JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆昭和2年(田中義一)か22年間(吉田茂)まで総理大臣公用車は一人のドライバーが運転していました。 学生時代に「バックミラーの証言」をいうNHKの番組を見ました。 バックミラーの証言 20人の宰相を運んだ男 昨日、負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~ | NHK土曜ドラマスペシャルの話を書いたのですが、 その後思い出しました。 今は、首相が替わると運転士も交替するようですが、昭2年から何と戦後昭和24年第2次吉田内閣まで首相専用車(公用車)の運転士を務めた、 柄澤好三郎さんという方が、出演した、1981年、私が大学生の時に放送された番組です。当時柄澤さんは、 79歳でしたが、歴代なんと、昭和2年から、22年間というと、 田中義一、濱口雄幸、若槻禮次郞、犬養毅、齋藤實、岡田啓介、廣田弘毅、林銑十郞、近衞文麿、平沼騏一郞、 阿部信行、米内光政、東條英機、小磯國昭、鈴木貫太郞、 東久邇宮稔彦王、幣原喜重郞、吉田茂、片山哲、芦田均 で20人を超えてしまうのですが、詳しい事はわすれました。本にもなっています。 「バックミラーの証言―20人の宰相を運んだ男」 昨日、ドラマについて書いてから、ふと思ったのですが、あのドラマを制作したNHKのスタッフ、脚本家、俳優たちは、 「バックミラーの証言」を、多分、見た事がないでしょう。 私も、1981年に番組を見たときには、その真価がわかりませんでしたが、何しろ自分の目で、 昭和の初期から戦後まで全ての総理大臣を見ていた方の「証言」ですからものすごく興味深いものがあります。 私が思い出す柄澤さんのお話は、 1931(昭和5年)11月に東京駅で銃撃された濱口雄幸首相で、一命は取り留め、翌年1月退院したのですが、 既に60過ぎですから具合は悪いのです。それを野党政友会、鳩山一郎らの執拗な登壇要求に応じて国会に登場したときに、 この瀕死の老人を野党は罵倒し、とうの濱口氏は真っ青な顔色で、運転士の柄澤さんは、 「何故、同じ日本人どうしで、これほど残酷なことをいうのか、濱口さんを見ていて涙が出た」 というエピソード。 東条英機は、朝食を摂らず自宅の玄関先でデミタスカップ一杯の殆どトロトロの 濃いコーヒーを飲むだけだった、とか、自己顕示欲が強かったのでしょうか。 今では警備上考えられませんが、当時は首相公用車にもオープンカーがあり、東条はそれが大好きで 気分が良いと、「オープンカー持ってこい」というので、柄澤さんは仕方なく、屋根付きをオープンカーに交換しに車庫に 戻ったことが何度もあるとのこと。 あれは、誰の時っていったかな。暗殺の危険があるので首相公邸から道路に出るときに、当時は他にクルマなんて走ってないので、 なるべく素早く(攻撃されないように)道へ飛び出すように運転した、とか、 戦後、社会党の片山哲委員長が、内閣総理大臣だったことがありますが、 柄澤さんによると しばしば、工場労働者の集会に行くときなど、「柄澤君も一緒に見ておきなさい」といわれ、お供したが、 など、恥ずかしながら、他愛もない話しか思い出せませんが、 とにかく、我々にとっては「歴史上の人物」を全て自分の目で見ていた方がテレビで「証言」していたというのは、 この番組、ただ一つだと思います。 ◆著作権は勿論大事ですが、利用者の利便性を考えて頂きたいと思います。 改正著作権法とやらが施行され、確かに著作権並びに知的財産権は保護されるべきなのでしょうが、 新モーツァルト全集:デジタル版 NHKの過去の映像資料を、無料で見せろとはいいません。料金を払っても構いませんが、 そもそも、これだけネットサービスが多様化しているのですから、例えば「バックミラーの証言」を検索して、 何百円か支払ったら全国どこからでも、見ることが出来ると言うぐらいのシステムを構築するのは、恐らく, データの量は膨大なので、大変でしょうけれども、それぐらいは利用者の利便性という観点から検討して欲しいと思います。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2011年10月07日(金) 【本】知りたくないけれど、知っておかねばならない 原発の真実(MBSラジオ たね蒔きジャーナル、小出裕章) |