生存報告―目指せたくまし道。 〜こっそりひっそり編〜
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年末。電車の終点で寝てる人が多い。昨日は1つの車両に8人も寝てたりしたよ。ひとつ手前の駅でいきなり立ったかと思うときょろきょろして降りた男の子、会ったことあると思って電話してみたらやっぱり知り合いだった。彼が降りる駅はもっと先だったんだけど気持ち悪くなって降りてみたらしい。クリスマスにも知り合いが電車に乗ってたな。いろんな人の、いろんな年末。
紅白とレコ大を見ながらでもドラえもんを出来るだけつけておく私はドラえもん応援者?全国民のほとんどが見るといってもいい紅白歌合戦。出ている人がとても緊張しているのがよくわかる。若者は新人が賞をもらうレコ大も見るから紅白はもっと年配の方が多くてもいいのになあと思ったり。紅白はネタ的に無理があったりするけど、出てる人たちが頑張ってるのが伝わるからいいなあと思う。
今年、お世話になった方々に、どうもありがとう。感謝いっぱい、気持ちいっぱいです。
今日は未だに出来てないシーンをダメ出された上に相手役と一緒にふたりで散歩して来いと外に放り出された。浜田山を歩いて公園で話したり遊んだりシーンやってみたり・・・寒いって。
気持ちがないから空気が作れてないって。戻っても結局ダメと言われた。気持ちじゃなくて口調でセリフ言ってて、彼が相手だと私も芝居チックに返すらしい。自然な芝居はむずかしい。
でも他に今までなかなか進めなかったシーンをすごく考えて想像して行ったら今日になって今までよりも良くすることが出来た。でも場面ごとに整理しないとぐちゃぐちゃになりそう。
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キャストの一人にすごく勤勉というか、真面目な人がいる。台本は誰よりも早く覚えて来るし、言い方や動きも細かく考えてきて稽古で提示する。演出に他に考えてきてと言われると(言われないときも)次の稽古までに新しいものを作ってくる。
自分がそんな風に努力しているかといえば、全然足りない。自分の役について考えたり読んできたり動いてみたりはするけれど、他の役までなんて気が回らない。次回の演出にはそれじゃダメなんだよーと散々言われているが出来てない。
今もうやってなきゃいけないことなのに、と反省。したんだけどこの前の稽古で。まだ稽古の間じゅう緊張してるとか気を抜かずにやるとか出来ない・・けれど少しずつでもその割合を増やしていかねばと思う。
役取りにいかないのって言われてうーんって言ったけどそういえば実は負けず嫌いなので前回も出ないはずだったけど出ることになったし今回もダブルキャストだったけど10回中最後の2回以外は私がやれることになった。その都度頑張って来れてはいる。
なのに今の私なんだか覇気がなーい!うー。今も持ち帰っていろいろ考えたりしてるけどきっと足りない。頭がパンクしそうなくらい芝居漬けになってもいいのに。重なってるのもあるし卒論を気にかけ過ぎなのもよくない気が。はーう。もっとやれ私。
芝居を観に行きました。役者頑張ってる子なんだけど、前回ゼミ合宿で観にいけなかったから頑張ってる姿が見れてよかった。私と同じでちっちゃいからどつかれたりツッコまれたりしまくるんだけど怒ったりしないでエライなあと思うのです(私はどつかれるとブラックリストに載せるから、そして西海岸あたりの方々はよくどつく)。
そういえば駅近くで代行サービスの車を見かけました。東京にもあるんだー。3年位前静岡に行ったとき連れが当然のように頼んでいて地方ものだと思っていた。私はその存在を知らなくて、そんなサービスがあるのかとビックリした。だって東京じゃタクシーしか見かけなかったから。これって常識?
