米チームを迎える、日本で開催さえるフレンドリーマッチの宿命だ。勝ってあたりまえだね。



2002年10月10日(木) 波に乗ったU21日本代表

アジア大会サッカー準決勝で日本代表(U21)はタイを3−0の大差でくだした。強い。得点が多くて失点がない、。落ちついている、日替わりでヒーローが出るなど、波に乗ったチームの良さが現れている。大きな大会において、この波をつかむことこそが優勝の第一条件だ。日韓W杯のブラジルがそうだった。最初は調子が出ずに苦しんだが、ツキに恵まれ波に乗った。W杯とアジア大会とではレベルが違うが、大会で勝つパターンには共通性がある。その意味で、いい経験をしている。
だが、サッカーでは、いつもこのようにうまくいくとは限らない。実力があっても波に乗れず、大会の予選リーグで敗退することもある。先のW杯のアルゼンチンやポルトガルがいい例だ。それは仕方のないこと。スポーツなのだから、絶対ということはない。努力しても、負けるときは負ける。
準決勝でいい働きをみせたのは、松井、鈴木、田中(ハルマ)だった。とくに松井の中盤でのキープ力が勝因の1つだ。調子が悪いなりに得点を上げたFW中山は、安定して力を出せるようになりつつある。
こうしてみると、アジア大会で活躍している代表選手というのは、Jリーグの若きレギュラーがほとんどである。南米やヨーロッパの選手と実戦でぶつかるJリーグでの経験が、アジアレベルではものをいう。リーグ戦の充実なくして代表強化なし―アジア大会はそのことをはっきりと証明している。日程を含めて、リーグ戦を大事にしなければいけない。さらにいうならば、レベルの高い外国人選手をもっといれて欲しい。エジムンドが東京ヴェルディを変えたような効果が期待できる。
とにかく、実戦(真剣勝負)の積み重ねしかない。繰り返しでしつこいけど、ホームのフレンドリーマッチの結果なんか、どうでもいいのである。



2002年10月09日(水) 大化けするか、U21日本代表

きのうはちと早く帰宅して、アジア大会のサッカーを見た。日本の相手は中国。大型でスピードがあり、これまで、日本チームが苦手とするタイプである。結果は1−0で日本の勝利。勝因は固い守備であろう。
相手の中国は超アジア級の大型チーム。戦術はこなれていないが、スピードあるサイド攻撃、身長を生かしたパワープレーでゴールを狙う。こんな展開になると、浮き球の処理を誤ったり、オフサイドのかけそこない、クリアミスなどで得点を奪われるのが日本のA代表を含めた負けパターンだったのだが、とにかく、このチームは落ち着いている。大型選手に負けない体力もある。よくシエイプアップされているのだ。
この世代には、スターがいないといわれ、期待度も低い、といわれていたようだが、この試合のチームバランスを維持できれば、かなり期待してもいいのではないか。個人レベルでは、森崎がナンバーワンか。
なお、この試合のレフェリーは優秀であった。イラン人のようだが、公平で統一された判定基準が光った。いいレフェリーだと、いい試合になる。アジアの大会では、日本に不利の判定が多いが、この試合ではそんなことはなかった。日本の勝因の1つといえるかもしれない。



2002年10月08日(火) ジーコジャパンの第一戦?

がいよいよ、あるらしい。私は以前にも書いたとおり、ジーコの代表監督就任には反対だ。代表監督という使い捨ての職場と、「神様」と呼ばれる実績の持ち主のジーコとが、あまりにもそぐわないからだ。こんどのW杯ドイツ大会はいうまでもなくホームではないのだから、ホーム以上の成績を残すのは相当難しい。アジア予選での敗退だってありえる。とても、「神様」がなさるお仕事ではない。
さて、走り出した以上、見守るしかない。ポイントは4バックだ。4年近く守ってきた3バックから4バックへの変更は小さくない。ただ、世界のサッカーの流れとしては、4バックが主流だという人もいるくらいで、むろん間違った選択ではない。
次に。代表メンバーの選出についてはどうか。年齢に関係なくリーグで好調な選手を選ぶという姿勢は、前監督のトルシエと変わらない。これも当たり前の話なので、当然間違っていない。
W杯後、初の国際試合であり、海外組が全員(選ばれなかった川口を除く)合流するという。その意味で、注目の一戦である。だが、相手はどうなのだろうか。ジャマイカの一流選手は英国等のリーグにいるはずだ。彼らがこの一戦のために日本に来るのだろうか。相手にはどんなモチベーションがあるのだろうか。時差調整はどのくらいあるのだろうか。こうした当たり前の情報を報道してくれないのが、日本のスポーツマスコミなのだ。
ジーコジャパンの船出にふさわしい一戦なのかどうなのか。かりに、モチベーションの低い、時差ぼけの二流ジャマイカ代表を、ホームでベストメンバーで下したところで、なんにもならない。どうでもいい、フレンドリーマッチなど、騒ぐに値しない。リーグ戦を中断してやるべき試合なのか。サッカー人気の維持のため、あるいは、ジーコジャパンの景気づけくらいの国際試合など、リーグ戦以下の扱いにしてもらいたい。真剣勝負でない顔見世興行試合など、欧州ならまず、客は入らない。



