2002年08月30日(金) |
悪あがきに引っかかった女 |
それが出来たのはいつのことだったろう・・・。 覚えてないな。
気が付けば、足の、それもふと股の内側に 出来ていた。 そしてそれは、猛烈に痒かった。 ダニに噛まれると凄く痒いんだけれど、 ( ↑ 経験有り。) 歯形が2本無いからダニではない。 1つだけ大きいのがポチンとあるだけだから 汗疹や湿疹、かぶれ、じんましんでもない。 こうなれば考えられるのは1つだけ。 それは・・・
蚊に食われただけ
である。 ぱんなはどうしても痒いと我慢出来ずに 掻きむしってしまうので、 身体に跡が残りやすい。 別に肌が玉のように白いわけでもないのに 残ってしまう。 ふと股だから良いけど、 手とか足のふくらはぎとかだと 哀しいものがある。
そして。 普通、蚊が飛んでいると 羽音が耳障りなんだけれど なぜか聴こえないんだよ~。(T△T)
とりあえず、ダニ発生を防ぐべく 布団を干そうにも、 このところ台風の影響で干せずじまい。 昨日は1日だけ夏休みを取ったんだけれども パパさんの外来に付いていったので 良い天気だったのに干せず。
朝起きれば 1つだった蚊に食われた後が
ごっそり
出来ていて、痒いのなんの(涙) 蚊も秋になりつつ、最後の悪あがきで 血を吸い巻くっているのでしょうか・・・。 今朝、「ムヒα」を買って付けて見ました。 ストッキングはいているので トイレで・・・ええ、付けてみました。 気が付いたら腕にも出来ており、 それは何もトイレで塗る必要はないので 自分のデスクで塗りました。 クリームなので匂いもしません。 むしろ私のお隣で同じように蚊に刺されて 「ウナコーワ」を塗っている同僚の女性 の方が臭います。 ええ、ツ~ンとした匂いっつーか、 臭いっつーか。
いや、実は人のことは言えなくて。 デスクに置きっぱなしにしていた この「ムヒα」を、 ハンドクリームと間違えて 手に塗りたくってしまいました。 いくら匂いが薄いとはいえ、 やはりつーんとしたしますんで。。。 ええ、驚きましたよ。 ハンドクリームに間違えた自分が。 いやね、ぱんなのハンドクリームも 前に日記にも書いたと思うが おばあちゃんの匂いがする程 臭うシロモノなのですが、今回はそれ以上です。 そんな自分がちょっと情けなかったり(苦笑)
でも、痒みは治まりますが 時間がたつと思い出したように痒くなります。
玉の肌(うそつけ!)に赤い点々。
かゆいよぉ~(T△T)
2002年08月28日(水) |
女子トイレに・・・男? |
うちの会社のビルのトイレは 男性・女性が全く別の所にトイレがある。 エレベーターを挟んで右が女性、 左が男性というように 間違っても男性が女性トイレに、 女性が男性のトイレに入る ということはない! ・・・ ハズ。(汗)
今日、いつもは朝コンビニで グレープフルーツ・ジュースを買うのだが、 今日はフロア内にある自販機にお茶を買いに 珍しく行った。 そこで、ちょっと太目の女性が
シコ
を踏んでいた。 自販機があるところはフロア内の端っこにあり、 ともすれば誰にでも自販機は見える(背中を 向けて座っている人は見えないが)わけで、 「何もこんなところでシコなんか踏まなくても・・・」 とか思った。 しかもスカートはいているし。
こんな女性、フロアに居なかった筈。 ぱんなのフロアは女性が数えるほどしかいない。 「だれ、これ?」 と思いつつ、放っておいた。(^^;)
さて。 始業前にトイレなんぞに・・・と思って 厠へ行ってみたり。。。 すると、そこに
男がいた。
しかもスカートをはいて。
いや、スカートはいているんだから 男じゃないだろう。 女性トイレにいるんだから 男じゃないだろう。
いや、まて。
私が間違えたか?<トイレ
そんなことを考えながら用を足す。 もちろん「音姫」を鳴らして(謎) 出てきてもう一回考える。
あれは・・・・男?
ぱんなの席の隣に座っている同僚に聞いてみる。
「ねー、ここに男のような女っている?」
彼女は答える。
「ああ、女みたいな男でしょ? 私さっきすれ違ったもん!」
ってか、男のような女と女のような男じゃ エライ違いがあるように思うが。。。 いやしかし。 本当に見分けがつかないくらいなんだな。
顔は、朝潮(元相撲取り)に似た人。 体格もね。 それも 太め とか ぽっちゃり とか ふっくら とか、そういう表現じゃなくて、 完璧にデブって体型でして。 人の事は言えませんが、でもその方、 ウエストが100㎝は超えていると思われ。 ぱんないくら何でもウエストはそこまでありません 笑
そして、スカートをはいていました。 やはり女性のようです。 もしもパンツスタイルだったら、 ぱんな完璧に男と思っていた事と思います。 そして。 もう一人、太った女性が来ました。 協力会社(出向社員)の方です。 こちらは太った方ですが、人目で女性だと 判ります。 スカートをはいておりましたが、顔を見ても 女性だとわかります。
でも、ほんと、ビックリしたよ。
これからは密かに彼女を シコくんと呼ぶことになるかと思われる。 ええ、シコを踏んでいたのは紛れも無く トイレにいたその人だったのら。
2002年08月27日(火) |
クーデンホーフ・ミツコ |
パパの転移が判る少し前、 従姉妹が2人目の男の子を出産したので 会いに行った。 その時に、「今日夜中にミツコやるのよ」 という会話をしていた。
ミツコって?
というぱんなに従姉妹が言った。
「あれ? ぱんなちゃん知らない? クーデンホーフ・ミツコだよ。」
ええ。知りません。 だれそれ?
そして、先日。 従姉妹が子ども2人も連れて 入院する前のぱんなのパパに 会いに来てくれた。 その時にその夜中に放送した クーデンホーフ・ミツコのビデオを 貸してくれた。 彼女は日本で初めて ヨーロッパの貴族(伯爵家)に嫁いだ 正式な国際結婚第一号だ。 何故、「正式な」というと 日本では開国以後、「らしゃめん」と いう立場の国際結婚はあった。 結婚と言っても要するに 現地妻であり、正式に結婚は出来なかった。 なぜなら、男の方は本国にれっきとした 妻(家庭)を持っている男だったから。 当然、そういう女性の間に生まれた子は ぱんなの住むこの横浜でも 随分と酷い目にあっていたようだ。
だからこのミツコさんは日本では初めての 正式な国際結婚をした女性なのである。 彼女は旧姓、青山光子 といって、 商家の3女ではあったが、大層な地主で 東京の「青山通り」はこの青山光子の家が あの辺り一帯を地主として持っていたので 苗字が通りの名前になったと言われている。
彼女のビデオをみて、とても興味が湧いた。 ぱんなが大好きなシシィの時代だからである。 しかも嫁いだ先はオーストリア! シシィには会ったことは無いかもしれないが、 フランツ・ヨーゼフⅠ世には会っている。 もう、相当にヨボヨボだったらしいから シシィが亡くなった後に会ったと思う。
シシィに関する書物、どれを読んでも このクーデンホーフ・ミツコの名前は出て来ない。 当時はアジアの商家の娘など、 厳格な貴族階級のオーストリアの貴族からは 「鼻つまみ者」として見られていた。
クーデンホーフ・ミツコを知るには 当時の激動のヨーロッパを知る必要がある。 何故なら彼女はアドルフ・ヒトラーとも 時代がリンクしているからである。 直接関りが無くともその孫はヒトラーの没後 エライ関っているからである。
ミツコは若くして結婚。 夫との間に7人の子どもを設け、 夫は40代前半で突然、心臓発作で亡くなる。 夫の遺言書には全財産を継承すること、 子どもたちの後見人も全て母親であるミツコに なっていたため、親戚が反発。 ミツコ自身に後見人をつけることなど、 諸々の裁判を親戚に起こされてしまう。 その当時はオーストリア・ハンガリー帝国と ドイツが広大な土地を戦争によって 広げて来たから平和だったけれど、 ヒトラーによって更に広げられた土地、 そしてヒトラーが没後、内戦を起こして 独立したチェコスロバキア、クロアチアなど 民族による独立国家が出来、 ミツコは今でも自分の遺言が 何一つ叶っていない。 夫の隣に埋葬して貰うことも(夫のお墓は 近く掘り起こされてしまう予定)、 財産を最後まで独身を通し世話をしてくれた 3女、オルガに渡す事も叶わなかった。 クーデンホーフ家の財産であるお城も 今は独立した国家にチリジリにあるため、 娘が継承することが出来ないのだ。 かわいそうに、娘オルガは生涯独身で、 自分の城には兵士が住んでいる関係で 元、自分の使用人が使っていた宿舎の 一間を借りて住んでいた。 亡くなった時、誰も知らなかったと言う。 お葬式も近所の人が出し、お墓の管理も 墓守の女性がしている。 兄弟はアメリカに亡命したのもあり、 イギリスに永住したのもあり、 現在、ミツコの7番目の息子カルルが 存命中だがスイスにおり・・・。 誰もお葬式に来なかった。 甥が来たが、司祭が十字を切った後に 来て(日本で言えば火葬場で焼かれた後 のお清めに来たようなもの)そそくさと帰った。 それも何かのついでに来たと言う。 オルガの姪は、ドイツでテレビのレポーターを しているという。 墓守の女性は大変怒っていた。 オルガは母を看取った後、ヒトラーの没後 独立した国家となったその土地を、 出て行かなければならなかった。 歩いて何万キロと歩いた。 だから同じドイツに姪がいるのである。
酷い家族だと思う。
ミツコは確かに子どもたちに 背を向けられたと思う。 でも、その母親を最後まで看取った 兄弟であるオルガに対して、 なんという仕打ちだろう。
そのくせ、インタビューで ミツコの孫とひ孫は 「自分が日本人の血を引いていること、 ミツコの血を受け継いでいる事を誇りに思う」 と言う。
ふざけんな!