私の通っていた小学校では音楽の時間に「みんなの歌」の中から毎回順番で二人ずつ好きな歌を選んで授業の最初に皆で歌うというのがあった。いつも自分の好きな曲を選ぶ子もいれば周りの様子を見てこの曲あたりでと選ぶ子もいた。
深夜電話しながらなぜか各々勝手に歌っていて(どんな電話だ)、私はどうしても『大地讃頌(だいちさんしょう)』のメロディが思い出せなくて途中で"君のゆく道は〜"につながっちゃってて←四部合唱でそれぞれの入りが違うんだもん。
高校の行事でよく歌った曲なんだけれどそれまで私は全然知らなくて。芸術選択は音楽だったけど(他に美術、書道、工芸)ほとんど練習しなかったのに附属上がりの子たちはもちろんほとんどが知っててびっくりした。合唱だから声がすごく綺麗に重なり合ってそれはもうむわわわ〜ん?と講堂中に響き渡り、結構じ〜んと来るのでした。
で、調べてみたらちゃんとmidiがあるじゃない、というわけでメロディわかってすっきりしました。http://www.asahi-net.or.jp/~zw4k-hgc/ →合唱曲MIDIのお部屋。
よくパソコンで音楽は聴くけどもっともっと使いこなせるんだろうなあ。エラーで聴けないときはいじって聴けるように出来るけど、使い方知ってる人はもっとあっさりと何かを見つけたり出来たりするのだろうな。
えー、今週もNHK映像散歩で癒されている私です。空に舞う雪の粒、一面真っ白な雪が降り積もった広大な雪山。こんな真っ白な世界にいったら、身も心も浄化されるだろうに。
青白く光る朝、深い闇が降りる夜、冷たい空気に覆われた凛とした世界。
映画『Dolls』の最後が雪山だったのは単に春夏秋冬なのかもしれないけれど すべてのものが白で覆われる冬はあのふたりの最期にぴったりだった。そして光が射す。
映像に合わせて流れる曲はなつかしい賛美歌や外国の民謡で、人生のことなんて何も考えていなかった十代のことが甦って。
『アヴェ・マリア』は下校の音楽だった。よく聴いていたということは 私は最終下校時刻まで残って何をしていたんだろう?思い出すのは、誰もいない校舎を走り回っている感覚。
最近稽古でルパン走ってるからか、この季節走るのもいいかもしれないと思った。何もかも忘れて、頭の中からっぽにして まっすぐに走るの。
なんか、心に余裕がないなあ。いろんなこと溜め込んでしまうけど、綺麗な心をかけらでも持っていたいと思う。"この世界の常識"みたいな話を聞くたびに、それが普通だと思う感覚にはならないでいたいと思う。汚れたくない。
ちょっと違うけど、お芝居始めてからタバコを吸う人が周りに増えて、嫌煙だったけど我慢するようにしてる。でも私は一度もタバコを吸ったことはないし、これからも吸うことはないと思う。何故だかわからないけどそこは自分が越えたくない一線。
それがいいとか悪いとかってことじゃない。そんなちょっとした出来事やちょっとした話に取り巻かれて、私の中で純粋(?)な部分が悲鳴をあげている感覚。自分にとって譲れない部分。きっといろんなことに捲かれ過ぎなんだ。
最近、簡単に凹む気がする。全然だわ。でもそういえば私お芝居始めて半年経ってないんだと思った。初舞台踏んでから3か月ちょい。これから成長するかしないかも、私次第なんだろうな。
12月8日はラジオでジョン・レノンの曲がかかりまくる。22年前の今日、彼は熱狂的なファンに撃たれた。毎年思うんだけど、ジョンの命日は世界中で最も知られていて彼の死はもっとも偲ばれていると思う。この歌を聴くと、誰かを愛せるかもしれないと思えてくる。
Love John Lennon
Love is real, real is love Love is feeling, feeling love Love is wanting to be loved
Love is touch, touch is love Love is reaching, reaching love Love is asking to be loved
Love is you You and me Love is knowing We can be
Love is free, free is love Love is living, living love Love is needing to be loved
どうしたらいいのかわからなくて、どうしたらいいんだろうって相談したら教えてくれた人がいて。助けを求めた時に手を差し伸べてくれる人がいること。なんか自分、支えられてるなあって思うのです。
2002年12月05日(木) |
普通の歩行、練習中。 |
早速スニーカーで出掛けてみる。足全体が地面についてヘンなかんじ。歩くのって足の運動になるのね、と感じました。←ヒールだと足の場所を移動させてるだけなかんじ
そして結構速く歩ける。いつも後ろから抜かされてばかりでおばあさんにも追い抜かれるのに、おじさんとか追い抜けちゃうの。ちょっと感動☆やれば出来るじゃないの!
でも普通に歩いてるだけで何もないのにときどき足ピキっとなってくじきそうになります。5年間の上げ底生活のツケは大きい。
帰りの電車は事故でオニ混み。乗ってる人全員オニになりそうなくらいオニ混み。ひさしぶり、こんなに混んでる電車に乗ったの。雑誌読んでる人にせり出しちゃうくらい斜めって。つり革のエチュードみたいだった。そういえばもうマガジンが1月1日号。
やっと降りて駅で母の迎えを待っていると、広場でギターを弾く人がいて。それが『アルハンブラの思い出』。音色がとても綺麗だった。帰ったら沸かしておいてもらったお風呂に入って。あがってテレビをつけたらさだまさし『燈篭流し』が流れていて。(坂口憲二主演の連続ドラマ)
なんだかいろんなものに癒された。これがひとりぼっちでやるせなくなったほうがバネにできるのになんて思ったり。ギターを弾いている人。ただのドラマの放送。なのに心がすっと救われる。そんな世界も、素敵かもしれない。
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