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JIROの独断的日記
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2010年09月08日(水) 【音楽・映像】9月6日は二人の指揮者、岩城宏之さん(1932-2006)、スヴェトラーノフさん(1928-2002)の誕生日でした。

◆偶然ですけど、4歳違いで、同じ年齢で亡くなっています。

音楽年表を見て、ウィキペディアで調べて、驚きました。

音楽そのものとは、何の関係もないのですが。

岩城宏之さんは、1932年9月6日生まれ、2006年6月13日没)。

スヴェトラーノフさんは、1928年9月6日生まれ、2002年9月6日生まれ、2002年5月3日没。


命日も1ヶ月ほどしか違わないので、スヴェトラーノフさんと岩城さんは、ちょうど4歳違いで、

殆ど同じ長さの人生だったのですね。

それが、どうした?

と言われると、実も蓋も無いのですが、偶然とはいえ、面白いです。

二人の共通点は、N響と縁があったことです。勿論、岩城さんの方が遙かに長いけれども。

二人の生前の映像をYouTubeで発見したので、ご紹介します。


◆1960年11月、岩城宏之指揮、NHK交響楽団、外山雄三作曲「管弦楽の為のラプソディ」

1960年11月ということは、私は生後3ヶ月でしたが、そんなことはどうでも良い。


この年、NHK交響楽団は、NHK放送開始35周年記念「世界一周演奏旅行」を敢行しました。

ウィキペディアのNHK交響楽団の「年表」「戦後」に書かれています。

68日間で、12カ国(インド→ソ連→スイス→オーストリア→チェコスロヴァキア→ポーランド→西ドイツ→イタリア→ユーゴスラビア→イギリス→フランス→アメリカ)24都市で公演を行った。

岩城、外山雄三らが率い、堤剛(引用者注:チェリスト)、当時16歳の中村紘子が帯同。

当時としては非常な、英断というか冒険です。日本人が西洋音楽を演奏する、などということを

想像だにしなかった西洋人の方が多かっただろうと思います。

しかも、指揮者の岩城宏之さんも、指揮者・作曲家の外山雄三さんも、N響の「指揮研究員」ですから、

当然、世界的には全く無名。西洋音楽を東洋のオーケストラが西洋で、演奏する初めての出来事でした。


私とて、前述のとおり、生まれたばかりでしたから、後から知ったのですが、この1960年のN響の海外公演で、

西洋人たちは大袈裟ではなく、「驚嘆し」ました。
極東の島国にこれほど優秀なオーケストラがあったのか!

という、初歩的感動です。考えてみると凄いことです。明治元年は1868年。西洋音楽の勉強を日本人が本格的に

始めるのはもう少し後ですから、1960年の時点では、西洋音楽を輸入して、100年経っていないのです。

それなのに、西洋人を驚かせるほどのオーケストラができたいた。日本人はやはり「とてつもない」のかもしれません。


さて、この世界一周演奏旅行の際、アンコール用に外山雄三氏が日本の民謡を色々取り入れて、見事なオーケストレーションを

施して作曲したのが、「管弦楽のためのラプソディ」です。

YouTubeで1960年11月10日に、岩城宏之さんが昔のNHKホール(内幸町にありました)で演奏した映像がありました。

演奏旅行から帰国してすぐです。当然ながら岩城宏之さんの若いこと。N響の懐かしい人々の姿。

ご覧下さい。


管弦楽のためのラプソディ(外山雄三) Rhapsody for Orchestra(Yuzo Toyama)