と思った。 っていうか、墓守の女性も 姪がテレビレポーターをしていると そこまで知っているのなら(直々テレビには この姪って人は出るらしい)、 抗議の手紙なり何なり出せばいいのに。 葬式代もオルガの住んでいたかつての自分の 使用人の家の大屋に出してもらったのだから 「葬儀代かえせ!」ぐらい言えばいいのに。
余りにも孤独に亡くなったオルガさんが 可哀想でたまらなかった。 親類に看取られて死ぬことがどれほど 幸福な事か。 誰ひとりとして看取ってくれないということが どれほど不幸な事か。
ミツコが書いた遺言書の中に
「私の全財産を娘オルガに譲ります。 他の子どもたちには財産を受け継ぐ資格がありません。 私は他の子どもには怒りを感じています」
クーデンホーフ家の物理的な財産(お城以外)は 博物館、手紙や絵画(ミツコが書いたもの)などは その独立した各国の古文図書館に保管されている。
香水で「ミツコ」というのが有名だけれど、 これはクーデンホーフ・ミツコから付いたと 言う人がいるけれど、違います。
この香水を作ったこの会社の社長が読んだ 日本を舞台にした小説に出てくる女性が 「ミツコ」と言い、この小説のミツコを イメージして作ったというのが本当。 テレビでその香水の会社の社長が 言ってました。(笑)
クーデンホーフ・ミツコ展が昨年 日本であった。 知らなかった・・・行きたかったなぁと 今は思う。 ミツコについてちょっと色々調べてみようかなぁ と思った。
ぱんなって、歴史が好きなんだけれど、 興味がないと勉強(調べない)しない。 歴史ならなんでもかんでも好きという訳じゃないので 結構、やっかいな子かも(笑)
2002年08月26日(月) |
ナゼ名前をコロコロ変える? |
昨日、ぱんなが家に買える途中 ぱんなの住む街を流れる川岸に 人が群がっていた。
「はて? なんだろう???」
朝、起きていつものようにテレビを点けたら 多摩川に現れたアゴヒゲアザラシの 「たまちゃん」がなんと、 ぱんなの住む街の鶴見川にいたらしい。 多摩川は上流に沢山雨が降ると 川の流れが急に速くなってしまい 丸子橋の水門も開けられるので 水質も上がれば流れも速くなる。 その点、鶴見川はそれがないので 台風が去年来た時に多摩川が氾濫しても なんともなかった。 「たまちゃん」にはある意味快適かもしれません。 ただし。 ここの川の水質は全国でも
ワースト3位
だったりします。 流れや増水によって 「たまちゃん」が海へ追い出される なんてことはありませんが、 それ以前に「たまちゃん」が
病気になりそうな気がしますが
それは私の気のせいでしょうか?
そして。 鶴見に住んでいる人は 「たまちゃん」を
つるちゃん!
とか呼んでいる人もおり、 テレビでは「つるたまちゃん」とか 勝手に呼んでる・・・。 でもって、たしか荒川に行ったことも あった「たまちゃん」なのに、 荒川の「あ」の字も入ってない。 そういえば、亀戸に近いから アザラシなのに「かめちゃん」なんて付けて 呼んでいる人もいたっけ・・・。 どっちにせよ、 「名前を勝手に変えるなよ! まぎらわしいから!」 と思いつつ・・・。 っつーか、「つるちゃん」も 「つるたまちゃん」なんて名前も、
ちっともかわいくねぇし。(-ー;)
朝、バス通勤していると「たまちゃん」の 発見スポットを通るせいでしょうか、 テレビクルーが3組来てました。 このクソ暑い中を朝からご苦労な事です。 願わくば、テキ屋のおっさんが来た場合は ゴミ箱持参でモノを売って貰いたいと思います。
汚い川なんだから、 これ以上ゴミをポイポイされないように してちょうだいよっ!
ってな感じだったりします。 いや、アザラシに浮かれている日本も 日本人の頭も、私を含めて
ホント平和だよ。
今日はめいちゃんとみなむーと3人で 広尾にある美味しいレストランで ランチを食べに行ってきました。 ランチと言っても2,200円です。 充分に高いです(^^;) でも、キッシュはとっても美味しかったぁ。 明日、お食事レポをアップする予定。 ゆーやんが上京したときのオフレポは 消すのが勿体無いとめいちゃんからお言葉を 頂いて、ぱんなもそう思ってて。 だからゆーやん上京オフレポの上に 今日のレポを載せよっかな~と思ってまふ。 むふふ・・・(^ー^) めいちゃん、自らネタをくれたしね。ふふん♪
さて。 友達っていいものだなぁって思った。 自分が生きてきた中で、 あるいは生きている上で リアルに関わっている人とは違って、 ネットの友達は年も関係ないし。 色々な職業の人もいるし、 年下でもシッカリとした考えの子もいるし チャランポランなのもいる。 あまり ↑ こういうのは付き合わないけど(笑)
ネットの友達は例えば恋愛の相談にしても 生活の相談にしても、自分の悩みにしても 相談し易い。 相手は相談されたからと言って自分の人生に 深く関わることではないから。 迷惑も殆どかからないしね。 恋の相談されたからといって相談された側の 生活は変わらないでしょ? これが例えば自分の高校時代の友達とかになると 「ねー、内緒なんだけどさ。**ちゃんてさ~・・・」 となるわけで、相談下側もされた側も 周りを巻き込んでしまうんだよね。
そんな中で、ネットの友達って気が合えば 気軽に何でも相談できるから 落ち込んでいても、誰かに会いたい時も 誰かに傍にいて欲しい時も 以外に、言い方は露骨で変だけど 便利な存在だと思う。 下手に隠し事して話す事も無く、 気軽に会って、気軽に話せるから。 但し、出会い系は事件になることが多いから ぱんなとしては問題外なんだけど。
じゃあ、ぱんなはどうか。
ぱんなは確かにネットで知り合った人と 凄く仲良くしている人がいる。 いずれも女の子。 いや、ぱんなだけが勝手に一人で お友達と思っているだけなのかもしれないけど。
そのお友達に本当に何でもさらけ出しているか。 というと、してません。 本当のぱんなはどれなのか、 自分自身で判っとらん。(^^;)
パパの闘病日記を読んだ人(方)は、 シッカリしているというイメージを ぱんなに持っているけど、 ぱんなはシッカリなんてしてません。 ドジだし、人見知りするし。 ボケボケしているし。 この人見知りが曲者で、自分が自分に 城壁を作ってしまう。
だからぱんなは他人から見て、ぱっと見、 話し掛けにくいイメージを持たれる。
「話すと全然違う」
と言われることが良くある。 ネットのチャットなどは顔が見えないのと 考えて答える余裕があるのでドンドン発言するし、 だから良く話す人と思われがちだけど 実際は大人しいというか、 人の話を聞くのが好きなタイプ。
そのくせ、人恋しい人で 一人で居るのが寂しい。 そして凄く甘えたなんだけど、 ええカッコしいなんで甘えない。 お姉さんぶったりする。 悩みも余り人に話さないで自分で 溜めて溜めて、そのまま飲み込んで 忘れてしまう。 元々あまり落ち込んで泣くタイプではなく、 どちらかというと放棄するタイプ。
「くよくよしても始まらない。 そんな時間が勿体無い。 そんな自分が馬鹿みたい。」
そう思ってしまう。 要するに 開き直る っていうタイプ。 でも。 それでも時折、表に感情を素直に出せない 自分が本当に嫌になる時がある。
今日も。 めいちゃんと別れた後、 みなむーと色々話をしたんだけど。。。 結局、自分が本当に話したい事が話せなかった。 ぱんなはいつもそう。
どうしてなんだろう・・・。
こんな人間に、本当の意味での友達なんて いるのだろうか・・・。 と自分で自問自答してみる。
いないかもしれない。
いつも、自分を隠している自分が 本当に嫌になる。
ぱんなの前世はきっと、
あ。
調べたんだっけね。 それも
3代も前から。
すべて男でしたっけね。
生まれは良いのに、 いつも何かでけつまづく男だったね。 最後は確か、 お坊さんに出家してたっけね。
あたしって一体・・・(苦悩)
直った!