2002年10月07日(月) K1対プライド

のテレビ放送が週末にあった。なんとなく見ていたけど、あまりおもしろくなかった。勝った選手は、どちらを問わず、体力差という感じがしないでもなかった。
格闘技は体重別が一般的だ。体重別を採用しないのが日本の相撲と「プライド」などの総合格闘技。でも、無差別(ヘビー級)となると、上を制限しようがないので、200キロを超える選手が120キロクラスと戦うことになる。この差は大きい。でも、体重の重い選手が必ずしも勝つとは限らない。それを楽しみにする観客も多い。その確率は高くはないけれど。
余談だが、試合前に「挑発」をして盛り上げる仕掛けが多かったようだが、見苦しい。これを最初にやったのは、カシアスクレイ(モハメドアリ)だった。しかし、アリを攻める気にはなれない。その当時米国における、アフリカ系スポーツ選手の置かれた立場はいまと違うからだ。60年代、アフリカ系スポーツ選手が尊敬を集めることは不可能だった。そういう状況の中で、アリはヒールを積極的に演じたのだ。そのことは差別に対する挑戦という意味もあったと思う。でも、いまは違う。米国におけるアフリカ系スポーツ選手の地位は高くなった。バスケットボールのマイケルジョーダンは「神様」とまで、呼ばれている。
異種格闘技の戦いにおいて、相手をののしる宣伝フィルムを見るたびに、ばかばかしいというか時代錯誤というか、私の趣味には合わない。怨念とか因縁とかいうのは、ショーとしてのプロレスの筋書きの常套だ。
日本柔道とブラジリアン柔術との対決も時代錯誤だ。因縁の発端となったのは、50年も前のこと、柔道王・木村がブラジルでグレーシーに勝ったことらしい。そこから日本柔道とブラジリアン柔術の戦いが今日まで続いているという。だが、その木村は日本で、プロレスの力道山に負けている。これこそ因縁の対決だったようだ。当時のフィルムが断片的に流れるが、ルールなき戦い、多くの観客に見せる内容ではないように思える。
人間同志の肉体的戦いから、暴力性を排除したものが「スポーツ」なのだ。これは格闘技であっても同じこと。格闘技と暴力が同一であってはならない。相手に勝つために闘志が必要であることは認める。闘志と暴力とは紙一重である。が、このわずかな差を越えれば、スポーツでなくなってしまう。スポーツではレギュレーションが決められている以上、選手が暴力性を増せば増すほど、勝てない(のだと私は信じている)。だから、その一線を越えるように仕向ける、試合前の「挑発行為」だけはやめてほしい。



2002年10月03日(木) ナビスコ準決勝

は鹿島が延長Vで清水に競り勝った。お目当ては韓国代表のアンジョンファン。先発である。アンの調子はいまいちであった。得点シーンに絡んだのは1回。それが三都主のゴールのアシストだった。後半終了ちかくで交代。調整段階だろう。放送の解説者は、「積極的な守備によるチームへの貢献」を挙げ、まずまずの評価をしていた。その点は同感である。
それにしても鹿島はしぶとい。ボランチ、アウグストの攻撃参加、切り札長谷川の決定力、中田のロングボール、攻撃参加など、多彩な攻撃力をもっているし、タレントも豊富だ。そのなかで一人蚊帳の外なのが、FWの柳沢である。得点の雰囲気がない。この選手に欠けているのは、執念である。ゴール近くでうまくプレーしようとする。スタイリストなのだ。自分で打つべきタイミングでもフリーの選手にパスを出す。確率をもとめるのだ。そうかと思うと、フリーになると強引にシュートを打つ。これは執念がありそうにみえるが、その精神構造は、一般に言われているからそれに従っているのにすぎないのである。「FWはゴールがみえたらシュートを打て」と。優等生なのである。だから彼には、精神構造の改革が一番なのだ。
どうすれば改革できるか―。こたえは簡単、環境を変えることだ。鹿島を離れることが大切。アントラーズはJリーグのなかではいろいろな面でいいクラブだといえる。優秀な選手が集まっているので競争も激しい、だから強い。才能のあるものは優遇されているし、地元のサポートもある。
柳沢はそのレギュラー。環境は申し分ないのだが、それが彼の才能の発露を妨げている。もっと強いチームにいくべきなのだ。
柳沢は才能のある選手。才能を買われて鹿島に入団。順調に成長して鹿島のレギュラー、そして、日本代表に。W杯にも出た。順風満帆すぎるサッカー人生だ。それがいけないとはいわないが、壁を越えられない理由の1つだと私は考えている。
たとえば、広山のように、ポルトガルリーグに行くのもいいかもしれない。ポルトガルを知らないので、これは想像にすぎないが、そこには未来のフィーゴ、ルイコスタらを夢見たテクニックに優れた若者がいっぱいいるに違いない。上を目指すことだ。月並みには、向上心、挑戦する気持ちとか表現できるものが学べるだろう。日本ではあまり注目されていないのも、逆にプラスに働く。いきなり、セリエA、スペイン、プレミアにいくより、柳沢の精神にいい影響を与えると思うのだ。条件など無視して(プロだから無理か?)、一日も早く日本を離れることだ。