ホルンの千葉馨さんとかね。サブ・コンサート・マスターは、海野義男さんでしょう。

最後、八木節でどんちゃん騒ぎになる前、信濃追分をフルートが吹きます。

長いソロですが、吉田雅夫先生といって、今のフルート奏者達の先生の先生(の先生)ぐらいの方です。


◆エフゲニー・スヴェトラーノフという「ソ連」時代に全盛だった指揮者。N響も何度も振りました。

たまたま、岩城さんよりも4年早く生まれて、岩城さんより4年早く亡くなった、ロシアというか、

旧ソ連時代にソヴィエト国立交響楽団の指揮者でした。ソ連が崩壊する前に手兵のオーケストラと来日して、

NHKホールで「悲愴」を演奏しましたが、第一印象、何か悪かったのです。

あまりにも自信に満ちあふれていて、ステージに現れるなり、両腕を一杯に拡げ、ふんぞり返って、

どうだ!これからお前らに本物のチャイコフスキーを聴かせてやる。

という感じでした。良く覚えてますが、旧ソ連政府には気に入られていたらしく、肩書きがまたすごいのです。
ソヴィエト社会主義共和国連邦功労芸術家、社会主義英雄

でした。


しかし、人は見かけによらないものです。後年(1993年〜2000年)何度か来日してN響を指揮しましたが、

N響のプレイヤー達の評判は非常に良いのです。既に退職されましたが、30年も第1ヴァイオリンで弾いて

おられた鶴我裕子さんが、著書「バイオリニストは肩が凝る」で書いておられます。

124ページ。
スヴェトラーノフが死んだ日

今年(2002年)5月7日の、成田空港の出発ロビーで、

「スヴェトラ、死んだねぇ」

「ああ、つまんなくなっちゃったなあ」

「どうしても死ぬんなら、9月に来てからにしてくれよー」

「楽しみにしてたのに」

「喪に服したいから、黒来てきたんだ」

「ただのTシャツじゃねえか」

我々はその日、デュトワ指揮で、韓国の合唱団と「第九」をするために、ソウルへ出発するところだった。

本来、指揮者はプレイヤーのカタキだ。人につらいことを全部押しつけておいて、手柄は横取りする、

嫌われて当然の存在なのだ。それなのに、オケの「みんな」が、その死を知ってショックを受け、

本気で悲しむなんて、めったにあることじゃない。


「ダイアナ=プリンセス・オブ・ウェールズに捧げます」---あの声を忘れない。

名演だったチャイコフスキーの第5番の2楽章に入る前だった。客席は水を打ったようになり、

こちらも涙が込み上げそうになった。超ロマンチストだったスヴェトラ。あらゆるメロディを、

これでもかというほど遅くして、歌わせたスヴェトラ。しかし、チャイコフスキーの第4番の2楽章では、

ソロを吹くオーボエに「何もするな」と言ったスヴェトラ。注文は1回きりしか言わないので少しこわかったスヴェトラ。

口数の少ない、でも練習の途中で、ポツリポツリと、ショスタコーヴィッチの棺桶をかついだ話などしてくれたスヴェトラ。

(注:以下略)

スウィトナー、サヴァリッシュ、マタチッチ、などに比べたら、N響と実際に接した時間は短いけれど

鶴我さんがこれほど絶賛する指揮者は、他には殆どいません。鶴我さんが書いている4番の2楽章を

N響で振っている画が欲しかったのですが、あいにく見つかりません。

N響を指揮するようになるよりずっと前だと思いますが、ソヴィエト国立交響楽団で、

チャイコフスキーの交響曲第4番、終楽章を指揮している映像を見つけましたのでご覧下さい。

1985年です。スヴェトラもまだ若い。エネルギーが満ちています。

かなりのテンポですが、ソヴィエト国立交響楽団は乱れませんね。

それから、やはり、ロシアのオーケストラの「馬力」とでも言いましょうか。

すごい迫力。チャイコフスキーの交響曲第4番、終楽章です。



Tchaikovsky Symphony No.4 (4) - Sveltanov, USSR Symphony






次いで、鶴我さんが書いている、「プリンセス・オブ・ウェールズに捧げます」とスヴェトラが言った、

チャイコフスキーの交響曲第5番2楽章。これは、序奏部に続き長ーいホルン・ソロがあるのです。

綺麗なのですけどね。吹いている方がこれだけ長いと、やはり何度演っても、緊張するのではないでしょうか。

4番の終楽章と同様、燕尾服着てますけどお客さんいないのですね。録音用の演奏と見えます。


Tchaikovsky: Symphony No.5 (Svetlanov) (2nd Movement)







最後はせっかくですから、スヴェトラがN響を振る姿です。

1999年の演奏で、御存知、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲です。




Glinka Ruslan and Ludmila Overture by Svetlanov, NHK-SO (1999)





この曲など何百回指揮したか分からないでしょうに、丁寧な指揮です。

残念ながら、鶴我裕子さんはこの日は降り番(休み)だったようです。



岩城宏之さんのCDは沢山あるのですが、意外にも「管弦楽のためのラプソディ」が見つからない。

外山雄三さんご自身が指揮したのが、外山雄三:オーケストラ作品集1 です。

スヴェトラーノフはCDもDVDも沢山あります。ソヴィエト国立交響楽団来日公演のDVD、

N響でチャイコフスキーの5番を振ったCDもお薦めです。


岩城さんもスヴェトラも、直純さんもヤマカズ(山田一雄)さんも、カラヤンも、みんないなくなってしまって、

仕方ないですけどねえ。寂しいもんですな。

とはいえ、録音が残っているのはうれしいことです。

お薦めします。

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