わーい わーい!(^▽^)
詳しくは早速BBSを読んでたも!
HPのbbsが・・・
開かねーよ
涙。
ぱんなの会社のデスクの前は ぱんなの課ではなくて、 別の課なんですな。 まぁ、前の机とはパーテーションで 仕切られているのですが。 どうせなら前にいた20Fのように 四方にパーテーションにしてもらいたひ。 ええ、是非。
んで。 そのぱんなのデスクの斜め前に 昔、NHKの子供用の教育番組 「できるかな」でノッポさんと出ていた ぬいぐるみの「ゴン太」というのがあって、 番組を見た事は無いけど、 以外に「ゴン太」くんは 知っている人っている。 っていうか、知らなくても 見れば判ると思う。
その「ゴン太」くんが 斜め前の課のPC、それも デスクトップの上に
どでぇ~ん☆
と飾られてある。 結構、部の女の子は好きな俳優の ポスターとか貼ってたり、 ぬいぐるみを置いてあったり、 煩いほど「女の子」らしいブツを 所狭しと置いている。 ぱんなは余りそういうモノを 所狭しと置くのが嫌いで、 どちらかというと 前に日記にも書いたけど 男の子っぽいところがあって すっきりと何も無い方が好き。 といっても、自分のデスクも すっきりとはしてませんが。 でも、キャラクターものとか置いてないもん。
さて。 この「ゴン太」くん、実は貯金箱でして。 なんか凄く目立つんだよね、これ。 どういう訳なんだか目立つ。
しまいにはぱんな、 「欲しいなぁ」とか思ったり。 ああ、別に「ゴン太」じゃなくても その中身でもいいんですけどね。 「銭」というモノであれば(笑)
なんか良く見ると UFOキャッチャーで取ったような ブツですが、でもいいです。 可愛いから(^^)
だれか、銭入りで「ゴン太」くん貯金箱を
くださいっ!!!(笑)
ぱんなのママのお知り合いの方が 美容師をしているので、 最近はその方に髪の毛をカットして貰っている。 知り合いだと言うと パパが入院中などは融通が利くので 夜遅くにお願いしてもカットして貰えるんで 便利なの。 ぱんなもママもパーマをかけないので 切るだけだし、パパが入院中は夜9時とか にお願いすることもしばしばなので 切った後はドライヤーで乾かさないで 帰って来ます。 バスに乗るわけじゃないし、帰ったら直ぐに お風呂に入るから。 カットしに行く時は、病院から帰って来て 食事してお風呂沸かしてからカットに行く から、帰って来るとお風呂は沸いているのね。 昔のように空焚きになるようなお風呂ではなく、 設定温度になると自動で止まるから 安心なのら。
その美容師さんには当然、 お代を払うけれども、知り合いとはいえ、 事情が事情とはいえ、夜遅くに押しかけて カットして貰うのだから、手ぶらではいかない。 菓子折りこそ持っては行かないけれども ママが漬けた漬け物とか、 お見舞いのおすそ分けとか・・・。
で、ある時。 その美容師さんがお礼にハンドクリームをくれた。 ぱんなも時折買う、通販のもので、 この通販はとても良心的です。 何故かって言うと、 以前、頼んだ品物が大人気で 在庫が無かった。 普通は「在庫がありません。申し訳ありません。」 のハガキが届く程度で後はそれっきり。 ところがこの通販会社は、在庫が無いと ハガキで上記のような事が書かれてあるけれども 後日「粗品」が届く。 ぱんなは化粧用のコットンが届いた。 こんな通販会社は初めてだったから最初は 「これ、頼んでないのに・・・」 と思ったけれども、添えてある手紙に 在庫が切れているお詫びだと書かれてあって ちょっと感動した。
商品も後日ちゃんと届きました。 無いからそれで終わり ではない通販会社なのである。 ただ、申し込み期日が切れるとしないと思うけど。
で。 その通販のハンドクリームだった。 どちらかというと、この通販は化粧品に 力を入れているようです。 ぱんなはピアスとか(メッキ製だけど) ブローチしか買わないから 化粧品は買ったことが無い。
女の人は良く判ると思うけど、 化粧品は本当に人によって 肌に合う、合わないがあるから 通販で買うのは怖くて使えない。 特にぱんなは18歳の時に キャッチ(道端で人を捕まえて商品を売る人) で捕まった化粧品(15万)で痛い目を見てて、 それ以来、色々な症状が身体に出てしまい、 その度に随分、病院のお世話になった。
これは後日書こうかと思う。
で。 とりあえず、頂いたのがハンドクリームだから まぁ、いいか。 と思って、会社で使うことにした。 蓋を開けた途端、匂いが
ぷぅ~~~~~ん☆
こ、この匂いは!
おばちゃんの匂いだ。
・・・涙。
とりあえず使ってみた。
隣の同僚が何気なく言った。
ねぇ、おばあちゃんの匂いがしない?
Σ( ̄△ ̄|||)
ごめんなさい。 犯人は私です。(涙)
でもね。 匂い以外はまぁまぁだよ。 だから使ってる。
今いるフロアがオヤジ臭いから
負けるもんかっ!
・・・・・え?(汗)
2002年08月19日(月) |
水も滴るいいネズミ(涙) |
台風でゴザイマス。 今年は7月から上陸したりして大変ですな。 ぱんなは以外に台風でも雨足が弱いうちに 家に帰り着いたり、 家に辿り着くちょっと前に土砂降りになる事が 多いので、ずぶ濡れにはなったことが無い。
今日は、絶対、道が混むとか バスが遅れて来ないとか 絶対遅刻するだろうと思って、 早めに家を出てバスに乗り込みました。 ところが、バスに乗った途端 バケツをひっくり返したような凄い雨! バスを降りた頃には少し止むかなと思ったら
とんでもない!