2002年10月02日(水) アジア大会

のサッカー中継を見た。日本vsバーレーンだ。バーレーンは日本が属するグループでは強いという評判だ。日本は若手だけのチーム構成(21歳以下だったか)。前半に日本が4点をとり楽勝かと思えたが、後半、不可解なPKで1点を返され、続いて2点目を入れられ苦境に陥った。若い日本代表、どうにかバーレーンの攻撃を耐え、相手のミスにも助けられ、終了間際の1点で勝負を決めた。終わってみれば5−2で日本の圧勝(得点差からして)のように見えるが、試合の雰囲気は悪かった。とくに4−2になってからの15分ほどは、バーレーンに圧倒されっぱなし。経験の浅さを暴露した。
でも、この試合にかぎれば、日本チームに同情できる。レフェリーがひどすぎた。点差が開いた後のバーレーンのタックルは、故意のものばかり。得点を上げた日本選手を意図的に狙ったものも多かった。ところが、レフェリーのイエローの基準があいまいで、悪質なファウルでもカードを出したり出さなかったり。かと思えば、日本選手の普通の接触プレーにイエローを出したりと、滅茶苦茶。PKはテレビで見る限り、ファウルとは思えなかった。
このジャッジに選手も相当、戸惑ったようだ。せっかく前半で大量点をあげたのだから、もっと余裕を持って勝ってもらいたいと思うが、相手だってあきらめてはいないのだ。レフェリーの判定基準で動揺してしまうとは、若さの現れだろう。
さきのW杯でも、審判には問題が多かった。アジア大会でも、レベルの低いレフェリーが国際試合の笛を吹く。これも国際経験の1つとも思うのだが、どうにも割り切れない。サッカーのレフェリーについては、これを統括的に管理する第三者機関が必要だ。そこが、たとえば、国際試合を何試合以上経験したものといった、明確な基準を設け、レフェリーに等級をつけるなり、格付けを行うなりして、管理すべきだろう。審判技術向上のための具体的な対策がほしい。とくに、アジアにおいて、必要である。そうでなければ、一生懸命やっている選手が報われない。



2002年10月01日(火) 日ハムに期待

本業では悪事がばれた日ハムだが、プロ野球では期待をもたせてくれる。札幌へのフランチャイズ移転とともに、監督にアメリカ人を招聘するらしい。新監督の実績を知らずして期待するのも変かもしれないが、プロ野球指導者の国際交流の本格化は私が希望するところである。指導者が外国人に占められると困るのは日本プロ野球のOBたちだが、指導者の資質がなければ名選手でも指導者になれないのが自然である。私見では、日本人の優秀な指導者をあまり知らない。
外国人指導者の招聘は、ロッテのヴァレンタイン氏が最初であった。就任1年目で2位の成績(前シーズンは5位か最下位だったか)をおさめたのに、契約の更新がなかった。順位を上げてのクビは不思議な事例である。その後、ヴァレンタイン氏はメジャーのメッツの監督に就任したことはご存知のとおり。
日本プロ野球をどうみるか―米国のメジャーに選手を送り込み、その水準は年々上がっているという評価が一般的だ。それには異論がない。ただ、読売に人気が集中した異常な全体像(フランチャイズの未発達=球団が広告媒体という位置付け)、不可解な新人採用制度(逆指名、FA制度)、セリーグとパリーグにおける、人気・実力の開き、犠牲バントの多用、狭い球場・・・など、問題も多い。
本家の米国のメジャーもいろいろな問題を抱えているらしい。そもそも、ベースボールという競技は国際的な統一基準をもたない、きわめてローカルなものだ。競技人口もせいぜい、北米を中心に中米、南米、東アジア、オーストラリアなどに限られている。米国の市場が巨大すぎるほど巨大で、それに日本、メキシコなどがぶら下がっている程度であるから、国際統一基準ができない。もちろん、ルールは一緒だが、球場の広さに規制がないから、広い球場の二塁打が狭い球場ならホームランになる。記録に意味がないのに、世界記録などと騒ぐのは日本のスポーツマスコミだけか。
サッカーがすべていいわけではないけれど、野球もせいぜい競技場のサイズくらい統一してほしいものだ。フェンスの高さも規制なし。人工芝もOKときている。イチローがメジャーで活躍しているが、HR数は日本時代に比べてかなり少ない。投手の技量の違いもあるが、球場のサイズも要因だろう。サッカーがそれぞれのサッカー場ごとにゴールのサイズが違っていたら、おかしなものだろうが、野球では当たり前だ。攻めと守りが公平だから勝負に影響なし、というアバウトさが嫌いである。サッカーの場合、FIFAが強い規制力をもって世界的に機能しているが、野球にはない。米国のチャンピオンシップがワールドシリーズという名称である。うまい選手はアメリカへこい、というのも傲慢な話である。


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