止むどころか益々酷くなる。 びしょ濡れになると スカートの色が濡れたところだけ 色が濃くなるのからみっともないので、 今日は濡れても人に判りにくい 柄物のロングスカートを履いた。
バスを降りてからは直ぐに太ももから下が びっちょり。 ぱんなの会社の近辺は多摩川に近くて 土地柄、ちょっと窪んでいるらしく、 ともかくあちこちの道が洪水になっている。 濡れないで行くのは不可能なので どぼどぼと洪水の中を突き進む。
会社に着いて。 椅子に座るのがとっても
イヤ( ̄皿 ̄)
だった。 少しでも椅子に座るのを避けようと、 まずはトイレへ。 これもマズかった。 トイレの便座に座る時にスカートを まくるじゃないですか! 濡れた裾をまくるわけですから、 濡れてないお尻の部分に濡れた裾が しみて来ちゃって ぱんちゅまで濡れてしまったぃ!(涙) その後コンビにへ。 ストッキングの替えを買って、 帰りに履こうと思うが、 靴が既にぐちゅぐちゅ状態なので 裸足で帰った方が良さげ・・・。
多摩川に突如出現したアゴヒゲアザラシの ”たまちゃん” ↑(いつの間にか勝手に名前が付いていた) も、どっかに姿を消してしまった。
今日のぱんなの運勢は。 サイテーより一歩前。 今日のラッキーな食べ物は パンプキンとレモンティー。 パンプキンは急に言われても 食べれるものじゃないので、 会社に着いてから ひたすら温かいレモンティーを飲む。 ええ、ティーパックのレモンティーが コンビニで売っているので (三角の形で可愛いのだ!)、 しこたま飲みました。 お蔭でトイレが近いっす。
そういえば、紅茶って利尿作用が あったっけね・・・。(汗)
悪い事は続くもの。
今日、朝10時に電話が鳴った。 Sさんからだった。 Sさんはパパの病院(癌センター)で お知り合いになった同じ食道癌の方で、 ブジーを2日1回入れていたSさんと同じ苗字だ。 ブジーのSさんは再発も転移もしておらず、 江戸に住んでいる。
今日電話を頂いたのは パパが転移が判った5月に ベッドが隣同士だった方で やはり食道癌だった。 彼は再発で、別の江戸の大学病院で 手術を受けたが、のちに喉の辺りの違和感が 取れず、製薬会社の営業マンだった事もあり、 また、ぱんなのパパの外科の主治医だった K先生のお友達を知っていた事もあって がんセンターに来た。
K先生からは
「Sさん、再発だよー。 手術を受けた時に既にこれは 初期の段階として出来ていた筈だから、 見落とされちゃったんだね」
そう言われたのだそうだ。 内科の主治医も現在ぱんなのパパと 同じ先生だし、使っている抗がん剤も同じもの。 けれども、ぱんなのパパは効果が上がっている のに対し、Sさんは全く効果が無かった。
ぱんなのパパが使用している抗がん剤は 消化器系の癌で良く使われる シスプラチンというもので、 プラチナ(重金属製)のため、 腎臓機能を著しく低下させてしまう。 薬害腎不全を起こしやすい為 医師も扱いには慎重になっている。 そして、もうひとつ。 5FUという抗がん剤だ。 この2つの抗がん剤を組み合わせる事が 今、世界規模で一番「食道癌に有効である」と 言われている抗がん剤だ。
けれども、これには効果がある人が全体の3分の1。 横ばいの人も全体の3分の1。 全く効果が無い人も3分の1。 という抗がん剤だ。
ぱんなのパパは効果があった。 有り難いと思う。 けれども、Sさんは最悪のケースだった。
抗がん剤を打っても癌が小さくならず、 6月にお会いした時は癌が脊髄に達しており、 「あと1年くらいだ」 と言われ、川崎大師の傍に住んでいることから 大師の傍の病院へ転院なさった。
あれから1ヵ月半。
Sさんが亡くなった。
その電話だった。
最後は 「冷たいビールが飲みたいなぁ」 と言ったという。 既にSさんは春から全くモノが食べれない状態で 点滴だけで栄養をまかなっていた。
カロリーの高い点滴をどんなに入れても 口から食べ物を入れること以上に 栄養になるものはない。 食べ物や身体の中にある菌が食べ物を消化し、 栄養を吸収し力をつけ、免疫力を高める。 点滴にはその大切な菌が無い。
転院されたからこちらから電話をする事は はばかられた。 どうしたものかと思って、 かもめーるを送った。 ぱんなはPCでハガキを作るのが嫌いだ。 手作り感覚がないからである。 だから面倒でも、ぱんなは 「プリントごっこ」で印刷して 絵の具で色を付けている。
ちょうどそれを受け取った時、 奥様は病院に寝泊りしていて 大変な時期だったという。
Sさんはお盆である14日に亡くなった。 立て続けに同志が亡くなるのは 正直、闘病中の私たちも辛いものがある。
でも、その方たちのためにも頑張らなくては。 その方たちの分も生きなくては。
Sさんのご冥福を心より祈りたいと思う。
昨日、パパさんが外来だった。 検査のみで診察はなかったから、 早く帰って来た。 ずっと気になっていた同じ食道癌のYさん。 パパが7月末に退院する時は 奥様が病院に泊まりになる程に具合が悪かった。 いつも具合が悪くても、 旦那さんに頼り切っていた奥さんが心配で 頑張ってピンチを脱していた。 薬で眠らされようと、 「いつ死んでもおかしくない」と 先生に言われようとも、 本人は頑張って家族の元に帰ってきていた。 だから今回も絶対、 ピンチは乗り越えられると信じていた。 いつも東京に出る用事があると Yさんが食べれるパステルの美味しい 「なめらかプリン」を買って行き、 あるときは「ら・ぽっぽ」のスィート・ポテトを 買って行った。 筆談で会話した事も、7月の具合が悪い時は 眠らされている傍で手を握ったりもした。
ずっとずっと、ぱんなは心配だった。 電話しようか、どうしようか迷った。 迷惑かな・・・とも思った。
外来の時にママに 「14階を覗いて来てよ。個室のドアが開いて 呼吸器の音が聞こえて、ビニールのエプロンがあったら まだ一生懸命に頑張っている証拠だから」 と頼んだ。 ママはパパを連れて看護婦さんにパパの顔を見せに 行った。とりあえず、看護婦さんに差し入れを持って。 覗きに来たなんて露骨に思われたらイヤだった。 ぱんな家とYさんが仲良しと言う事を 看護婦さんも先生も知っていたから。
何も無かった。
だからママが看護婦さんに聞いた。 「Yさんにお会いしたいんですけど」と。 看護婦さんは残念そうに静かにこう言った。
「8月1日にお亡くなりになったんですよ・・・」
と。 ぱんなのパパが退院した翌日に Yさんは静かに息を引き取られたのだった。
辛かった。 もう、半分ぱんなのパパと同じ位の位置に Yさんは居た。 あんなにぱんなのパパを励まして、 あんなに手術に向けて体力をつけるために 運動していたのに・・・。 懸命に奥様が看護していたのに。
8月1日の夜は月がとっても綺麗だった。 まんまるくて、雲ひとつなくて
「かぐや姫のように月から迎えが来そうなほど、 このままするすると光の階段で登って行けそう な程綺麗だなぁ」
ぱんなはそんな事を思いながらお布団の上から ずっとお月様に見とれていた。
まさに、この日、昼間だったかもしれないし 朝方だったのかもしれないけれども、 Yさんが天国へ旅立たれてしまったんだ・・・。
あんなこと考えなきゃ良かった。
またやってしまった。
ぱんなは、自分のおじいちゃんの時も 土曜日の午前中、 雲の切れ間から光が差しているのを見た時 「誰か死んだのかな」 って思った。 そしてそれは、自分のおじいちゃんだった。 悔しくも、食道癌だった。
自己嫌悪。
でも、Yさんらしいと思った。 亡くなって2週間目でお盆。 奥さんが心配で、8月1日を選んだのだろう。 天国に着いて、自分の荷物を置いた後 自己紹介もそこそこに、すぐに奥さんの元に 戻られたことだろう。
「あいつを置いて死ねないんだ」
ずっと、ぱんなにそう言っていたのだから。
謹んでYさんのご冥福を祈りたいと思う。
2002年08月15日(木) |
てぇへんだ、てぇへんだ! |
いや~、毎日毎日ホントに暑いですな。 私が子どもだった頃は8月は凄く暑かったけど、 最近は8月よりも7月の方が暑いですね。 8月ともなると朝方の気温も7月と比べて比較的低いし、 風はもう秋風ですから。 エアコンを付けなくても窓さえ開けていれば 心地よい風が入って来るから 多少、寝付きが悪くても結構寝られるものです。 まぁ、ぱんなの家は横浜のどちらかと言うと海側だから 風が結構あるのでは? とも思いますけどね。 横浜港で花火大会とかあれば 自宅からは花火が見えずとも 家の中に居ても音は聞こえますから。
え? 羨ましいですか?
遠慮せず、存分に 羨ましがって 下さい。(笑)
さて。 そんな感じなんで、 窓を開けて寝ていれば 暑くて夜中に目が覚める事も無いわけですが、 今日は目が覚めてしまいました。 原因は人の声。
いや、別にご近所から ”おいたしてる声@奥様” が聞こえているわけでもなんでもなくて。 ちぇ、とか言わないようにね、そこの君!(笑)
路上で喧嘩しているんですよ。男2人が。 朝方4時くらいだから、 どの家もまだ寝静まっているわけです。 だから声が響くんだよね。 響くといっても本当に近くで喧嘩していたようで、
「・・・上等じゃねえか! やるかぁ?」とか 「なんだとぉ? てめぇ・・・・・・・」
と、穏やかではなく、こりゃぁ、
刃物ブスッ! 血液ダラダラ 刺した男、刃物をポイッ バイクに乗ってバブ~ンと逃走 残った人、唸りながらポックリ☆
なんてことになりかねない! と携帯を握り締め、パジャマのまま出動! ・・・お前何モンだよとか言わないようにね。 ただの ”やじうま”なだけですから。エエ。
ともすれば!
いち早く現場に駆け付け、 (っていうか、家の目の前らしいしね 笑) 携帯から救急車を要請、 おまわりさんから事情を聞かれ、 刺された人の命が助かれば 感謝状とか金一封とか貰って ニュースとかワイドショーのインタビューに 「人の命を救った人」として紹介され、 周りからチヤホヤされつつ、 余りにも可愛いので(自分で言うな) 女優へスカウトされ、 末は女優としてウハウハと花開く
なんて事もあるかもしれません。 (絶対に無いと思うけど)
そんな事を考えながら外へ出てみると。
誰も居ない。
車もない。
・・・人っ子一人いない。
いや、確かに外に出てすぐに 2人の男が歩いてはいた。 バイクもあった。 新聞屋さんのお兄さん@配達中だけど。 そいつらかもしれないけれども、 ぱんながその通りに出るには ぱんなの足で15歩もあればおつりが来る。
・・・誰もいないってどういうこと?
サンダルを ”片ちんば”に履いて、 寝起きだから髪の毛もボッサボサで、 パジャマ姿の恥ずかしい格好の嫁入り前の娘が 怖いのを我慢して勇気を振り絞って (いえ、単なるヤジウマ根性丸出しなんですけどね) 現場に駆けつけたのに。 (だから、自分の家の目の前らしいんですけどね)
・・・。
少しは私がスターになる 協力ぐらいしなさいよっ、 あんたたち!!
チョコレートを食べると虫歯になる。
と、聞いたことがありませんか? 実際、歯医者さんちのお子さんで チョコレートは食べさせていないという 園児(ぱんなっちーは数年前まで 幼稚園の先生でした)がいました。
でも、実際は チョコレートが直接虫歯になることはない のだそう。 歯磨きを怠るからなるんですな(^^)
チョコレートが嫌いだという人が時折います。 食べれない人、 食べれるけど基本的に好きじゃない人、 それぞれいると思う。
ぱんなっちーは別に嫌いじゃない。 自分で買って食べることもある。 まぁ、超だいすき! ってほどでもないけど 普通に好きです。
ただ、毎月じゃないんだけれども むしょ~~~~~に食べたくなる時がある。 そしてそんな時に食べると 私宛に女性のお客様がいらっしゃいます。
・・・これね~、毎月尋ねて来るので 来ないと確かにエライ心配しますが、 来たら来たで面倒なんですね。
今日は会社に居る時は特にどうってこともなく 普通に過ごしていましたが 帰り、会社を出ると むしょ~~~~~~~~~に食べたくなりました。 そして、買っちゃいました。 バスの中で食べようと思ったんですが、 この暑さだから既にバスの中で開けた途端 溶けており、ドロドロではないものの ティッシュは必要? 状態でした。 っていうか、コンビニからバス停まで
5分の距離なんですが。
近いうちに 私宛に女性のお客様が尋ねて来る事でしょう。
2002年08月13日(火) |
魅惑の・・・・? 秘宝館 |
先日、ネットでお友達になった みなむりん@オトコマエ氏が蝦夷(えぞ) つまり北海道へ 飲みに 出かけました。 何も蝦夷まで行ってお酒を飲まなくても 江戸にてその足代だけで たらふく飲めそうな気が果てしなくするのですが、 まぁ、彼女のお友達たちが蝦夷で 飲み会をやるんだかなんだかで、 行って来たんですね。 ええ、ぱんなちゃんへのお土産も忘れて。
で。 彼女がとても喜んだ蝦夷の名所(?) 「秘宝館」について日記に書かれてありました。
「秘宝館」ってナニ?
日記を読んでて最初は良く判らなかったんですが、 読むにつれて判ってきました。 それは。
「18歳未満のお子様には教育上とてもよろしくない場所」
な訳です。 それで、ゆーやんが蝦夷から遊びに江戸へ来たので ちょっと聞いてみることにしました。 聞いた途端、ゆーやんはというと噴出して笑っており、 「おもしろいとこなのか?」 とも思いましたが、上記に書いてあるとおり 「教育上よろしくない場所」なわけで、 噴出した意味がイマイチ判らなかったりする。
ま。この日、みなむりん@オトコマエ氏に 直接聞いてみたけれども、 ゆーやんとりアクションが同じだったので 尚更、わけワカメ状態だったりもするのです。
で、つい昨日、思い立ってHPで検索を掛けてみた。 なんか、全国に随分あるじゃないですか、この類。 でも、半分くらい閉館してますが。 福岡でしたっけ? ↑ 以外は写真撮影が出来ないように なっているとかで(当たり前か)、 当然HPでアップなんざ出来るわけも無く、 とりあえずはというか、 しょうがなくお土産なんかを載せてました。<個人サイト それだけで充分って気がするが、 中には「子宝まんじゅう」とかいうのもあったりして、 それはそれで、子どもに恵まれないご夫婦なんかには いいんじゃなかろうかとか思ったりして、 微笑ましく(全然ないけど)思ったりもしましたが、 「秘宝館」じゃなくて、「子宝神社」とかで売った方が 遥かに売れると思ったりもするわけです。 商売がへたくそだなぁと思いました、エエ。 カビが生えていそうです。売れなくて。
ま。 ここがどんなトコかってのは判ったんですが、 何のために出来たのかは判らなくってですね・・・。 何のために建てられた所なんでしょうかねぇ。
ゆーやんが 「じゃあ、蝦夷に来た時はツアーでご案内しますよ」 と言ってくれたんですが、 ぱんなは蝦夷にどうせ行くならば 出来れば別の方へ行きたいわけですよ。 美味しいラーメンを食べるツアー とかさ、 可愛いキタキツネと戯れる@ばい菌いるから気をつけてねツアー とかさ。 はたまた、富良野かなんかへ行って 北の国からのゴローんちへ行ってみるかい? ツアー とかさ。。。
みなむーはといえばそんなゆーやんの言葉を受けて 展示物とかビデオとかじゃなくて 「みにちゃんが実演してあげるよ」 とか言いそうな勢いの顔つきをしてましたが、 別にいいです、遠慮しとく。 (どうせならカワイイお姉ちゃんの方がいいし 爆) それよりもモーニングコールをぱんなとめいちゃんの 2人から何度もされた筈なのに、 寝坊による遅刻を何とかして下さい。
でも、流行ってるんでしょうか、 「秘宝館」って。
ゆーやんが北海道から上京、 今週半ばに帰っちゃうみたいなんだけど ゆーやんからのデジカメの画像が来たら オフレポをアップします。 ぱんなっちーがパパになってしまったイキサツは 後日大発表になります。
(注) だからといって ”パパ” とは 呼ばないように(死)
さて。 ぱんなっちーは土日が休みである。 土曜か日曜どちらか出かける日は 必ずどちらかの日を家に居るように しています。 掃除とか食事の支度とかします。 掃除はそりゃ、中学生の時までは ママっちがぱんなの部屋を 掃除してくれていましたが、 もう、そんな年ではないので 床(フローリングなんで)を水拭き&ワックス かけたり、食事なんかも頑張るわけです。 ま、これは毎週の出来事なんで たいした事じゃないんですけどね。
今日は、なんと!
ケーキを焼いた
んですわ。おほほ・・・・・・ チョコレートケーキなんぞを焼いてみました。 ええ、生まれて初めて(爆)
昨日は
パパ
と呼ばれた1日でしたので、 大変悔しかったのか(?)、女の子らしく ケーキなんぞ焼いてみたわけです。 ちなみに今日のお昼は冷し中華、 夕飯は照り焼きハンバーグでした。 冷蔵庫には食材が揃っていますから 冷蔵庫をカパッと開けてみたら ひき肉が
食べて!
って言ってたんで(ほんとか?)、 ハンバーグにしてみました。 ナゼ照り焼きにしたのかというと、
ケチャップが無かったから
なんですね(笑) 味は美味しかったです。 ええ、自分が作りましたから・・・ふふふ。
というわけで、 パパの反動で(?) 今日はママになってみました。 ふんふ~ん♪
楽しかった! 凄く楽しかった! オフレポ、ゆーやんのデジカメの写真が 届いたらアップしまふ(^^) めっちゃ楽しかった! ゆーやん、なんか凄いボーイッシュになって、 息子になっており、みなむーは どういうわけだか年齢を感じるらしく 今回は婆さんになっており、 めいちゃんは相変わらず可愛くて 娘になっており、 何故かぱんなっちーは
パパに なっており、(涙)
詳しくは・・・ オフレポで・・・。
つづく
先日、この日記でYさんの事を書いたと思う。 昨年、パパと同時期に食道癌の手術を受けられ、 主治医も執刀医も同じ先生だ。
7月末、パパが退院する少し前に Yさんの容態が悪化。 奥様も病院に泊まられたし、 パパとの病棟の階が違うから用も無いのに 行かれない。 Yさんの様子を頻繁に伺いに行けば 今一番大変な時期だからご家族から 「興味本位」と取られかねない。
癌は何でもないのに、片肺が潰れてしまい 本来なら片肺でも肺は機能するらしいが Yさんはそれが出来ない。 何より二酸化炭素を吐き出せない。 人工呼吸器の回数と 本人の呼吸の回数が合わないので 起きていると苦しくなる。 ステロイドを使い顔が浮腫み、 既に薬で眠らされている状態だ。
とてもお気の毒だ。 癌は何でもないのにね。。。 先生もまたお辛いだろうと思う。
1年前、パパを励ましてくれたYさん。 何としても生きて欲しい。 一生病院から出られなくとも、 呼吸器を一生つけていてもいい、 生きて欲しい。
院内であれば、小型の呼吸器を持って 先生と看護婦さんと奥さんと本人で お散歩だって出来る。 アスファルトだらけの病院の敷地内を 気分転換に車椅子で周る事だって出来るんだ。 無機質な病室から出て、風や太陽を感じて欲しい。 草の匂いや車の音、人の声や鳥の声を 感じて欲しい。 生の息吹を感じて欲しい。
今、どうしているだろう。 調子が良くなっただろうか・・・ それとも変りは無いだろうか・・・
7月の下旬がもう本当に時間の問題かもしれない という所まで来ていたから、 安易にこちらから「如何ですか?」と 奥様に電話する事も出来ない。 かといって病院に行く事も出来ない。 15日、パパがCT検査で病院に行くから そっと病棟を覗いて来て貰おう。 ドアが開いていて呼吸器の音が聞こえたら 持ち直したと判断しよう。
それでもし、持ち直していたならば、 17か18日にお見舞いに行ってみよう。
でも、もし呼吸器の音が聞こえなかったら 別の患者が入っている証拠だから もしも聞こえなかったら・・・
どうしよう・・・。
2002年08月07日(水) |
なんでかなぁ・・・。 |
やっぱり自分のHPの音楽が 聞こえなくなってしまった・・・。(T^T) 某サイト(クラシックのmidiを無料配布しているサイト) を見ると聞こえなくなったので 原因はこれか?
・・・とも思ったんだけど、 前回聞こえなくなったのは このサイトを見たからじゃ無かったと思う。 なんでだろう???
だれかPCに詳しい人 教えてくらさいっ!(涙)
明日、内部監査がある。 ともかく書類を見直す作業を朝から行う。 仕事ってさ、特にOLの人は判ると思うんだけれど 元々余り気にしてない事でも気を利かせてやると それが当たり前になったりする。 例えば。 課長の飲んだ湯のみを洗ってあげると いつの間にかそれが当たり前になるというように。 今はお茶くみって殆どどの会社でも廃止になって 自分の湯のみくらいは自分で洗うようになっている。 秘書は違うと思うけど・・・。
で。 まさにそれ! だから印漏れが多い。。。 4・5月までは統一されていなかったこの印は 6月から統一して押すようになった。 リーダーの印でOKだったのに、課長印でないダメ ということになる。 それ自体はいいんだけどね・・・ 印を貰いに行く分には。
なにが困るって、殆どの課長が
夏休み
に入っていること。 課長印は引出しを開けて 勝手に印を使えないんだな・・・。 当たり前だけど(^^;) だもんで。 めっちゃ、困った(汗)
がしかし! 神様はぱんなを見放したりはしなかった。 ちゃんと印を預かっている(元)お兄さんがいたのだ。
神よ、感謝します。。。ラーメン!
じゃなくて、アーメンだ! って、別にぱんなはキリスト教ではないので アーメンだろうがラーメンだろうがそう麺だろうが なんだろうがどっちでもいいんだけど(笑)
はー。 でも、今日は疲れました=3
2002年08月06日(火) |
あたしって一体・・・ |
今日、健康診断に行ってまいりました。 なんか、ちょっと肩透かしくらった感じです。 まぁ、古い病院なんで施設については文句は言うまい。 ただ、昨年4万も出して受けた健康診断とは うって変わって、この病院は会社から郵送されてきた 項目のみを検査した。 去年は言われてない項目までやった。 4万も取るんだから、当たり前っていえば 当たり前なんだけどさ。
胃カメラは飲まなかったものの、バリウムを飲んだり 眼底や眼圧などもやったし、血液検査や尿検査から ちょっと人様よりも血糖値が高めという事と 肝臓の機能が良くないという事が判った。 もう殆どドック並・・・。
ところが今日は血液検査も尿検査も 会社から言われた事のみを検査しただけなので 内科の問診の時に 「去年、血糖値が高めだったんですけど・・・」 というと、先生は 「それは調べてない」 という。
は?
って感じでした。
「だって、会社からのは指定されてないし・・・ まぁ、心配でしょうけど」
だそうな。 それって、ちょっと、あんまりでない???
ぱんな、来年は去年行った所に行って検査しようと 心に誓ったのは言うまでも無い。 ええ、例え 看護婦さんが採血へたっぴーで 4回もブスブス針を刺されようとも、 看護婦さんが皆、元お姉ちゃんであろうとも、 細かい検査を受けたほうがいいもんね。
でも、今日の看護婦さんの採血は
一発で針ブスッ、
血抜きチュ~ッ、
抜き取りスッポン!
って感じで1回で済みました。 こりゃすごい!
そうそう! 凄い事があったんだ!
いつも身長が152.9㎝のぱんな。 昨年は153.2㎝に成長してました。 で。 今回はと言うと、
154㎝でした。
もうね、ちびすけのぱんなとしては 嬉しい出来事なんですが、でもこれって この年でまだぱんなは
成長してるって 事でしょうか?(汗)
ぱんなっちーはとってもクジ運が悪い。 近所の商店街でガラガラとまわして 玉を出すのもティッシュ以外貰ったためしがない。 まぁ、子どもの頃はお菓子とか凄く嬉しかったけれども 大人になるとティッシュの方が嬉しかったりする。 これはこれで、運がいいんだろうか?
さて。 今年の6月に入院した時、区の小冊子(無料)に 福祉団体が車椅子を何台か抽選で譲るというのがあった。 前にも日記に書いたと思うんだけど・・・あ、 もう1つのパパさんの闘病日記のほうかな・・・。 「ダメもとで出してみるか」と思ってハガキを出した。 そしたら
当たったのよね。
ちょっと古ぼっちいけど、その分、なんていうか 凄くシッカリしていて良さげです。 「運がいいんじゃない?」 とママっちに言われてその気になったぱんなっちー。 新聞に書いてあった、車のメーカーM社の抽選に応募。
夕張メロンプレゼント
これに出したのだった。 なんで車のメーカーなのにメロンなんだろう??? と細かい事は気にせずに、ハガキを1枚出した。 そしたら来ました。
某車メーカーN社から。 キティちゃんグッズが当たったらしい。
なんでやねん!
ぱんなっちーが出したのはM社なんだけど。。。 なじぇ、N社から? しかも、キティちゃんグッズを貰っても喜ぶ年じゃ ありません(TーT)vふふふ どうせなら車を頂戴よ。 マーチで手を打つからさ・・・。(爆)
さて。 先月頭、会社の同僚からあるアンケート用紙を貰った。 うちの会社、貸しビルなんですが、 そのビルのアンケートでして、それに答えると抽選で10名に 東京ディズニーランドのペアチケットを、30名に なんかくれるらしい。(なんかって何だ? 笑)
で、書いた。 たいしたことは書いてなくて、 えっとー・・・通勤は自転車か・・・とか ここのビルに入っているコンビには利用するかとか あとは・・・何が入って欲しいかとか そんなんだったと思う。
前はさくら銀行があったんだけど、合併と同時に ATMだけになって窓口が無くなってしまったので 大変不便になったということを書いたのと、 最後にビルについてなにか要望は? というのには、
「お昼になると31Fから降りてくる人たちで エレベーター6機がパンパンになり、 21Fに来る頃は乗れない。 お昼の時間帯はどの会社も同じだから下の階の 会社の人はその分お昼時間が減るわけで、 2機は最上階から、2機は20から、2機は15階から と言う風にして欲しい」
と書いた。 ちなみに、16階から下の階は別の乗り口 (エレベーターが6機ある)なのですけどね。
特にビルを誉めたわけでもなく、貶すというより 要望を2つ書いただけなんですよ。 会社名も書かないとならないし、部署名とかも書かないと ならないわけで。 だから一般の人が出入りするロビーに応募用紙があっても 一般のお客さんは応募出来ないわけです。 それにしたって、人数は沢山いるわけで、 大概はTDLのチケット目当てだろうし、 さして期待もしなければ当てにもしてなく、 むしろ
忘れていた
状態でした。 で。 今日、昼間、同僚に 「ぱんなっちー、当たってたね。TDLのチケット」 とか言われた。 はい? 状態のぱんなっちー。 どうやら会社のビルの入り口にデカデカと当選者が 張り出してあったらしい。 クリスマスなんかでも抽選とかやってて、 ポインセチアとかTDLチケットとかやってますが、 当たらないから気にも留めてないんで、 張り出してあったことすら知らなかったい!
1Fに降りてみたら2ヶ所にデカデカと会社名と 本名が
ど~~~ん!
と書いてあった。 非情に恥ずかしいです。 しかも、パパがこんな状態ですから、 例え使用期間が1年以内であっても 行けません。 紙切れ同然です。 そんなことよりも。
メロンが気になります。
メロンは一体どこへ行っちゃったんでしょうか?
誰か知りませんか? あたしのメロン。
2002年08月04日(日) |
ど、どうしたんだ??? |
3ヶ月前、 それまで昼間PCを立ち上げて HPをいじっていると ちゃんとHPの音楽が流れていた。 そしてその日の夜、 いきなり自分のサイトの音楽が 聞こえなくなってしまった。
何故?
・・・。 あれやこれやPCを弄ってみても 元々何も弄ってないのだから 特におかしいところも無く・・・。 あれから3ヶ月。 やっぱり音が聞こえない。
そして今日。 昼間PCを立ち上げたらやっぱり音は 聞こえなかった。 他のお友達に聞くと 「ぱんなっちーのちゃんと音が聞こえるよ?」 と言われていたので、うちのPCがおかしいのだろう。
で。 今。 まさに今! 自分のHPを立ち上げたら音楽が・・・聞こえなかった。 気になるけど、気にしても直せないので 「いつものことだ」 と思っていた。 BBSにレスを返してコンテンツに戻ったら。。。
鳴ってるぢゃないですかっ!
なんだか良く判らないけど、みょ~~~~~~~~~~~~に 嬉しかった。 でも、なんでなんだろうね???
引越しでした。
いえ、ぱんなっちーのお家がじゃなくて 会社の課なんですけど。 今年の春、泣く泣く若いフロアから オヤジ臭いフロアへ移動したぱんなっちーの課。 それなのに。。。 つい、2週間前に部長から
「引越しだよ~ん」
と通達があった。
どこへ飛ばされんだ???
と思っていたところ、 同じフロアで、机が2列ずれるだけでした。 いいような、悪いような・・・。 先月、一番奥の親父たちが別の拠点(浜松町)へ 引っ越したので、その人たちの居た場所が ポッカリ空いていたわけです。 なにせ、机ごと引越しですから。 ええ、広くて、ダンスでも踊れそうです。 いえ、踊ってる人を見たことはありませんが。
んでもって。 ある部がそれに目を付けて「一時うちの課をおきたい」 ってことになったんです。 ところがこのフロアは既に統括部が違う課が いくつかはいっているので、その「一時ぐみ」が19Fへ 一時来る事になって、ぱんなたちが来ることによって 19Fへ移動した連中が逆戻りしてきたわけです。
みるからにオヤジばかりぢゃ ないですかっ!
ただでさえ、親父臭いフロアなのに、 これ以上オヤジを増やさないで下さいよっ(涙)
で。
出戻り組は「サポート」という仕事なので、 トラブルがあるとPCが喋るわけです。 例えば。 「**さん担当の**会社に**のトラブルが発生しました」 っていうふうに。 警告音のような音も鳴るんです。
ええ、うるさいです。(泣)
しかも、ぱんな達の課が、丁度出入り口のところになってしまい、 出入りする人で気になります。
っつーかさ。
ドアは必ず閉めるようになっていて、 入室カードでいちいちあけないとならないようになっている というのに、「ドアは必ず閉めて下さい」と 張り紙までしてあるのに
いつも開けっ放しって どういうことよ、 これ?(涙)
2002年08月01日(木) |
今日は真面目な日記。「命」について |
いつも真面目な日記の筈なんだけど、 今日は凄く重たいテーマを書いてみようかと。 今日は、いつもの「ぱんなっちー」と言わず、 「私」を使おうと思う。
「命」
について。 人によって生死観はさまざまだから、 私の戯言程度に読み流して貰えればいいかな・・・。
時折ここでも書いていた、 同じ食道癌の患者さんだったYさん。 彼が今・・・危ない状態にある。
私にとって、Yさんは特別な存在だった。 去年、私のパパが外科的治療の為に入院した時に 知り合った患者さんだった。
手術後、たびたび危ない目にあっていたYさん。
今回、7/28(日)の夜中に、 肺がまたもや機能しなくなってしまった。 年が明けてからは自力で二酸化炭素を吐けなくなった。 Yさんは一度、昨年10月半ばに呼吸器が取ることが出来た。 術後、2ヶ月もICUで眠らされたままだった。 ヒョロヒョロでも歩行器につかまって歩けたし、 年末には退院が決まっていた。 そしてその退院の早朝、 呼吸器を着ける程に肺が悪くなってしまった。 夜中に先生が呼ばれ、蘇生して貰った。 もしもこれが退院した後だったら、 救急車など間に合わなかったろうと思う。 そして、今年に入って何度もそういう危ない状況に見舞われた。 その度に若い先生が呼び出され、蘇生して貰い、 朝方奥様が駆けつける事があった。 機械の呼吸回数と本人の呼吸回数が合わないからなお苦しいのだ。 Yさんは最近導入した最新の呼吸器を使っている。 まだ先生しか使い方が判らない呼吸器で、 Yさんの担当になった看護婦さんが一生懸命先生に着いて 扱い方を習っていたことを、私は知っている。
Yさんは、去年、私のパパがICUから戻って来て 歩く練習をしていた頃、丁度、七夕の時期だったので、 おりがみで「早く帰れるように」とカエルを、 「早く飛び立てるように」と動く鶴を折って 病室に届けてくれた方だった。 この何気ない心配りが、凄く嬉しかった。 涙が出るほど嬉しかった。 私のパパの手術は先生にとっては大変な手術で、 時間こそ予定内で済んだものの、その後、 2回も手術を受ける状態の患者だった。 何度「もうだめだ」と思った事か。 そんな中のささやかな出来事で、 そしてそれがとても有り難かった。 常に前向きで、患者であるYさんが 泣き崩れる奥様を随分励ましていた。
だから私はYさんをいつも気に掛けていたし、 銀座・・・というより、東京に出る用事があると 必ず病院によってYさんを見舞っていた。 「ぱんなちゃんが来た日から、うちの人、調子が良くなったのよ。」 「ぱんなちゃんが来た翌日に呼吸器取ったのよ。」 「ぱんなちゃんから頂いたプリン、あの人食べたのよ。」 そう言われた事が何度かあって、
ああ、 私が行くと調子が良くなるのなら いつでも行くよー! プリン買って行くよー!
そんな思いもあった。 実際は、調子が良くなる時にいつもタイミング良く 私が現れたというだけなんだけど。
このGWに私のパパが肝臓に多発転移した時も、 奥様が自分の事のようにガックリなさって、 私と一緒になって泣いて下さって、ご主人に思いを馳せて 「うちもいつ死ぬか判らない」と言った奥様。 私のパパは余命2ヶ月と病状告知で言われていたから、 私のパパが早く逝くだろうと、正直思っていた。 でも実際は・・・。
私のパパの転移が判ってGW明けてすぐに 抗がん剤治療が始まって、 私はお見舞いで頂いたスイカやメロンや桃を Yさんの病室(個室)に届けに行った。 仲良く半ぶんこした。 食べやすいようにスイカを小さく切って、 密封式容器に入れて持って行った。
Yさんは呼吸器を喉を切開して着けているから声が出せない。 調子がよい時でも声が出せない。 口パクで「ありがとう。話せなくてごめんね」と 何度Yさん本人から聞いたことだろう。 その時はYさんと同じ病棟だったから、 病室までは歩いて 5歩 のところにあった。 Yさんの個室へは、ビニールのエプロンとマスク無しでは 入れない。 個室だから勝手にズカズカと入っても行けない。
差し入れを持ってチョロチョロとYさんの所へ行く私は、 良く看護婦さんや先生から笑われていた。 会社の帰りにパパの病室に行く時、 いつもドアが開いているYさんの個室の中が見えるから 奥様と芸能人のように、夜なのに「おはよー!」と 手を振りあっていた。 これには全く関りが無い呼吸器(肺)の先生にまで 笑われていた。。。
「食道の外科治療を受けられた患者さんはどういう訳か皆、 仲がいいんですよ。呼吸器(肺)の患者さんはお互いの 病室を訪問しあったり、お見舞いに来る事は無いんですよ。 でも、Yさんとぱんちゃんは仲が本当に良いんですね。」
そう、看護婦さんに言われた。 実際、私や私のママとYさんの奥様は仲が良かった。 同志だった。 そして、同じ食道癌で同じ時期に親しくなった患者さん達もまた、 心配して外来の時は必ず病棟へ上がって来てYさんを見舞った。
私のパパが3回目の抗がん剤治療の為に入院した時は Yさんは既に状態が悪く、薬で眠らされていた。 起きていると上記に書いたように 機械との呼吸が合わないので本人が苦しむからだ。 良くなったり悪くなったりで半年以上過ぎた。 奥様も、「調子が良くないの」とは言うものの 「状態が悪い」が今までと同じで、また持ち直すと信じていた。 1ヶ月に何度も状態が悪かったり良かったりを繰り返せば 誰も毎回毎回、最悪な事を考えなくなる。 ・・・馴れと言うものは恐ろしいものだ。 もちろん、家族と言うものは最悪な事は判っていても 考えたくないものだ。
でも・・・。 7/28の日曜日の朝方、Yさんが今まで以上に具合が悪くなった。 夜中に先生が駆けつけた。今回は若い先生だけじゃない。 主治医から執刀医まで駆けつけてきた。 今は私のパパも病棟が違うので、久しぶりに見舞いに行ったら・・・。 奥様は辛そうにしていた。 日曜なのに、私のパパの執刀医の先生がナースステーションにいた。 Yさんの主治医・執刀医は私の父と同じ先生である。 国立がんセンター中央病院には食道専門の外科の先生は3名しかいない。 主治医となったK先生は、マスコミからも名医と太鼓判を押された 先生だった。 おごらず、自分の患者が常に心配で、毎朝・毎晩、 時間が空くと昼間もベッドサイドに来てくれる先生だ。 そして先生もまた、疲れた顔をしていた。
Yさんに会わせて貰った。 いつものようにビニールのエプロンを着け、マスクをして入室する。 大きな人工呼吸器の他に眠らせるための大きな機械があった。 口を大きく開け、ステロイドの副作用でほっそりした顔が パンパンに浮腫んでいた。
13年前に結腸癌で亡くなった、私のおばあちゃんの 最後の顔と同じだった。 私は大声で泣きそうだった。 手を触ると暖かくて、 「お父さん、ぱんなちゃんが来てくれたのよ」 という奥様の声は聞き分けていて、私の手を握ろうとする。 弱々しい手だった。力が入らない手だった。 身体の酸素の数値が73%を指している。 手足も真っ白で、青い血管が透き通って見えるようだった。
今までにも何度となく大変な時期を乗り越えてきたのだから 今回も乗り越えて欲しい。 筆談で「あいつ(奥様)を置いて、俺は死ねない」 「親よりも先に死ぬ事は最大の親不孝だ。だから頑張るんだ」 って私に言ったじゃないか! 約束は守らないといけないんだぞ!
私は人が人でなくなる瞬間を見るのがとても嫌だ。 病院の小児科を回る院内保母を諦めた大きな理由もこれだった。 最愛の人、家族が人でなくなる瞬間を見るのは地獄だ。 家族で看取る事が、本人にとって幸せだと人は言う。 本人は幸せでも、少なくとも私には地獄でしかない。
見たくない。 その場に居合わせたくない。
先生や看護婦さんたちは、もうどれほどの 沢山の人の死を看取ってきたんだろう。 「人を助ける仕事に付きたい」というだけでは 勤まらない職業だと思う。 これほど幸せを感じ、 そしてこれほど残酷な職業はないと思う。 患者さんが元気に退院して行った姿を目にした時 何ともいえない幸せを味わい、その反面、 命の灯火が消える瞬間に立ち会わねばならない辛さは 普通の人ではきっと勤まらないだろうと思う。 しっかりした生死観を持っていないと勤まらないだろう。 でなければ、壊れてしまうと思う。
私の胸にはマザー・テレサの言葉が刺さっている。 「人は路上で死なせてはならない。誰かが看取ってあげなくては」 ・・・たまたま耳にした言葉だった。 マザーは凄いと思った。 私は、見も知らぬ人であっても看取る勇気が無い。 きっと、泣き叫んで、自分自身が壊れていくだろう。 そう、弱虫なんだ、いつだって私は。
マザーの突き刺さった言葉は、 今、青い血を噴きながら 更に私の中に食い込んでいくようだ。
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